「こしょう」がないから唐辛子を燻べたんや
さて、最近はうんざりするほどウォーキング絡みの話ばかりしているが、今月は月初から集中してウォーキング用のシューズに数万円単位のカネを遣っていて、シューズを三足と中敷きを一足買ってしまった(笑)。お陰で月末の今頃になって、娑婆の陽気に先駆けて懐に秋風が立っていると謂う体たらくである。
先月末に買ったスーパーフィートとの比較上、熱加工機械を備えた店でコンフォマーブルのウォークプラスを購入したのを手始めに、ミズノのウォーキングシューズを一足、アシックスとナイキのランニングシューズを一足ずつ、計三足のシューズを買ったのだが、最終的にはナイキのランニングシューズがオレの使用法にはベストだろうと謂う結論に落ち着いた。
ミズノのウォーキングシューズは「LD HORIZON」と謂う上位モデルだが、ゆっくり長距離を歩くのに向いているようで、その歩き方におけるクッション性と堅牢性には優れていると思うが、オレのように早足で長距離を歩く歩き方ではソールの衝撃吸収力が物足りないし、硬い樹脂製のソールのグリップが弱いように感じた。堅牢さも屈曲性の硬さとして感じられるので、オレの使用法には向いていないように思った。
それと、どう謂うわけかソールの接地角度が内向きに倒れる角度に附いていて、つまり自然にオーバープロネーション気味の接地角度になってしまうのだが、これで二時間くらい歩くと膝の痛みに繋がるように思う。元々左脚はオーバープロネーション気味なので長時間歩くと左膝が痛む傾向はあったのだが、多寡が二時間くらい歩いただけでサビネーション傾向のはずの右脚の膝まで痛くなってきたのにはまいった。
多分普通の歩き方ならそんなにプロネーションやサビネーションが影響しないから、未整地の路面の凹凸で足首を挫かないようにソールの外側を強化していると謂うことなんだろうが、これはあまりオレの足ナリや歩き方には向いていないように思った。
文句ばかりで恐縮だが、この製品は未整地なんかも視野に入ったトレッドパターンのデザインのはずなのだが、天気の悪い日にウチの近所の砂利道を歩いたら、トレッドの溝に泥と共に細かい礫がびっしり詰まり、歯ブラシ程度では綺麗に掻き出せなかったのには閉口させられた。埼玉の道路事情だと幾らでもこの種の未整地を歩く必要が出てくるので(笑)、総合的に謂ってこの製品は「ないわぁ」と謂う判定である。
一方、アシックスのシューズはビギナーには定番の「GT-2150 NY」のブラック×オニキスと謂う稀少カラーのモデルで、これを購入したヴィクトリアの店員の説明によると、このレベルの本格的ランニングシューズの上位モデルで黒系統のカラー展開は珍しいらしく、普通のショップではそもそもハケない製品の在庫を抱えないからあまり出回らないが、ウォーキングや町歩きの目的のニーズが一定数あるので同店では少数ながら店頭在庫を抱えているとのことである。
これはネット通販でもすでにオレに合うサイズが何処にもなかったので、ヴィクトリア各店の店頭在庫を横断検索して取り寄せてもらったうえに、商品の店舗間移動に手違いがあって受け取り指定日に店頭で受け取れず最終的に宅配扱いになったりして、割合苦労して入手したものである。
いや、白系統のカラーなら通販でも実店舗でも何処でも取り扱っているんだが、如何にもマラソンシューズでございと謂うような色味のズックを普段履きにして歩くわけにもいかないじゃないですか、オレの普段の服装センス的に(笑)。
…で、結果から謂うと、試しに二回ほど仕事に履いて行ったのだが全然オレの足ナリには向いていなかったので、これも「ないわぁ」判定である。オーバープロネーション対策だろうと思うのだが、ソールの内側が硬く外側にのみクッションが効いているので、サビネーションの強い右足が致命的に痛くなるのである。もう、一時間くらい履いて歩くとすぐに踵やアキレス腱が痛くなるくらいで、この種のシューズはどんな上級品でも自分の足に合っていないものを履くのは命取りだと痛感した。
