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2010年8月13日 (金曜日)

「科学で解明されていない」と謂う嘘

前回のエントリの繋がり上の話であるが、ホメオパシーについて「科学的な根拠はよくわかっていない」とか「科学ではまだ解明されていない」と表現すると完全に嘘になると謂うことは、もっと広く周知されるべきなのかもしれない。少なくともこの件に関するオレの個人的な関心の重点は、マスメディアの情報提供の部分にある。

たくさんの方々の議論ですでに何度も指摘されていることであるが、ホメオパシーの原理的な出発点となったハーネマンのアイディア自体は自然科学の歴史の中ですでに検証された上で否定されているのだし、ホメジャが提唱しているような「水に物質の特性を転写」と謂うようなお定まりの理屈は、水伝やEMやその他の水商売一般にも共通する単なる筋の悪いオカルトであって、科学的にはやはり否定されている。

原理が否定されているだけではなく、効果もまた科学的な検証によって否定されているわけであるから、自然科学に基づく限り、ホメオパシーと謂うのはすでに完全に解明済みで、その結果「一切妥当性なし」として放棄されたアイディアである。

「科学で解明されていない」とか「よくわかっていない」どころの話ではなく、科学的には完全に解明済みで否定されているわけである。勿論、自然科学に「絶対」はないのであるが、ホメオパシーがどの程度の「確からしさ」で否定されているかと謂えば「ホメオパシーに効果があるのであれば、自然科学全般の原理原則がすべて間違っていることになる」レベルで否定されているわけである。

自然科学全般の原理原則の妥当性を担保する仕組みに照らして検証した結果、原理も効果も完全に否定されたのだから、「それでもホメオパシーは効くんだ」と主張することは、その仕組み全体を否定することになるわけである。

百万年待ったところで「いつか科学的に証明される」ことなんてあり得ない。それはもうとっくにケリが附いて終わった話なのである。

であるから、ホメオパシーに効果があると主張することは、基本的に「魔法で箒を飛ばすことが出来る」と主張しているのと同レベルでオカルトであって、少なくとも自然科学でだけは絶対にない。

ホメオパスと謂うのは、客観的な規範によってすでに完全に妥当性を否定された原理や効果を無根拠に信じ、その客観的根拠を欠く原理で組み上げられた技術体系を習得しているのであるから、基本的には「出来の悪い魔法使い」のようなもので、虚構の物語世界を生きる存在である。

ただ、ホメオパシーをオカルトや魔法呼ばわりすると、おそらくpoohさんがオブジェクションを表明されるだろうと思うので(笑)、オカルトではあっても「筋の悪い稚拙なオカルト」と謂う但し書きを附けておく。

であるから、たとえばオレが「ホメオパスでもある助産師は基本的に信用出来ない」と言うのは、現代医学に基づく専門技術職であるべき職業者が魔法やオカルトをガチで信じていたら、そんな技術者は絶対に信用出来ないからである。

たとえばですね、飛行機のエンジニアが如何に機体整備の手順をちゃんと習得しているとしても、「飛行機が飛ぶ原理は魔法だ」とガチで信じていたら、そんなエンジニアの整備した飛行機に、あなた乗れますか?

この場合、整備手順をキチンと習得しているかどうかと謂うのはそんなに大きな違いではない。肝心なことは、このエンジニアは飛行機が魔法で飛んでいると確信しているのであるから、航空力学をまったく信用していないわけで、どちらも信じていると謂うことは普通の人間の思考法ならあり得ない、と謂うことである。

魔法と航空力学は原理的に相互排除的な関係にあるからであり、しかもこのエンジニアが確信している魔法には客観的な根拠が担保されていない、つまり、妥当性や確実性をシビアに要求される職域において「間違ったほうを選択している」わけで、そこが本質的な問題である。

相互排除的な関係にある二つの原理原則のうち「間違ったほう」を選択した者は、如何に常日頃形骸的に「間違っていないほう」の手順を護っていても、独自判断を迫られる場面ではいつか必ず「間違ったほう」に基づいた行動を選択する、これは当然である。

おそらくこのエンジニアは、独自判断を迫られるようなギリギリの場面では、航空力学の知見ではなく魔法のポーションに頼るだろう。そして、彼が何時如何なる場面でそのような判断を下すかは本人にしかわからない、そのような深刻な不確実性を具えているから信用出来ないわけである。

この喩えが助産師とホメオパシーの関係にも適用可能なのは、敢えて説明するまでもないだろうと思う。われわれが助産師を技術職として信用出来るのは、その職業的実践が現代医学や自然科学に裏打ちされているだろうと期待するからであるにも関わらず、助産師がホメオパシーと謂う稚拙な魔法を信じてそれを職業的に実践しているのだとしたら、それは重大な裏切り行為である。

少なくともオレは、魔法のポーションの効果を真顔で信じられる医療技術者は絶対に信用出来ない。如何に助産師が医師ではないからと謂って、その医療否定への一本道へ続く「迷信」は剰りに蒙昧過ぎるだろう。すでに「自然な免疫力」と謂う弱者切り捨ての暴論を標榜している時点で医療否定に大きく一歩を踏み出している。

であるから、ホメオパシーに関してマスコミが変な保険を打って「科学的な根拠はよくわかっていない」とか「科学ではまだ解明されていない」と表現することは、たとえば山口の事件の本質的な問題点を糊塗することになるわけで、ハッキリ魔法やオカルトだと判明していることをそうでないかのように誤認させることは、この種の事件の蔓延を推奨するのも同然である。

キチンと取材した上で、言えると確信出来ることはハッキリ表現しなければダメだ。

言えるのに言わないのは嘘を吐くことと何処も変わりはしないのだし、嘘を積極的に流布することと同じである。

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コメント

こんにちは。

そろそろ刺客を放たれているかもしれないうさぎ林檎です(笑…笑い事じゃないか)。

いやーオルガノンは大変ですた、(退屈で)半分ぐらいしか読んでいなかったのですが朝日の一連の報道が始まって慌てて読破しました。
きくち先生が英語版をお読みになっていて「読みづらい・・・」と零されたのには笑ってしまいました。私は(当然)日本語訳を読みましたが、これを英語でと想像したら、大学1回生の第2外国語授業でヴィトゲンシュタインをドイツ語で読まされたことを思い出しました(あの先生何を考えていたんだろう)……無理!絶対無理!。
手持ちのカードが多い方が良いだろう位のつもりでしたが、"オルガノン読んでるからね"は結果的に色々便利だった気がします。

ホメオパシーをハーネマン自身は科学だと考えていたし当時は勿論科学だったわけで、現代の人に「あぁ類感呪術ね」と謂われていると知ったら、憤死されてしまう気がします。
「元物質を"ほとんど数で表示できないほどに微細な粒子"に希釈して毒性を除去し、"非物質的な、目に見えない、精神のような、純粋で固有なエネルギー"を振盪によって活性化」したものがハーネマンのレメディーで、この前提が成立しなくなったからって
>ホメジャが提唱しているような「水に物質の特性を転写」
なんてのは生半可に科学っぽく見せようとしている分、ハーネマンを冒涜していて失礼です。大体、ハーネマンは"レメディーが自然治癒力を高める"なんて書いてないぞーーー。

日本助産師会はこのままだとガチでヤバイ気がします、機関誌に"今この"タイミングで
>『医療の代わり』にではなく、『健康を増進するもの』としてケアに
>取り入れることができれば、ホメオパシーはなかなかいいものだと
>思います。
なんてホメオパス助産師が書いたものを平然と載せちゃうとこが……世間知らずと謂うか何と謂うか、誰かいないんですかねぇ、現状認識ができるスタッフ。
個人的には助産師さんというか産科に特化した看護スタッフの存在は重要だと思うんですケドねぇ。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年8月13日 (金曜日) 午後 02時35分

>うさぎ林檎さん

>>そろそろ刺客を放たれているかもしれないうさぎ林檎です(笑…笑い事じゃないか)。

たしかに、そろそろ身辺に「誰やらの知人」とか名乗る匿名の人物から圧力が掛かりそうな具合ですな(笑)。

まあ、本拠地を持っておられないうさぎ林檎さんの書き込みを全部調べて、書き込み先のブロガーを全部脅して廻ったら、「例の一件」で「自分が当事者だったら唯じゃあ措かないぞ」と手ぐすねを引いて待っている強面のお歴々がたくさんおられますので、大変なことになると思いますが(笑)。

