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2009年11月15日 (日曜日)

固定観念

今さっき用事があって最寄り駅の駅ビルまで用足しに行ったのだが、この時間帯だと歩道から改札階に昇るエスカレーターが停まっていた。停まっているエスカレーターを見ると無性に昇ってみたくなるのが人情と謂うもので(笑)、人目のないのを幸いにいい歳をして停まったエスカレーターを昇ってみた。

先入観と謂うか固定観念と謂うのは恐ろしいもので、エスカレーターのメタリックな縦溝を見ると、頭では停まっているとわかっているはずなのに、やっぱり一歩目でつんのめってよろけてしまった(笑)。身体のほうが動いている前提で反応してしまうので、どうしても上昇モーメンタムに備えて過剰に踏ん張ってしまうのである。

二、三段昇ると身体のほうでも「ああ、これは今はエスカレーターではなく単なる階段なのだな」と理解して何のこともなく昇れるのだが、一歩目はまず間違いなくつんのめるものである。

これは、普通なら何らかの事故でもない限り殆どの人が停まっているエスカレーターを昇降した経験がないから、「エスカレーターは動いているもの」と無意識に擦り込まれていることが理由として大きいのだろうが、それ以外にも、あの金属の縦溝で強調されたパースが、動いているかのような錯視を誘っているような気がする。

試しに、用事を済ませた帰りにもエスカレーターを降ってみたのだが(そこ、どんだけ暇なんだとかツッコミ入れないように)、降る際にもやっぱり身体が下降モーメンタムを予想して過剰に体重を掛けてしまい、ガツンと足に衝撃が走ってしまった。降りのほうがエスカレーター全体の見通しが利くので、動いてる感は昇りよりも強いように感じたが、まあ単なる気のせいかもしれない(笑)。

これだけの話で何のオチもないのだが(笑)、皆さんも停まっているエスカレーターを見掛けたら是非一度昇降してみることをお奨めする。錯視のトリックアートで不思議なものが見えると変な感動があるものだが、これはそれに体感が加わるのでちょっとだけ楽しい気分になれる(笑)。

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コメント

建築に携わる人間として、一言。

停まっているエスカレーターで昇降してみた経験はあります。
同じ経験をしました。

何故、<つんのめる>のか?

それは、階段では、蹴上げ(階段の高さ:H)、踏面(階段の水平部分:D)がほぼ均一になっており、人間の歩幅に合わせ、理想的な階段は、<2H+D=歩幅 (約60cm以上)>となっているからです。

止まったエレベーターでは、登り口、上がり切った所では、これらの関係が全く不規則なので、<つんのめってしまう>のです。

階段でも、施工が悪く、蹴上げ、踏面が微妙に違う階段は、足を踏み外すことがあります。

これらは、近い数値で、法規でも決まっていますが、「人間工学」による原理でもあります。

投稿: mohariza | 2009年11月15日 (日曜日) 午前 04時11分

>moharizaさん

ああなるほど、段差の不規則さが理由ですか。

たしかに、停まっているエスカレーターと謂うのは、まず一段目と二段目のステップが完全に平らになっていて、三段目が少し持ち上がりかけて、四段目でもう少し持ち上がり、五段目くらいで正常な段差になっていますから、最初の二つのステップを除くとしても残る三段のステップの段差がまちまちであることは事実ですね。

ただ、停まったエスカレーターを昇るときにどう謂うふうにつんのめるかを考えてみると、それだけでは説明出来ないように思います。つまり、真っ平らなはずの最初の二段のステップに踏み込む段階でもうつんのめっているんですね。後の三段を昇るときに調子が狂うのであればその説明でも好いと思いますが、まず最初の第一歩目につんのめるほうが普通じゃないかと思います。

そもそも、動いているエスカレーターでも、定点で観測すると最初の五段のステップの段差の関係は停まっている場合と同じなんですが、普通にエスカレーターに乗る場合、一段目は開口部から出てきたばかりで、ステップ二段分がフラットになっていますから二段目のステップに足を掛けるのが普通だと思います。そうすると、二歩目を踏み出すくらいのタイミングでは足を掛けたステップの次のステップ(つまり開始時の定点で謂えば三段目のステップ)の段差がすでに正常に復しているので、普通に階段を昇る要領で昇れるわけですね。

