おちおちバラエティも観ていられない
最近TVでバラエティ番組を漫然視聴していると、何の躊躇もなくいきなりグロ映像を流されたりして不愉快なことこの上ない。先日も動物の珍しい映像を流すシリーズ特番をやっていたので漫然と観ていたら、いきなり「寄生虫に寄生されて変形したカタツムリの映像」が流れて、これってたしか「ベストハウス123」だったかでも流したグロ映像だよな、とか思ったのだが、ボーッとしているうちに流れてしまったのでうっかりまた観てしまった。
なんかこう、そう謂うものをうっかり観ちゃうと、脳裡に焼き付いて三日くらいずっと不愉快だよな(笑)。オレなんかグロに弱いから夢にまで観ちゃったよ。どうもサッパリ理解出来ないのだが、ちょっとした暇潰しに動物の珍しい映像が観たくて番組を観ているような視聴者が、寄生虫に寄生されて変形したカタツムリのグロ映像なんか観たいと本気で思って編集したんだろうか。厭がらせかよ。
これが「ベストハウス123」で流れたのなら、普段から頻繁にグロ映像を流す悪趣味な番組だから番組自体観なければ好いし、最近では番宣スポットでも平気でグロ映像を流すからちょっとでもこの番組の気配がしたらすぐにチャンネルを替えることにしてはいるんだが、普通のバラエティ番組でも平気でグロに流れるんだったら、気楽にTVなんか観ていられないじゃないか。
つか、あんなグロ映像を仕事で見なければならん出演者は気の毒だなと思うんだが、司会の生野陽子なんか吐きそうな顔していたくらいで、たとえば小池里奈もまだ子供なのにベストハウスのセミレギュラーなんだよなぁ。ベストハウスは小池里奈が目当てで以前は我慢して観ていたんだが、最近はあんまり番組の中身がひどいので、小池里奈には義理を欠くが(笑)視聴を諦めることにした。
エログロナンセンスと一口に言うけれど、エロとかナンセンスはお堅い向きには顰蹙されはしてもまあ罪がなくて好いのだが、グロの扇情性に趨るようになるともう末期症状じゃねーかとか思ってしまう。どう謂うわけか、最近のCXのバラエティは全般にグロに趨りがちな傾向があるような気がするんだが、誰にでも怖い物見たさってのはたしかにあるかもしれないとは謂え、グロは物珍しいだけではなくて気の弱い視聴者の神経に障るから、そのうち視聴者やBPOから本気で怒られるぞ。
CXって伝統的に無意味な反骨精神でもあるのか、たとえば「あるある」の捏造事件とか「さんま大教授」のニセ科学紹介企画なんかが好い例だが、てめえが悪くて怒られても片意地になって同じことを続けるようなところがあるけど、そう謂う小学生のガキみたいなくだらない意地を張るのはもういい加減にしろよな。
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コメント
>>たとえば「あるある」の捏造事件とか「さんま大教授」のニセ科学紹介企画なんかが好い例だが、てめえが悪くて怒られても片意地になって同じことを続けるようなところがある
ちょっと舌足らずで紛らわしい書き方になったが、勿論正確を期すなら「あるある」はCXではなく関テレの制作で、捏造事件自体はCXの直接的な責任ではないが、提携している局でこう謂う不祥事があったにもかかわらず、その後も平気で「さんま大教授」でニセ科学を無批判に紹介する姿勢が問題だと謂う意味で、「てめえが悪くて怒られても片意地になって同じことを続ける」ってのは、たとえば「ホンマでっかTV」のゴールデン昇格なんかのことね。
もっと正確に言うなら、「さんま大教授」で水伝を紹介したことについては、オレの識る限りでも結構な数のニセ科学批判のブロガーが局のHPを通じてクレームを入れているはずであるが、番組内でそれに対するリアクションはなかったし、「週刊フジテレビ批評」で同番組が採り上げられた形跡もない。つまり、完全無視である。
で、以前はもう少し報道パロディ的な性格のあった「ホンマでっかTV」が「さんま大教授」の流れで胡散臭い「センセイ」を招聘して勝手気ままな放言をさせる性格にシフトさせて、その申し訳として「この番組内で語られていることは飽くまでセンセイが勝手に言っていることですから責任とりません」みたいな注意書きのテロップを一瞬流すだけ、と謂うのが開き直りとしかとれない。
