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2010年4月25日 (日曜日)

最近聴いた怖い話

識り合いの某小説家の担当編集者が、二三歳の新人女性社員だそうな。ジャンルがラノベなので若い感性の人材を…と謂うことなのかもしれないが、無茶するよなぁ。誰でも識っている一流版元の話だと謂うからもっと驚く。

人にもよるだろうが、新卒ぺーぺーの女の子なんて、どんなに優秀な人材でも仕事はおろか世間の仕組みや常識もろくに識らない年頃だろうし、識らなくて当たり前なのだから失敗を重ねて学んでいくことが許される年齢である。

ただ、そう謂う人間に、いきなり大人の職業者に指示を出す仕事をさせてはいけないと思います。

いや、マジで。

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コメント

特に名を秘す某うさぎ林檎さんにまたお叱りを頂戴するのは厭なので(笑)一応言い訳しておくが、「女性社員」「女の子」と強調したのは別段性差別的な意識からではない。単に、話を聴く限りあまりにもその言動が「世間識らずのオンナノコ」そのままだったので「あいたたたた」と謂う感慨を覚えたと謂う意味である。

勿論、これが「世間識らずのオトコノコ」だった場合は別種の「あいたたたた」になると謂うジェンダーイメージの違いに過ぎませんよ、と謂う話である。

投稿: 黒猫亭 | 2010年4月25日 (日曜日) 午後 12時20分

これはセーフでしょ?と謂うか私は田嶋陽子じゃないんですが(笑)。
オンナノコと謂うのは別の括りの生きものだと思いますよ。一生、オンナノコのままと謂う女性(ひと)もたまに見かけますし。
そう謂えば会社員時代、私は事務職のオンナノコに優しくして貰いましたし懐かれもしましたねぇ。
多分私は彼女らにとって敵じゃなかったんでしょう(大笑)。

本人の判断で指示を出すと成れば、女性漫画家の担当編集者にはイケメンの若い男性社員が付く(都市伝説?)のと同じロジックじゃないってことですか?それは……ホラーですね、お気の毒。

投稿: 某うさぎ林檎 | 2010年4月25日 (日曜日) 午後 08時17分

そういえば、雑誌で連載とか常連執筆者とかになると、担当が新卒の新人に代わることがヤタラと多いです。理由はわかりたくないんですが、わかるような気もします。
黒猫亭さんのお友達も、ぼくと同じような星の下に生まれたのかもしれませんね。

あ、そうだ、思い出しました。
児童文芸家協会のみなさんと偉人伝シリーズみたいな本を作ったときに、会長さんの担当編集を若い女性にしました。玉稿に対して「スズメの鳴き声はチュンチュンですよ」とかなんとか凡庸な類型に基づいた“指導”をしようとしやがって、ホンットに肝を冷やしました。

というわけでその二十三歳の本人も上司も、人手不足だから仕方がないとか内心で言い訳をしたり、「温厚な先生だからご指導いただけるであろう」とかなんとか無礼きわまりない皮算用でもしたりして、蓋を開けたら怒りを買って泣いたりすればいいんだと思います。よくないか。よくないですね。

投稿: 亀@渋研X | 2010年4月26日 (月曜日) 午前 12時50分

>某うさぎ林檎さん

お手数をお掛けします、黒猫亭某です(笑)。日本語って微妙ですね、「某」の字が頭に附くとネタになるのに、ケツに附くと侮蔑表現になってしまうと謂う(笑)。ただ、そのルールで考えても「宮中某重大事件」は「宮中重大事件某」にはならないと謂う辺りが尚更奥深いものがあります。

>>これはセーフでしょ?と謂うか私は田嶋陽子じゃないんですが(笑)。

すいません、以前「女の腐ったような猫」の件でやんわりお叱りを頂戴したものですから、ついつい引き合いに出してしまいました(笑)。勿論、田嶋陽子だと思っていたら言い訳すらしませんが。

田嶋陽子式の雑駁な史観も、アグレッシブに女権を戦い取らねばならない時代にはそれなりに許容範囲だったのかもしれませんが、今はそう謂う時代じゃないですよね。従来の歴史が女性に対して過酷だったことは事実ですが、それは男性が自分の都合の好いように女性を搾取していた、と単純化出来るような話ではない。

現に在る性差を前提にして社会が安定的に機能する場合、その性差に起因する不平等を解消するには高度な社会システムの発達と社会的リソースやアイディアが必要だと謂うだけの話だろうと思います。

