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2010年1月11日 (月曜日)

妖精のかんしゃく玉

DVDが出るまで待とうかとも思ったのだが、折角の連休なので「ティンカー・ベルと月の石」を観に行った。なんでそんなものを観に行ったのかと謂うと…と謂う話はすでにしたので(笑)、今回は省略。とにかく「可愛い」は絶対正義である。

前作を何回も観ているものだから、この作品も気負って読み解くような映画ではないと思っていた…と謂うか、本国では劇場映画ではなく幼児向けのOVAなのだから、とにかく観て楽しめばそれで好い性格の作品である。しかし、更めて何を書こうかと考えて思い返してみると、前作よりも作りがしっかりしていて伏線の入れ方なども巧みだし、テーマ性の語り方も明晰になっていると感じた。

今回はその辺を中心に少し語ってみようかと思う。なお、例によってネタバレありありなので未見の方はご注意を…と注意喚起するのも、多分これを読んで観に行こうと思う人がいるとはちょっと思えないので馬鹿馬鹿しいのだが(笑)。

さて、前作ではティンカー・ベルが生まれたばかりだったと謂うことと、ヴィディアと謂うアカラサマなワルモノがいたからそう謂う印象でもなかったが、「月の石」のティンカー・ベルは「短気で癇癪持ち」と謂う性格設定がかなり強調されていて、メインプロットを構成する事件も彼女のこの好ましからざる性格が原因となっている。

事前の予告やキャッチコピーなどでは「ネバーランドを救えるのは、ティンカー・ベルただひとり。」「ネバーランドを救え!」みたいな大仰なアオリがあったが、ここだけの話、それはまったくの嘘である(笑)。前作ではティンカー・ベルが自分の不始末で出来したピンチを自身の成長でリカバリーしたわけであるが、実は今回も結局同じことなのである。

出発点において、ピクシー・ホロウは危機なんか迎えてなどいなかったのだが、ティンカー・ベルの才能を買っていたティンカー・フェアリーのリーダーのフェアリー・メアリーが、秋の祭典で最も重要なアイテムである月の石を納める「聖なる杖」を作る大役に彼女を推挙したことから騒動が起こるわけで、つまり危機を招いたのは今回もやっぱりティンカー・ベル自身である。

大方の予想通り、彼女は杖作りに失敗した挙げ句、大事な月の石まで粉々に砕いてしまい、それをみんなに内緒で直す為に、願い事を一つ叶えると謂う大昔の海賊の宝を探す旅に出るわけである。つまり、今回も自分の失敗のリカバリーと謂うのがメインプロットで、誰が悪いのかと謂うと結局今回もティンカー・ベルが悪いのである。

いいなぁ、このダメダメ感(笑)。「のび太かよ」とツッコミを入れたくなるような、痛快なまでのダメっぷりである。

この、月の石が毀れるまでの馬鹿馬鹿しいすったもんだのくだらなさはいっそ清々しいくらいで、なんで毀れたのかと謂うと、前作で失敗して落ち込んでいた彼女を励ましたテレンスとの痴話喧嘩が原因である。

前作では妖精の粉の番人はテレンス一人しか出て来なかったので、かなり特殊なタイプの妖精なのかと思ったのだが、今回はテレンス以外にも粉の番人の妖精が大勢出てくるので、やはり他の妖精同様、職能共同体が存在するようである。

物語は、粉の番人の妖精の作業風景から始まり、一段落附いた頃合いにテレンスが職場を抜けてティンクの手伝いに行こうとして、親方のフェアリー・ゲイリーや同僚たちから「ようよう熱いぜ」みたいな感じで冷やかされる。こう謂う描写を視ると、妖精たちにも男女の恋愛感情みたいなものがあると謂う設定なのかな、と思うのだが、劇中では二人は飽くまで「友だち」と謂うことになっていて、テーマ設定としても恋愛感情ではなく友情でないと整合しないストーリーになっている。

ティンカー・ベルの許を訪れたテレンスは、折しも開発中のゴム動力の高速艇の試運転に附き合うのだが、この高速艇の「夏休みの工作」感がたまらない(笑)。前回もそんな話をしたが、ティンカー・ベルはジャパニメーションのキャラ類型で謂えばメカマニアの発明狂少女と謂うところで、今回のファーストアピアランスは自動車修理工のように高速艇の下に潜り込んで作業をしている場面で、そこからにょっきり出ている下半身が最も最初に出てくるカットである。

