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2010年5月29日 (土曜日)

黒猫亭とむざうの帰還

そう謂う次第で、ライヘンバッハの滝から舞い戻ってきたじぇ。オレのバリツの腕前もまだまだ棄てたもんじゃないだろう、うえっへっへっへ。

…と謂うミーハーな割にはわかりにくいネタはさて措いて、不時の緊急入院で大分お騒がせしてしまったが、どうやら常態に復したところである。目下の課題は三〇年来の悪習であるヘビースモーキングを何とかすることだが、こちらのほうは即時達成は絶望的なので(笑)、詳細なアジェンダを策定して半年後までの段階的達成を画策中である。

倒れた際の事情や入院中のあれこれはすでに前回のエントリのコメントで書き尽くしてしまったが、嘗て九二・九三年と連続して交通事故で入院して以来一七年振りの入院生活と謂うことで、一週間弱のショートステイながら久々に大嫌いな病院に籠もりきりで大分気が滅入った(笑)。

常日頃オレは殆ど病院に行かない生活をしているので、少々調子が悪いくらいなら病院に行くと謂う選択肢はないのだが、流石に骨折だの半身麻痺だのと謂うことになると、抛っておいても骨が正常にくっついたり麻痺がとれるわけではないので、病院のお世話にならないわけにはいかなかった(笑)。

病院が嫌いなのは、別段通常医療に不信感があるとか医者が嫌いだとか謂う理由があるわけではなく、単に強いストレスを感じるからである。とにかく、何を宣告されるかわからないし何をされるのかもわからないし何をしろと言われるかもわからないのに、すべて相手の言うがまま為すがままに委ねなければならないと謂う状況は、オレのような猜疑心が強くて常に最悪を想定して行動するような人間には物凄いストレスである。

まあ、そう謂う性格だからこそ、医者から宣告や治療を受けても最悪の想定よりは常にマシなのだが(笑)、自身の肉体に関する事柄だけに「最悪の想定」と謂うのは常に強烈に「最悪」なわけで、そのストレスは尋常ではない。だから、ちょっとした風邪とかインフルエンザのように自然治癒する確率が高い不調を感じたくらいなら、絶対に病院には行かない。

それよりは本質的な理由ではないが、オレは窮めて気が短い質なので病院で待たされるのが凄く嫌いである。床屋にも予約制なら予約をとって行くし、飛び込みオンリーなら電話して混み具合を聞いてから行ったり早起きして朝一で行くくらいで、ましてや美味い喰い物を喰う為に行列に並ぶなど沙汰の限りである。

並ばずとも喰えるもので幾らでも美味いものはあるのだから、行列に並ぶのが面白いとか好きとか謂う人にまでとやかくやは言わないが、わざわざ嫌いな行列を我慢してまで美味いものを喰おうとするのは心の贅沢と謂うものだろう(笑)。

それやこれやで、歯医者や目医者を除けば一七年前の入院以来マトモに医者に掛かったことがない。ただ、「病院が嫌いだから命に関わるような病気でも行かない」と謂うほどに徹底して頑迷な「信条」でもないし、この先自ずと病院との附き合いも増えていくわけであるから、そこを我慢する分には吝かではない。単に、肉体的な不調を気軽に医療で軽減しようと謂う発想がないと謂うだけのことである。

一〇年くらい前までなら、別段医者に行かずに手遅れになってくたばっても、それがオレの不出来な人生の「あがり」ならそれで不都合はないな、くらいの感覚だったのであるが、その辺は畜生の扶養家族を二匹養うようになってから大分認識が変わってきた。

オレが死んだ後に残される猫たちが心配だ、なんて綺麗事ではない。オレが死んだ後でも誰かちゃんとした愛情深い人が引き取ってくれれば、猫なんてどうとでも幸せに生きていくものである。単にオレ自身が猫たちの最期の面倒をみないで死ぬのが厭だとか、少しでも長く一緒にいたいから、突然死ぬのはオレが困ると謂う話である。

そう謂う次第で、救急車で病院に担ぎ込まれた当日も、あわよくば当日帰宅したいとは思っていたのだが、そもそも自力歩行が出来ないのだからどう考えても入院が不可避なこともわかっていた(笑)。

専門でもない当直医が「最低でも一週間」と謂うからには、脳梗塞の発作で担ぎ込まれた患者が一週間以内に帰宅出来た験しは殆どないと謂うことで、二、三日で退院出来る可能性はまず以てないだろうし、精密検査の結果次第では一週間以上の長期に亘る可能性も高いわけで、仕事のことや今後の生活などを考えてこの時点ではかなり凹んだことを白状する。

半身麻痺と謂っても皮膚の感覚が鈍いとか満足に力が入らないと謂うだけで、何とか手足を動かしたりすることは出来るし、言語機能や表情筋・嚥下機能に異常がないことは確認していたので、何事もなければ軽微な症状で済んで一週間で退院出来るだろうと謂う予想もあったのだが、肉体機能が不自由になるとやはり気が弱くなる。

点滴のポールに掴まって何とかヨチヨチ歩いている足許を視ると、まさに「卒中で倒れた爺さん」そのまんまだし(笑)、このまま麻痺がとれなかったら「爺さん」と謂う自己認識や生活態度で生きていかなければならないわけだから、まだまだ頑張らないとマトモに喰っていけないようなこの現状で、今までのように頑張れなくなったらどうしたものだろう、とちょっと考え込んでしまった。

まあ、死線を彷徨ったと謂うほどの重篤な病状ではなかったから、川の向こうにキレイなお花畑が見えて死生観が変わりました、みたいな心境でもないのだが(笑)、近年感じていた「歳をとって、段々身体が言うことを聞かなくなってきたな」と謂う実感が、何年分か纏めて「さらに倍率ドン」と上乗せされたような感覚である。

喉元過ぎれば何とやらで、退院後一週間を経た現在では、自分が卒中で倒れたと謂う実感も薄れてきてはいるのだが、ウチの家系は卒中で死ぬ体質なので、今後も精々気を附けて生きていかないと長持ちしないことはわかっている。

退院後の諸注意を読むと、食事制限はそれほどマストではないようで、糖尿病や高血圧症とは違って塩分と脂肪を控えめにすれば普通に呑んで喰って大丈夫らしいが、禁煙のほうは「してください」らしい(笑)。最近食の嗜好が淡白になってきて、食事制限のほうは本格的な減塩食でも問題ないくらいなのだが、禁煙のほうは三〇年に亘って一度も途切れたことのない悪癖なので、甚だ心許ないところである。

何度かやめようと思ってはその度に挫折を繰り返してきたわけだが、自発意志で健康の為に禁煙を試みるのとは違って、このままやめられなかったら確実にもう一回でかいのが来ると謂う状況で今まで一度も成功したことのない試みに取り組むわけであるから、失敗が許されない。気が重いことは言うまでもないだろう。