おそらくナイキの「LUNARGLIDE+ 2 」が一番有望じゃないかと考えていたのだが、ナイキはすでに「AIR SKYRAIDER 2 MLS 」を一足購入済みなので、そんなにナイキばかり何足も買う必要はないだろうと思っていたのだが、「GT-2150 NY」が期待外れだった反動で俄然欲しくなって(笑)、結局これも購入してしまった。
なんで今頃になってこれを買ったか、つまり、今頃買うくらいならなんで最初からこれを買わなかったのかと謂うと、現在のナイキのラインナップではこの商品がランニングシューズのイチオシらしく、何処のショップに行っても大概ランニングシューズのコーナーではこれが一番目立つところに置いてあったりするのが「そんなお仕着せの売れ筋なんか買わされて堪るか」と謂う反撥を覚えたのである(笑)。
何と謂うか、メーカーが売りたい主力モデルよりももっとオレにピッタリ合う特殊でマイナーな商品が何処かにあるに違いない、みたいな思い込みがあったのであるが、ナイキのサイトでオレの条件に合うシューズを検索してみると、やっぱりこのモデルを推奨されたので、結局一番売れ筋の主力商品が一番合っていると謂うあんまり面白くないしイマイチ信用しにくい結果になったわけである。
…で、実際に購入に踏み切って試し履きして歩いてみると、何とも腹立たしいことに本当に一番履き味や歩き心地が好かったりするので(笑)、最初からこれを一足買っておけば好かったと謂う話なのではあるが、そうそう美味い具合に最適化されないのが世の常と謂うものである。
これまでの経験を活かして、実寸より一・五センチ大きいサイズを買ったのも好かったのかもしれない。勤め先の近所のスポーツショップで足の実寸法を計測して貰ったら、両足とも実寸が二五・五センチ前後で特に横幅も広くないEE前後の型らしいので、通常ランニングシューズは実寸プラス〇・五〜一センチが適切なサイズと謂われているのであるが、ナイキのシューズは一般的なシューズの基準では一センチ弱小さい印象なので、二六・五センチではほぼジャストフィットサイズである。
なので、ナイキなら一・五センチプラスの二七センチくらいが実質的にコンマ五センチ程度余裕のあるサイズと謂うことになるから、二七センチなんて大きなサイズの靴を履いてみたことなど生まれてから一度もないが、実際にサイズを出してもらって試し履きしてみると、なるほどこのサイズが一番具合が好いようである。
ナイキのシューズの何処が好いのかと謂うと、やはりエアクッションによるソールの衝撃吸収力と謂うのが、普通の発泡樹脂やゲルのクッションとか、ミズノウェーブやインフィニティウェーブのような形状性のクッションのそれとは別次元で、オレのように叩き附けるような激しい踏み込みですぐに踵を痛めてしまう人間には、この緩衝性が他に代え難いと感じられる。
その抜群のクッション性に加えて安定性やグリップ力も高いから、左がプロネーターで右がサビネーターと謂うイビツな足ナリのオレでも無理なく全力で長時間歩くことが出来るのである。おそらく、トップアスリートがそんなにナイキ製品を好まないのは、そこまでのクッション性能よりももう少しスピードに繋がる機能性を望むからではないかと思うのだが、オレの場合は別段何かのレースに出るわけでもないので限界域のスピード性能はそんなに重要な要素ではなく、ナイキの方向性がベストだと謂う結論である。
そう謂う特徴は「AIR SKYRAIDER 2 MLS 」でも感じたことで、以前書いたように実際に履いて道路を歩いた瞬間に「おっ、調子が好いな」と謂う感銘があったわけで、他社のシューズを幾つか試してみても、このときに感じた感銘を上回るような気持ち好さは感じなかった。
