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2009年11月 1日 (日曜日)

プリンセスは泣かない

「マイガール」と並んで毎週楽しみに観ているのがTBSの「小公女セイラ」だったりするのだが、これはもう、脚本が岡田恵和じゃなかったら最初から観ようとも思わない題材だっただろう。

まず主演が志田未来と謂うのがすでにダメフラグである(笑)。「探偵学園Q」の辺りから、育っちゃった子役の宿命で何だか賞味期限切れ的な微妙さが出てきて、その後の出演作にこれと言って当たりがない。

何となく「14才の母」とか「わたしたちの教科書」を経て「大して綺麗でもないのに小生意気なガキ」と謂う辺りにパブリックイメージが固まった印象があって、正面切っての優等生役か、厭味な優等生役かの二択に落ち着いたような形である。

しかも「小公女」と謂うのは、見方によっては物凄く主人公が厭味な性格で、変に自意識が強くてマセたところがあって、アニメ「小公女セーラ」で描かれたような苦難を耐え忍ぶ聖女的なお嬢様キャラではない。

バーネットの原作はその辺の変にリアルな人物造形に面白みがあって、通り一遍のおとなしやかなヒロインではないところが支持を受けるのだろうが、結構セーラのこう謂う自意識や自尊心の強さが他人には疎ましいんだろうなぁ、と想像させる。こう謂うキャラを志田未来が演じるとなると、一種ハマり役ではあるが鬱陶しいドラマになるだろうな、と謂う予想になる。

観てみようかな、と思ったのは、やっぱり脚本が岡田恵和だと識ったからで、テレ朝でよく書いていた頃から良い仕事をしていたけれど、近年は職人芸に磨きが掛かってまずハズレがない。

かなり入れ込んでいたライフワークの「めぞん一刻」が不遇な扱いの故に微妙な出来になったり、近年では「バンビ〜ノ!」がまあまあの数字だったくらいでヒット作と呼べるほどのものはなく、「無理な恋愛」や「銭ゲバ」は題材が興味を惹かなかったので観ていないが、観て損したと感じるような作例はまず見当たらない。信頼出来るブランドである。

ただ、何と謂うか、人間の本然的な悪意とそれに疵附きながら必死に生きる弱い存在を描く話だと、真面目に突き詰めて描くだけに居堪れない気持ちになってしまって、黒恵和脚本作品はどうも苦手である。

その意味で、小公女なんてのは典型的に主人公が周囲の苛めを耐え抜く話だから、これは確率的に謂って黒恵和かな、と予想したのだが、第一話を観た時点ではコミカルとシリアスの配分が絶妙で、以前の黒恵和作品と比べると、視聴ストレスの処理が抜群に上手くなっているように思った。

就中セイラを苛め抜く絶対権力者のミンチン女史=三村千恵子の人物造形が絶妙で、これはおそらく志田未来の出世作である「女王の教室」の阿久津真矢のイメージを意図的に借りているのだろうと思うが、セイラの母親である黒田薫子と過去の因縁があると謂う設定にして、金銭的な賤しい動機からのみセイラを苛めるわけではないことをまず最初に印象附けている。

薫子に対する嫉妬や劣等感の故に、セイラが母親から受け継いだ「女の子は誰でもプリンセスになれる」と謂う信念と相容れず、謂わばセイラを薫子に見立てて過去の薫子と対立している人物として描いている。まあ、普通に中の人基準で考えれば、黒川智花と少女時代の樋口可南子だったら、誰が考えても樋口可南子のほうがプリンセスで当たり前なんだが(笑)、千恵子の少女時代をぶっさいくな溝口まりもに演じさせていて、現在の容姿との間にギャップを設けている。

現在視点で考えたら、千恵子のほうが綺麗なんだから薫子に劣等感なんか覚えなくても好いだろうと謂う見え方になるが、少女時代にぶっさいくだったと謂う事実は今更取り返しが附くものではない。そう謂う意味で、千恵子の薫子との葛藤は心情的な落とし前と謂う以上のものではないことが設定的に確認されているわけである。

