「それ」は「ネットに氾濫」しているのか?
GW中は何処のお父さんも家族サービスに忙しいようだが、その事情は毛むくじゃらの扶養家族を二匹抱える我が家でも変わりはない。しかし、犬と違って徹底したインドア派愛玩動物である猫の場合、「家族サービス」とは即ち「一日中家にいてかまってあげること」だったりするので、結局休みの間中何処へも行かずに家に引き籠もっていた。
ただ家でゴロゴロしているのも無駄なので、この際洗濯や掃除などの家事に勤しんでいたのだが、こんなに時間が有り余っていると謂うのに、ちっともブログネタが思い附かず、余所様のエントリに書き込みをするのが精一杯だった。今年はなかなか仕事が堅調だったので、これまでのように一つ事を突き詰めて考察する余裕がすっからかんになっているのだなぁ、と更めて思った次第である。
しかし、連休中にTVで見掛けたこのニュースだけは見過ごしには出来ないだろう。
児童ポルノ閲覧遮断、接続業者に自主規制要請へ
【ワシントン=古川肇】インターネット上に氾濫(はんらん)する児童ポルノ対策として、政府はプロバイダー(ネット接続業者)など関連業者に対し、有害サイトの閲覧を強制的に遮断する「ブロッキング」の実施などの自主規制を求める方針を固めた。
ワシントンを訪問中の原口総務相が2日夜(日本時間3日午前)、同行記者団に明らかにした。
全閣僚による犯罪対策閣僚会議(主宰・鳩山首相)を来月中に開いて、ブロッキングを含む包括的な児童ポルノ対策を策定し、今年度中にブロッキングを実施することを目指す。
総務省は今月中旬にもブロッキングの法的課題を整理し、警察庁が違法性などを考慮して関連業者からのヒアリングも踏まえてブロッキングの対象とすべき有害サイトの基準とリストをまとめる。政府はこうした取り組みを踏まえ、業者側に自主規制の実施指針の策定を求める考えだ。
政府はこれまで、ブロッキングのあり方について、「児童ポルノ排除対策ワーキングチーム」(議長・大島敦内閣府副大臣)で検討してきた。警察庁が「業者の社会的責任」を理由に幅広くブロッキングを行うべきだとの立場なのに対し、総務省は「通信の秘密を侵しかねない」との理由から、「緊急避難措置」として例外的に行うべきだと主張するなど見解が分かれていた。
(2010年5月4日03時07分 読売新聞)
表題に掲げた通り、オレが引っ懸かったのは「インターネット上に氾濫(はんらん)する児童ポルノ」と謂う一条である。児童ポルノカテゴリのエントリで何度か触れたように、日本における「児童ポルノ」と謂う概念は曖昧すぎて、何でも児童ポルノだと言えば言えてしまうのだが、狭義の「児童ポルノ」と謂う定義で謂えば「インターネット上に児童ポルノが氾濫している」などとは到底言えないはずである。
この表現の問題点は、先般の児ポ法改正で問題になった定義問題を一切踏まえずに、それらしいものを一括りにして「児童ポルノ」扱いしていると謂う部分にある。この記事の認識では、現在議論されている「非実在青少年」に関する性的表現もおそらく暗黙裏に「児童ポルノ」の数に算えられていると思える。
では、一般に「ネット上で流通している児童ポルノ」と目されるものとは何かから考えていこう。
第一に、過去に「児童ポルノ」と認定された写真集などのスキャン画像やビデオ映像の動画が考えられる。これは、その認定の是非はこの際措くとして、法的な意味ではたしかに「児童ポルノ」と見做し得る要件を具えている。これらは鉄板ガチガチの法的規制対象であるのだから、普通に閲覧可能な形では流通していないし、サイトで掲示すれば速効で削除されたり手が後ろに回ったりするのだが、ファイル共有ソフトなどを通じて未だにネット上を流通しているようである。
第二に、過去であると現在であるとを問わず、未成年者の下着姿や裸体、着替えや排泄行為、甚だしきは自慰行為や性行為などを撮影した画像や動画が考えられるが、おそらく警視庁が「児童ポルノ」と認識している主な対象はこれだろう。これも、画像掲示板などを通じて活発に流通していると視られるだろうし、一旦ネットの海に放流してしまえば決してそれを「なかったこと」には出来ない。
