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2010年10月31日 (日曜日)

落語本二題

休日に歩き回るようになってから、休憩を取る為に少し時間を潰す必要が出て来た。これはつまり、往路で大体二時間くらい歩いたら、復路でルートを変えてもやっぱり二時間前後歩くことになるわけだから(笑)、往復四時間連続で歩き続けるのは流石に無理があるので、間に一時間くらい休憩を入れるわけである。

それで最近ちょっと読書の習慣が戻ってきて、通勤電車や勤め先でも空いた時間に本を読む時間が増えたのだが、先日は新書版の落語関係書籍を二冊買って読んでみた。一冊は堀井憲一郎「落語論」で、もう一冊は柳家花緑「落語家はなぜ噺を忘れないのか」であるが、結論から言えば両方ともそれなりに面白く読むことが出来た。

そもそもオレは、昨日今日になって本格的に落語を聴き始めたニワカなファンである上に、出不精だったので一度も寄席で落語を聴いた経験がない。であるから、落語を聴くのと同じくらい落語について語られた言葉を聴くのが面白いと謂うこともあるだろう。

今は人並みの基準で謂えば「出不精」どころではないが(笑)、逆に今はもう、狭い寄席に押し込められて落語を聴くくらいなら何時間か外を歩きたい、と謂う異常なほどのアウトドア志向に偏ってしまって、考えてみればここ数カ月映画すら一本も観ていない。

まあ、その程度のファンなので所謂「通家」には程遠く、勿論落語に関心のないヒトよりは手まめに録音や映像を蒐めて視聴しているのだが、昔からラジオで聴いたり寄席に通ったりしていたヒトに比べると鑑賞経験の絶対量が全然違う。ここ二年前後の間に見聞きしたものがすべてであるから、どれだけコンデンスしても割と低い限界がある。

であるから、蓄積している知識のベースが非常に薄っぺらなのだが、歳を喰ってから何か趣味を始めることの数少ない利点の一つとして、どんな対象にでも他の分野についての蓄積で代替出来る部分が一定程度あり、それによってまったくの白紙から始めるよりも効率的に趣味を研鑽することが出来ると謂う点が挙げられる。

すでに何度か語ったことだが、オレの場合は活字文芸や映像文芸についてはそれなりに時間とコストをかけて投資している自負はあるので、文芸作品についての知識ベースを軸足に据えて落語にアプローチしている部分がある。つまり、演者の芸を核に据えた落語観ではなく、ネタの物語構造を核に据えてそれが如何に表現されているかと謂う観点で演者の芸や落語観を考察するスタイルを採っている。

これは、領域として遠くはないけれどそんなに近くもないと謂う微妙な距離感で、たとえば前掲の書籍で堀井憲一郎が強調している落語の「ライブ感」のような部分についてはすっぽり抜け落ちてしまう。

勿論、落語に一番近い娯楽体験がライブコンサートやリサイタル、舞台演劇などのライブパフォーマンスであることは論を俟たない。文芸作品の解析ツールをベースにして落語にアプローチすると謂うことは、その種の「今まさに語られつつあるもの」を共有する体験としてではなく、「すでに語られたもの」として視ると謂うスタンスである。

堀井憲一郎はこれをスッパリ切り捨ててしまうわけで、語られた噺を記録したってそれには意味なんかない、最早それは落語ではないと言い切ってしまう。落語は「すでに語られたもの」の記録の産生を目的として語られるものではなく、「今まさに語られつつあるもの」としての噺を通じて、寄席と謂う閉鎖空間において演者と観客が協力し合って非日常的な体験を緩く共有するものである、と謂うのが堀井憲一郎の落語観である。

であるから、それが語り終えられた後に残る録音や録画映像それ自体は残りカスのような非意図的な産生物に過ぎず、それ自体は落語でも何でもない、そう謂う理路である。そこが映像作品とは決定的に違う部分だと謂うことに別段の異論はない。

そして、噺において重要なのは意味とかストーリーとか人物のわかりやすく一貫した個性なんかではないと言う。そんなものは近代が日本に持ち込んだ概念で、近代以前から連綿と継続している落語に当てはめて考えても意味はないし、落語にはそんな概念なんか存在しないと言い切る。

これは理屈としてはその通りで異論はないんだが、「そんなこたぁねーよ」と謂う部分でもあって(笑)、まあこの書籍の立論は概ねこの調子である。基本的な認識とそれをもたらした経験的根拠は正しいと思うが、理論構築や表現手法が物凄く乱暴(笑)。謂ってみれば、全体的に右にズレているから左から強めに殴る、そう謂う種類の立論をしているわけである。

また、一冊の評論の部分部分で想定している読者層が全然違うと謂うのもかなり混乱することは事実で、読み進めながら「これってオレら聴客じゃなくて落語家に向けて書いているよな」とか思っていると、著者自身が「俺は誰に向けてこんなことを書いているのか、若手の落語家なんだろうと思うけどな」みたいにセルフツッコミを入れたりすると謂う具合で、評論なんだかエッセイなんだかハッキリしない性格のテクストである。

経験と直観で得た認識については説得力を持っているんだが、そこから理論に発展していく部分では、少し理論構築に不自然な強弁がある、それが全体的な印象である。つまり、経験や見識で言い切って構わない部分については妥当性を感じるが、或る結論まで理論立てて論を導くと謂う段になると飛躍した断定や矛盾が目立つ。