だとすると、段差が不規則だからと謂う理由もたしかにあると思いますが、それは間接的なもので、より本質的な理由は、踏み込んだ一歩目を乗せたステップが持ち上がらないことによって二歩目の踏み込みの目測が狂うことだと謂えるんじゃないかと。

動かない階段でもアイポジションで前方に見える段差の目測と足許の段差が違ったら少し調子が狂うだろうとは思いますが、エスカレーターの場合は、最初の五段分のステップの段差の関係が一見して不規則でも、二歩目を踏み出すまでに段差の関係が正常に復しているはずだと謂う思い込み(と謂うか、体感的な記憶と順応)のほうが理由として大きいのかな、と思います。

これは逆に謂えば、かなり昔、エスカレーター自体が珍しかった頃、田舎の年寄りが最初の一歩目で体勢を崩したりしていたのと逆の機序なのかな、と思います。まあ、動いているエスカレーターを降りるのが難しいのはまた別の理屈だと思いますが。

…と、ここまで考えてきて、ハタと抜本的な問題に気附いたのですが、そもそもエスカレーターとは人間が歩かなくても階段のほうが勝手に動くものであって、動いている階段を昇降する為のものではない、と謂う当たり前のことを忘れていました(笑)。

これはもう、自分が日頃エスカレーターをガンガン昇り降りしていることがバレバレでお恥ずかしい次第です(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月15日 (日曜日) 午後 05時25分

追加です。

本文でも少し触れましたが、動いているエスカレーターにまず一歩踏み込むと、斜め上前方に向けて動いていますから、身体の重心が斜め下後方に置いて行かれます。そこで若干重心を前方に移動してそれに対応する、ここまでが一繋がりの動作ですね。慣れてくると、一歩目を踏み出す段階ですでに前方に向けた重心移動を同時に行うように身体が順応して動作が自動化されてきます。

しかし、停まっているエスカレーターの場合、斜め上前方に向けた動きがないので、普通ならあるだろうと身体が予想している重心の揺らぎが起こらず、にも関わらず自動化された一連の動きとして踏み込みと同時に重心移動を行っているので、段差の問題と複合して前につんのめるような形になるのではないかと思います。

降りの場合には、段差の問題よりもこちらの自動化された動きのほうの機序が原因として大きいんじゃないですかね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月15日 (日曜日) 午後 05時40分

黒姫亭さんへ
一応、私の階段の常識をお分かり頂いたようで良かったです。
そして、
<そもそもエスカレーターとは人間が歩かなくても階段のほうが勝手に動くものであって、動いている階段を昇降する為のものではない>も、その通りだと思います。
登りでも、上の水平になって行く段では、敢えて上るには、それまでとは違う上がり方(動作)をしないと、足を踏み外します。
他、(敢えて、エスカレーターを)上るの際の、
<斜め上前方に向けて動いていますから、身体の重心が斜め下後方に置いて行かれます。そこで若干重心を前方に移動してそれに対応する>、
その為に、体の動きとして、重心バランスが大事なのだと思います。

最初の方の段のエレベーターでは、<より本質的な理由は、踏み込んだ一歩目を乗せたステップが持ち上がらないことによって二歩目の踏み込みの目測が狂うこと>も含め、
全ては、「人間工学」上の人間の動きから来ていて、

上りのエレベーターを敢えて、下ろうとすると、エレベーターの動きと、人間の足の動きがうまく合わず、大変です。

多分、暗闇で(まともな施工の)階段を上り下りするは可能かも知れませんが、エレベーターでは、目測確認出来ず、足を踏み外すこと間違い無いと思います。


投稿: mohariza | 2009年11月15日 (日曜日) 午後 06時11分

>moharizaさん

人間工学ってのは、建設物でも乗用具でも何でも人間が使うものの「デザイン」においては重要な要素ですね。

人間は、日常的な動作を行う際に、一々頭で考えて意識的に行うわけではなく、初期の試行錯誤の経験からフィードバックされて最適化された動きが自動化されて日常的な動作を行っているものですし、肉体の構造上アプリオリに決まっている動作の方向性と謂うものもあります。これに、認知心理学みたいな要素も関係してくるでしょうから、一口に人間工学と謂っても複雑ですね。