しかし、中の人基準では似ても似つかない美人女優とぶっさいくな子役を、髪型…と謂うか前髪の撥ね毛と眼鏡だけで強引に同一人物に見せるマンガ的演出が、すでにこのドラマのリアリティレベルを表現している(笑)。

千恵子がセイラと対決したり彼女に想いを致す度に、少女時代の黒田薫子が現実の舞台に突如現れてメタ的な演出になるわけだが、誇張されたコミカルな演出やメタ的な描写がふんだんに盛り込まれているように、このドラマはリアルな語り口の物語ではない。

そもそもこのドラマ、基本的なレベルでは二一世紀の日本の話に見せ掛ける努力すらしていない。千恵子がノートパソコンで執務していたり、会話の中に「ユーロ」と謂う貨幣単位が出てくるくらいで、現代を舞台にしているが現代の時代性は無視していると謂う微妙なバランスの時代設定である。なので、最初から人工的なリアリティレベルのドラマなのだと謂う目配せがあるわけである。

さて、その千恵子の妹のアメリア女史=三村笑美子を、何故か斉藤由紀が演じているのだが、スケバン刑事時代のファンにはちょっとアレな役柄で(笑)、何だか激しく中年太りしていて滑稽なアメリア女史役が物凄くハマって見える辺り、かなり複雑なものがあるだろう(笑)。まあオレはミスマガジンの頃からそんなに好きではなかったからどうでも好いんだが。

原作でもアメリアは、愚かで無力ながら基本的に善良な人物として描かれていて、姉のセーラに対する苛烈な処遇に独り胸を痛めると謂う役どころだが、今回のドラマ版のアレンジは極端に突き抜けていて(笑)、笑美子の破壊的なまでにスラップスティックな言動が、ともすれば耐え難いほどに陰湿な院長サイドの描写を真顔で視られないくらいコミカル一色に塗り潰してしまい、視聴ストレスの軽減になっている。

原作のアメリアよりも姉の千恵子に対する反撥や不満を大きく描いていて、おそらく今後割合重要な役割を果たすのではないかな、と予想させる。そうは言っても、今回の第三話では酔っ払ってラヴィニア=武田真里亜に学園の内情をペラペラ喋って事態の悪化に貢献しているわけだから、セイラに対する苛めを千恵子に訴えても「おまえのせいやろう」と謂うツッコミが入るわけで、当面はねずみ男的なコメディリリーフのポジションで推移するんだろうなぁと思う(笑)。

この三村姉妹の心理的どつき漫才が毎回の見どころでもあって、岡田恵和の職人芸的なギャグセンスが炸裂していて楽しめると同時に、千恵子を憎らしい一方の人間ではないと思わせるルーティンになっている。

ポーカーフェイスで取り澄ましているくせに突如爆発的に激昂して絶叫する病的な人物造形の千恵子と、薄らぼんやりしていて鈍いくせに無闇にリアクションの大袈裟な笑美子の噛み合わない四次元漫才が、毎回かなりの尺を割いて展開されていて、叙述的な意味があるんだかないんだかサッパリわからない辺り、今後油断出来ないところである。

一方、主人公のセイラについては、志田未来のパブリックイメージを踏襲しつつそれを上手く利用しているように思う。まあ、やっていることは基本的に「女王の教室」なんだけれど、あれから育っちゃって変な方向に行ってしまった志田未来をもう一回同じ状況に投げ込んでみてリストラしようと謂うコンセプトなのかな、と思わないでもない。

これは結局、明るく剽軽な性格でクラスの人気者だった神田和美がふとしたきっかけで境遇が激変して、それまで親友だと思っていた友人にも裏切られて孤立していく流れを完全に踏襲しているわけで、女王の教室で福田麻由子が演じた進藤ひかる的なポジションの人物として、わざわざ忽那詩織演じる水島かをりと謂う原作には相当する人物が存在しないキャラを登場させている。

