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2010年12月23日 (木曜日)

失地

前回のエントリのコメント欄でmimon さんが報告してくださったJPHMAの声明文であるが、この声明文が悪質な情報操作を意図したダブルトークだと謂うオレの見解は同エントリのコメント欄に書き込んだ通りである。

ただし、この声明文の最大の泣き所は、NATROM先生が「ホメオパシー訴訟の和解がもたらした最大の成果」で指摘されているように、

ホメオパシーのレメディーは、ビタミンK2のシロップの代用にはなりません。

…と認めている部分である。「策士策に溺れる」とでも謂うか、「肉を切らせてホメを断つ」とでも謂うのか(笑)、これを認めざるを得なくなったと謂うことは相当追い詰められていると謂うことなのだろう。

オレの解釈では、くだんの声明文は比較的関心の薄い野次馬層に向けて「カネ目当ての強請訴訟」と謂う悪質なデマを流布すると同時に、「末端のホメオパスの名誉を団体のトップが堂々と擁護」と謂う、某国の将軍様賛美紛いのストーリーをでっち上げることで「宗団」の結束を図ったものだと考えるが、その情報戦略の中に僅かに入った小さなヒビ割れがこの記述だろう。

NATROMさんのエントリを読んで戴けばわかるが、これまで該団体は散々K2シロップの代わりにK2レメディを摂ることを推奨してきたわけで、最高責任者である由井寅子自身がそのようにしか解釈出来ないことを述べている。

そして、ホメオパシーが専ら助産院を発信基地として勢力を伸ばしてきたと謂う経緯を考えれば、その信奉者のかなりの部分が母親層だと謂うことが考えられる。であれば、その母親たちは自身の出産時にK2シロップを忌避してK2レメディを摂っていたわけで、その際にはホメオパスから「これはK2シロップの代わりだから」と謂う説明を受けていたはずである。

ところが、この声明文においては掌を返したように「K2レメディはK2シロップの代用にはなりません」と謂う説明が為されているわけで、だとすれば、自分たちの出産時に為されたあの説明は何だったのか、と謂う疑問を感じる母親だって少なからずいるはずである。

現場の末端ホメオパスが理論を誤解してそう謂っただけならともかく、トップの由井寅子自身が著書において「ホメオパシーにもビタミンKのレメディー(Vitamin-K )はありますから、それを使っていただきたいと思います」と語っているが、それはどう謂う意味なのか、と謂う疑問もあるだろう。

それが他人事ならば、信頼すべきカリスマの言うことだからと見て見ぬフリをしてしまうことも考えられるが、ことは自分と子供に関わる問題である。まあ、大部分の信奉者にはそこまでの想像力はないのかもしれないが(笑)、普通なら「自分もこの母親と同じ目に遭っていたかもしれない」と想像するだろう。そう感じた人もゼロではないかもしれないし、今後信奉者を説得する有力な材料にもなる。

自己犠牲すら厭わぬカリスマに対する盲目的狂信と雖も、それはそのカリスマが自身を裏切らないと謂う絶対的信頼に依拠するものであり、その信頼関係において僅かでも自身を切り捨て裏切るような言動は禁物である。由井寅子と謂うカリスマは、今回このような発言を余儀なくされることで、自身の崇拝者の多くの割合の人々に対して裏切りの切り捨てを行った。

これは決して簡単に水に流せる些事ではない。おそらく相応の「現場補正」が為されるだろうが、それだけではカバーし尽くせない不信の種が残るだろう。

これまで由井寅子は、散々常識的な事実と整合しない嘘や誤解をこき混ぜて自説内部の論理的一貫性を保とうと図ってきたわけであるが、事此処に至ってついに自身の過去の言動や理論とも整合しない出鱈目を口にするようになったわけである。一見して小さなヒビ割れに過ぎないが、この失地は後々意外に大きなものになるだろう。

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コメント

JPHMAの声明文が被告の守秘義務に違反しているのではないか、と謂う意見があるようなので、それについて少しばかり私見を。結論から言えば、多分現時点で判明している事実の範囲内ではギリギリセーフだろうと謂うのがオレの考えである。

くだんの声明文の中には以下のくだりがある。

>>今回の和解の条件には「内容を口外しない」が含まれており、原告、被告とも内容に関して、事実を話せない状況にあります。日本ホメオパシー医学協会は、今までのように誤った情報が、ひとり歩きしないように、報道、情報発信する者として、倫理を遵守し、これまでに調査した事実のみに関して、ここに記載させていただくことにしました。

勿論、これが事実である保証はないが、別段これだけ一方的な嘘を吐くのに和解以後に改めて本人から事情を聴き取る必要はないので、和解以前に本人から聴き取った情報しか知らなくても一向差し支えない。

ハッキリ言って、前回のエントリのコメント欄で挙げたA〜Fのような一方的に都合の好い嘘なら、既報の新聞報道を読んだだけでもでっち上げられる。報道内容の自分たちに都合の悪い部分を否定するストーリーを捏造すれば好いからである。係争当事者である被告は守秘義務を楯にとって黙秘を通せるから、口裏を合わせる必要さえもない。

また、助産師の守秘義務の範囲が何処までかと謂うことを考えるなら、本人が和解後に何も喋らなければそれで好いのではないかとオレは解釈している。つまり、これが「ホメオパスとJPHMA」と謂う誰が考えても一味同腹の関係であることが事情をわかりにくくしていると思うのだが、逆に原告の守秘義務について考えればわかりやすい。

つまり、原告の守秘義務が他者の言動にまで及ぶなら、原告が以前琴子の母さんに伝えた情報を原告の責任で琴子の母さんのブログから削除させる責任があると謂うことになるし、その情報を元にしてわれわれ第三者が論評することについても原告にそれを黙らせる責任があると謂うことになってしまうが、それは実際には不可能である。

明らかに守秘義務違反となるのは、常識的に考えて和解後に本人から聴き取ったとしか判断出来ない情報を第三者が公表した場合で、その場合には他方の当事者がそれを証明する必要が出てくる。

そう謂う意味では、実質的には双方共に係争当事者本人が何らかの手段で事情を公表しない限りまず問題はないと謂うことになり、JPHMAが和解以前に被告から聴き取った内容を公表することには法的な問題はないだろうと考える。

また、表面上判明していない事情を憶測するなら、実はこの和解条件にはJPHMAも関与していて、JPHMAにも何らかの義務が課せられている可能性はあるが、もしそうだとすると、それを知り得るのは法廷と係争当事者だけと謂うことになる。

つまり、もしも今回のJPHMAの声明文の内容が、何らかの形で和解条件に違反していたとしても、それを明らかにするには一方の係争当事者である原告側がそれに不服を申し立て、和解を破棄して裁判を継続する必要があると謂うことになるだろう。

もしかしたら、原告が更なる裁判の延長に耐えらずに泣き寝入りするだろうと踏んでいる可能性もないではないが、これによって和解が流れた場合、今度はJPHMAを係争当事者として交えた三者間で被告側が不利な裁判を戦うことになる。

おそらく今回和解を急いだのは被告側の都合だろうから、被告のバックにJPHMAがいて和解を持ち掛けたと仮定すると、これ以上裁判が長引くと不利になる何らかの弱みがJPHMA側にあったと謂うことだろう。そうすると、たった一つの声明文でさらに条件の悪いリスクを背負うことになるわけで、それでは和解を急いだ意味がない。

そう謂う意味で、多分今回の声明文でJPHMAが法的な義務に違反している可能性はかなり低いと考えるのだが、どうだろうか。いや、違反していてそれが理由で和解が流れるのであれば、それはそれで仕方のない成り行きで、今度こそホメオパシーは息の根を止められてしまうと謂うことになるだろうが。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月24日 (金曜日) 午後 06時03分

こんばんは。

ご存じの事情で長文は無理なので、私の最大の疑問だけ書きます。
原告の弁護士はそんなに無能だったのか?です。
私達ですらJPHMAのやりそうなことは予想がついていました。それを阻止する事を視野に入れていなかったのかが一番不思議なのです。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年12月24日 (金曜日) 午後 08時53分