第三に、昨今議論されている「非実在青少年」を扱った性的表現物も世間的な見方では「所謂児童ポルノ」に含まれるのではないかと思う。これも、実在のモデルが必要なく絵心があってソフトウェアの操作が出来れば一人でも作成可能なので、申し訳ばかりのモザイク処理を施しただけで幾らでもネットに画像や動画が転がっている。
ならば、結局これらの「所謂児童ポルノ」はネット上に「氾濫」してるじゃないか、こう謂う現状をして「インターネット上に氾濫する児童ポルノ」と表現して何が悪いと謂うのか、そう謂う疑問はあり得るだろう。
しかし、上でおおまかに三つに分類した「所謂児童ポルノ」のうち、敢えて「児童ポルノ」と表現する必要があるのは第一の分類と第二の分類の極一部だけである。
かねてより論じているように、芸術的表現物として流通した写真集や映像を「児童ポルノ」と規定して違法化することが、本当に被写体となった未成年者について「被害者救済」と謂う目的性に合致した対応であったのかと謂うことには疑問が残る。
たとえば数々の賞歴を持つ写真家が正式に保護者に申し入れて実現した少女ヌード写真集を、汚らしい「児童ポルノ」と謂うレッテルを貼って違法化することは、それらの表現物が将来的にアートとして正当に評価される文化的風潮が一般化するだろうと謂う予想を持って撮影を承諾した被写体を本当の意味で「救済」することになるのかどうか、これは甚だ疑問である…と謂うか、これらのアート写真集に限って謂えば、児ポ法が生まれた瞬間に被害児童が発生したのだとオレは考えている。
ましてや「こどもポルノ」などと謂う万能のカテゴライズで子供の映っている画像や動画をすべて規制しようと企んでいる輩は、「ポルノ」と謂うカテゴライズが制作者よりも寧ろ被写体をもっと痍附けるのだと謂うこと、翻って謂えば己の犯罪的な無神経さにそろそろ気附け。そして反省しろ。絶対しないだろうけどな(笑)。
結局これまでの児ポ法の動きは、「子供の裸を見たがるなんていやらしい」と謂う旧弊な価値観が尤もらしい口実を得て権力を発動しただけだろうとオレは視ている。この見解について何らかのご意見をくださる場合は、お手数だが左のカテゴリ一覧から「児童ポルノ」を選択して関連のエントリを一読戴いてからにして戴きたい。
とまれ、悪法も法である以上、定義上第一の分類は法的な意味で「児童ポルノ」であるから、これは「児童ポルノ」と表現して一向差し支えない。
ならば第二の分類はどうかと謂うと、これは意図的に分け隔てなく分類したのだが、たとえば小学生女子が公園の遊具で遊んでいて下着が見えているところを撮影したと謂う例と、未成年者が着替えや排泄行為をしている場面をこっそり撮影したと謂う例と、未成年者が家庭内で成人男性から性的虐待を受けている場面が撮影されたと謂う例と、女子中高生がカネを貰ってラブホテルで自慰行為やセックスをしている場面を撮影させたと謂う例は、それぞれ意味合いが全然違う。
にも関わらず、対象が未成年者である場合はこれらすべてが「児童ポルノ」として雑駁に括られてしまう。上記の例のうち、「未成年者」であることが違法行為を構成する要件としてマストであるのは、最後に挙げた女子中高生の事例だけである。
何故なら、この事例だけ性的な事柄に関する未成年者の未熟な判断力や責任能力と謂う年齢要件が問題になるからであって、未熟さ故の自らの愚かさから当人を護ると謂う青少年保護の観点から意味があるからである。
しかし、その他の事例に関しては当人の判断力や責任能力の未熟さは一切関係ないわけで、年齢は違法性を構成する要件とは無関係であるが、幼弱者であることで被害の程度が重いと考えることが可能だと謂うことである。
