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2009年11月21日 (土曜日)

横着すな

こんなタイトルを掲げてみたものの、オレ自身が相当横着な人間である。世間の人々のように習慣的に新聞を読むとかニュースサイトを巡回して情報を収集するようなことはしていない。気になることを調べることはするが、日々何が起こっているのかを識る為にアンテナを張るようなことはしていないのである。

ニュースは専らめざましテレビやとくダネのような情報バラエティをヘッドラインとして利用していて、気になった事柄についてはネットで詳しく掘り下げて調べると謂う形で情報を得ているわけであるから、当然世情には疎いところがある。

TV以外のソースとしては、ココログやヤフーメールの管理画面にコーナーが設けてあるネットニュースのヘッドラインで世情を識ることも多い。総じて、世間の情報を得る窓口は窮めてお粗末なものである(笑)。

今回のエントリもその伝でココログニュースの記事が元ネタだが、どうもあんまり世間では話題になっていない事柄らしいので、検索してみてもココログニュース以外のサイトで報じているわけではなさそうである。

児童ポルノ単純所持禁止へ!?

この記事のネタ元はいつものように「保坂展人のどこどこ日記」だから、これも横着と謂えば横着な記事だが(笑)、そんな記事をネタ元にしている時点でオレも人の横着は笑えない(笑)。

議論なしで「児童ポルノ法改正」を急ぐべきではない

このエントリによると、

だが、今日この時点ですべてが決しているわけではない。ただ、国会での議論を省いて、「全会派一致」で「委員長提案」で法務委員会に提出されると改正案は長くても2〜3分で成立してしまう。これは、付帯決議をつけた場合で、これ以外は議事録も残らない。この「委員長提案」の環境がそろいつつある「最終段階」まで来ていると社民党政策審議会のスタッフから聞いた。また、今日は自民党のベテラン議員が社民党を訪れて、「あとは社民党が賛成すれば、すぐに成立する状況だ。社民党の回答待ちになっているので賛成を早く決めてほしい」と幹事長に要請したという情報も入ってきた。

…と謂うことになっているが、ホンマかいな、と謂うのが正直な感想である。過去にこの問題を巡って一連のエントリを起こしたが、一時この問題は危機的な状況に瀕していたと謂うのがオレの認識で、民主党の介入がなかったら恐ろしい事態に発展していたわけである。

これらのエントリを書いた時点で結論附けたように、あの時点で得られた合意案でもたしかに自公政権の素案よりも遙かにマシで、三号定義の具体化など、現行法の問題点について一定の改善が視られることは事実である。

しかし、民主党が政権を獲得した現在、あの時点の自公政権との合意案に拘る必要はさらさらないだろう。民主党の側でも自公政権との間で妥協した部分が相当あったのであるから、晴れて議会第一党の地位を獲得した現在、元々の民主党案を叩き台にして仕切り直しの議論を重ねるのが筋だろう。

なんでこう謂うことになったのかと考えると、前掲の保坂の記事には不審な記述が存在することに気附く。

また、今日は自民党のベテラン議員が社民党を訪れて、「あとは社民党が賛成すれば、すぐに成立する状況だ。社民党の回答待ちになっているので賛成を早く決めてほしい」と幹事長に要請したという情報も入ってきた。

…え? なんで今更自民党? 「賛成を早く決めてほしい」って何だ? さらにネットで検索すると、こんな変な情報が出てきた。

今、自民党から児童ポルノ法改正案が提出された理由がさっぱりわからない

この増田の元ネタのニュースも念の為に掲げておこう。

自民、児童ポルノ改正案再提出へ 単純所持も規制

日付を見なかったらいつの記事なんだと謂う気がするが、紛れもなく半月くらい前の最近の話である。つまり、時系列に沿って整理すると、野に下った自民党が何故かこのタイミングで改正案を再提出して、増田の予想とはまったく逆に政権与党が殆ど賛成していて、社民党の回答待ちでアッサリ成立する状況になったと謂うことである。

何だこりゃ?

この件については保坂が語っている通りで、それが当たり前の反応だろう。なんで政権与党の民主党が、野党自民党が再提出した改正案に賛成して成立を急ぐ必要があるのかサッパリわからない。もしかしたら、政権発足以来実績らしい実績もない与党が成立法案の数を水増ししたいと謂う動機でもあるのかと思わないでもないが、幾らなんでもそんなくだらない理由で自民党の法案を呑むと謂うのも考えにくい。

簡単におさらいすると、一応成立時点ではそれなりに当時の社会的な情勢の要求に基づいて施行された児童ポルノ法ではあるが、その後さらに規制を強化しようと目論む自公政権が提出した改正案は「改悪」としか表現しようのない暴論で、お上が黒だと謂えば何でも黒で通るような法案の名に値しない悪法であった。

その背後の複数の宗教団体が相乗りしている状況も囁かれているわけで、表立っては児童ポルノ撲滅運動の推進団体であるエクパットの背後にある日本キリスト教婦人矯風会が挙げられるが、政権サイドでは公明党がこの法案の推進に熱心であったと謂えば言わずもがなである。

それらの宗教団体に日本ユニセフ協会が相乗りしている理由については、公然情報としてはソースのない情報であるから敢えて明言しないが、「人」を介した繋がりであると謂う仄めかしで十分だろう。

それらの宗教的情熱が動機となって、それが政局上の都合に結び附き、様々な欺瞞や姑息なレトリックを駆使して押し通されたのが改正ポルノ法案であることは散々語ってきたが、自公政権最末期において民主党がこの危機を回避したと謂っても過言ではない。