であるから、ハタから視れば歯痒いくらい暢気に見えるかもしれないが、むしろ今日明日差し迫って煙草をやめると謂うことは考えないことにした。ウチの次男坊などは重篤な肝硬変で緊急入院して死線を彷徨った後に禁酒に失敗してアル中になったくらいだから、やめようと思いながら挫折すると揺り返しで自暴自棄になるもので、見す見す病気になるとわかっていながら「俺には無理なんだから、どうなってもいいや」という捨て鉢な気分になる、それが怖い。

だから、当面は「キッパリ煙草をやめる」などと謂うハードルの高い目標を掲げるのではなく、期間を区切って「半分に減らす」ことを目標にする。それで苦痛を感じないほどに身体が慣れたら、さらに期間を区切って半分に減らす。このように半分程度に本数を減らすことが可能なのは、これまでの経験でわかっている。

半分に減らせるのに何故禁煙が出来なかったのかと謂えば、それは心の何処かで喫煙の楽しみを棄てたくないと謂ういじましい未練があったからである。ならば、それはこの際キッパリと諦めねばならないと謂う決定的な理由が出来たのであるから、多分段階的達成なら必ず可能なはずなのである。

そして、期限内の半減を二回くらい繰り返せば、一日二、三本程度にまで減らすことが可能であるから、たとえば一日三本くらいの煙草をやめるのは、一日一箱吸っていた煙草をやめることに比べて格段にハードルが低いはずである。

これを大体三カ月から長くて半年くらいで達成すると謂う、窮めて生温いアジェンダを策定したわけである(笑)。

で、その為に一日何本煙草を吸ったかを逐一記録することにした。所謂レコーディングダイエットに近い発想である。ついつい過ごしてしまった場合でも、自分を責めたり挫折感を覚えることなく、翌日挽回すれば好い、くらいの気構えで気長に取り組むことにしている。そう謂う意味では、禁煙とダイエットは割合似ているんではないかと更めて思った次第である。

すでに前回のコメントで書いたが、「このまま生活習慣が改まらなければ二年後に大きな発作が来る」とナースに脅かされているのだが、その改めるべき「生活習慣」の大部分は喫煙だろうから、遅くとも一年以内に煙草をやめないと手遅れになる。

これを逆に言えば、今すぐやめないとすぐに悪くなって大発作が起こると謂うものでもないのだから、じっくり腰を据えて一年以内に確実にやめれば何とかなるわけである。

禁煙法は人それぞれだから、こう謂う生温いやり方ではなくキッパリやめると決めて短期間で果敢に断行するほうが、大きな達成感が得られて向いている人もいるかもしれないが、オレは生まれてこの方「これ」と決めたことをドラスティックにやり遂げたことが殆どない(笑)。

大きな精神的コストを掛けて何かをやり遂げても窮めて達成感を得難いメンタリティなので「こんなもんか」としか思わないから、貫徹するモチベーションもあまりないわけである。大概のことは失敗を繰り返し工夫や微調整を加えながら段階的にやり遂げてきたわけで、そちらのほうが満足度が高いし、オレに向いているやり方だろうと思う。

そう謂う次第で鋭意努力中なので、まあ気長に見守ってやってください(笑)。

ちなみに、入院中オレが唯一楽しみだったのは病院食である。ここは一時期「食」関係ブログの数の内に算えられていたと謂う事情もあるし(笑)、このことはちょっと更めて触れておきたいと思う。

大概の人は病院の給食を「味気ない」「物足りない」と腐すが、オレは結構病院食が好きである。たしかに不味くて変わり映えしない病院食を出す病院もあるだろうが、マトモな病院食なら、あんなにいろんなことを考えて作っている料理なんてないと謂うのがオレの持論である。

九二年に交通事故で子供時代以来久しぶりに入院した際のことだが、そこの病院食は結構美味かった記憶がある。時折入院患者にアンケートカードが回ってきて栄養士から病院食に対する感想や要望を尋ねてきたのだが、「今後食べたい料理は何ですか」と謂う質問に対して、オレは一度「うなぎ」と書いて戻した。勿論、病院食でうなぎが喰えるなど、コストや食事制限との兼ね合いであり得ないだろうと思っていた。

ところが、一週間くらい後の食事で本当にうなぎが出てきて、分量としては微々たるもので、コンビニのうなぎ弁当のように白飯の上に数切れの蒲焼きを乗せ錦糸玉子や刻み海苔を散らしただけのものであったが、「ああ、うなぎだ」と物凄く感動したことが未だに忘れられない。

同室の患者仲間の一人は「ステーキ」とベタなことを書いたそうだが(笑)、それも数日中に出てきて、少量の赤身ではあったが、ご飯に合うおかず向きの味附けでなかなか美味かった記憶がある。まあ、形成外科の専門病院のことであるから、それほど食事制限の必要がなかったと謂う事情もあるが、出来る限り入院患者の食べる楽しみに配慮して献立を考えてくれていたようである。

今回入院した病院は結構大きな総合病院で、大きな厨房施設でもっとシステマチックに作っていたようだが、高血圧・糖尿食の制限の中で飽きずに食べられるように食材や味附けを工夫してあって、勿論主菜は魚が多かったが何度かに一度は肉が出てきたし、料理法もなるべくバラエティが出るように工夫してあった。

朝食がパンやフルーツなど火の通っていないもの(つまり、深夜早朝に長時間の調理が必要ないもの)ばかりだったのが直ちに「人件費」を連想させ、世知辛い世相を反映していて寂しかったのだが(笑)、昼食や夕食は普通に食べる分には過不足のないものばかりで、毎食楽しみに完食していた。

一週間程度でも入院して三食病院食を喰っていると結構勉強になると謂うのは、たとえば外食ばかりだと、自宅や勤務先の近所と謂う地理的制限の中で自分の嗜好と謂うバイアスが掛かった選択肢の範囲内で選ぶわけだから、かなり食事内容に偏りが出るし、たとえば一般家庭の食事で考えても、主婦(家庭における調理担当者)のレパートリーや家族の嗜好、経済的条件などの制限の範囲内で偏りが出る。

また、家庭における調理担当者がちゃんと料理を学んだ人間でも、そのスキルは「美味いものを作る」と謂う方向に発揮されがちで、栄養学的側面はそれほど考慮されていない場合が多い。

普通に毎日喰うレベルの食事で、栄養学的にも食の楽しみの面でもバランス良く尚かつバラエティに富んでいて、家庭の料理にもフィードバック可能な知恵があるのは、実はプロの栄養士が職業的スキルとして献立を考える病院食だったりするんではないか、なんて思ったりもするのである。

今回の入院では、蒸した鱈の切り身にベシャメルソースを掛けた主菜が意外と美味くてちょっと感心した。病院の制限食でベシャメルソースみたいな濃い食材が出るのかと謂う驚きと、蒸した鱈のような水っぽくて鄙びた喰い物、それも塩分を控えて食材自体にはそれほど塩を効かせていない料理にベシャメルソースでコクや風味を補うと謂う知恵が新鮮だったと謂う両方で感心したわけである。

