間違いだらけの禁煙法
オレの「うっかり記憶違い(笑)」で何とかマゲさんにマゲを切らせてしまったので、オレのほうでも約束を守らないわけにはいかなくなってしまった(笑)。そう謂う次第で、一応これは今回禁煙に至るまでの真面目な記録で、これから禁煙乃至節煙してみようかと思っておられる方々のヒントになれば幸いである。
以前のオレが一日二箱吸っていたヘビースモーカーだったと謂うことは何度も語っているが、一番「ヘビー」だった頃は一日四箱くらい吸っていた。これはもう、息をするように煙草を吸っていると謂うことであるから、二昔以上前のいつでも何処でも気軽に煙草が吸えた時代の話である。
このくらい吸っていると、電車に乗ったり映画を観たりする為に一定時間煙草が吸えない程度でも苦痛を感じるわけで、何だかんだと重々不便ではあるし、娑婆の流れがどんどん喫煙者に冷たくなってきたと謂うこともあって、段階的に半分に減らして二箱くらいになっていたわけである。
そう謂う次第で節煙は何度か試しているが、これまで本気で禁煙しようと考えたことは多分一度もなかったと思う。それは何故かと謂えば、自分が煙草を吸わずに平気でいられる状態と謂うのが、まったく実感的にイメージ出来なかったからである。一定時間煙草を吸わないでいると辛くなると謂うイメージしかないわけで、それではどう考えても煙草をやめられるはずがない。
このニュアンスは、かなり煙草を吸う方でないと理解して戴けないかもしれない。
喫煙者でも、半日くらいなら煙草を吸わなくても平気、どうかすると忘れている、と謂うくらいの方だと多分理解出来ないだろうと思う。オレの場合、電車に乗るとか映画を観るとか、拠ん所ない事情があったり精々他に集中する対象でもない限り、二時間くらい煙草を吸わないと苛々して辛くなってくる。
禁煙すると謂うことは、煙草を吸わない状態が死ぬまでずっと続くと謂うことであるから、煙草を吸わなくても平気な状態がどんなものなのかと謂う実感がイメージ出来ないと、自分が禁煙出来るなどとは信じられない。勿論、苛々したり集中力が落ちたりするのはニコチンの離脱症状もあるのだろうが、心理依存のほうも大きいわけで、喫煙と謂うのは一種の生活ペースの基準みたいなものである。
たとえばこう謂うふうに纏まったテクストを作成しているときに、「さて、この続きはどうしようか」と考えるようなタイミングで煙草に火を点ける。それが生活のリズムを形づくっているわけで、それを禁じられるとリズムが狂ってきて苦痛を感じる。少なくともオレの場合はそうである。
苛々やストレスに弱くなるし、喫煙を我慢することそれ自体が苛々やストレスをもたらす部分もあるわけで、完全に悪循環である。であるから、オレの勤め先の印刷会社の営業マンなんかは、喫煙の健康への悪影響と仕事上のストレスの捌け口としての性格を天秤に掛けた場合、後者を選ぶヒトが多いわけで、せっかく数カ月禁煙を続けていられても「やっぱり(禁煙のほうを(笑))やめよう」と謂うふうに煙草に手を出す人が多い。
煙草をやめてしまったら、ストレスの行き場がなくなってしまうと謂うわけである。
まあ、オレだって脳梗塞の脅威がなかったら最初から禁煙なんて考えもしなかったのであるから、その算盤勘定は理解出来る。生まれつきメンタルが強固に安定しておられる方には想像出来ないだろうが、若い頃のオレは今よりかなり神経質でメンタルが不安定だったのだが、喫煙で若干その苛々や情緒不安定が緩和された側面はある。
で、一度喫煙が習慣附いてしまったが最後、その後ずっと三〇年くらい喫煙習慣が途切れたことがないのであるから、煙草をやめてしまったら自分のメンタル的な部分がどう謂うステータスになるのか、これがまるっきり想像出来ないわけである。
であるから、禁煙を成功させる為には、普通の非喫煙者の人々にとって当たり前の感覚である「煙草を吸わなくても平気な状態」と謂うものを、実感的にイメージ出来れば成功の度合いは高くなるわけである。
さて、オレが最初に想定した段階的禁煙法のメリットは、普通なら「えいやっ」と一度に試みるものである「禁煙」を或る程度長期的なスパンに亘る「連続的プロセス」に分割するところにあるわけで、普通に「今日から禁煙します」と謂うふうに禁煙に取り組む場合には、それ以後に一本でも吸ってしまったらオシマイで、その試みは「挫折」である。