それがもしも「反骨精神」みたいなものの賜物だとしたら、「てめえが悪くて怒られたことでも片意地になって押し通す小学生のガキみたいなくだらない意地」と罵倒されても文句言えた筋合いじゃないだろうってことですよ。
これまでの書きぶりで大体察しが附いているだろうけれど、オレも八〇年代に上京したTVっ子世代の田舎者だから、基本的にフジテレビって好きなのね。でもここ数年のフジテレビの姿勢ってのは、どう欲目に見ても好きになれない愚劣で幼稚な性格ばかりが目立って、正直言って腹が立つんですよ。
投稿: 黒猫亭 | 2010年9月24日 (金曜日) 午前 03時14分
おはようございます。
河瀬直美監督の新作公開が間近なせいかもしれませんが、最近めざましでアノ吉村医院を、またもや好意的に紹介したそうです。
出てきた助産師(33歳、助産師歴10年、吉村勤務歴7年)の
>「(大病院の産科に勤務してたときは、赤ちゃんが)出るだけという
>感覚でしか見ていなかった、お母さんの気持ちや赤ちゃんの感情に
>目が全然向いていなかった」
>取材中に自分が助産を担当した、60時間の陣痛を経由してやっと産まれ
>たケースについて
>「陣痛促進剤が悪いとかは思わないが、それがなくて産んだというのは
>自分にとってすごく嬉しい。諦めないで頑張れたので。すごい力を
>持っているとすごく朝から感じさせられていたので邪魔をしないように
>お手伝いしたいと思った」
こんな発言を無批判にまた垂れ流したそうです。
その、常々「病院に行くから病気になる」と仰有っていた吉村医師は、ご自分の脳内出血では病院の治療をお受けになったそうで、アホらしくてやってられない感じです。
TV番組は作る阿呆に見る阿呆の時代でしょうか?
投稿: うさぎ林檎 | 2010年9月24日 (金曜日) 午前 10時51分
>ホメをパスのうさぎ林檎さん
…間をとってみましたが、やっぱりお気に障りましたでしょうか?(木亥火暴!!)
お返事が随分遅れましたが、これはうさぎ林檎さんがめざましテレビのネタなんか振るもんだから、「あれはどうだったかしら」と気になってここ一カ月分くらいのめざましテレビの録画を見返して、その流れで半年分くらい溜まったDVDのラベル書きと整理にのめり込んでいたせいですので(木亥火暴!!)。
>>河瀬直美監督の新作公開が間近なせいかもしれませんが、最近めざましでアノ吉村医院を、またもや好意的に紹介したそうです。
ながら視聴で観ていて、「なんかその手のVを流しているな」とは思ったのですが、内容まではちゃんと観ていませんでしたので、録画を見直しました…ええと、オレが任意の日付のめざましテレビの録画を参照可能な理由については、もう更めて説明する必要はないですよね?(笑)
さて、ご指摘の企画は、番組後半の「ココ調」と謂うルポルタージュコーナーのサブカテゴリーである「ヒト調」の企画として九月一六日木曜に放映されたものですね。
映像を観た感じでは、吉村医院が前面に出るような内容でもなかったですね。勿論吉村医院の特定のやり方を紹介しているわけですが、重点は飽くまで「自然な出産」と謂うテーマにあって、特定の助産師と妊産婦の特定の出産事例に寄り添ってレポートしているわけで、吉村医師の出演も一〇秒かそこらのコメントのみで、それだけに余計にタチが悪いとも言えますね。
つまり、これが吉村正と謂う特定の医師が主張している医療理念であり、吉村医院と謂う特定の診療所で実践されている特殊な診療法だと謂う印象が薄いので、「『自然な出産』とはこう謂うもの(吉村医院のやり方)だ」と謂う一般論に見えてしまう嫌いがあります。
吉村医院のやり方が良いものだと謂う印象を与えると謂うより、それが自然な出産の在り方だと謂うことを前提視していると謂う印象で、「ああ、結局取材した連中が吉村医院の雰囲気や院長のカリスマに丸め込まれちゃったのね」と謂う印象です(笑)。まあ、最初から「感動のネタ」を探しに行っているわけですから、すでに丸め込まれる気満々なわけですが。