成人女性であっても、意図せぬ状況で下着が露出した瞬間を無断で撮影したり、着替えや排泄行為を盗撮したり、男性から性的暴力を受けている場面を撮影すれば、これは議論の余地なく違法行為である。
未成年者の薄弱な自己防衛能力を考えれば、DVをオミットしたことには異論があるかもしれないが、立場の弱い相手に暴力的に性行為を強要し剰えそれを撮影すると謂うのは、「児童ポルノ」と謂う便宜的なカテゴライズに収まらない普遍的な犯罪行為なのだから、敢えて狭いカテゴリに押し込めて矮小化するには当たらない。
正面から「卑劣な性暴力」として告発すれば済む話であり、対象が未成年者である場合に法的責任を加重すると謂う考え方はあり得るだろうが、違法行為を規定する概念として「児童ポルノ」なる摩訶不思議なカテゴライズを設ける必要はさらさらない。
では、最後の分類はどうかと謂えば、「児童ポルノ」と謂う概念が青少年保護を目的としたものである以上、現実の被写体が存在しない表現物について「児童ポルノ」と謂う定義を適用することはナンセンスである。何度も論じてきたように、これは性的妄想の表現物がそっくりそのままの犯罪行為を助長すると謂う根拠のない主張に基づく性道徳の強要に過ぎない。
俗に謂う「割れ窓理論」と謂うものだが、これは直感レベルで偏った主張であるばかりではなく、統計的にも何ら裏付けがない。もっと謂えば「割れ窓理論」に統計的裏付けがないと謂うだけではなく、「割れ窓理論」が間違っていることに統計的な裏付けがあると謂うレベルで間違っている。
したがって、「児童ポルノ」の取締についての「被害者救済から犯罪予防へ」「個人法益から社会法益へ」と謂うような議論には何ら具体的根拠がない。ふんわりした印象論に過ぎないわけで、そんなもので刑罰を伴う取締を勝手に決められては堪ったものではないだろう。犯罪予防や社会法益を云々するのであれば、飽くまでその取締の有効性を支持する積極的エビデンスを示して根拠を明示すべきである。
誤解のないように言い添えておくと、前掲記事で報じられている「プロバイダに自主規制(ブロッキング)を要請」と謂う骨子については、またこれは別次元の問題になるので今回は論じないことにする。上記のような「所謂児童ポルノ」を掲載するサイトについてブロッキングを行うことの是非を論じる用意は、今回はない。
オレ個人の考えとしては、第一の分類と第二の分類については違法であることが明白であるから、何らかの対策が必要だろうと考える。
心情的には第一の事例については違法性そのものに疑問があるのだが、日本が法治国家である以上、過去に違法と認定された表現物の流通を黙過出来ないと謂う主張には同意せざるを得ない。
第二の分類については、議論の余地がない。就中未成年者の性行為を撮影すると謂う行為は、本人の同意があろうがなかろうが明白な犯罪であるから、犯罪の成果物の流通は積極的に阻止するのが当然である。また、それ以外の事例についても、これは基本的に本人や保護者の同意を得ない盗撮であるからやはり犯罪の成果物である。これが一旦電子化されネットで流通したら最後、本人の蒙った不利益を回復する方法はないのであるから、この流通を取り締まることにも根拠がある。
第三の事例については、単純に猥褻性と公序良俗の兼ね合いの問題ではないかとオレなんかは考えるので、これに未成年者とか非実在青少年とか年齢的な要件を無理矢理付会するから話がややこしくなるのだと考えている。
被写体即ち被害者の存在しない二次元エロの問題については、性行為の直接的描写やアブノーマルな性的表現をネットと謂う公共の場で公開することの是非に絞って論じれば好いだけのことで、そこで「対象が未成年者に見えるかどうか」と謂う本来無関係な要件を問うことには意味がないし、それが寧ろ個々人の性的嗜好そのものを断罪すると謂う余計な権利侵害を伴うことになる。
