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2010年12月25日 (土曜日)

喩え話

たとえば、と或る家族がクリスマスで賑わう街に出掛けて食事を楽しんだとする。その帰り道で、屈強な大男が搦んできて果てには殴り掛かってきたとする。父親は家族を護ろうと格闘したが、その大男は体格が優れているばかりか格闘技の心得もあり、必死に防戦する父親を殴り倒し、あろうことか無力な妻子も傷附けたとする。

後日父親はこのことを悔やんで「俺の力不足だった。俺がもっと強ければ妻子を護れたのに」と吐露したとする。それに対して赤の他人が「そうだ、あんたが常日頃からもっと身体を鍛えて誰にも負けないくらい強くなっていれば、妻子に危害が及ぶのを防げたはずなのだから、あんたはそのことを反省すべきだ」と言ったとする。

普通、誰もこんな言い分が正しいなんて思わない。この父親がどれだけ身体を鍛えていて格闘に強かったとしても、世界一強くなったのでない限り、もっと強い人間に暴力を揮われたら意味がない

問題の所在は、父親が格闘に強いかどうかではない。われわれが生きているこの社会においては私的な暴力を揮うことが禁止されているにもかかわらず、何の罪科もない他人に対して理不尽な暴力を揮ったことが問題なのである。社会は個人に対して私的な暴力の行使を禁じると同時に、そのような暴力から個人を防衛し損害を回復する責任を持っていて、それを信頼しない限りこの社会を生きることは出来ない。

そして、この父親の悔恨とは、そのようにして生きる以外に術はないとしても、自分が身を挺してでも妻子の安全を護りたかったと謂う意味であって、そのような悔恨に対して赤の他人が「護れなかったあんたが悪い」と言えた筋合いはない。

社会に対する信頼は、それを裏切ることが間違っていると謂うだけで、裏切られることを予期して備えておかなかったことが間違っているわけではない。殊に医療分野のような高度に専門的な領域に関しては、専門家への信頼がなかったら、誰もが医者に匹敵するくらい勉強する以外には自身の安全を防衛すべき術がない。

同様に、欺罔の悪意を持って近附く者は、相手が「識らないこと」を探してその弱みに附け込むのであるから、原理的にこの世のすべての知識を知悉していない限り誰でも必ず誰かに騙される可能性を持っている

騙された人間はそのことによって損害を被るのであるから、その損害を惜しんで「それを識ってさえいたら」と悔やむだろうが、それはつまり「詮ない繰り言」である。その当事者的立場における切ない自責に、真顔で乗っかって赤の他人が「識らなかったおまえが悪い」と責め立てるのは愚か者のすることである。

勿論これは、早川由起夫は愚かであると暗に当てこすっているのであるが。

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コメント

せこいどらねこと違う直球に痺れました。

投稿: どらねこ | 2010年12月25日 (土曜日) 午後 04時33分

こんばんは。

雪の山道、スリップして道路脇にスタックしている車を横目に見つつ、無事生還いたしました、うさぎ林檎です。

私は専攻が地球科学科でしたので、何やら迷惑な気がしてなりません。
「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」
最低100回ぐらいはノートに書いた方が宜しいと思います。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年12月25日 (土曜日) 午後 07時14分

>どらねこさん

>>せこいどらねこと違う直球に痺れました。

あれだけ「他人の口を塞ぐわけにはいかないが、その発言のケツは持たせなければならない」と言っておきながら、ほっかむりするわけにもいきませんからねぇ(笑)。所詮はどらねこさんのアテコスリーの同工異曲ですが。

そちらでも書きましたが、正義ってのは赤の他人に向かって「これが正義だからこうしろ」と圧し附けるものではありません。自分が同じ立場に立たされたときに自分の信じる通りに行うのが正義でしょう。

もしも早川由起夫が自分の子供をホメオパシーに殺された場合に、法廷闘争を「社会悪との戦い」と意味附けて命懸けで戦う分には誰からも批判されないのに、なんで赤の他人の人生にあれこれ指図したがるんですかねぇ。

自分のマイ正義を他人に圧し附けるところから不寛容の歴史が生まれるんです。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月25日 (土曜日) 午後 08時10分

>うさぎ林檎さん

おかえりなさい。ケータイでは表示しきれないくらいたくさん能書きを用意してお帰りをお待ちしておりましたよ(笑)。

>>「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」

菊池さんやapj さんのような方も同じような立場におられるので全然酌量の余地はありませんが、早川由起夫の場合、「センセイ」の肩書きなんかくれてやって人に物を教える立場に立たせるとこれだけ増長するってことですかね。

生まれたばかりの子供を亡くした母親に「勉強不足だよチミィ、そのせいで子供が死んだんだから、反省して生きていきたまい」ですってよ、吐き気がしますね。何様だよ、センセイ様なら他人様の人生に薄汚い口出しをしても許されるのかよ。

