芋だけに、奥深く曲がりくねった道
先日とろろ飯を喰ったついでに思い附きを書いたら、存外に反響が大きくてビックリしてしまったのだが、やはりこの「喰ってる間は美味いけど、喰った後口の周りがムズムズする」感じがとろろ芋らしいところである。
とろろ芋の粘りに粘りまくった呼称の混乱については、どらねこさんがエントリを上げてどらねこ定義を示してくださったので、それを踏まえてオレの現時点の考えを纏めてみようかと思う。
まず、どらねこ定義を引用させて戴こう。
①ヤマノイモ:日本原産で里山に自生している芋。栽培も可能
②ヤマイモ:中国とかが原産で日本中広く栽培されている芋。
③ダイジョ:暖かいところが原産で日本では主に九州で栽培されているでっかい芋。
ご覧の通り、日本の在来種である所謂「自然薯」が元々の「ヤマノイモ」で、中国等が原産地の栽培種が「ヤマイモ」、そして本州の人はあんまり見掛ける機会のないでかい芋が「ダイジョ」であって、現在はこれらを総称して「ヤマノイモ」と呼称していると謂う解釈である。
先方のコメント欄に書いたように、これは文献的に裏の取れる解釈で、平安時代に編纂された和名類聚抄と謂う辞書でもヤマノイモとヤマイモが別記されていてこの区分が基準になっているらしい。
つまり、縄文時代くらいまで遡るなら、山野に自生する芋として現在のヤマノイモ=自然薯があって、その一方で栽培種として大陸乃至半島から伝わったサトイモがあったわけで、採取する自生種がヤマノイモ、里で栽培し収穫する栽培種がサトイモと謂う区分だったと考えられるが、そこにさらにヤマノイモに似た芋が大陸から渡来して栽培されるようになったので、ここで呼称の混乱が起こったと考えられる。
「サトイモ」と謂うのは山で自生する「ヤマノイモ」に対して里で栽培するからサトイモと呼ばれるわけだが、ならば「里で栽培されるヤマノイモに似た芋」をどう呼ぶべきかと謂うのは非常に難しい問題である(笑)。しかし、実はこの設問は、植物学的な分類概念で謂えば対置される実体の関係がそもそもズレているのである。
たとえばこれが、もしもサトイモとヤム類の渡来の順序が逆だったら物凄くわかりやすい区分になっていたわけで、自然薯がヤマノイモでヤム類がサトイモと謂う形に確定して、現代に至るまでの混乱は生起しなかっただろう。ヤム類の後に現在のサトイモが渡来していれば「太郎芋」とかそんなようなテキトーな呼称で呼ばれて、山と里の対称関係で呼ばれるヤム類の分別の埒外に置かれただろう。
ところが、不幸なことに(何が?(笑))本邦への伝来はサトイモのほうが先でヤム類のほうが後になってしまった、これが現在までの呼称の混乱に禍根を残したのだろうとオレは考えている。本来、山と里で対置するなら、種の区分で近縁のヤム類同士が対象になるのが相応しいのに、種の区分の遠いヤマノイモとサトイモが山と里の対置で概念が固定されてしまったのである。
これはオレ個人の推測に過ぎないが、おそらく古代の日本人は里で栽培されるヤマノイモに似た芋のことも特段自然薯と区別せず実体主義的にヤマノイモと呼称していたのではないかと考える。日本語の固有名詞が厳密な階層性に問題を抱えることは、以前書いたエントリでも考察したが、摺り下ろすなり潰すなりすると著しく粘りを生じる芋のことは、元々日本の山野に自生したヤマノイモと実体的には同じものと考えられ、一括してヤマノイモと総称されていたのではないかと推測する。
そもそもヤマノイモを含むヤム類は、形状が若干違うだけで形態的には薄い皮が附いてそこに髭根が生えていると謂う特徴が大体共通しているから、古代から近代にかけての日本人がわざわざそれを別の物と分類していたとは考えにくい。ヤマノイモには粘りの強いものと弱いものがあって、山に生えるものはひょろ長くてクネクネしているが、栽培されるものは色も形もちょっと振れ幅がある、と謂うくらいに割り切って考えていたのではないかと考える。