相対的に未成熟な社会システムでは、肉体性や社会的身分などのさまざまな「違い」がそのまま不平等や不公平、差別に直結して、少数者が割を喰うことで何とか全体的な安定を得ることしか出来なかったわけで、不公平や差別の解消と謂うのは窮めて創造的な試みにならざるを得ない部分があります。

>>オンナノコと謂うのは別の括りの生きものだと思いますよ。一生、オンナノコのままと謂う女性(ひと)もたまに見かけますし。

多分、今ほど「オンナノコ」であり続けることが楽な時代はないんですよ(笑)。一昔前だと、女性のジェンダーイメージに甘んじることにはさまざまな実質的トレードオフが強いられましたが、今は建前として「女性であることで明白な権利侵害や差別があってはならない」と謂うことになっています(勿論十全に実現されているわけではないとしても、建前的には)から、女性のジェンダーイメージを圧し附けられることそれ自体が苦痛でなければ、所謂「オンナノコ」であり続けることは、楽だったり気持ち良いことでもあるのではないかと思います。

デメリットが徐々に改善される一方、メリットのほうは温存されたままと謂う過渡的状況ですから、現状ではジェンダーステレオタイプを「上手く演じる」ほうが女性視点で「お得」だと謂う社会状況なのかな、と思います。

ただ、社会活動の場面で徐々に性差別や不公平が撤廃され状況が漸進的に整備されつつある以上、そう謂う動きが今以上に進めば、公の場で「オンナノコ」として振る舞うことへの風当たりは相当強くなってくるんだろうとも思います。差別や不公平が撤廃されると謂うことはそう謂うことでもあるわけで、それは別段「男性に比べて女性が優遇される社会」を目指した動きであるわけではなく、男女が性差を超えて公平性を獲得するには、どのくらいのコストを誰が支払うのが妥当なのかを模索している段階なのだろうと思います。

>>本人の判断で指示を出すと成れば、女性漫画家の担当編集者にはイケメンの若い男性社員が付く(都市伝説?)のと同じロジックじゃないってことですか?

どう謂うわけか、年上の女性作家に若い男性編集者が附くと、泣かされた話ばっかりになると謂う印象ですねぇ(笑)。

まあ、作家と謂っても「先生」扱いされる雲上人は極一握りの売れっ子で、それ以外は外注の業者扱いと謂うのが相場みたいですから、そこは男女関係ないのではないかとも思います。美形だろうがブサイクだろうが、現場レベルの最終決定権を世間を識らない若造が握っていて、そんな半人前に頓珍漢な指図をされると大変混乱すると謂うのは、真面目に仕事をしていれば男女を問わず共通する事情だと思いますよ。

投稿: 黒猫亭 | 2010年4月26日 (月曜日) 午前 07時40分

>亀さん

>>理由はわかりたくないんですが、わかるような気もします。

要するにアレですね、仕事をわかっている人間はその現場に一人いれば十分だと謂う理屈だと謂うことですね(笑)。有能な編集者は、編集の側でも作家の側でも企画が具体化していない段階では必須ですが、一旦軌道に乗っちゃえば書き手の側が編集の面倒見てよと謂う話になるわけで、それなんてOJT?って話なんですが(笑)。

>>児童文芸家協会のみなさんと偉人伝シリーズみたいな本を作ったときに、会長さんの担当編集を若い女性にしました。玉稿に対して「スズメの鳴き声はチュンチュンですよ」とかなんとか凡庸な類型に基づいた“指導”をしようとしやがって、ホンットに肝を冷やしました。

具体的なことを書くとバレちゃうかもしれないので書きませんが(笑)、知人の話も要するに亀さんが仰るような類ですよ。相手は「指導」しようとか頑張っちゃうんですが、世間を識らない奴に上から目線でされても、共通言語が成立しないから振り回されるだけ、と謂う。

そちらの例でも同様ですが、若い人は自分が識っているようなことは当然相手も識っているだろうと謂う程度の常識もないので、そう謂う若さの無知故の傲慢さがそのまま見え見えの侮りとなって相手に伝わっちゃうんですなぁ。

だから、そう謂う人間はまだ外に出してはいけないんですな(笑)。

>>蓋を開けたら怒りを買って泣いたりすればいいんだと思います。

知人は相当小心者なので、夜毎悔し涙で枕を濡らすのは多分作家のほうです(笑)…と謂うか、すでに泣きが入ってます。相手のほうは、知人以外にも売れっ子を抱えていますから、このままそんな感じで順調に出世していくんじゃないですかねぇ。そっちのほうがよっぽど怖い話なのかもしれませんが(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年4月26日 (月曜日) 午前 07時41分