コーナーの〆で大塚範一が、これが飽くまで選択肢の一つでしかないことを強調していましたが、当然NATROM先生が指摘しているような問題についてはまったく触れられていないわけで、すべての判断材料が妥当に提示されているわけではまったくありませんから、この映像が意図している「感動的な出産場面」のインパクトと「自然な出産」と謂う自然賛美のイメージだけで、或る程度の女性視聴者が「ここで出産してみたいな」と謂う印象を抱いたことは事実だろうと思います。
そもそも、限られた尺に納める都合上説明的な情報は大幅に削らざるを得ず、また、撮る側の想定するストーリー次第で幾らでも視聴者に特定の印象を与えられる映像メディアで、こう謂うデリケートな対象を紹介することが果たして妥当なのか、やはり疑問に感じますね。
実は、録画を確認しているうちに、この「ココ調」並びに「ヒト調」と謂うコーナーの歴史についての解説や、この吉村医院の企画が流れたタイミングについての物凄く長い考察を書いてしまったのですが(木亥火暴!!)、問題の焦点がボケてしまうので残念ながらボツにすることにしました。
>>その、常々「病院に行くから病気になる」と仰有っていた吉村医師は、ご自分の脳内出血では病院の治療をお受けになったそうで、アホらしくてやってられない感じです。
「死すべき命は自然に任せて死なせるのが道理」じゃなかったんですかねぇ(笑)。その理屈を敷衍するなら、たとえば脳内出血で倒れたら「不自然」な通常医療の治療なんかせず、大人しくヨイヨイになったり死んだりするのが「自然」で正しいと謂うことになるのがこのセンセイの持論じゃなかったんですかねぇ。
先日亡くなった某カリスマ助産師の方なんかも、他人には「病院に行くな」と脅迫しておきながら、いざてめえの命や健康がヤヴァくなるとアッサリ自分は病院に行くってのは何の冗談なんでしょうね。
まあ、吉村センセイの場合は元々自分の手に負えない事例はどんどん通常医療に圧し附けていながら、そのくせ「病院に行くから病気になる」と言っているのですから、結局は自分のところで手に負えない連中は本当は死ぬのが正しいって話でなければならないわけで、実際「死すべき命は云々」みたいなことも言っているわけですが、その辺はあんまり大っぴらにしていないのがこすいですし、自分の命や健康が絡む場合は通常医療に縋っていると謂うのがさらにこすいところですね。
それは、如何に吉村院長個人が「死ぬべき命は云々」と謂う思想の持ち主だったとしても、現代の医療倫理では自分が職業的な責任を持っている患者や子供を死なせるわけにはいかないから不本意ながら通常医療と連携をする、と謂うのなら、それは現実論だけれど、自分一個の身の振り方くらい自分の思想に殉じたらどうなんですかねぇ(笑)。
結局自分の利害が絡む場合には、常日頃の放言とは矛盾する行動を選択すると謂うのであれば、他者の人命を論じていながら、その思想なんてのは自身の身命を賭した信念でも何でもない口先だけの戯言にすぎないと謂うわけですね。
いや、ホントに傍迷惑な莫迦者ですね。このセンセイにだけは愚行権を行使して戴いて自身の思想に殉じて欲しかったところでした(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年9月29日 (水曜日) 午前 09時03分
こんにちは。
「ホメをパス」されたらトスしてアタックだと思ふうさぎ林檎でございます(そろそろ宇宙猫を〆るべきか)。
ようございました。真夏の過酷な修行が原因でまたもや、ふぅーーっとなられたのかと心配しておりました(笑)。
「玄牝」がスペインのサンセバスチャン国際映画祭でなんか賞を取ったそうで、全国公開に弾みがついたかもしれません。
古民家で、見た目だけは仙人の医者で、妊婦が集団で薪割りして雑巾掛けして、玄米菜食で、畳の部屋で出産……タイトルは老子から取っている。そりゃ外人がイメージしたがる日本を描くことには成功しているんでしょう。
シネマトゥデイで紹介されていました。
>女性器での性的快感を出産・性交で率直に表現したことに驚愕の声!河瀬直美監督『玄牝-げんぴん-』
http://www.cinematoday.jp/page/N0027114
そこに助産婦(助産師なのに)の劇中での言葉がのっていて、
『女性は膣で大切な人を受け止めて、性交渉の究極は一体感にある。出産でも子どもとの一体感を得られる』