つまり、現代の感覚で謂えば、天然物の魚と養殖物の魚には若干色や形の差があるのと同じような感覚で捉えられていたのではないかと思う。おそらく、概念的には山に生えている自然薯を里で栽培出来るようにしたものが渡来物のヤム類だと謂うくらいのざっくりした捉え方だったのだろうと思う。
何しろ、その当時は現代的な植物学上の分類概念が存在しなかったのだから、種を区別する基準が文化によってマチマチであっても当然である。それは一種、科学的な概念の問題と謂うより、言語的な概念の問題であったわけである。
現代に生きるわれわれには、植物学的分類や辞書的分類等、別の種の植物は別の呼称で呼ばれるべきだと謂う尺度があるが、ほんの近代以前までの日本人はそんな細かいことはあまり気にしていなかったし、実際には必要がなかったと謂うことだろう。
では、前掲の和名類聚抄の分類はどうなるのかと謂えば、おそらく平安時代の当時までに「山の芋」の「の」が省略されて「山芋」と謂う呼称が派生していて、それはそれで自生種と栽培種の間で区別なく混用されていたのではないかと推測する。
それはたとえば、ヤマノイモと謂う呼称がまず存在してサトイモはその対置概念であると謂う前提において、サトイモがサト「ノ」イモと呼ばれないこととの関連上でヤマノイモの「の」も余分だと謂う日本語の言語感覚に由来するのではないかと推測出来る。
であるから、一般的な用法では自生種をヤマイモと呼ぶこともあれば栽培種をヤマノイモと呼ぶこともあって、ヤマノイモとヤマイモと謂う二つの呼称の間には実体的な区別はなかったのではないかと考える。
しかし、古代から中世に掛けての辞書と謂うのは本草学や博物学のような概念も包含していたわけで、ウィキでも「今日の国語辞典の他、漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴」と謂うふうに記述しているが、物の名を識ることはその名に対応する実体の本然を識ることでもあったわけである。
そうすると、呼称としてはヤマノイモとヤマイモと謂う二つの名詞が存在し、実体としても自生種と栽培種が存在する以上、おそらくヤマノイモとヤマイモはそのいずれかと一義的に結び附くに違いないと謂う考え方が可能である。
この時代の思想においては、モノの呼称と謂うのは単に人間が便宜的且つ恣意的に附けた記号ではなく、モノの本然が自ずから表出したもの(つまり、水の氷点が〇度であるのと同様、科学的な物性の観点の特質とほぼ同等の絶対的属性)であるから、そうでなければおかしいわけである。
であるから、おそらく編纂者の源順はその両者の呼称がいずれの実体と結び附く例が多いのか、それには文献的な根拠があるかと謂うことを調査確認して、辞書と謂う書物の権威によって呼称の揺らぎを学問的に確定した、このような経緯になるのではないかと考える。
そう考えた場合、本邦の本草学においては文献的な連続性と正統性が大きな根拠となるので、各々の漢籍や古文献の権威の相対比較と理路の合理性を勘案して後世の概念が決定されていただろうから、学問的には「ヤマノイモ=自生種」「ヤマイモ=栽培種」と謂う分類が早くから成立していたのではないかと考える。
であれば、一般的にはヤマノイモとヤマイモと謂う呼称、自生種と栽培種と謂う実体はさほど神経質に区別されずに混用されてきたが、学術的には上記の分類が本当だ、と謂う二重の概念で近代以前までは通用していたのではないかと思う。まあ、この想定で謂う「学術的な分類」と謂うのは、イルカやクジラは魚類であるとか、ハイエナは雌雄同体であるとか謂う文献本位の学問の分類であることには注意が必要だが。
一方自然薯と謂う呼称について考えるなら、「自然」を「ジネン」と読むことには注意が必要である。「自然」と謂う漢語は呉音では「ジネン」と謂う音で「シゼン」は漢音であるから後世の音である。そして、現在に残る呉音の読みは主に仏教に関連した用語で用いられていて、「ジネン」と謂う読みは「人為が加わらないこと。ひとりでにそうなること。ありのまま(大辞林)」を意味する仏教用語である。