以前「この訴訟に変な人権団体が擦り寄ってこなくて好かった」と申しましたが、こう謂う愚物が直に接触してあれをしろとかこれをしてはいけないとか言い出して、最早原告の人生が原告自身のものではなく「正義の聖戦」の旗標にされてしまったら、こんな醜悪な「正義」はありません。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月25日 (土曜日) 午後 08時10分

本件に関して、NATROMさんが一言でまとめてらっしゃいます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5329/1292213718/52
> 確かに、この母親は勉強不足であった。しかしながら、世の母親のほとんどは勉強不足である。

さすがですね。

投稿: mimon | 2010年12月26日 (日曜日) 午後 05時05分

早川由起夫なる人間は、全くぞんじてませんが、

Twitterでは、結構、<さも、何でも知ってますヨ~。>て、感じで、呟いているようですね・・・。

私は、どこの権威者か、分かりませんが、
<権威者>面(づら)する人間は、大嫌いです。

投稿: mohariza | 2010年12月26日 (日曜日) 午後 11時09分

現代は、余りにも知らないといけないことが多すぎて、
却って、枝葉末節でしか無い知識(知恵?)を知ることに時間を掛けすぎ、
本来、人間として知っておくべきことを知らない人間が溢れているのかも知れませんね…。

投稿: mohariza | 2010年12月26日 (日曜日) 午後 11時21分

>mimon さん

リンク先、拝見しました。

>>出産・育児について知っておいた方がいいことは山のようにある。だからこそ、医療の専門職のサポートが必要なのだ。

このくだりは、本文のほうでオレが、

>>殊に医療分野のような高度に専門的な領域に関しては、専門家への信頼がなかったら、誰もが医者に匹敵するくらい勉強する以外には自身の安全を防衛すべき術がない。

…と書いたようなことを、専門家の立場から捉えるとそう謂うことになるのかな、と思いました。以前無介助出産の件で書いたように、社会と謂うのは分業で成り立っているわけですから、高度な専門職の不作為のリスクに備える為に自分も専門家と同じくらい知識を持つべきだなどと謂う馬鹿げた理屈にはならないわけですね。

専門家は社会の分業システムによってその専攻領域に専念出来るから高度な知識や技術を駆使出来るわけで、しかも医療分野のような普通一般の人間には理解の難しい領域について、本件のようなリスクを回避し得るだけの知識を持っているのが当たり前と謂う前提で議論をするのがおかしいんですよ。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月27日 (月曜日) 午前 12時18分

>mohariza さん

>>Twitterでは、結構、<さも、何でも知ってますヨ〜。>て、感じで、呟いているようですね・・・。

他人様の「私たちが勉強不足でした」と謂う一言に搦んで「そうだ、あんたらが勉強不足なのがいけなかったんだよ」とお説教するくらいですから、何でも識ってるお利口さんのはずなんですがねぇ、そのご高説を拝読すると他人様にお説教出来るほど物をご存じの方とも到底思えないんですよねぇ。

と謂うか、ぶっちゃけ莫迦なことしか言ってないですよ。完全論破されても「俺は言いたいことを言うんだもん」と言い張って、醜い裸踊りを絶賛公開中です。学生さんも視ているんだろうになぁ。

>>本来、人間として知っておくべきことを知らない人間が溢れているのかも知れませんね…。

まあ、この人が知っておくべきなのに知らない事柄と謂うのは、たとえば「節度」とか「分際」とか「身の程」とか、その辺のグループの概念ごっそりですね。何だかこんな心映えの醜い人間に物を教わっている学生さんが気の毒になってきました。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月27日 (月曜日) 午前 12時30分

久しぶりに早川由起夫のツィートを覗いてみたが、驚くべきことに裸踊りは延々年を跨いで今に至るも続いていた模様。最早この人がホメオパシーはおろかニセ科学の問題についても新聞報道以外は何も識らないし何も調べなかったことはハッキリした。こうしてまた、勝手にイッチョカミして勝手に恥をかき勝手に意地になって的外れなニセ科学批判批判を垂れ流す莫迦が世の中に一人増えたことになる。

著名な学者さんともあろうが、ちょっと調べてから物を言えば無意味な恥をかかずに済んだものを、手を伸ばせば幾らでも得られる初歩的な情報すら収集しようとしない知的に怠慢な姿勢の故の自業自得と嘲笑うしかなかろう。誇張でも何でもなく本当に何も識らないくせに、間違いを指摘した者の人格を貶めてまで自分の貧弱なプライドを防衛しようとする姿勢は、人間としてのみならず学者としても心映えが醜い。

プライドばかりが高くて怠慢な莫迦ほど始末に終えないものはない。

投稿: 黒猫亭 | 2011年1月 2日 (日曜日) 午後 08時53分

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