とまれ、上述の三つに分類される「所謂児童ポルノ」の画像や動画のネット上の流通に何らかの規制が必要なことはたしかであるが、それがプロバイダの自主規制と謂う形で好いかどうかについては現時点では論じる用意がない、そう謂うことである。
まあ、今回こう謂う話が出たのは、原口総務相がアメリカでFCC委員長と話し合った包括的な情報通信関連の協調政策の一環と謂うことになるわけで、それまでブロッキングには難色を示していた原口総務相が一転して同意したについては、恐らくアメリカ側の強い要請があったからだろうと考えられる。
であれば、アメリカ側が規制を要求している「児童ポルノ」と謂うのは、実は日本で取り沙汰されている「所謂児童ポルノ」とは大分ズレがあると推測されるわけで、これまでにも論じてきたが、要するにアメリカ側の認識で「児童ポルノ」と目されるのは、上記三つの分類の中では、未成年者によって演じられる性行為を撮影した表現物のことだけだろうと思われる。
もっと謂えば、これに未成年者に扮装した成人の女優による性的表現物も含まれるわけで、であるから、現実問題としてアメリカ側が規制して欲しいと考えている「児童ポルノ」の主要対象とは、日本国内で「児童ポルノ」と認識されていない「制服物のAV」だったりするのではないかとオレは視ている。
グローバルスタンダードにおいて「児童ポルノ」と見做し得るのは、未成年者による自慰行為や性行為、もしくはそれを連想させる姿態を取らせたものと規定されているわけで、日本の「所謂児童ポルノ」の中でそれに合致するのは本物の未成年者によって演じられる違法AVだけである。
実際、日本の「所謂児童ポルノ」の大半は日本以外の先進国では「児童ポルノ」とは目されていないわけで、日本における「所謂児童ポルノ」に対する規制は日本独自のイビツなものであり、この間の事情については繰り返し語ってきた通りである。
グローバルスタンダードに則れば、本物の未成年者によって演じられる性行為や類似の行為を撮影した表現物だけを取り締まれば足りる話なのであるが、国際的な観点におけるネット問題として考えた場合、これに「未成年者に見える対象」を撮影した表現物も絡んでくると謂うのはすでに論じた通りである。
つまり、日本では「児童ポルノ」と目されていない成人女性によって演じられる「制服物のAV」がネットを介して海外に流出した場合、それが未成年者によって演じられている本物の「児童ポルノ」なのか成人によって演じられている単なるコスプレなのか、海外の捜査当局には立証困難である。成人女性が演じていても、そこそこ本物の女子中高生に見えないこともない童顔の女優が演じるわけであるから、欧米人の目には本物の未成年者に見えるだろう。
そうすると、一旦国外に流出して女優の身元確認が困難になれば、それは実質的な意味では「児童ポルノ」と見分けが附かない(実体的にはほぼ同一の)表現物となってしまうわけで、これは現地当局にとっては大変不都合なわけである。
これは理詰めで考えると複雑な問題を抱えているわけで、「児童ポルノ」を構成する要件が対象の年齢である以上、外見上成人女性に見えても事実において未成年である対象の性行為を撮影したものは「児童ポルノ」でなければならないが、ならば外見上未成年者にしか見えない成人女性の性行為を撮影したものは決して「児童ポルノ」ではない。
しかし、これを受け手の嗜好の面で考えれば、外見上成人女性に見える女性の性行為を観たいと欲する欲望は決して小児性愛ではないが、外見上未成年者にしか見えない女性の性行為を観たいと欲する欲望は小児性愛と言えるだろう。
もし「児童ポルノ」と謂う概念によって裁かれるのが受け手の性的嗜好であるなら、外見上成人女性に見える女性を撮影したものは、対象の年齢如何によらず裁かれるべきではないだろうし、外見上未成年者に見える女性を撮影したものは、対象の年齢如何によらず裁かれるべきだと謂うことになる。