当初の民主党案は現行法の問題点と社会的な要請を割合上手く摺り合わせていて、自公政権が拘った事実上の「法の遡及的適用」の問題を回避し「お上が黒と謂えば黒」と謂う恣意的基準の見直しによって現行法の問題点をも緩和するものであったこともまたこれまで論じてきた通りである。

であるから、自公政権下においては、与党案に対してこのような対案をぶつけ、それがそのまま通らないまでも、与党案の内包する問題点を骨抜きにする、と謂う到達点でも仕方がなかった、このような言い方が出来るだろう。あの時点の民主党は、参院で多くの議席を獲得していると謂うだけが強みの最大野党だったのだから、与党の愚行を阻止すると謂う到達点であっても仕方がない。

しかし、晴れて民主党が政権与党となった現状においては、その理屈は通らない。

自民党が再提出した改正案を呑むと謂うのであれば、もっと良い法案に出来るフリーハンドが国民から与えられているのに、それを怠ったと謂うことになる。誰も民主党の当初案に対して強制的な拒否権を持っていないのだから、当初案から妥協によって劣化した合意案をそのまま呑まねばならない理由は何もない。

現行法を改正するのであれば、旧政権時代の遺物である自民党の法案を蹴って、あらためて政権与党の側から改正法案を提出するのが筋である。たしかに、合意案の通りに成立しても、自公側の当初案に比べれば重大な事態は起こらないとは言えるが、最善を模索出来る状況において最初から次善を鵜呑みにすることが、果たして責任ある政治姿勢と言えるかどうかは論を俟たないだろう。

まして、ことは人権問題である。国民の下半身の領域に国家権力が泥足で踏み込むと謂う許し難い暴挙が、あわや成立寸前まで行っていたのである。政権与党がこの問題を採り上げるのであれば、そんな薄汚い過去を負った自公政権の影響は一切払拭して臨むのが筋である。

今後この法案が、保坂の言うように「長くても2〜3分で成立してしまう」ようなことになれば、沙汰の限りの怠慢である。自民党と民主党に質的な差違がないと謂うことは政権獲得以前から言われていたことであるし、民主党への期待よりも政権交代それ自体に対して期待があったからこの現状があるわけなので、今更おぼこ娘のように幻滅しただの失望しただのとは言わないが、「自民党よりマシ」と謂う評価が得られるかどうかと謂うのは、「自民党は最悪だが民主党はそこまで最悪ではない」と謂うような底辺のレベルで競っていてもダメだろう。

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コメント

事業仕分けに夢中でこっちはどうでもよくなったのでしょうか。

「警視庁、日本ユニセフ協会ほか3団体と初会議」と「鳩山幸、アグネス・チャンと友愛のケーキ入刀@日本ユニセフ協会」というニュースが関係あるのかも知れませんが……。特に後者、怪しいツーショットになっています。怖いです。

投稿: 604 | 2009年11月21日 (土曜日) 午後 11時49分

>604さん

>>「警視庁、日本ユニセフ協会ほか3団体と初会議」

これですな。

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20091120ddlk13040267000c.html

>>児童ポルノの取り締まりや被害者の精神的ケアについて情報交換するため、警視庁は19日、NGOと初めての会議を開いた。参加したのは警視庁や都青少年・治安対策本部と児童ポルノや児童買春問題に取り組む日本ユニセフ協会▽ECPAT(エクパット)/ストップ子ども買春の会▽インターネット協会の民間3団体。今後、定期的に児童ポルノ根絶に向けて議論を進める。

…またこいつらか(笑)。そもそも「今後、定期的に児童ポルノ根絶に向けて議論を進める」と言ったって、その「児童ポルノ」が何なのかがまったくコンクリートじゃないから問題なわけだし、「被害者の精神的ケア」って言ったところで、現在こいつらがゴリ押ししている運動ってのは、被害者の存在しない矯風の問題ですしねぇ。

>>「鳩山幸、アグネス・チャンと友愛のケーキ入刀@日本ユニセフ協会」

こっちはこれですな。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/11/21/12.html

気持ち悪いなぁ、アグネス・チャン。安倍夫妻に擦り寄った後は鳩山夫妻ですか。来月のクリスマスには、鳩山夫妻のパーティーに参加するんですかね。で、鳩山夫人がアブダクションの話なんかをすると熱心に相槌を打ったりするんですかね。ホントに気持ち悪いなぁ、アグネス・チャン。なんと言うか、国外で活動する中国人の醜悪な部分の寄せ集めのように感じます。

TVでは伸助に擦り寄ってヘキサゴンなんかに出て「人畜無害な愛すべきガイジンタレント」を演じてますしねぇ。ホント、いやらしくて反吐が出そうです。こう謂うふうに権力者に上手く擦り寄って要領よく世渡りしている人間を見ると、殺意に近い憎しみを感じます。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月22日 (日曜日) 午前 12時26分

深い記述は避けますが、このエントリの趣旨に賛同(?)致します。
美少女愛好家だからじゃないですよ。本当ですってば。

投稿: どらねこ | 2009年11月22日 (日曜日) 午前 12時38分

>どらねこさん

>>美少女愛好家だからじゃないですよ。本当ですってば。

いやもう、「美少女愛好家だから」でいいんじゃないですかね(笑)。

この問題の根底には「気持ち悪い奴の権利なんか踏みにじっても構わない」と謂う不寛容さがあるんだと思いますし、自分の性的嗜好から逸脱した他者性を気持ち悪く感じる心性なんて誰でも当たり前に持っていますが、問題は「気持ち悪いものは弾圧しても構わない」と謂う乱暴な感覚だと思います。