この場面では、前作で動物の妖精の修行をしていたティンカー・ベルにびびりまくっていた貧相で臆病な小鳥が再登場していて、すっかり彼女に懐いて助手を務めていたりするのが楽しいが、結局この試運転は失敗に終わり、暴走した高速艇は木の上から落ちて毀れてしまう。ここで一回目の癇癪を起こすわけだが、テレンスの口ぶりでは毎度毎度発明に失敗しては癇癪を起こして大騒ぎをしているらしい。

この一連のシーンは発端部だけにちゃんとした人物紹介と伏線になっていて、前作ではそれほど突っ込んだ描写のなかったテレンスが、真面目で優しい人柄ではありながら何処かズレていて細かいくせに無神経で何となくイラッとさせる性格であること、ティンカー・ベルが短気で怒りっぽい性格であると謂うこと、発明が上手く行かないとすぐに周りに当たり散らすことなどが紹介されていて、実際、製作途中の聖なる杖と月の石を毀してしまうのも完全にこの通りの成り行きである。

ティンカー・ベルが散々かんしゃく玉を破裂させているところにクラリオン女王からの使者が訪れて呼び出しを掛け、もしかしたら以前の失敗で叱られるのではないかと狼狽えたティンカー・ベルが、女王の前に出るなり聴かれもしないのに言い訳を始めて逆にやぶ蛇になるくだりは、まるっきり「質屋蔵」と謂う落語の熊五郎そのまんまで笑ってしまうのだが、そこで聖なる杖と月の石の話を聞かされ、聖なる杖作りの大役に抜擢されたことを識らされる。

ピクシー・ホロウには八年に一度青い満月が昇り、その月の光を月の石が受けると特殊な青い妖精の粉が発生し、その青い粉が通常の妖精の粉の源である妖精の粉の木に新たな生命を与えると謂うもので、聖なる杖は月の石を然るべき位置に固定する重要なアイテムである。これまでは、植物の妖精や動物の妖精など他の妖精族がその杖を作ってきて、今回はものづくりの妖精の番だと謂うことで、ティンカー・ベルに白羽の矢が立てられたと謂う次第である。

実はこの設定はとてもおかしなもので、たとえば聖なる杖の製作が魔法的な手段によるものなら他の妖精たちが作ったとしても不思議ではないが、実際には普通に材料を加工して手工業的に作っているのであるから、ものづくりの妖精以外の妖精が立派な細工物の杖を作れると謂うのはとても変な話である。

まあ、この辺の設定の詰めが甘いのは前作からのお約束なので大した問題ではないと謂えるのだが、ちょっと面白いのは、ティンカー・ベルからこの報告を聴いたテレンスが協力を申し出て「僕たち粉の番人の妖精は『粉科学』を学んでいるから、いろいろ力になれる」と口にすることである。「粉科学」ですよ、皆さん(笑)。

公式サイトで大まかなストーリーラインを目にした際には、聖なる杖や月の石は魔法的な原理で成立しているアイテムなのだろうと想像していたのだが、本編中の扱いを視ると予想よりもかなり即物的な扱いを受けている。

聖なる杖は別段魔法的な原理で駆動するアイテムではなく、特定の場所において特定の角度で月光を受ける為に石を固定する為の道具に過ぎないわけで、月の石も「毀れた」と謂うのは文字通り単に一個の塊がバラバラに砕けただけのことで、「月の石と謂うマジックアイテム」としての機能が破壊されたわけではないのである。

普通、この種のファンタジーでこの種のアイテムが出てきたら魔法的な原理に基づくものだろうと考えるのが自然だし、一個の塊であったアイテムが粉々になったら魔法的機能そのものが破壊されたと考えるのが当然だが、それがそうではなくて…と謂うところがクライマックスのアイディアではあるのだが、これはちょっと反則なんではないかと謂う気がしないでもない(笑)。

