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2010年8月18日 (水曜日)

現代に生きる呪術をみた(笑)

…いや、ネタなんだけど(笑)。

これは、poohさんのところのコメント欄で呪術の話をちょっとした際に、脊髄反射的に思い附いたネタである。

先日TVでニュースを観ていたら…と謂う前フリをもう何百回使ったのだろうかと考えると、オレにはTVしか情報のチャネルがないのかと情けなくなるが(笑)、高校野球の埋め草ニュースで、どこだかの高校の投手(たしか興南の島袋投手の話だったと思うが記憶が曖昧)に対する応援で選手が投球する度にスタンドから大袈裟な身振りで念力を送るカンカン帽のアヤシゲなオッサンを紹介していたんだが、別に腹を立てるようなことでもないのに、観ていて若干イラッとした。

これが記憶通り興南高校の話だったら、応援している連中は呪術がまだ生きている沖縄の人々だろうから仕方がないが、このオッサンが念力を送ろうが送るまいが、選手の実力や勝負勘は選手自身が辛い練習の積み重ねで自力で獲得したもので、別段このオッサンの念力と投球の間に何の関係もないことは更めて断るまでもない。

投球が上手くいけば「自分の念の力だ」と謂い、上手く行かなければ「自分の念が通じなかった」と謂うのは、まさしく実体的な現実世界の在り様に合わせて、自らがそれを操っているかのように振る舞う呪術の原理そのものである。

まあ、高校野球の応援の仕方にまでケチを附けるわけではないが(笑)、近年ではこの原理がろくでもない形でしか使われていないので、本来ならお国柄の一端が表れた微笑ましい一場面に過ぎないことにまで自動的に不快感を覚えてしまう。

つまり、いけしゃあしゃあと「琵琶湖の水が浄化されたのは自分たちの祈りの力だ」とか言い出す薄汚いフリーライダーたちを直ちに連想してしまうので、どうも最近はこの種のソボクな呪術に対しても抵抗を感じてしまうのである。洒落になるかならないかの違いだけで理屈は同じだからであって、基本的に呪術の原理と謂うのは、他人の手柄や偶然の賜物の恩恵を口先の理屈やそれらしい身振りで横取りする原理だからである。

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コメント

その、最後の段落のような例でしたら、いろいろ存じておりますが、私の場合、知ったらすぐに水ヲチ掲示板にあげちゃう習性がありますので、現在パッとした手持ちを切らしております。

とりあえず、「純石鹸」で検索なさったら(イラッ)^2を味わえますし、「EM」でしたら当然((イラッ)^2)^2を楽しめます。

投稿: mimon | 2010年8月20日 (金曜日) 午後 10時58分

>mimon さん

>>とりあえず、「純石鹸」で検索なさったら(イラッ)^2を味わえますし、「EM」でしたら当然((イラッ)^2)^2を楽しめます。

多少涼しくなったとは言え、この糞暑い最中に我から苛々のタネを求めるほどオレも酔狂ではありませんので、検索を控えたいと思います(笑)。つか、多少の事情は聞き識っているだけに、少しだけイラッとしました(笑)。

そう謂う連中は煙管ですらない薩摩守なのですね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月20日 (金曜日) 午後 11時31分

>黒猫亭さん、
>>そう謂う連中は煙管ですらない薩摩守なのですね

薩摩守は、通じましたけれども、「どうして煙管?」というわけで、Google先生に聞いてみましたら、喫煙具の方でしたか。そういえば、そんな当て字をするのでしたね。私は、ボイラの設計などをしていましたから、そのまま煙管(えんかん)と読んでしまいました。
あの喫煙具は、「キキョウ」がまだ売られていたころですから、もう30年も前になりますでしょうか、少々玩んだことがあります。

そういえば、平家物語巻第七なんて、高校の教科書でしか読んだことがありません。ああいった古典は、若い間に読まないと、なかなか読む機会がありませんね。定年退職したあとの楽しみにしようかと思います。
当方、神戸在住ですので、その辺にナントカ塚とか、いろいろあります。

投稿: mimon | 2010年8月21日 (土曜日) 午前 07時59分

>mimon さん

>>私は、ボイラの設計などをしていましたから、そのまま煙管(えんかん)と読んでしまいました。

キセルは一時代においては代表的な煙管でしたから「煙管」と書くのですよ(笑)。

「キセル」や「薩摩守」はどちらも乗り物絡みの隠語ですが、俗流の地口としては古雅な部類ですね。まあ、今やキセルがどんな構造をしているのか、薩摩守ってのは誰のことなのかを識っている人間が少なくなりましたから、とっくに死語の部類になりつつありますが。

>>そういえば、平家物語巻第七なんて、高校の教科書でしか読んだことがありません。ああいった古典は、若い間に読まないと、なかなか読む機会がありませんね。定年退職したあとの楽しみにしようかと思います。

オレは若くてヒマを持て余していた頃は結構古典を読みましたが、専ら洋物ばかり読んでいて平家物語は読みませんでしたねぇ。古典の素養に類する知識と謂えば、まだまだ明治大正くらいまでは芝居や講釈を通じてそれらの素養が庶民の生活に活きていましたので、その辺からの間接的な吸収ですね。

何処かへ何かを見物しに行って一渡り見て回った後には、ついつい「見るべき程の事をば見つ」とか間違った用法の引用が口を衝いて出てしまったりしますが(笑)、勿論その後碇を担いで入水したりはしません(笑)。これなども、原典直接ではなく芝居や浄瑠璃の「碇知盛」のさらに間接的な言及を通じて入ってきたフレーズですね。

>>当方、神戸在住ですので、その辺にナントカ塚とか、いろいろあります。

こっちは埼玉在住ですが、高脂血症の運動療法で歩き回る先を検討する過程でご近所にしょっぱい史跡が結構あることを識りまして(笑)、ヒマがあると見て回っております。行ってみると何と謂うこともないんですが(笑)、どんな土地にも歴史があると謂うのが実感出来てなかなか好いものですよ。

神戸でしたら見て回るところに事欠かないでしょうから、老後の運動も兼ねて廻ると謂うのも好い趣味なんじゃないかと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月21日 (土曜日) 午前 11時42分

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