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2009年10月24日 (土曜日)

優しさにふれるときが

第一話を見逃したことがつくづく悔やまれるテレ朝金曜ナイトドラマ「マイガール」だが、今週も順調に素晴らしい出来だった。このままのレベルで推移するなら、オレ的には今季一番の拾い物と断言しても構わない。

主役が腐ってもジャニタレ嵐の相葉雅紀だからなのか、初回は九・六%とまずまずの滑り出しで、仲間由紀恵の「アンタッチャブル」初回スペシャルで一五分遅れて放映した第二話も、前番組のアンタッチャブルの数字が一一・六%と低かった割には一応の牽引効果があったものか、八・九%と最近の連ドラにしては第二話爆下げと謂うほどの惨状には至らなかった。

近年の連ドラは、景気の動向を反映してかデフレ基調で(笑)、数字を持っていそうな著名アイドルを起用しても初回はモニョった数字が出て、しかも第二話以降爆下げが止まらないと謂う、視聴率ベースで何かを語る意味が消失したような状況になっている。

前回の話題を少しだけ引きずるなら、今や視聴率なんてのは広告効果を量る指標としてはほぼ意味がないわけで、視聴率の話をするのはTV局と謂う私企業のビジネスの都合に附き合って差し上げると謂うほどの意味しかない

ただ、TV局が未だにそんな虚構に代わるビジネス指標を確立していない以上、番組の行く末に対する影響力は未だ健在であるから、数字が良いに越したことはない。ただまあ、世間的には相葉雅紀を主役に据えて八%台後半なら万々歳じゃないか、みたいな観測があっても、局視点では「ジャニーズを使ったんだから九%越えが合格点」と謂うような寝言が罷り通っているかもしれないから、その辺は予断を許さない。

この枠の別の作品について、ちょっとしたツテを通じて何だかそんなような妄言が耳に入ったこともあって、制作サイドと世間の温度差って凄いものがあるな、と痛感した次第だが、とりあえず、一視聴者視点で作品の内容を語る場面では、もう視聴率を根拠にして何かを言うのは無意味なので、今後は一切気にしないことにする。

前置きはそんなところで本題だが、放映前は石井萌々果の作為的なまでの萌え属性が目当てで期待していた程度だったこの作品だが、キャストを含めた素材全般の適切な料理の仕方や脚本・演出の良さで、先週、今週と見事に泣かされてしまった(笑)。

とくに今週は、話の筋だけ説明したら誰でも呆れるくらい何の変哲もないストーリーなのに、脚本と演出が神懸かり的に良かったお陰で物凄く見応えがあって、こう謂うのがドラマの醍醐味と謂うものなんだよなぁと。

たとえば、公式サイトの今週のあらすじだけを読ませたら、それで面白いドラマになるなんて誰も思わないだろう。オレだったら、絶対面白いなんて期待しない(笑)。ナニこの華のない地味な話? ナメとんのか?(木亥火暴!!)。

似たようなシチュエーションの「白い春」だって、「やくざVSパン屋」と謂う飛び道具があって、阿部ちゃんVSエンケンと謂うキャスティングに意外なヒネリがあったと謂うのに、この作品では、煩瑣いくらい存在を主張する割には嵐で一番地味な奴を主役に据えて状況設定に何のヒネリもない父親見習いの物語を描くなんて、最初から勝負を投げてるとしか思えない惹きの弱さである。

しかし、実際に観てみると、これが無類に面白い。典型的な「転がしながら積み重ねていくタイプの作劇」なので、多分第一話から順繰りに観ていたらもっと面白かったんではないかと謂う気がする。オレは第二話から見始めたのだが、第三話の作劇はやはりこれまでを踏まえることで意味や効果が出てくる描き方だと思う。

翻って考えると、オレが第二話を観た時点では正宗がコハルを引き取るに至る流れを観ていないので、そこは第二話で言及される範囲で補完するしかなかったわけだが、多分正宗がコハルを引き取る段取りを、登場人物の実感的な気持ちの通い合いのドラマで描き出す第二話や第三話のような語り口で語られていたら、つまり発端編の第一話から観ていたら、第二話を観た印象が大分違ったんではないかと謂う気がする。

そう謂う意味で、乗り遅れを救済することで如実に効果が出るだろうから、テレ朝は適当な時期に集中再放送しなさい。勿論、DVDを出さないなんて許しません

たとえば、今回のストーリーのキーパーソンは正宗の母親の光代で、今回彼女が口にする言葉は彼女の立場としては何一つ間違っていないし、筋が通っている。状況設定だけを視るなら正宗やコハルの希望は所詮ガキのセンチメンタリズムだし、この状況においては光代の主張に対抗可能な筋の通った反論など正宗に出来るはずがない。