ただ、以前にも何度か語ったことだが、アメリカのファンタジー作品における魔法の扱いは、オカルティックと謂うより変にロジカルなのが特徴で、日本のなんちゃってファンタジーと違って「何でもアリ」ではない。魔法は自然科学とは別種の約束事で駆動する一種の「科学」として扱われるが、この作品で謂えば、「八年に一度昇る青い満月の光が月の石を通過すると青い妖精の粉に変わる」と謂うことだけが魔法なのであって、杖も石もその魔法を駆動させる為の装置に過ぎない。

この杖と石とは別に「インカンタの魔法の鏡」と謂うアイテムが登場するのだが、これは「願い事を三つだけ叶える力がある」と謂う比較的高度な魔法で、三つの願い事のうち二つはすでに海賊が使ってしまっているので、後一つしか残っていないと謂うことになっている。そしてこの魔法には付帯条件が附いて、「心からの願い事でないと叶わない」と謂う条件と、「自分勝手な願い事には酬いがある」と謂う条件が付帯するのであるが、これが後半のクライマックスで効いてくる伏線である。

とまれ、テレンスの協力の下に杖作りを始めたティンカー・ベルであるが、下手に事情通であるだけにテレンスはティンカー・ベルの作業に煩瑣く口を出すようになり、加えて前述のようなズレた無神経さが次第に彼女を苛立たせる。このプロセスをしつこいくらいのルーティンの反復で描いていて、観ているほうも段々テレンスがウザくなってくる描き方になっている。

基本的に善意と好意から協力しているわけであるからテレンスのほうに悪気はまったくないのであるが、ここの呼吸は「結婚して一緒に生活してみたらどんどん相手の厭なところが鼻に附いてきた」と謂うようなアナロジーで描いていて、終いには口笛が煩瑣いとか箒で床を掃く音が耳障りだと謂うような末期的な状況になってくる(笑)。

またこれを、口笛を吹く口元のクローズアップとか、床を掃く箒のスローモーションとか、SEにエフェクトを入れて耳障りな音にしてみたり、これでもかと謂うくらい鬱陶しい描き方をしていて、度々彼女は危うくキレそうになる。

ここはなかなか面白い見せ方をしていて、普通ならテレンスが何かをしたとか何か相容れない発言をしたとか、具体的な言動に諍いの理由を設定するものだが、そうではなく段々相手の振る舞いが神経に障ってくると謂う妙にリアルな描き方をしている。

たしかに、人間と人間がぶつかるときと謂うのは、これぞと謂う言動レベルの端的な理由があると謂うより、細かい違和感の積み重ねが段々我慢出来なくなって爆発するものだったりするが、これってやっぱり夫婦関係みたいなアナロジーだよなぁ、と思うと変に生々しく感じるわけである。

ただ、繰り返すがテレンスのほうでは善意や好意で協力しているのだし、これぞと謂う具体的な理由が思い附かないのだから、ティンカー・ベルを苛立たせていると謂う自覚すらないわけで、そう謂う自覚がないことそれ自体が益々彼女を苛立たせると謂う悪循環になっている辺りがまた生々しい。

で、客観的に視ると「ウザい」と謂う以外に彼女の苛立ちには正当性がないわけであるから、これが一旦爆発して喧嘩になって相手を責めてみても相手には通じないわけで、どのように表現して好いかわからないけれど相手のせいで不快にさせられたこと自体は紛れもなく事実なのだから尚更腹が立つ。

であるから、辛くも怒りを呑み込んだティンカー・ベルが、テレンスを追っ払う目的で「何か尖ったものを探してきて」と頼むのだが、テレンスが持ち帰ったのが、何だかわからない銀色の円盤状の物体であったことで遂に彼女はキレる。つまり、探してきてくれと頼んだものとまったく違うものを持ってきて、これが目当てのものだと主張するのは明らかに間違いだから、怒って好い口実が出来たわけである。

この辺も変にリアルで、本当は頼んだものと違うものを持ってきたから怒っているのではなく、これまでも怒りたいのは山々だったんだけれど理由が見附からなかったから怒りを我慢出来ただけで、怒っても好い明白な理由が出来てしまうともう我慢が効かなくなったわけである。