未成年者と謂うのは必ず成人の保護後見下にあるわけですから、成人とは違って保護者の立場からの肉親意識が強い。強い肉親意識を持って見ている対象が見ず知らずの異性から性的関心として欲望を抱かれていると識ったら、誰だって気持ち悪いです。自分の姉や妹や娘が見ず知らずの男性と性交渉を持つのだと想像したら、それは気持ち悪いのが当然でしょう。

しかしそれは「気持ち悪いから禁じてしまえ」で済む問題ではありません。誰だって誰かの肉親なんですから、そんなことを言い出したら性的欲望の存在自体が気持ち悪いもので、禁じても構わないものになってしまいます。

先般の審議では葉梨「元」議員が盛んに「ペドフィリアとの戦い」てな物騒な物謂いを連発していましたが、百歩譲ってペドフィリアが病者である…一万歩くらい譲って未成年者に対して性的欲望を抱く心性自体が病的であると謂う考え方自体は在り得ると思うんですね。それは疾病概念の問題ですから、社会的状況が変われば疾病概念も変わってくると謂うことは在り得るでしょう。

しかし、ペドフィリアは病者であると謂う出発点から「犯罪者予備軍である」と謂う極論に飛躍すること自体は到底容認し得る事柄ではありません。これはたとえば、精神病院の通院歴がある人間が犯罪を犯したら必ずその点を強調して報道され、「殺人狂が野放しにされている」と謂う不安を煽るようなもので、完全に差別です。

犯罪を犯す人間の中には精神病院の通院歴がある人間も当然いるだろう、それだけの話にすぎないことを、精神疾患と犯罪に密接な関連があるような印象を煽ることは悪質な差別でしょう。

何度も繰り返した喩え話ですが、世の中の大半の男性は女性に性的欲望を抱いているわけですが、性的欲望を抱くこととそれを実行することは、法治国家においては完全に別物として扱われなければなりません。動機があること自体を犯罪視し、動機の所在を表す行為自体を犯罪と規定することは、犯罪予防思想であり、明らかな人権蹂躙ですね。

そして、この問題にはさらに本文でも触れた宗教的倫理観の影響があります。たとえばキリスト教なり創価学会なりが宗教活動を通じて人々の倫理観や性道徳を啓発していくこと自体には何の問題もないわけですが、権力に働き掛けてトップダウンの法制度として強制力を持たせることには大きな問題があるでしょう。

特定宗教の倫理観から出発している規制が法制度化されると謂うことは、それらの宗教とは価値観を共有しない人々も遍くその法の強制に従わねばならないと謂うことですから、決して許されることではありません。この場合、法制度化を推進する動機が宗教的情熱であったとしてもそれ自体は問題ではありませんが、規制自体の根拠が宗教的倫理観でしかないことが重大な問題となるわけです。

ご存じの通り、超国家的なヒューマニズムと謂うのは、とくに欧米の場合宗教的情熱をその動機として持っていますが、推進している活動自体は特定宗教の価値観それ自体ではなく、特定宗教の信者以外の人々も幅広く共有している普遍的人道概念だったりするわけです。たとえば児童ポルノの問題なんかも、推進派の連中が好んで持ち出すグローバルスタンダードを子細に検討すると、たしかに被害者保護と謂う現実的な問題に特化していて、規制の内容にも一定の整合した理路があります。

しかし、今の日本で論じられている児童ポルノ規制は、欧米スタンダードから見れば明らかに常軌を逸した不条理な性道徳の圧し附けにすぎない。被害者保護なんてのは置き去りで、「割れ窓理論」なんぞと謂う「服装の乱れは心の乱れ」式の暴論を根拠に拡大適用に拡大適用を重ね、「小さい子にムラッときたらそれはもう犯罪」と謂う乱暴な法律を制度化しようとしています。

これには、「小さい子にムラッとくる」こと自体があんまり体裁の良い心性ではないので、表立って当事者的な問題として語りづらいと謂う部分があります。そこに附け込んで「こんな異常な人々は何をするかわからないから厳しく取り締まりましょう」と謂う暴論が大面で罷り通っているわけです。卑劣ですね。誰も文句を言ってこないから嵩に懸かって勢い附いているわけです。

そして、そんな暴論を押し通す為に推進派の連中は、嘘や胡麻化し、強弁、脅迫、その他何でもござれと謂う卑劣な方法で世論を誘導してきたわけで、その間の事情は過去のエントリで散々論じました。

まあ、この辺のことは以前の繰り返しにすぎませんが、今回このまま自民党が提出した改正案が通ってしまうようなら、この問題に果たした民主党の貢献も大分割り引いて考える必要が出てきますよね。

総選挙を間近に控えたタイミングで、参院を支配する最大野党としての影響力を見せ附けるスタンドプレイとして与党案に対抗しただけなら、早い話が選挙の為の点数稼ぎにすぎないわけで、真剣に人権問題を考えている政党ではないと謂う印象を強めることになるでしょう。

それはこの問題の本質を正しく認識している姿勢とは謂えないわけで、つまり児童ポルノ法の改正と謂うのは喫緊の課題ではないから急いで成立させる必要はない、しかし本質的に重大な人権侵害に関係している問題なのだから重要性は高い。経済政策や福祉政策を優先して成立させ、児童ポルノ改正案を後回しにすることは構わないけれど、その代わりに慎重な議論を重ねて最善を目指すべきだ、そう謂う性格の問題と謂うことになるでしょう。