その挫折を乗り越えて再度挑戦してみようと謂う気になるまでには、やっぱり或る程度の時間を措く必要があるわけで、人間誰でも挫折は怖いものである。挫折した結果が怖いだけではなく、挫折経験それ自体が打撃になるのである。何かをしようと試みて出来なかったと謂う経験があれば、誰だって意気阻喪するが、その沈んだ心理状態から浮上してもう一度試してみようと決意するまでに時間が掛かるわけである。
しかし、オレの場合は病気で拠ん所なく煙草をやめるのであるから、そんな悠長なことは言っていられない。で、上記のような挫折のプロセスと謂うのは、一種禁煙の苦痛からの解放でもあるわけで、「ああ、もうダメだ」と諦めてしまえば、その瞬間に禁煙や節煙の苦痛から逃れられるわけである。
禁煙の苦痛の持続から逃れてスパ〜ッと一服吸ってしまえば、それまでの苦労がパーになる半面、緊張から解放された得も言われぬ弛緩の悦楽がある(笑)。
であるから、これを一定のスパンにおける段階的な節煙を経て最終的に禁煙に持っていくと謂う「連続的プロセス」に分解することで、「挫折」によって「楽になる」と謂う選択肢を予め潰しておくと謂うメリットが得られる。
今日ちょっと目標より多く吸ってしまったとしても、それで「ああもうダメだ、いっそ楽になってしまおう」と謂うことにはならないわけで、今日失敗した分は明日取り返さなければならないと謂うプレッシャーになる。
格闘マンガなんかで、圧倒的に強い実力者が遙か格下の相手を「一発KOの楽な敗北を許さず痛めつける」と謂うようなサディスティックな描写があるが(笑)、要するにそう謂うノリである。一本吸ってしまったらその瞬間に楽になるような段取りでなくしてしまえば、とにかく一定期間の間は努力し続ける以外にはないのである。
途中でどれだけ成績が悪くても、たとえば三カ月なら三カ月の間、降りることも挫折することも許されない。さらに、そのような辛い節制の日々が続けば続くだけ禁煙に掛けた労力や苦痛のコストは積み重なっていくわけで、禁煙を成功させる為にはとにかく自分に可能な限りコストを費やして後戻り出来なくしてしまうほうが好い。
基本的にそう謂う狙いの計画であったのだが、その計画を実践することで必要性を理解したのが、前半で語った「煙草を吸わずに平気でいられる状態」の実感イメージの重要性である。最初の一カ月くらいは好調だったのだが、どうしても節煙の無限分割であるから、「煙草を我慢している状態」と謂う意識がなくならないわけで、無限分割から無に飛越する(そない大層な(笑))には大きな壁があるような気がしてきたわけである。
実際、一日二箱から一箱弱に減らすのは簡単だったのだが、そこからさらに一日一〇本弱に減らすのはかなり苦労させられた。いや、出来ないことはないのだし、最初の頃はとても成績が良くて、すでに四〇本吸っていたところを二〇本弱にまで減らしているのであるから、その成功体験が励みになり、一〇本くらいまで減らすこと自体は出来る。
段階的禁煙法にレコーディングダイエットの理屈を組み合わせ、煙草の消費本数と残存本数をわかりやすく可視化して、毎日吸った本数を記録すると謂うこともしていたのだが、今見返すと一カ月から二カ月半ばくらいまでは成績自体はかなり好く、概ね目標値をクリアしている。
これはつまり、一日四〇本吸っていたのを二〇本に減らすのであるから、単純に考えれば、本数を減らすと謂うより煙草を吸う時間の間隔を倍にすれば好いわけで、一〇本ならさらにその倍に伸ばせば好いわけである。
で、食事や入浴、睡眠などの時間を除外すれば、概ね時間的なスパンとしては一五、六時間の間の話で、四〇本吸うのなら一時間に二本以上吸っていると謂うことだし、二〇本弱なら概ね一時間に一本強、一〇本弱なら二時間に一本程度の間隔で吸うと謂うことであるから、これを突き詰めて謂えば、節煙とは「次の一本を吸うまでに我慢する平均的な時間」を伸ばしていくことである。
そう謂うふうに考えた上で平均的に「二時間に一本」みたいな間隔で節煙に努めると同時に、勤め先が喫煙所以外全面禁煙であることを利用して「煙草を我慢していられる絶対的な時間」を伸ばす訓練も並行して行った。これは、自宅を出てから勤め先での拘束時間一杯を目途に訓練して、一〇時間くらいまでは我慢出来るようになった。であるから、実質的に煙草を吸うのは残りの五、六時間の間と謂うことになる。