この際ですからapj さんのブログに集中的に書き込んでおくと、apj さんご自身が係争当事者として法廷闘争に持ち込めて、上手くすればその「誰やら」自身を表に引っ張り出せるかも、と謂うことで、お互いにウィン・ウィンなんではないかと思ったり思わなかったり…いや、これは無責任な軽口が過ぎました。

>>きくち先生が英語版をお読みになっていて「読みづらい・・・」と零されたのには笑ってしまいました。私は(当然)日本語訳を読みましたが、これを英語でと想像したら、大学1回生の第2外国語授業でヴィトゲンシュタインをドイツ語で読まされたことを思い出しました(

オルガノンの刊行は西暦一八一〇年と謂いますので、日本で謂えば江戸時代の文化文政の頃の文章で、たとえば山東京伝とか杉田玄白の文章を今の時代の人が読むようなものですから、そもそも現代とは文章構築のセンスからして違うわけで、翻訳でも読みにくいのは当たり前ですよね。

一九世紀くらいの小説でもかなり読みにくい文章がたくさんあります。オレの経験で謂えば、ウィリアム・H・ホジソンとかH・P・ラヴクラフトとか、あの辺の文章は翻訳でも読みにくいことこの上なかったですね(笑)。

また、ドイツ語のわかりにくさってのはまた格別ですね。オレが目にしたことのあるドイツ語の文章と謂えば、クラシック音楽の声楽曲くらいですが、ワグナーの楽劇の歌詞なんて、なんで切ない恋心を訴えるテノールのアリアでそんな回りくどいごつごつした言い廻しをしなければならないのか理解に苦しみましたから(笑)。

たとえば、「ニーベルングの指環」第二夜「ジークフリート」大詰めの二重唱はこんな具合の歌詞です。

>>私はジークフリートという星の許で生きて行きます。
>>ジークフリートは私にとって永遠であり
>>宝であり、私自身であり
>>唯一にしてすべてです。
>>彼は輝く愛であり、微笑む死です。

>>ブリュンヒルデの星が私に輝く。
>>ブリュンヒルデは私にとって永遠であり
>>宝であり、私自身であり
>>唯一にしてすべてである。
>>彼女は輝く愛であり、微笑む死である。

…ロマンチックですなぁ(笑)。実際にドイツ語の朗唱で聴くと、それなりに独特の味わいがあるんですが、こんな言葉で甘い恋を語る人種の気が知れません。

>>ホメオパシーをハーネマン自身は科学だと考えていたし当時は勿論科学だったわけで、現代の人に「あぁ類感呪術ね」と謂われていると知ったら、憤死されてしまう気がします。

科学史の大通りの側溝にはチャーミングな仮説の死屍累々ですからなぁ。

ハーネマンの「同種療法」の着想自体は、類感呪術的な照応のロジックを科学的な言語で再話するものとしてオカルティズムの文脈では大変魅力的なんですが、どんなに麗しく魅力的な仮説でも、一旦所定の手続において検証され否定されたら、実学としては完全に無価値な「面白い物語」に過ぎなくなると謂うのは、自然科学の学究ならば誰でも納得して引き受けているべき心得ではありますね。

>>「元物質を"ほとんど数で表示できないほどに微細な粒子"に希釈して毒性を除去し、"非物質的な、目に見えない、精神のような、純粋で固有なエネルギー"を振盪によって活性化」

これは一九世紀の「科学」の水準では別段何処もおかしな「予想」ではないですね。この時代の物性に関する知識水準では、どんな物質でも「ほとんど数で表示できないほどに微細な粒子」に無限に希釈可能だと考えられていたのだし、毒性が量の関数に左右されるのであれば、希釈によって毒性を除去することが可能だと謂うロジックには推論上の筋が通っています。

また、物質の持つ純粋固有のエネルギーを、振盪と謂う物理的な刺激で活性化出来ると謂う「予想」もこの時代の知識水準では的外れなものではないでしょう。個々の物質には固有の物性があって、物質はエネルギーに置換可能だと謂う考えは、大筋では間違っていないわけで、一九世紀的な知識水準に基づく推論の精度では「同種療法」と謂う画期的な着想の妥当性を予想段階で疑うだけの合理的な根拠はないですし、その着想を厳密に検証する手法も確立されていなかったわけですね。

>>大体、ハーネマンは"レメディーが自然治癒力を高める"なんて書いてないぞーーー。

大本のハーネマンの着想が後代の科学の進歩によって否定されるに連れ、それを正当化する為にどんどん無理筋のオカルトネタが附け足されていくわけで、「水に物質の特性を転写」式の理屈ってのは、水商売一般が無理筋を通す為の方便として採用しているガジェットのやっすい流用ですね。

で、元々のハーネマンの着想は、人体の病症とそれを惹き起こす原因物質の特性が一対一で照応していて、その特定の物質の「毒性」と謂うネガティブな影響力だけを希釈によって取り除き振盪によってエネルギーを励起すれば、病症を取り除く特効薬として一対一で対応するだろうと謂う予想で、「自然治癒力」と謂う全方位の防御機構の強化なんて筋道には繋がりようがないはずなんですよね。

ですから、ハーネマンの着想のキモは、人体の病症と原因物質の一対一対応の部分にあるはずで、自然治癒力と謂うふんわりした話ではそもそもないわけです。

ホメジャが元々のハーネマンの着想とは理論的に矛盾していたり完全に無関係な理屈をまぜこぜにしてワケのわからないオカルトを主張するなら、少なくともハーネマンの理論については「黎明期故の誤謬を含んだそのままでは妥当性を欠く言説」と表現するのが誠実な姿勢だと思うのですが、その辺はどうなんでしょうね。

>>『医療の代わり』にではなく、『健康を増進するもの』としてケアに
>>取り入れることができれば、ホメオパシーはなかなかいいものだと
>>思います。

うさぎ林檎さんの感触なり文脈上のニュアンスなりでは、これはホメオパシーの正しさを発言者自身が確信した上での発言なんでしょうか、それとも商売上の方便なんでしょうか。この発言を評価する場合、発言者がホメオパシーの効果を確信しているのか、それとも偽薬性を前提に置いているのかで意味が変わってくると思いますし、日本助産師会の抱える問題点の在処も変わってくるように思います。

ホメオパシーの効果を確信しているなら、本文で述べたような医療否定への傾斜が懸念されますし、第一その理論的矛盾を理解出来ない蒙昧さが問題になりますが、商売上の方便としてそう言っているのであれば、それを成立させる医療システムの在り方と謂うのが、オレは想定出来ないんですね。

たとえばNATROM先生のご意見のように、ホメオパシーの偽薬性を前提においてカウンセリングの観点でホメオパシーを評価しているのであれば、NATROM先生の近々のエントリで論じられているように、偽薬効果と妥当なインフォームド・コンセントは両立し得ないわけですから意味がありません。

患者に隠して砂糖玉を薬と偽る(レメディーだと明かしても本質的な意味は変わりませんよね)行為が、現代の医療システムにおいて容認可能かと謂えばそんなはずはないわけで、砂糖玉で偽薬効果をもたらすには、いずれにせよ患者を「騙す」必要があるわけですよね。これが近年の医療行為で許されるはずもありません。

何故そこまでして日本助産師会がホメオパシーに拘るのかと謂う部分については、前回のエントリで九州の女性医師さんが示してくださったデータのように、五〇年前なら助産所や自宅で出産するのが普通でそれなりに繁盛していた助産師が、産婦人科での出産が普通になってきたことで、正常分娩の出産体験の付加価値性を前面に出す以外になくなってきたと謂う事情については、どらねこさんの優れた論考がありますね。

元々は商売上の方便に過ぎない性格はあるわけですが、個々の助産師が本気でホメオパシーの有効性を確信しているのであれば、それは職域全体の専門的知識や技術のアドバンテージを無効化する蒙昧さであるわけで、詰まるところ「貧乏だったら泥棒や人殺しをしても好いのか」と謂う話にしかならないわけです。

>>個人的には助産師さんというか産科に特化した看護スタッフの存在は重要だと思うんですケドねぇ。

他の医療分野とは違って女性に特化したデリケートな領域ですから、経験豊富な高齢女性の専門技術者と謂う役割は他に代替出来ないんですよねぇ。産婦人科医と謂うのは、今でも看板なんかみると「女医」と書いているところがあるくらいで、患者は女性オンリーで生殖に関わる領域ですから、男性の医師では抵抗があることは事実ですよね。

そもそも、男性医師は生涯に一度も妊娠出産を体験しないわけですから(笑)、当事者的立場には絶対に立たない他人事に知識だけで対処しているのだと思うと、どうしても心理的な抵抗を感じるでしょう。