第一話では黒田セイラのダイヤモンドプリンセスとしての優等生的な魅力を前面に据えた展開で、眩しい魅力で学院の多くの生徒を魅了する出発点を描き、就中原作ではアーメンガードに相当する東海林まさみの絶対的崇拝が獲得されるわけで、蔑ろにされた武田真里亜の、寛子と謂う凡庸な名前や家柄に対するコンプレックスも押さえつつ、後半の急転直下の激変に至るまでの華やかな学院生活を明朗に描いている。

設定紹介編の前半部で、主人公のセイラをはじめとする主要人物を紹介する手際は横綱相撲の手際の良さで、粗方のルーティンもここで提示し、後半は父の死を転機とした境遇の激変を描くわけだが、第一話ではそれほど踏み込んでセイラの内面を描くことはしない。普通、大富豪のお嬢様として育てられた娘が下働きの下女に成り下がったのだから、相応の戸惑いや適応不全も起こるはずだが、そこはサラッと流して描いている。

下女としてのセイラの生活にまず救いをもたらすのは、原作のベッキーに相当する林遣都演じる三浦カイトだが、ちょっと頭の弱い年上の少女から利発で向上心の強い少年に変更されたのみならず、セイラとの関係性や学院内の位置附けもまったく原作とは違う描き方になっている。

カイトは貧しい村の出身で、定時制高校に通わせてもらうと謂う条件で住み込みの下働きに来たものの、手違いで進学の約束は反故、生活の面倒だけみてやるから黙って働けと謂う不遇な境遇に置かれている。原作のベッキーは「お嬢様」に対する下層民的な崇拝からセーラを慕うわけだが、このカイトは逆に、恵まれた境遇で育ったセイラに対して複雑な想いを抱えながら、それでも善良な人間性の故にセイラに対して好意を抱く。

弱い立場の故に表立って力になってやることは出来ないが、何くれとなくセイラに気を配って強者の悪意の楯になるような正義感の強い少年として描かれている。いわば現在のセイラにとっては、ちょっと頼りないが「ヒーロー」である。これは、女王の教室では、ネタ臭い三枚目的な役柄でありながら、真矢の圧制に抗して終始和美の味方に立った真鍋由介のポジションと謂うところか。

彼をコキ使うのが原作のジェームズ夫妻に相当する小沼夫妻だが、この夫婦が支配する調理場のくだりは、「アルジャーノンに花束を」のパン屋を想い出させるくらい悪意が剥き出しで、こう謂う悪意的なダイアログを書かせるとホントに岡田恵和は上手いなぁと思うんだが、よくまあこれだけ厭な人間として描けるものである(笑)。

このろくでなしの小沼誠一郎を演じているのが、役柄の重みに不釣り合いな大物の大和田伸也なのがとても気になるんだが(笑)、普通なら、でんでんとか松澤一之とか、大和田伸也の線を狙うにしても升毅とか、幾らでも相応の格の俳優がいるだろう。大和田伸也のフィルモグラフィ的にも、こう謂う品性下劣な小人物と謂う役柄は珍しいから、ここの配役には何かの仕掛けがありそうな気がする。この人物もまた、怠惰な人間性の故に鬱屈を抱えた人物として描かれていて、通り一遍の悪役で終わりそうな気がしない。

一方、学院の生徒役としては、重要人物は三人で、武田真里亜と東海林まさみ、それに水島かをりであるが、まさみ役の岡本杏里とかをり役の忽那詩織はそれぞれ注目の美少女タレントだが、真里亜役の小島藤子って誰だろうと思ってググってみたら、何とキミハンで貫地谷しほりの妹を演じていた子だった(笑)。