何故今の時期に成立を急ぐのか、その理由としては「政局の都合」と謂う以外には考えられないわけですが、人権問題よりも一時の政局の都合を優先させると謂うのは、流石に発足間もない政権与党の政治姿勢としてダメダメではないかと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月22日 (日曜日) 午後 05時15分

えっ?たった2行のコメントにすごい返信が・・・
知らない事がいっぱいで参考になりました。
内容に言及するとボロが出ますので、少し別な角度から感想を述べてみたいと思います。
児童ポルノ等により、著しく人権を侵害される子供が存在する事は有ると思います。この児童ポルノのような子供の人権侵害は、今に始まったことなのでしょうか。

>これには、「小さい子にムラッとくる」こと自体があんまり体裁の良い心性ではないので、表立って当事者的な問題として語りづらいと謂う部分があります。そこに附け込んで「こんな異常な人々は何をするかわからないから厳しく取り締まりましょう」と謂う暴論が大面で罷り通っているわけです。

児童の権利を守り人権問題について取り組んでいる体裁をとりつつ、本当の人権侵害を放置したままにする愚行だと思います。
彼ら(?)の謂う、古き良き日本に於いては、貧困から来る人身売買や見せ物といった著しい子供の人権侵害が当たり前のように行われていたとの認識を持っております。
当時は子供は親の帰属物であると考えが一般的認識から大きく乖離していなかった事も影響しているとは思いますが、貧困が子供の人権侵害に大きく寄与していたものと私は考えます。
現代の規範は子供の人権侵害を許しませんが、貧困はその規範意識というハードルをなぎ倒してしまう暴力的威力を持っているものと考えております。貧困それ自体も子供が現代社会に於いて当たり前に享受できる権利さえ奪いかねない物です。
子供の権利、人権を尊重するという趣旨で法案成立を目指すのであれば、優先して実行すべきは子供の貧困解決策だと思います。
稚拙な意見かも知れませんが、現時点での私の見解です。
私は美少女・・・いや、美でなくても、屈託のない可愛らしい笑顔の少女が大好きです。彼女たちの笑顔を遠くから観察するのが大好きな変態ですが、彼女たちにはその事を知られないように、コソコソと楽しみたいと思っているだけなのです。
この機会に人権問題を真剣に論じて頂きたいと政権与党には望みます。

投稿: どらねこ | 2009年11月22日 (日曜日) 午後 08時39分

>どらねこさん

>>えっ?たった2行のコメントにすごい返信が・・・

いや、すいません、「『美少女愛好家だから』でいいんじゃないか」と謂う、たったそれだけのことが言いたかったんですが(笑)、今の日本でそれを言おうと思ったらいろんな説明が必要になってくるみたいです。

「好きだったら何をしても許されるのか」「被害児童の痛みはどうでもいいのか」みたいなワケのわからん強弁をする奴がいるんだろうな、と想像したら腹が立ってきたものですから(笑)、また長々と繰り返してしまいました。

>>児童ポルノ等により、著しく人権を侵害される子供が存在する事は有ると思います。この児童ポルノのような子供の人権侵害は、今に始まったことなのでしょうか。

どらねこさんが仰る貧困の問題と謂うのは、日本のいびつな児童ポルノ規制論の大きな問題点だと思います。そもそも推進団体のエクパットは、タイの少女売春の問題に取り組む活動が出発点で、本部もバンコックに在るんですね。ウィキによると、

>>ECPATの呼称は、「アジア観光における子ども買春根絶国際キャンペーン(The International Campaign to End Child Prostitution in Asian Tourism)」の頭文字に由来している。

…と謂うことで、出発点では売春撲滅運動から始まっているわけです。タイの少女売春と謂うのは文化的性風俗の紊乱の問題ではなく貧困由来の人権問題ですから、性道徳の問題と謂うより本質的には児童の強制労働の問題なんかに近いわけです。

それが売春と謂う形になるのは、「児童である」と謂うこと自体が性産業においては付加価値になって、児童の実質的な労働力以上の見返りが得られるからで、その大本には貧困の問題があるわけですね。これ自体は、超国家的な人権保護団体が正面から対処すべき問題ではあるでしょう。

ところが、この団体…と謂うか、日本支部のエクパット東京は、こうした問題に対して変な論理を展開するようになって、「少女売春が根絶出来ないのは、買う奴がいるからだ」と謂う部分に重点を置くようになります。日本からの買春ツアーみたいなものが槍玉に挙げられ、「買春を行う者がいる限り売春はなくならない」と謂うロジックから、「少女に対して性的欲望を抱くことが諸悪の根源である」と謂う極論に移行して、児童ポルノの問題を採り上げるようになるわけですね。

大本の貧困問題なんかそっちのけで、欲望があるからそれに供応する産業がなくならないのだ、それが児童の人権を著しく損なっているのだ、そう謂う主張にシフトしていくわけです。これはまあ普通に考えて上っ面だけの底抜け論理で、たしかに買春する奴がいるから売春が産業として成立するわけですが、そこに児童が参入させられる動機や理由に踏み込んで考えて対処していかない限り、タイで売春が果たしていた役割が犯罪にシフトするだけの話でしょう。