しかし、先週の第二話のドラマは、まさしく正宗が「亡くなった陽子のことを想い出すと辛くて一歩も先に進めない」と謂う理由で、コハルにもう陽子の話をしないでくれと頼むと謂う主題が骨子になっていて、それはそれで大事な人を亡くしてしまった人々の身の振り方としては間違っていない。その問題が正宗とコハルの間の気持ちの問題として解消されるのが第二話のドラマである。

第二話のドラマは、最終的に正宗とコハルが離れて暮らしていたことで互いに互いが識らない陽子の姿を語り合おうと謂う落とし所に決着する。つまり、忘れられない人をあれこれ理屈を附けて無理に忘れなければならない理由なんてないのだと謂う、これもまた正論の着地点である。

そのようにして、実感的な気持ちのドラマとして決着したエピソードを踏まえた上で今週のエピソードを視ると、光代の主張する母親として当然の現実的な正論と、正宗やコハルの側の気持ちのレベルの正論が対等の重みを持って見えてくる。

この第二話の着地点を踏まえるなら、未だ本当の父と娘になりきっていない正宗とコハルにとって、二人を繋ぐ絆である陽子を象徴するこのアパートで同居することは、光代の語る正論と同じくらいの重みを持つのである。違うのは、光代はすでに残酷な世界を生きていく知恵を識った大人であり、正宗はそうではないと謂う部分である。

であるから、正宗とコハルにとってこのアパートに住むことがどんなに大事なことであるのかを、正宗は辛い葛藤の末にしか言葉にすることが出来ない。そもそも社会的には未だ何者でもない正宗は、社会的な立ち位置を確立した光代の正論に反論出来る立場ではないのであるから、最初からフェアな勝負ではないのである。

しかし、ここで視聴者視点では光代の主張と正宗の想いがイーブンの重みを持つことを直観的に納得させてしまうのが連続ドラマの凄みである。正宗は、第二話でも、そして多分第一話でも(笑)、第三話と同じくらい誠実に苦しんでいる。現時点で正宗が抱えている気持ちは、それまでの誠実な葛藤の末に得られた結論であることを、視聴者だけは識っているのである。

陽子の真意を識らぬまま彼女を忘れられずに生きた正宗の六年間、そして陽子が愛を込めて語る言葉で聞かされた父親の実像を識らぬまま生きたコハルの六年間、この欠落は陽子の不慮に死によって円満な解決の途を鎖され、父と娘の生はいきなり直結されてしまうわけであるが、その残酷な現状から新たな絆を結んでいく二人の生の物語がこの上なく丁寧に語られていく。

第二話では、この欠落した六年間の記憶を二人で埋め合わせていこうと謂う力強い結論が語られ、今週の第三話では、正宗の将来を案ずるが故にその結論を脅かす存在として母親が立ち塞がるわけで、型通りの悪役との出来レースの対決はないし、ガキのおセンチを迎合的に甘やかす作劇の厭らしさもない。

この正統派のドラマ性はやっぱり強い。

脚本の荒井修子のフィルモグラフィを視ると、なんだかちょっと感心出来ない作歴もあるんだが(笑)、パパムスで注目された脚本家だけに、父と娘の気持ちの通い合いを描くドラマでは良い仕事をしている。今週の脚本なんてのは、まあ全体的な傾向としていろんな要素を詰め込みすぎかなと思わないでもないが、多面的な要素が不気味なくらい上手く適所にハマっていると思う。

中盤で光代が吐く「昔っから、結局最後は私の言うこと聞くんじゃない」ってセリフをあのタイミングで書けると謂うのは、いろんな意味で何だか凄い(笑)。あと、コハルが正宗に相談を持ち掛けられて「コハルは、正宗君がいいと思うほうにします」と謂うセリフですべてを正宗に委ねるダブルミーニングの呼吸も、それまでの描写の積み重ねを踏まえると無闇にテンションが上がるような凄みがある。

そんなコハルの大人の気持ちまでも思いやる優しさは、誰の気持ちも踏みにじれない正宗の性格を受け継いでいるのだろうと思わせ、この二人の血縁関係を疑わせない人物描写の巧みさや、正宗とコハルの関係に光代とその父親の関係を重ね合わせ、この二組の父娘の気持ちの問題の解消を同時に成立させてしまうプロットの巧みさ、そしてそれらの工夫がオムライスを媒介にして親から子に受け継がれていくものを表現する筋立てに収斂していく気持ち好さがさらなる感動に繋がる。