まあ、あんだけ前髪がさんばらでマンガみたいなでっかいリボンを着けていたら、一目で誰だかわからなくても仕方がないが(笑)、おはガール出身と謂うことでベッキーに似ているような気がする。この真里亜さんが子供世代の人間関係の中で苛め役を一手に引き受けるわけだが、真里亜の苛めに対して取り巻き二人以外の生徒が完全に引いている描写が映像で何度も押さえられているので、基本的に学院の生徒の大半はセイラに好意的であるような見え方である。

中でも、まさみはセイラに対する絶対的崇拝の故に、かをりは少女の集団の残酷さや下劣さに対する軽蔑の故に、セイラの処遇を巡って真里亜と対立的な関係にある。

第二話は、大人世代のセイラの敵である千恵子と子供世代の敵である真里亜が、共にセイラに屈辱を覚えさせられると謂う筋書きで、今後の苛めの動機を確定させるエピソードである。クラス代表の座を奪われた真里亜が屈辱を覚えるのはわかるが、自分の勝手でセイラにスピーチを強要した千恵子が何故屈辱を覚えるのか。

第二話の描き方では、阿蘭先生の仄めかしに乗って笑美子のほうは手もなくセイラを学生に戻すことを勧めるが、千恵子は最後の最後までそれを拒んでいる。セイラが言うように、セイラはすでに学院の生徒ではないのだし、そんな筋目を平気で破れるような卑しい人間ではないわけだし、何より、ここでセイラにスピーチさせることはセイラの助けで経営的な苦境を脱することになる。これは、千恵子にとって何よりの屈辱である。

しかし、ギリギリの瞬間に遂に千恵子は折れてしまい、急遽セイラを生徒に仕立てて茶番のスピーチを強要する。日本円にして五百万円の助成金がどうしても必要だと謂う現実的な事情の故に、ライバルの娘の力を借りる羽目になったわけである。学院経営の危機と謂うのは、所詮は千恵子の力が及ばなかったことを意味するわけであるから、自分の力が足りずに招いた苦境をライバルの娘によって救われることになるわけで、これが屈辱でないはずがない。

いや、身勝手と謂えばそれまでなんだが(笑)、千恵子の立場ではそれ以外にどうしようもないわけである。セイラがそれを正論の理屈で拒むと突如キレるのは、まあそんなことはセイラに言われるまでもなく自分でもわかっているからである。甚だ身勝手な理屈ではあるが、それでも千恵子がセイラに対して屈辱を覚えるのもまた自然な心理ではあるだろう。

こんなあくどい駆け引きを仕掛けたのは、正体不明の曲者教師阿蘭先生だが、おそらく原作のフランス語教師の役柄を膨らませて、隣家のインド人家令の役割を混ぜたものだろう。間違いのないように確認しておくが、隣の家のインドカレーを混ぜたわけではないから勘違いしないように。

この阿蘭先生を演じているのが田辺誠一だが、この役者は変な柄の持ち主で、基本的に善人なんだがいつも何か企んでいるような何だか胡散臭そうな顔をしている辺りが持ち味である。一度CMで金田一耕助を演じているが、意外に金田一ファンの間では支持が高い。つまりこの、若々しくて善良そうでいなら、何だか喰えない感じが金田一耕助と重なるからである。

多分この阿蘭先生が将来的にセイラを苦境から救い出す手助けをすることになるだろうと思うのだが、第三話までを視る限り、どうも原作通り莫大な遺産を相続してプリンセスに返り咲いて目出度し目出度しと謂うオチにはならないような気がするので、その辺をどうアレンジするかが楽しみな部分である。

第二話で苛めのモチベーションが確立されたことで、次のステップの第三話ではカネの力にモノを言わせた真里亜の陰湿なセイラ苛めが炸裂するわけだが、何だかいろいろ面白い展開だった。多額の寄付金を条件に特別待遇を得た真里亜が、自分附きの下女としてセイラを理不尽な命令で振り回し、その一方で小沼夫妻には現金を渡しカイトには高校進学を条件にセイラを孤立させようと目論む。