たとえば「落語について語る動機は嫉妬である」なんて認識は、直截には正しいと思うのであるが、そこから「落語評論の困難さ」に繋げていく理路はやっぱりこのヒトの個人性の部分でしか意味を持たない。つまり、このヒトは優れた噺家に対してとても強い嫉妬を抱えていて、それは批評の妥当性を揺るがしかねないレベルだと謂う心情吐露としての意味以上の言明ではない。

それを謂うなら、批評と謂う行為一般には相手取る一次創作物やパフォーマンスに対する強い嫉妬を動機として持つ部分が必ずあるわけで、そんなのは落語に限らない。落語は一人芸だから一個人が多くの人々をコントロールしていると謂う印象が強く、取って代われるかもと無意識に思う、と謂うのは事実であるが、それを謂うなら、歌手だって野球の選手だってフィギュアスケーターだってそうであるし、落語家よりも遙かに大勢の人々を一個人の身体性が支配していると表現出来る。

この文脈で謂うなら、身体性に属する一個人の表現力で大勢の人々を支配可能な表現者ならそれが何だって当てはまってしまう。人間がそのような表現やパフォーマンスについて語りたいと思うのは嫉妬が動機だと表現することは可能だが、だから評論が困難だと謂う理路に繋げるなら、批評行為全般の困難さを語る話にはなっても落語評論個別の問題性の話ではなくなってくる。

たまたまこのヒトが落語評論に特化している論者だからと謂って、それが落語評論個別の問題性だ、みたいな言い方をされたら、批評行為一般に携わる者としては、何だこの田舎者は、みたいな感想を覚えるのが当然だろう(笑)。それは落語評論個別の問題なのではなくて、文芸評論一般が抱える問題性なのである。

動機に嫉妬と謂う個人的な感情を抱えていても文芸評論は可能なのだし、嫉妬は批評的関心を生起させ持続させる動因として有用なのである…そう謂うふうに考えたほうが普通に実践的である。身体的パフォーマンスに対する真摯な批評で、そのパフォーマーに取って代わりたいと謂う潜在的動機を持たないものなど存在しない、そう言い切ったほうがナンボかマシである。そんなことは落語に限ったものではない。

これは何だってそうなんだが、出来ない理由を一生懸命説明しても意味はない。そんなものは出来ない当人にとってしか意味のない言葉であり、他人にとって有用性のある言葉ではまったくないし、したがって他者に向けて語るだけの意味がある言葉ではない。

たとえば「落語は歌である」と謂う指摘は或る意味で正しいと思うが、では「歌である落語」はライブでなければ意味がないのか、そこが論理的に繋がらない。

歌もまた音盤や映像として流通するが、そのようなパッケージ化された楽曲がライブ演奏とは別物となることは誰でも諒解可能として、別物になったからと謂って「それは歌ではない」と言い切ることに何らかの批評的意味はあるのか、そう謂うことである。落語の場合は特別にそうなんだ、なんて強弁しても、それは「ライブにしかロッケンロールの魂はないんだぜ」みたいな理屈と何処が違うんだと謂う話にしかならないだろう。

たしかに落語の場合、客のリアクションが演者に及ぼす相互作用が大きいと謂うことは諒解可能であるから、寄席において演者と客が一体となって口演と謂う一つの芸の空間を構成すると謂う理路は理解出来る。ただ、だからライブにしか落語は存在しないと謂う言明は、んなこたぁ落語に限ったことじゃあるめぇよ、と謂う話になる。

ライブパフォーマンスを演じる芸能の演者であれば、誰だって同じことを思っているわけで、パッケージ化されたパフォーマンスはもう死んだものだと言い切ったら、芸能のメディア流通それ自体が成立しない。それを否定する評論に何か批評的有用性があるのか、と謂う話であるし、そんなラディカルな主張を敢えてするだけの理論的根拠も乏しいだろう。

その場合、ライブとして演じられる場面とパッケージとして流通する場面を包括した観点で対象を論じるか、或いは個別の場面に即して対象を論じれば好いのであって、その両者が別物であり、一方にある要素が他方にないから、と謂う根拠でどちらかがホンモノでどちらかがニセモノだなどと言明する評論に意味があるとは思えない。

また、たとえば落語が本来的には都市的な芸能であると謂う指摘は妥当だが、ではそれは「日本」と謂う地理的実体における大部分の住民である田舎の百姓にはまったく関係のない芸能なんだから「日本の」芸能とか謂ってくれるな、と謂う話になる。

神田から日本橋界隈と謂う極狭い範囲でしか通じないローカルな芸能が、何故日本を代表する芸能と謂うことになるんだ、それは単に渋谷区の女子校で流行っているローカルなファッションを日本全国の最先端の文化であるかの如くに言い立てるマスコミと変わらないじゃないか、そう謂う話になる。

さらに謂えば、堀井憲一郎が指摘する「落語は田舎者が嫌いなのだ」と謂う特質は江戸落語には顕著な傾向だが、大阪落語には殊更に都市住民であることをひけらかす美意識は存在しないし、朱引きから一切外に出ようとしない江戸落語とは違って大阪っ子が旅をするネタもあれば、田舎を舞台にしたネタや民話を題材にしたネタのような田舎者しか出て来ない噺なんかも豊富に存在する。