そして、稚ない光代とその父親の回想シーンで語られる「光代の世話をすることで、父さんは段々父親になっていく」と謂う主題の提起の仕方が絶妙である。誰でもこの物語が、頼りない若者が突然幼子を引き取ることで徐々に父親として成長していく物語であることは理解しているが、セリフでそれを表現するにしてもこのような描き方は抑制が効いているなあと感心する。

光代が陽子の存在を受け容れたことを、セリフを一切交えない墓参の光景として表現して、さらに陽子の母親と階段ですれ違わせると謂う心憎さ、さらにはその余韻を光代の口ずさむ唄で正宗とコハルのオムライスのくだりに映像的に繋ぐ語り口など、なんだか今週は信じられないほど神懸かりに良い出来だった。

そのように巧みな語り口で語られた優しい物語の中で、毎回毎回イラッとくるのが友哉先生の圧し附けがましいお説教で、今回のエピソードでもこの先生の独善的な善意が逆に話をこじらせ、逆説的にドラマを動かすわけだが、これまでの正宗とコハルの気持ちのドラマをまったく理解していない友哉先生の「正論」がやっぱり鬱陶しいことはたしかである。

しかし、今週チラリと伏線が張られ、次回予告で何となく察しが附くように、この人物にはこの人物なりの気持ちのドラマがあるわけで、それがこれまでのドラマで鬱陶しい正論のお説教として表出していたわけである。

そう謂うふうに考えるなら、友哉先生のみならず、たとえば正宗の上司の林や幼稚園で識り合ったはるかなど、今後のドラマを予感させるキーパーソンが複数存在するわけであるから、このまま順調にこのレベルのドラマが続いていって欲しいと願う。

今のところ気になるのは、やっぱり陽子が年下の正宗を気遣って正宗に黙って子を産んだと謂うことで、話がこじれたのはキミのせいやろと謂う感想は否めないが(笑)、一応高校生の正宗が妊娠を識ったら、それまでの夢を棄てて陽子と子供を養う為に頑張ってしまうだろう、それは望むところではないと謂う理由附けにはなっているが、夢って愛する人と別れたり生まれた子供に寂しい想いをさせてまで尊重しなければならないような、そんなに大事なもんかね、と年寄りになると思ったりする。

まあ、普通に考えると、高校を卒業するかしないかで夢を諦めて妻子の為に働くと謂うのは過酷だと謂うのが今時の感じ方なんだろうけれど、今週の描写を視る限りでは写真家になると謂う夢も陽子にカメラを買ってもらったから、と謂う陽子絡みの動機なのだから、詰まるところ正宗の人生は陽子を基準にして動いているわけで、陽子のほうで正宗に報せずに子供を生み、コハルに寂しい思いをさせてまで護るべき夢だったと謂う気もしないんだよなぁ。

そんなに正宗が真剣に陽子を好きだったのなら、そして陽子に出会う前は夢らしい夢も持っていなかったのだとしたら、陽子と生まれてくる子供の為に身を粉にして働くと謂うのもそんなに悪い人生だったとは思えないんだよね。で、陽子は白い春の真理子みたいに自分の命と引き替えに愛する人の子を産んだわけではなくて、単に普通に子供を産んだが不慮の事故で突然亡くなったわけだから、この辺がどう着地するかは重要な部分だろう。

原作ではこの辺の設定が違うらしいので、ドラマオリジナルの改変がどう転ぶかはわからない。せめて、陽子が勝手に身を引いて一人で子を産み育てたことが、正宗の将来にとって大きな意味を持つような展開を心懸けて欲しいものである。

そうでないと、何だか陽子の勝手な気遣いが空回りして、残された人々の心に暗い陰を落としたことがすべての元凶のように見えてしまうからなぁ。

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コメント

私は、24日の総集編をちらっとみて「ヤバイぞ、これ。」と遅まきながら気づきましたよ。
「白い春」に続き女の子と父親ものなんですが、出来が良いですね。きちんと作っているんだと思います。
感動狙いのドラマはきらいなんですけどね。

投稿: DH98 | 2009年10月27日 (火曜日) 午後 10時29分

>DH98さん

>>「白い春」に続き女の子と父親ものなんですが、出来が良いですね。きちんと作っているんだと思います。

いや、ホントにきちんと作っています。金曜ナイトドラマ枠って結構テキトーな作りが多いんで、そんなに期待していなかったんですが、びっくりするくらい丁寧に作っていますね。