このときに感じた調子好さが病みつきになって、「本格的なランニングシューズにはこれよりもっと優れたフィーリングがあるのかもしれない」と謂う期待が高まり、スカイレイダーで若干緩和されたアキレス腱や踵の痛みを根本から一掃するような優れた履き味のシューズがもしかしたらあるのかも、と謂う期待から一連のシューズ遍歴が始まったのである。
調べてみた結果、ウォーキングの分野においてはミズノのウォーキングシューズが優れているらしく、「日本ウォーキング協会認定シューズ」と謂う権威があるんだかないんだかサッパリわからない麗々しい看板(笑)を持つ製品があるようだし、一方ランニングの分野ではアシックスのランニングシューズが優れていて、愛用する一流アスリートも多いと謂う情報があり、そもそもナイキは歴史的にアシックスの米国における販売代理店から出発したのだから、謂わばナイキの「本家筋」に当たると謂うことがわかった。
であるから、両社の代表的なビギナー向けモデルを一足ずつ購入したわけで、多分ランニングシューズが合っているだろうと謂う素人考えが正しいかどうかを試す為にミズノのウォーキングシューズの上位モデルを一足、国産ランニングシューズとしては最も優れていると目されている製品としてアシックスのランニングシューズの定番モデルを一足、それぞれ比較対象として試してみたと謂うわけである。
前述の通り、結果的にはどちらもオレの求めるものではなかったわけで、中敷きのほうも高価な製品を二種類試してみたが、最終的にはナイキのランニングシューズをいじらずにそのまま履くのが一番足を傷めないと謂うことがわかった。つまり、いろいろ試してはみたものの、全部無駄な出費になったわけである(笑)。
コンフォマーブルのウォークプラスは、これまで履いていた普通の靴の中敷きと取り替えて使えば格段に使用感がマシになるから全然無駄になったわけではないが、それでも全力でガシガシ歩くのはちょっとキツい。普通に履いて歩くと足が痛くなるような靴の使用感を緩和するのが精々で、本格的に気持ち良く全力で歩くとなるとナイキのランニングシューズでないと足を傷めると謂う結論に達した。
何もそこまでハイペースで歩かなくても、ゆっくり普通に歩けば好いんじゃないかとも思うのではあるが、なんかすでにそう謂う歩き方になっているので、ゆっくり歩いても身体の動きに無駄があって消耗の度合いがあんまり変わらないらしい。先日試しに普段よりペースを落として歩いてみたのだが、普段よりよけいに疲れたくらいで、ゆっくり歩けばその分楽になると謂うものでもないようである。
少し競歩のことも調べてみて、近所の散歩コースで真似事程度に競歩のフォームで歩いてみるのだが、ビギナーの訓練でも「一キロを七分三〇秒〜一〇分のスピードで、ストライドは身長の七分の四以上」が基準と謂うのだから、これはもう、言葉では説明出来ないくらい物凄くしんどくてキツい(笑)。
オレの場合、普通にペースを上げて歩いても一キロ大体九分前後で、ヨーイドンで一キロだけ限界までペースを上げても八分を切れない程度。「七分三〇秒」なんてこれからかなり激しく練習して本格的にフォームから整えていかないと無理だと思うが、もういい歳なのでそこまでは頑張れないと思う。一メートル弱の幅広いストライドを滑らかに無駄なく素早く繋いでいくのは全身の動き(誰でもイメージするあのクネクネしたブキミな動作)になるから、普通の歩き方とは全然違う感覚である。
調べてみると、日本代表レベルだと二〇キロで一時間二〇分強が日本記録だから、平らに均すと一キロ四分強で歩いていることになる。一般的な人間の歩行速度が時速四キロと謂われているから大体一キロ一五分くらいになるわけで、競歩の日本代表選手は普通のヒトの四倍弱の速度で歩いているわけである。