大阪落語には、都市の流儀や美意識に田舎者が従わないことを憎悪したり嘲笑ったりするような体質は存在しない。それは江戸古典落語ローカルな特質に過ぎない。江戸古典落語に多い田舎者の滑稽な失敗を嘲笑うネタは上方落語には殆どない(宿屋仇なんかは田舎者を笑う話に入るかもしれないから留保するが)。

たとえば商家を舞台にしたネタなんかでは、よく「ひとまず大和の実家に帰らせてもらいます」みたいな言い回しが出てくるのだが、大和なんてのは奈良の古名だから池田市まで出るのが一つの旅であった時代(「池田の猪買い」による)の大阪から視たら物凄い田舎である。

米朝の言によると、大阪っ子の丁稚は近所に顔なじみも大勢いるし気に入らないことがあると歩いて実家に帰れるからスレていて生意気だった、その点、遠国から来ている丁稚は簡単に帰れないから辛抱するしかなかった、と謂うような話をしていて、要するに大阪と謂う街は近世の頃から地方との交流が盛んで、江戸のように都市の孤立性が高くてサバーバン以遠を不可視のインフラ化して閉じ籠もり、都市住民が地方住民を見下すような体質とは縁が遠かったわけである。

また、そもそも都市住民としての江戸っ子なんて自意識が死滅した後に生み出された新作落語には、田舎者を嫌うと謂う美意識なんかカケラも存在しない。或る種、新作落語においては生粋の東京人や大阪人ではない地方出身の噺家が美しい江戸弁や大阪弁を話せないと謂うハンディを克服する為に担い手となるケースも多いと聞く。

さらに謂えば、たとえば江戸古典落語の権助物などに顕著な田舎者を嘲笑うネタについても、演者によってはそのキツい地方出身者蔑視の性格を和らげる解釈の口演もあるわけだし、落語が全国区の芸能になった影響と、東京の首都的性格の強化に伴って演者・観客共に地方出身者の割合がかなり増えてきているわけであるから、地方を蔑視する感覚も随分薄らいできているはずである。

つまり「落語は田舎者が嫌いなのだ」と謂う言明は、江戸古典落語を何となくイメージしていれば妥当に聞こえるが、落語と謂う文芸の領域全体で考えれば半分も当てはまらない言明だと謂うことになる。単に、論者が「落語は田舎者が嫌いなのだ」と言明する際に脳裡に描いているのは江戸古典落語なんだろう、と読み手が無意識に補完して納得すると謂うだけの話である。

また、落語が地方と折り合いが悪い理由として、昔の噺家がドサ廻りをしてひどい目に遭った話を例に挙げているんだが、これは普通に的外れである。何故落語が地方でウケなかったかと謂えば、地方ローカルの人間が江戸ローカルな物語を聴いても意味がわからないからである。それは当たり前の話であって、オラが国さの話を余所の国さに行って話しても意味が通じないしおかしくないのは当たり前である。

それでは何故わざわざ噺家や芸人はドサ廻りをしたのかと謂えば、一つには修行と謂う意味もあったようであるし、もっと直截には都市部の寄席と雖も無名の新米噺家を喰わせるだけのキャパが存在しなかったからである。であるから、都市部で売り出せる程度の腕になるまではドサを廻って糊口を凌ぐ必要があるわけで、そもそもウケるはずがない田舎を廻ってまで「修行」すると謂う慣習になるわけである。

一方、田舎でもウケる芸人はウケるわけで、芝居なんてビジュアリックでわかりやすい芸能はもとより、講釈師なんてのも軍記なんかの読み聴かせだから田舎の人にもわかりやすくドサを廻っても儲かる場合があったようで、その刺身のツマとして噺家が同道すると謂う形も多かったようである。なので、マスコミが登場する以前は、そもそも噺家だけでドサを廻っても成功するほうが珍しかっただろう。

ならば、現在何故地方でも落語がウケるのかと謂えば、それは別段地方が都市化したからではなく、古典落語で語られている時代性の当事者が誰一人存在しなくなり、古典落語の道具立てがマスコミを通じて「物語」として周知されたからである。

つまり、古典落語に出てくるような「江戸っ子」なんて今は存在しないのだし、裏長屋も遊郭も商家も存在しなくなった。それは情報としてしか現存しないのだし、その情報は都市部だろうが地方だろうがマスコミを介して分け隔てなく共有されているのであるから、田舎の人だって古典落語を聴いて笑えるのである。

そもそも「今の東京人」は「江戸っ子」なんかではないんだから、裏長屋に住んだこともなければ吉原に登楼したこともない単なる「今の東京人」に古典落語の直接当事者みたいな顔をされても困る。今時の時代性で「三代続いた東京都民」だとしても、それがどうしたと謂う話で、三代くらいでは幕末にすら行き着かない。

この辺、応仁の乱の頃からの住人がまだまだ残っている京都出身の堀井憲一郎の感覚は違うのかもしれないが(笑)、少なくとも「江戸っ子」なんてものはすでに存在しない。今現在東京に住んでいる人間の大半は地方からの流入人口なのだし、それが現代における首都としての都の宿命である。