ですから、せめて普通のお産くらいは同じ女性に介助してほしいと思うのは自然な感情でしょうし、妊娠初期から育児期までを通じて細かいところまで同性としての実体験や共感に基づいて相談に応じてくれる相手と謂うのは必要なことは事実ですよね。

そう謂う重要な社会的役割を担う存在が、ホメオパシーとかマクロビみたいなインチキに簡単に傾斜すると謂うのは大変な損失で、現代医療の産婦人科医よりも遙かに旧い職域だから仕方のない部分はあるとは謂え、アヤシゲな民間医療に対する親和性の高さはやはり抜本的な対策が必要なんではないかと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月13日 (金曜日) 午後 05時35分

>ナンシー林檎さんと黒猫亭さん
ホメの解体お疲れ様です。
>ハーネマンの着想のキモは、人体の病症と原因物質の一対一対応の部分にあるはずで、自然治癒力と謂うふんわりした話ではそもそもないわけです。
此処なんですよね。勝手な後付け解釈が蔓延しています。余所の国では、医療者が若しく専門職がはカウンセリング的側面の強化などが行われて居るみたいですが、それってホメオパシーの原理自体に効果が無いことを気がついている証左でもありますものね。原点が自然治癒力でもなく、類毒の希釈物による直接敵治療効果を狙ったもので有るわけですから、綿密な問診によるレメディ選びというカウンセリング的な心理療法擬きではあり得ないはずです。それがホメオパシーである必然性は全くなく、肥大した組織を解体させる事に対する非難や漠然とした不安感からオオナタを振り下ろす事が出来ない・・・私にはそう見えてしまうのですよね。
黒猫亭さんの過分な評価がとてもくすぐったい部分ですが、
>産婦人科での出産が普通になってきたことで、正常分娩の出産体験の付加価値性を前面に出す以外になくなってきたと謂う事情

奇しくも、ホメオパシーがハーネマンの主張から逸脱した主張で顧客を獲得してきた構造と似ているような気がいたします。
此処で少し考えるのは、彼らの逸脱を多くの方が今まで見逃してきたからこれほど大きな問題になってしまった・・・というのもあると思うのです。そう思うと、この話だけじゃなくて政治なども同じですよね。
(しかし本エントリより長い返信コメント・・・)

投稿: どらねこ | 2010年8月14日 (土曜日) 午後 05時40分

うちが追い出し喰らったらどこへ行けばいいんだろう。
うちの場合存在意義のいくらかの部分は「ブログ論壇」的なネットワークのなかではそうとう辺境的なノードに位置している、と云う部分にあるようにも思うんですけどね。

ちょっと適当なことを云うようですけど。
オカルティズムの観点から見た現代日本のホメオパシーの瑕疵は、それが「有益たりうるためにおのれを更新する努力を怠っている」点にあるように思います。200年前そのままのことをしていて、それでもって正統を称するのなら、それは単なる怠慢だと思うし、そんな運用なら問題も引き起こすよなぁ、とか思います。なすべきなのは、適当な思いつきのレメディを開発することじゃないはず。

投稿: pooh | 2010年8月15日 (日曜日) 午前 10時04分

>どらねこさん

>>余所の国では、医療者が若しく専門職がはカウンセリング的側面の強化などが行われて居るみたいですが、それってホメオパシーの原理自体に効果が無いことを気がついている証左でもありますものね。

ハーネマンの時代には、「同種療法」と謂う着想を得てそれが妥当だろうと予想することは非科学的な態度でも何でもなかったわけで、そう謂う意味で、ハーネマンのホメオパシーに「科学的根拠」がないとか、病原物質が特効薬にもなり得ると謂う期待に根拠がないと謂うのは、当たり前の話ではあるんですね、仮説であり予想であり合理的期待なんですから。

これは「オルガノン」を読破されたうさぎ林檎さんに伺ってみたいところですが、病原物質が特効薬にもなり得ると謂う着想は、極端な希釈によって毒性を除去し得ると謂う考えから導き出されるもので、濃度の希釈を振盪によるエネルギーの励起で補い活性を得ると謂う組み合わせの考え方だと思うんですよ。

謂わば、毒性だけを選択的に無効化する為に希釈があり、それによって喪われた薬理的活性を補う手段として振盪がある、そう謂うロジックと思うんですね。ならば、その予想自体は十分に科学的な推測によってもたらされた期待で、後はその予想が実験によって確認されるか否かの問題になります。

要するに、ハーネマンの時代なら、そのアイディアには十分な成算があったはずなのだし、その手筋で当たりを引いていたら、当初の仮説には修正すべき部分が出てくるとしても、予想自体の筋は好かったと謂う話になりますよね。逆に、その予想がまったく的外れなものであったなら、如何に筋の好い予想だろうが何だろうが間違っていたと謂うだけの話です。

ホメオパシーの躓きと謂うか、現代に続く有害性の端緒となったのは、単なる合理的期待の段階からすでに治療法としての実践が始まり、その着想が「正しい」と謂う前提の下に哲学や宗教のように分派して複雑な体系を構築してしまったことで、それで生活の糧を得ている職業者の巨大な集団が出来てしまったことが、最大の禍根だったのではないかと思います。

その職業者の集団は、黎明期の科学の魅力的な一つの仮説にすべてを負っているのですから、それが「間違っていた」と証明されてしまったら壊滅的な打撃を蒙るのは当然のことなのですが、それが観念的なアイディアや思想であるうちはまだしも、一旦人的組織の形をとってしまうと、その組織化された多くの人々の生活それ自体が天秤の一方に乗ってきますから、「間違っていました、ごめんなさい」では到底引き返せない地点にまで踏み込んでしまっているわけですね。

或る種、ホメオパスたちに対して「気の毒だなぁ」と思わないでもないのは、オルガノンの刊行から二〇〇年もの長きに亘って、世界中のホメオパスたちが尤もらしく患者に対応してきた職業的実践は、実は根も葉もない妄想だった、そんな事実を認めるのは、ホメオパスやホメオパシーの信奉者にはたしかに難しいと思うからです。

ホメオパシーにはプラセボ効果以上のものがないのですから、これまでホメオパシーに関わってきた人々、そしてこれからも関わっていくだろう人々は、「ホメオパシーと謂う魔法が存在する世界」と謂う「物語」を生きているから、ただの砂糖玉が薬として機能していたわけですね。

謂わばそれは、物凄く巨大な「ごっこ遊び」と表現出来るでしょう。

二世紀にも亘る歴史を持ち、世界中に多数の専門家と信奉者が存在する治療法が、単なる思い込みに基づいた「ごっこ遊び」にすぎなかったと謂う事実は、何と謂うか、個々の人間の人生の価値とか、歴史の意味性と謂うものに対して物凄く悪意的で皮肉な事実だと思うんですよね(笑)。

どらねこさんの紹介されたゼンメルワイスの物語と、ホメオパシーの「物語」はとてもよく似た構造を持っていますが、たった一つだけ違う部分があります。ゼンメルワイスの自己犠牲を伴う誠実な生涯には崇高さがありますが、巨大な「ごっこ遊び」にすぎないホメオパシーが自らの過ちを認めたとしても、そこには耐え難いほどの「無意味な滑稽さ」しか見出し得ないと謂う違いです。

病苦に苦しむ人々を癒す専門家集団であるホメオパスは、単に根も葉もない無意味で複雑怪奇な技術体系を習得している「ごっこ遊びのお医者さん」にすぎなかったのだし、そんなホメオパスの「治療」を受けて「治った」と思い込んだ人々は、「鰯の頭も信心から」の類の思い込みで一喜一憂していた滑稽な人々だったと謂うことになります。

人間と謂うのは、自らの罪深さや崇高な苦悩には耐えるだけの価値を見出すことが出来ても、自らの滑稽さに耐えることは難しいと思います。

ホメオパシーにおいて、「希釈し振盪する」と謂う手法が自己目的化し、原理はおろか効果すら否定されても尚「水に物質の特性を転写」式のオカルトに縋り付いたり、カウンセリングの部分に重点を置いて生き残りを図るのは、或る種その「無意味な滑稽さ」に対して自らの生の意味を恢復したいと謂う動機もあるでしょうから、一概に否定したり弾劾したり出来ないと謂うもどかしさはありますね。

それを認めてしまったら自分の人生が完全に無意味になる真実と謂うものが、世の中には存在するんですよね。ただ、個人が自分の生の意味を護る為にその真実を拒否することで社会に害悪を垂れ流すことは許されない。その相容れない事情に、ソフトランディングの可能性はあるんだろうか、と、ちょっと考えてしまいます。