>>感動狙いのドラマはきらいなんですけどね。

この辺、微妙ではありますね。ドラマを観るのは感動したいからと謂うのもあるんですけど、安い感動の圧し附けだと辟易します。ただ、感動出来るドラマと謂うのはやはりしっかり計算が出来ていないといけないわけで、物語の構造がちゃんとしていることは勿論、文芸の場合は「その成り行きは感心しないなぁ」みたいな引っ懸かりがあると素直に感動出来なかったりして難しいです。

「14歳の母」なんて、割合作りはしっかりしていたんですが、大人から視て話の成り行きに「そらあかんやろう」と謂う引っ懸かりがあってダメでした。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月27日 (火曜日) 午後 11時04分

こんばんは。

私は何も見てないのに見た気がするので、もう良いかなと思ってしまいました。黒猫亭さんはドラマ関係者の敵かもしれません。

TVドラマを見なくなってしまった私が唯一強制的に見せられているのがNHKの朝ドラです(しかもBSと地上波で立て続けに2回)。
これが・・・今のところはっきり言って最低です。周囲の人間はいつも通りキャラの立った芸達者が揃っているのに、主人公がとことん意味不明です。

子供の頃に出会ったカリスマ編集長に憧れて「ファッション雑誌の編集者になって、世界と繋がる!!」夢を持つ陳腐な展開は、朝ドラだから仕方ないかなーと目を瞑りましょう。でも世界と繋がるとか言ってる癖に、仏語どころか英語も学生時代にマスターしてないんですよ、イマドキ。

一事が万事この調子ですから失敗ばかりする訳ですが、これがまた共感できない。取材相手がいくら幼なじみだとは言え、自分の陳腐なシナリオと会わない答えをした時に「そうじゃなくてー」と言った時は(時期が時期だっただけに)本気でお味噌汁吹き出しそうでした。

多分これから成長するんでしょうが、私には脚本を書いている人が主人公というかイマドキの若い女の子を憎悪しているんじゃないかとすら思えています。
前回の「つばさ」が、かあいかっただけに残念な気がします。でも最後まで見せられるんですよ、きっと・・・ハァ。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年10月27日 (火曜日) 午後 11時54分

>うさぎ林檎さん

>>私は何も見てないのに見た気がするので、もう良いかなと思ってしまいました。

そんなこと仰らないで観てくださいよぉ(笑)。まあ、ウチのレビューの性格上、基本的にご覧になった方前提の話になってしまって、未見の方の期待を煽るような書き方は出来ないんですねぇ。

>>黒猫亭さんはドラマ関係者の敵かもしれません。

いろんな意味で、潜在的な関係性は敵同士かもしれません(笑)。

>>TVドラマを見なくなってしまった私が唯一強制的に見せられているのがNHKの朝ドラです(しかもBSと地上波で立て続けに2回)。

朝ドラですか。なんか当たり外れが激しいっぽいですね。オレが唯一最初から最後まで観た朝ドラと謂えば「風のハルカ」くらいですね。水川あさみの少女時代を菅野莉央が演じていたのがきっかけで、この二人が「仄暗い水の底から」と謂う映画でも同じ関係を演じていたのがちょっと面白かったんですね。偶然ですが、今日「オトメン」を観ていたら、大分育った菅野莉央が出ていました。

まあ、一応ハルカは当たりの部類らしくて、そこそこ面白かったですが。

>>これが・・・今のところはっきり言って最低です。周囲の人間はいつも通りキャラの立った芸達者が揃っているのに、主人公がとことん意味不明です。

一回も観たことはないんですが、主役の倉科カナが巨乳アイドルと謂うことでそこそこ人気があるみたいですよ(笑)。倉科カナ自体は可愛いと思うんですけど、役柄はまた別問題ですからねぇ。ウィキでちょっと調べてみたところ…

>>浜本波美:倉科カナ[1]、小酒井円葉(幼少期)
>>
>>物語開始時は小学6年生で、学級新聞の記事づくりに夢中になっている。その後、大阪の大学を出て、小学生のときに出会った編集長を務める摂子のファッション雑誌『マニフィーク』の編集部に見習いとして就職をするも、雑誌が廃刊。編集部も解散と同時に仮採用であったことから会社を解雇された。その後、実家のお遍路宿の悪評を書いた大阪の出版社に行った際に、偶然その出版社で会った吉野の勧めで、徳島市内にある出版社「ゾメキトキメキ出版」に再就職した。海ガメ嫌いである。