リアルタイムでは途中で所用に立ったので、セイラを崇拝するまさみが何故セイラ苛めに加わったのかと謂う事情を視ていなかったんだが、どうせこう謂う鈍くさい子だから真里亜に脅迫されたんだろうとか思っていたんだが、後で頭から通して録画を見返してみたら、こりゃあかなり非道いやり口である(笑)。

セイラを学院から追い出されたくなかったらシカトしろなんてのは、まさみみたいな頭の悪い子には酷な話だよなぁ。劇中ではこの子のセイラに対する好意が一番打算なく単純で強いものであるだけに、相手のことを想うなら虐待に加われなんて二律背反を圧し附けられたら苦しいに決まっている。今回一番可哀相だったのは、実はまさみだったとオレは思う。

つまり、この第二話と第三話と謂うのは、セイラが悪者たちにどんどん追い詰められて可哀相な立場に追いやられる話に見えるんだけれど、実はセイラみたいな人間が存在することで痍附く人がいるんだと謂うことを執拗に描いているのではないかと。

だから、第三話の時点でセイラの心が折れるのはそもそも既定の筋書きで、第二話はセイラを快からず思う人々がセイラの存在で痍附くドラマなのだし、第三話はそれがセイラに好意を抱く人々にも波及すると謂うドラマなんだろうと思う。

そもそもセイラみたいな人間は、存在するだけで貧乏人や凡人にとっては不愉快な存在である。何不自由なく贅沢に育てられ、高度な教育を受けて非の打ち所のない人格者として育った人間なんか、そうでない人間から視れば鬱陶しくて仕方がない。そんな人間に「女の子は誰でもプリンセスになれる」なんて言われたら、腹が立つのは当たり前である。それは、あんたが生まれながらにプリンセスだから言えるセリフだろう、普通はそう思う。これは大多数の人間の嘘偽りのない本音である。

そう謂うふうに考えれば、小沼夫妻の物凄く生々しい厭味な言葉責めも、ひねこびてはいるが恵まれない人間の偽りのない本心である。単にそれを剥き出しの悪意として表出させるか否かが品性の違いであるにすぎなくて、カイトだって内心では「ああ、お嬢様なんだな」と思ったわけである。

第二話でも、「自分を可哀相だなんて思ったら、ずっとそんな境遇だった人々を軽蔑することになる」と物わかりの良いセリフを口にしているが、それはやっぱりカイトのような人々にとっては本当にわかっているとは思えないわけで、「神様が与えた試練」と謂う考え方は「いつか報われる」と謂う信念とセットだが、一生報われない人間はどうなるのか、そう謂う問い掛けにセイラのようなすでに一度報われていた人間は答えられない。

事実として恵まれた生まれであったこと、これは、千恵子が事実としてぶっさいくな少女だったことと同様、どうしても埋められない初期条件である。

境遇の変化に負けたくない、以前とまったく変わりなく誇り高い人間でいたい、そう謂うセイラの強い意志は、やっぱり他人にとっては鬱陶しいわけで、普通の人間なら贅沢三昧な生活から一転して下女奉公の身の上に落ちぶれたら辛いに決まっている。逃げ出したいに決まっている。そんな境遇に落とされて、プリンセスと持て囃された頃と同じ自尊心を持ち続けられる人間なんていない。少なくとも自分には出来ない。

かをりがどん底のセイラに対して冷たい言葉を吐くのは、少女特有の嫉妬心や残酷な憎悪を軽蔑して周囲と一線を画すかをりから視ても、意地を張って昂然と前を向いて生きようとするセイラの存在がたまらなく鬱陶しいからである。そこまで過酷な運命に翻弄されたら、普通の人間は卑屈になる、それが人間と謂うものだ。自分だけは違うと言いたげなセイラの姿勢が、そう生きられない人間を痍附ける。

やっぱりこの辺の機微は黒恵和全開で、第三話でも耐え難いほどに可哀相に見えてしまうのは、苛め抜かれて屈服したセイラではなく、どうしても高校に行きたいと謂う自分都合の願いの故にセイラを庇えなくなってしまったカイトだし、何の打算もなくただただセイラを慕う気持ちを真里亜に利用されたまさみである。