この部分に関する堀井憲一郎の立論の杜撰さと謂うのは、落語と謂う芸能が都市性に依拠していると視る部分に端的に表れていて、正確に言えば落語と謂う芸能はネタが「近所の噂話」と謂う体裁のリアリティに準拠した性格を持っている為、都市のローカル性に強く依拠している芸能であり、だから別のローカリティにおいては通用しにくい芸能であると謂うだけの話である。

東京の首都的集約性が現代ほど顕著ではなかった幕末や明治の頃でも、江戸は日本一の都ではあっても江戸の風俗は「別の在所」のローカル性として認識されていた、それだけの話である。ちょっと考えればわかる話だが、吉原の大門がどっちを向いているかなんてことは、江戸の人間以外にとってまったく無関係な余所の在所のローカルネタであるに過ぎないし、たとえば封建制の時代性においては国によってまちまちな行政の仕組みなども、余所の土地の人間が識っていなければならない義理はない。

もっと謂えば、標準語の成立以前の時代性においては、話芸一般が言語の壁に阻まれて全国レベルでは不利だったことは否めない。講釈のような書き言葉ではなく、活きた江戸方言を駆使して江戸の在所の噂話を語っても、それが江戸以外で通じるはずがない。

落語を巡る今昔の状況の違いと謂うのは、古典落語が具えるローカル性の部分が時代劇的な意味で全国的に周知された道具立てとなったと謂うことであって、古典落語のローカル性は今や誰にとっても均等に他人事である

裏長屋も遊郭も商家も、すべてフィクションの舞台装置にすぎないのだし、その間の事情は八〇、九〇の高齢者でもない限りは今や大半の落語ファンに共通しているのであるから、古典落語の登場人物たちと地続きの世界を生きている人間なんか誰一人存在しないのである。

また、「落語を地方に根付かせる」と謂う言葉を「地方の人間が、その地方で落語家を育て、その地方の客を相手に、常打ち興行ができるようにする、というレベル」で用いて、「落語が地方に根付くこと」に対して否定的な意見を語ることに何か批評的意味があるのか、と謂うのも疑問に感じる部分で、落語だって芸能興行なのであるから、そのレベルで地方に根付いた職業的芸能が落語以外に一つでも存在するのか、と謂う疑問が出てくるのは当然である。

これが落語だから何か意味があるように聞こえるが、この「落語家」と謂う言葉を普通に「芸人」に変えてみると、「地方の人間が、その地方で芸人を育て、その地方の客を相手に、常打ち興行ができるようにする、というレベル」で成立する芸能なんてのはただの一つも存在しないのに、何故落語だけ殊更にその不可能性を論うのか。都市的な経済的・人的集約性を必須のインフラとして求めるのは、落語だけではなく芸能興行一般の特性に過ぎないのである。

であるから、普通一般に落語興行の世界で「落語を地方に根付かせる」と言っているのは、単に地方でも落語の興行が成功すると謂うレベルの状況を指していることは当たり前の話なのであって、堀井憲一郎が言うような意味で考えても最初から意味なんかないのが当然なのである。それは「考えるだけ馬鹿馬鹿しい」と謂うレベルでナンセンスな想定である。

そのようにして、落語の基本認識について異論がないのに、理論展開の部分で何故こんなにイラッとする読後感を覚えるのかと謂えば、落語評論と謂うのは、この本で多用される論法の「落語とは○○である」とか「○○ではありえない」と謂うような言明とは本質的に相性が悪いからではないかと思う。本質的に相性の悪いことをしようとするから、理論構築に無理や破綻が出てくるのである。

オレは落語を聴くようになってから、いろいろな口演を視聴しいろいろ調べてみてここでも落語について何度か語ったことがあるが、この種の「○○である」「○○ではありえない」と謂う言い切りが、何と落語を論ずる場面では難しいことなのか、と痛感する場面がかなり多かった。

つまり、「落語は○○である」「落語は○○ではありえない」と言い切った瞬間に、それとは相反する事実がかなりの割合で存在することに気附かされ、勢い、「落語は○○であることが多い」「○○であることはあまりない」と謂うような煮え切らない言い回しに終始せざるを得ないわけだが、これは落語と謂う芸能が、たとえば西洋的な詩学や演劇論のような明示的な理論史のバックボーンを持たない以上、当然の話である。

或る対象について「○○は○○である」「○○ではありえない」と謂う言明が可能だとすれば、それはそのように対象を定義附ける原理原則が共有されていて、それに沿わぬものを例外と位置附けることが可能な理論的なラインが必要である。

しかし、落語には歴史的な事実として明確な定義や理論など存在せず、噺家と謂う生きた人間の口から口を通じて伝承されてきた芸能である。早い話が、客観的に規定されている落語を落語たらしめる共有された形式や規則性が存在しない。

たとえば誰でも落語と謂うのは滑稽な笑い話でサゲが存在するものとイメージしているだろうが、笑いの要素がないとかサゲらしいサゲがない噺なんか腐るほど存在するし、圓朝の怪談噺や釈ダネの実録事件物みたいなネタだって落語なんだから、誰かが言っていたように「落語家が演じる芸能が落語である」「落語を語る芸人が落語家である」と謂うトートロジーとしてしか落語を規定しようがない。