しかし、そうすると成人後も外見が未成年者にしか見えない女性を性愛の対象と視ること一般が犯罪的な性的嗜好だと謂うことなってしまうわけで、そう謂う女性は死ぬまで異性から性愛の対象として視て貰えないのが健全な社会だと謂うことになる。そしてそれは、当人が「外見上成人女性に見えるか見えないか」と謂う窮めてあやふやな印象論によって決定されると謂うことになる。
端的に謂って、これは人権問題である。
であるから、これは理詰めの筋論で考えてはいけない問題で、「児童ポルノ」と謂う概念それ自体が理詰めの筋論から生まれたものではなく、社会秩序維持の観点から案出された実践的な取締論でしかないのであるから、対象の実年齢と謂う客観的要件がマストなのであり、対象が外見上どう見えるかと謂うことはこの際関係ないし、受け手の性的嗜好とも実は無関係なのであって、「児童ポルノ」と謂う概念に「被害児童救済」と謂う実践的な目的性を超えて性的嗜好そのものを裁くと謂う目的性を付会することは最初から無理筋なのである。
であるから、たとえばアメリカ側が日本側に「制服物のAVも流されては困る」と要望したとすれば、それは筋論ではなく取締の都合論でしかない。事実においてそれは「児童ポルノ」ではなく、「児童ポルノと見分けが附かない表現物」でしかないわけで、筋論から謂えば「見分けが附かないから同一のもの」と謂う理屈には決してならないはずである。
本来なら、それが海外から流入した表現物でも、対象の実年齢を確認してから「児童ポルノ」であるかないかを決定するのが筋であるが、それは現実問題として大変困難であり可能だとしても非効率的で、取締の実践上大変面倒な問題になる、だから最初から流さないで欲しい、と謂うのが本音のところだろうから、何処まで行っても現実的な都合論でしかないわけである。
この間の事情を整理して謂うなら、アメリカ側が日本側に要求しているのは「児童ポルノ」の規制ではなく、アメリカ国内における「児童ポルノ」取締に不都合な表現物の規制であると考えられるわけで、それが日本国内においては「児童ポルノ取締を要求する外圧」として受け取られる。
そうすると、「先進国が日本に取締を要求している」と謂う名分の下に「少女アイドルのグラビア」とか二次元エロの取締が声高に叫ばれると謂う流れになるわけで、彼我の認識のズレの故に、外国の都合論に乗っかって国内ローカルな性道徳の圧し附けが促進されると謂う寸法である。これが本来の意味での青少年保護の目的性にとって意味があるかどうかは論じるまでもないだろう。
なので、こう謂う話題が出た場合に、たとえば「ネットでは信じられないような猥褻なCGが氾濫していて、それが海外に流出することで国際的にも顰蹙を買っている」と謂うような話をする輩の言うことは決して真に受けてはいけない。それは本来「児童ポルノ」とは関係のない話だからで、それとこれとをごっちゃにして考えるから話がややこしくなるのである。
本来は何もややこしいことはないわけで、国際的な共通認識として「児童ポルノ」と謂うのは「実在の未成年者による性行為や類似の行為を撮影した図画」のことであって、それ以外のものは「児童ポルノ」ではない。裸や下着姿が即「ポルノ」だなどと謂う幼稚な認識をしているのは日本の一部圧力団体のみである。
また、ネットに溢れる行きすぎた二次元エロを規制したいと謂う動機それ自体はそれほど間違ったものではないが、それを「児童ポルノ」と謂う特定概念に付会することからすべての間違いは生じてくる。二次元エロに公序良俗上の問題があるとすれば、それは性行為や性器描写などに誇張された猥褻性があるからであり、それがネットと謂う子供でもアクセス可能な公開の場に掲示されることの妥当性の問題であって、未成年者と見える対象を描いているからではない。
だとすれば、現在ネットで流通している二次元エロに青少年に対する悪影響があるとしても、猥褻性の観点から明確な「違法性」がないのであれば、それはゾーニングの問題になるのが筋であって、「児童ポルノ」の問題にこじつけて一律規制しようと謂うのが無理筋なのである。