つまり、これは単に今までの怒りを爆発させるきっかけとなる口実にすぎないのであるから、テレンスの言い訳なんか聴きたくないわけで、間違ったものを持ってきたと決め附けたほうが都合が好いから言い訳なんか聴かなかったわけである。

一方、テレンスの側では、それだけでなんでこんなに怒られなければならないのか納得が行かないからこちらのほうでも引き下がれないし、剰えその諍いで杖が毀れてしまった挙げ句に全部あんたのせいだと言われたら納得出来ないに決まっている。それはしかし、ティンカー・ベルの視点では上手く行かないのはテレンスがウザかったからだと謂うのは事実なんだから、こっちのほうでも引き下がらない。

客観的にはティンカー・ベルが理不尽にキレたと謂うふうに見えるわけだが、それまでに彼女の主観でテレンスのウザさをこれでもかと強調しているので、一方的に彼女が悪いと謂うふうにも観客は思えなくなっている。

杖が毀れたことによる諍いは、テレンスが追い出されることで幕になるが、その後の癇癪の爆発で、テレンスが持ってきた円盤の蓋がパックリとバネ仕掛けで開いて、運悪くその近くに置いておいた月の石が蓋の下敷きになってアッサリ砕けてしまう。これはもう、ティンカー・ベルの視点では、何から何までテレンスのせいで最悪の結果になったと謂うふうに思えても仕方がない。

冷静に考えれば、別段テレンスが何をしたわけでもないのだが、テレンスが持ち込んだガラクタのせいで大事な月の石が毀れたのだから、テレンスのせいだと思えても仕方がないだろう。

しかも、念の入ったことにそれはテレンスを追い出した後の出来事であるから、テレンスは杖が毀れたことは識っていても、月の石が毀れたと謂う最悪の事態については知り得る立場にない。そして、月の石の毀損をフェアリー・メアリーに報告しそびれたティンカー・ベルは、これをテレンスにも秘密にする。

考えて作っているなぁ、と思うのは、杖と月の石の二段構えの毀損と謂うプロセスを設けて、掛け替えのない月の石の毀損がそのまま友情の毀損に直結するような状況設定を工夫していることで、であれば、月の石の修復と謂うプロット上のミッションは毀損された友情の修復と謂うストーリー上のテーマ性と重なり合っていると謂う関係性になると謂うことである。

懸命に砕けた破片を寄せ集めて何とか直そうとしている最中にクランクとボブルに劇場に誘われたティンカー・ベルは、一旦はそれどころではないと断るものの、劇場にフェアリー・メアリーも来ると聞いて、何とか状況を報告して助けを請おう、と思い立って気を変える。しかし、結局劇場でフェアリー・メアリーに会っても、本当のことを言い出しそびれているうちに演し物が始まり、インカンタの魔法の鏡の伝説について識るわけである。

この辺の段取りは上手く組んであって、魔法の鏡には後一つ願いを叶える力が残っていると謂うことと、その宝の在処を示す順路を聴き取った段階で彼女はこっそり劇場を抜け出すのだが、彼女が劇場から出た後に「自分勝手な願い事には酬いがある」と謂う戒めの言葉が語られることで、これもまた一つの伏線になる。

つまり、みんなに内緒で自分が毀した月の石を直すと謂うのは、「月の石を直す」に重点が掛かるのではなく「みんなに内緒で」に重点が掛かるわけで、結局のところ自分が責められたくないと謂う自分勝手な動機に発した願い事に過ぎないわけであるから、最初の段階ですでにこの冒険行には何らかの酬いがあると謂う不吉な予言が為されたわけである。

魔法の鏡を使って事態を収拾しようと思い立ったティンカー・ベルは、遠い北の島まで飛ぶ為に余分な妖精の粉を入手しようと、粉の番人の親方であるフェアリー・ゲイリーに掛け合うが、当然規則だから規定以上の粉なんか渡せないと突っぱねられる。困り果てた彼女はテレンスの友情をアテにしてこっそり彼に会うが、妖精の粉を分けてくれと頼むと、「話ってそのこと?」とテレンスが落胆する。

