御伽噺を信じられないオレ(笑)
水嶋ヒロ受賞の一報を耳にして、オレがまず想ったことは、更めて披瀝するにも及ばないだろう。何と謂うか、下司の勘繰りと誹られても仕方ないが、「ああ、こう謂う筋書きになってたのね」としか思えない。
ポプラ社と謂うのは一応身許の確かな版元だと思うが、「ポプラ社小説大賞」と謂う文学賞に関しては、賞金二〇〇〇万円の大型文学賞の割には世間的な認知度が殆どゼロ、第一回の募集で受賞者が出たきり、第二〜四回までの三年間大賞該当作なしの状態が続き、第四回に至っては大賞、優秀賞共に該当作なし。
今回二〇一〇年の第五回は、大賞を水嶋ヒロが獲ったが優秀賞の該当作はなく、特別賞と奨励賞のみ、そしてヒロは賞金を辞退と謂うことになれば、つまり第一回大賞受賞者の方波見大志以外一度も実際に二〇〇〇万円の賞金が支払われたことはないと謂うことで、その後の二回は優秀賞の五〇〇万円しか支払われず、第四回に至っては優秀賞すら該当作がなく、第五回も大賞受賞者は賞金辞退で優秀賞は該当作なしなのだから、実質的にはやっぱり同じことである。
つまり、「二〇〇〇万円の巨額賞金」なんてのは「見せ金」みたいなものである。
そして、驚くべきことに「ポプラ社小説大賞」は今年の第五回を以て終了しており、翌二〇一一年からは「ポプラ社小説新人賞」にリニューアルし、大賞賞金は一〇分の一の二〇〇万円にランクダウンするそうな(笑)。つまり、水嶋ヒロは該文学賞の最後の受賞者と謂うことになる。
そもそも出版不況のこの世の中で、二〇〇〇万円を掛けて作家を売り出しても儲かる保証なんかないんだから、まあこの文学賞の創設自体が景気附けの為の花火だったと視るべきで、どうせ毎回二〇〇〇万も支払うつもりなんかハナからなかったんだろうし、思わしい注目も得られなかったのだからもうやめとこうみたいな話だろう。
巨額賞金の文学賞としてはサントリーミステリー大賞や乱歩賞が一〇〇〇万円で、このミス大賞が一二〇〇万円と謂うことだから、二〇〇〇万円と謂う賞金を掲げるのがどれだけ破格であるかがわかるだろう。ポプラ社の経営状況は児童文学の分野が堅いのでたしか結構堅調だったと思うのだが、それでも二〇〇〇万円と謂う賞金は企業の身の丈に合っているとは思えない。
そもそも、ポプラ社小説大賞は「新人賞」ではないし、児童向けではなく一般向けの長編小説の文学賞なのだから、ノーマークの新人がいきなり大賞を受賞して二〇〇〇万円の賞金をかっさらう、みたいな華々しい御伽噺があるはずがない。
何せ、この文学賞にはお偉いセンセイ方による選考委員が存在せず、「選考は営業部門をふくめた社員によって行われている」と謂うことなのだから、即戦力として売れる人材が欲しいはずである。
ミステリのジャンルで謂えばメフィスト賞みたいな選考形態だと謂うことになるが、メフィスト賞で得られるのは作品の出版だけで賞金は一切ない。文壇のお墨付きもなく、一編集者の独自裁量で有望そうな新人を売り出すと謂うことなら、世に出るチャンスを与えるくらいが相応の報酬である。
実際、第一回受賞者の方波見大志も大学在学中から投稿を重ねていて、ポプラ社の賞を受賞する前年にはこのミス大賞の最終選考まで残ったと謂うことであるし、業界で全然識られていないズブの素人が第一回目の応募で巨額の賞金を獲るなんて話はまずないと視るべきである。
一〇〇万とか五〇万の新人賞ならともかく、二〇〇〇万クラスの大賞となると普通なら少なくともセミプロ以上が対象で、最低限「プロの小説になっていること」が条件となるはずである。海のものとも山のものとも知れない素人作家の将来性を見抜いて一発でそれだけ巨額の賞金を支払うなんて御伽噺はまず存在しない。実際、ヒロの応募作についてはこれから揉んで年末に発表と謂うスケジュールらしいので、現状ではかなり粗い代物らしい。
この文学賞が見せ金の二〇〇〇万円で話題性を喚起して児童文学と謂うイメージの強いポプラ社の一般向け書籍の認知度を上げよう、みたいな狙いがあったとすれば、まあ水嶋ヒロみたいな人間の受け入れ先としてはウィン・ウィンである。そもそも芸名を隠してPNで投稿したから水嶋ヒロだと識らなかったなんて誰も信じないよな。
それは逆の状況を考えてみれば簡単にわかる話で、ポプラ社側が水嶋ヒロであることを認識していて大賞を授賞したと謂うことになれば、必ず有名人であることが有利に働いた依怙贔屓だろうと誰でも疑うのであるから、ヒロが受賞する以上「斎藤智」が水嶋ヒロであることを選考サイドが識らなかったと謂うことにしなければまずいわけである。
タレント本としての話題性で売るのではなく、賞獲りでデビューさせるからにはそう謂う形にしなければまずいと謂うのは当たり前の話である。
で、所属事務所を退社したのが九月の初旬で、受賞の発表が一〇月末、文学賞の応募締め切りが六月末だそうだが、それ以前に各出版社に持ち込まれていたと謂う話もある。各社の反応はどうも思わしいものではなかったようで、結局ポプラ社が引き取ることに決定したのが退社に至るまでの状況と謂うところだろう。