真里亜がカイトやまさみに目を附けたのは、境遇が一変したセイラに対してカネや身分の故ではない無心の好意を注ぐのがこの二人だからであり、それがすべてを喪った現在のセイラの心の支えとなっていることを見抜いたからだろう。小沼夫妻なんか、余計な厭味を言わなくなっただけ有り難いくらいのものだが(笑)、カイトに無視されるのは辛い。夜毎の寂しさを癒してくれたまさみに無視されるのも辛い。

しかし、セイラが遂に折れるのは無視されるのが辛いからではなく、やっぱりカイトの悲痛な告白を聴かされたからだろうし、生得的に与えられたものだけで自分を尊敬していたセイラの存在が、どうしようもなくカイトのような存在を痍附けるのだと思い知らされたからだろう。そんな境遇にあったら心が折れるのが当たり前で、そんなことはないと毅然として胸を張ろうとすることが尚更周囲を痍附ける、そんなふうにかをりに識らされた以上、もうセイラにはどうして好いのかわからない。

だから、真里亜に強制されて「ごめんなさい」と謝罪するのは、そうすれば許して貰えると思ったからではなく、無邪気な自分の自尊心が真里亜を含めて多くの人々を痍附けていたことに対する本心からの謝罪だろう。これは、逆説的に言えばセイラが亡き母の遺訓に則って真のプリンセスになる為には避けて通れない道である。

「女の子は誰でもプリンセスになれる」と謂う信念は、育ちや環境と謂う生得的な条件の故にすでに生まれながらにしてプリンセスであったセイラがプリンセスでなくなる出発点からでなければ実証することは出来ないのである。

この第二、三話の悲痛な展開は、それでもカイトがカネで横面を叩くような真里亜の賤しい誘惑に屈しないと謂うラストで若干の救いを得る。「どうしても高校に行きたいんだ」「一生神様に試され続けるのか」と血の出るような告白をしたカイトが、それでも真里亜に対して「高校には行きたいけど、あんたのカネでは厭だ」と言い放つ瞬間、惨めな貧乏人だって棄てたもんではないと謂うカタルシスがある。一生神様に試され続ける貧乏人だって、どうしても譲れない誇りがある。

そして、カイトがセイラを庇ったことで、心ならずも真里亜に強要されてまさみが投げたトマトがセイラを穢すことを防ぐ、と謂う描き方が岡田脚本の計算の効いているところだなあと思う。おそらく、如何にセイラの為を思う動機からでも、自分の投げたトマトが惨めに床に跪いたセイラに当たっていたら、まさみはもっと苦しかっただろう。ここに颯爽と割って入ったカイトは実に格好良い。

高校進学の夢を断念すると謂う苦しい選択でカイトが救ったのは、セイラの心でもあるしまさみの心でもある。カイト格好良いよカイト。

トマトまみれになって泣き崩れるセイラに対して、カイトは「プリンセスは泣かないんだろ?」と慰めるのだが、これは別にからかっているわけではないだろう。たしかにカイトみたいな生まれながらの貧乏人が、誇りを持って生きていくのは難しいけれど、一生神様に試され続けるような惨めな人生を胸を張って生きていくには、やっぱり誇りが必要なのである。

どんなに高校に行きたくても、金持ちに札束で横面をはたかれるようにして望みが叶うのでは意味がない。そんなことはカイトだってわかっているんだけど、セイラみたいに辛い逆境の中でも誇りを持つことが当たり前で、それがいつかは報われるんだと無邪気に信じられるような恵まれた人間を視ればたまらない。

カイトだって心の何処かでは「女の子は誰だってプリンセスになれる」と信じたいのだし、「プリンセスは泣かない」と言い放って涙を堪えるセイラの強さに対する好意はあるのである。このカイトとセイラの間には、仄かに男女の意識があるようにも見える描き方だし、まさみとカイトの立ち位置の差別化はその点にあるだろうから、今後の展開が楽しみである。