買わなければ売ることもない、これは事実ですが、では、何故児童が危険な性産業に従事させられるのかと謂えば、貧困がその直接的原因にあるわけです。買わなければそれで好いとか万事解決なんて単純な話ではない。勿論、この現代社会において少女売春なんてのは根絶されなければならないのは当然ですが、もしもタイの少女売春が撲滅されたとして、では、売春で収入を得ていた貧困家庭はそれに代わる収入源を何に求めれば好いのかと謂う大きな問題が残ります。

性産業と謂うのはマトモな社会活動と犯罪のボーダーラインですから、売春を許容するような社会認識が改められ排除されるとなると、後は犯罪くらいしか同程度の収入を確保する確実な手段が残されていません。タイの少女売春の問題と謂うのは、突き詰めて考えれば、性風俗や性文化の問題ではなく児童の強制労働の問題であり、貧困に対してどのように手当するかと謂うタイの社会問題に行き着くわけです。

売春に従事する児童のほうでも、農村における貧しい暮らしと過酷な労働から比べれば都市部で男性の欲望に応じるほうが「楽だ」と謂う魅力があるわけで、たとえば性感染症や妊娠や犯罪に巻き込まれる重大なリスクに対する認識も薄い、そう謂う性格の問題なのであって、たとえば日本で女子中高生が援交のようなライトな売春に手を染めて犯罪被害に巻き込まれるのとはまったく異質な問題です。

一方、この辺は少し自信のないところですが、タイで何故売春が猖獗を窮めているのかと考えると、国策で貧困を解決することが困難だから、と謂う事情もあるのかもしれません。農村部の貧困家庭の経済をその家庭の児童が都市部に出て売春によって支えると謂うような構図を、国家が緩く黙認しているとも考えられるわけです。

そこで落ちてくるカネと謂うのは海外からの買春客が落としていく外貨ですから、要するにカネを持っているところから入ってくるカネで、国内経済の成果ではなく海外から入ってくるカネで貧困家庭に対する手当が出来ることになります。だとすれば、国家が売春を黙認することで、貧困問題を直接解決することや国家の経済政策を抜本的に転換すると謂う困難な課題にモラトリアムが得られる、そんな事情があるのだとすれば、事態はもっとややこしくなります。

本来、人権保護団体が対峙すべき対象は国家そのものであると謂うことになって、これは非常に大きな問題になりますね。「もっと買春を取り締まれ」と謂う主張なら簡単ですが、国策の怠慢を批判し「貧困を解消せよ」と謂う主張を突き附けるとなると物凄く幅広い問題になってしまいます。しかし、抜本的な解決の途はそこにしかないですね。

エクパット東京の活動が「買いに行く奴が悪い」式の本質から外れた迂遠な論理に基づくものである限り、その活動を推進することで日本からタイに少女を買いに行く人間がいなくなる、最大限これだけの成果しか得られないわけで、そうなった後にタイの少女たちは売春から解放されるのか、そう謂う最も重要な視点がまったく欠けています。

ただ、それでもたとえば「海外に少女買春ツアーに行くこと」を法制度として厳しく規制しろとか厳罰化しろと謂う方向の活動ならまだ話はわかるんですね。ところが、何故かこの団体は「元から断たなきゃダメ」と謂う極論に走って、「少女に欲望を抱くことそれ自体を違法化して規制しろ」と謂う方向に行くわけです。

前述の通り、児童売春の問題と謂うのは本質的には貧困由来の児童の強制労働の問題ですから、児童と性の複合概念を問題視すること自体はかなり迂遠なこじつけの論理にすぎないわけで、これは成人の売春が根絶出来ないのは男性が女性に性的欲望を抱くからだ、であるから売春を根絶する為に男性の性的欲望を犯罪として取り締まれ、くらい乱暴な論理なわけです。

国際エクパットが現地で行っている主な活動は、被害児童のケアや保護者の啓発活動だそうですが、これ自体は別段無意味だとは言えないでしょう。本質的な貧困の問題を解決出来ないにせよ、現場で苦しんでいる児童に手当てし、保護者に必要な情報を与えることで幾許か児童の強制労働を減らす効果はあるかもしれません。それがたった数件の事例を救済するのみでも、或る程度の意味はあるでしょう。本来、人権保護団体の活動と謂うのは、そう謂う現場主義で地道なものだろうと思います。

ただ、現地の人々の反応としては「だったらおまえらは、俺達に貧乏で死ねと言いたいのか」と謂う反撥も強いでしょう。基本的には、この問題は貧困に対処するしか抜本的な解決はありません。女性や児童の性が事実として付加価値を持ち、マトモな労働よりも高い報酬をもたらすこと自体を糾弾してみても何の意味もありません。

一方、日本のエクパット東京なんかがやっている児童ポルノ撲滅運動なんてのは、本当にタイの子供たちの強制労働に対して何らかの影響があるのかどうかすら怪しい迂遠な活動で、こんなことをやっている暇があったら現地で働けよとしか思えません。明後日の方向を向いた頓珍漢で派手な運動を展開して自己満足を得ているとしか思えません。

>>彼ら(?)の謂う、古き良き日本に於いては、貧困から来る人身売買や見せ物といった著しい子供の人権侵害が当たり前のように行われていたとの認識を持っております。

この問題も語り始めると長いのですが、児童を性的対象として視ると謂う欲望の在り方は普遍的に大昔から存在したわけで、たとえば舞妓さんなんてのは、ほんの一〇〇年くらい前までは一〇歳前後の少女が務めていたわけです。