つまり、「自然薯=ジネンジョ」と謂うのは「人が植えたものではなくひとりでに生えている芋」と謂う意味であり、仏教用語である以上一般語ではなく、精進料理との関連が推測出来るわけである。だとすれば、自然薯と謂う呼称がヤマノイモを指すと謂うことは精進料理や仏教用語の一般への流布の過程で伝わったと考えられるので、山野に自生するヤマノイモの在来種を指すことは明らかである。これは、語義的に考えて呼称と実体の間の関係が揺らぎようがない。里方で栽培する芋が「ジネン」でないことは言語概念の観点で明確な区分だからである。
別の言い方をすれば、本邦の在来種のヤマノイモと一義的に直結する呼称は自然薯しか存在しないと謂うことで、里方では麻の如くに乱れていた呼称と実体の間の混乱に自然薯と謂う呼称が揺らがない補助線を引く形になるわけである。
これはつまり、自然薯と同一の実体はヤマノイモであるのかヤマイモであるのかと謂う設問が設定可能になったと謂うことである。
上記の複雑な経緯を整理して言うと、まず古来から日本の山野に自生する芋としてヤマノイモと呼ばれるものが存在した、これが出発点である。山野に自生する芋だから「山の芋」と謂うわかりやすい成り立ちの語であるが、それは山野に自生するナッツや芋類を採取する狩猟採取時代の食制の概念である。そこに栽培種としてまず渡来したのがサトイモで、これは山野に自生するヤマノイモに対して、里方で栽培するからサトイモと呼ばれるようになったわけである。
そして、サトイモがサトノイモではないことから遡ってヤマノイモから「の」と謂う接続詞がとれてヤマイモと謂う呼称が派生し、それと前後して大陸から栽培種としてヤマノイモに近縁のヤム種の芋が何種類も段階的に渡来した。つまり、呼称の変遷のダイナミズムと実体の変遷のダイナミズムが別々に進行して、それが故に呼称と実体の間の対称性にそもそも一義的な結び附きが存在しなかったと謂うことになる。
この想定において「の」と謂う接続詞が省略されるプロセスは、ヤマノイモと謂う語とサトイモと謂う語が成立した時代の間の言語感覚のギャップの動態の考察になるんだろうけど、この辺については詳しくないから省略(笑)。dlitさん辺りに伺ってみたい気もするけど、今はいろいろ忙しいらしいから無理だろう(笑)。
さらにこの混乱に拍車を掛けるのは「ヤマトイモ」の参戦である。ヤマノイモとは別に存在するヤマトイモと謂う語は、そもそも「大和の芋」であるから、現在の奈良県に相当する領域で栽培された渡来種であると考えられる。これは別段ヤマト朝廷が九州一帯から東北までを制圧したことに基づいて、現在の日本全体を意味するような概念で「ヤマト」と呼ぶなら、「日本を代表する芋」と謂うことになるが、近代以前の野菜の品種名で「日本全体」と謂う概念が存在するわけがないから、関西で「ヤマト」と呼称する地域性を指示すると見て間違いはないだろう。
その場合、大体奈良県一帯を漠然と「山門=ヤマト」と称するわけだから、そこから地域的に伝播可能な地域特産の芋をヤマトイモと呼ぶのだろうと推測して間違いはなさそうである。前掲のどらねこ定義でも、丹波芋や伊勢芋のようなツクネイモの類をヤマトイモと比定しているが、これらの芋は関西地域で栽培された種である。
では何故関東ではイチョウイモの類をヤマトイモと呼ぶのかと謂えば、それはおそらく関東の栽培種の中で最も粘りが強く、従って自然薯に近い芋がイチョウイモだからではないかと考える。これだけでは何の説明にもなっていないが(笑)、これはつまり関東の栽培種の中で最も粘りが強いと謂うことは、ヤマノイモに近いと謂うこととヤマトイモに近いと謂うことの両方のニュアンスが生じると謂うことである。
直観的にわかるのは、ヤマノイモと謂う語とヤマトイモと謂う語が非常に紛らわしいと謂うことだが、さらに、ヤマノイモ=自然薯と謂う考え方に則れば、ヤマノイモもヤマトイモも共に「粘りが強い」と謂う特徴を志向する言語イメージが共通していると謂うことである。