予め「落語とは○○である」と謂う共有された定義や理論が存在して、それを前提に噺が創案されたわけではないのだし、それを口演する噺家の芸にも厳密な規則性や理論的規定が存在するわけではない。つまり落語と謂う芸能には客観的に共有されている明示的な規範と謂うものが存在しない

名人上手と呼ばれる傑出した芸人の芸を通じた血脈があって、その血統上に甚だ曖昧な形で口伝えで伝承された芸能こそが落語であり題材としてのネタである。当然、噺家の数だけ定義があり技術論があるのだし、それが弟子に伝わった瞬間に弟子もまた長じるに及んで自身の芸統の一派を興すわけであるから、中心となる理論的なラインなど存在しないのが当然である。

そのような対象を論じる場面で、堀井憲一郎のような「落語は○○である」「落語は○○ではありえない」と謂う言明が成立するはずはない。それは詰まる所堀井憲一郎個人の「オレ落語論」であるし、前述の落語評論の困難さはそれを正当化する為の言い訳だろうが、「オレ論」と謂うのは決着するところ評論ではなく随筆である。

「自分が思う○○」と謂うのは、対象についての客観的判断尺度を持たない見識論でしかないのであるから、エッセイや随筆ではあり得ても評論とは呼べないだろう。つまりは「俺の見識を信じるなら俺の主張する結論も信じろ」と謂う類の主張でしかないのであるから、堀井憲一郎自身が言うように、それは落語を語ることによって落語を語っている自分自身を語ることにしかならないからである。

たとえば、これが映画評論であるなら「映画とは○○である」「映画とは○○ではありえない」と謂う言明は可能であるし、客観的な評論においてもそのような論の詰め方は可能である。映画とは窮めて形式的な芸術なのだし、映画と謂う表現手段が誕生して以来高々百数十年の間に映画の話法は理論的に体系化され、その理論体系に則って作品が創作されているのであるから、それは当然なのである。少なくとも、映画と謂うメディアは作り手と受け手の間で映画を成立させている約束事が共有されているからである。

たとえば西洋の演劇とか映画の場合、或る表現手段が自然発生した後に、或る程度の経験の蓄積を経て「こうしたほうが効果的に表現出来るだろう」「作り手と受け手の間で通じる規則をこのように決めよう」と謂うふうに、一度理論にフィードバックされ、その理論が確立した後はその理論に則って創作することが求められるのであるから、個々の作品や表現者に先駆けて理論が存在する、その理論を前提に表現行為が行われる、こう謂うふうに謂えるだろう。

だからたとえば「映画とは○○である」「映画とは○○ではありえない」と謂う言明が可能になるのであるし、逆に謂うならそのような理論構造を持っていない対象についてそのような言明は出来ないのが当たり前である。そもそも存在しなかった規則性を後から共通項を抽出することで予め存在したかのように言い切ることは不可能なのが当然だからである。

公平に言うなら、実はこう謂う理路に関しては堀井憲一郎も認識しているとしか思えない書きぶりなのであって、このエントリがなかなか書き進まなかったのは、オレが感じた違和感を語ろうとして論を立てると、それについては曲がりなりにも触れられていることが多かったからで、ちゃんと触れられていることを殊更に言挙げして批判すると、恰もそう謂うことに一切触れていないかのような誤解を招くからである。

つまり、それがわかっていながら、なんでこのような違和感を感じる変梃な理屈に繋がるのかを書きあぐねていたと謂うことである。

納得可能な理解や見識がありながら、そのアウトプットがこう謂うエッセイ紛いのオレ評論だと謂うのがオレとしては納得行かないわけで、こう謂う理論的に曖昧な対象を論じる場合に、「落語はライブのみがすべてであり、すべての口演に立ち会うことが不可能である以上は落語の全体を概観することが不可能だから好き嫌いでしか語れない」と結論するのは評論の姿勢として安易な「逃げ」であるとしか思えない。

そもそも、客観的に共有されている中核理論によって成立していない対象について中核を追い詰める形の論の立て方をすること自体がナンセンスであって、出来ない方向性で論を立てて「出来ない」と零すのは出来レースの逃げ口上である。

落語の全体性を眺望し得ないこと、つまり落語評論の困難性を落語鑑賞のライブ体験を絶対化することで正当化しても、批評的な意味はない。落語の全体性が何故眺望し得ないかと謂えば、落語に共有された中核理論が存在しないからであって、そのような落語を客観的な批評として論じるのであれば、個別の対象を部分として切り取って論じるしかないのである。

落語には全体を括る中核理論がないのだから、個々の噺家やネタは一回性の歴史的な事象として扱うしかない。つまり、「落語とは○○である」「落語とは○○ではありえない」と謂う言明は土台不可能なのであるが、それは評論の困難さとは関係ない。

単に一個人が全体を包括的に論じることが出来ないのが落語と謂う対象であり、落語を評論するのであれば部分に甘んじる意識が必要だと謂うだけのことである。また、落語評論は一般則を抽出すると謂う方法論では不可能であり、噺家についての考察は史学的な検証のアプローチによってしか成り立ち得ないし、ネタについての考察はその挿話構造の解析によってしか成り立ち得ない、それだけの話である。