テレンスはてっきりティンカー・ベルが仲直りしにきたのだと思ったのだが、「友だちなら頼みを聞いてくれ」と言われて順序が違うのではないかと怒るわけである。ここで二度目の衝突があって、月の石の毀損を言い出せないティンカー・ベルは「友だちなら何も聴かずに頼みを聞いてくれるはず」と主張するが、テレンスは「友だちなら規則を破らせるようなことはしないはずだ」と反論する。

これはたしかに、友だちなら何も聴かずに頼みを聞くものだし、友だちなら相手に規則を破らせるようなことはしないものである。ただし、それは相手から要求して好い事柄ではない。飽くまで相手を思うが故の自発的行為として理由も聞かずに頼みを聞いたり規則を破ったりするわけで、ティンカー・ベルにはテレンスにそれを要求する権利なんかないわけである。それを彼女は「じゃあ私たち友だちじゃないのね」と謂う形で締め括り、テレンスも「どうやらそうらしい」と受けることで、二度目の衝突もやっぱり決裂に終わる。

これは、言葉の上ではそう謂う結論になるんだから仕方のない成り行きである。しかもこの時点ではおそらくティンカー・ベルは、依然として月の石が毀れたのはテレンスのせいだと心の何処かで思っているのだからそのくらい聴いてくれても好いはずだと思っているのだし、テレンスは月の石の毀損を識らないから、自分がティンカー・ベルから責められなければならない理由なんかないのに彼女が怒っていたり一方的な要求をされるのは不当だと思っている。

月の石が毀れたままなのと同じくらい、二人の友情は毀れたままなのである。

妖精の粉が入手できないとなると、彼女は自力で綿の気球を考え出し、手早く旅支度を整えて宝探しの旅に出る。この飛行の最中に猛禽に追われたホタルの群に遭遇したことで、彼女はブレイズと謂う旅の仲間を得るわけだが、このちっぽけな昆虫が彼女の冒険行で大活躍を果たし、彼女に友情の大切さを知らしめるわけである。

その象徴となる描写が、気球の中で眠るブレイズがベッドとして使うのが彼女が月の石を置くのに使った花弁のクッションであることで、そこにブレイズが眠ることで月の石と仲間は等価の存在として扱われることになる。

さらに、気球の船首にはテレンスが持ってきた銀色の円盤、つまり「コンパス」が装着されていて、これが彼女の冒険行の道標として機能すると謂うご念の入った設定になっていて、このコンパスは彼女を北の島に導いたのみならず、毀れた後も方位針が一種の短剣として役に立つ。そして、コンパスが破壊され方位針が露出することで、彼女はテレンスが間違いなく「尖ったもの」を探し出したことを悟るのである。

北の島に到着してからの冒険については本編を観てもらうこととして(笑)、ここで到着早々気球を喪ったティンカー・ベルは妖精の粉をも喪って飛ぶ力を喪ってしまう。まあそうでないと、あっさり上空を飛び回って目指すお宝を発見出来たら面白くも何ともないわけだが(笑)、飛べない妖精など昆虫よりも役に立たない存在で、ここで空腹や渇きを満たし、目指す宝の在処を識るに当たってはブレイズの活躍が大きく、ブレイズの呼び掛けに応えた北の島の昆虫たちの協力で何とか最初の関門に辿り着くことが出来た。

毎日テレンスからカップ一杯の妖精の粉が貰えるからこそ、妖精は妖精としての能力を発揮して妖精としての仕事が出来るわけで、その妖精の粉がこの先も生み出される為には月の石から生まれる青い妖精の粉が必要で、ティンカー・ベルはその月の石を毀してしまったからそれを直す為にここにいて、そして妖精の粉の助けが得られない為に小さな身体で広い大地をトボトボと徒で歩いている。

この間の筋道は複雑に結び附いていて、その複雑な筋道が結び附いた先にテレンスがいると謂う割合面白い関係になっていて、メタ的なレベルでは月の石の修復とテレンスとの友情の修復は、テーマ的に等価のものとして扱われている。そして、旅の最中に識り合ったブレイズは、人は(妖精も(笑))一人では何も出来ないのだと謂うテーマ性を強調する為にそこにいるわけで、ティンカー・ベルはブレイズをはじめたくさんの仲間に助けられて割合アッサリと(笑)宝の眠る難破船に辿り着く。