前述の通り、どうもオレの予想ではまるっきり原作通りのストーリー展開にはならないような気がするので、その辺のアレンジも含めて毎週楽しませて貰おうと思う。

いい加減長くなったからこの辺にしておくが、劇的な事件が起こらない繊細な気持ちのドラマを緻密に描くマイガールとは対照的に、マンガ的に誇張された世界観の中でダイナミックなストーリーを語り実にリアルな心情ドラマを描くこの作品も、今季の注目作の一つであることは間違いない。

来週の第四話は、次回予告を視てもどんな筋書きなんだか一向にわかんない不可思議な展開だが(笑)、いつも全体のエピソード構成については理詰めの計算が行き届いている岡田恵和の脚本であるから、今季一番安心して観られる作品である。

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コメント

フゥム。
いつもながら、面白い分析。
読ませていただきましたo(*^▽^*)o

以前、マンガの主人公は残酷って言う特集がありましたが、ふと思い出したりして、、、
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091169354317.html?tbpage=1

それから、落語。
聞きにいきました♪
それで、エントリーをあげて、トラバお送りしたのですが、届かないようです。
この頃、トラックバック、送るほうも受けるほうも調子が良くないんです、、、
hietarouさんちにも送ったのだが、届いていないし、、、

と、言うことで、落語。
また教えてくださいね。あなたの記事、夫も楽しみにしています。
では、、、

投稿: せとともこ | 2009年11月 2日 (月曜日) 午前 10時14分

>せとともこさん

ちょっとだけ忙しかったので、お返事が遅れました。

>>以前、マンガの主人公は残酷って言う特集がありましたが、ふと思い出したりして、、、

翼くんなんて一対一一でハットトリック決めたりしますしねぇ(笑)。GK以外は残りのメンバー要らないじゃんって話なんですが。まあオレは基本的に相対主義的な人間観なので、天才と凡人の差なんてのは個性の範疇でしか考えていませんけどね。

天才と謂うのは、一般的な尺度では超越的に優れた能力があるから、凡人にとっては魅力的に映る、それだけのことだろうなと思います。現実で言っても、社会や文明のイノベーションは一握りの天才がもたらしたわけではないと考えていますし、まあたくさんの人間の中に何割か物凄い人間がいたほうが効率的だと謂うだけの話なんだろう、と。

物語づくりの観点では、たしか柴錬が言ったことだと思うんですが、主人公には一つだけ他人にない取り柄を設定したほうが好いと謂う経験則がありますね。物凄く足が速いとか、物凄い怪力だとか、物凄く料理が上手いとか、物凄く掏摸が上手いとか、一つだけ突出していれば好いんです。そうすると、ストーリー展開上で設定したピンチをその取り柄で切り抜けると謂う形で面白いアイディアが出てきます。

たとえば踊る大捜査線の青島刑事ってのは、誰も覚えてないと思いますが(笑)前職は辣腕営業マンだったわけで、たしかSP版で何処ぞの企業の不正を潜入捜査すると謂う設定で実際にその会社の業績を倍増させて幹部社員に大抜擢されてしまう、なんて話がありましたが、人物造形の面で個性的に描くと謂う観点でも、性格設定や生い立ちだけではなく、状況に対処する手段にも個性があれば、キャラの魅力の観点は勿論プロットの独創性にも繋がると謂う知恵ですね。

娯楽作品においてはキャラの魅力とプロットの面白さが両輪ですが、実は人物造形と謂うのは、こう思ったとかこう考えたと謂うような内面描写よりも、行動のスタイルを通じてプロットの中から出てくるのかな、とか思ったりするんですが、「天才だ」と謂うのは一番知恵のない「取り柄」と謂えるかな、と思います(笑)。