落語評論において、「○○である」「○○ではありえない」と謂う論の立て方は、どうしたって落語が客観的な定義に則って成立していない以上は断定し得ない言明なのは当たり前の話であって、冒頭で述べたことと矛盾するような言い方になるが、蓮實重彦が映画を論じるように落語を論じたって無理があるに決まっているのである。

映画の理論や技法を囓ったことが落語を論じる場面で役に立つのは、落語は映画を論じるようには論じ得ないことを理論的に理解することが出来るからである。

堀井憲一郎がそんなことは百も承知の上で何らかの戦略に則ってそんな無理筋を通していると謂うのであれば己の不明を愧るまでだが(笑)、多分そんなことはない。おそらく何の裏もなく、この評論は筋の悪いアプローチで著者の豊富な鑑賞経験や妥当な見識を無駄な方向に使っているのだろう、それがオレの感想である。

ただ、そう謂う評論的な違和感を除けば、語られている内容自体は面白かった。たとえば、歌い調子の落語の解析について、これまではこう謂う具体的に理論立てたアプローチを見たことがなかったので得るところはあったし、「近世的な芸能である落語の細部を近代的な規範で裁いても意味はない」と謂う意見には、原則的には諸手を挙げて賛成である。

ただ、そう謂う基本認識から出発した評論的アプローチが、何故かやっぱり近代的な呪縛に囚われているじゃないか、みたいなところが違和感の源なのだと謂うことはお断りしておきたいと思う。エッセイ的なオレ論の土俵では面白く読める本であるが、評論として視ると論の一貫性に欠ける部分や無根拠な言明が目立つので、全体的には辛目の感想になるわけである。

さて、もう一冊の「落語家はなぜ噺を忘れないのか」のほうは、現役の売れっ子噺家が手の内を見せたと謂う惹句通りの本で、まだ若いとは言え第一線のパフォーマーが素直に手の内を明かしている分だけ情報としての鮮度と読み応えがあった。

柳家花緑は人間国宝の五代目小さんの孫であるから、そう謂う意味では普通の噺家とは出発点が違うわけで、噺家の一般像とは少し違うだろうと謂う部分も多い。現在の六代目小さんなんかは長男であるから、師匠と距離が近いのでもっと厳しく稽古を附けられたんだろうが、孫となると少し距離が出来るし「跡継ぎ」と謂う見方で接していないのであるから、明らかに特別扱いを受けて育ったわけである。

たとえば彼が祖父や他の師匠から稽古を附けてもらう場面で、テープレコーダーで録音して後で台本を書き起こすのが基本的スタイルだと謂う話を聴くと、これはもう小さんの孫で特別扱いされていたから許された特例だろうな、とか思ってしまう。

一般に多くの噺家は稽古の場面で、録音はおろかメモを取ることすらも許さない人が多いらしいので、米朝が高齢の師匠たちから昔の噺を聴き出した時なぞ、老齢の爺さんの酒の相手をしながら辛抱強く聴き取ったネタを、中座するフリをして喫茶店に飛び込んで忘れないうちに一心不乱にメモ書きしたと謂うのであるから、デンと目の前にテレコを置いて録音した音源を後で書き起こすなんてのは、何の縁故もなく落語界に飛び込んだ新弟子からみれば望外の贅沢だろう。

実際、志ん朝に初めて稽古を附けてもらったときにはテレコの持ち込みを断られ、しかも道に迷って遅刻までした上に、着替える余裕もなく稽古を附けられたので足が痺れてまったく噺が頭に入らなかったそうな。仕方がないので祖父に相談したところ、父親の志ん生の録音テープを出してきて「これで覚えろ」と言ったと謂うんだから、人間国宝の小さんもただの孫に甘いお祖父ちゃんである。

本来なら、紹介した小さんが「飛んだ未熟者を寄越して申し訳ない」と志ん朝に詫びを入れて孫にもそれ相応のケジメを附けさせるのが筋だが、泣き附かれてカンニングを手伝うと謂うのは、これはもう一人の弟子としてではなく肉親として接していると謂うことである。

小さん自身が口を利いて志ん朝に稽古を附けてもらっているのに、親父の志ん生の口演で練習させると謂うのは重々無礼千万な話で、それで覚えていった花緑は子供だから仕方ないとして、カンニングを手伝った小さんは落語会の重鎮で分別のある大人の芸人なんだから、公私混同も甚だしいと謂うことになる。

そして、何故多くの噺家が稽古のときに録音やメモを許さないのか、と謂うことについては、堀井憲一郎の「落語論」のほうに説明があるわけで、メモや録音に頼って自分の耳で聴き身体に叩き込むような集中を欠いた状態の聴き手に噺を語っても稽古にならないし、第一噺家はそう謂う聴き手に対して芸を演じるのが苦痛だからである。

自分でも認めている通り、花緑は人間国宝であり落語協会会長である五代目小さんの孫として恵まれたお坊ちゃんの出発点からスタートしたわけで、剰り弟子に稽古を附けなかった小さんが桂小金治に次いで花緑にたくさん稽古を附けてくれたのは「自分が孫だからだ、依怙贔屓だ」と本人が言っている通りである。