しかし、魔法の鏡の発見が月の石の修復をもたらさないことは、劇場のくだりの伏線で予め予告されているわけで、本質的に身勝手な動機に基づく薄っぺらな願い事である月の石の修復は、結局魔法の力によっては成し遂げられない。

遂に発見した魔法の鏡にいざ願い事を告げようとしたときに、魔法の鏡に興味を示したブレイズがティンカー・ベルを押し退けて覗き込もうとしたのを「ウザい」と感じた彼女が「お願いだから少し静かにしていて」と口にしてしまった為に、貴重な残りの魔法はその「願い事」に消費されてしまう。

これに落胆した彼女は、一旦はブレイズを責めて「あんたのせいで」とブレイズを罵るのだが、そもそもここまで辿り着いて宝が発見出来たのはブレイズのお陰である。つまり「あんたのお陰」と「あんたのせい」は表裏一体のもので、事が拙く運んだときに後者だけを言い立てるのはやはり不当な行為なのである

ティンカー・ベルはこの瞬間に卒然とそれを悟り、ブレイズを抱きしめて詫びる。それはテレンスとの決裂を後悔する瞬間でもあって、テレンスに感じた不快の陰にテレンスのしてくれたことが重なって、魔法の鏡に向かって「あなたがいてくれたら」と涙を流す。その刹那、魔法の鏡にテレンスの姿が映り、優しく彼女に語り掛ける。

しかし、この瞬間に実はテレンスは実際にティンカー・ベルの背後にいて、単に鏡にその姿が映っていただけだと判明する。彼はティンカー・ベルが旅立った後、梟爺さんとの対話(?)を経て、仲直りをしたいならどちらが言い出すかに拘らず自分から謝るべきだと悟って彼女の家に赴き、そこで気球の図面やメモを読み、さらに月の石の破片を見附けてすべてを悟ったのである。

ここまでは客観的叙述として観客に語られているから、映画内では客観的現実として描かれているわけだが、そこからティンカー・ベルを追い掛けてここで出会うまでのプロセスは省略されてテレンス自身の説明だけに委ねられている。

これは普通に考えればテレンスの語った以上の経緯ではなく、事情を識ったテレンスがティンカー・ベルに合流しただけだと考えるのが妥当だが、別の階層で考えるならこれこそが鏡の魔法だと考えることが可能である。

何故なら、劇場の場面の伏線で「自分勝手な願い事には酬いがある」と予告されていながら、それが予想させるような不吉な出来事が何も起こらなかったからである。鑑賞直後の時点では、オレはこれは放置された不完全な伏線なのかとも思ったが、そうではない解釈が在り得ることに気が附いた。

つまり、自分勝手な願い事と謂うのが「みんなに内緒で月の石を修復すること」なのであれば、それは鏡に告げる以前にすでに所与の前提としてあると謂うことで、その願い事は「ブレイズをちょっとの間黙らせる」と謂うつまらない願い事によって排除されてしまったわけで、それこそが「自分勝手な願い事に対する酬い」だと謂うことである。

だとすれば、この鏡に二つの願い事をした海賊がその直後に難破して三つ目の願い事を告げることが出来なかったのは、その二つの願い事が自分勝手なものであったが故に酬いを受けたのだと謂うことで、この鏡の魔法は「願い事を叶える」と謂う高度な性格のものであるが故に、一種「自分勝手さ」を判断し妥当な酬いを与え得る人格的な性格のものだと謂うことである。

であれば、前述の付帯条件である「心からの願いしか叶えられない」と謂う条項はどうなるのかと謂えば、「ブレイズをちょっとの間黙らせる」と謂う願いが「心からの願い事」でなどあるはずがない。つまり、ガチガチに論法を検証するなら、「みんなに内緒で月の石を修復する」と謂う願い事は「自分勝手な願い事」としてつまらない願い事にすり替えられ、さらにその願い事は「心からの願い事」ではないから無効化された(つまりブレイズが黙ってしまったのはただの「偶然」である)と謂う解釈が可能であり、その時点でティンカー・ベルが願った「心からの願い事」が更めて成就されたと解釈することが可能である。