具体的には、朝起きてから家を出るまでの間に四本くらい吸ってしまうので、拘束時間一杯我慢するとして、勤め先の玄関を出てから寝るまでの間に五、六本吸っても構わないと謂う条件になるわけである。
そして、この「煙草を我慢していられる絶対的な時間」を伸ばす訓練によって「煙草を吸わずに平気でいられる状態」の実感イメージを獲得するわけで、一〇時間煙草を我慢している間には、煙草のことを忘れている時間もかなり増えてくるので、それが常態化してずっと続いているような感覚をイメージするわけである。そうすると、最初の頃はあまり現実感がなかった「禁煙」が達成可能な目標に感じられてくる。
ただ、やっぱり短時日の間に四〇本から一〇本弱に減らしてしまうと、心理的な失調と肉体的な離脱症状が相俟って、発作的な苛々の爆発や集中力の欠如と謂った身体症状が如実に出てきて、仕事や人間関係に差し障りが出てくるもので、「好事魔多し」と謂うところである。ご存じの方はご存じだろうが、現在のオレの生業は「校正」なので、基本的に集中力以外に特別な職業スキルなんてのはないわけである(笑)。
仕事がそれほど忙しくなくて定時に退ければ格別苦労せずに目標を達成出来るのであるが、これが仕事が忙しくなっていつ果てるともなく残業が長引いたり、その過程でギスギスしたストレスが生じてくると、仕事を終えて煙草が吸えるようになる時間が待ち遠しくてさらに苛々が昂進してきて悪循環にハマり込むわけである。
そこで仕事に差し障りが出てくるのでは本末転倒だから、まあこれは仕方がないので一本吸って気持ちを落ち着けると謂うことになると、全体的なバランスをとることが難しくなってくる。二カ月目の後半は仕事が少し忙しくなってきたので、このパターンで大分目標値をオーバーするパターンが増えてきていた。そう謂う意味では、前述のように印刷会社の営業マンが仲々禁煙を続けられないのも仕方がないだろう。
そうなると、幾ら三カ月のスパンで考えていても、小さな挫折が立て続けに連続すると気が滅入ってくるわけで、仕事のことばかりはオレがどうこうしようにもどうにもならないわけであるから、計画の全体スパンにもう少し幅を持たせようかと少し気弱になりかけたタイミングで、どうやら勤め先のほうでお盆の週は前後の週末も込みで完全に休業すると謂うことがわかった。で、九日間くらいオフが取れるのであれば、その間に一カ月前倒しで禁煙にトライしても好いのではないかと考えた。
仕事さえ絡まなければ、オレが苛々しようが集中力に欠けようが誰も迷惑をしないわけであるから、もってこいのチャンスである。まあ、八つ当たりのとばっちりを喰うのは猫くらいだろうが(笑)、流石にオレも猫を飼い始めて一〇年近くも経つので、猫の八つ当たりを貰うことはあっても、猫に八つ当たりをしない程度には胆が出来ている(笑)。
人生初の本格的な禁煙を試みるのだから、失敗したらどうしようかと謂う緊張はあったのだが、これが意外なくらい簡単に成功した。そう謂う意味では、段階的禁煙法にも或る程度効果があったわけで、要するに「煙草を我慢していられる絶対的な時間」を永遠に続けるだけのことであるから、事前に散々訓練は積んでいるわけである。
つまり、簡単に言えば段階的禁煙法のメリットとは、何度もいろいろな角度から多角的に禁煙のリハーサルと訓練を繰り返すことが出来ると謂う部分にあるわけで、いざ本番に踏み切ると散々練習済みなので驚くくらい簡単に出来るし、失敗がない。
実はそれまで少し調子を崩していたこともあって、多少自信がなかったのだが、ほぼストレスなく現在まで禁煙が継続している。勿論、ニコチネルパッチやニコレットガムなどの禁煙補助剤はガンガン使っている(つか、パッチとガムを併用しちゃ本当はダメなんだけどな(笑))わけであるが(笑)、離脱症状は追々緩和していくにせよ、心理依存のほうはほぼ克服したと謂っても好いだろう。
現在まで予断を許さないのは、よく言われるように「他人が吸っているところを見て吸いたくなる」と謂うことは全然ないのだが、いつも吸っていた生活リズムを踏襲すると無意識のうちに煙草を吸うイメージが出来ている場合がある。