>うさぎ林檎さん

携帯からの閲覧ではご不自由をお掛けすると思いますが、法律の絡む問題なのでやはり少し長くなりますことをお許しください。後日、お帰りになってから改めてやりとりを交わしましょう。

>>原告の弁護士はそんなに無能だったのか?です。
>>私達ですらJPHMAのやりそうなことは予想がついていました。それを阻止する事を視野に入れていなかったのかが一番不思議なのです。

この件で、事後のJPHMAの情報戦略を阻止出来なかったことについて原告の弁護人を責めるのは少し酷かな、と思います。

この件に関するわれわれの問題意識は、琴子の母さんが原告から直接得た証言をブログで公開されたことから始まりました。そして、われわれが現在依拠している事実性に関する認識は、その際の情報に多くを負っています。上のコメントで書いた通り、これは逆の立場で考えると、問題の声明文と同じ位置附けになるわけですね。

JPHMAがわれわれの口を塞げないのと同様に、われわれもJPHMAの口を塞ぐことは出来ません。その上で敢えてJPHMAに勝手なことを言わせないようにするとすれば、法廷闘争に関与させて和解条件で法的に拘束する以外はないですが、おそらくそれは法廷戦術としてかなり難しいと思いますし、オレの意見ではNATROMさんがお考えのようにJPHMAがこの件で係争の当事者として関与したと謂う可能性は低いだろうと考えています。

JPHMAが賠償金の金主だろうと謂う憶測は九分九厘正しいだろうし、被告に早期和解の智恵を附けたのもJPHMAだろうとは思いますが、それはJPHMAが何らかの形で係争当事者として関与したと謂うこととイコールではないはずです。

この訴訟は問題の助産師を被告として争われた民事訴訟ですから、最終的なゴールは賠償金の支払と謂うことになりますし、もしも満額支払に応じたとしても、それは被告が所定の金額の賠償金を支払う責任を負うと謂うだけで、支払能力を証明する必要はありません。ですから、極端な話、裁判から降りて「賠償金を支払います」と認めればそれ以上の追及は出来ないのですね。

そのカネが何処から出てくるかまでは裁判所の関知するところではありませんから、被告が支払を認めるのであれば、その出所を敢えて詮索すべき理由がなくなってしまうわけです。ですから、この裁判においてJPHMAは被告にカネを出して智恵を附けただけで、裁判には終始ノータッチの立場を通したんではないかと思います(多分被告側の弁護人もJPHMAが附けたのでしょうけれど)。

そして、原告側の弁護人は被告側に賠償金の支払を認めさせることを最終目的として弁護活動をしているのですから、相手が妥当な金額の支払に応じるのであれば、原告の精神的負担を考えてもその線で決着することを最優先させるでしょう。

さらに謂えば、この件は民事訴訟だったから原告の権利侵害の金銭的回復に重点を置いて被告の過失責任を最大限に重く判断されたと思うのですが、刑事訴訟であれば被告の人権保護に重点が掛かりますから、ビタミンK非投与が積極的な死因であったことを原告側が証明しない限り勝訴には持ち込めないだろうと思います。

その観点で考えれば、新生児のビタミンK欠乏性出血症がビタミンKを投与されても起こり得るレアケースではなく、被告の不作為に直接原因を負うことを証明することは非常に困難です。民事訴訟だからこそ、ビタミンKを投与されていれば比較にならないほどの確率で防げたかもしれない事故であることを勘案して、被告の職務上の怠慢の責任が問われるのですね。

この点については残念ながらJPHMAの声明文の記述が妥当で、刑事訴訟のレベルで直接的因果関係を立証することは難しかったと思います。JPHMAは単に刑事訴訟に求められる立証責任の性格を民事訴訟に適用すると謂う詭弁を弄しただけです。

それやこれやを考え合わせると、多分原告側にとってこの決着はベストなんだろうと思いますし、弁護人が当初想定していた青図に非常に近い形の決着だったんではないかと思います。つまり、現実的に想定し得る原告勝訴の条件を丸飲みにしてでも裁判を早期終了させたいと謂うのがJPHMAの希望だったのでしょうし、賠償金を拠出するからそれを選択しろと被告に持ち掛けたのでしょう。

賠償金の金額については、原告・被告双方の弁護人がネゴして妥当なラインを模索したのでしょうし、その後に係争当事者ではなく単なる金主に過ぎないJPHMAが何を言いふらすかまではこの訴訟の範囲内で規制することは大変困難でしょう。

JPHMAが勝手なことを言いふらすことが出来るのと同様に、われわれもまた幾らでも原告の立場に立って情報を発信することが出来ます。その意味で条件は公平なのですから、民事訴訟のステージでそれを一方に有利な形に規制することは困難だっただろうし、おそらく弁護人が想定しているゴールにそれは含まれなかったでしょう。

ですから。

JPHMAが勝手な嘘を吹きまくっていることについては、それが不当だと思うのであれば、それに憤る一人ひとりが、つまりわれわれ自身が声を上げなければならないのです。原告の心情を踏みにじるような卑劣なデマゴーグを法的拘束力で黙らせることは出来ませんが、それに反論したり対抗言論をぶつけることは出来ます。

寧ろオレが懼れていたのは、JPHMAが和解条件を拡大解釈した恫喝でこの事件に関して第三者が論評することを圧殺しに掛かることで、ネット言論はプロバイダに訴訟圧力を掛けられると意外なほど脆いと謂う弱点を抱えています。

その意味で、まずJPHMAが言論闘争の口火を切ったのだから、その手はもう使えないと謂う安心感がありました。

そしてこの件について継続的に報道してきた朝日アピタルもまた、JPHMAから名指しで批判され誤報道の責任を追及されていますから、それに対抗し社会悪に屈せず事実を明らかにすべき社会的な期待と重い使命を負っています。その使命を完遂する決意がないのであれば、とっととJPHMAに膝を屈して謝罪文を掲載すべきです。

朝日新聞のような大手メディアがJPHMAと対決姿勢を堅持している以上、この件に関心を持った人々が、糾弾されている側のJPHMAの片口だけを読んでそれ以上の情報を得ようとしないはずがありません。きっと幾許かは批判意見をも勘案して事態を正確に把握しようと努めるでしょう。

世間の人間は、何処ぞの火山莫迦と同列の愚物ばかりではない。それを信じようではありませんか。今日は年に一度のクリスマスイヴなのですし。

原告の心情を思うと居堪れないことは事実ですが、JPHMAが自身の責任において思うところを述べる権利を強制的に奪うことは、少なくとも民主主義の原則においては出来ません。自身の発言の妥当性を証明出来ない愚か者や、大嘘吐きの卑劣漢にも「言いたいことを自由に言う」権利が保証されているのが民主主義の良い点でもあり悪い点でもあります。

その言論に伴う責任は、誰が何をしなくても勝手に天誅が下るわけではありません。無責任発言や嘘の報いは、同じ人間が血と汗を流して報いなければならないのです。ですからわれわれは、他者を理不尽に傷附ける卑劣な発言を為すに当たりJPHMAが担保に差し出したはずの「自己責任」を、自身の良心において呵責なく厳しく追及していかねばならないのです。

今回のJPHMAの声明文は、すでに法廷闘争のステージの問題ではないんです。この連中の汚い口を権力で塞ぐことは出来ないし、塞ぐべきでもないのです。それはすでに卑劣な情報操作と戦うべき言論闘争のステージに移行しているのであって、おそらくそれは法律や国家権力の関知するところではない、それがオレの意見です。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月24日 (金曜日) 午後 10時36分

当事者間の守秘契約内容は、「内容を口外しない」ですから、不明なのですが、常識的に考えますと、JPHMAの声明は、守秘義務違反にあたらないでしょう。
普通の守秘契約には、守るべき事柄が明記されていまして、それ以外には、守秘義務がありません。そうでないと、「言論封鎖」に悪用されるからです。
私の知る限り、守秘契約の除外事項として必ず挙げられるのが、契約以前に正当に知り得た事と、契約以降でも公開になった事です。つまり、秘密ですらないことは、守秘の対象から外れるという、当たり前のことです。
そうして、JPHMAの声明の中で、油井寅子氏のいつもの「妄想」は無視しまして、「事実」を装っている事柄は、おそらく、裁判に提出された被告側書面からの引用ないし要約であろうと、思われます。
日本の裁判は、「公判」と呼ばれますように、原則公開で行われまして、その提出書面は、裁判所まで行けば、だれでも閲覧可能です。つまり、契約以前に公開になっている事なのですから、当事者でも、第三者でも、公開する事を妨げられないのが普通です。
ですから、原告側が提出書面のコピーを新聞社に送ったり、琴子の母さんに公開をお願いする事も、問題ないような契約を結んでいると考えられます。
もちろん、契約書に明記されていると思われる、和解の内容は、公開できませんから、支払われる金額や支払い方法はもちろん、例えば、被告が「深く反省し、日本ホメオパシー医学協会から脱会するとともに、二度とホメオパシーを用いることはいたしません。」とか書かれていても、それを公開することは、できません。しかし、逆に現時点では、それ以外の事で公開できない物は、ほとんどないはずです。
うさぎ林檎さんのご指摘のように、弁護士が付いているのですから、何も口外できないような不当な契約は、結んでいないと信じます。

投稿: mimon | 2010年12月24日 (金曜日) 午後 11時08分

>mimon さん

>>日本の裁判は、「公判」と呼ばれますように、原則公開で行われまして、その提出書面は、裁判所まで行けば、だれでも閲覧可能です。つまり、契約以前に公開になっている事なのですから、当事者でも、第三者でも、公開する事を妨げられないのが普通です。
>>ですから、原告側が提出書面のコピーを新聞社に送ったり、琴子の母さんに公開をお願いする事も、問題ないような契約を結んでいると考えられます。

法律に詳しい方が仰るのでない限り、不正確な情報が拡散しても不都合ですから迂闊なことは言えないと思っていたのですが、仰る通りですよね。オレも「公判記録は公開されているはずだから、JPHMAの声明に嘘があれば指摘することは出来るはずだ」とは思っていたのですが、法律知識に乏しいので言い切る自信がありませんでした。

>>うさぎ林檎さんのご指摘のように、弁護士が付いているのですから、何も口外できないような不当な契約は、結んでいないと信じます。

いや、うさぎ林檎さんが仰っているのは、「口外出来ないはずなのにJPHMAが勝手に事件の『真相』を語っているのは助産師の守秘義務違反ではないか」と謂うことで、弁護士についての批判は「JPHMAがこのような勝手な嘘を吐くのを、法廷戦術で阻止出来なかったのか」と謂う意味です。

その文脈で、声明文で語られている「真実」は、「これまでに調査した事実のみに関して」と但し書きがありますので、それは「契約以前に正当に知り得た事」に当たるのではないか、それに対する言及を守秘義務で規制することは法廷戦術として大変困難ではないか、と謂うのがそれに対するオレの意見です。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月24日 (金曜日) 午後 11時23分

こんばんは。

携帯で文章を書くのは私には無理だと痛感しました(笑)。考える速度に打ち込みが全く追いつかないので、打ち込んでいるウチに考えていたことが何だか判らなくなるという悪循環を経験しました(大笑)。ただでさえ論理的ではないのですから、致命的です。

さて、私は原告の弁護士が無能であったかどうかに結論を出して、批判をしているわけではありません。そこはご理解下さい。
よくよく考えれば、想定内の事象を避ける手をうつことが民事裁判の中では可能であるのか不可能であるのかどうかさえ、私には判断できません。
ですから、今表に出ているカードで私見を述べることが、山口のご両親を傷つけるだけのことに思えてきました。自分で尋ねておいて申し訳ありませんが、裁判について疑問を差し挟むことはもう慎もうと思います。

JPHMAの抱える弁護士の能力がどれほどのものか判りませんが、所詮脱法の範囲でしか適法性を考察できていないはずです。そうでなければ、薬事法抵触について都から指示が入るまで手つかずであった理由が付かないと思うのです。
私は今回のJPHMAの壁新聞はやり過ぎたと感じています、でもそれは私個人の感想に過ぎないかもしれません。