>>上りのエレベーターを敢えて、下ろうとすると、エレベーターの動きと、人間の足の動きがうまく合わず、大変です。

これ、誰でもガキの頃に必ず一再ならずやって怒られてるものですよね(笑)。昇りのエスカレーターを降る場合、走らないと降りられません。階段だからピンと来ないですが傾斜を無視して謂えばルームランナーと同じものですから、前に進もうと思ったら、エスカレーターの動きよりも速く動かないと前に進まないからですね(笑)。

しかし、階段を駆け下りる動作で斜め上後方に重心が持って行かれる感覚なんて日常的に感じたことがないですから、斜め下前方に駆け下りる動作で前のほうに重心を移動することになって、それと対抗する方向性に動いているステップに足を踏み下ろす衝撃が強くなります。なので、ガキが昇りエスカレーターを駆け下りると体重が軽くても物凄いインパクトになって機械が傷むわけですね。

>>多分、暗闇で(まともな施工の)階段を上り下りするは可能かも知れませんが、エレベーターでは、目測確認出来ず、足を踏み外すこと間違い無いと思います。

エスカレーターに乗る場合、まず目視で一歩目のステップを確認してから踏み出すものですね。オレはイラチなので、ここでいつもちょっと失敗してしまいまして、ゆっくり小股で一段目のステップに足を乗せるか、大股で二段目のステップに足を乗せればいいんですが、中途半端に一段目と二段目の継ぎ目に足を乗せてしまって、動きに連れて踵の下が落ち込んだり爪先が持ち上がったりと、ヒドイ目に遭います(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月15日 (日曜日) 午後 06時42分

<多分、暗闇で(まともな施工の)階段を上り下りするは可能かも知れませんが、エレベーターでは、目測確認出来ず、足を踏み外すこと間違い無いと思います。>の
エレベーターは、エスカレーターの間違いでした。
一応、訂正します。

なお、エレベーターは、立ったままなので、「人間工学」には関係ありませんが、(加速度に関しては、無いとも云えませんが…、)
問題は、床レベルとエレベーターの床レベルが一致しない場合でしょう。
「床が同じレベル」が前提ですが、古いエレベーターは、下がったりします…。

投稿: mohariza | 2009年11月15日 (日曜日) 午後 07時38分

>moharizaさん

いや、意味は通じますからお気になさらず。

エレベーターの人間工学と謂えば、やっぱりmoharizaさんが触れておられる加速度の関係ですかねぇ。二〇階建て以上の高層ビルの高速エレベーターなんか、かなり考えているとは思いますけれど、耳抜きの出来ない人間には辛いんじゃないですかねぇ。

あの耳がポコッとなる感覚が厭な人もたくさんいますから、あれが解消されたら画期的な改善になるでしょうなぁ。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月16日 (月曜日) 午前 07時46分

この記事を読んで、自動洗車機の中(の車の中)にいると、車は静止して洗車ブラシのほうが動いているのに、視界にブラシしか入らなくなると車のほうが動いているように感じることがあるのを思い出しました。視覚がだまされているのと同時に、身体に妙な加速感(加速の反作用が体感されるはずなのに実際にはないことの違和感でしょうか)も感じたりするんですね。割と人間の感覚っていい加減だなと思います。

投稿: About | 2009年11月17日 (火曜日) 午後 12時54分

こちらには初めてお邪魔します。よろしくお願いします。

この現象はNHKが取り上げたり、ネット上でも話題になっていますね。

moharizaさんご説明の蹴上げの不規則さの他に、
人間は0.5秒遅れて世界を意識しているという事情によるようです。

0.5秒というと結構長くて、意識してから行動を起こしたのではとても間に合いません。
そこで、無意識の自動運転のようなしくみで行動していて、意識は事後的に追認しているに過ぎないようです。