病院食がそれなりに美味いと、たとえば高血圧や糖尿病で今後一生食事制限が必要だと謂う患者の場合、「ああ、制限食でもそれなりに食事が楽しめるんだな」と謂う認識が得られて力附けられるんではないかと思う。それには、薄味の淡白な料理を積極的に楽しもうと謂う歩み寄りの姿勢が必要ではあるわけで、娑婆で好き勝手に喰えるようなガツンと美味い喰い物ばかり恋しがっていてはダメだろう。

人間、歳をとってくると若い頃のようには生を楽しめなくなってくるが、その半面で若い頃ほど貪欲に強烈な快楽を追求したいと謂うような欲も抜けてくる。食の方面に関しても、若い頃とは違って濃い味で脂ぎったものがいろいろな意味で喰えなくなってくるわけであるが、栄養学的にバランスの採れた淡白な料理でもそれなりに食を楽しめると謂うのは、やっぱり老後のQOLの観点で重要な認識だろうと思う。

まあ、とりあえず今回の一件では、「酒をやめろ」と言われなかったのが不幸中の幸いだった(笑)。酒のほうは煙草ほどの病的な嗜癖ではないし、何度かの入院経験の中で一度も辛抱しきれないほど酒が呑みたいと感じたことはなかったが、やっぱり体調が落ち着いてきても酒も煙草も楽しめないのでは今後の生活が味気ない(笑)。

退院直後は、何も言われなかったのを好いことに普通にビールを呑んだのだが、ほろ酔い加減で少しフラッとするのが倒れたときの眩暈を連想させて気持ち悪くなった。これは飽くまで心理的な不安感を覚えただけで体調が悪くなったわけではないから、過ごしさえしなければ呑めるのだろうが、流石に今までよりは控えたほうが好いだろうと更めて痛感した次第である。

思うに、酒も煙草も一種健康な人体を前提にして軽微な病的状態を「安全に」楽しめるところが快感なのだろうが、それが度を過ごすと「安全」ではなく「病的」一方になってしまう、そう謂うことなんではないかと思う。

とりとめのない雑談に終始したが、そう謂う次第でオレと年齢域や生活習慣が近いような方々はくれぐれもご自愛を。自分が倒れるまではまだまだ実感がなかったが、やはりわれわれはいつ何時不意に成人病に倒れても不思議ではないような条件下で日々を生きているのだから、いきなり予告もなく振り下ろされる悪魔のハンマーの一撃が幾らかでも軽く済んで、そこからの立ち直りが容易に可能なように心懸けていたほうが宜しかろうと思う。

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コメント

予後がよろしいようでなによりです。ぼくは最後に入院してから30年近く経っているので、記憶にあるのはやっぱり「おいしくない病院食」ですねぇ。

ぼくは一度も禁煙を試みたことはないのですけど、最近「習慣」から「趣味」に戻すべくちょっと試行錯誤していたりしています。「レコーディング減煙」はいい手法かも。

投稿: pooh | 2010年5月30日 (日曜日) 午前 06時56分

おはようございます。

煙草は嗜好品とは言え、アルコールよりも簡単に中毒になりますよね。
非喫煙者が想像するよりも、喫煙者が単なる嗜好品だと強調するよりも止める事は現実に難しい作業だと思います。

黒猫亭さんは長年の喫煙で既にハイリスク群ですから、今更禁煙しても効果がさほど見込めないかもしれません、喫煙を続けるよりはマシ程度で。
でも吸い続けるよりはやっぱり止めた方が良いので、看護師さんの”脅迫”はそう謂う実例をたくさん見てきた”報告”なわけですね。
ま、こんな話は釈迦に説法なんですけど、ネットの海の果てで心配している人間もいるという事でご勘弁ください。
そう謂う私も肝臓赤信号で、禁酒に近い節酒に踏み切っています。昔ほどは飲まないし飲めないし、そんなに辛くはないんですけどね。

病院食は一昔前に比べると”患者さん用”は格段に進歩したそうです(愚妹情報)。”暖かいモノは暖かいまま、冷たいモノは冷たいまま食べられるように工夫する”事が一般的みたいです。なんてったって”患者様”ですから。
その代わり、医療従事者は酷いモノ食べさせられていたりするみたいですよ。流水麺の袋を目の前でバリッとか、冷凍イカの切り身を茹でたモノ(フライですらない)は”消しゴム”と呼ばわれていたとか。ふりかけ携帯必須だったそうです、でないとご飯がのどを通らないので。ハードワークなのに真っ先に経費削減の対象になるみたいでした、ホント気の毒。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年5月30日 (日曜日) 午前 11時08分

>poohさん

>>ぼくは最後に入院してから30年近く経っているので、記憶にあるのはやっぱり「おいしくない病院食」ですねぇ。

三〇年前だとそうかもしれないですね。オレは九二年の前と謂うと七〇年に一度蓄膿症の手術で耳鼻咽喉科に入院しているんですが、そこの病院食は子供ながら不味かった記憶があります。四〇年も前だと「病人のくせに美味いものを喰おうなんて料簡が間違っている」と謂うような時代性でしょうから、しょうがないですけどね(笑)。

やはり病院食が美味くなった…と謂うか、病人といえども食の楽しみは尊重されるべきだろう、みたいな風潮が一般化したのは、ここ四半世紀くらいの間のことかもしれませんね。大人になってから今回含めて三回入院していますが、「病院食だから不味くて当然だろう」みたいな姿勢で病院食を作っている病院はなかったです。

ブコメでみつどんさんが触れておられる「孤独なグルメ」のエピソードも、病院食は美味かったと謂う話のようですし、現在の病院食は制限要素をクリアするだけではなく、さらに入院患者が毎日の食事を楽しめることが常に考慮されているように思います。

>>ぼくは一度も禁煙を試みたことはないのですけど、最近「習慣」から「趣味」に戻すべくちょっと試行錯誤していたりしています。「レコーディング減煙」はいい手法かも。

やめるつもりがないなら、「趣味」としてパイプ煙草を始めてみると謂うのはどうですかね。以前報告した通り、オレも一時期凝っていましたが、あれは道具に物欲が伴いますからハマる人は結構散財しますね(笑)。紙巻き煙草とは全然別物なので、下手をするとパイプの分だけ余計な喫煙量が増えることになりますが(笑)、一回当たり吸い終わるまでに一〇分くらい掛かりますから、単純に時間がかなり潰れるので、元々喫煙量の少ない人なら有効かもしれません。

それと、節煙する場合には吸った本数や残り本数を明確に可視化すると謂うのはマストじゃないかと思います。今のところ、煙草を買ったら印紙を剥がして中身が見えるようにして、一本吸う度に残りの本数を算えるようにしていますが、出来れば二〇本入る平型の煙草入れがあればいいんじゃないかと思います。近所に売っていないので、探しているんですけど。

さらに、一日これくらい、と大凡の目標を決めたら、睡眠時間を除いた一日の時間を本数で割って「これこれの時間に一本くらいの見当」と平均的な「我慢する時間」を決めておかないといけないですね。本数を視て大雑把にペースを調節していると、段々後になってキツくなってきますし。