そんな花緑にとって芸の上で厳しい父親代わりになったのは、直接の師匠の小さんではなく「兄弟子」の小三治だったと謂うのがやっぱり特殊だと思うんだが、花緑の記憶の中の小三治はとにかく格好良くて鯔背で時に優しく時に厳しいヒーローみたいな存在として描かれている(笑)。花緑が芸に伸び悩んだときには、小三治が身を以て範を示すと謂う美味しい逸話がたくさん紹介されている。

まあ、母方の爺ちゃんが偉大な文化人で、小さい頃に両親が離婚していて、爺ちゃんが人並みに孫可愛さで依怙贔屓するような人情家だったら、男としてのロールモデル的な大人の役割は何処か他に求める必要はあるわけだが、若い頃の小三治と謂うのはその意味で打って付けである。天才的に芸が上手くて格好良くて男っぽい、おまけに落語家なのにツナギを着てでかいバイクを乗り回している、こんな宝島のジョン・シルバーみたいなオッサンが近くにいたら子供なら誰だって憧れるだろう。

正直言って、オレは五代目小さんの芸の面白さがまったくわからないのだが、小三治の噺は面白いと思うし、小さんの言う「料簡になってみる」と謂う芸論はこう謂うことかと謂うのは、小さん自身の噺を聴いてもよくわからないが小三治の噺を聴くとよくわかるような気がする。

小さんの芸論と謂うのは、わかりやすく謂えば「メソッド演技法」のようなものだろうと考えているのだが、所作を演じるのではなく人物の内面に迫ることでそこから外面の表現が生まれる、そのような芸論だろう。

そして、それを支える理論的根拠としては、たとえば花緑自身が「もともと噺は面白く作られている」と言い、立川志らくの言として紹介している「最初につまらなかったものが、だんだんよくなって残ったわけじゃない」と謂うように、古典落語と謂うものは時代の淘汰を経て面白い噺だけが残っているはずなのだから、丁寧に噺を演じれば自然に面白いはずであると謂うネタの伝統に対する信頼がある。

であるから、小さん一門の芸論と謂うのは基本的に演劇論として成立していると謂うことで、一人芝居の喜劇のようなものだと謂うことになる。であるから、その論理は喜劇のものとほぼ同じで、「ここがおかしいんですよ」とおかしさを強調して誇張した所作を演じるのではなく、登場人物の内面になりきれば、それが観客の目から視ておかしいはずであると謂うロジックである。

たとえば、展開上滑稽に怯えている人を半笑いの姿勢で演じてはいけないし、「ここが笑い所ですよ」と謂わぬばかりに大袈裟に誇張してもいけない、怯えている心情を的確に演じることで、それが他人の目から視たらこの上なくおかしい、これが小さん一門の芸論である。つまり、寄りの視点では悲劇でも引きの視点では喜劇になっていること、そう謂う距離感の芸論で、引きの視点における見え方を計算して寄りの視点で心情を演じる、そう謂うことなのではないかと思う。

こう謂う芸論だからこそ、たとえば小三治が「プロフェッショナル 仕事の流儀」のインタビューで、「(客が八月の猛暑の中)そんな思いをして来てくれるのかよって謂う自分がいる半面、そんなこと俺の識ったこっちゃねぇと、俺は俺でやるしかないのが俺の本来の姿勢じゃねぇか、と思うんですけど…客の為にやってるんじゃないと謂う自分と、この人たちにどう喜んで戴いたらいいんだろうと謂う自分とが、まだ一致しない。ホントはどっかで一致するはずなんですよね」と語っているような心の置き所の難しさが出てくるのだろう。

そんなこと俺の識ったこっちゃねぇ」とか「客の為にやってるんじゃない」と謂うのは客商売の芸人の心得としてとても不思議に感じることは事実だが、小さんや小三治の芸論で謂えば、滑稽な所作や目先のギャグで目の前の観客を笑わそうとするのが落語ではなく、一人芝居の喜劇として真を映すことでそれが自ずから笑いを生むと謂うのであれば、たしかに客の事情なんか識ったこっちゃないだろうし、客の為にやってるんじゃない、俺は俺の芸を窮めるんだ、と謂うことにもなる。

芸人として客に礼儀を尽くすと謂うことは、キチンと磨いてきた芸を堂々と演じきることだ、と謂うのであれば、目の前の客に喜んでもらおう、笑ってもらおう、こう謂う目先の欲や気遣いは却って邪魔になるだろう。

この種の芸論では、芸を演じると謂うことは自分との向かい合いになるわけで、自分と厳しく向かい合って芸を高めることが、結果的にそれを見に来る客に対する礼に適うのであるから、これは峻厳な自己研鑽であって「客の為にやってるんじゃない」と謂う言い方も出来るわけである。そのように厳しく自分を研ぎ澄ませて修行を積んできた俺の芸があなた方に対する最大のもてなしです、こう謂う理路である。

しかし、本来自分の芸に得心がいっていれば、目の前の客に喜んでほしい、笑ってほしい、こう謂う気持ちがストレートに芸の良さに繋がっていくはずだが、そこがまだ自分の中では一致していない。目の前の客を意識すること=客の期待や好意に応えたいと思う芸人としての心映えと、自分が納得出来るような芸を演じること=自分の中だけで完結する厳しい芸道の自己研鑽、この二つが未だ一致していない。