…すいません、ワケわかんない設定なんですが(笑)。なんでまた、こんなムダの多い展開になっているんでしょうね。なんか、行き当たりばったりに生きているヒトみたいにしか見えないんですが(笑)。こう謂う行き当たりばったりなヒトだから何の準備もしていないのに「世界と繋がる」とか言っているのでしょうか(笑)。

それ以前に、タイトルに織り込まれている「カメ」が、最後に一行だけ如何にも取って附けたように書いてあるのが物凄く気になります。普通に考えて「ファッション雑誌の編集者になって、世界と繋がる!!」とカメは何処も結び附かないようにしか思えないのですが。

>>時期が時期だっただけに

NHK的には問題がないと謂う判断だったりしたら大爆笑ですが(笑)。

>>多分これから成長するんでしょうが、私には脚本を書いている人が主人公というかイマドキの若い女の子を憎悪しているんじゃないかとすら思えています。

誰だろうと思ったら、相良敦子とか謂う全然識らない人でした。それなりに名の知れたライターが書くものだろうと思っていたので意外ですね。ググっても番組のファンサイトしか出て来ない辺り、そんなに有名なヒトでもないようです。

http://welcame-nami.seesaa.net/article/115961924.html

むぅ、作歴を視る限り、一本も観ていない(笑)。なんかNHKでばかり書いているように見えるんですが、識り合いのドラマレビューブログを読む限り、近年のNHKドラマはなんだか微妙な作品ばかりらしいですよ。

>>相良さんと言えば、日本有数のライター養成講座の日本脚本家連盟ライターズスクールの48期生。

普通なら受賞歴とか代表作を挙げるのが一般的だと思いますが、いきなり出身の養成講座から語り起こしている辺り、激しく不安です(笑)。前掲サイトからのリンクでザテレのサイトの製作発表記事を読んだんですが…

>>81作目となる“朝ドラ”のタイトルは「ウェルかめ」。都会に出て一流の編集者を目指したヒロイン・波美がひょんなことからウミガメに導かれるように人生を大転換し、故郷と向き合うようになる物語。ヒロインは、大海原を旅し、回遊して生まれ故郷の浜を目指すウミガメの子のように、社会の中でもがき、出会いや失敗を重ねながら成長していく。都会で自己実現するのではなく、生きる場所として故郷を選んでゆく。

…すいません、もっとわからなくなりました。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月28日 (水曜日) 午前 12時57分

こんにちは。

ご指摘の”カメ”ですが、舞台になっている徳島に海亀が産卵のために上がってくる浜があるそうで、ヒロインはこの浜近くで生まれ育った設定になっています。保護施設もあって地域で大事にしているようです。
で・も・ヒロインはカメ嫌いなんです(顔が嫌い・・だっけな)。

朝ドラは東京と大阪が交代で制作しているんですよね。視聴率はイマイチだったそうですが、前回、前々回の「芋たこなんきん」「ちりとてちん」
は面白かったんですがねぇ。

今朝も沖縄までわざわざ”海亀の保護を仕事にしている人”に取材に行っているのに、「タイマイは何を食べるんですか?」と小学校新聞の記者のような質問をして失笑を買っていました(そんな事は調べてから行け、仕事舐めとんのか)。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年10月28日 (水曜日) 午後 01時51分

>うさぎ林檎さん

>>ご指摘の”カメ”ですが、舞台になっている徳島に海亀が産卵のために上がってくる浜があるそうで、ヒロインはこの浜近くで生まれ育った設定になっています。保護施設もあって地域で大事にしているようです。

うーん、「大海原を旅し、回遊して生まれ故郷の浜を目指すウミガメの子のように」と謂う説明はありますが、なんでそれがファッション誌の編集なんだか…と謂うか、それなら、一度都会に出て田舎に戻ってくる話だったらどんな話でも好いんじゃん、てことですねぇ、逆に。どうもコンセプトそれ自体に無理があるような気がしてしょうがありません(笑)。

>>朝ドラは東京と大阪が交代で制作しているんですよね。視聴率はイマイチだったそうですが、前回、前々回の「芋たこなんきん」「ちりとてちん」は面白かったんですがねぇ。