つまり、こうやってテクストを打ち込みながら、「さて」と立ち上がって台所に行って椅子に座る、と謂うような行動パターンがあると、その行動の連続上で煙草を吸っていたわけであるから、無意識のうちに身体が煙草を吸いたくなっている。
ただ、現在ウチには煙草と名の附くものは一切なく、精々「人生で最後に吸った煙草の吸い殻」を記念と戒めの為に小さな透明の袋に入れて壁に画鋲で留めてあるだけであるから、そこで煙草を吸う怖れはない。「煙草を買う」と謂うアクションを完全に禁じているので、誰かが一本恵んでくれると謂う機会には遭遇したことがないからまだわからないのだが、自分から禁煙を破ることはないだろう。
オレも相当悪趣味な人間なので、「煙草を買う」と謂うアクションを自らに禁じる訓練の為に、夏休みの間中、かなり厭らしい「肝試し」を何度も繰り返した。
つまり、タスポカードと百円玉を三枚握りしめて煙草の自販機の前に立って、自らに向かって「これだけ我慢したんだから一本くらい吸っても好いんじゃないの? 一箱だけ買って一本だけ吸ったら、後の煙草は捨てちゃえば好いじゃん」とか「ここまで頑張ったんだから、ここで挫折しても誰も責めないよ、一本くらい吸おうよ」とか、手を変え品を変え散々甘い囁きを自らに向かって繰り返すのである(笑)。
幸いなことに一度も誘惑に負けたことはないからもう大丈夫だと思うが(笑)、一度でも買ってしまったら今回の試みは「挫折」と謂うことになるので、この「肝試し」は流石にかなり怖かった。失敗しても責任は取れないので、TVの前のよゐこのみんなは絶対に真似しちゃダメだ(笑)。
単にオレは「目標を達成する為の過酷な努力」が三度の飯より大好きな変人だから、不必要に苦しいことがやってみたかったと謂うだけの話で、禁煙するだけならそこまでする必要なんかさらさらないのである。
それから、あまり他人様に大っぴらにお奨め出来ないティップスとして、「とにかく不必要なまでにコストを掛ける」と謂うポイントがある。オレの場合、電子タバコや無煙煙草、禁煙パイポなどの代替煙草類に二、三万円、ニコチネルパッチやニコレットガムなどの禁煙補助剤にもやはり三万円以上掛けているし、その他諸々諸費用を含めると最低でも禁煙の為に六、七万円以上は掛けている。
夏休みの間の禁煙期間は「ストレス発散の為」と称して出鱈目な衝動買いの買い物をしたから、その分も含めるとえらい金額になるが、これは単にオレが買い物好きな性格で禁煙に託けただけと謂う理由もあるから除外しておこう(笑)。とにかく、禁煙の為にこれだけのコストを掛けたのだから、絶対に挫折出来ないわけである。
絶対的金額自体は人夫々でどの程度でも好いだろうが、自分が払える範囲内で「これだけカネや労力を費やしたんだから、元を取らないと損だ」と思える程度のコストを掛けることも効果的だろうと思う。
そう謂う次第で、上記を総合して考えると、今回のオレの禁煙法はどう考えても「煙草をやめる」と謂う目的性から考えてオーバースペックで、自分に可能ならばあらゆる選択肢を全部実行しているのであるから、やめられないほうがおかしい。
オレみたいな、石橋を叩いて割った挙げ句に渡らずに自前で新しい橋を架けて他人が安全に渡るのを確認してから自分が渡るような、慎重を通り越して過剰にしつこい人間が一旦何かに取り組むと、絶対やりすぎると謂う好例である。
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コメント
そう謂う次第で、「大変意外なことに」マゲ氏が気前好くオレの言い懸かりに応えてくださったので、こちらとしても可及的速やかに約束を果たすのが筋であると考え、このエントリをマゲ氏に捧げる。
まあ、とっくに禁煙しているマゲ氏がこんな糞長いエントリを捧げられても意味はないだろうけれど、オレのほうだってマゲ氏のマゲを貰っても意味はないので、一種のポトラッチと謂う理解で好いのではないだろうか(笑)。
いや、正味な話、目的を達成する為ならあらゆるものを利用するオレとしては、マゲ氏の挑発も大分励みになりましたよ、どうも有り難う。
投稿: 黒猫亭 | 2010年8月26日 (木曜日) 午後 03時41分