これはまあ、競歩の文脈で「歩く」と謂うのは普通とは意味が違うわけで、競歩と謂うのは陸上競技の中でも珍しく審査競技の性格があって、「両方の足が同時に地面から離れない」「踏み出した脚が地面と直角になるほど曲がらない」「蹴り出した脚が必ず一瞬真っ直ぐになる」と謂うような審査基準を満たすことが、この場合における「歩く」と謂う動作の定義で、実質的には厳しい制限附きで走っているのと変わらないのであるから、五〇キロ種目の記録なんか視ても世界レベルのトップアスリートの歩行速度は大体市民マラソンの常連ランナーよりも速いくらいになる。
ようつべで動画を探してみたら、テゴマスの出るバラエティ番組で、トラック半周分先行して走っているテゴマスを競歩の選手が後から出発して歩いて追い抜くと謂う物凄い動画があったのだが(笑)、競技人口が圧倒的に少ないマイナースポーツとは言えやっぱり日本のトップレベルのアスリートともなるとそのくらい速いわけである。
で、競技人口が少ない理由と謂うのは、走るのに比べて歩くのはどうしたって絶対速度が遅くて華やかさに欠けると謂う理由以外にも、あの独特のフォームが気持ち悪くて競技としての魅力に欠けるからだろうと思うのだが(笑)、実際に試してみると、たしかに競歩の定義で「走る」ことなく可能な限り速く「歩く」のであれば、ああ謂うふうに全身を捻る動作になるんだから仕方がないと謂うことがわかる。
まあ、別にこの歳になってから競歩の日本代表入りを目指すわけではない(笑)ので、そこまでのレベルは求めないことにするとして、オレの場合一時間に六キロ強のペースが一番気持ち良く感じるのだが、このペースだと普通の靴で歩くと自分の足ナリの影響が如実に出て足を傷めてしまうのが困りものである。
合わない靴を履いて歩くと大体決まって出るのが、左脚のほうは膝の痛みと外足部の水疱、右脚のほうは踵の鈍痛とアキレス腱の炎症に親指の痛みと謂う症状で、とくに親指の痛みが出ると、尿酸値が高いと謂うこともあって「すわ痛風発症か」とビクビクしてしまうのがタチが悪い(笑)。
いや、痛風だったら痛くて歩くどころの騒ぎじゃないはずで、これは足首が外側に倒れる傾向のあるシューズを履いて歩くと右足の踵が痛むので、意識的に内足部(つまり踵の内側から親指にかけての線)を使って踏み込もうとするので、親指が不自然に疲労して出る症状である。向いているシューズを履いて歩くと嘘のように痛みが出ないので、そこは疑いのないところである。
一口に「歩きすぎて足が痛い」と謂うと何だかのんびりした愚痴に聞こえるが、今はもう、うっかり無理をするとかなり劇しい症状が出るようになっていて、睡眠中夢うつつの間も足が痛いと謂う悲惨な状態に陥ってしまうので、足のコンディションと相談しながら歩いているような状況で、それがちょっと歯痒かったりする。
であるから、まあ、前述のような無駄の多い散財話を披瀝すると「またいつもの物欲垂れ流しの無駄遣いか」的な冷淡な反応になるのも無理はないと思うが(笑)、今回の散財ばかりは、いつものような物欲の放恣な暴走の衝動買いとは性格が違う。
たとえば帽子が欲しいとかコートが欲しいとか謂うのであれば、まあ畢竟するところ自分で似合うと思うか思わないかとかそんなレベルの主観的な印象論になるが、ランニングシューズとなると、主観的なファッション性や履き味の好悪だけではなく「これこれの距離を歩いて足を傷めるか否か」と謂うハッキリした客観的な結果として顕れるのであるから、これはもう「衣類」の延長ではなく、完全に「道具」を選ぶ感覚である。
この種の「何かをする為の道具」を選ぶと謂う感覚はかなり久しぶりのもので、たとえばパイプ煙草に凝ってパイプに散財すると謂うのも道具道楽ではあるのだが、その場合はパイプ煙草を吸うことの重要性は二の次くらいで、寧ろパイプを蒐集すること自体が目的化している部分がある。