であるから、そもそも語音が紛らわしいと謂う近縁性と、「粘りが強い」と謂う特性上の近縁性が共に作用し、イチョウイモをヤマトイモと呼称する慣習が関東で定着したのではないかと謂う推測になる。そこにさらに、関西でツクネイモを食べたことのある関東人が、ツクネイモとイチョウイモを同一のもの(つまり加工されたとろろ汁を見る観点では粘り気以外の基準では区別が附きにくいから)だと誤認したことでさらにその印象が強化されたと謂う事情もあったかもしれない。
上記を総合して考えれば、自然薯が山野に自生する在来種を指し、ヤマトイモがツクネイモを指すことは相当の確度で推測可能だが、そもそも日本語の言語概念ではヤマノイモとヤマイモとヤム類を区別する分類上の判定基準は未だ確立されていないと謂う言い方が出来るのではないかと謂うのがオレの結論である。
繰り返すが、ヤマノイモとヤマイモとヤム類の分類について、少なくとも日本語の上で相応の根拠を持って断定し得る概念基準は未だ存在しないのだから、要するに呼称と実体の間の対称は、「必要な範囲の領域で通じればそれで好い」と謂う便宜的なものでしかないと謂うことである。
因みに、残る疑問としては「ヤム類一般をヤマノイモと呼ぶ」と謂う、外国語起源の学名との間の不可思議な類似であるが、たとえば強い誘惑を感じる仮説としては「渡来品種がヤムイモと呼ばれていたのが転訛してヤマイモになった」と謂う推理だが、調べた限りでは、西アフリカ言語起源である「ヤム」と謂う呼称が古代日本に伝播した可能性はほぼゼロである。
現在日本で流通している大半のヤム類は中国を経由しているわけだが、中国語ではヤム類のことを「シャンヤオ」と呼び、この「シャン」は「山」で「ヤオ」はくさがんむりに「約」であるから、語義としては「薬」と同義で、つまり「山の薬」と謂うほどの意味になる。もっと詳しく調べれば伝播の形跡が確認出来るのかもしれないが、現時点では中国語のヤマノイモを指す語に「ヤム」と謂う音が含まれていただろうと推定する根拠はない。
つまり、ヤム芋とヤマイモの音が似ているのは単なる偶然である。
であるから、ヤマイモの語形成はヤマノイモの「の」が省略されたものと考えるのが妥当だろうと考える次第である。
さらに因むなら、前掲の「ヤム」について引いたウィキの項目の解説には、驚くべき記述がある。
アメリカ合衆国では、オレンジ色のサツマイモがヤムと混同され、頻繁にyamと呼ばれる。ヤム栽培の経験があった西アフリカ出身の奴隷が、ラテンアメリカから北アメリカに導入されていたサツマイモをヤムと呼んだのが原因であるらしい。アングロアメリカでは、アフリカ系やラテンアメリカ系の食料品店を除けば真のヤムがほとんど流通していないため、ヤムとサツマイモの違いを知る者は稀である。
芋の呼称が混乱しているのは、何も本邦だけの特別事情ではない。アメリカ合衆国においては、完全な伝言ゲームの間違いによってサツマイモがヤムと呼ばれているわけであるから、芋の呼称について混乱が付帯するのは一種普遍的な事情なのである。
しかし、さらに調査すると、ヤムの語源についてはこんな資料がある。これを視る限りでは、西アフリカの言語で謂う「yam 」とは「to eat」の謂いであるとのことであるから、これはたとえば中国語で豚を意味する「猪」と謂う語が「犬」と「煮」の会意で喰い物として代表的な動物と謂う意味を指すように、「食べ物」と謂う意味で主食そのものを指定する語だとすれば、西アフリカでヤムとして指示される実体に似ていると謂う意味で西アフリカ出身の奴隷がサツマイモをヤムと呼称することは、厳密に謂えば間違いではない。
西アフリカの言葉である「ヤム」からヤム類と謂う植物学的分類概念を作ったのは西欧人なのだから、活きた言語として本場の西アフリカの人間がヤムに似た植物をヤムと呼んで、それが植物学的分類上ヤム類ではないから間違いだと断定する権利など誰にもないわけである。
かくして、芋を巡る呼称と実体の間の関係性の混乱に関する問題は、国際的な規模にまで波及したと言い得るわけであるが、流石にもうオレの手には負えない(笑)。
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コメント
すげ~!!