久々に長々と理屈を捏ねたが(笑)、結局諸悪の根源は安直なカテゴライズの拡大解釈にあるわけで、「どうやら国際的に児童ポルノ規制の動きがあるらしい」と謂う風潮に便乗して、あれもこれも好ましからざるものをすべて「児童ポルノ」と謂う便利な「何でも箱」に押し込めて一挙に弾圧しようと謂う姿勢が好くないわけである。
繰り返しになるが、日本で謂う「所謂児童ポルノ」の大半は元々の定義から謂えば「児童ポルノ」でも何でもないのだし、国際的に迷惑がられているのは、その辺のお父さんがカミさんや家族に隠れてこっそり観ている「制服物のAV(未成年であると成人であるとを問わず)」だったりするわけで、二次元エロが国際的に顰蹙を買っているとしたら、それは単に子供向けではない表現物が堂々と表舞台で流通しているからであって、「児童ポルノ」だからではない。
少女のパンチラや着替えを撮影した画像や動画が違法なのは、それが児童の警戒心の薄さに附け込んだ悪質な盗撮だからであって「児童ポルノ」だからではない。家庭内の性的虐待を撮影した画像や動画が違法なのは、それが弱者に対する悪質な性暴力だからであって「児童ポルノ」だからではないが、結果的にそれは「児童ポルノ」の定義に当てはまると謂うだけである。
幼弱者を悪質な盗撮や性暴力から防衛しなければならないと謂うのは当たり前の社会の責務であるが、その役割を何でもかんでも「児童ポルノ」と謂う特定の目的の為に設定された特定の概念に担わせようとするから歯車が狂ってくる。
嘘だと思うなら、「所謂児童ポルノ」とされている種々の表現物について、一旦「児童ポルノ」と謂う安直な先入観を外して視れば好い。本質的な問題点は「撮影されている対象が未成年であるかどうか」とは無関係であることに気附くだろう。
しつこく強調しておくが、「児童ポルノ」と謂う概念は、本来「児童の性的な肉体を撮影した表現物」ではなく飽くまで「児童の性的な行為を撮影した表現物」に適用される概念であり、この両者の違いを無視するから、それこそ「子供が映っていれば何でも児童ポルノ」と謂うカテゴライズの紊乱が起こるのである。
先般の枝野VS葉梨の討論でも、この点が共通認識となっていないから定義問題について紛糾するのであって、最もデリケートな性器の表現についても、「性器を殊更に強調する」即ち「児童が自ら強調している(させられている)」乃至「撮影の狙いがそこにある」場合には、それを「性的な行為」と見做し得るからこそ「児童ポルノ」の要件に抵触してくるのであって、「性器が写っている」と謂うことそれ自体はそれが人間の肉体である以上自然なことであると考えれば、さほど弁別に不自由しないはずである。
それを、「対象となる表現物に対して下半身が反応したか否か」と謂う主観的な要件で判断しようとするから、そんな受け手次第で幾らでも変わる基準で客観的に判断することは不可能だと謂う話にしかならないわけである。
であるから、最終的な結論はこうなる。
事実として「インターネットに児童ポルノが氾濫」してなどはいない。ネット上にある好ましからざるものに何でも「児童ポルノ」のレッテルを貼って同列に見做すから「氾濫」しているように見えるだけである。
おそらくそれらの「好ましからざるもの」の流通に対して何らかの手を打つ必要自体はあるのだろうが、それらを「児童ポルノ」と謂う不適切な括りで同一視し、「児童ポルノ」と謂う概念に象徴される「弱者保護」の錦旗を楯にして、完全に抹殺しようとするから無用な混乱や権利侵害が起こるのである。
その意味で、マスコミが不用意に「インターネットに氾濫する児童ポルノ」などと謂う粗雑な決まり文句を濫用することには警戒が必要である。
| 固定リンク
« 最近聴いた怖い話 | トップページ | 加農法 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント