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2010年12月29日 (水曜日)

論座論争、改めて整理しよう

最近俄然ツィッターからのアクセスが増えているので、オレ自身はまだ始めていないのだが、識り合いのツィートを覗く習慣が出来た。見た感じではチャット感覚で楽しそうだとは思うのだが、これを始めるとこればっかり気になって纏まったブログの記事を書く気にならないだろうなぁとちょっと思う(笑)。

ツィッターを始めたネットの知人のブログが仲々更新されなくなるのは、なるほどこう謂う理由だったのかと更めて理解したのだが(笑)、朝から晩まで定期的にツィートしているどらねこさんが、ちゃんと頻繁に更新しているのは結構凄いことだなと感心した。

そうやってツィッターを覗いていて得た情報も多く、殊にここ数日間は山口の訴訟の件で活発な議論が交わされていて益するところも多かったのだが、ホメオパシー関係の情報としては、asahi.com のWEBRONZAがやらかした件がホットな話題と言えるだろうか。

「牛にもホメオパシー」〜本場スイスのホメオパシー療法の現在

まあ、記事自体は何処のメディアでも一度はやらかしたようなホメシンパの執筆者による手前味噌な擁護記事に過ぎないとは謂えるのだが、ホメオパシー報道では他の追随を許さない誠実な報道姿勢で評価を得ているアピタルと同じasahi.com が、他方ではこう謂う情報を垂れ流していることへの失望感も大きかったと言えるだろう。

さらには、ツィッター上で論座の「中の人」が所謂「後釣り発言」をして、話半ばで尻を捲って遁走してしまったことが余計に反撥を招き、最終的には久保田裕が論座に解説記事を発表して事態を収拾する形になった。

ホメオパシー論争、改めて整理しよう

この解説記事については、オレの識り合いの間では以下の記述が議論となっていた。

 例えば山口で起きた訴訟で、乳児を亡くしてしまった母親は、ビタミンK2が乳児にとっていかに大切なものであり、レメディーはビタミンK2のシロップの代用にはならないものだ、ということを、ちゃんと理解した上で、あえてビタミンK2を拒んだとでもいうのだろうか? もしちゃんと理解していたら、拒むということ自体がありないと思うのだが。

この記述は、読み方や前提次第でJPHMAの主張する助産師側の事情説明を認めているとも反論しているとも読めるし、JPHMAの声明文を識らない読み手には一般論に見える、しかも山口訴訟の要点(ホメオパス側の説明義務)については一般論の土俵でしっかり批判していると謂う非常に巧妙な記述である。

訴訟が和解に終わったことで事実認定は棚上げされてしまったわけであるから、個人の立場における私見ならともかく、新聞社を代表する公論として根拠もなく憶測で一方の主張のみを採用するわけにはいかない。事実認定の問題を回避して本件の問題点を指摘するなら、このような書き方にならざるを得ないわけである。

まず、

 まず、朝日新聞科学医療グループとしては、「ホメオパシー療法はあぶない」とは言っていない。ホメオパシーで薬代わりに使っている「レメディー」なるものは、単なる砂糖玉に過ぎない。単なる砂糖玉がそんなに「あぶない」わけがない。したがって、記事中の、この夏「ホメオパシー療法はあぶない」と大きな話題になった、という認識は当を得ていない。

 では、なにがまずいのかというと、ホメオパシーやそのレメディーといった民間療法に頼り切ってしまうことに問題がある、と考えている。それらを頼り切り、信じ切ることで、真っ先に受けるべき通常の現代医療を拒否してしまう、という事態が生まれかねないことが最大の問題点なのだ。

…と謂う冒頭の記述であるが、これはホメオパシー批判に継続的にコミットしている論者にとっては違和感を覚える書き方である。しかし、これはつまり、朝日が認識するホメオパシーの危険性は物質的な次元の問題ではなく、その理論に内在する強い医療忌避の志向であると謂う説明である。

これは直接には岩澤里美の記事の記述に言寄せているが、真意としてはJPHMAの声明文の「ビタミンK非投与とレメディ投与を分けて考えるべき」「レメディ投与で子供が死んだかに誤認させる報道は不正確」と謂う主張に反論するものだろう。

要するに、「誰もそんなコト思わねーよアホ」と謂う底意があると視た。

その前提でこの一文の流れを読むと、結局「仮に山口の事件の事実関係が一〇〇%おまえらの主張する通りだったとしても、そう仕向けて赤ん坊を死なせたのはおまえらの責任じゃねーか」と謂う底意が見えてくる。

事実、最初に挙げた引用の直前にはJPHMAが屡々口にする「自己責任」論に対する疑義が述べられており、こう結論附けられている。

 だが、自己責任を問えるというのは、その判断すべき事項に対して正確で十分な知識を、判断する個人の側がちゃんと持っている、ことが前提条件としてあるべきだろう。

その流れにおいて前述の引用に繋がるのであるから、これはJPHMAが掲げる事実関係についての説明は合理的に考えて信頼すべき理由がないと謂う意見とも読める。

この件についての事実関係は、後ほどオレのほうでも総括で突っ込んで論じたいと思うのだが、JPHMAの説明は合理的に考えればまったく成立の余地がないもので、単に和解を急ぐことでそれを有耶無耶にしたと謂うだけの話である。

であるから、オレの意見としては、この記事は非常に高等なロジックや表現技法を駆使して報道上の問題点を巧みに回避し、併せてJPHMAの現時点における主張にも的確に反論した上出来の総括だと思う。

また、個人的には「新聞社というのは、脊椎動物というより、軟体動物に近い」と謂う言葉が印象に残った。

編集部としては、「欧州でのホメオパシーの話が興味深かったから載せた」ということだったが、この記事をこのような形でポンと載せるのは乱暴で、問題になりかねないと、その時から危惧していた。

まあ、「危惧していた」のならなんでその時に反対しなかったんだと謂う話にもなるだろうが(笑)、おそらく一方でホメオパシーとの対立姿勢を堅持する部署があれば、他方ではこう謂う記事を掲載するのも新聞社全体の公平性と謂うことだろう。

以前朝日がやらかした自給自足一家の記事について、オレも似たようなことを述べたのだが、新聞社と謂うのは決して思想的に一枚岩ではないし、同一紙内で主張が対立するような記事が掲載されることもある。伝統的に新聞報道と謂うのはそのような性格のものであり、その個々の考え方のバラ附きを容認することで一方向への偏向を補正する機能を動的に果たしている側面はある。

さらに、新聞社は特定の立場を偏重しない建前になっているので、一応両論併記が原則であるから、ホメオパシー支持者の寄稿をシャットアウトすると謂うところまで求めるのは少し酷かとも思わないでもない。バランスの問題として、一方的に批判するのではなく支持者の意見も掲載すべきではないのか、と謂う感覚自体は理解出来るだろう。

ただし、科学的な観点で謂えばホメオパシーを擁護する為にはかなり不正確な強弁をする必要があるわけで、論座の記事でも「ホメオパシーがADHDの治療に顕著な効果を示した」と謂うような記述が問題になったが、外部の寄稿者からの署名記事とは謂え、その不正確情報が独り歩きしていつの間にか「定説」扱いされることがないように、新聞社の責任でその不正確情報に注意喚起する責任はあるだろう。

新聞社の慣習では、外部からの署名記事の文責は飽くまで執筆者自身に帰属するもので新聞社は関知しないことになっており、その意味で当該記事全体が執筆者の文責に基づくものであることを明確化する必要があるが、論座の中の人が言うように編集部からの注記を挟むなり何なりと謂う対処の仕方は幾らでもあったはずである。

その意味で、岩澤里美の寄稿を「このような形でポンと載せ」た論座の中の人の判断は甘かったと言わざるを得ないが、現実問題として論座の内部では記者が自身の文責で発信する情報の正確性を判断する仕組みがないのだろうと推測する。

編集責任者が判断可能なのは、その情報が正確であると謂う前提に立った掲載の妥当性の問題で、慣習的な問題で情報自体が正しいか間違っているかを判断する仕組みが存在しない、そのような印象を覚えた。

久保田裕の記事でも、情報自体の信憑性に関する情報提供を(ホメオパシー批判の論壇ではよく識られているとは言え)一ブロガーであるMochimasa さんのエントリに丸投げして「これを参考にして読者が判断してください」と下駄を預けている。

NATROM先生の記事もこの種の使い方をされる場合があるが、要するに新聞社においては個別の情報の精度について、個々の記者の取材能力や個々の執筆者の見識に対する信頼に依拠していて、Mochimasa さんやNATROM先生のような手法で一次情報に当たって情報自体の精度を担保する仕組みがないと謂うことだろう。

まあ、現実問題として、新聞社が発信する夥しい情報の精度を逐一取材者と同レベルの前提を共有して上長が判断可能かと謂えば自ずと限界があるわけであるから、属人的な判断で情報の精度を見積もるしかないと謂う現実論はあるだろう。

その意味で、おそらく論座の中の人が「釣りの邪心」と表現したのは、久保田裕が感じたような不安を編集部内でも共有していたが、広くネットの議論を喚起することに主目的を置いて、情報に不正確な部分があるのであればその議論の中で明らかになるだろうし、議論が高まれば更めて議論の中から出てきた精度の高い情報を採り上げれば好い、そのような動的フィードバックの流れを作ってみよう、と謂う目論みがあったのではないかと推測する。

それはまあ、本来自社内部で担保すべき情報の精度を一旦棚上げし外部の議論に丸投げして取り敢えず情報を放流する、と謂う意味でもあるわけだから、無責任と謂えば無責任な姿勢ではあるが、おそらく朝日新聞社内部のドットコム領域では、現実論として限界がある情報精度の問題について、ネット言論を積極的に拾っていくことで当面対応しようと謂う全体方針があるのではないかと謂う気がする。

その意味で考えても論座の中の人のツィートは無防備すぎるように思うが、オレの推測通りなら、論座の挑発的な記事を受けてネットの議論が活発化し、その議論を受けて問題を総括する形で発信された久保田裕の記事でネットの検証記事を採り上げる、と謂う流れは、邪推すればその青図通りと謂う見方も出来るだろう。

言い方を変えれば、連中の魂胆としては「利用する気マソマソ」と謂うところで、これはまさに「邪心」と表現するのが妥当だが(笑)、個人的見解としては大手メディアのこんな下心に感情的に反撥しても意味はないわけで、寧ろ「利用されてやるがこっちも利用させてもらう」くらいの流れに持って行ければ、ネット言論のリーチの問題にも一定の活路が得られるわけである。

その意味で、論座関連の悶着にもそれなりに意味はあったんではないかと思う。

とにかく、ニセ科学やニセ医療の問題に関するネット言論が、社会的現実における問題の改善と謂う実践的な目的性を掲げている以上、少しでも大きな到達距離を持つ大手メディアとの連携は欠かせない要件である。われわれが議論を通じて考察を深耕するだけでは問題は解決しないわけで、議論の積み重ねで蓄積された知見を広く社会に向けて発信するツールが必要となる。

楽観的に過ぎるかもしれないが、ホメオパシー問題を巡る一連の朝日の動きは、その意味で一縷の希望を示しているのかもしれないと思う。

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コメント

先ほど「朝日新聞×砂糖玉」と謂う検索ワードでアクセスがあったので、書こうとして忘れていたことを想い出したのだが、アピタルの「ホメオパシーだけじゃない 民間療法規制に壁」と謂う昨日附けの記事では、「レメディ」と謂う記述が一つもないことが何だか印象的だった。

http://www.asahi.com/health/feature/homoeopathy_1228_01.html

この記事は朝日新聞東京本社朝刊からの転載と謂うことで、限りある紙面に収める都合上「療法で用いるレメディと謂う特殊な砂糖玉」と謂う長たらしい説明を出来るだけ短く圧縮して「療法で用いられる砂糖玉」と表記しただけなのだとは思う。

しかし、これまでのアピタルのホメ記事では「レメディ」と謂う何となく尤もらしく響くタームや「特殊な」と謂う修飾で、単なる砂糖玉ではないような印象を覚える書き方だったのが、「療法で用いられる砂糖玉」と素っ気ない書き方をすると途端に物凄く莫迦げたインチキ療法と謂う性格がわかりやすくなることは事実である(笑)。

もう、今後アピタルの記事でも「砂糖玉」呼ばわりでいんじゃね?(笑)

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月29日 (水曜日) 午後 01時34分

砂糖玉呼ばわりは意識してそうしている、とアピタルツイッターの中の人が言ってましたよw

ウチは朝日新聞の夕刊まで取っているのですが、12/27付東京夕刊のコラムで、論説委員(名古屋在住で、わざわざ取材に行ったらしい)が不用意に吉村医院を持ち上げていてアタマが痛くなりました…
取り合えずアピタルツイッター宛に「どうかと思う」と呟いてみました。

今WEBRONZAのツイッターでは、菊池先生への対応に大わらわですなw
菊池先生も仰ってましたけど、ホメオパシー程既に「白黒」がはっきりしたものを「バランス」で掲載する必要は、私は無かったと思います。
当該記事も死人が出る程の問題を抱えているなんて事にまったく思い至ってない稚拙なものだったけど、「名のある人の署名記事」という体裁ですので、影響もそこそこ心配されるし。

でもまあ、リアルタイムで対応が進んで行くのを見るのはなかなか興味深いです。

投稿: shof | 2010年12月29日 (水曜日) 午後 05時29分

>shofさん

>>砂糖玉呼ばわりは意識してそうしている、とアピタルツイッターの中の人が言ってましたよw

ああ、やっぱりそうなんですか。アピタルの記事を継続的に視ていくと、いきなりそこで記述のトーンが変わるので印象的ですよね。

>>菊池先生も仰ってましたけど、ホメオパシー程既に「白黒」がはっきりしたものを「バランス」で掲載する必要は、私は無かったと思います。

要するに、犯罪や不正については所与の前提として悪と見做して扱うべきで、今更犯罪や不正自体の是非について両論併記する意味はないと謂うような話ですよね。

まあ、なんか全体的な論調としては朝日擁護みたいに見えるかもしれませんが(笑)、単に新聞社の旧来の慣習や体質からするとこう謂うことだったんだろう、と謂う意味合いにおける説明で、オレとしても、そもそも岩澤里美の記事なんか掲載する意味なんかなかっただろうし、掲載すべきでもなかっただろうとは思います。

どうも今回の成り行きは、考えの浅い連中があざといことを考えてやらかしたのをパパンに泣き附いて納めてもらった、みたいな印象ですね(笑)。「釣り」を目論むならもっとスマートなやり方があっただろうと思いますし、こんな形で情報を放流してしまったら「釣り」どころか「毒流し漁法」じゃねーかと思います。

まあ、「釣り」の対象としてホメオパシーに関して十分な知識がある所謂「ニセ科学批判クラスタ」を念頭に置いていたとしても、読み手は圧倒的にそれ以外の人々なんですから、報道の本義を忘れては意味がないですよね。

何と謂うか、戦略上の駆け引きでちょっと市街地を爆撃してみました、みたいな言い分で、非戦闘員の犠牲を最初から織り込んだらダメだろう、みたいな。「ADHD」の件にしても「二重盲検によるエビデンスがある」と謂う主張は一般人には真偽の判断が困難ですから、そこだけでもチェックすべきだったんではないかと思います。

>>当該記事も死人が出る程の問題を抱えているなんて事にまったく思い至ってない稚拙なものだったけど、「名のある人の署名記事」という体裁ですので、影響もそこそこ心配されるし。

国内の現実に依拠してホメオパシーの問題性を論じているのに、「海外ではこんなに支持されている」と話題をすり替えるのは、ホメ支持者の常套手段ですね。ネットを一渡り見回す限り岩澤記事の論点は全叩き状態でお話にも何にもならないわけで、このタイミングでこんな古臭い擁護論をわざわざ掲載すると謂うのは、仮に「釣り」だとしてもダメダメなやり口であることは間違いないですね。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月29日 (水曜日) 午後 09時32分

こんばんは。

全体としては、公平を装ったホメ批判を匂わせる記事になっていますよね。ただそれは「僕たちの考えは判ってるでしょ?」みたいなニセ科学批判クラスタにしか通じないと思うし、想定した読者もソコなんでしょう。

でもその弁解は正直どうでもいいので、
「ホメオパシーがADHDに効果があることが二重盲検で確認されている」
ここを早急に何とかして貰いたいデス。
この部分、カウンター情報を後から出したとしても、絶対に悪用されるでしょう。その辺を理解してるんでしょうかね、中の人達は。

「砂糖玉」についてはホメジャ自身が
「天然成分のエネルギー情報と砂糖玉」
「ヨーロッパ伝統の砂糖玉」
と言ってるんですから、いいじゃないですか?

投稿: うさぎ林檎 | 2010年12月29日 (水曜日) 午後 10時34分

>うさぎ林檎さん

>>全体としては、公平を装ったホメ批判を匂わせる記事になっていますよね。ただそれは「僕たちの考えは判ってるでしょ?」みたいなニセ科学批判クラスタにしか通じないと思うし、想定した読者もソコなんでしょう。

まあ、直接にはそこでしょう。

そうでなかったら「ホメオパシー論争」と謂う括りで一連の岩澤記事を巡るネット言論を意識したタイトルにはならなかったと思いますし、これは「論座としても朝日科学グループ全体としても、勿論ホメオパシーを社会悪と認識した上での情報を発信する姿勢はありますよ」と釈明するエクスキューズの意味合いはあるでしょう。

ただ、この記事が論座の「科学・環境」部門の解説記事として公開されたことには一定の意義はあると思いますし、記事中に「朝日新聞科学医療グループとしては」と謂う表現があることは積極的に言質として記憶しておくべき事柄だと思います。

この記事に「言い訳」としての性格があることは否めませんが、「言い訳」と謂うのは過去の不適切な言動に対して現時点における適切性の尺度を基準にして釈明を加えることですから、この記事を読む限り「朝日新聞科学医療グループとして」、つまり朝日新聞全体においてホメオパシーを扱う専門部署の総意として「ホメオパシーは危険な社会悪である」「山口訴訟に対してはJPHMAの主張と真っ向から対決する覚悟がある」と謂う認識を示したと謂う意味があります。

ですから、この記事では「朝日新聞はホメオパシーの危険性を妥当に認識しており、その社会悪に対して報道を通じて責任を持ってコミットしていく」と謂う姿勢が表明されているわけですから、これまでは朝日新聞の中でもアピタルが「軟体動物の足の一つ」として孤軍奮闘していると謂う印象でしたが、この記事によってそれは朝日新聞全体の姿勢であると謂う言質が取れたことになります。

これはつまり、久保田裕個人がそう謂う意味合いでそう言ったと謂うだけではなく、朝日新聞全体のステートメントとして受け取って好いと謂う意味になりますから、たとえば岩澤記事にせよ将来的に発信されるホメオパシー関連の記事にせよ、その前提において意見を加えることが可能になると謂うことです。

ホメオパシーを危険視しているのが、たとえばアピタルの長野記者たちのような「軟体動物の足の一つ」の個別の考えにすぎないなら、論座でそれと相反するような記事が掲載されても各部門の独立性と謂う言い訳が立ちますが、朝日新聞科学医療グループ全体の総意であるなら、にもかかわらず何故岩澤記事のような古臭い擁護記事を無批判に掲載したのか、と謂う前提の議論が可能になります。

新聞社としての全体的総意をマニフェストすると謂うことには、本来そのくらいの重みが伴うはずなんですね。それが単に論座の「釣り」に端を発する騒動を収集する為の言い訳に過ぎないとしても、おそらく久保田裕は「朝日新聞科学医療グループを代表した意見」として発信することでケツを持つ以外の収集策はないし、邪推すればそのようにコメンタリーすることで朝日新聞社全体を巻き込むのが良策と判断したわけで、それには一定の意義があります。

重要なことは、久保田裕が実質的に紙もウェブも含めた朝日新聞全体の総意としてホメオパシーに対する対決姿勢を明示したと謂う「事実」です。これが久保田裕個人の独断専行なのかどうかなんてのは読者には関係ないことで、「朝日新聞の総意」と読むのが当然のステートメントが公表されたこと、これが重要です。

これ以降、朝日新聞が発信する情報は、たとえそれが芸能面や地方局の生活面のつまらない埋め草記事であろうが、ホメオパシーの本質的な危険性を無視して推奨する意味合いの情報であれば、朝日新聞総体としてのホメオパシーに対する姿勢を基準にして批判することが可能になります。

これは「朝日新聞全体がホメオパシーをどう捉えているのかわからないし、全体的方針としてどう考えているのかわからない」状況と比較すれば格段の進歩です。

そう謂う意味で、論座騒動は極短期間の間に朝日新聞全体に対してホメオパシーに対する旗幟を鮮明にさせると謂う成果が得られたわけですから、「ニセ科学批判クラスタ」
としても得るものはあったと思います。と謂うか、これはつまり「朝日新聞全体としての言質」を最大限に活用すべきであると謂う意見に外ならないわけですが。

>>「砂糖玉」についてはホメジャ自身が
>>「天然成分のエネルギー情報と砂糖玉」
>>「ヨーロッパ伝統の砂糖玉」
>>と言ってるんですから、いいじゃないですか?

アピタルのツィッターは覗いていないのでよくわからんのですが、例のJPHMAの声明文において掌を返すように「レメディはただの砂糖玉で無害ですヨ」と無害性(つまり無効性でもありますが(笑))を強調する記述があり、それまでのように「物質の波動を転写」みたいな説明が省略されていたことが直接の原因なのかもしれませんね。

JPHMAが「原物質の波動を転写した特殊な治療効果を持つ」と謂う説明を取り下げたのであれば、常識的に考えてレメディと謂うのは単なる砂糖玉ですから、何の修飾もなく「砂糖玉」と書かれても文句はないよな?と謂うような意味ですかね(笑)。

池上彰じゃないですが、マスコミ情報の真意を妥当に解釈するには高度なリテラシーが必要ですねぇ(笑)。オレの個人的意見としては、もしもアピタルの長野記者と対話する機会があれば虚心坦懐に腹を割って話すけれど、論座の関係者や久保田裕と対話する場合には、大同目的は同じでも相手に利用されないように精々眉に唾を附けて警戒する、そのくらいの違いになりますかね。

それを簡単に言えば、論座の中の人はネット言論から信頼を勝ち取ることには失敗したと謂う意味になりますが。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月30日 (木曜日) 午前 12時33分

> 非戦闘員の犠牲を最初から織り込んだらダメだろう、みたいな。

あることがらについて議論するにあたって、こう云う視点はすごく重要だと思うんです。マスメディアだけではなくて、ネットの議論においても。

たとえば、はてなブックマークはよくも悪くも、ブックマーク対象のリーチを拡大する機能を(つねに)持ちます。その意味でホメオパシーユーザがいまでもときおり口にする「これで有名になった」と云う言い回しはけして曳かれものの小唄、と云うだけではないんですよね。不注意なブックマークによる非戦闘員への流れ弾、と云うのも生じうるので。

投稿: pooh | 2010年12月30日 (木曜日) 午前 07時34分

おはようございます。
上記のpoohさんのコメントに同感です。
以前はそんな事、頓着せずにブックマークコメントを書いていましたが、最近は躊躇することが多くなり、自然とブックマーク数自体が減ってしまいました。
ソーシャルである意味を考え、ほどほど慎重に運用するのが妥当なのかも知れません。勿論、これは個人的な意見にすぎませんけれども。

投稿: どらねこ | 2010年12月30日 (木曜日) 午前 08時35分

>poohさん

>>あることがらについて議論するにあたって、こう云う視点はすごく重要だと思うんです。マスメディアだけではなくて、ネットの議論においても。

マスに向けて情報を発信すると謂うことは、まったく自分が想定していなかった受け手にその情報が届くことのほうが多いと謂うことですよね。随分昔に公論と私論なんて議論がありましたけど(笑)、紙の日記やメールの私信以外、基本的にメディア上で何かを発言する以上は、顔の見えない不特定多数に向けて情報を流していることになると謂う事実から逃れられないと思います。

poohさんはよく「自分の部屋ではなく表通りで話をしているんだから、批判をされても文句はないよな」と謂うことを仰いますが、メディア上で何かを発言すると謂うことは不特定多数に向けて積極的に情報を発信していることになるわけで、単に賛同者や同好の士を募るのに便利だと謂う料簡でネットを利用していると、その意見に賛同する者だけが読むわけではないので痛い目に遭います。

これがマスメディアになるともっと到達範囲が大きくなりますから、放流する情報の影響に対して大きな責任が伴います。特定のターゲット層の間で活発な議論を喚起しようと謂う下心があって問題含みの情報を流した場合、その問題点を理解している受け手よりも圧倒的にそうでない読み手が多いわけですね。

問題のADHD治療の二重盲検のことにしても、「ホメオパシーの実効は完全否定されているはずだ」と謂う情報を持っていなければ、始めから疑いもせず「ああ、科学的に確実な手法で検証されているのね」と理解するのが当たり前ですから、編集部が「怪しい」と思いながらその情報を放流したのであれば、下手をすれば「虚偽情報」と謂う扱いにされても文句は言えないはずですね。

>>たとえば、はてなブックマークはよくも悪くも、ブックマーク対象のリーチを拡大する機能を(つねに)持ちます。

これは少し悩ましいところで、マスコミ報道なんかにも通じる問題ですよね。

ブックマーカーたちは有害な情報への注意喚起や議論喚起を意識してブックマークするわけで、それは広く括ればマスコミの情報提供なんかと同種の性格を持つわけなんですが、有害情報と謂うのは話題になること自体が或る程度の弊害を伴うわけで。

はてブが情報共有の有力なツールとなっている半面、話題を喚起し情報の在処を示すことで、批判的な意図を持たない受け手が有害情報に接する機会を増やしていると謂う側面はたしかにあるかもしれません。この辺、一概にブックマークを控えれば好いのかと謂うとそう簡単な問題でもないように思いますし、難しい部分ですね。

多分その部分の弊害を幾分緩和しているのがブックマークコメントと謂うことになるのでしょうし、全体的なブコメの傾向が当該情報を解釈する一定のガイドラインの役割を果たしていて、まず信頼可能なブックマーカーがオピニオンに一定のトレンドを作ると謂う流れになっているのだと思いますが、数百人が一斉にブックマークするような大きな話題ではノイズのほうが多くなります。

この辺、軽々に結論を出すべき問題と謂うより、月並ですがブックマークもまた一種のマス向けの情報発信なのだと謂う意識を持って個別に考えていくしかないのかな、と思います。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月30日 (木曜日) 午前 09時25分

>どらねこさん

>>以前はそんな事、頓着せずにブックマークコメントを書いていましたが、最近は躊躇することが多くなり、自然とブックマーク数自体が減ってしまいました。

…ホントですか? 実はツィッターのほうにかまけていてブックマークしているヒマがなくなっただけなんじゃないですか?(大笑)

冗談はさておきつ。オレはソーシャルブックマークはやっていないし、利用するほうでも自分や識り合いの方のエントリの反応を見るくらいの使い方なので、感覚的にはよくわからない部分があるんですが、たしかに変な情報に対するブックマークで、それが変であることを前提視したブコメが書かれていることがありますね。

そうすると、元々変な情報を変だと思わないユーザーにしてみれば普通の情報提供と謂うことになるのかな、と思わないでもありません。みつどんさん辺りはかなり明確に論旨を明示した強い調子のブコメを附けられますから安心感はあるんですが、「ニセ科学批判クラスタ」と呼ばれる方々のブックマークでも、論壇の議論の蓄積を前提にしたブコメを書かれる場合には、そうでない読み手には伝わらないニュアンスがあるのかもしれないとは思います。

つまり、或る程度の議論の蓄積の上での問題意識の表明が、たとえば周回遅れとか論壇の局外の読み手の視点では肯定的なニュアンスに捉えられる場合があるのかもしれないと謂うことなんですが、何を謂うにも字数制限が短いですからデリケートなニュアンスのコメンタリーには向かないですしね。

そうすると、やはり現時点では、別段共有されなくても黙殺されればそれで好いような類の情報は拾わない(つまり、面白半分で有害情報を採り上げない)とか、或る程度グローバルな見え方を意識してブコメを書いて旗幟を鮮明にすると謂う程度の対応しかないのかな、と思います。

また、瞬間的に数百と謂うブックマークが附くような話題に対しては、ブコメ群全体が一種の言論空間になるわけですから、そこで対抗言論的な意味合いでブコメを附けると謂うことにも意味はあるのではないかと思います。

>>ソーシャルである意味を考え、ほどほど慎重に運用するのが妥当なのかも知れません。勿論、これは個人的な意見にすぎませんけれども。

現時点ではブクマが反響の評価基準になっていたり、情報発信の励みになっている部分もありますし、活発な情報共有のお陰でネット言論が活性化している側面は否めないので、相半ばする功罪を意識しつつどのように振る舞うのが最善なのか、これはやっぱり個々人が考えていくしかないことかもしれません。

末筆ながら…どらねこさん、仕事しようよ(げらげらげら)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月30日 (木曜日) 午前 09時52分

まあ、論座の中の人たちの立場を考慮した現実論ばかり述べるのも片手落ちなので、そもそも論とかべき論の観点で意見を言うなら、少なくともADHD治療の二重盲検のくだりについては、mochimasa さんが仰るように編集部内で十分「おかしい」と判断可能だったはずで、逆にそうでなかったら科学医療グループの看板背負ってホメオパシー報道なんかに携わるべきではないだろう。

ホメオパシーについてちょっと調べれば、ランセット誌のメタアナリシス論文でホメオパシーの実効が完全否定されたと謂う情報は簡単に入手可能であるし、つか、新聞社の科学医療グループともあろうが「ニセ科学批判クラスタ」なる「報道の素人」より情報に疎いようでは話にならない。

その情報を得ていたと謂う前提で考えれば、岩澤記事のADHDのくだりはその情報と真っ向から喰い違っているのであるから、そんな有力な論文があれば大したトピックスとして扱われているはずである。そんな記憶がないのであれば、「論文が存在する」と謂うだけでは一切エビデンスにならないことくらい、科学医療報道のプロがご存じないはずがないだろう。

現時点において「ホメオパシーの実効を肯定する有力な論文が存在する」と謂う情報は眉に唾を附けて確認するのが当たり前で、しかもこれが「胃腸虚弱の改善に顕著な効果を見せた」と謂うのであれば風評被害の程度もしれているが、ADHDとなれば藁にも縋る思いで治療法の情報を探している人々がたくさん存在するのであるから、その影響の重大性を認識していて然るべきである。

結果論ではあるが、常識的に考えるなら、ADHDに関する岩澤里美の記述に有害な不正確性があることは、編集部内で十分判断可能であり、少なくともその部分だけでも著者に修正を求めるなり編集部の責任で注意喚起を促すなりと謂う対処が出来たはずである。そして、おそらく実際に編集部内でもそれが不正確な記述であると謂う認識は存在したはずである。

それが公開されてしまったのは、「署名原稿の文責は執筆者にある」と謂う約束事に甘えて、編集部側が情報発信者として情報の精度を担保すべき責任を回避したと取られても仕方がないだろう。

オレは今回、一応「新聞社の体質や慣習」を考慮して意見を述べたわけだが、現在只今の時制において、「署名記事については文責は執筆者にある」なんて慣習が現実的な意味を持つかどうか、これを考えてみるべきなのではないか。

本当にそれが現実的な意味で送り手と受け手の間のコンセンサスとして機能しているのか、執筆者の信頼性だけではなく媒体を提供した朝日新聞の看板もまた個別の記事の信頼性を担保している部分があるのではないのか、それを考えるなら、「こう謂う約束事になっていますから」と謂うのは新聞社の「逃げ口上」に堕しているのではないか、それを考えるべきではないだろうか。

誰が書いたものであろうが、最低限「朝日」の持つチャネルから虚偽情報が流通することには水際で責任を持ち、可能な限り情報の精度を担保する、現在の時代性においてはそれが公正な報道姿勢なのではないかと思う。

自身の持つチャネルから有害情報が流通したとしても、それを書いたのが外部の人間なら媒体側は責任を負わない、今時こんな免責条項が罷り通るわけがない。

誤解のないように申し添えておくと、オレ個人としては、このタイミングでホメ擁護の論調の記事を掲載するのは見識やセンスとして愚かで不適切であるとは思うが、それを掲載すること自体は新聞社の裁量の範疇だろうと思うし、情報発信としては受け手に叩かれるところまで含めて完結する類の報道だろうとは思う。

ただ、ホメ擁護であろうがホメ批判であろうが、不正確乃至虚偽の情報を流通させることだけは許されないと言っているのである。逆に謂えば、ホメオパシーを批判することが社会的に妥当な報道姿勢であると仮定しても、ホメ批判の記事であれば嘘やいい加減なことを書いても許されると謂うものではない。

ホントにこれはギリギリ最低限の話であって、新聞社がどんな記事を掲載しようが最低限それには自社の見識への信用を賭ければ好いだけの話だが、誰が書いたものであれ自身の媒体で嘘やデマを流すことを許容するな、報道機関が嘘やデマを平気で垂れ流すようになってしまえば、マスメディアの信頼性は今度こそ地に墜ちる、そう言っているだけである。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月30日 (木曜日) 午後 12時24分

私、このカテゴリのエントリーは読むだけのつもりだったんですけど……。
実は今、実家に帰省しているんですが、闘病中の母親のところに、母の昔の友人の元看護婦が、ひんぱんに勧誘にやって来るんですよ。これがホメオパシーの勉強のためにイギリス留学までしたという強者らしくて、灯台もと暗しというか(使い方が間違っている)。
幸い、私の母自身が懐疑的なので事なきをえておりますが、ながらく病気で弱気になって、ある意味で藁をもすがるような気持ちの人のところに「少なくとも今より悪くはならないんだから、騙されたつもりでやってみては」と古い友人が勧誘に来る、というパターンは、こりゃ相当タチが悪いなと、肌で実感しましたよ。
って、直接関係ない話で失礼しました。今年もいろいろお世話になりました。来年もよろしく(どんな挨拶だよ)。

投稿: Leo16 | 2010年12月31日 (金曜日) 午前 11時38分

このエントリが片瀬久美子さんを経由して「中の人」のツィッターで紹介されているらしいので、まあ「中の人」がコメント欄を全部読むとは思わないが、そこ経由でこちらを覗かれる方の為に一応もう一つだけコメンタリーしておく。

問題の岩澤記事を読んでホメオパシーを信じる人がいるかどうかについては、合理的に推測して「必ず存在する」と視るのが妥当だろうと謂うのがオレの意見である。インチキ医療やトンチキ健康法の主要なターゲット層とは何かと謂えば、「通常医療で完治を保証出来ない難治病の人々」である。

たとえば通常医療の医師に末期癌などで余命宣告された患者は、その事実を受け容れられずに何らかの治療法が存在するのではないかと謂う希望に縋るのが当然であり、通常医療がその可能性を否定するなら、「通常医療でないもの」を探すのは理屈から言って当たり前の話である。

そして、ADHDも現時点においては対症療法のみで根本的に治療する技術が確立されていないのであるから、殊に児童の患者を抱えている親御さんの心情として、何らかの治療法があるのであれば、試すだけでも試してみたいと願っているのが当然である。

勿論、冷静な判断力があれば、子供を死なせた事件が問題となっているホメオパシーに効果などあるはずがないと結論するのはそれほど難しいことではないが、通常医療が完治を保証しない疾病の当事者がそれほど「冷静」であることを期待するのは、常識的に考えて不公平である。

当事者にしてみれば、ダメ元でも試すだけ試してみたいと謂うくらいの動機があるのであるから、その治療法に実効があると「信じたい」と謂う強力なバイアスが潜在的に掛かっている。そのような人々が著名な執筆者による「プラセボ効果がないはずの牛にも効果がある」「ADHD治療の二重盲検で効果が認められた」と謂う証言を読めば、そのバイアスに強力に訴求することは当然である。

詳しく識らない人なら余計に「レメディが単なる砂糖玉だとしても、それ以外の『何らかの要因』が治療効果を及ぼすのかもしれない」と合理化するだろうし、「それ以外の何らかの要因」が何であるかなど「素人が考えるべき事柄ではない」「効果があるのならメカニズムなどどうでも好い」として捨象することも自然である。

もしかしたら、最初は半信半疑かもしれない。「いや、完全に信じたわけじゃないんだけど、何でも試してみたくてね」くらいの動機で接近するのかもしれない。

しかし、今現在ホメオパシーに嵌り込んで教祖の言うなり次第に唯々諾々と従っていてその「玉音」を疑うことすら識らない狂信的なホメ「信者」の人々だって、最初はその程度の軽い動機だった人も大勢いるのである。そして、一度ホメオパシーに嵌り込んで教祖のカリスマに心酔してしまった「信者」には、常識的な言葉や論理なんか一切通じなくなる。

現在、アトピーの苦痛で全身を掻きむしりながら血塗れになって苦しんでいる我が子の姿を視て「症状はありがたいわぁ」とニコニコ微笑んでいる、傍目には「狂人」としか映らないような人々も、最初はその程度のカジュアルな動機から接近したはずである。

その新宗教紛いのマインドコントロールのメカニズムを甘く見てはいけない。クールなアタマを持ち合わせた普通一般の人々から視れば馬鹿げた妄言に過ぎないホメオパシーに心酔する人間が社会問題化するほど増えているのは、そのメカニズムに強力な実効があるからである。

マスメディアに求められる最低限の節度とは、ホメオパシー報道を通じて流通する情報によって、そのような常識的かつ冷静な判断力を期待することに無理がある人々がホメオパシーに接近する機会を作らないと謂うことである。

繰り返すが、そのような人々は、常識的な部分ではホメオパシーを疑いながらも、心情的な部分でそれが本当であって欲しいと謂う強烈な願望を抱いており、そのバランスは圧倒的に後者のほうに破れている。「ダメ元」と謂うのは、つまり自身の常識的な判断力に心が蓋をする手続であり、原理的には、通常医療に可能な範囲を超えた治療技術を求める強い動機を持っている人間は、高い確率で代替医療に接近する。

その意味で、ホメオパシー報道に携わる人間が「普通に考えればインチキだとわかるはずだ」と謂う認識では先が思い遣られると謂うもので、難治病を動機として代替医療に接近する人々に対して常識的な判断力を期待するのは公平な態度ではない。

岩澤記事を読んでホメオパシーを信じる人間が「一人でも」いれば、それは論座がホメオパシーに荷担したも同然である。山口の事件だって、命を落としたのはたった一人の子供だったが、その喪われたたった一人の命が尊いものだと認めるなら、この種の記事を掲載する際の重い責任を思うべきである。

何度も繰り返すが、このタイミングでホメオパシー擁護の論調の記事を掲載するのは見識の範疇の事柄であるから編集部の裁量に一任されていることだろう。オレが問題視しているのは、岩澤記事に書かれている「意図的にホメオパシーを実効あるものと誤認させる不正確な記述」である。正確な情報を提供して、それでもホメオパシーを信じる人が出るのであれば、それは仕方がないが、優良誤認を誘う誤情報が含まれている記事で同じことが起これば、媒体側にも大きな責任が伴うだろう。

謂わばこれは、情報産業における製造者責任のようなものである。

岩澤記事を読んだ読者の間からホメオパシーを信じる人が一人でも出ないことを期待するのであれば、論座の購読者にADHD患者を身内に持つ人が一人もいないと謂う偶然を神に祈るしかないだろう。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月31日 (金曜日) 午後 12時52分

>Leo16 さん

どうもです。最近はこの話題に掛かり切りでご無沙汰をしております。

>>実は今、実家に帰省しているんですが、闘病中の母親のところに、母の昔の友人の元看護婦が、ひんぱんに勧誘にやって来るんですよ。

うーむ、ご愁傷様と言うべきなのか。まあ、ホントにお母さんが懐疑的なのが何より救いですが、上で書いたように一度でも試して「効いた」と謂う実感を持たれると危ないですから、「根負けして附き合いで試してみる」ようなことがないように、周囲がしっかり視ている必要がありますね。