こんにちは。
なんとなくですが、楳図某の話を思い出しました。
なんとなくですが・・・

投稿: どらねこ | 2010年4月26日 (月曜日) 午前 11時26分

こんばんは。

>多分、今ほど「オンナノコ」であり続けることが楽な時代はないんですよ(笑)。

それって男女雇用機会均等法の揺り返しじゃないかなと思ってます。
私は均等法世代ですが、同期入社の専門職女子社員はほとんど3年以内に定番の寿退社をしました。IT業界というのも蓋を開ければブルーカラーですから、普通に働けば拘束時間も長いし体力的にキツイ職場です。結婚したぐらいならまだしも、子供でも出来れば相当なサポートがないと働き続ける事は現実的には無理です。当時はその辺の法整備はまだでしたしね。
勿論もう一世代上の先輩達には両立している方もおられますが、それは生半可な事ではない努力を必要としていました。この努力が犠牲に思え、労働で得られる喜びと苦労を天秤にかけると「オンナノコ」である事の方が”楽じゃん”と思う人が増えるのは仕方がない気もします。
私から見れば、どちらを選んでも楽なわけはないと思いますケドね。
最低限2,3割増しは相手よりも優秀でないと既婚男性との出世争いで割を食うケースがあるのは本当で、ソコだけ見れば性差別なんですが……。
何て謂うか黒猫亭さんが仰有るように「不平等や不公平、差別」は様々な形で世の中には転がっているわけで、男と女の関係限定で社会を考えるのは余りにも不毛な気がします。

>そんな半人前に頓珍漢な指図をされると大変混乱する

自分はコンピュータに詳しいと思っているお客さんに苦労する事があります(笑)。納めたシステムがネットに繋がらないとクレームが付いて駆けつけたら、OSを再インストールしてたなんて笑い話がありました(当然設定が全部パー)。やたら会議の時に口を挟んでいた半可通社員の蛮行でした。その時は次に顔を合わせたら口の中に石けんを突っ込んでやろうかと思いました(やってませんよ)。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年4月26日 (月曜日) 午後 10時01分

>どらねこさん

>>なんとなくですが、楳図某の話を思い出しました。

楳図センセイは赤と白のボーダー柄が異常に好きだと謂うこと以外に他人から蔑まれるようなことはしていないんですから、「某」は頭に附けてあげましょうよ(笑)。それ以前に、「楳図某木」と書くと中途半端な鏡文字みたいですね(笑)。

ネタはさておき、この件についてはまったく心当たりがなかったので、今回調べて初めて識りましたが、いやはやどうにも困ったもので。

たしかに、最近はどうも一流と謂われる版元でも編集者の質が落ちてきていると謂う話は屡々聴きますね。文芸の素養のない人や、それどころか日頃小説を全然読まない人が小説の編集担当になったりするらしく、話が通じなくて困るそうです。某楳図センセイの担当編集の場合は、素養以前の社会常識の問題だと思いますが。

まあ、文芸の素養がなくて話が通じない輩と謂えば、トクサツ好きにはピンと来る名前があるんですが(笑)、最近彼について語りたいと思うだけの関心が薄れてきているのが何とも。

投稿: 黒猫亭 | 2010年4月29日 (木曜日) 午後 11時09分

>うさぎ林檎さん

>>それって男女雇用機会均等法の揺り返しじゃないかなと思ってます。

>>何て謂うか黒猫亭さんが仰有るように「不平等や不公平、差別」は様々な形で世の中には転がっているわけで、男と女の関係限定で社会を考えるのは余りにも不毛な気がします。

ちょっと直接的なお答えにはなりませんが、性差別の問題について日頃思っていることをとりとめなく書かせて戴きますね。

性差や性差別の問題については、物心附いてから(つか、色気附いてから(笑))ずっと考え続けているんですが、考えれば考えるほど難しい問題だと謂う感想しか出ないのが情けないところです。

大本にあるのは、やっぱり「子供を産み哺育することは女性にしか出来ず、その役割を男性に代替させることは出来ない」と謂う事実で、すべての性差や性差別は概ねそこから発しているのではないか、と謂うのが現時点におけるオレの考えです。

人間以外の動物を視ると、別段雌のほうが雄より肉体的に弱いことは必然じゃないですよね。雄が何故肉体的に雌よりも強い場合が多いのかと謂うと、その肉体的優越性を活かして労働する為ではなく、雄間闘争に勝ち抜いて生殖を成功させる目的である場合が多いわけで、要するに他の雄を打ち負かして雌を独占乃至寡占すると謂う、直接的には非生産的窮まりない目的で雄のほうが肉体的に強い方向に進化しているわけですね。

これはつまり、個体の生存の観点では負担が大きい形態でも生き抜くことが出来るとか闘争に勝ち抜くことが可能なくらい強いとか、要するに繁殖戦略上の優越性を結果論で確保する為に雄間闘争とかプレゼンテーションがあるわけで、雄が肉体的に強いことには遺伝上とか繁殖戦略上の意味しかないわけですね。

人間の場合は、高等な哺乳類では割合一般的なそう謂う傾向が社会の高度化に伴って窮めて異質な方向に発達していったわけで、結局男が政治をやったり戦争をやったり金儲けをやったりするのは、謂ってみれば物凄く異常な方向に発達した雄間闘争だったりプレゼンテーションの変質した姿だったりするのではないか、と謂うふうにオレは考えています。

そう謂う意味では、男が社会的な活動に励む動機として「女にモテたいから」と謂う動機を挙げるのは正しいのではないかと思ったりしますが(笑)、これは別段「すべての社会的な活動は男性が生殖相手を確保するのが目的だ」と謂う意味ではなく、勿論変質した雄間闘争やプレゼンテーションがそれ自体目的化したり異質な意味性や目的性を獲得することは当然だろうと思います。

女性側の観点で考えると、人間は人間以外の動物に比べて妊娠期間も長ければ子供が成熟するまでの時間も長いですよね。そうすると、普通に考えた場合、子供を産み授乳する性の個体が専ら子育てを受け持つほうが自然状態では効率的だろうと考えられるわけで、じゃあ男性は生殖以外はまったく用なしと謂うのも非効率的だから、生産活動に従事して生活の安定を図るほうが効率的だと謂うことになります。

つまり、従来の社会が男性中心型であったのは、「子供を産まないほうの性(つまり生殖以外には用のないほうの性)が社会的な活動に従事する」と謂う「大前提」で発展してきたのが人間の社会だからで、これを「男性による女性搾取の歴史」と捉えるのは少なくとも科学的な物の見方ではないですよね。

たとえばジェンダーステレオタイプとして圧し附けられる女性に対する抑圧とは、そのような社会の在り様において、男性が養育のコストを掛ける保証として女性の生殖活動をコントロールする、つまり遺伝的な正統性を確保する為の仕組みなわけで、自分と遺伝的に無関係な子供の成育にコストを掛けるのは厭だから、女性の行動全体を厳しく管理すると謂う発想になるわけですね。

そうすると、女性の性行動に貞淑を求めると謂うだけでは安心出来ず、物理的に異性から隔離して徹底管理しようと謂う話にもなるわけで、中国の纏足とか十字軍遠征時の貞操帯がどうのとか、甚だしきに至っては女子割礼みたいな残虐な話にもなるわけです。

また、性暴力と謂うものを考える場合、男性の側にも生殖対象の肉体的条件に対する欲があり、女性の側にも同様に欲があるのが当たり前で、それが自然に合致することなんてそんなにないのが当たり前ですから、互いが自分の欲を張り合っていたら生殖機会の減少に繋がります。

種としての繁殖戦略の効率性から考えれば、互いに欲を張り合って膠着状態で生殖サイクルが鈍化するより、或る程度手っ取り早く片が附いたほうが大局的な見地では繁殖戦略上有利ですから、肉体的に強いほうの性が弱いほうの性を或る程度暴力で屈服させて生殖を成功させたほうが話が早くて効率的だと謂うことになるわけで、暴力に訴えてでも生殖を成功させると謂うのは、個体レベルでは一種の繁殖戦略ではあるわけです。従来の社会において男性の女性に対する性暴力が大目に視られてきたのは、こう謂う動物としての根っこを踏まえているのだろうと思います。

性差別やジェンダーステロタイプ、性暴力の問題を考える場合、こう謂う「大前提」で発展してきた社会の一般的な在り様と謂うものを直視しないと意味がないわけで、その大前提を新たなアイディアや社会的コストで突き崩さない限り、何処まで行っても「やはり子供を産むほうの性が社会活動に参加するのは非効率的で不便だ」「女は男の都合の好いように生きていれば好いんだ」と謂う話にしかならないわけです。