とかゆーてます……そこの主語は"私"にして欲しい、そりゃあなたの性的ファンタジーだだ漏れに過ぎないので、女性一般を述べているつもりに勝手にならないで頂きたい。
そこのコメント欄でもNATROM先生が記事にされた"吉村医院の哲学"のURLが紹介されたりして、化けの皮が剥げかかってます(笑)。
……いや、いま読み返すと笑える。
>死んだっていいって思やあ、それでいい
おこわにかけてんじゃあないよ、このすっとこどっこい。
ちょっと誰か、表に塩まいといておくれ……という気分になりますね。
河瀬監督のインタビューも、ちょっとどうかと思う内容で"女性の力だけで分娩を行う"と謂ったところで、周囲の周産期医療のリソースにフリーライドしているセーフティネット付きの贅沢な自然分娩ごっこ遊びは、ごっこ遊びに過ぎないので、そんなドヤ顔されてもなんだかねぇという感じです。
オフィシャルサイトで誉めちゃってるのが、
よしもとばなな、内田也哉子、加藤登紀子(大地を守る会繋がりのよう)
というのも味わい深いです。
投稿: うさぎ林檎 | 2010年9月29日 (水曜日) 午後 03時18分
>アタッカーうさぎ林檎さん
>>そろそろ宇宙猫を〆るべきか
宇宙猫さんは大事なオトモダチなので、あまりヒドイことはしないでくださいね。せめて〆るのであればやんわりと優しく活け〆に(木亥火暴!!)。
>>ようございました。真夏の過酷な修行が原因でまたもや、ふぅーーっとなられたのかと心配しておりました(笑)。
いや、むしろ血液検査後の二週間くらいはタガを緩めて荒修行をサボり、ダラけた生活を満喫していましたので、そろそろ再始動しようかと考えていたくらいで、本日は久しぶりに午前中から昼頃にかけて一六キロくらい歩いてきました。
最近は、近隣の自治体の歴史資料館や歴史博物館を廻って、郷土史の冊子を買ってきて読むのが楽しみになっています(笑)。結構楽しいですよ、「三芳町の歴史」とか、どんだけピンポイントな範囲の話なんだってツッコミを入れたくなりますから。
まあ、あんまりピンポイントなんで人間が棲息していない時期がたくさんあって、先史時代から続く年表が穴だらけで、古墳時代からいきなり江戸後期とか明治時代に飛んだりするのが笑えますが(笑)、どうも武蔵野台地は水利が悪くて稲作に向かなかったらしく、歴史時代に入ってから長らくただの草っ原だった時期が続くんですなぁ。
>>「玄牝」がスペインのサンセバスチャン国際映画祭でなんか賞を取ったそうで、全国公開に弾みがついたかもしれません。
あ、映画のほうに言及するのをすっかり忘れていた(笑)。
河瀬直美って誰だっけ、とか一瞬思ってしまいましたが、「萌の朱雀」とか撮ったヒトですね、なんか気持ち悪そうなヒトなので一本も作品を観ていませんでした(笑)。如何に海外メディア向けのリップサービスとは謂え、「妊娠も性交も膣で愛しい人と一体感を感じるところは同じ」とか言えちゃうような気持ちの悪いヒトとは、多分オトモダチになれそうもありません。
>>そりゃあなたの性的ファンタジーだだ漏れに過ぎないので、女性一般を述べているつもりに勝手にならないで頂きたい。
なんつーか、女性性をウリにする作家って、この手の気持ち悪い性的ファンタジーの過度な一般化の傾向が多いのはどうにかならんのですかねぇ。例の子猫殺しのオバサンを想い出しました。
なので、調べてみるまで吉村医院のドキュメンタリーを撮っていたことすら識りませんでしたが、まあ地味な作品ですし、単館系なのが救いと謂うところですかね。ユーロスペースでドキュメンタリー映画なんか観るような奴は、どうせ何もなくても我から探してまでこう謂うのにホイホイかぶれますから、ほっときましょうか(笑)。
まあ本題の「ヒト調」の話題にも通じることなんですが、「『ドキュメンタリー』ほど虚構だらけのフィクション作品はない」と謂う簡単に理解出来るセンテンスこそ最も単純で力強いメディアリテラシーの鉄則ですね。
とにかく「ドキュメンタリー」はまず疑ってかかる、「嘘だろう」と謂う目で視る、これだけで随分違うはずですね。実際、ドキュメンタリー映像の中にある真実の要素と謂うのは極限られたものでしかないはずなのですが、写真や動画の特性上「ありのままの事実が写(映)っている」と謂う強い印象を与えますから、なかなかそれも難しいところではあります。