>>奇しくも、ホメオパシーがハーネマンの主張から逸脱した主張で顧客を獲得してきた構造と似ているような気がいたします。

そこが近視眼的で蒙昧だと思えてしまうんですよね。或る種、助産師と謂う職業者の立ち位置は、他の職域では代替出来ない重要性を持っているはずなんです。

その辺の事情については、うさぎ林檎さんやpoohさんとのお話でも重要な論点として出てきていますが、うさぎ林檎さんが仰っているように、「女性でしかも経産婦」と謂う当事者性を織り込んだ職域と謂うのは、男性の産婦人科医では代替不能な部分なんですから、付加価値商売に色気を示すのは間違っていると思います。

たかだか二〇〇年の歴史しか持たないホメオパシーやマクロビとは違って、助産師と謂う職域にはおそらく先史時代から続く歴史があるはずなんですね。危険な妊娠出産と謂う一大事業を何度も経験して生き延びた高齢の女性が、他人の妊娠出産を専門的に介助することでさらに一般則としての経験や知識をも蓄積し、それをまた出産介助の実践にフィードバックする、と謂う社会的役割は、洋の東西を問わず自然発生的に長い歴史を持っているはずなんですよね。

逆に謂えば、それだけ長い歴史を持っているからこそウィッチドクターや「魔女の薬草魔術」紛いの蒙昧な民間療法との親和性も高いわけですが、本質的な職能の意義はそこにはないのだし、産婆や取り上げ婆と呼ばれていた職業者の職能が現代にアップデートされる場合、その種の民間療法的な胡散臭く不確実な部分は真っ先に淘汰されるべき歴史性の尻尾ではあります。

助産師と謂う職域は、たとえばオレが「消えてなくなっても仕方がない」と言ったところで、消えてなくなるものではないことはたしかでしょう。助産師はまだまだ社会から必要とされている職域です。ただし、その旧い職能を現代にアップデートする労力を吝むなら、大掛かりな規模で社会的な淘汰圧が掛かることは避けられないでしょう。

>>しかし本エントリより長い返信コメント・・・

ああ、気にしないでください、いつものことですから(笑)。と謂うか、当ブログのエントリには、エントリ本文でとにかく現時点の考えを過不足なく提示したいと謂う性格のものと、取り敢えずエントリを立てていろんな方々との遣り取りの中で考えの精度を上げて行きたいと謂う性格のものがありまして、後者の場合はどうしてもエントリ本文よりもコメントのほうが長くなります(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月16日 (月曜日) 午前 12時38分

>poohさん

>>うちの場合存在意義のいくらかの部分は「ブログ論壇」的なネットワークのなかではそうとう辺境的なノードに位置している、と云う部分にあるようにも思うんですけどね。

辺境かどうかはともかく(笑)、たしかに独特の立ち位置ではあるんですよね。今ではそうでもないですけど、少し前までの論壇の風潮ではオカルトや呪術に対して肯定的なスタンスを採る人ってそんなにいなかったように思いますし。

>>オカルティズムの観点から見た現代日本のホメオパシーの瑕疵は、それが「有益たりうるためにおのれを更新する努力を怠っている」点にあるように思います。

どらねこさんへのレスでも少し触れていますが、ホメオパシーって元々の出発点が科学理論で、しかも錬金術なんかの時代よりも遙かに開明された時代に根っこを持っていますから、今更開き直ってオカルトに徹することも難しいんじゃないですかね。

たとえば最近poohさんが採り上げておられるビオディナミ農法なんかだと、普通誰が視ても科学と謂うよりオカルトですよね。

産経エナックの記事なんか読むと、「地球上の生命は重力と浮力という相反する2つの力の影響を受けている。例えば、水星が地球、太陽と一直線上に並んだときに水とかき混ぜた調合剤(特別な手法で作った有機肥料)は効果が大きくなる」とか謂ってますけれど、これはもう暗黒の中世の宇宙観ですから(笑)、自然科学の遠い親戚ではあってもハッキリオカルトだとわかります。

ホメオパシーってその辺中途半端なんですよねぇ。ハーネマンの原理をオカルト的に洗練させようとしても、どうしても「ニセ科学」になってオカルティズムにならない部分があるように思います。

それと、そもそも「科学的な新種の治療術」として出発して、実際に二世紀もの長い間人々の治療に当たってきて、一種パブリックな代替療法として認められてきた歴史性を考えても、オカルトとして先鋭化する方策も採れなかったのではないか、飽くまで科学の根っこを棄てられなかったのではないか、と謂うふうにも思います。

で、現段階でホメオパスが職業として成立していて、社会的に一定のドメインを獲得しているだけに、その有効性が否定されるとどうしても生臭い話にしかならない、マトモな手段で生き残りを図ることが難しい、これまで一定レベルで社会に許容されてきたことが逆に障害となってくる、その辺もホメオパシーの面倒くさい部分ではあります。

また、ホメオパシーのカウンセリング手法なども肯定的に評価される場合がありますけれど、それって漢方の診療法と剰り変わらないように思いますし、漢方の場合「本物の薬」なんですから、同じように個人の症状を個別に診る診療法としても「贋物の薬」であるホメオパシーの必要性は薄いなぁ、と思ったりしますね。

それから、ブコメでhimajin774さんが仰っているようなことなんですが、オレがホメオパシーの偽薬性を前提にした効果を確立させることが難しいと思うのは、医療に関わる倫理の問題と謂うより、現代において「他者を効果的に騙すシステム」が健全な形で運営可能だとは思えないからなんですよね。

今それが成立しているのは占いの分野だけだと思うんですが(笑)、占いってのは相当極端なことを主張しても許される特殊な分野で、たとえば先日TVを観ていたら占い師が相談者に「あんたは四国のほうに転職したほうが好い」とかアドヴァイスしていて、幾ら何でもそんなコストの懸かる選択を奨めるのはどうかと思ったんですが、よく考えてみたら、その相談者が東京で現職を続けていようが四国に新天地を求めようが、もたらされた結果の価値や意味ってのは本人視点でしか量りようがないので、それはそれで好いのかもしれないとか思いました。

占い師ってのは、相談者に救済をもたらす限りにおいては相当極端なことを言っても許されるし、その占断が特殊な占術によるものだろうが超能力だろうがインチキだろうがどうでも好いわけで、金銭的に不正なコストを強いるような商売でなければ、普通の意味で相談者を騙しても倫理的な問題はないと謂えるでしょう。

ただ、これが健康や命が掛かる分野となると、専門職の職業者が素人である相手を一方的に騙すシステムと謂うのは、健全な形では運営不能だと思うんですね。そこには絶対的な立場の不公平があるわけで、それは双方にとって問題が大きい。患者だけの問題ではなく、医師の側の負担も大きくなりますよね。

それこそ自己責任論じゃないですが、医師が治療目的で患者を騙して好いなら、医療行為に関わる責任は一方的に医師にかかってくるわけで、そんなシステムがもう成り立たないからインフォームド・コンセントや自己責任論と謂う話が出てきたわけで。

相手を騙すと謂うことは、結果についての責任を騙す側が一方的に負うと謂うことでもありますから、現代社会における一介の職業者である医師がそんな一方的で過酷な責任を負えるはずがありません。いいとか悪いとか謂う問題以前に、土台偽薬性を前提においたシステムは「騙す側」の責任が過大になりすぎて「成立しようがない」のではないかと謂うのがオレの考えです。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月16日 (月曜日) 午前 12時42分

こんにちは

>>「同種療法」と謂う着想
>>病原物質が特効薬にもなり得ると謂う着想

この辺はハーネマンの独創じゃないようです(この辺は多分poohさんの方が詳しい)。オルガノン序論に

>『ヒポクラテス全集』の「人体の部位について」の著者(Basil. Froben.
> 1538)は、次のような注目するべき言葉を述べる。「類似のものによっ
>て病気は生じ、類似のものを適用することによって病的状態から健康に
>なる。嘔吐は嘔吐するものによって止まる。」と。

>自然の法則に適した唯一の治癒の法則、すなわち「類似のものは類似の
>ものによって治療されねばならない(similia similibus curentur)」
>という法則

と書いていることから見て、既存の考え方のようです。ハーネマンにとっては太陽が東から昇ることのような"自然法則"だったんですね。
では何故「類似のものが類似のものを治す」かですが、

>類似した新しい病気のより強く作用する力が患者の感覚を制御するとた
>ちまち、生命原理は、一つの状態でしか存在できないために、より弱い
>類似した病気をもはや感じることができない。つまり、病気は消滅し、
>もう存在していないのである。(45節)