そして、勿論人間の社会がここまで発達してきて、社会的な公平性と謂うものが如何にあるべきかと謂う理念が成立している以上、女性もまた公平に社会活動に参加出来るように社会全体が努めていくべきなのだし、一方の性が他方の性にとって都合の好いように抑圧されることなどあってはならないわけで、その公平性を獲得する為に一定の社会的コストが支払われるべきであると謂うことになります。

これは、従来の男性中心型の社会においても、何を基準にして社会活動の妥当性を判断するのかと考えた場合、公平性以外に準拠すべき規範がないわけですから、その理念的正当性を敷衍していけば、何も社会的公平性は男性にだけ適用されるべきものではないと謂う話になります。「公平性」と謂うのはそう謂うことなのですから。

こう謂う局面で社会的な問題を考える場合、「動物一般はこうなのだから」なんて話をしても意味がないわけで、人間は「動物一般」と同じ条件附けで生きているわけではありません。われわれが社会的な活動一般において「これは公平ではない」「これは正しくない」と不満を感じることがあって、その「公平さ」や「正しさ」が重要な規範なのだと考えるのであれば、人類の約半数が被差別対象と謂う最大の差別について無関心でいることは、決して正しいことだとは謂えないでしょう。

人間以外の「動物一般」は「公平さ」や「正しさ」なんて概念で生きているわけではありませんから、自分の遺伝子を残そうと思ったら、他の雄を暴力闘争で打ち負かしたり雌の気を惹く為に個体の生存上不利なプレゼンテーションに励むわけで、正しいも公平もありません。

>>最低限2,3割増しは相手よりも優秀でないと既婚男性との出世争いで割を食うケースがあるのは本当で、ソコだけ見れば性差別なんですが……。

これも頭の痛い問題で、日本のような「温情」が重視される社会形態なんかでは特にそうですが、女性と違って既婚男性は「仕事に見切りを附けて家庭に入ると謂う形では経済的安定を得られない」と謂う事情がありますから、企業の側でも既婚男性を優先すると謂う形になりがちです。

逆に言えば、それが「女は社会に進出するよりも家庭に入ったほうが幸福だ」と謂う価値観の圧し附けに繋がるわけですが、これも結局考え方によっては、企業における主要ポストと謂う限定された原資は、同条件であればより必要とする人間が獲得するほうが好ましいとか、より必要性の薄い人間が必要とする人間を排除して獲得することは好ましくないと謂う価値観でもあるわけで、開拓すべき「外部」に乏しい島国のような限定された原資をシェアする社会ではありがちな価値観ではあります。

また、女性の場合、不時の結婚や出産で現場から遠ざかるリスクがあるわけで、人権問題上、結婚するなとか子供を産むなとかそんなことで会社を辞めるなと謂えない以上、じゃあ女性従業員はよっぽどでない限り重要な仕事はさせないようにしよう、と謂うのが一番安直で低コストな結論なんですね。

欧米なんかでは能力があれば男女問わず重職に就けますし、既婚男性であろうが無能力者は容赦なく切られますが、その代わり結婚や出産のような私的都合に伴うリスクは被雇用者が自己責任でマネジメントする必要があります。企業や社会の側でも一定のコストは払いますが、結局は自分自身でマネジメントしていかなければならない。

これが前述のような「大前提」に基づく社会の在り様と謂うものです。

じゃあ、女性には結婚や出産と謂うリスクがあって、それは誰にも予想出来ないし約束も出来ないのだから女性従業員はリスキーで重用出来ない、それで好いのかと謂えば好くないわけです。そのリスクに対処出来なかったのが従来の社会の限界だったわけですが、将来的には社会全体がコストを掛けてそれに対処していこう、限界を超克して解決していこう、こう謂うことでなければならないわけです。

ですから、たしかに性差別は良くないことではあるんですが、それは単に人類社会の発達の歴史性が具える貧弱な限界とか動物性の根っこみたいなもので、そう謂う公平性を徹底出来ないような問題性を抱えた社会システムで安定性を得るのがやっとのことだったと謂うだけの話ではあるんですね。

何度も強調しますが、その「大前提」を覆して抜本的に性差別を撤廃すると謂うことは社会の一般的な在り様を変革すると謂うことで、選れて創造的な営みなのだから、性差別論者を槍玉に挙げ悪者を糾弾して足れりとするような「悪しきを懲らす」的な安直な問題ではない。

もうすでに、男性と女性が人権を賭けて闘争しているような時代性ではないんだと思います。それを、一方の性が他方の性を搾取する為の圧制の歴史なんだと解するようなアホみたいな歴史観の持ち主は、学者たるに値しないとオレは思うんですね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年4月29日 (木曜日) 午後 11時09分

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