受賞してから所属事務所を退社しますみたいな話にすると、小説家への転身に前もって伏線を張れなくて世間としてはワケがわからないから、まず退社して「実は小説家を目指しています」みたいな前フリを振っておいて、「こんな奴に小説が書けるのかよ」と謂う雰囲気を醸成しておいて、見事華々しく受賞して一転賞賛の嵐…とまあ、「そう謂う筋書き」だとしか思えないわけである。
何と謂うか、水嶋ヒロを巡る諸状況においては、いろいろ大人の事情が絡んでいるだろうことは誰が考えてもわかる話ではあるのだが、そこまでくだらないお茶番にはとてもじゃないが附き合いきれないと謂うのが本音のところである。
オレの中では、水嶋ヒロと謂う人物は「仮面ライダーカブト」と謂う過去の特撮番組の中にしか存在しないことになった。まあ、それ以外の仕事はわざわざ考えるだけのものでもないしな。
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コメント
>>ミステリのジャンルで謂えばメフィスト賞みたいな選考形態だと謂うことになるが、メフィスト賞で得られるのは作品の出版だけで賞金は一切ない。
ちなみに、京極夏彦は賞獲りのデビューではなく持ち込みデビューで、京極夏彦の持ち込みをきっかけに創設されたのがメフィスト賞である。京極夏彦自身の賞歴としては、九六年の五月に「魍魎の匣」で日本推理作家協会賞を受賞したのが皮切りで、九六年五月と謂えば「鉄鼠の檻」が刊行されている時期であるが、処女作の「姑獲鳥の夏」の刊行が九四年九月であるから、まあ二年弱の作家活動で初の賞獲りと謂うのは有望な人気作家としては順当なところだろう。
それこそ「ズブの素人が小説書いてみちゃったんですけどぉ」みたいなきっかけで作家デビューしたと謂う京極夏彦であるが、それはたまたま、新本格ブームでイケイケのノリだった当時の講談社ノベルスのような人材発掘に意欲的な部署に対する持ち込みだったから通った話で、それが異例であるからこそメフィスト賞のような機動性の高い賞が生まれるきっかけにもなったわけである。
このメフィスト賞がどんな人材を世に放ってきたかと謂うのは、また別の話になるから今はさて措くとして(笑)。
もしかしたら京極夏彦のほうにも「たまたま」以上の計算があって講談社ノベルスを投稿先に選んだと謂うことはあるかもしれないし、当人の談話よりももっとちゃんとした段取りを踏んでデビューに漕ぎ着けたと謂うこともあるかもしれないが、まあ、実績や投稿歴のないド素人が世に出られるとしたら、持ち込みで万に一つも拾ってもらうくらいが現実的なところだろう。
オレが耳にしている範囲では、文学の賞獲りに御伽噺は存在しないし、それで当たり前の話である。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 3日 (水曜日) 午前 10時26分
当て擦りみたいな言い方をしてもアレなので(笑)、ぶっちゃけた言い方をすると、オレは今回ヒロの作品をポプラ社が引き取るに当たっては、賞金の辞退も条件の内だったんではないかな、と推測している。
セコい話だが、多分引き取り手がどこもなく見どころも乏しい作品を引き取り、編集者が附いて何とか形になるようにして売り出してやるわけだから、その上二〇〇〇万も賞金を出すのでは割が合わないと謂うことなんじゃないかな、と。
まあ、ヒロのほうも目先の賞金が欲しいわけではなく「華々しく小説家デビュー」と謂う事実のイベント性が重要なわけだから賞金に対する執着はないだろうし、賞金辞退を美談に仕立てることも出来る。また、「さらに多くの作品が生まれて欲しい」と謂う理由を挙げて辞退した二〇〇〇万円で実際に「ポプラ社新人文学賞」が一〇回続けられることになるわけだから、お互い納得尽くなんではないかと(笑)。
…いや、何だかこの件を考えると際限なく薄汚い想像が膨らんでしまうので、ホントにイヤなんだよなぁ。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 3日 (水曜日) 午前 11時13分
こんばんは。
「読まずに評価するな」と反論もあるようで、私は読みたくないので評価はしません(笑)。
でもまぁ、変な話ですよね、それに尽きると思います。
ちらっとネットで見ただけなので、間違っているのかもしれませんが、受賞した小説のストーリーは全くオフレコ、出版時期も確定していない、と聞けば誰だって"何それ?これから山ほど書きなおすのだね。ひょっとすると全然違う話になったりして?"と思いますて。
結局は出版社側も「水嶋ヒロ」の名前を出さなきゃ売れない本だ、と判断したわけでしょう?そうでなければ本名(?)で覆面出版して、評判になり"コレを書いたのは誰だ!"……実は"「水嶋ヒロ」でーす"とやれば、さらに売れるはずですもの。
つまり
"「天の道を往き、総てを司る!」、「俺が正義」"ってコト?
おあとがよろしいようで……。
投稿: うさぎ林檎 | 2010年11月 3日 (水曜日) 午後 05時44分
>うさぎ林檎さん
>>でもまぁ、変な話ですよね、それに尽きると思います。
変な話なんですよ。
まあ、そもそも文学賞なんてのは裏の事情があるのが当たり前と謂うか、普通一般のお仕事にだって外から窺い知れないような事情があるように、文学賞だって絵に描いたようなシンデレラストーリーなんてあるもんじゃないと謂うだけの話ではあるんですが。
新人賞と直木賞のようなプロ対象の文学賞を一緒くたに論じるのも乱暴なんですが、たとえば芥川賞なんかでも出版社の側が賞獲りをプロデュースする場合なんかもありますし、その辺は芸能人なんかの「姉が識らない間にオーディションに応募しちゃって」とか謂うのと同じことで、企業がカネと労力を掛けて新人を売り出すわけですから、それなりの保険を打つのは当たり前の話ですね。
そこには、まあ生臭い経緯もあったりするわけで、そのまんま世間に向けて説明するわけにはいかないことなんてのはあるのが当たり前ですよね。ですから、世間向けに丸めた話を整えるわけで、それ自体は何処の業界にでもある裏話に過ぎません。
ただ、ヒロの場合は綾香との結婚以来ゴタゴタに次ぐゴタゴタ続きで、事務所の辞め方もあんまり綺麗な事情ではなかったでしょうし、芸能界の慣例上不義理な形で事務所を辞めて、この先どうするのかと思ったら、またしても薄汚い裏の事情がプンプン臭ってくるような形で「華々しく小説家デビュー」なんぞと謂う嘘臭いシンデレラストーリーを仕掛けてくるってのが、もう茶番が過ぎて附き合いきれないですね。
で、何だかイヤだなぁと思うのは、ポプラ社の側も児童文学が柱の版元だから割とマトモな会社だろうと思っていたら、莫迦みたいに高額の賞金で大向こうウケを狙うようなハッタリ臭い文学賞なんかでっち上げていて、その実一回しかマトモに賞金を出してない上に、どうやら普通の版元が食指を動かさなかった「元俳優」の書いた得体の知れない小説を引き取った代償に賞金をチャラにしたんじゃないかと謂う辺り、カネ絡みのセコいドロドロがあまりにも気持ち悪いです。
>>ちらっとネットで見ただけなので、間違っているのかもしれませんが、受賞した小説のストーリーは全くオフレコ、出版時期も確定していない、と聞けば誰だって"何それ?これから山ほど書きなおすのだね。ひょっとすると全然違う話になったりして?"と思いますて。
いや、あんまりネットで「どうせ駄作だろ」的に騒ぐと、これだけの茶番をヌケヌケと仕組む連中のことですから、プロットだけ借りて丸々ゴーストに書き直させるくらいのことはやりかねないですよ(笑)。ヒロよりマシな小説が書ける手の早いゴーストなんて腐るほどいるでしょうから、二、三カ月もあれば二〇〇ページくらいの小説なんか幾らでも書けますよ。
ヒロ絡みのこれまでのゴタゴタを思えば、裏でどんな気持ちの悪いことが起こっていても不思議じゃないと謂うか、もうこのヒトについては何も信用出来ないような気がしますし、これからこのヒトに寄ってくる連中にはろくな輩がいないんじゃないかと謂う気さえしますね。
>>"「天の道を往き、総てを司る!」、「俺が正義」"ってコト?
デビュー作にすべて表れると謂うのは、俳優でも小説家でも同じなんですかね(笑)。
…にしても、うさぎ林檎さんから特撮ネタが出るとは予想しませんでしたが(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 3日 (水曜日) 午後 09時32分
もうツッコミどころだらけの話で、でも憎めないなあ水嶋ヒロ。小説を買って読むかどうかは分からないけど。
たぶんアレだと思うな、当初「ペンネームで受賞→カミングアウト→俳優休業」というシナリオを立てていた矢先、当の本人が勝手に執筆・休業宣言しちゃったもんだから、周囲は「また完全フライングだよ」と頭抱えてたんじゃないかと(笑)。
投稿: Leo16 | 2010年11月 3日 (水曜日) 午後 10時36分
おはようございます。
ウィキペディアさんに教えてもらっただけです(笑)。
仮面ライダーの人なんだぁというのも、黒猫亭さんの文章を読んで初めて知りました。
そこにあった"キャッチコピー"をペッとコピペしただけです(笑)。
ウィキペディアに
>注意:以降の記述で仮面ライダーカブトに関する核心部分が明かされています。
とあって斜め読み……実際に見ないとわからないナと思いますた。
ドラマ「花ざかりの君たちへ」の原作者(少女マンガ)の単行本巻末に、スタジオ見学記がありまして、私の「水嶋ヒロ」知識はそれだけです。
因みに作者の「水嶋ヒロ」への感想は、
「礼儀正しくて気さくで正確よさそう…こんな人本当にいるんだなァと」
で"美形すぎて直視できない。"と吹き出しが付いてました。
そしてこんなエピソード
「差し入れにカツバーガーを持っていった時なんか…
"これ…どなたの差し入れですか?(水嶋)"
"あ、ウチです(作者)"
"こんな美味しいの生まれて初めて食べました!ごちそうさまです。(水嶋)"
イチコロです。」
侮りがたし「水嶋ヒロ」……でも私は苦手かも知れない(笑)。
投稿: うさぎ林檎 | 2010年11月 4日 (木曜日) 午前 08時52分
>Leo16 さん
会社がちょっとポカをやらかしてくれちゃったお陰でここ二日ばかりバタバタになってしまい、お返事がすっかり遅れてしまいました。
たった二日ばかりの間に、尖閣ビデオのリークの衝撃で世間はもうヒロのことなんか忘れてしまったかのような勢いですが(笑)、ツイッター開始で巻き返しを図るところなど流石はヒロです。
>>もうツッコミどころだらけの話で、でも憎めないなあ水嶋ヒロ。小説を買って読むかどうかは分からないけど。
水嶋ヒロって、結局それだけでこれまでの人生を乗り切ってきているんですよね。
やっていることを視るとかなりヒドイと謂うか、なつらるに自己中心的なことばかりしていて他人に対する思い遣りがないんですが、それを綺麗事の言い訳に纏めて一切邪気がない辺り、これはもう持って生まれた才能だとしか謂えないですね。
そこそこ賢げに見えるんですが、綺麗事の言い訳を自分でも信じちゃっている節もあるし、その辺デンパ臭いところもあるんですよねぇ。こう謂うヒトは天然に失礼な言動をとっていても他人から嫌われないですね。思い込みも才能のうちです。
まさしく以前さんまが言っていたように、水嶋ヒロは何でも持っていますね(笑)。それに比べれば、小説の才能があるかないかなんてのは些細な問題に過ぎません(笑)。
>>たぶんアレだと思うな、当初「ペンネームで受賞→カミングアウト→俳優休業」というシナリオを立てていた矢先、当の本人が勝手に執筆・休業宣言しちゃったもんだから、周囲は「また完全フライングだよ」と頭抱えてたんじゃないかと(笑)。
その辺はどうなんでしょうね。事務所との関係の問題なんかもありそうですし、嫁を巡る事情もあるようで、ヒロを巡る状況は奇々怪々なんでよくわかんないですね。その想定ですと、要するに立場的には「俳優作家」と謂う位置附けで品川ヒロシなんかと同じですから(実際「ドロップ」に出演した縁で意識しているみたいですね)、研音サイドがプロデュースしてもよさそうな感じで辞める必要が薄いですね。
なので、多分小説云々とは別に事務所を辞めるのは既定事項で、小説を売るのはまた別の主体が動いているからこう謂う手順になったと視たほうが好いかもしれません。基本的に研音退社ありきの話で、それには複数の理由があって、小説家デビューと謂うのはその原因の一つでも結果的な選択肢の一つでもある、と謂うゴチャゴチャ循環した筋道なんではないかと思います。
後は、受賞してからカムアウトするのが劇的か、宣言してから受賞するのが劇的かと謂う演出効果の好みの問題もありますね(笑)。後者だと、曲がりなりにも「予告ホームラン」みたいな演出効果がありますが、前者だと下手をすれば「先頃俳優の水嶋ヒロさんがポプラ社小説大賞を受賞しました」「へー、小説も書けるんだ、器用だね」と謂う地味な芸能トピックスで終わってしまう怖れがあります。
で、小説のほうで賞を貰って先行きの見通しが立ってから俳優を休業するとか事務所辞めるとか謂う流れになると、「ヒロ、何を勘違いしてんだ」「一本賞を獲ったくらいで作家としてやっていけるなんて思うなよ」みたいな見え方になりますが、辞めてから賞を獲ると謂う形にすると、「退路を断って背水の陣で未知の領域に挑戦して見事結果を出しました」的な有言実行の見え方になりますから、まあ結果的には現状の流れで演出効果は好かったんじゃないですかね。
ただ、ヒロのことですから、何をどうやっても大向こうにウケる形にはなっただろうとは思うんですが(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 6日 (土曜日) 午前 11時25分
>うさぎ林檎さん
そんなような事情でお返事が遅れましてすいません。二日ばかり黙っていてもちゃんと生きていましたからご安心ください(笑)。その申し訳に、いつもよりたっぷりめにヒロを語らせて戴きましょう(笑)。
>>ウィキペディアさんに教えてもらっただけです(笑)。
なんだ、うさぎ林檎さんが仮面ライダーカブトや水嶋ヒロのファンだったと謂うわけではないんですね(笑)。まあ、そんな面白いことはそうそう世の中に転がっているとは思いませんけどね。
一応うさぎ林檎さんの食指が動きそうなネタも振っておきますと、何故かカブトの頃にはプロデューサーの白倉伸一郎やメインライターの井上敏樹が食育に凝っていまして、番組内で矢鱈に喰い物ネタが頻出した上に、白倉のブログでもフードファディズムがどうしたとか書いていましたが、その関心の赴く先が「日本豚食幻想」とか「醤油ファシズム」とか面白すぐる方向性だったので随分当ブログでもいじらせて戴きました(笑)。
この白倉伸一郎と謂うヒトは、「仮面ライダー The First」でも「水の結晶」がどうとか謂うネタを扱って、apj さんに速効でツッコミを入れられていたことで有名ですが、多分ネタ出しは脚本家の井上敏樹のほうではないかと思います。本人的には「アカラサマにトンデモであることが一目瞭然で無害なネタ」として採り上げたと謂うところではないかと思うんですが、クリエイターにアリガチな考え違いですね。
カブトの番組中では、スタート早々に嫌煙ネタで物議を醸しましたが(笑)、こっちのほうはNATROM先生向きのネタですかね。ウチのほうでも当時エピソードレビューで批判しましたが、小粋なビストロで家族連れの隣席にガイジンの集団が座っていて、そいつらが食後に煙草を吸って隣の家族連れがイヤそうな顔をしていると、そのビストロの店員をしているヒロインが煙草に水をぶっかけ、ガイジンが怒るとヒロが…もとい天道総司がそこに割って入ってガイジンを暴力で叩き出すと謂う、何処からどう視てもツッコミどころだらけで嬉しい迷いをしてしまいそうな話でした(笑)。
これはどう考えても分煙を徹底していない店側の責任だろうし、口頭で注意もせずに客の煙草に水なんか掛けたら怒るのが当たり前だと謂う理屈は、この要約を聴いただけでも明白だろうと思うんですが、店側の人間であるヒロインが煙草に水をぶっかけると謂う暴挙に及ぶのも理不尽なら、居合わせた主人公が正義を標榜して客を叩き出すと謂うのも理不尽で、制作側が「天道の正義なんてその程度の独善的なマイ正義だよ」と表現したかったのかどうかは、番組中における天道の正義の描き方の軸がブレまくったお陰で到頭最後まで不明でした。
ただ、水嶋ヒロ本人的にはその天道の行為の何処がおかしいのかと謂うのは、多分全然気附いていないんではないかと思います(笑)。今から振り返ると、如何にもヒロ自身なら正しいと思いそうなことに見えてしまう辺り、人徳ですね。
>>…実際に見ないとわからないナと思いますた。
そう謂う次第で、実際に視るとツッコミどころ満載で裏拳が疼きますよ(笑)。
>>因みに作者の「水嶋ヒロ」への感想は、
>>「礼儀正しくて気さくで正確よさそう…こんな人本当にいるんだなァと」
>>で"美形すぎて直視できない。"と吹き出しが付いてました。
何処も間違ってないですねぇ、至極正しい感想です。たしかに礼儀正しくて気さくで性格は好いし、ご婦人はおろか野郎でも直視できないくらい美形ですが、世の中を自己中心的にしか見られないし、それに一切悪気がなくて自身の言動に常に綺麗事の解釈が附くから何処も悪いと思っていないと謂うだけですね。
>>侮りがたし「水嶋ヒロ」……でも私は苦手かも知れない(笑)。
そう謂う、自分に見返りが返ってくるような心ない「気遣い」ならなつらるに出来るんですよね。その言動によって相手が自分のことをどう思うかまで無意識にキッチリ計算が出来ていて、しかもそれをまったく意識せず純然たる善意で行えると謂う天然の人蕩し、それが水嶋ヒロ…いや、こんな男が道を歩いていたら、何も見なかったフリをして通り過ぎるのが安全です。
まあ、こんな綺麗な男を見なかったフリをすると謂うのも、多分大多数の女性にとっては難しいと思いますが(笑)、苦手だと感じるうさぎ林檎さんの感覚は物凄く真っ当だと思います(笑)。
そもそも、オレはこう謂うことを言ってヒロを貶めているように見えますが、筋道を質せば間違いだらけでも、人間社会の好悪の感情に左右される情緒的な側面にこれほど過適応した人間ってのは一種隔絶した天賦の才能の持ち主だと思いますよ(笑)。
とにかく、自分が好かれたいと思う相手に間違いなく好かれる才能ってのは、人間社会を生きる上では絶対的な切り札となる才能ですよ。人間、好かれたいと思う相手に確実に好かれることが出来れば、殆ど何でも思いのままになります。
その一方で、器用で頭の良いところもありますから、何をやってもそこそこ出来てしまうし、人から好かれる才能で「そこそこ」のレベルで通ってしまうから何をやっても秀でた一芸に高まらないと謂う、まあその辺のイマイチ感で運否天賦の釣り合いがとれているのかもしれませんね。
他人の好意で何でも思いのままになる人間は、他人の役に立つことを何一つしなくても生きていけるし、他人に好かれることそれ自体によってその相手の役に立っているのですから、自分の成し遂げた行為の他者的な意味によって自分の価値を創る必要なんかないんですよ(笑)。
自分の好きな相手って、どんなダメ人間でも人間の屑でも何も出来なくてもそれどころか迷惑を掛けられてさえも、自分にとって価値がある人間で自分が生きていく上で役に立っていると言えますよね。
水嶋ヒロと謂うヒトは、そこまでダメ人間でも人間の屑でもなければ何も出来ないわけでもそこまで他人に迷惑を掛けるわけでもなくて、単に何をやってもそこそこでイマイチで独善的であんまり他者的な意味はないと謂うだけなんですが、人から好かれる才能だけは突出しているわけで、それだけで人間としての価値を確立している珍しい種類の人間だと謂う、それがオレの水嶋ヒロ観ですね。
実際、オレも好きか嫌いかで言えば割と好きですよ(笑)。ただ、オレは男なのでその好意を動機としてこのヒトの仕事に関心を持つことはないし、実際に周囲にこんな人間がいたら関わりになりたいとは思わないし、このヒトが思い通りに生きていく為にくだらない大騒動が起こるようなら、そんな騒動に興味はないと謂うだけで。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 6日 (土曜日) 午前 11時26分
>>apj さんに速効でツッコミを入れられていた
ちょっと誤解を招く言い方でしたね。今は元の「事象の地平線」の記事が参照出来ないので確認していませんが、たしか白倉伸一郎個人に対する意見ではなく、作品内の描写に対するツッコミの形だったと記憶しています。水の結晶の扱いと同程度に「科学者=いつでもどこでも白衣姿」と謂うステロタイプな描写に対するツッコミのウェイトも大きかったと記憶しています。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 6日 (土曜日) 午前 11時58分
『仮面ライダー THE FIRST』での水の結晶ネタは、当時のムック本の長石多可男監督へのインタビューに、井上敏樹が監督に水伝を「監督、こんなの好きでしょう。ちょっとトンデモぽいけど」とか言って見せてきて、監督がそれに乗っかったとかありましたね。
投稿: About | 2010年11月 6日 (土曜日) 午後 07時53分
>Aboutさん
>>井上敏樹が監督に水伝を「監督、こんなの好きでしょう。ちょっとトンデモぽいけど」とか言って見せてきて、監督がそれに乗っかったとかありましたね。
ああ、やっぱり井上敏樹のネタ出しでしたか。長石のお爺ちゃんも、くだらないネタに乗っかっちゃって掻かずとも好い恥を掻いたもんだな(笑)。「ちょっとトンデモぽい」と謂う言い方だと、半信半疑くらいの感じ方で、完全なトンデモだと思っているわけでもなかったってことかな。
水伝なんかを半分でも真に受けていたとすると、井上敏樹も威張れた筋合いじゃないですよねぇ(笑)。格好悪いっす。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 7日 (日曜日) 午前 12時21分
遅ればせながら、面白く、(コメントのやり取りを含め、)読まさて頂きました。
この頃は、小説に類する本は、SF小説しか読まず、世の中の動きで、多くの人が騒げば、引いて見守り、
ましてや、「○○賞」など取った本など、すぐ読む行為は、世の中に逆らって人間にとして、読む気は起こらず、
よっぽど、良い本なら、その内、古本屋で、安く出回った時、読もうと思っている人間です。
古本屋に出回った時点でも、まだ、価値がある(その価値が存続している)本が「読む価値」があると思っています。
「○○賞」を取った小説家の本が読む価値がある、なんて、思ったことはありません。
「○○賞」を取った小説家の本を、競って、読もうとする人間心理は、私には、よく分かりません。
<付和雷同>の行動なのでしょうか・・・?