しかし、やっぱり「元看護婦」なんですね。どうもホメオパシーは医療従事者の周縁部に親和性があるようで、助産師にしろ看護師にしろ医者ほどではないとは言え通常医療の専門教育を受けているはずなんですが、看護師なんかだと、なまじいに問題含みの通常医療の現場で悲惨な患者の状況を目にしていたり過剰労働で疲弊して通常医療に失望しているだけに、代替医療に趨りやすいと謂うことなのでしょうか。

>>これがホメオパシーの勉強のためにイギリス留学までしたという強者らしくて、灯台もと暗しというか(使い方が間違っている)。

NATROM先生やうさぎ林檎さんから得た情報によりますと、ホメオパシーの一番のお得意様はホメオパスなんだそうです。ホメオパス認定を得る為の養成教育に結構な金額が掛かりますし、定期的に資格を更新するのでまたカネが掛かる。増してイギリス留学なんかだと金銭的な負担も心身両面での負担も大きいですよね。それに加えてアヤシゲな診断器具なんかもぼったくり価格で売り附けられているみたいなので、元を取るのが大変みたいですよ。

そうすると、資格は取ったもののどうやって商売にして元を取ろうかと謂う辺りで昔のツテを頼って押し売り紛いのことをすると謂う成り行きで、これってネズミ講とかマルチ商法と何処が違うんだって話ですよね。

以前も語ったことですが、一般支持者←ホメオパス←協会←由井寅子みたいな新宗教紛いの収奪の構造があるってことですね。儲かるのは一部トップ階層だけみたいな。

とまれ、今年はいろいろお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月31日 (金曜日) 午後 01時16分

「新聞社というのは、脊椎動物というより、軟体動物に近い」と云うのは、名言ですね・・・。

私のブログで、<大脳>、手足が無くなるのは、首、腰の<痛み>など感じることは無くなり、流線型の<理想的な形>になり、
単に<背骨のみ>の<原始生物>に近い、より理想的な<背骨のみが考える>(ほぼ)完璧な生物になる。
・・・との「生物退化論」を記した。

そして、「これ以上、シンプルになったなら、<背骨>までを、否定することになり、
<背骨>の味方の私は、ここまでの<退化>で良しとする考えだ。」と結んだが、

新聞社というのは、<脊椎動物>の特徴である「考える」ことが出来ない「脳無し」の単に(事件や出来事が起これば、そこに群がるだけの)<軟体動物>思った。

投稿: mohariza | 2010年12月31日 (金曜日) 午後 02時32分

>moharizaさん

>>新聞社というのは、<脊椎動物>の特徴である「考える」ことが出来ない「脳無し」の単に(事件や出来事が起これば、そこに群がるだけの)<軟体動物>思った。

これは、或る意味では朝日擁護であり、或る意味では悪意的な厭味であり、或る意味では単なる無責任な悪ふざけでもあるのですが、恐らく朝日新聞は新聞社が「脊椎動物」と謂う一つの統合的な実体として或る一方向を向き、全身が統合的な動作を行った時に何が起こるのか、と謂う歴史的記憶から未来永劫逃れられないのですよ。

だからこそ、右手が何かを地道に育てている場合に左手がそれを毀してしまったとしても、誰も右手を庇わないし誰も左手を責めないのでしょう。右手と左手が共に一致結束して何事かを為す時に、左手だけの時よりもさらに多くのものを毀してしまうと謂うことを、決して忘れられないのでしょう。

ですからオレは、ここで論じている一切合切の問題を別段全面的に許容するものではないですが、現段階で可能性としてのささやかな希望を持てる報道機関は朝日しかないのかな、と思い始めています。

随分廻り諄い言い方をしましたが、これはわざとです(笑)。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月31日 (金曜日) 午後 03時36分

マスコミ叩き(新聞は家では、「朝日」なので、「朝日」を…)は、かなり疲れたので、
今後は、具体的な数字等で、解析し、何ら反証が出来ない形で、淡々と提示しようと思っています。

投稿: mohariza | 2011年1月 1日 (土曜日) 午後 03時05分

>moharizaさん

>>今後は、具体的な数字等で、解析し、何ら反証が出来ない形で、淡々と提示しようと思っています。

一種、マスメディアを批判する場面で妥当な情報を突き附けると謂うことは、今後のマスメディアとのコミュニケーションにおいては重要になっていくと思います。

これは個人的な姿勢の表明になってしまうんですが、ネットの言論ではマスコミが何か失策を犯した場合に、その過ちを叩くことが目的化したような言説に接する機会が多くて、マスコミ不要論みたいな極論も目にするんですが、ニセ科学問題にコミットしていると、マス向けに情報を届ける仕組みはやっぱり必要だと痛感するんですね。

その意味でマスコミ不要論みたいな極論には与し得ないわけですし、マスコミ批判の合理的な目的性とは「マスメディアに妥当な機能を果たさせること」であるべきではないかと思います。で、それにはマスメディアと受け手の間にコミュニケーションのチャネルが必要なんではないかと謂うことを以前から考えていて、その意味に限局して言えば今回の論座騒動もまったくの無意味だったとは思わないんですよ。

マスメディアも私企業ですから、受け手が何か要望を言えばその通りにしてくれるとは限らないのが当たり前ですが、相互の利害対立に基づく胸に一物は大前提として、送り手と受け手との間に緊張感のあるコミュニケーションのチャネルが存在することが、マスメディアと受け手の間の健全な関係性なんではないか、と思ったりします。

その意味で謂えば、内容はどうあれ朝日は受け手とのコミュニケーションに積極的な分だけまだマシ、ネット言論や受け手とのコミュニケーションの必要性をまったく理解していない他紙はもうお話にならない。こう謂う旧態然とした「メディアの権威」に疑いすら持たない守旧的なメディアとは今後どう対峙していくべきなのか、どう巻き込んでいくべきなのか、個人的にはそんな基準でマスコミの問題を考えています。

投稿: 黒猫亭 | 2011年1月 1日 (土曜日) 午後 04時01分

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