投稿: うさぎ林檎 | 2010年12月25日 (土曜日) 午後 09時27分

>うさぎ林檎さん

>>携帯で文章を書くのは私には無理だと痛感しました(笑)。

こちらもご同様で、未だ嘗て一度もケータイから書き込みしたことはありません。最低ポメラでもないと長い文章を考えるのは無理ですよね。昔、ケータイ用のキーボードを買って使ってみたんですが、端末側の入力処理能力が遅くて、結局ケータイメールはオレには向いていないと思いました。

>>ですから、今表に出ているカードで私見を述べることが、山口のご両親を傷つけるだけのことに思えてきました。自分で尋ねておいて申し訳ありませんが、裁判について疑問を差し挟むことはもう慎もうと思います。

上で申し上げた通り、訴訟が和解に至った以上、法的な問題について外部から論評出来ることはかなり限られていると思います。当事者に守秘義務が課せられている以上は、裁判内容についてこれ以上新しい情報は出て来ないわけですから、その前提で裁判の経緯について論じることはすべて憶測になります。

確実なことは、専門家の代理人が附いて公正に法廷で争った結果、この決着で双方共に納得していると謂うことですから、裁判自体について憶測でものを言っても当事者の利益になるとは限らないと謂うことですね。

繰り返しになりますが、この裁判は民事訴訟ですから、被告の犯罪を裁く為のものではなく、個人間の利害の衝突を法的に調停して円満に解決する為のものです。無辜の人命が懸かった案件ではありますが、訴訟の性格としてはapj さんが争われたものと同じですから、今回の裁判についてのオレの意見は、apj さんが日頃ブログで書かれていることを参考にしたものです。

この裁判では、仮に原告が完全勝訴したとしても、それは問題になっている案件において被告には原告の損害を賠償すべき責任があると謂うことが証明されるだけで、業務上過失致死罪と謂う犯罪を犯したことが証明されるわけではありません。

実質的には被告の敗訴と謂う結果に落ち着いたとしても、それで被告が犯罪者となったわけではありませんから、双方が一定の契約条件で和解するのであれば、お互いの立場は対等なのですね。

ですから、民事訴訟で出来ることには限度があります。kikulog に書き込まれた法律に詳しい方の意見などを視ると、よほど代理人が無能でない限り原告が一方的に不利になるような契約条件になっていることはないはずだと謂うことですから、要するに当事者間の争いはもう終わったのだと謂うことです。

JPHMAが壁新聞にどんな薄汚いことを書こうが、それはこの裁判を材料としたプロパガンダに過ぎないわけで、裁判それ自体についてJPHMAは非当事者です。逆に謂えば、JPHMAなり由井寅子本人なりが係争当事者となることを回避する為に早期和解が成立したのかもしれませんが、それも憶測で確証はありません。

訴訟の目的は由井寅子を法廷に引きずり出してトラコパシーを裁くことではなく、飽くまで被告個人に責任を認めさせて原告が蒙った損害を法的に妥当な形で賠償させることですから、賠償に応じる以上そこで係争は終わるのです。

当事者が和解した以上、何が「事実」であったかは法的には立証されなかったと謂うことになりますから、JPHMAにも第三者的な立場で何を「事実」と解釈するかを表明する自由があるわけですが、それに合理的疑問をぶつけて対抗言論を発信する自由もまた誰にでもあります。

被告は二回に亘る口頭弁論において終始争う意志を示しておきながら、JPHMAが説明したような「事実」については一切法廷に持ち出していません。ご承知の通り、被告側の説明(「主張」していないので「説明」ですね)は原告の主張と真っ向から対立するものですが、何故それを法廷で一言も申し立てなかったのか、何故それが裁判が和解に決着してから公表されたのか、これだけの疑問でもJPHMAの声明の信頼性は限りなく低いと言えます。

>>私は今回のJPHMAの壁新聞はやり過ぎたと感じています、でもそれは私個人の感想に過ぎないかもしれません。

JPHMAの声明は相当卑劣なものだと思いますが、卑劣な言動が必ずしも法的に責任を問われるとは限らないと謂うことだろうと思います。謂わば早川由起夫の妄言と同列で、法的な責任は問われないが、社会的に忌避されるべき言説と謂う位置附けなのだろうと思います。

poohさんのところで屡々話題になる問題ですが、特定の行為が惹き起こす社会的問題はいろいろなステージで社会から制裁を受けますが、それが必ずしも法律上の処罰であるとは限らないと謂うことですね。「世間の視る目」と謂うのも立派な制裁の一つとなり得るでしょう。