その二本は立ち回り先でも評判が好いですね。「ちりとてちん」なんか、上方落語界の話ですから満更興味がないこともないんですが、やっぱり毎日ドラマを観るってのはしんどいですね。貫地谷しほりもスウィング・ガールズのときは美少女っぽかったのに、最近何だかオバチャンみたいな地味顔になっていますしねぇ(笑)。

>>今朝も沖縄までわざわざ”海亀の保護を仕事にしている人”に取材に行っているのに、「タイマイは何を食べるんですか?」と小学校新聞の記者のような質問をして失笑を買っていました(そんな事は調べてから行け、仕事舐めとんのか)。

笑えますなぁ(笑)。多分ネットで質問したら「ググれカス」と打ち込む奴が百万人くらいいるでしょう。倉科カナも、若手芸人の深夜番組「コンバット」に出ていた頃の印象では結構可愛いと思ったんですが、あんまりアフォ丸出しな役をやられると嫌いになりそうですなぁ。まあ、同性の方から見たら単なる腹の立つアフォなんでしょうけれど。

映像作品のキャスティングって微妙なもので、一歩間違えば反感買いそうな役柄にはそれを緩衝するように好感度の高い俳優を使うのも一手ですが、役に負けて俳優のほうが反感買ったりする場合もあるわけで、難しいところがあります。

そう謂えば、以前チャンネルNECOで放映していた金庸原作の「神雕侠侶」と謂う中華ドラマのヒロインが世間知らずのデンパ女で、半端な女優が演じると見ていて腹の立つ役柄だったんですが、中華圏随一の美少女お嬢様女優のリウ・イーフェイが演じていて、これなら何とか我慢出来るかと思って見始めたんですが、やっぱり途中で我慢出来なくなったことがあります。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月28日 (水曜日) 午後 02時44分

こんにちは。

今日Amazonを覗いていてふと「マイガール」を思いだし、チェックしてみました。これ原作の漫画は佐原ミズという方が描いているんですね。
なんだかどこかで見た絵だなーと思いWikipediaで調べたら、夢花李(ゆめかすもも)の名前でも仕事をしている方でした。

それで思い出しました、夢花李なら知っていたので。
この方BLでも仕事されているんです。BL小説の挿絵画家としても人気がありますし、ご自身の漫画も独特な絵と相まって繊細なお話を書かれるのでファンの多い作家さんです。

テレビの方は原作に必ずしも忠実ではないそうですが、涙腺鷲掴みは判るような気がしました。少しでも彼女の作家性を取り入れているとしたら、こまいとこを拾っているはずです。それを”ケナゲ属性”の高い少女が演ったら・・・・そりゃーオヤジの純なハートは狙い撃ちですね(笑)。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年10月30日 (金曜日) 午後 03時20分

>うさぎ林檎さん

>>この方BLでも仕事されているんです。BL小説の挿絵画家としても人気がありますし、ご自身の漫画も独特な絵と相まって繊細なお話を書かれるのでファンの多い作家さんです。

ウィキのリンクで原作の第一話を立ち読みしてみたんですが、達者な画力ですね。

http://www.comicbunch.com/comic_info/my_girl/index.php

BL小説の挿絵画家と聞いて何となく納得するところもあります。「ほしのこえ」など新海誠作品のコミカライズも手懸けているんですね。マイガールの第一話を読んだ感じだと、けっこう好きな感じの画風です。

掲載誌がバンチってのがミスマッチな辺りが如何にもバンチらしくて、逆にあの雑誌らしい方向性の出鱈目さなのかもしれませんが(笑)。

>>少しでも彼女の作家性を取り入れているとしたら、こまいとこを拾っているはずです。それを”ケナゲ属性”の高い少女が演ったら・・・・そりゃーオヤジの純なハートは狙い撃ちですね(笑)。

いや、仰る通りで(笑)。設定は大分変わっているんですが、正宗とコハルを取り巻く人物の描き方が通り一遍ではなくそれぞれにドラマがあって、物凄く平凡な状況設定の割には厚みのあるドラマになっています。

第二話では正宗のアパートの大家夫妻にフォーカスしたストーリーで、夫が八名信夫で奥さんが大森暁美と謂う地味な配役だったんですが、少ない芝居でちゃんと夫婦の人物像を想像させる好い描き方でした。普通、この枠のドラマでこの程度の知名度の俳優さんだと、物凄く薄っぺらい扱いになるんですが(笑)。

思うに、脚本の人ももしかしたら原作のファンなのかもしれませんね。本日二三時一五分からですので、是非一度観てやってください。

投稿: 黒猫亭 | 2009年10月30日 (金曜日) 午後 03時58分

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