パソコンやPDAなんかも、用途がどうこうと謂う部分と同程度かそれ以上にブツそれ自体の魅力が主目的となって購入する部分があるわけで、「この新機能でこんなことが出来ますよ」なんてウリがあるとしても、その「出来ること」自体が「その新機能を活かす為に生み出された虚構的な使途」と謂う循環論理的な性格がどうしても附き纏うもので(笑)、技術的シーズオリジンの転倒した性格が附き物である。
であるから、純粋に「道具」としての性能を求めると謂うと、楽器辺りの感覚に近いのかな、と思わないでもない。勿論楽器だってブツそれ自体の魅力と謂うのは大きいのだろうが、楽器の場合はブツそれ自体を買って満足するだけではなく、それで演奏すると謂うプロセスが必須である。基本的には音楽を演奏する道具として楽器を買うわけで、その楽器が可能にする演奏や音と謂うものが最重要の選好要素としてあるわけである。
まあ、そんな回りくどい例えを持ち出さなくても、スポーツ用品全般がそのような道具としての要素が強い性格のものであって、ファッション性やブツ自体のフェティッシュな魅力と謂う選好要素がないとは言わないが、絶対的に必須の要素とは「それを使えば何が出来るようになるのか」と謂う客観的な機能性の部分で、これがダメならどれだけファッショナブルでブツそれ自体にフェティッシュな魅力があっても、全然お話にならないわけである。
オレはこの歳になるまでスポーツとも楽器演奏とも無縁の生活を送ってきたので、そう謂うふうに客観的な機能性で「道具」を選ぶ感覚と謂うのは文房具くらいでしか感じたことはなかったのだが、歩くようになって久しぶりにそう謂うワクワクするような道具選びの感覚を感じたことは事実である。
この場合、オレが求める機能性と謂うのはこの上なくハッキリしていて、「全力で三時間以上歩いても足を傷めない」と謂う魔法のような機能である(笑)。何度か書いているように、趣味で歩くようになって一番腹立たしく感じるのは、体力的にはまだ歩ける感覚があるのに足が痛くて歩けなくなる状態で、そう謂う場合は帰宅後もその痛みが残るわけであるから、この痛みや故障がどうにかなればもっと楽しいのに、もっと長く歩けるのに、と感じてしまうのが人情である。
調子が好いときの経験で謂えば、体力的には三時間くらいなら連続して全力で歩き続けられることはわかっているので、それで足さえ傷めなければ好いわけであるから、「先端技術に基づく専門の道具を買えばそれが可能になるのではないか」と謂うのは至極尤もな期待ではあるが、「専門の道具」なら何でも好いと謂うわけではない。
自分固有の属性や用途に合ったものを探す必要があるわけだが、やっぱりそれには試行錯誤の当たり外れがあると謂う話で、ことによったら「んな便利なもなぁねーよ」と謂うガッカリするようなオチになる可能性もあったわけだが(笑)、幸いなことに、あることはあったわけである。
前述のナイキの二製品を使えば、三時間くらい全力で歩いてもまず深刻な故障が出ることはないし、他のシューズを履いた場合よりも楽にスピードが乗るのだから、まあこれが求めていた「最適な道具」と謂うことになるし、逆に謂えば多分道具によってこれ以上の恩恵は受けられないと謂うことになるだろう。
実際、このシューズなら関節部や腱鞘の故障は防止出来るのであるが、コンディションによっては避けられないのが左外足部の水疱で、この部分はもう何回も滲出液を抜く為に同じ部分の表皮を破っているので、ひどいケロイド状になっている。
スポーツ用品でディクトンとかボールドと謂うような水疱防止用のムースがあると聞いたので、それに類する製品を買ってきて凌いでいるような状態だが、前の水疱の痕が渇きかけてきたので大丈夫だろうと思って何もしないで歩くと、やっぱり同じところに重ねて水疱が出来たりしてキリがない。
この種の水疱は、靴の内壁に擦れて皮膚の圧迫と摩擦が繰り返された結果、血行不良で表皮と真皮が剥離してしまい、その隙間に組織液が溜まることで出来るそうだが、そうするとオレの足ナリと歩き方では、この部分がとくにシューズ内で圧迫と摩擦がひどいと謂うことになる。