デマと謂うのはたしかに一定の範囲で流布するもので、これはどうしても仕方のないことですし、どんな悲惨な刑事事件でも被害者遺族を叩く声は一定数上がります。これを止めることは残念ながら出来ません。しかし、それ以上に現在JPHMAが立たされている位置附けにおいて被害者感情に著しく反するような主張を繰り返せば、社会の大部分から信用を失います。

法律に詳しくない人間から視ても、当事者間で和解の手続きが済んだ頃を見計らって後出しジャンケンでそれまで一言も表に出されていなかった筋書きを持ち出して「これが真実」と大見得を切っているのですから、誰でも「やり口が汚い」と謂う感想を覚えるのではないでしょうか。

今回の声明文は宗団内部における正当性を担保する為に発信されたものでしょうが、それはホメオパシー外部の人間にとって三文の値打ちもないものです。それと引き替えにJPHMAは世間の大半から「平気で嘘を吐く卑劣な団体」と視られるわけですから、一部の人が言うようにこの決着がJPHMAに有利だったとはオレは思いませんね。

勿論、裁判で事実認定が行われていれば申し分はありませんが、五六〇〇万円もの賠償金を巡る裁判で被告は原告の主張に一切反論しなかった、これだけでも多くの人々の事実解釈に大きな影響を与えるでしょう。数千万円の金額と謂うのは、世間的には面倒事を避ける為に言いなり次第に支払える金額とは見做されていません。

また、JPHMAがこの声明文を出すことによって、世間的には助産師と団体が一味同心と謂う見え方がハッキリするでしょうし、その上で裁判が終わってから被告の代弁と称して一方的に都合の好い手前味噌の説明をしても大多数の人は信用しません。そんな嘘に騙されるのはおっちょこちょいの野次馬か内部の人間だけでしょう。

さらには、NATROM先生が指摘されたように「レメディはK2シロップの代用にはならない」と謂う言質を与えざるを得なくなったのですから、これが内部的にも亀裂を生み幾許か母親層の支持を喪う可能性はあります。

総じてJPHMAはこの裁判で多くのものを喪ったと思いますし、それは原告が勇気を出して訴訟に踏み切ったからこそ実現したことです。ただし、原告はそれを目的として訴訟を起こしたわけではないのだし、それに対して他人がああしろこうしろととやかく口出しする権利などはありません。

その半面、心ない人々が根拠もなく原告を貶めるような言動を喋々する事態も起こりますし、JPHMAは自己の利益を護る為に法律に触れない範囲でなりふり構わぬ行動に出るでしょう。これらの行為は「禁止」することが出来ませんから、それと戦うことは言論の範疇の事柄になってしまうのですね。

人間は卑劣だと謂うだけで法的に処罰されることはありませんが、卑劣な人間は社会から忌避され信用を喪いますし、社会的信用と謂うのは社会活動を行う上で大きな原資になりますから、それ相応の制裁を受けることになります。それには言論による批判の力も無力ではないと思います。

現在JPHMAに対抗し得るだけの大きな伝播力を持っているのは朝日アピタルと謂うことになるでしょうし、JPHMAから名指しで批判されているわけですから、直接対立的な立場に立たされています。そして、先般公開された長野記者によるコラムでは、広くネットの意見に耳を傾ける姿勢を表明していますから、少なくともリーチの違いによるハンディはありません。

JPHMAに比べれば単なるおっちょこちょいの野次馬に過ぎない早川由起夫の言動のほうも、散々NATROM先生に追い詰められて大恥を掻かされているわけですから、これが少なからず言論者としての信用失墜に繋がっているでしょう。それだけでは十分ではないかもしれませんが、少なくとも言論のツケを言論者としての信用で贖わされているわけですから、それはそれで公平な成り行きだろうと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2010年12月26日 (日曜日) 午前 08時26分

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