「二つの類似した病気は、同じ体に並存することも、二重の複雑化した病気を形成することもできない(44節)」ので、レメディーの効力による類似した作用によって病気を消滅させる。そしてその後バイタルフォースの反作用がレメディーの変化を消して、健康状態に戻る。

………でも、この説明だとおかしいですよね、こんな感じで。
1)バイタルフォース<病気(バイタルフォースが撹乱した状態)
2)レメディー>病気(バイタルフォースが撹乱した状態)
3)レメディー<バイタルフォース

これについては29節の注1

>私たちは人為的に病気を生みだす効力のあるものをレメディーと呼ぶが
>、それが作用する持続期間は短い。このおかげでレメディーの作用は、
>自然の病気よりも強いにもかかわらず、自分より弱い自然の病気よりも
>はるかに容易に、バイタルフォースによって打ち負かされる。

と辻褄を合わせてます。面白いのはデスネ、この29節の前の28節で

>それ(自然治癒の法則)がどのように起こるのかということを科学的に説
>明することはそれほど重要ではないし、それをすることはあまり価値の
>あることではないと思う。

なんて書いてあるんです。ハーネマンは本心では治りゃいいんだと思ってたんですヨ、きっと(笑)。

#本日、慢性病論第二版が熱帯雨林から届きますた(泣)。

>どらねこさん
ここでは「読むものが無ければ薬の効能書きでも読む」覚悟が必要です(笑)。と謂うかどれだけ美味しそうなネタを振って黒猫亭さんに考察させるかが大事なんです(大笑)。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年8月16日 (月曜日) 午後 03時23分

そういえば、うさぎ林檎さんは、apjさんのブログでは拝見いたしましたけれども、本家「水ヲチ掲示板」では、まだのように思います。
この辺に、お席をご用意いたしましたので、よろしければどうぞ。(私が用意したわけではなく、今回は、こなみさんでしたけれども。)
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/bbs01/showthread.php?mid=27813&form=tree

投稿: mimon | 2010年8月17日 (火曜日) 午前 02時12分

>うさぎ林檎さん

ご解説、有り難うございます。願ってもない美味しいネタを振って戴いたので、微力ながら不肖黒猫亭、一所懸命に馬車馬のように考察しますであります(笑)。

>>『ヒポクラテス全集』の「人体の部位について」の著者(Basil. Froben.
>> 1538)は、次のような注目するべき言葉を述べる。「類似のものによっ
>>て病気は生じ、類似のものを適用することによって病的状態から健康に
>>なる。嘔吐は嘔吐するものによって止まる。」と。

物を識らないので「『ヒポクラテス全集』の「人体の部位について」の著者」ってヒポクラテスじゃないのかとか思いましたが(笑)、ホメオパしい人々は二言目にはヒポクラテスを引き合いに出しますから、まあ西洋における医学史の伝統を踏まえた思想ではあるんでしょうね。

>>「二つの類似した病気は、同じ体に並存することも、二重の複雑化した病気を形成することもできない(44節)」

いろいろご説明を総合して考えると、病的状態にある人体に、その病症を引き起こした病原物質から作られたレメディーを投与すると、レメディーの作用力自体は病気の力より強いので病気が排除されるけれど、レメディーの作用時間はごく短いのですぐに効力が消えてバイタルフォースの力で健康に戻る、と謂う理屈みたいですね。

謂ってみれば、レメディーは高電圧の静電気みたいなものだと謂うことでしょうか。この、「作用力は強いけれど持続時間が短い」と謂う特質を得る為に「希釈・振盪」と謂う手順が必要と謂うことなんですかね。

人体内に併存不能なものを投与することで病気を薬諸共体外に押し出すと謂うのは、尾籠な喩えで謂えば、何だか「浣腸」みたいな理屈ですね(笑)。もっと穏当な喩えで謂えばワクチンみたいな考え方ではありますね、免疫に関する部分ではなく、病原物質を制御可能な形に加工して利用することで病気を排除すると謂う大枠の形ですが。そう謂えばたしか地下猫さんが種痘とホメの関係について何か言っていたような気がしますね。

>>ハーネマンは本心では治りゃいいんだと思ってたんですヨ、きっと(笑)。

この時代だと、自然科学の手法と文献的科学の手法が明確に分岐していなかったわけですから、信頼可能な権威ある文献に記述されている内容は、差し当たり論証不要で事実として扱うことが出来る、みたいな考え方だったのかもしれませんね。その事実をさらに厳密なプロセスで論証することはまた別の研究領域で、自分の研究領域はその事実の実践的な活用法だ、みたいな認識だったのかもしれません。

仰る通り、ハーネマンにとって「類似のものが類似のものを治す」と謂う考えは「太陽が東から昇ることのような"自然法則"だった」のでしょうし、「本心では治りゃいいんだと思ってた」のではないかと思います(笑)。

>>と謂うかどれだけ美味しそうなネタを振って黒猫亭さんに考察させるかが大事なんです(大笑)。

嗚呼、矢張り確信犯の振り逃げだつたのでありますか(笑)。

毎回うかうかとうさぎ林檎さんの手管に乗つて好い心持ちで長広舌を揮つておるわけでは御座ゐますが(笑)、まあ、書いてゐる本人もノリノリで楽しんでゐるので、さふ謂ふ特殊な嗜好の方だけでもお楽しみ戴ければ本望でありますです(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月18日 (水曜日) 午前 11時08分

>mimon さん

おお、うさぎ林檎さんが素直に書き込みを集中投下しておられる(爆)。

オレが礼を言うのも変ですが、ご紹介有り難うございます(笑)。そうか、やはりうさぎ林檎さんは、最早そこが何処であれホメネタが語られている場において情報を投下せずにはいられないホメオパシーマニアな体質になってしまわれたのだな。

剰りにお気の毒なので「ホメオパシー自体を希釈・振盪して作ったレメディー」を処方してもらって、浣腸のように体内からホメオパシーを一気に押し出してしまったらどうかなどと余計なことを考えてしまいました(笑)。

ただ、ホメオパシーマニアを治療するレメディーがホメオパシーを希釈・振盪して作るのは常識中の常識として、問題なのはホメオパシーをどうやって希釈・振盪するのかですねぇ(笑)。

…まさか、変なオバチャンのアレをナニするとかじゃないですよね←こらこら(笑)

まあ、現状のホメオパシーの在り方自体が、元々の出発点から考えれば激しく希釈・振盪されているようなものだと言えますが←誰がうまいことを言えと

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月18日 (水曜日) 午前 11時19分

いやもう息切れしてますって(笑)、水ヲチ掲示板も既に調べてあった情報だったから書き込んだだけです。

朝日のお陰で注目度が上がって監視する方が増えてきたので、もう私がわぁわぁ謂わなくても大丈夫でしょ。ホメジャはあまりに急成長した為か、ぱっと見に歪んだ部分が見え易いですし、asParaにのこのこ出て来た人も耳目を引いといて自爆してくれてましたからね。
ただね、既に問題収束後の心配や原因の考察をする方が出て来てますが、私はそれはまだ早いよねと思ってます。収束の糸口がまだ見えていないので、今のところはそこら辺は後回しと謂うか、専門の人にお任せします。半分信じかけの人の首根っこ引っ掴んで引っ張り戻す努力がやっとですよ、少なくとも私にはね。

>>ホメオパシーマニア
………やーめーてー………orz
しかし学生時代以来ですよ、読みたくもない本を付箋とマーカーだらけ(どうせ売り飛ばせないし)にしているのは。
ホメジャのホメオパシーは少数のプラクティカル派の中でもさらに少数派、もっと謂えばトラコパシー(単なる揶揄でなく)なんです。だからホメジャ以外のクラシカル派が"それは本物のホメオパシーではない"と謂い出すのが目に見えていました。そう謂っても諸外国ではホメオパシーが問題を起こしているのですから、何派だろうが関係ないワケで。
クラシカル派にオルガノンは聖典なので、防衛上渋々読んだのですヨ。
「オルガノンも読んでいない癖に!」
「読んどるわい!」
これだけのためにね(笑)。

あ!今見つけたロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーの用語集。

>医原病
>医療行為(現代医学に基づく治療、たとえば、薬剤投与、放射線、手術
>などによる治療や予防接種など)あるいは、市販の医薬品・医薬部外品
>が原因で新たにつくられる病気のこと。
http://www.homoeopathy.ac/rah/index/k07_j.html

なーにが"現代医療を否定していません"だ、ホントにどの口が謂ってんだかと思いますねぇ。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年8月18日 (水曜日) 午後 03時17分