大分小三治に寄り道したが、花緑はこれを心の中の優先順位として、三層に分けて考えていると説明する(あ、機種依存文字の丸数字があるのでそのつもりで(笑))。

①表面を被っているのは、人物描写に徹する姿。お客さんに見せている部分。
②内部には「①」を支える技術への意識がある。間、らしさ、緩急など。
③中心の層、つまり意識の置くの部分には、やっぱり「ウケたい」という純粋な気持ちがある。プレーヤーの本音の部分であり、かっこよくウケたいと思っている。

この①〜③の順番が変わってしまうとバランスが悪いと花緑は言う。つまり、小さん一門で謂う「料簡になる」と謂うことは自分の考えではこう謂う心の置き方ですよ、と謂う絵解きである。

一番上の層には、「この人物はこう謂う人でこう謂う言動の傾向がある」と謂う人物像の想定や芝居の運びに対する演出法や方向性があって、その直下の層にはその人物像や演出術を実現する為の技術をコントロールする意識があり、最深の層には客を沸かせたい、ウケたいと謂う意識があって、客の反応や嗜好に目配りする部分がある、そう謂う心の置き方だと謂うことである。

何を表現すべきなのかと謂う目的性を考える意識がまず表層にあり、その目的性を実現する為の語りの技術を操作する思考が次の階層にあり、最深の層にはウケたいと謂う動機の部分、どうすればウケるのか、と謂う意識の層がある、そう謂う順序であるのがバランスが好いと謂うことである。

表現すべき対象を想定する頭も必要なら、技術を駆使する腕も必要だし、ウケたいと欲する心も必要だが、実際の口演においては、腕自慢が突出してもウケたいと謂う欲心が突出しても、やっぱり具合が悪いんだと謂う話である。

こう謂う部分を視ると、やっぱり小さん一門はその芸論の性格上、心の置き所の問題で悩まざるを得ないところがあるようで、小三治も花緑もやはり同じところで悩みを抱えているように見える。そして、この書籍によれば晩年の小さんは「お客さんにはちょいと勉強してきてもらわなくちゃいけない」と考えていたようだから、小さん自身はそこでそんなに悩まなかったように思う。

小さんにとっては自己の内部で完結する自己研鑽がすべてであって、芸を窮めることこそが客に対する礼儀なのだと謂うことに一点の疑いすら持っていなかったのかもしれない。そのようにして厳しく突き詰めた芸なのだから、客もそれに対峙し得るだけの素養を身に着けてから寄席に来るべきだ、そう謂う考えだろう。

これはたしかに、少なくとも小さんの時代までは生きていた文化的な感覚である。技芸と謂うのは芸人のみならず客にとっても真剣勝負で、優れた技芸に真剣に対峙しないような野暮な客は目のない恥ずかしい野郎だと謂う感覚があったわけで、そう謂うふうに他者から見識を蔑まれることを恥じる感覚が昔の日本にはあって、それが一定の文化的拘束力を持っていたわけである。

そのような時代性に属する小さんの場合、小三治や花緑のように、目の前の客を喜ばせたい、もてなしたいと謂う気持ちと、自分一個の内部で完結すべき厳しい自己研鑽の芸道修行が、少なくとも意識の上では乖離していなかったわけである。小三治の中で未だに一致しないものが、最初から一致していたわけであるが、これは小三治と小さんの生きた時代性や文化性の違いなんだから仕方がない。

思うに、小さんは落語よりも寧ろまず剣道のほうに打ち込んだ人であるから、所謂日本的「道」の概念は大前提のもので、厳しい自己研鑽によって芸を磨くことが客に対する礼儀にも適う、一致する、と謂う観念に対してまったく疑いがなかったのではないか、などと思ったりするのだが、小さんのことはよく識らないのでどうだかわからない。

他にも、タイトル通りネタの覚え方や自分なりのネタの作り方など、現役の演者ならではの方法論の絵解きがなかなか面白く、祖父の十八番であった「笠碁」を自分のものにする為のプロセスを実例としてフィーチャーしているくだりが後半の目玉に据えられていて、多分これを一般例と解するとまた違うのだろうが興味深く読んだ。

で、奇しくも花緑の結論もやはり、自分が伝承していきたいのは「お客さんを熱狂させる空間の再現」だと結ぶ。これは要するに堀井憲一郎が「集団共有幻想遊戯」「集団トリップ遊戯」と表現しているのと、多分同じものを指している。江戸時代の客は寄席で怒ったり泣いたり笑ったり熱狂したはずで、われわれ落語家がやるべきことはそのような熱狂空間を再現し続けていくことだろう、こう謂う結論である。

何だかんだ謂っても、落語のコアが寄席にあることは誰がどう言っても変わらない。

一人の落語家が二〇〇人の観客を自分の言語空間に引き込んで熱狂させること、それが寄席における落語と謂うものである、これは表現が違うだけで堀井憲一郎も柳家花緑もまったく同じことを言っているし、なんで同じことを言っているのかと言えば、それは落語について誰もが一致して言える数少ない言明がそれだからである。

落語と謂う芸能は、二〇〇人も入れば一杯の限られた閉鎖空間で、一人の演者が観客を自分の言語空間に引きずり込む語りの熱狂体験である…その言明には、オレだって全然異論はないんだよ。単に「それ以外は落語じゃない」なんて「窮めて落語的ではない言明」が続かなければ、の話であるが(笑)。

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