上記はわたくしの偽らざる感想でございます。
調査力と分析力に脱帽です。
自分が参考にした本は雄山閣から刊行されたものでした。1次資料には当たっておりません。(お恥ずかしい)ですが、自分定義記事をアップしたおかげでこの記事が誕生したのだとすれば、大変光栄な事です。
今後、とろろ芋食べる度に蘊蓄垂れるようになりそうな自分です・・・
投稿: どらねこ | 2009年11月 3日 (火曜日) 午後 11時03分
興味深い話でした。
江戸時代の本草学の『和漢三才図会』によれば、ヤマノイモは総称または野生のものを指す言葉で、家種のものがナガイモとされています。
両者は葉や芋の形状、色も違うとされており、区別されています。
また、本草学の類書に対して、ツクネイモやナガイモが山芋(ヤマノイミ)と誤認されているとの指摘も掲載しています。
この本では比較的細かく分けていますが、時代・地域によって細かく分けているかどうかは違うということなのでしょう。
なお、面白いことにとろろ汁はヤマノイモではなくツクネイモの項目にあり、ツクネイモに味噌汁、青海苔の粉を足しておろしたものとされています。
投稿: 町田 | 2009年11月 3日 (火曜日) 午後 11時42分
>どらねこさん
どらねこさんが引いてくださった補助線のお陰で、何となく全体の輪郭が見えてきたような気がします。勿論、このエントリの考察は全部推測にすぎませんが、本職の学者さんがあんまり埋めてくれそうもないニッチを、いろいろ材料を集めて推理するのは面白いパズルですよね(笑)。
改めて全体を見直してみると、ちょっと弱いかなと思うのは、ヤマノイモとサトイモの関係についてのロジックで、逆に謂えば「サトイモ」が存在しないのに何故「ヤマノイモ」と謂う呼称が出てきたのかと謂う疑問ですが、これは「イモ」の語源を調べてみたところ、定番の外来語起源説と「妹」説があるのですね。
語源に関して外来語に起源を求めるのは単なる問題の先送りで、伝播のプロセスを後附ける根拠が存在しない場合はあんまり説得力がないですから、大和言葉の「妹」と謂う言葉が語源だと考えると割合筋が通ります。
この辺の推理は、山野の自然に詳しいどらねこさんのご感想を伺ってみたいところなのですが、「イモ」の語源が「妹」から来ているというのは、イモの繁殖力(種イモからどんどん子イモが生じるような)を女性の繁殖力に見立てたものだと謂う説明なんですが、普通に考えるとそれは栽培法からの連想なので栽培種に関してはそんな連想が働くだろうけれど、自生種についてそんな連想が自然に生じるだろうかと疑問に感じます。
ただ、ヤマノイモはムカゴがとれますから、根元のほうにヤマノイモがあってその上に小さいムカゴがわらわら繋がっている様が親子のように見えて、そこからの連想と謂う意味で女性の繁殖力との連想が在り得るかな、と思います。
そうすると「山の女」と謂う意味でヤマノイモと謂う語がまず生まれて、その次にサトイモが渡来したのだとすれば、山と里と謂う対置概念を除けば語幹は「イモ」になりますから、そこからイモ類一般を「イモ」と呼称する慣習が確立したのかな、と推測すると面白いですね。
その場合、「イモ=妹」と謂う元々の語源と「イモ」と謂う音が分離してイモ類の実体と概念的に結び附いたので、そもそも「山」と「女」と謂う一般概念同士を結び附ける為の「の」が不要になったと考えることも可能ではないかと思います。
また、源順がヤマノイモが自然薯のことだと考えた理路として、おそらくヤマノイモのほうが語として古く、ヤマイモ(つまりイモと謂う音がイモ類と謂う実体と結び附いてから生まれた語)がその派生語として生まれたと謂う順になりますから、語の発生順と実体の認知の順序を当てはめた結果、ヤマノイモ=在来種・ヤマイモ=渡来種と謂う結論になったのかな、と思います。
ただ、この推測はヤマノイモとムカゴの間の関係を古代人が十分認識していたと謂う前提が必要なんですが、それが自然に感得可能なのかどうかは、実際に山歩きをしない人間にはちょっとわかりません。
投稿: 黒猫亭 | 2009年11月 3日 (火曜日) 午後 11時59分
>町田さん
>>江戸時代の本草学の『和漢三才図会』によれば、ヤマノイモは総称または野生のものを指す言葉で、家種のものがナガイモとされています。
これなんですが、後段の、
>>なお、面白いことにとろろ汁はヤマノイモではなくツクネイモの項目にあり、ツクネイモに味噌汁、青海苔の粉を足しておろしたものとされています。
ここにヒントがありそうですね。和漢三才図会の編者の寺島良安は大阪の医師で、漢籍の「三才図会」を元に著した百科全書ですが、どうも本邦の文物に関する博物学的な認識は関西の地域性に縛られていたんではないかと思えます。
つまり、関西地方では粘りの強いツクネイモを味噌汁で溶いたものがとろろ汁と呼称されていたとした場合、ヤマノイモとツクネイモは概念的に別のものなのですから、ヤマノイモの項目にとろろ汁の記述があるわけにはいかないのでツクネイモの項目に振り分けているわけですね。
だとすれば、江戸時代に至っても未だ「ヤマノイモ=自生種、ヤマイモ=渡来種」と謂う平安時代に生まれた人工的な線引き以外に頼り得る基準が存在せず、呼称と実体の関係は地域性に左右されていたと考えることが出来るのかな、と。
投稿: 黒猫亭 | 2009年11月 4日 (水曜日) 午前 12時23分