そして、その願い事とは「テレンスがいてくれたら」と謂うものである。

その心からの願いに応えて、テレンスが今ここにいてティンカー・ベルの傍らに立っている、これはこの物語中最大の魔法である。この辺の魔法のガチガチのロジックが窮めてアメリカ的ファンタジーだなぁと思ったりするんだが、表面的には実際にテレンスはティンカー・ベルの事情を識って自分の意志で北の島に来たわけだが、ティンカー・ベルが散々苦労して到着した北の島の、まさにティンカー・ベルが存在する今ここに、着の身着のままのテレンスが普通に立っていると謂う絵面は、窮めて不自然な違和感を醸し出す。

普通に考えると、テレンスがこんな都合の好い時ところでティンカー・ベルと出会うなんてご都合主義以外の何物でもない。しかし、それはメタレベルのご都合主義なのではなく、劇中で厳密にロジックが定義された「魔法」の発動なのである。

魔法の鏡を見出したティンカー・ベルが鏡に告げた「自分勝手」ではない「心からの願い事」とは、「テレンスがここにいてくれたら」と謂うものであり、鏡は条件に合致したその願い事だけを選択的に叶えた、そう謂うロジックである。

勿論、テレンスは魔法の力でピクシー・ホロウから非自発的に瞬時に連れてこられたのではなく、普通にティンカー・ベルの事情を識ったことで自発意志で彼女を助けようと思って駆け附けたのではあるが、「願い事を叶える」と謂うレベルの高度な魔法とはそう謂う黙示的な性格のものとして意味附けられているのだと謂うことである。

この映画の日本国内のイメージソングは浜崎あゆみの「You were... 」であるが、これはつまり完全な構文としては「I wish you were here」の謂いであるから、「あなたがここにいてくれたら」と謂う意味である。

つまり、この物語の劇中における最大のマジックワードと謂うのは、「あなたがここにいてくれたら」と謂う言葉であり、それが成就された以上、それは客観的現実において理由附けがあろうがなかろうが魔法の発動なのだと謂うことである。

そして、花弁のクッションのくだりで象徴されているように、毀損される前の月の石が仲間や友情と置き換えられている以上、プロット上のミッションの収拾は月の石の修復によるものではなく、友情の修復によるものでなくてはならない。

であるから、友情の毀損と意味的に直結された聖なる杖と月の石の毀損と謂う物語上の課題は、友情に基づいた杖と石の組み替えと謂う形でクリアされる必要があるわけで、これはつまり、テレンスの助言を容れて協力し合って杖を作る行為と等価であるから、危機的状況をもたらした最初の試みのやり直しと謂う性格をも併せ持つわけである。

そして、この解決に至る伏線として、最初の杖作りのくだりでテレンスが何気なく口にする「光が当たる面積が多いほど青い妖精の粉がたくさん出る」と謂う「粉科学」が機能しているわけで、それはまあ、一個の球体と謂うのは同容積で最も表面積が小さいわけであるから、粉々に割れたほうが表面積が多くなる理屈である(笑)。

これらの破片を適当な位置にセットして、光を規則的な角度で反射する多面カットの宝石で光を分散させれば、一個の球体だった時点よりも多くの粉を産生すると謂うのは、所与の架空の原理を無視すれば魔法でも何でもない自然科学の一般則が通用していると謂うことである。

そう謂うふうに考えると、何だかいろんな要素をちゃんと考えて整合させる知恵を工夫している凄くウェルメイドな作品のような気がしてくるんだが(笑)、前作のかなりちゃらんぽらんな性格を考えると、同じシリーズとは思えない性格の変化である。

まあ、当ブログの読者にとっては全然興味のない作品だとは思うが(笑)、劇場に行けとまでは言わないから、DVD化されたら暇なときに観ても損しない作品だと謂うくらいの保証はしたいと思う。何より、やっぱりヒロインがちゃんと可愛いから、少なくとも「可愛い」は絶対正義だと思っている人なら元がとれるだろう(笑)。

ティンカー・ベル役の声優の深町彩里も、どうやらこの一年の間声優学校で勉強していたようで、前作で気になったようなたどたどしさはなくなったが、それがちょっと惜しいような気がするのは贅沢と謂うものだろう(笑)。

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