大分脇道に逸れましたが、生得的な条件に恵まれている人間は、どうしてもそうでない人間を痍附けてしまうと謂うのは事実ですね。生まれながらのお金持ちとか、生まれながらの天才とか、その種の人間は凡人の苦悩を嘲笑うかのような現実の不公平さを体現する存在ですから、本人にその気がなくても周囲を痍附けてしまいます。

多分この「小公女セイラ」の企画と謂うのは、「格差社会でも誇りを持って生きていこう」みたいな割合安易な出発点から出てきたんじゃないかと思いますが(笑)、普通に考えると、恵まれた出発点に在っただけにセーラ(表記が煩雑なんですが、原作の主人公は「セーラ」でこのドラマの主人公は「セイラ」です)が体験する運命は、実は元からの貧乏人の苦しさよりも過酷だと謂う言い方も出来ます。

また、それとは矛盾する見方として、その過酷な体験を克服出来たのはセーラが恵まれた人間だからだ、と謂う言い方も出来るわけで、最終的に父の遺産を相続してハッピーエンドですから、結局は傑出した人間が味わう通過儀礼の話だと謂う解釈が可能です。

そう謂う意味では、突き詰めて考えればこの題材で「格差社会でも誇りを持って生きていこう」みたいなテーマは語れないわけで、本来一種の貴種流離譚のバリエーションでしかありません。まあ、嘘事の御伽噺ですから突き詰めて考えなくても好いんですが、ここまでの展開を視る限り、「何もそこまで」と思うくらいその辺の問題を過酷に追及していて、安いハッピーエンドで納める道が鎖されているんですね。

そもそも原作のセーラは九歳の幼女で、そんな稚ない少女が強い心の力で苦難に立ち向かっていくと謂うお話なんですが、このドラマのセイラは高校生くらいの設定ですから辛い境遇に負けなければそれで好いと謂うわけではありません。他人の気持ちや世の中の仕組みが段々わかってくる年頃ですから、苦難を通じて人間的成長を得ると謂う落とし所になるでしょうし、原作のセーラが識らなくても好かった辛い現実をキチンと理解する必要があるでしょう。

そんなに大枠でストーリーが変わるとも思えないんですが、原作の構造は、詰まるところ父の莫大な遺産が諸事情ですぐにセーラに相続されなかったのが問題なわけで、そのトラブルが解決されるまでセーラが逆境に負けなければそれで好かったわけですが、この物語では、トラブルが解決されることそれ自体が物語の救済にはならず、セイラの人間的成長をどのような形に落とし込むか、それが周囲の人々の抱える問題にどのような影響を与えるのか、と謂うことが焦点になるでしょう。

この成り行きで、ただセイラの懐に大金が転がり込んだからカイトを高校に行かせてあげると謂うだけの話にしたら、真里亜の申し出と何処も違わないわけですから、何の解決にもならないですよね(笑)。事実性のレベルではそう謂う落とし所になるとしても、そこまでの心理劇のプロセスが重要ですね。

…と謂うわけで、長くなったので、落語についてのお話は後ほどそちらにコメントさせて戴きますね。

>>あなたの記事、夫も楽しみにしています。

ありがとうございます。ご夫婦でウチのブログを読んでくださっている方って意外とレアですねぇ(笑)。どう謂うわけか、大概旦那さんか奥さんのほうだけなんです。まあブログ一般、そんなものかもしれませんが。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月 3日 (火曜日) 午前 09時24分

いつも楽しく拝見しています。

志田未来なら『正義の味方』は? とか

>誰も覚えてないと思いますが(笑)前職は辣腕営業マンだったわけで、

はいはい。そこまで「私だけがドラママニア」なのに、『銭ゲバ』観てないんスかー、ふーん。とか。

投稿: マカロンキッズ | 2009年11月 3日 (火曜日) 午後 04時17分

>マカロンキッズさん

コメントありがとうございます。今後の参考にさせて戴きますね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月 3日 (火曜日) 午後 05時31分

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