なので、まあ一応の解決策としては、前述の靴擦れ予防のムースを塗り込むか、何もなくても習慣的に絆創膏を貼っておくか、そのくらいしかない。意外と原始的な対処法しかないわけである(笑)。
そう謂う次第で、もう最近は迂闊に何も用意をしないで歩くと覿面に足を故障してしまうので、いつでもどこでも足許はズック履きで出掛けていると謂う状況である。ただ、流石に本格的な雨の場合は布製のシューズを履いて出るわけにも行かないのが困りもので、朝から降っていれば諦めも附くが、降るか降らないかが微妙な場合でも雨用の靴を履いて出るから、帰りに晴れていても歩けないのがちょっと勿体ない。
まあ、生来凝り性の割には飽きっぽいオレにしては、ウォーキングは全然飽きずに楽しく続けられているので、この夏は手探り状態で無駄なカネも遣いかなり痛い目にも遭ったとは言え、後半生を通じた趣味が出来ただけでも好かったと思うことにしている。
これも謂ってみれば脳梗塞で倒れたお陰様と謂う言い方も出来るが、入院直後の二日間ほど軽度の歩行困難に陥った経験から、やっぱりオレもいつかは老い朽ちて歩けなくなる日も来るだろうから、自分の足で歩けるうちに精々歩いておかないと損だな、とつくづく痛感したことも、こうして毎日歩き回るようになった動機としては大きいだろう。
脳梗塞で倒れる以前は、休日ともなれば間が持てなくてひっきりなしに煙草を吸いながら昼日中からビールを呑んでゴロゴロして、眠くなるまでヒマを持て余しているのが常だったのだが、最近は埼玉県の地図を睨みながら、ああ、あそこにあんなものがある、ここにこんなものがある、今度の休みはあそこに行こうかそれともここに行こうか、とあれこれ考えるのが結構楽しくなってきている。
何も考えずに軽く身支度をして外に出て、爪先の向くままに歩きながら行く先を考えるのも楽しくて好い。あ〜る田中一郎や練馬原人のヒトではないが、二五〇〇〇分の一の埼玉県地図さえ持って出れば、とりあえず道に迷わず帰って来られる(笑)。
ウォーキングと謂う観点から視ると埼玉県はとても住み良い場所で、どの方向に向けて歩き出しても四季折々の田園風景が堪能出来て、道すがらにはちょっとした史跡や歴史資料館や自然公園、それらの施設がなくても自然地形でちょっと面白いスポットなんかもあったりして、日のあるうちに半日歩いて往復出来る程度の狭い範囲内でも飽きずに散策を楽しむことが出来る。
以前は「仕事も安定してきたし、もう少しカネが貯まったら、もっと都心に近いほうにカムバックしようかな」なんて考えていたのであるが、なんだかこう謂う田園生活がとても楽しくなってきて、去りがたい愛着が湧いてきたと謂うのが本心のところである。
都内も歩いてみるとそれなりに小発見があって面白いのだが、やっぱり何処へ行っても大して変わり映えのしないつい最近出来たような建物ばかりの都会の風景が延々続くのが味気ない。人間がたくさんいすぎるのも歩きにくくてしょうがないし(笑)。
そんなこんなで、先年の落語との出会いに続いて新たにアウトドアな趣味が出来て、結構オレの後半生の趣味生活もそこそこ充実してるじゃん、とか思ったり思わなかったりする今日この頃である。
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コメント
こちらにも少し補足を入れておく(笑)。
>>スポーツ用品でディクトンとかボールドと謂うような水疱防止用のムースがあると聞いたので、それに類する製品を買ってきて凌いでいるような状態だが
なんか回りくどい変な書き方してやがるなぁ、と思われた方もいるだろうが、これには一応のワケがある。因みに、「ボールド」ではなく「ボルダー」だった(笑)。