> うさぎ林檎さん、
ハーネマンに関するウンチクは、お任せするとして、ホメオパシーが医原病を唱える理由も分かる気がします。
リスターがフェノールによる消毒の効果をランセットに発表したのは、1867年のことで、医師が普通に消毒をするようになったのは、それ以降のことですから、ホメオパシーが流行った19世紀というのは、産褥熱や敗血症といった、本当の医原病が少なくなかったころです。
近年でも、医原性C型肝炎などがありましたが、そういった病気の原因をつきとめ、対策を講じて来たのも「医学」なのですよね。
それに対して、今のホメオパシーは、現状に対する反省も対策も積極的でありませんから、ホメ原病とでも呼びたくなります。

投稿: mimon | 2010年8月18日 (水曜日) 午後 10時02分

 少し話題に出ているビオディナミのワインなどについてこの場をお借りして書かせていただきます。
 ビオディナミやシュタイナーはオカルトでしかなく、農薬が適正に使われれば人体に影響は考えられず有機農法が特に環境に良いとは思いません。

 農作物も野菜や果物、穀物等全く違う種類の植物があり利用する部分も違い当然全て同一の方式で成果が上がるわけではないはずです。
 ワイン用のぶどう栽培は現在の技術を有る程度前提にした場合には偶然でしょうが条件さえ合えば有機農法で成果が上がるようです。

 勿論どの立地でどのぶどうでどのように育てても上手くいくわけではなく、病気が出たり品質が落ちたりする事も多々ありますが、条件が合い必要な手間を掛け、幸運だった場合だけでしょうがそれ程例外的でもないようです。合理的な衛生管理を行えば醸造も可能です。
 実際には現代の農業と完全には矛盾しない形でも有機農法が出来るようで、ワイン固有の理由もあり安全性にも品質的にも問題のない、メカニズムは正確には判りませんが場合によっては特有の味を持つ高品質なワインが出来るようです。
 「自然派」でも衛生管理には厳しくなっていて大きな瑕疵のあるある商品は減っています。成功すれば設備投資も出来ます。
 ワイン生産は単に偶然「自然派」に向いているだけでしょう。実用可能な農法の一つでしかないと思います。
 
 それで元々抽象的なシュタイナー農法をより都合よく解釈した不合理なビオディナミのワインでも、結果的には近代の醸造や衛生管理や農業技術の進歩を取り込む形で上手く出来てしまったりもします。
 農作物一般に広げるべきでは無いですし呪術理論が無意味なのは事実ですが、ワインの場合だけ条件が合えば偶然相性が良い可能性があると考えています。
 偶然では対応できない問題は解決できてはいませんし逆に品質を落とした生産者も多くいます。長期的にみて上手くいくかどうかも判りません。

 成功例はある種の精神的なトラブルにホメオパシーの物語が効果があるのと同じで単なる偶然でしょう。
 「オカルトだから効果は無いだろう」から「効果があるから受け入れる」が近いのが難しいです。セールスも含め目に見える成功例が多いと受け入れるハードルが下がります。

 判りにくいと思いますのでまとめます。
1.a)ワインは栽培を工夫し衛生管理を適正に行えば有機農法や「自然派」やビオディナミでの製造は可能である。
  b)ワインに限っては農薬や化学肥料を出来るだけ減らし野生酵母で醗酵させてもで条件さえあえば結果的に味に好影響を与える場合がある。
2.ビオディナミは呪術で理論には意味は無い。ビオディナミのワインに優れた物があるとしても偶然でしかなくそこから一般化できる何かを読み取るのは間違いである。特定の条件で成果があったとしても根拠とはいえない。

 10数年前から「自然派ワイン」と関わってきましたが品質と費用対効果を求めて辿り着いたので品質の劣った多くの「自然派」には否定的です。ただし良い「自然派」には特有の味わいがあることは否定できません。
 (個人的にはリュット・リゾネ=減農薬支持寄りですが慣行農法のワインも普通に飲みます)
 「自然派」を売りにした事はありません。品質で評価すべきで、イメージだけで売られる事には反対です。
 ビオディナミのようなオカルトが一般のメディアや社会でこれほど真に受けられ無防備に受け入れられるのは問題だと思います、もっと批判的に見られるべきです。
 
 ビオディナミのワインの問題点は
1.メディアが安易に好意的に取り上げ、神秘思想(オカルト)で有ることを明示しない。迷信を産む土壌に社会は迎合すべきでない。
2.過度なイメージ戦略にビオディナミを用い品質に問題のあるワインを「自然」を理由にごまかす業者がある。
 と云う点だと考えます。嗜好品なのでどこまでが適正なのかは難しいところです。

 ワインそのものはいまだに”なぜ”「地域や畑ごとに味が違うか」「一部の物は長期にわたり熟成し向上するのか」すら判らない怪しい業界ですので生産者がオカルトなのは批判しづらいです。好事家のおもちゃでしかないことは忘れるべきではありません。
 後少し気になるのが批判する側も容認する側も用語や概念や問題点を混同しがちでかみ合わない事が多いですね。わかり難いのは確かです。

 天然鯛や天然茸や山菜が美味しいのと人工授精で穀物肥育の和牛や養殖のサーモンが美味しいのは矛盾しないと考えます。
 
 因みに朝日新聞の7月31日付土曜別刷り「be」のホメオパシー記事の出た号の一面はフランスでビオディナミのワインを作る新井順子氏の特集でした。新井氏のワインは流通が特殊で別に評判が良いわけではないので飲んでいません。

 長々と書きましてすみません、読まれてご不快に感じられましたら申し訳ありません。 

投稿: 摂津国人 | 2010年8月19日 (木曜日) 午前 11時22分

>うさぎ林檎さん

>>朝日のお陰で注目度が上がって監視する方が増えてきたので、もう私がわぁわぁ謂わなくても大丈夫でしょ。ホメジャはあまりに急成長した為か、ぱっと見に歪んだ部分が見え易いですし、asParaにのこのこ出て来た人も耳目を引いといて自爆してくれてましたからね。

覗いて来ましたけど、やはり今や長野記者も大変な立場ですね(笑)。相当腹を括って取材に臨んでいると謂う話でしたが、この種の問題には日本語の通じない人間がわらわら群がってきますから、ネット時代の直接応対は紙媒体の頃よりも綱渡りの部分が大きいですよね。下手な対処をすれば、本番の記事以前にネットの対応から躓くこともあり得るわけですし。

ただ、やはり大新聞が採り上げて危険性に警鐘を鳴らす事態に発展したことで、世間の注目度は格段に違ってきましたよね。ニセ科学問題では普通にあることですが、どれだけネット言論で的確に批判してみても、ハタから冷淡な関心で視れば「ネット上の喧嘩沙汰」「どっちもどっちの罵り合い」みたいにしか思われませんから。

現状ではまだまだ言論のリーチが段違いだと謂わざるを得ません。

>>ただね、既に問題収束後の心配や原因の考察をする方が出て来てますが、私はそれはまだ早いよねと思ってます。

仰る通りで、たしかに少なからぬホメオパス(或る意味では被害者でもある)の今後をどうするのか、信奉者の受け皿をどうするのか、と謂うような「あちらサイド」の問題もありますけれど、未だ現状ではホメオパシーの一般社会への浸透を喰い止める「こちらサイド」の問題のほうが急務の段階でしょうね。

今のところはまだまだ、療術を施す側よりも受ける側のほうのリスクを重視しなければならない段階ではないかと思います。山口の事件や「あかつき」問題は、単に最近注目度が上がった為に目に附いただけの氷山の一角なんじゃないかと謂う危惧もあります。直接生命の危険に直結してはいなくても、軽微な健康被害やメンタルの部分にまで網の目を広げてみればかなり被害の範囲は大きくなるんじゃないか、そんな気がします。

>>クラシカル派にオルガノンは聖典なので、防衛上渋々読んだのですヨ。

特定の思想に対抗する為には、その思想の詳細を信奉者と同程度に熟知すると謂うコストが懸かるんですよねぇ。それは特定の対象についての有効な反論の為にのみ必要なコストですから、それ以外の目的には何の役にも立たないわけで、相対的に高く附くコストではありますね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月19日 (木曜日) 午後 06時47分

>mimonさん

>>ハーネマンに関するウンチクは、お任せするとして、ホメオパシーが医原病を唱える理由も分かる気がします。

>>ホメオパシーが流行った19世紀というのは、産褥熱や敗血症といった、本当の医原病が少なくなかったころです。

どらねこさんの一連のエントリでお馴染みのゼンメルワイスの時代が一九世紀半ばですから、それより旧い時代の話ですもんねぇ。ハーネマンの時代の医学の水準なら、別段ホメオパシーのほうが格段に不合理だと謂う話にはならんですよね。