レコーディング方式は、始めてまだ一週間くらいですが、節煙に限って謂えば結構いいんじゃないかと謂う感触を得ています。現在、ニコチネルパッチを使ったり使わなかったりして対照をとっているのですが、使っても効果ないんじゃないかと謂う印象があった割には、記録を視るとやっぱり本数が違うんですね。貼ったら吸う気が起こらないと謂うほど劇的じゃないですが、やはり幾分かは我慢を補助する効果があるようです。

それと、煙草を同銘柄のライトな品種に変えてみると謂うことも何度かやってみたのですが、これは逆効果のようです。節煙で「吸いたい」と謂う欲求が高まっているのに、一本当たりの満足度が低いとついつい本数が増えるようで、結果的にはパッチを貼っていつもの銘柄で節煙するのが最も効果が出ると謂うことがわかりました。

これは何となく印象で記憶しているのと違って、自分の嗜癖の傾向が確実に把握出来ますから自分には向いているように思います。

禁煙経験の話は関心がありますから、これまで数え切れないほどの事例を聴いているんですが、どうも一貫した法則性はないように思います。ただ、数多くの事例では、どんなに喫煙のリスクが高くても、一念発起して大決心を固めてから失敗すると大概自暴自棄になると謂うことで、ダイエットのリバウンドと同じようなものですね。多分オレも自分の場合はこれがかなりヤヴァいと思うんです。

キングの短編で「禁煙挫折者救援有限会社」なんて喫煙者には怖い話がありまして、禁煙を強制される手段の恐ろしさもさりながら、これが現実でもオレだったらかなりヒドイ目に遭うまでやめられないかもしれない、そうだったらホントに人間の屑だよなぁ、とか我が身に引き寄せて考え込んでしまうところが怖いんですが。

要は自分のメンタリティや体質と嗜癖の度合いとの兼ね合いですから、どうすれば確実にやめられるのかと考える場合、自分にどんな方法が向いているのかを考えるのは重要なように思います。

ちょっとブクマを下さった方に誤解している方がおられるように思うんですが(笑)、オレ個人の話をすると、節煙は出来るんです。で、たとえば入院とか長期休暇とか、それ以外に他のことをしないで済むなら、一週間程度煙草を吸わないでいることも出来るんです。ただ単に、その間ずっと煙草を吸うことばかり考えていて他のことが手に附かないし、禁煙が長続きしないと謂うだけで。

ですから、今いきなりキッパリやめるのであれば、一カ月くらい監視附きでどこぞの施設にぶち込まれるくらいのことでなければ意味がないんですが(笑)、それはまあ無理なので、現状で可能な確実な方法を考える必要があります。

実はオレは、一五年くらい前までは一日四箱強吸っていたんですが(笑)、一五年前でも煙草を四箱買うと一〇〇〇円超えるので、甚だ不経済だから増税を機に三箱弱に減らしたんですね。さらにそこで、仕事のほうが上手く行かなくなって手許不如意になったので、一日二箱弱に減らして現在に至っているわけです。

で、倒れる前までは、一〇月からの増税で一箱一四〇円も上がると謂うので、ちょうど一日一箱弱に減らそうかと考えていた矢先で、これまでの経験から謂ってそれは可能なんですね、全然不安はないわけです。

ですから、禁煙はするんです。するんですが、その下準備として節煙をしていると謂う順序になるわけで、出来るか出来ないかわからないことをいきなりやるのではなくて、確実に出来ることの積み重ねで絶対確実に禁煙すると謂う計画で、この計画で三カ月なり半年なり後に数本に減っていること自体は鉄板なので、そこから先禁煙を断行すると謂うことは時間の問題で同じことなんですね。

だから最終的にはやっぱり禁煙を試みるので、それが成功した場合でも…と謂うか、この手法の性格上「失敗」の可能性の排除が主目的ですので、いずれにせよ「結果的に必ず成功する」んですが(笑)、最初から断行しても上手く行ったのか、それとも段階的達成を目指したから成功したのか、これは予め「失敗」の可能性が排除されている以上はハッキリわからないわけですし、他人にとって有効かどうかもわからないと謂うことになります。

で、もし万が一禁煙に失敗した場合でも、一日数本の喫煙のリスクは二箱の喫煙よりも格段に低いので、どっちに転んでも健康上のメリット自体は変わらないわけです。要するにですね、オレは「大負けする可能性のある博奕」はしないし、どうしても博奕をしなければならないなら、起こり得る可能性のどれが実現しても自分が大負けしないほうに持っていくと謂う、それだけなんですよ。

投稿: 黒猫亭 | 2010年5月30日 (日曜日) 午後 02時29分

>うさぎ林檎さん

>>黒猫亭さんは長年の喫煙で既にハイリスク群ですから、今更禁煙しても効果がさほど見込めないかもしれません、喫煙を続けるよりはマシ程度で。

いや、実はそうなんですよ。煙草を止めても肺が綺麗になるわけではないですし、硬化した動脈が再び元通りになるわけではないんです。単に、これ以上喫煙を続けるとこれまで通りに悪くなる一方だし、それに老化が伴うことでさらに悪化するペースが早くなると謂うことで、禁煙しても飛躍的にいいことがあるわけではなくて、これ以上悪くならないようにするわけですね。

そのことに入院中にハタと気附きまして、たとえば煙草を吸うとあっと謂う間に悪化してお陀仏と謂うわけではない代わりに、煙草を吸わなければ物凄く良くなると謂うものでもないわけです。治療中もさほど厳しく「喫煙はダメ」と言われたわけではなく、こちらから「治療中は煙草吸ったらダメですか?」と聞いて「そうですね、やめたほうがいいと思います」くらいのテンションでしたね。

ですから、まあ大っぴらに吸うのは憚られたのでコソコソとではありますが(笑)、入院中も一日二、三本は吸っていましたけど、格別何も言われませんでした。要するに、直ちに現在只今の治療の妨げにはならないけれど、生活習慣として禁煙しなければ必ず悪化するよ、そこは自己責任ですよ、と謂うくらいのバランスですね。

なので、まあじっくり確実に達成する手段を考えて生活習慣を変えないといかんな、と謂うのが基本的な認識ですね。事例としては多分、生活習慣がそのままなら確実に数年以内に悪化すると謂うことでしょうから、当面はそれこそ「二年」を睨んだ話になってますが、もっと謂えば五年、一〇年、そしてそれ以上の将来、さらに老化が進んだ肉体状態のことを考えての話になると思います。

オレは時間が掛かっても確実に煙草をやめるつもりですし、それはこの先数十年続くであろう後半生の生活の価値を考えての話なのだし、二年後にもっと悪化していることなど絶対にないだろうと楽観していますよ(笑)。

>>病院食は一昔前に比べると”患者さん用”は格段に進歩したそうです(愚妹情報)。”暖かいモノは暖かいまま、冷たいモノは冷たいまま食べられるように工夫する”事が一般的みたいです。なんてったって”患者様”ですから。

仰る通りで、トレイには食器を受ける突起が附いていて、突起と突起の間には何やら正体不明の金属板が埋め込んであったんですが、おそらくあれは断熱材か何かだと思います。毎回の食事はお定まりの配膳カートでガラガラ持ってくるんですが、たしかに「暖かいモノは暖かいまま、冷たいモノは冷たいまま」でした。

勿論、半身不随で手許が不自由な患者が喰うものですから、安全上「熱い」と謂うほど温度は高くないんですが、「温かい」ことはたしかですし、デザートや飲み物はキンキンに冷えていましたよ。

それは、生臭い話をすればやっぱり経営の問題に行き着いてくるわけで、「病院の制限食が不味いのは当たり前だ」みたいな態度の病院では今般やっていけない世の中なのだろうとは思います。病院もサービス業ですし、産院なんかでも過剰とも思える個室サービスを打ち出した病院なんかもありますよね。「病気ではない」出産の場合なんかはとくにアメニティとかそれこそニセ科学的な付加価値を打ち出さないと難しいでしょう。

それはたとえば本文で触れた「朝食が火を通さないものばかり」なことと表裏の関係にあるわけで、病院経営も当節では結構難しいんだろうな、みたいな下世話なことも少し考えました(笑)。ただまあ、やっぱり主要な名分としては、患者の食の楽しみを満足させることが経営や治療効果などあらゆる意味で合理的だから、と謂うウィン・ウィンの発想なんだろうとは思います。

>>その代わり、医療従事者は酷いモノ食べさせられていたりするみたいですよ。

患者が不味い給食を喰わなくて済むようになった代わりに、医療従事者が家畜の飼料以下の食生活を強いられていると謂うのも何だかなぁ、ですね(笑)。オレは別段医者や看護師がそれほど特別な職業だとも思いませんが、大変な職業であることは事実で普通に専門技能職として敬意を払われるべきだと思いますから、就業中にまったく食の楽しみを満足させられないと謂うのは非人間的な扱いだと思いますし、この医療の現状はどうにかならんもんかなぁと思います。

本文で述べた通り、これまであんまり医者と縁のない生活を送ってきましたから、オレが心配するようなことでもないんですが、ニッポンの医療システムが崩壊したら、安心して歳をとることが出来ませんから。何より、やっぱりアンフェアな現状と謂うのは他人事でも黙過してはいかんと思いますし。

投稿: 黒猫亭 | 2010年5月30日 (日曜日) 午後 02時30分

はて、本当に梗塞なんてあったのかしら?
ほどに回復されており何より一安心した次第です。
最悪の事態に備えて、どらねこ亭ボブぞうとして待機しておりましたが、それも不要となりました。
そうですよね、回復嬉しいですよね、可愛らしい家族とイチャイチャするのは十分に人生の愉しみですからね。モフモフ

病院食の工夫に感心していただいたみたいで、同業界の者としては、嬉しい限りです。
全部ではありませんが、満足していただけるような食事を提供する施設もある一方、味気ない献立で、給食が苦痛になりそうな施設も勿論あります。しかし、その施設だけが悪いのかというとそうでもなく、一食に掛けられる食材費がとても少ないので、内容も限られてしまうんです。
あんなに食費とってるじゃん、というキモチになりそうな金額ですが、衛生管理等の雑費が昔より嵩むようになってきていたりで大変なんですよ。
しかも、一食当たりの食事療養費は減っていますし。
ですので、美味しい給食を頑張って出している施設の多くは病院持ちだし若しくは、カツカツで行っているなんて事が多々あります。

えーと、給食のことばかり語ってスミマセン。ちょっと嬉しかったです。

投稿: どらねこ | 2010年5月30日 (日曜日) 午後 04時41分

なるほど今回のエントリーを見て、文章の量的にもだんだん本来のペースを取り戻しつつあるんやな、と少々安心しました。とはいえ、まだまだ予断を許さない状況であることは疑いないわけで、そのためにも失敗の少ないやり方で禁煙に挑んでいるわけですね。

私も入院経験はありますが、もう40年近く前になりますからどんな食事だったかは全く覚えてないですね(^^;。ただ、日帰りではありますが、食事付きの人間ドックには最近行きましたから病院の食事が意外にいいなとは思ってました。まぁ、人間ドックなので療養食でもないし、当たり前と言えば当たり前なんですけど(笑)。

人間ドックと言えば、40歳の時に職場から強制的に行かされる人間ドックの血液検査で肝臓が引っかかりまして、酒も飲まないのになぜ肝臓の数値が悪いのかと色々調べてみるとフォアグラになってましてね(爆)。当時体重は80kg近くあったので、そのせいですね。私は子供達のためにも長生きせねばならないので、やっぱり失敗を避けることを第一目的にごく緩いダイエットに挑戦し、ほぼ1年掛けて10kg体重を落とし、今でもその体重を維持しています。

やっぱり人間徐々に体を慣らしていくとそれが習慣化するというか、常態になっちゃうんでしょうね。最近は胃がすっかり小さくなって、一度に大量には食べられなくなったので、体重の維持もそれほど大変ではなくなりました。ただ、相変わらず甘い物は大好きで、以前お話ししたように美味しいチョコレートを見つけて困ってますが(木亥火暴!!)

と言うわけで、遠く海外から禁煙の成功を祈っております。こうして黒猫亭さんとのやりとりをすることは非常に楽しみにしている事のひとつですので、いつまでも続けられますようお願いします。

投稿: がん | 2010年5月30日 (日曜日) 午後 06時56分

>どらねこさん

>>はて、本当に梗塞なんてあったのかしら?

自分でもそんな感じですが(笑)、確実にあったことですので油断は禁物ですね。以前と変わったことと謂えば、若干酒が弱くなったところですが、これは一週間近く断酒していたのですからその影響かな、と思います。

>>可愛らしい家族とイチャイチャするのは十分に人生の愉しみですからね。

そうですね、入院中、ナースやお医者さんには「猫が心配だから」と言い訳して一時帰宅したんですが、喰い物も水も用意されていてエアコンまで効いているんですから、本当は何も心配なことなんかないんです(笑)。

猫が寂しい思いをしていると謂うことはあるにはあるでしょうが、まあいなきゃいないで何とか生きていくものだし、実は猫よりも飼い主のほうが猫に会いたがっていただけなんですね(笑)。やっぱり猫の顔を見ると物凄く里心が湧きましたね。

>>病院食の工夫に感心していただいたみたいで、同業界の者としては、嬉しい限りです。

オレも本文を書きながら「どらねこさんはどう思われるかな」と感じていました。

やっぱり、症状によっては一日中ベッドに寝たきりの生活ですから、楽しみと謂うと食べ物くらいしかないんですよね。売店の買い食いにも限度がありますし、食事制限があると病院食しか纏まったものが食べられないわけで、それが不味かったら入院生活なんか味気ないですよね。

そう謂う意味で、病院食を美味しくしようと謂う配慮は有り難い限りで、喰い物が美味いとそれだけで全然違うんですよね。不味い病院食を出されると、仕方がないとわかっていても「ああ、娑婆に出たら思いっきり焼き肉喰うぞ、ラーメン喰うぞ」みたいな飢餓感が募ると謂うこともありますし、「早くここを出たい」と気ばかり焦ってしまうこともあるでしょう。

本文では書き漏らしましたが、病院と謂うのはかなり特殊な性格の施設で、普通はおカネを払えばそれに見合った快楽を得られるのが当たり前だし、カネを払った側が受け取る側に注文を附けられるのが当たり前なのに、病院の場合は病気やケガによる苦痛や不快、機能不全と謂うネガティブ要素から回復する為に、治療と謂う別種の苦痛や不快を我慢しなければならないわけで、しかもカネを受け取る側の言いなりにならなければなりません。最近はそんなに威張ったお医者さんばかりでもないですが、カネを払う側が受け取る側の職業者に唯々諾々と従わねばならないサービスなんて他にないですよね。

要するに、患者が病気やケガから回復する専門的な手助けをするのが病院の提供する機能やサービスであるわけで、患者は病院に行ったら自身の意志で治療にコストを払う必要がある。ですから病院と謂うのはそもそも行って楽しい場所じゃありません。重度の看護婦マニアなら別ですけど(笑)。

まして入院と謂うことになれば、そんな楽しくない場所に長期間拘束されて、普段とはガラリと変わった集団生活に馴染まなければなりません。そのストレスを軽減し得る力を持っているのは、やっぱり毎日の食事なんですね。三食不味いものを喰わされると、途端に人間は里心が附いてしまいます。自分が通常とは違う異常な状況に置かれていることを否が応でも意識させられてしまいますし、治療にコストを払う気力が萎えてしまいます。

>>全部ではありませんが、満足していただけるような食事を提供する施設もある一方、味気ない献立で、給食が苦痛になりそうな施設も勿論あります。

病院食の「いろいろな制約」と謂うのは、やっぱり治療上の制限だけではなく、コスト面の問題も大きいだろうと思います。つまるところは「人件費」と謂うことになるわけで、当今さぞかし圧迫されているのだろうな、とは思っていたのですが、持ち出しレベルですか。でも、それだけ重視されていると謂うことなのでしょうね。

たしかに食材費だけザッと計算すると(最近喰い物を視るとすぐに原価計算したくなる癖がありまして(笑))、いいとこ二、三〇〇と謂うところだろうな、とは思いました。ですから、食材費だけを考えるとそんなにおカネが掛かっているわけじゃないんですよね。問題なのは病院で提供される食事と謂うことで、上っ面では見えない人件費がドンと上乗せされていると謂うことでしょう。

病院食の献立を視ると勉強になると謂うのは、別段高い食材を使っているわけではないですし、手の込んだプロの調理法が駆使されているわけでもなく、それほど調理に時間や手間が掛かるわけでもない、一般家庭でも十分可能な方法で調理され、栄養バランスが配慮されていて、しかも毎日食べても飽きない工夫があるところですね。

その辺が喰い物屋の料理とも違うし一般家庭の料理とも違うわけで、栄養士独特のプロフェッショナリティなんだろうな、と感心させられました。料理それ自体は専門料理屋と謂うよりは一般家庭に近い方向性のものだし、毎日食べても飽きないと謂うのはそれこそ一般家庭の料理に求められるものですから、十分参考になります。

投稿: 黒猫亭 | 2010年5月30日 (日曜日) 午後 10時58分

>がんさん

>>文章の量的にもだんだん本来のペースを取り戻しつつあるんやな

生活雑記的なブログなら、半身麻痺の入院体験なんて絶好のネタですからね(笑)。女性ブロガーだったら、出産・育児で何年もネタに事欠かないでしょうし、ブロガーどころかプロのクリエイターでもそれをネタに本を書いたり出来ますね。

野郎の場合は、煙草の吸いすぎが祟って倒れたとか脂肪肝がどうのとか謂う色気のない話に終始してしまうのがアレですが(笑)、自身の身に降り懸かった健康上の大問題と謂うのはやっぱり大きな関心事ですね。

>>私も入院経験はありますが、もう40年近く前になりますからどんな食事だったかは全く覚えてないですね(^^;。

時代性から考えてあんまり美味しいものじゃなかったんでしょうね(笑)。オレが覚えている限りでは、味のまったく附いていない七分粥が三食主食で附いてきて、主菜が大体ビシャビシャした煮魚か冷えた焼き魚でしたから、ホントに不味かったですね。田舎のことですから、院長夫人が自分の家の畑でとれる大根の葉っぱで漬け物を作っていて、それが附いてきた記憶があります(笑)。

でも、この大根の葉っぱの漬け物は意外と美味かった記憶がありますね。多分記憶の中で実態以上に美味く誇張されている弊はありますが(笑)。

>>酒も飲まないのになぜ肝臓の数値が悪いのかと色々調べてみるとフォアグラになってましてね(爆)

うーん、四〇歳の頃と謂うとすでにオレと知遇があったはずなんだけど、八〇キロ以上だった頃は面識がないと謂うことなのかな。がんさんと謂うと歳の割には筋肉質で痩せた人と謂う印象なんですが、みつどんさん同様、いつ会ったかで全然印象が違うと謂うことなのかしら(笑)。

一年間で一〇キロのダイエットと謂うのも、結構急に痩せた部類ですよね。shofさんもたしか一年くらいの間に一五キロくらい落とされたそうですが、歳をとってから急に痩せたり肥ったりすると、それはそれで体調のバランスが崩れそうで心配ですね。

何年もお会いしてないですが、オレはまあ、あんまり変わっていないですよ(笑)。入院時に久しぶりに会った人は「肥った」と言ってましたけど(笑)、数字的には増えていないですし、逆に上半身の筋肉が張っているので、何もしていない頃よりは幅があるように見えたのかもしれません。筋トレを始めて筋肉が張っていても、皮下脂肪のほうはまだ落ちていないですからねぇ(笑)。

女性とは違って運動をすると筋肉は簡単に附くけど皮下脂肪は落ちないので、総合的に謂うと、たしかに横幅が増えたような印象にはなるんでしょうね(笑)。

>>やっぱり人間徐々に体を慣らしていくとそれが習慣化するというか、常態になっちゃうんでしょうね。

体重を落とす場合は、やっぱり徐々に落としていくのが安全ですね。以前TVで百数十キロの肥満女性が急激なダイエットを試みて、余った皮膚がシワシワに垂れ下がって痩せる前よりも醜くなった、なんて話を紹介していましたが、一度伸びてしまった皮膚はそう簡単に縮んでくれませんしね。

オレは多分、七〇キロ台の前半が一番調子が好いので、何かの理由で八〇キロに近くならない限りダイエットはしないと思いますが、実家の母親が二十数年にも亘って顔を見る度に「前より肥った」と言い張るんで、それだけが鬱陶しいです(笑)。

なんか、いつまでも六〇キロ台半ばだった頃のイメージが抜けきらないようで、そんなのは三〇年近く昔の話でしかないんですけどね(笑)。その当時のことを考えると、体調や気分が不安定でしたし身体機能も低く、唯一階段を昇るときに今より身体が軽かったと謂うくらいしか好いことがなかったですね。一五分くらい歩くと息切れしていたのはその頃から変わらなかったですしね。

>>と言うわけで、遠く海外から禁煙の成功を祈っております。

いやあ、何だかこう謂うふうに書いてあると、まるでがんさんがカナダとかイタリアとか小洒落た外国に在住しておられるみたいですね(木亥火暴!!)。本当はうどんの美味い京阪神方面の「海外」なんですが、そっちのほうが格好良いからそう謂うことにしておきましょう(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年5月30日 (日曜日) 午後 11時02分

パイプもいいかも知れませんね。シャーロック・ホームズみたいで。
うちは婆ちゃんも父ちゃんも煙草飲みで私を含めて家族で3人喫煙者だったのですが、先日婆ちゃんが禁煙スタートしました。父ちゃんは節煙(私が煙草を預かり、決まった時間に渡すという方式)を継続中です。婆ちゃんはすんなりやめられたのですが、反動で揚げ物を良く食べるようになりました。実は父ちゃんは糖尿病の治療中で揚げ物はあまり良くないのですが、婆ちゃんは自分ばかり食べるのはバツが悪いとばかりに父ちゃんにも揚げ物を食べさせます。ゆるやかな下降線をたどっていた父ちゃんの血糖値が婆ちゃんの退院後、上昇線を描くようになりました。
病院のセンセーや親族に怒られるのは私なので、それが最近のストレスになっています。
些細な抵抗を試みてはいるのですがヒトの言うこと聞きゃーしねーので…。

平型の煙草入れはオークションでよく見かけます。
菊の御門入りのがよく出品されてますね。

投稿: B助 | 2010年6月 2日 (水曜日) 午後 10時22分

>b助さん

>>パイプもいいかも知れませんね。シャーロック・ホームズみたいで。

パイプ煙草しかなかった時代だと、今みたいに忙しなくチェーンスモーキングするなんてことが出来ませんから、ゆったり喫煙する人が多かったんじゃないですかね。キセル煙草なんかを考えても、一回当たり一服か二服くらいしか吸えませんから、やはり葉巻や紙巻き煙草が纏まった喫煙を簡便に可能としたことが、人類の喫煙量と卒中と肺ガンを飛躍的に増大させたたのではないかと(笑)。

ホームズのパイプと謂えば、瓢箪を刳り抜いて海泡石の火皿を附けた大型パイプ、所謂キャラバッシュパイプが真っ先にイメージされますが、これがアメリカのウィリアム・ジレットなる俳優によって創作された一連の定番ホームズ意匠の一つで、原作には一切言及がないことはシャーロッキアンならずとも識られていますね。

原作に忠実に作られたジェレミー・ブレット版TVドラマがヒットしたお陰で、普通にホームズを好きな人のホームズ像も原作に近いものになっているかと思います。

>>うちは婆ちゃんも父ちゃんも煙草飲みで私を含めて家族で3人喫煙者だったのですが、先日婆ちゃんが禁煙スタートしました。父ちゃんは節煙(私が煙草を預かり、決まった時間に渡すという方式)を継続中です。

三代で取り組む禁煙・節煙ですか(笑)。以前のコメントで要介護のご家族が三人おられると伺いましたが、想像したよりもお元気そうですね。その分b助さんが苦労されているようで、大変ですねとしか言えないのがアレですが。

禁煙すると肥るなんてよく言いますが、アレはやっぱり口寂しいのでついついちょっとずつ何か食べてしまうからなんでしょうか。禁煙の前段階で節煙中のオレも、職場ではガムを噛むようになりましたし、自宅でもしょっちゅうスルメを囓るようになりましたから、糖分とプリン体の過剰摂取が心配になってきました(笑)。

禁煙の為に糖尿病だの痛風だのまで併発しては、まさに死のスパイラルです(笑)。

>>菊の御門入りのがよく出品されてますね。

…そ、それは所謂「おんしのたばこ」と謂う代物のガワなのでわ(笑)。割と結構な数がコンスタントに賜下されるらしいのでタマ数は多いんでしょうね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年6月 3日 (木曜日) 午前 07時41分

おはようございます。

>…そ、それは所謂「おんしのたばこ」と謂う代物のガワなのでわ(笑)。

あー、ウチの死んだ田舎の祖父さんが皇居の清掃ボランティアに行った時に貰ってきたような・・・勿論昭和天皇の時代の話です。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年6月 3日 (木曜日) 午前 08時52分

>うさぎ林檎さん

>>あー、ウチの死んだ田舎の祖父さんが皇居の清掃ボランティアに行った時に貰ってきたような・・・勿論昭和天皇の時代の話です。

ああ、まさに「皇室関係ボランティア活動への謝礼」も下賜名目に入っているようですので、それで間違いないと思います。ウィキで視ると、皇室が関係している事柄が名目に入っているのはともかく、警察の警備課がとくに下賜対象に入っているんですね。一瞬「なんで警察?」と思ったんですが、多分警衛の関係ですね(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%A9%E8%B3%9C%E3%81%AE%E7%85%99%E8%8D%89

そう謂う次第ですから、健康増進法の関係で廃止される二〇〇六年まではかなりの数が出回っているはずですね。昔TVで紹介されたときに、中身はゴールデンバットだか朝日だか、とにかく安くて非常に辛い煙草だと言っていたような記憶があります。

ウィキの画像で視ると、普通の煙草よりも若干太めでフィルターが短く、その分全長も短いですね。そりゃまあ、こう謂う煙草なら辛くて当たり前だろうと思います。ただ、この画像で視るとガワは厚手のボール紙製みたいなので、煙草入れと謂うのはまた別にあるのかもしれませんね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年6月 3日 (木曜日) 午前 09時28分

悪のりついでに

>>中身はゴールデンバットだか朝日だか

そ、それは随分とケ・・・げふんげふん(自粛)。
でも祖父さんのご愛煙はチェリーでしたからストライクゾーンだったかもしれません。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年6月 3日 (木曜日) 午後 12時20分

>うさぎ林檎さん

>>そ、それは随分とケ・・・げふんげふん(自粛)。

わー、ふけーざいだー(笑)。いや、謝礼用の支給品に高級品を用いるのは「不経済」だと謂う話ですからくれぐれも誤解のなきよう(笑)。

そう謂えば、オレの若い頃には「ゴールデンバットはいろんな煙草の端材を混ぜたものだから、ロット毎に味が全然違う」と謂う「伝説」がまことしやかに口にされていましたが、そんなわけないですよねぇ(笑)。調べてみたら、やっぱりこれは俗説で、単に等級の低い葉脈の部分の葉を使っているので、均質な味に調整しづらい為に味にバラ附きが出るようです。たしかに、葉脈って加工に向いていなそうですもんね。

さらに、ウィキのゴールデンバットの項目でこぼれ話として紹介されていた逸話によりますと、朝日はピースと並んで高級煙草の銘柄だったと謂うことですから、単にフィルターがない「口附き煙草(吸い口が空洞の筒になっている)」だから辛いと謂う印象があるだけみたいですね。こっちのほうだったら、歴史的に考えて別段ケチ臭いと謂うことにはならないだろうと思います。

朝日なのかもしれないと謂うのは、恩賜の煙草も実はこの「口附き煙草」で吸い口が空洞の筒だったそうですから、現在主流のフィルター附き煙草のマイルドな味に慣れている喫煙者にしてみれば「辛くてキツい」「朝日に似ている」と謂う感想になっても自然だな、と思うからです。

しかしそれを逆に謂えば、紙巻き煙草はまず口附き煙草から普及したそうですから、両切りやフィルター附きが登場した後の世代の人々には、口附き煙草ならそれが何であれ市販品における代表的な口附き煙草である朝日に似ているように感じられるわけで、結局正確なところはわからないと謂う何とも曖昧な結論になりますね(笑)。

>>でも祖父さんのご愛煙はチェリーでしたからストライクゾーンだったかもしれません。

ほんの一時期だけオレも吸っていましたが、あの辛い煙のどこが「チェリー」なんだかよくわかりませんね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年6月 3日 (木曜日) 午後 01時01分

遅ればせながら、ご帰還おめでとうございます。
一度禁煙を経験すると、数は減るのではないかと思います。いや、個人的経験ですが。
以前は1~1.5箱/日だった私ですが、今では酒を飲まない限り毎食後・10時・3時・風呂上り・就寝前の7本/日になっております。銘柄がJPSなので、摂取ニコチン・タールは結構多いのかもしれませんが。
なんにせよ、なるべく節制しましょう。
無理のない範囲で。

黒猫亭さんは、丑年ということですか?

投稿: 山形ミクラス | 2010年6月 3日 (木曜日) 午後 09時58分

>山形ミクラスさん

お見舞い有り難うございます。

>>一度禁煙を経験すると、数は減るのではないかと思います。

お陰様で節煙自体は割合計画通り順調に進んでおります。当面は、一日二箱弱だったのを一箱弱に減らすことがマストの最低目標で、可能なら一〇本程度に抑えると謂うところなのですが、現在のところ、一日一箱を超えたことが一度もなく、一〇本強の日もかなり多くなってきています。

普通に考えると、一時間に一本吸うとすると一日に一八本くらい吸う計算になりますから、これを一〇本前後に抑えるなら、何度か二時間に一本くらい我慢すれば大丈夫と謂うことになります。要は、節煙と謂うのは、次の煙草をどのくらい後に吸うのかと謂うインターバルの長さの問題になってくるわけですね。

今のところ、二時間くらいまでなら我慢出来ますし、職場で仕事をしている場合は、仕事のことを考えていて忘れられるのと、オフィス内禁煙ですから「喫煙所に行かない」と謂う間接的な手法で四時間くらい我慢出来ますが、やはり自由に吸える自宅にいる間の成績が悪いですね、完全に意志の問題になってきますから(笑)。

次の段階では、二時間措きとか三時間措きと謂うふうに徐々に平均的インターバルを長くしていって、最終的には禁煙に踏み切ると謂う計画です。そう謂う次第で時間との戦いになってきましたので、現在自宅の至るところに安物の置き時計を置いて、ついうっかり時間前に煙草を吸わないように頑張っております(笑)。

>>黒猫亭さんは、丑年ということですか?

そうです、今年は年男ですよ(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年6月 3日 (木曜日) 午後 10時30分

こんばんは。

>うーん、四〇歳の頃と謂うとすでにオレと知遇があったはずなんだけど、八〇キロ以上だった頃は面識がないと謂うことなのかな。がんさんと謂うと歳の割には筋肉質で痩せた人と謂う印象なんですが、みつどんさん同様、いつ会ったかで全然印象が違うと謂うことなのかしら(笑)。

うーんと、その80キロくらいの頃は会ってなかったかもしれませんね。何度か会った頃は組織培養で植物の苗を作る仕事をしていた頃で、温室作業なんかもあったので、そこそこ引き締まっていたんやと思いますわ。80キロあったのは、試験研究をしていた頃で、ストレスで沢山食べていたんですね(爆)。とむざうさんとの関わりと言えば、Fホラでショートショートをよく書いていた頃、と言うことになりますかね。

>いやあ、何だかこう謂うふうに書いてあると、まるでがんさんがカナダとかイタリアとか小洒落た外国に在住しておられるみたいですね(木亥火暴!!)。本当はうどんの美味い京阪神方面の「海外」なんですが、そっちのほうが格好良いからそう謂うことにしておきましょう(木亥火暴!!)。

いやいや、実際仕事場からは(日本の)地中海が見えるし、地中海の向こうにはオリーブが特産の島が浮かんでいますから(木亥火暴!!)。それから、「うどん」とか日本語に訳さずに「いりこ風味で醤油味のスープパスタ」とでも言ってもらえませんか(木亥火暴!!)。と言うわけで、実際おされないたりあーん(な雰囲気の地域)に住んでいるということで、勘弁してください(笑)

投稿: がん | 2010年6月 3日 (木曜日) 午後 11時54分

>がんさん

あ、すっかりお返事するのを忘れていました(木亥火暴!!)。失礼、失礼。

>>何度か会った頃は組織培養で植物の苗を作る仕事をしていた頃で、温室作業なんかもあったので、そこそこ引き締まっていたんやと思いますわ。

かなり昔の話なので正確なことは覚えていませんが、なんでもガメラ2〜3の公開時辺りに何度か会っていると謂う記憶がありますね。おおよそ九〇年代後半ですな。そうすると、一〇年くらい前ですからその後肥ってからまた痩せたと謂うことですね。たしかテニスで脚を痛めていた時期に一度会っていますね。

>>いやいや、実際仕事場からは(日本の)地中海が見えるし、地中海の向こうにはオリーブが特産の島が浮かんでいますから(木亥火暴!!)。

風光明美な土地柄ですねぇ(笑)。それだけ聞くと何だか物凄くバタ臭いところのように思えますが、今でもお遍路さんがうろうろしているところが今ひとつバタ臭くなり切れないところですね(笑)。

>>それから、「うどん」とか日本語に訳さずに「いりこ風味で醤油味のスープパスタ」とでも言ってもらえませんか(木亥火暴!!)。

言い方がアレなだけで、どこにも洋風の要素がないですね(木亥火暴!!)。では、とりあえず「中野美奈子と同郷人」と謂う辺りで手を打ちましょうか(笑)。その中野美奈子もCX制作の「UDON」と謂う映画にゲスト出演して、がんさんの仰る「何たらかんたらのスープパスタ」をズルズル啜っていましたが(笑)。

>>と言うわけで、実際おされないたりあーん(な雰囲気の地域)に住んでいるということで、勘弁してください(笑)

よくわかりませんが、とりあえず、がんさんがいたりあ男で助平だと謂うことだけは理解しました(木亥火暴!!)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年6月 6日 (日曜日) 午後 01時10分

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