義務教育が小学校四年までで、それを過ぎたら何をしても好かったわけですから、昔の舞妓さんはホントの子供だったわけです…と、米朝が言ってました(笑)。勿論性的奉仕に従事するわけではありませんが、舞妓みたいなほんの子供の未熟な芸にわざわざカネを出してお座敷に呼んだのは、やっぱり少女が可愛いからですね。酒席に綺麗な少女を侍らせてあどけなさを愛でることが粋客に一定の満足を与えたわけです。まあ、それだけで済んだかどうかは保証の限りではありませんが。

またこれは体感治安悪化論みたいなものとも関係がありますが、未成年者への性的いたずらや強姦なんて事件も大昔からあったわけだし、昭和の時代でも物乞いの少女が路地裏で陰部を見せて施しをもらうなんて風景がざらにあったわけです。現代においては、寧ろそれらの不幸な事例は激減していると視るのが妥当でしょう。

以前YJS さんからご紹介戴いた松尾教授のコラムによると、貧困と売春や性犯罪の増加には密接な統計的関連があるそうで、今が如何に貧困社会だからと謂って前近代や終戦直後の状況よりはマシになっていますから、女性や児童が性的搾取や性的暴力によって人権を損なわれる機会は激減しているはずですね。

未成年者を性的対象として視る心性は、今この現代において突然現代的な病的心性として降って湧いたわけではありません。人間が他者を「可愛い」と感じる感覚は性的ニュアンスと別物ではないわけで、それ自体は異常なことでも何でもない。現代社会においては、性的同意年齢に満たない相手との性行為は社会的制度として禁じられていると謂うだけで、これは要するに「しなければ好い」んです。

人間なら誰でも法律で禁じられている行為に対して欲望が動くことがありますが、それが実行以外によっては充足されないほど強いものであれば社会的には病者として扱われると謂う、それだけの話だろうと思います。病者である以上、苦しいのはまず本人である、そう謂う認識で対処するのが筋であって、それは治療の対象となります。

これを前政権の与党は社会の敵と名指しして「ペドフィリアとの戦い」なんて大仰なお題目を掲げたわけで、沙汰の限りの大馬鹿者ですね。国内における未成年者に対する性犯罪においては、寧ろ本物のペドフィリアである事例よりも「女性なら誰でも好い」と謂う理由で抵抗力の弱い幼女を襲う例が多いと謂う見解もあります。実行為によってしか欲望が充足されない「病者」としてのペドフィリアは、寧ろ欲望と規範意識の狭間で悶々と苦しんでいることのほうが多いわけですね。

別段、実行に移さなくても社会生活に支障がないのであれば、それを誰に非難される謂われもありません。心の領域に踏み込んでそれを裁き得るのは宗教だけですし、宗教の倫理はその価値観を共有する共同体の埒内でしか意味を持たないものですから、そうでない人々にも遍く適用される法制度化することは厳に慎むべきでしょう。

他方では、人間はこの幼弱者に対する性的関心を、直接的な性行為で満たすのではなく芸能として性的ニュアンスと概念的に切り離すことで昇華すると謂う知恵を生み出したわけで、現代のアイドル歌手なんてのはその系譜に連なる存在でしょう。

ですから、アイドル歌手に入れ上げるなんてのは寧ろ健全なわけで、病者としてのペドフィリアではない大概の成人男性は、その程度の代償行為で潜在的な欲望が昇華可能なわけですし、社会的に問題のない行為に昇華可能な限り、動機にまで立ち入ってとやかくや言われなければならない理由もありません。

この辺のデリケートな理路を有耶無耶にして、乱暴に下半身の問題を論じられることほど不愉快な話はありません。

あちこちとっちらかった話になりましたが、貧困と社会的弱者と性的搾取の問題において最も重要な論点は、「身体一つしか資本がない」と謂うことであって、身体一つが資本となり得ることそれ自体ではありません。そこを乱暴に混同してワケのわからない屁理屈を言い立てるのは、児童の人権と謂うシリアスな問題を自己満足や自己都合の口実にすると謂う最も忌むべき行為でしょう。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月23日 (月曜日) 午前 07時10分

おはようございます。

小泉の時も思ったのですが「白紙委任」されたようなつもりになられるのは、甚だ迷惑です。大事なことをこそこそバタバタ決めて良いと誰が言ったというんでしょ?
わっかりやっすい正義があれば、人権問題は軽視できると考えるのは専横な独裁主義の萌芽だと思います。自分の理性や知性に自信があるんでしょうが、フランス革命はギロチンの嵐になったし、ポルポトは自国民を虐殺しましたよ。

アグネスは……見た目で得してますが、相当に強欲な人ですよねぇ。あれもこれも全部欲しいのが丸わかりです。政治”的”活動がしたいのなら、他人の国の火傷せずに済む問題に嘴突っ込んでないで、自分の国の人権問題に取り組めば良いんですよ。中国でだって、貧しい農村の子供は売り飛ばされてるでしょ?

投稿: うさぎ林檎 | 2009年11月23日 (月曜日) 午前 08時50分

>うさぎ林檎さん

>>小泉の時も思ったのですが「白紙委任」されたようなつもりになられるのは、甚だ迷惑です。大事なことをこそこそバタバタ決めて良いと誰が言ったというんでしょ?