この無意識の自動運転を会得するには、訓練が必要で、それはスポーツの動きなどを考えると分かりやすいです。
スポーツだけでなく、会話なども、無意識の反応と考えた方が納得できるところが有ります。
エスカレーターに乗るには重心移動などの微妙な調整を会得する必要が有るわけです。

それで、この自動運転システムが完成した後では、逆に止まったエスカレーターに乗るのに違和感を感じたり、つまずいたりするようです。

意識的な自由意思に従って行動しているようでいて、実は無意識の行動の司令の方が先だという、衝撃的なリベットの実験に関連している話かと思います。

投稿: zorori | 2009年11月17日 (火曜日) 午後 10時30分

>Aboutさん

>>この記事を読んで、自動洗車機の中(の車の中)にいると、車は静止して洗車ブラシのほうが動いているのに、視界にブラシしか入らなくなると車のほうが動いているように感じることがあるのを思い出しました。

人間は結構視覚に頼って周囲の状況を判断していて、その視覚が割合騙されやすいところがありますから、その錯覚に合わせて頭のほうが勝手に認識の辻褄合わせをするようなところがありますね。京極夏彦のデビュー作である「姑獲鳥の夏」は、まさにそんな内容の話でした。

似たような状況としては、二本の線路が並走するような路線で、巡航速度に達した二台の電車が同じ速度で走っていると、一瞬停まっているように感じることがありますね。揺れはありますが等速運動なので加速度は感じないですし、窓から見えるのは並走する電車だけなので、停まっているように感じてしまいます。

そのままずっと一緒に走っているわけではないですから(笑)、いずれは線路が別れたりどちらかがもう一方を追い抜いたりするわけですが、追い抜くほうはそうでもないんですが、追い抜かれる電車の車窓からの見え方だと、何だか電車がゆっくりバックするような奇妙な感覚があります。こう謂う場合も、たしかに視覚に連動してそれと矛盾がないような加速度の感覚を感じる場合がありますね。

一部の人には厭な喩えですが(笑)、高所恐怖症の人が高いところに立って下を見下ろすと、何だか下から引っ張られるような感覚を覚えるのも似たような現象なのかな、と思います。五〇センチくらいの幅の板が地べたに直に置かれていたなら何のこともなく渡れても、まったく同じ板が五メートルくらいの高さに渡されていたら渡りにくいと謂うのも似たような現象なのかもしれませんね。

エスカレーターの例は、これと同じような機序だとも謂えるし、まったく逆のプロセスの機序だとも謂えそうですね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月18日 (水曜日) 午前 07時55分

>zororiさん

>>0.5秒というと結構長くて、意識してから行動を起こしたのではとても間に合いません。
>>そこで、無意識の自動運転のようなしくみで行動していて、意識は事後的に追認しているに過ぎないようです。

仰るようなことを考えていました。日常のあらゆる場面で、この種の自動化された動きが関与していますね。歩くと謂うこと一つとっても、一々意識して互い違いに足を出している人はいないわけで、まず慣れない動作を訓練によって習得した後はそれが自動化されるようですね。

zororiさんが挙げられたスポーツの例で謂うと、「身体に覚えさせる」と謂うのがそれに当たるのでしょうね。野球やゴルフのように、一回ごとに仕切り直して動作を行うような断続的な動きのスポーツでも、集中して最適なフォームで動作が行えるように正確に自動化する訓練が必要でしょうし、サッカーのように一瞬ごとの咄嗟の判断が重要な連続的な動きのスポーツでも、一瞬ごとの局面に頭で判断していては間に合いませんから、僅かな情報で最適な動きで対応出来るような訓練が必要でしょう。

>>意識的な自由意思に従って行動しているようでいて、実は無意識の行動の司令の方が先だという、衝撃的なリベットの実験に関連している話かと思います。

言い方を変えると、人間の動きの大部分は無意識の部分から出ているけれど、事後にそれを頭で解釈して理論附けていると謂うふうにも言えそうです。ただまあ、意識と無意識の連結も単純な問題ではないですから、「自動化」と謂う言葉の意味を過剰に重視して、人間や動物が単なる機械的反応で生きているように考えるのも間違いだろうとも思いますが。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月18日 (水曜日) 午前 07時56分

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