「水嶋ヒロ」などの存在自体、(テレビもほとんど見ず、芸能界の動きにも興味が無いので、)貴ブログを読んで、そんな動きがあったのか・・・、と思っただけです。
「○○賞」を出す版業界も、大変そうですね・・・。
「権威」と云うものは、その内、付いてくるのでしょうが、「芥川賞」、「直木賞」などまで、権威あるものにするには、<公平性>がまず、大事と思います。
と云って、「芥川賞」、「直木賞」を取ったから、と云って、即、読もうとは思っていませんが・・・。
この頃は、それらの賞も、単なる話題性を狙っただけ、のようにも思い、「権威」は、徐々に衰退しているようにも思っています。
プロの小説家を目指す人間がどの位いるか・・・?は、知りませんが、「○○賞」を取れば、箔は付き、世の中に知られるようになり、実力を発揮する切っ掛けになると思いますが、継続して、実力を維持できるか・・・?は、本人の努力(?)、生み出す能力、でしょうね。
・・・しかし、裏にゴーストライターがいる作家も、結構いるようで・・・、(私は、毎月のように、初版だす作家は、本物が書いているのか?疑っています。)
宗教家の本など、ほとんど、ゴーストライターでしょうし・・・。
投稿: mohariza | 2010年11月 7日 (日曜日) 午後 12時04分
>moharizaさん
>>「○○賞」を取った小説家の本が読む価値がある、なんて、思ったことはありません。
>>「○○賞」を取った小説家の本を、競って、読もうとする人間心理は、私には、よく分かりません。
そうですね、賞獲りを擁護するわけではありませんが、謂ってみれば世の中には或る特定個人が是非読まねばならない本とか、絶対的に読む価値のある本なんてのは存在しないわけですが、「○○賞受賞作」と謂う看板は、何かを読もうとする時に或る程度指標となると謂うことは言えるかもしれません。
それは勿論、結果から謂って人生が変わるほどの衝撃を受けたり価値観の転換があったりと謂う出会いがありますが、基本的に本なんてのは読まなければ読まないでそれでどうと謂うこともないものではあります。
それでも何か本を読もうとするなら、名だたる選考委員が推した大賞受賞作と謂うのは或る程度のクオリティを保証すると視られるわけで、本来文壇と謂うのは物書きみたいなあやふやな判断基準の職業の専門ギルドみたいなものですから、文壇が世間一般に対して作家のスキルや作品の価値を保証すると謂うのは、正しく職業ギルドに求められる機能ではありますね。
ただまあ、裏事情から謂えば、文学作品だって人間の仕事の一つですから、作家と作品を完全に峻別し作品の絶対的な善し悪しだけで選考しているわけでもないですし、直木賞のようなプロ対象の賞ならコンスタントな実力を視る必要もありますから、一発受賞なんてことはまずないわけで、数回候補作に上って選考委員が「もういいだろう」と認めた段階で受賞と謂うのが通り相場ですね。
なので、たとえば直木賞なんてのはその作家の一連の執筆活動を全体的に勘案して評価されるので、「もういいだろう」と選考委員が感じた時点の候補作が受賞作になりますから、それ自体がその作家の作歴中一番面白い保証なんかないわけです。ただ、それでも文壇の主要な重鎮が「この作家の作品は面白い」と太鼓判を捺したと謂う意味はあるわけですから、受賞作だってコンスタントなレベルでは面白い。
ですから、文学賞には話題性の側面とは別に、特段の読書家でもない普通の人間の読書経験の効率性を高めると謂う機能もあるわけで、小説作品の価値を自分で探して判断するのではなく、或る程度世間的な評価に基づいてハズレを引くまいとする場合にはそれなりの意味はあると思います。まあ、ホントの読書好きでもない限り、普通はそんなもんで十分だろうと思います。
>>「水嶋ヒロ」などの存在自体、(テレビもほとんど見ず、芸能界の動きにも興味が無いので、)貴ブログを読んで、そんな動きがあったのか・・・、と思っただけです。
ポプラ社の賞は、どうも話題を喚起することのほうが目的のようで、たしかにポプラ社みたいな比較的マイナーな版元が有望な新人を囲い込みたいと思ったら巨額の賞金を謳うと謂うのもアリはアリですが、一回しかマトモに賞金を出していないのでは胡散臭いと思われても仕方ないですね。
そうすると、勢い二〇〇〇万円を謳うことによる宣伝効果が狙いなんだろうと謂う観測に繋がりますが、そう謂うところでもないと水嶋ヒロの作品を拾わなかったと謂う辺りが大体作品の出来を伺わせますね。
>>プロの小説家を目指す人間がどの位いるか・・・?は、知りませんが、「○○賞」を取れば、箔は付き、世の中に知られるようになり、実力を発揮する切っ掛けになると思いますが、継続して、実力を維持できるか・・・?は、本人の努力(?)、生み出す能力、でしょうね。
普通は、継続的に作品を発表するだけの実力と職業的意欲があることも受賞の条件になるもので、そうなると新人賞でも一本の応募作の出来だけを視て判断するなんてことはそうそうないだろうと見当が附きますよね。作家になる気もない人間がたまたま出来の良い作品を一本書いて応募したとしたって、その作品自体に賞を与えるのでは新人発掘の意味がないですから、作家になる気があってコンスタントに良い作品を書いている人間に与えようと謂う話になります。
そうなると、まったくノーマークのド素人が気まぐれに応募して見事大賞を受賞、作家へと華麗な転身、なんて御伽噺はまずないだろう、と考えられますね。まぐれでたまたま一本くらい読める作品を書いたからって、その後が続かなかったら意味がないですから、それまでの応募歴なんてのも勘案されるわけですし。
要するに、文学賞なんてのはただの作品コンクールや文化イベント的なコンペではなくて、新人作家を売り出すきっかけになるわけですから、たとえば書道コンテストとか川柳コンテストみたいなものとはまったく性格が違うものですね。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月 7日 (日曜日) 午後 04時51分