まったく同感です。先般の総選挙が形の上で「民主圧勝」に見えるのは、その前の郵政改革選挙同様、小選挙区比例代表並立制度と謂う選挙制度の問題であって、その辺の問題はFSM さんのところの議論で語られている通りです。

この選挙制度では、大概勝った側が地滑り的圧勝をするように見えるだけで、その陰には膨大な死に票があるわけで、郵政改革選挙後の自公政権だって別段国民から白紙委任状を渡されていたわけではない。今の民主党政権だって未だ政権基盤は危ういもので、発足当初に慎重且つ着実な実績を積み重ねていかないと、四年後には別の政党が地滑り的圧勝で多くの議席を獲得することになるでしょう。

まあ、政権交代の意義と謂うのは、五五年体制以来「万年与党」を自認していた自民党にも「まさか」の坂があることを知らしめることにあったわけですから、国民視点ではどの政党が与党になろうが満足の行く政治さえしてくれれば好いわけです。そのような緊張感もなく、単に自民党が占めていた位置を民主党が襲っただけなら、次の選挙では日本共産党が大躍進するなんてことも在り得ますね(笑)。

>>アグネスは……見た目で得してますが、相当に強欲な人ですよねぇ。

そう謂うことをズバッと仰って戴けるのが同性の強みですね。どうしても同世代の男性だとアグネスに甘いところがあってしゃっきりしませんけど、オレは個人的にこの人の生き方が醜悪で大嫌いです。

この人は、自身の民族的アイデンティティについてはハッキリ「中国人である」と断言しているんですね。国籍を日本に移していないとかそんな手続上の問題ではなく、自身の意志で中国人としての民族的アイデンティティを選択しているんです。ですから、何の躊躇もなく言えるのは、「アグネス・チャンは外国人だ」と謂うことなんですね。

これがたとえば日本に国籍を持つ帰化した外国人であれば、それを遺伝的な肉体性を理由にして「外国人」扱いするのは差別ですが、本人が「中国人だ」と言い切っていて事実上中国の国籍である以上、日本人と結婚していようが何だろうが、疑問の余地なく外国人なんです。

>>政治”的”活動がしたいのなら、他人の国の火傷せずに済む問題に嘴突っ込んでないで、自分の国の人権問題に取り組めば良いんですよ。中国でだって、貧しい農村の子供は売り飛ばされてるでしょ?

うさぎ林檎さんが仰る通り、母国の非人道的な現状に対しては「私には歌うこと以外に何も出来ない」てなウツクシイ言葉で胡麻化して何もコメンタリーしていないにもかかわらず、事実上居住しているにすぎない「外国」である日本の現状については言いたい放題の無責任な放言をしている。このことはもっと批判されるべきだろうと思います。

日本人は「外国人から視た変な国ニッポン」と謂う批判に弱いですが、外国人が外国人としての立場や尺度で別の国家の社会状況を裁く権利なんかないですよ。はっきり申し上げて、アグネス個人やその母国である中国の現状のほうが、よっぽどグローバルスタンダードで言って「変」ですよ。

日本ユニセフ協会大使と謂う肩書きを利用して、外国人が国家元首に擦り寄って国策に対して影響力を揮うなんてのは、もっと批判されても好いくらいです。これは別段ウヨな思想に基づくものではなく、国家に対して責任を負っていない者が国家に対して影響力を行使するのはフェアではないだろうと謂うことです。

この国には、国家の責任で連れてこられて強制的に日本に居住することを余儀なくされた外国人がたくさんいるのだし、そのような人々は自身の民族的アイデンティティと自身が置かれた現状のギャップ、そして謂われなき差別に苦しんでいます。また、国籍を有していない外国人でも、長期間居住する地域に対して事実性の観点から一定の影響力が得られるべきだと主張する人々もたくさん存在します。

しかし、アグネス・チャンと謂う人は、別段強制的に連れてこられたわけでもない外国で母国にいるよりも成功を収め、日本人と結婚しても日本に国籍を移すわけでもなく無責任な外国人の立場に固執し、自身の居住する地域の行政サービスと謂う限度を超えて国政に対する影響力を行使しようとしているわけで、その一方では母国の非人道的な現状に対する政治的責任もとっていないわけで、これをやらずぶったくりと言わずして何と表現すべきでしょう。

そしてもっと不愉快なのは、たとえば彼女の日本ユニセフ協会大使としての活動や児童ポルノ問題に対するコメンタリーが、外国人が異邦で成功する為の身過ぎ世過ぎの方便や名声欲を満たす自己満足に過ぎないように見えるところです。

こんな生き方は非常に醜い。大嫌いですね。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月23日 (月曜日) 午前 09時50分

>そう謂うことをズバッと仰って戴けるのが同性の強みですね。

いいーえ、冷や冷やしてますよ?同性が「アグネス」を批判するのは地雷だらけなのは、過去を顧みれば明かですから……。

>こんな生き方は非常に醜い。大嫌いですね。

私の処世術としては、同性のこういうタイプが身近にいたら全速力で逃げますね。いつこっちが(理不尽にも)悪役にされるか判らないですから、触らぬ神に祟りなしデス。
男の人が騙されるのは自業自得ですけど、それに巻き込まれて損な役回りを押しつけられるのは真っ平ですもの。

投稿: うさぎ林檎 | 2009年11月23日 (月曜日) 午後 04時45分

>うさぎ林檎さん

>>いいーえ、冷や冷やしてますよ?同性が「アグネス」を批判するのは地雷だらけなのは、過去を顧みれば明かですから……。

いやあ、でもあの件は、女が女を批判してさらにそれを女が擁護すると謂う、身の毛もよだつような恐ろしい状況でしたから。あれってまだしも林真理子が女だったから喧嘩として成立したのであって、もしも最初にアグネスを批判したのが男だったら袋叩きにされて性差別主義者のレッテルを貼られてオシマイでしたよ。ああ怖い。