日頃靴擦れに悩んでいて「そんな便利なものがあるのか」と思って「ディクトン」で検索を掛けた方もおられると思うが、そうするとディクトンは軒並み「在庫なし」か「売り切れ」と謂う扱いになっていて、代わりに「ボルダー」と謂う製品についての情報が出てくるショップも多いことに気附くだろう。
これは何故かと謂うと、そもそもディクトンと謂うのはそんな凝った代物ではなく、乾くとあまりベタベタしないワセリンのようなムースなのだが、それを日本で輸入していた会社が自前で似たような製品を作ったのがボルダーと謂うことになるらしい。要するに、製品を研究したら別のやり方で似たようなものが作れる程度の代物で、大した技術を必要とするようなものでもないと謂うことである。
であるから、輸入代理店が自社で同じようなものを作っているのであるから、わざわざ競合商品を海外から輸入する理由も必要もなくなったので、現在日本でディクトンを入手することは困難になっていると謂うことで、何とも恐ろしい話である(笑)。
そして、オレが勤め先の近所のスポーツショップへディクトンかボルダーを売っていないか見に行ったところ、ボルダーとはさらにまた別の製品を置いていて、以前はそのスポーツショップでもディクトンやボルダーを仕入れていたのだが、同程度の効果があって安いので別の製品を仕入れるようになったと謂うことで、オレのほうでもその第三の製品を買って使っていると謂う次第である。
何ともはや、生き馬の目を抜くような世界であることよと驚嘆した次第である(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年10月 1日 (金曜日) 午前 01時27分
おはようございます。
これは「ウォーキングシューズのお話」ですよね?読みながら、これは靴の話、靴の話と何度か我に返りました、何故でしょう(笑)。
そして私の脳裏に比叡山の千日回峰行が浮かぶのも、何故でしょう(笑)。
目指すところは阿闍梨でございましょうか?
投稿: うさぎ林檎 | 2010年10月 1日 (金曜日) 午前 08時20分
>うさぎ林檎さん
>>これは「ウォーキングシューズのお話」ですよね?
勿論、「ウォーキングシューズのお話」です。修験道の荒行の話でも即身成仏の話でもありませんので、そこのところお間違えのなきよう(笑)。
>>そして私の脳裏に比叡山の千日回峰行が浮かぶのも、何故でしょう(笑)。
聞くところによると、千日回峰行を許されるのは、すでに百日回峰行を修めた者の中から選ばれた一握りの優秀な行者だけだそうで、七年にも及ぶこの荒行を完遂した者は現在までに四十数名しか存在しないと謂うではありませんか。
謂ってみればエリート中のエリートが挑む命懸けの荒行ですから、とてものこと、黒猫亭が如き市井の凡夫の及ぶところでは到底ございません(笑)。
>>目指すところは阿闍梨でございましょうか?
いやいや、衆生済度なぞと謂う大それた大願には一切興味などありませんで、単に俗人の中年男がハマった後半生の一趣味と謂うにすぎませんよ(笑)。
おそらく、普通の人間は肉体機能が昇り調子の若い頃に可能な限り無理をすることで己の心身を鍛え、肉体機能が下り坂に差し掛かった中年域から徐々に肩の力を抜いて生きていくことを覚えるのだろうと思いますが、オレはこの歳になるまで無理をして己を鍛えた経験が殆どないので、中年になって初めてそんなことの楽しさを覚えたと謂うだけのことだろうと思います。
実際、オレのやっていることなんてのは、体育会系の若者がやっていることだと思えば生温いウォーミングアップのレベルにすぎませんし、単に前半生を通じてインドア系で過ごしてきた文弱な中年男のくせに、今頃になって身を削ってまで無理をしているからハードなように聞こえるだけですよ(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年10月 1日 (金曜日) 午後 09時18分