> apj さんに速効でツッコミを入れられていた
懐かしいですね。2006/05/04のエントリーです。
http://www.cml-office.org/ehold/?logid=1815
> 本郷猛がやってる水結晶の研究よりもショッカーの科学の方が役立ちそうなところにトホホ感がただよっている。
思わず、納得してしまいました。
投稿: mimon | 2010年11月 8日 (月曜日) 午後 11時50分
うーん、ポプラ社文学賞怪しいですねw
そういえばさっき水嶋氏、「(書籍化に当たっては)ポプラ社の方々が右往左往して下さり…」とつぶやいたのを「それは東奔西走という表現の方がふさわしいのではないか」などと突っ込まれて、そこは明るく爽やかに「そうですね、勉強になります!」と訂正していたのですが(←いや文学賞をとった人間がそれでいいのかという気も)、でもそれは、もしかしたら本来の意味の右往左往(社内的な)なのだったりして…
やはり黒猫亭様の読み筋が当たっている気がしてなりません。やはり物事は常にそういう見方をしていかなければ、と思いました。
投稿: 604 | 2010年11月 9日 (火曜日) 午後 12時38分
mimon さん
>>懐かしいですね。2006/05/04のエントリーです。
ああ、過去ログがあったんですね。ご紹介ありがとうございます。
やっぱりコメント欄で白衣姿の描写にツッコミを入れておられますね、このご意見は印象的だったのでよく覚えていたんですよ。で、コメント欄の最後のほうでちゃんと白倉作品を批判する人物がどこからともなく現れる辺り、白倉伸一郎の人徳と謂う以外にありませんね(笑)。
>>本郷猛がやってる水結晶の研究よりもショッカーの科学の方が役立ちそうなところにトホホ感がただよっている。
まあ、科学研究と謂うのは必ずしも「すぐに」世の中の役に立つものばかりではないですからねぇ(笑)。とはいえ、この本郷猛の研究に限って謂えば、「未来永劫」人類の役に立つことはないんですが(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月10日 (水曜日) 午前 10時50分
>604 さん
>>「(書籍化に当たっては)ポプラ社の方々が右往左往して下さり…」とつぶやいたのを「それは東奔西走という表現の方がふさわしいのではないか」などと突っ込まれて、そこは明るく爽やかに「そうですね、勉強になります!」と訂正していたのですが
ヒロに無検閲でブログやツイッターみたいなリアルタイムの情報発信ツールを使わせるは危ないんじゃないですかねぇ(笑)。天然で脇が甘いところがありますから、そのうち炎上して閉鎖する羽目になるんじゃないかと余計な心配を(笑)。
>>もしかしたら本来の意味の右往左往(社内的な)なのだったりして…
…の可能性は高いですねぇ(笑)。
実は上のほうのコメントで「ゴーストを立てかねない」とは言ったものの、ヒロの性格やプライドから考えて「手直しされるのは仕方ないが、別人が書き直すのは納得出来ない」とかゴネそうだなとも思うんですよ(笑)。そうすると、ヒロの原稿を叩き台にして朱字の遣り取りで手直しするとなるわけですが、手慣れた人がまったく一から書き直すよりも物凄い手間と時間が掛かります。
しかも、ヒロも著者校正の作業は初めてですから、朱字の入れ方の決まり事なんかも識らないでしょうし、素人にアリガチな頓珍漢な拘りとかありそうですから、無意味なロスも多いはずですね。いや、普通の未経験者だとそれで当たり前なんですよ。
ただ、ヒロの原稿がネットで情報が流れているような代物だとすると、相当手直ししないと使い物にならないだろうし、ヒロも物腰は丁寧ですが変な拘りが強いでしょうから唯々諾々と編集者の意見を容れるようなわけでもなさそうなので、多分、実作業はかなり大変だろうと思いますよ。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月10日 (水曜日) 午前 10時51分
こんにちは。
なんか「端的」を「短的」もやっちまったみたいですよ。
好意的な人にすら"Twitterは止めた方が良い"とか謂われてます(笑)。
「短的」なんてどんなFEP使ってるんでしょうか、意地を張らずにATOKさんを使えば、変換中にも校正してくれるのに。
mixiのニュースで知ったんですけど
「ポプラ社の皆様が、一日でも早い発売にこぎつくよう右往左往して下さっている」
とツイートして、その後
「処女作『KAGEROU』の発売日が12月中旬に決まった」
なので、本当に右往左往してるんじゃないですか?(大笑)
投稿: うさぎ林檎 | 2010年11月10日 (水曜日) 午後 01時16分
>うさぎ林檎さん
>>なんか「端的」を「短的」もやっちまったみたいですよ。
そのうち「フューチャーする」とか「やもうを得ない」とか「足り得る」とか、勘違いあるあるネタのオンパレードになってたくさん勉強する羽目になるのでしょうね。
>>「処女作『KAGEROU』の発売日が12月中旬に決まった」
右往左往どころか上を下にとかてんやわんやの大騒ぎなんじゃないですかねぇ(笑)。たしかにプロの小説家でも、ネットの発言では取り立ててうっかりミスが少ないわけでもないですし、そこは校正者に頼っている部分ではありますね。
それに、通俗小説ってのは必ずしも正確で美しい日本語を書く能力が必要なわけでもなく最終的には文章力よりもプロットやアイディアが大事で、文章なんてのは作品内事実を表現する道具に過ぎないですから、悪文のベストセラー作家なんてのも幾らでもいるわけですね。
いや、別にヒロがそうだと言っているわけじゃないですが(笑)。
投稿: 黒猫亭 | 2010年11月10日 (水曜日) 午後 04時17分