要するに、現代におけるホメオパシーの問題と謂うのは、言葉通りの「時代錯誤」と謂うことなのかもしれません。

>>近年でも、医原性C型肝炎などがありましたが、そういった病気の原因をつきとめ、対策を講じて来たのも「医学」なのですよね。

仰ることはご尤もで、たとえばpoohさんのところで、

>>現代科学を後ろ盾とする通常医療が、現時点で完全に科学的でも、万能でもない、と云う事実

>>まさに「過ちて改むるに憚ることなかれ」と云う性格にあるのではないかと思います。結果、通常医療は進歩します。より有効なメソッドを目指して。

…と謂うようなお話が出ましたけれど、医学・医術が現代科学よりも遙かに旧い根っこを持っているが故に、ときに頑迷で非科学的な性格を顕わすことがあるとしても、現代科学に妥当性の根拠を求めることで非合理を修正する仕組みを具えているのに対して、医術の歴史上に澎湃と沸き上がった一個のアイディアであるに過ぎないホメオパシーの場合は、そのアイディアが科学によって否定された瞬間に非合理を修正し継承発展し得る可能性が鎖されたわけで。

>>それに対して、今のホメオパシーは、現状に対する反省も対策も積極的でありませんから、ホメ原病とでも呼びたくなります。

現代医学は過ちを修正して進歩する仕組みを具えているが故に、たとえ現状で不完全であってもより良い医療に発展し得る可能性はありますが、ホメオパシーの場合「過ちを認めて改善する」のであれば、ホメオパシーの理論を丸ごと放棄せざるを得ないですから、ホメオパシー自体が消滅してしまいます。

結果として、ホメオパシーは「過ちを認めてフィードバックする」と謂う改善の仕組みを具えるわけには行かないと謂う原理的な欠落を抱えざるを得ないわけで、土台最初の最初から未来のないセオリーではあるでしょうね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月19日 (木曜日) 午後 06時48分

>摂津国人さん

厭味ではなく、オレみたいなワインの味が全然わからないのみかは赤ワインを呑むと具合が悪くなるような罰当たりな輩のブログに書き込んで戴くよりも、ビオディナミワインを採り上げたpoohさんの元エントリに書き込んで戴いたほうが人目に立って対話の発展性があったのかも、とか思いました(笑)。何か勿体ない感じで恐縮です。

どう謂うわけか、葡萄の皮の渋を摂取すると確実に悪酔いする体質で、白ワインとかスパークリングワイン、精々ロゼくらいまでは好きで、シャンパンだったら大好きなんですが、ワインの王道である赤ワインが体質的に全然受け付けないのでワインを語る資格なし、赤ワインと塩蔵チーズや生ハムの組み合わせが最もダメですから、ワインの醍醐味の殆どが体質的にダメですねぇ。

なので、ワインに対する関心がごく薄い人間が、聞きかじりの知識や俗流の受け売りだけでお答えする形になりますが(笑)、ワインの栽培や醸造には理詰めでスッキリ割り切れない経験則頼りの「秘訣」の部分があると謂う話はよく耳にします。

しかも葡萄と謂う果物自体が何だか変な性格の植物で、日本古来の甲州葡萄の歴史性も謎だらけの部分がありますね。「乾燥した気候とアルカリ性の土地によく育つ」とありますから、トマトなんかと同様に結構過酷な環境でも育つわけで、育つ分には育つけれど、人間が好む食味をどのような栽培法によって引き出すのか、どうすれば美味い葡萄が栽培可能なのか、と謂う部分に多分にオカルトや呪術が入り込む余地があります。

摂津国人さんのご意見を逆に謂うと、その特定のワインが美味いこととそのワインの元となった葡萄の栽培法やワインの醸造法についての「説明」には必ずしも客観的な因果関係がない場合が多いと謂うことで、飽くまで「偶然」を「必然」に読み替えることでしか成立しない「物語」のようなものだと謂うことですね。

で、元々の議論を踏まえると、その「物語」もまたマーケティング的な文脈ではワインの味の付加価値として機能するわけですから、そもそもワインと謂う不思議な飲料はそれが背負っている物語も込みで評価すべき特殊な酒なのかもしれません。

まあ、とにかくオレ個人はシャンパン以外のワインの「物語」に付加価値として高いお金を払うほどワイン好きではないことはたしかですが(笑)、シャンパンを奢ってくれる人はみんな善人だと思うくらいには好きです(爆)。

>> 因みに朝日新聞の7月31日付土曜別刷り「be」のホメオパシー記事の出た号の一面はフランスでビオディナミのワインを作る新井順子氏の特集でした。新井氏のワインは流通が特殊で別に評判が良いわけではないので飲んでいません。

このコメント欄の一連の文脈で考えると、朝日新聞も微妙なスタンスですねぇ(笑)。

新聞社の情報発信と謂うのは、一個人の特定の思想だけを発信するわけではない辺りが有り難みではある(除く某読売系列)んですが、ときどきその取り合わせに偶然の悪意を感じることがありますね(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月19日 (木曜日) 午後 06時49分

>黒猫亭さん、
たしかに、産褥熱を例示するなら、ゼンメルワイスは、避けて通れませんが、それを言い出したら、パスツールやコッホの業績まで持ち出すのは、野暮なことですから、まあ、19世紀というのは、そういった現代につながる医学が始まった時期だということで、手を打ちませんか。
そうして、ホメオパシーは、18世紀までの野蛮な医療から近代的な医療に移行する隙間に咲いた、あだ花だともいえるでしょう。現代に甦ったゾンビみたいなもんです。
もちろん、ジェンナーが天然痘ワクチンを開発したのは、ウイルスなんていう奇妙な生き物を誰も想像していなかった18世紀末ですし、20世紀に入っても、脚気の病原菌を探して失敗した人は、大勢います。そういった例も少なくありませんけれども、成功例はより洗練した形で次に引き継ぎ、失敗例は教訓として語り継ぐことがあるべき姿なのでしょうね。

投稿: mimon | 2010年8月19日 (木曜日) 午後 09時06分

>mimonさん

>>それを言い出したら、パスツールやコッホの業績まで持ち出すのは、野暮なことですから、まあ、19世紀というのは、そういった現代につながる医学が始まった時期だということで、手を打ちませんか。

ああいや、手打ちに関しては全然異論がないです(笑)。一連の発言を通じてオレが言いたいと思っているのは、具体的な史的事実関係の問題と謂うより、ハーネマンの元アイディアが確立された時代性や、文化的連続性を理解すべきだと謂うことなんですね。

その時代性における科学常識や啓蒙度の大前提が、そもそもわれわれの生きているこの現代とはかなり異質な感覚であって、二〇〇年前と現代とでは科学的なアイディアの発想の基準となる大前提が相当異なるのだから、その辺を斟酌せずに「聖典」の記述を金科玉条のように奉っても、逆に無知蒙昧の非合理として排斥しても、どちらも意味はないよね、と謂うことなんですよ。

たとえば地下猫さんの種痘に関するエントリの面白い部分と謂うのは、ジェンナーの時代の「自然科学」の実感的な感覚に言及している部分で、その時代性においては自然科学における新事実の発見においても、その着想の前提に類感呪術的な感覚が未分離で活きていたと謂う指摘がスリリングで面白いわけですね。

われわれは、たとえば一世代前の時代人の感覚ですらそのままの形で共有出来ないわけですから、これが一〇〇年前とか一〇〇〇年前の時代の感覚となると、まず自然な共感能力だけでは賄い切れない部分があるわけで、或る種知的な操作によって前提条件を整えてやらないと、過去の時代の先人の行跡について、公平な形では判断出来ない部分があります。

ですから、ハーネマンの時代においてホメオパシーと謂うアイディアが生まれた時代的背景や科学的連続性を理解することと、そのアイディアが現代にまで継承される意味がまず存在しないことを理解すること、それは同じことなんじゃないかと思うんですね。

>>20世紀に入っても、脚気の病原菌を探して失敗した人は、大勢います。

これは完全に「悪意に基づいた冗談」なんですけれど、二一世紀に入って随分時間が経過したつい最近になっても、そんな人を一人見た覚えがあります。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月19日 (木曜日) 午後 09時45分

>黒猫亭さん、
たぶん別人でしょうが、私も、そんな人を複数見た覚えがあります。
よく似たの人ばかりお集めになることを趣味となさっている方もいらして、例えば「舩井幸雄.com」のトップページを開いて、目をつぶって任意の場所をクリックすると、「当たり」を引く可能性が高いですね。
あれだけの数を単に「蒐集」しているだけでは、追いつかなくて、積極的に育んでいるのではないかと、感じられるほどです。