>>私の処世術としては、同性のこういうタイプが身近にいたら全速力で逃げますね。いつこっちが(理不尽にも)悪役にされるか判らないですから、触らぬ神に祟りなしデス。

なんと謂うか、強者に取り入って生きている女って傍迷惑で怖いですね。オレも実生活でこう謂うタイプの人に非道い目に遭わされたことがあります。他人に取り入ったり籠絡したりする才能だけで生きているような人間ってのは、本当に心映えが醜い。

力のある人間に寄生する、虎の威を借ると謂うのも処世の才覚ですけどね、そんな醜い生き方だけはしたくないです。でも、こう謂う人間とは戦ってもまず勝てないんですよねぇ、対面的な人間関係においては。結構ちゃんとした人でも、こう謂うタイプには手もなく鼻毛を読まれちゃう。なんでですかねぇ(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月23日 (月曜日) 午後 06時14分

一週間前の話で恐縮だが、実はオレがこの記事を書いている間に、すでに「どこどこ日記」に続報が出ていたようである。今月は忙しくてバタバタしていたとは言え、やはりネットニュースで紹介された記事だけを読んで意見を言うのは軽率且つ怠慢だったと反省した次第である。アップする前にちょっと目を通しておけば済む話だし。

http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/b7b6121972f5f24647c668805aa4752d

この記事によれば、前の記事の二日後には事態は急転して、本国会で成立する可能性はほぼゼロになったと謂うことだが、野に下ってまでこのような尾籠な小細工を弄するとは、自民党と謂う政党の体質もつくづく腐りきっていると思わざるを得ない。

政権交代から三カ月近く経過して、そろそろ民主党政権のボロも出て来た頃合いではあるのだが、こう謂う話を耳にすると、とにかく最悪の危機を脱する為には必要な政権交代だったと思うし、底辺のレベルの比較ではあっても、国民向けのポーズにもせよ公開性に拘るだけ民主党政権のほうが格段にマシだと思う。

前政権の提出した稚拙な児童ポルノ法改正案を一刻も早く是が非でも通すことに、国民視点でどのようなメリットがあると謂うのか。寧ろこんな杜撰な法律が議論抜きで通ってしまえば、甚大なデメリットが生じると謂うのは散々語ってきた通りである。

そんなことを、相も変わらず国民の目の届かない何処かの隅っこでコソコソと押し通そうとするとは、詐欺師の集団かと罵られても仕方がないだろう。改めてこの政党は一度徹底的に潰れてしまわないと再生の途はないと確信した。

投稿: 黒猫亭 | 2009年11月28日 (土曜日) 午後 02時54分

こんにちは。

ミステリー作家の藤岡真さんのBlogで知ったのですが(もしかして既にご存知かもしれませんが)
http://www.fujiokashin.com/criticism.html

>2月24日に、東京都青少年健全育成条例の改正案が出され、その中に、
>「非実在青少年」(つまり実写でなく、マンガ・アニメ・ゲームに出
>てくる青少年)への規制が盛り込まれています。
だそうで、そのうえ

>今のところ罰則はありませんが、「単純所持」も禁止されています。
だそうです。そして最も重要なのは

>今の状況だとほぼ間違いなく、この法律は通ってしまう!
なのです。

びっくりしました。都民としてお恥ずかしいのですが、こんな話は今日初めて知りました。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年3月 9日 (火曜日) 午後 03時07分

>うさぎ林檎さん

有益な情報を有り難うございます。実はここのところネットから遠ざかっていて、この問題についてもまったく識りませんでした。

児ポ法改正案のときもそうでしたが、なんだかいつもこの問題は水面下でひっそり動いていて、ギリギリのタイミングにならないと一般庶民のアンテナに触れないと謂うのが困りものです。つか、大多数の都民は未だに識らないわけですが。

>>びっくりしました。都民としてお恥ずかしいのですが、こんな話は今日初めて知りました。

ご同様です。オレはすでに都民じゃないんですが(笑)、もしかしたら近い将来都内に転居する可能性もないではないですし、現住地の埼玉県知事の上田清司もどうやら石原同様ゴリゴリの保守で統一教会と因縁があったり少年犯罪ゲーム脳原因論者だったりような筋金入りのろくでなしなので、いずれ飛び火してくることは明白です。

この問題については、表現の自由の侵犯と謂う大きな問題性があるにもかかわらず、どうしていつもマスメディアは大きく報じないのか疑問に感じます。最も大きな影響を蒙るのはマスメディアのはずなんですが、個人レベルの活動を興味本位で採り上げるだけで、表現の自由の問題について大きく採り上げて対抗キャンペーンを張ったなんて例は殆どありませんね。

ご紹介戴いたブログで日程を視ると、もう今週とか来週には決まってしまうようなスケジュールになっていますが、国法のステージで「人権侵害」が散々論じられた問題を、その議論についてはアッサリスルーして、注目度の低い自治体レベルのローカルルールでダメダメな形なままサクッと決めてしまおうと謂うのは、幾ら何でも政治姿勢としてダメダメです。

藤岡真さんも「気違い知事」なんて穏当でない表現を用いていますが、あらためて石原都知事の胸糞の悪い単純な思想性に対して嫌悪感を覚えました。まあ、オレも勢いで穏当でない表現を用いますが(笑)、「今すぐ直ちに死ね」と謂うのが本音です。

投稿: 黒猫亭 | 2010年3月11日 (木曜日) 午前 09時18分

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