>>河瀬監督のインタビューも、ちょっとどうかと思う内容で"女性の力だけで分娩を行う"と謂ったところで、周囲の周産期医療のリソースにフリーライドしているセーフティネット付きの贅沢な自然分娩ごっこ遊びは、ごっこ遊びに過ぎないので、そんなドヤ顔されてもなんだかねぇという感じです。
そもそも、たとえばめざましで紹介された事例の「陣痛六〇時間」なんて話を聞いただけで、何の為にそんなに長い間痛い思いを我慢しなければならないのか、それはどうにか出来ないのか、どうにかしては何故いけないのか、と疑問に感じるのが当然だと思うんですが…と謂うか、疑問を持ちましょうよ、と。
そんなのは、たとえばクルマや電車を使えば一時間ちょっとくらいで走れてしまう程度の距離を、人間の脚で走ることで単なる移動手段を超えた質的な価値を創出したいと謂うような「酔狂」の類に過ぎないわけで、結局この種の「自然な出産」ってマラソンと意味的に変わらないじゃん、と思うんですよね。
そらまあ、体力に自信のあるヒトがマラソンを趣味にするのは全然構わんのですが、今の世の中は連続して四〇キロ以上走れるだけの体力がないヒトのほうが圧倒的多数で、そもそもそれだけの距離を移動するのに自分の二本の脚で走ると謂うのは、単なる酔狂とか趣味の類と見做されています。
それに対して、「自分の脚で移動することも出来ないくせに四〇キロ以上簡単に移動するのは不自然で間違いだ」と言ってみても意味がない。それこそ莫迦じゃねーのかと謂う話で、当ブログで何度も主張していることですが、人間の文明と謂うのは弱者を救済する方向で進歩してきたわけで、今や「自然な肉体の能力」だけで生きていけと言われても生きていけない人間のほうが圧倒的多数と言っても好いでしょう。
そうじゃなかったら、こんなに人間が増えてないですって。で、結局「自然な出産」なんてのを有り難がる「極端な自然崇拝」ってのは、こんなに増えた人間の大部分はシネとか思ってる輩が多いってことは以前のエントリでも語りましたが。
吉村センセイの意見とは、要するにそのような文明社会の状況自体が不自然で間違っていると謂うことで、「死すべき命はDNAで決まっているんだから、自然に任せて死なせるのが正しい」と謂う思想は、端的にその事実を物語っていますね。
それは結局「産褥で死ぬ妊婦の命を助けるのも間違いだ」と謂う理屈に繋がるし、最終的には「病院に行くから病気になる」と謂う理屈にも繋がるわけで、「病気」と謂うのは「治療」と謂う概念と対置されるから意味を持つ概念ですから、不自然な延命行為を施してまで死ぬべき命を助けるべきではないと謂う意味では、「病院に行くから病気になる」と謂う意見は正しい(笑)。病院で医者が「病気」を見付けなければ、それが如何なる結果に結び附いたとしても単なる「運命」に過ぎないわけですから、「病気」なんて概念自体に意味がなくなります。
しかし、そんな莫迦げた戯言を嘯いていたヒトでも、自分の命は惜しいし自分がヨイヨイになって下の世話を受けるのはイヤなのですね、うんうん、わかります(笑)。誰だって他人の命なら「ほっときゃ死ぬものをわざわざ助けるのは不自然だよ」なんて言えますけど、自分の命は惜しいですもんねぇ。
つか、誰だって自分の命は惜しいのが当たり前なんです。「死んでもいい」と謂う達観を強要するような思想なんてのは、誰が受け止めきれるんだって話ですよね。それじゃあ「宗教」呼ばわりされても無理はないわけで、大概のインチキ宗教の教祖様同様、吉村センセイも他人へ垂範する理屈と自分の本音の行動には矛盾がある、そう謂うことですねぇ。
>>おこわにかけてんじゃあないよ、このすっとこどっこい。
うさぎ林檎さんの頭がごま塩…いや、何でもありません(木亥火暴!!)。
>>よしもとばなな、内田也哉子、加藤登紀子(大地を守る会繋がりのよう)
またばななか、ばなななのか、ばなななんだな、ばかなばななだな(木亥火暴!!)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年9月29日 (水曜日) 午後 04時49分