投稿: mimon | 2010年8月20日 (金曜日) 午前 06時42分

>mimonさん

>>たぶん別人でしょうが、私も、そんな人を複数見た覚えがあります。

ああ、間違いなく別人の話です(笑)。とは言え、mimon さんのお話を伺う限り、あの方も行為のレベルだけ視ると相当ヤヴァい連中と同列の境地に近附いていたのだなぁと更めて思ったりしますね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月20日 (金曜日) 午前 07時40分

ええと、ここまでのコメントの流れとは、(たぶん)無関係なのですが、医療系で風変わりなものといいますと、NATROMさんトコを「千島学説」で検索しましたら、
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/searchdiary?word=%C0%E9%C5%E7%B3%D8%C0%E2
いっぱいヒットします。

医師の中にもトンデモにはまる御仁は、ゼロを超える有限の実数であらわされる割合でいまして、それは、科学者でも、政治家でも法曹界でも、同様なのでしょうが、当然、業界によって、その棲息率は異なります。
ホメオパシー業界(?)での率が高いのかどうか、私は、存じ上げませんけれども、「マルチの人」よりは、ましかもしれません。もちろん、ヒトの命を預かるのに、下位争いすることが問題なのは、いうまでもありません。

投稿: mimon | 2010年8月20日 (金曜日) 午後 10時51分

>mimon さん

>>医師の中にもトンデモにはまる御仁は、ゼロを超える有限の実数であらわされる割合でいまして、それは、科学者でも、政治家でも法曹界でも、同様なのでしょうが、当然、業界によって、その棲息率は異なります。

医者と工学者は、理系職業の中でも窮めて有意にトンデモ率が高いと謂う話はよく聞きますね…と謂うか、そもそもホメオパシーの創始者であるハーネマン自身が歴とした医者ですからねぇ(笑)。

何故そうなのかを考察するとそれなりの理由が思い当たるんですが、合理的な根拠のある一般論として語るには結構コストが懸かる割には、そんなことを語っても誰も得をしないと謂う不毛なテーマなので言及を控えたいと思います(笑)。これは多分、医療業界の局外者が想像であーだこーだ言っても発展性がない話なんでしょう。

ついついホメオパシーが代替医療と位置附けられる現代の感覚で考えてしまいがちですが、ホメオパシーと謂うのは元々医学の外部で生まれて本物の医術を擬態しているニセ医術ではなくて、医学史の埒内でちゃんとした新学説として生まれながら検証の結果淘汰された治療術ですから、そう謂う意味では脚気の病原菌由来説なんかと共通するようなアナクロなトンデモとしての性格があるんでしょうね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月20日 (金曜日) 午後 11時21分

 すみません、ワインの話をすると嫌がる方が多く(当然です)黒猫亭さんもご興味が無いのは理解していますが単なる自然派弁護にしか読めないと困るので少しだけご容赦ください。

 ワインを作るときに「どうすれば美味しくなるのか」は判っていないところは一部あるのですが、「何をしてはいけない」「どうなったら駄目か」は大体判ってきています。
 ビオディナミのワインに対する批判も多くはブレタノマイセスや産膜性酵母・酢酸菌などの微生物汚染や還元臭といった醗酵不良や管理の問題です。ビオディナミとは関係のない一般のワインでも起きるトラブルで、自然派でも具体的に対応すれば解決できる問題です。
 所謂新世界ワインの生産者の物や有能な自然派では既にコントロールの出来ている問題です。
 特に日本の一部でこの不良ワインを示す「ビオ臭(香)」が評価されていて特殊な信奉者がいても重要な問題ではないです(本来の自然派の価値は、手を掛けた健全なぶどうそのままの味わいと風土や作り手の志の表現だと思っています)。

 二酸化硫黄の添加をしない醸造も技術的に可能なのは既に証明されています。ビオディナミ自体は基本的に二酸化硫黄の使用は容認しています。
 酵母が醗酵のプロセスで自ら二酸化硫黄を生成する事も知られています(ですからスーパーで売られる無添加ワインは脱硫しています)。
(窒素の封入は世界の大手のワイナリーや日本の普通の清酒メーカーやスナック菓子などでも行われる一般的な酸化防止技術です。怪しい物ではないです)

 ビオディナミ批判にこの文脈が多いのは良い事だとは思いません。品質さえ良ければビオディナミに有利に働きます。
 ビオディナミは現代的な栽培醸造技術と共存が可能なのがオカルトとしてたちが悪いと考えます。
 シュタイナーの祖国でもあるオーストリアでは既に3割が自然派ワインだとも聞きました(ビオディナミとは限りませんが)。これから品質に問題の無いビオディナミは世界中で作られ多く売られる事になるかもしれません。成功が例外でなくなる可能性は高いです。
 それがオカルト系自然派の入り口や援護になる事には不安を感じます。

 批判が上手くかみ合わず、有効に機能しないのは困ります。アピタルで書かれていた様な批判はそれほど有効だと思えません。
 最大の問題はメディア側の安易な利用と美化だと思っています(奇跡のリンゴと同じく)。業者と報道機関は立場が違うはずです。

 ネットで調べたところ批判が混乱気味に感じ、どこかに書いておこうかと思い、勝手ながらこちらをお借りさせていただきました。
 丁寧なお返事はして頂かなくても結構です。読み流して頂いても問題ありません。ご迷惑でしたら申し訳ありません。

 シャンパーニュとスパークリングは得意分野なのでご近所だと良い物を奢って「善い人」だと思われたいです(笑)。

投稿: 摂津国人 | 2010年8月21日 (土曜日) 午前 12時56分

>摂津国人さん

順番が後先になりまして、すいません、過疎ブログなので日頃は一時にこんなにレスを戴くことがなく、摂津国人さんにもレスを返したと勘違いしておりました。

>>すみません、ワインの話をすると嫌がる方が多く(当然です)黒猫亭さんもご興味が無いのは理解していますが単なる自然派弁護にしか読めないと困るので少しだけご容赦ください。

ああいや、興味がないのではなくワインに関する知識がないので、迂闊なことも言えないかな、と謂うことです。ワイン醸造業界の趨勢についてもまったく識らないわけですから、正直なところ自分がどれだけ理解出来ているのかよくわからないです。

ビオディナミワインについては、とにかくそのオカルト理論的な側面と、実際の葡萄栽培や醸造の手法が結果として良いかどうかとはあんまり関係がないと謂うことは、何となくわかりました。なので、専門的なワイン醸造の知識の領域には立ち入らない範囲でお返事させて戴きますと、

>>ビオディナミは現代的な栽培醸造技術と共存が可能なのがオカルトとしてたちが悪いと考えます。

これは仰る通りで、たまたまビオディナミが採用している自然派の栽培醸造法がワイン作りにおいて不利に働かないとしたら、ワインが「美味い」ことがビオディナミのオカルト理論の正しさの証だと短絡して受け取られる可能性はありますね。

オカルトはオカルトで、流通の視点で考えればその物語性を付加価値として商売する分にはそんなに目くじらを立てるようなことでもないのですが、その製造の領域、つまり農業や醸造業のような自然科学に根を持つべき側面もある領域で、オカルト的な呪術系のロジックがあまり蔓延するのも不安ですね。

オカルトではなくても、有機農法自体が一般論として安全性や美味さに直ちに結び附くわけではなく、物によっては食味にプラスに働く場合もある程度ですし、あんまりそれを付加価値として前面に出すことは好ましくないと思います。

思想的な本質が過度の自然礼賛に基づいているわけですから、「有機野菜が美味い」と謂う事実を以て有機農法が優れている、慣行農法や農薬使用は間違っている、と謂うような話にされても困ってしまうわけですが、そう謂うことにしたい人は世の中にたくさんいるわけで。

>> ネットで調べたところ批判が混乱気味に感じ、どこかに書いておこうかと思い、勝手ながらこちらをお借りさせていただきました。

こちらとしては全然構いませんので、どんどん利用してください(笑)。以前のうまみ調味料についてのエントリでもそうですが、摂津国人さんの提供してくださる専門的な情報は非常に有用だと思いますので、そう謂う場として利用して戴くのは有り難いことですが、折角情報を提供してくださっても、素人レベルの知識では気の利いたお返事が出来ないのが逆に申し訳ないところです。

投稿: 黒猫亭 | 2010年8月21日 (土曜日) 午後 01時55分

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