壁新聞とやらかし続ける人々と逆張りの法則
オレだってオーズは観ているんだぜ、ただしサブタイトルオンリーだけどな…と謂うことを言いたいだけのタイトルであるが(笑)、中身は結局ホメオパシー問題である。
識ってる人は識っての通り、年末間際になってJPHMAの壁新聞が更新されたのであるが、中身は相変わらずと謂うか、何処を切っても寅子節全開である。ミクシで我が式神とこれについて話してみたんだが、どうやら由井寅子がアピタルのプリントアウト片手に散々毒突いたものを手下がテキストに起こして適当に刈り込んだものじゃないかと謂う辺りで見解が一致した。
そう考えると、報道内容の全文引用とか全体の文章構造や論理性が緩くてダラダラ長いと謂う特徴について説明が附く。どうもあの文章の性格からして、書き言葉ではなく話し言葉が元になっているように思えるし、部分部分で論理がまったく一貫していない辺り、テキストで作成して推敲したらそうはならないような気がする。
いずれにせよ、文章全体から漂ってくる強烈な寅子臭からして、あの文章の「作者」が由井寅子自身であることはほぼ間違いないだろう。そうだとすれば、そもそも話し言葉だろうが書き言葉だろうがこの人の場合は全然違いがないだろうから、上記のような推測そのものが虚しいわけだが(笑)。
あの文章を視ると、世間によくいる「押しの強いオバチャン」が何故口喧嘩無敵なのか具体的によくわかる。とにかく最初から最後まで話がおかしいので、何処がおかしいのかと問えば「全部」と答える以外にない。そうすると自分から「全部おかしい」ことを言っておきながら「全部おかしいと謂うのは反論になっていない」とか言い懸かりを附けてくるわけである。
それに反論しようとすれば、かなり長くて複雑な順序立てた話になるが、この手の輩は相手の説明半ばでも無遠慮に口を挟んで、さらに反論すべき論点を無尽蔵に増やしていくのであるから、実際問題として反論の暇がないことになる。そうすると、表面的には「反論出来なかった」と謂う見え方になり、そこで「勝手に勝利宣言」で〆と謂う段取りになるわけである。
何のことはない、言葉のDoS攻撃なのであるが、これは対面的なコミュニケーションの場面では結構有力なツールだったりするのである。この場合、次から次へと息つく暇なく相手の予想の斜め上を行く非論理的な出鱈目を言い立てて相手に話をさせないスタミナがあるほうが強いと謂うことになる。
これはつまり、愚かで鈍くてお喋りで相手の話を一切聞かない人間のほうが実生活上のコミュニケーションでは強い支配力を発揮すると謂うことであるから、由井寅子式のオバチャンが口喧嘩に滅法強いのはその故である。これは逆に謂うと、意味のある冷静な議論を維持することが如何に難しいことであるかと謂う意味でもある。
意味ある議論を口喧嘩に堕落させることは簡単だが、その場合は「鈍感力」とやらが最も強力な支配原理になるのであるから、無闇に口喧嘩をしたがる輩はあんまり賢い人間ではない。悧巧な人間は相手の意見の何処が間違っているかを考えてそれを指摘しようとするが、莫迦は何も考えずに相手の意見が間違っていると「確信」して「言い張る」のであるから、最初から勝負は見えているのである。
壁新聞に話題を戻すと、これはまだ文章であるだけマシ(発話のターンが物理的に区切られている為に、途中で論点を拡散して妨害出来ないから)であって、あの不愉快な文章を緻密に読み込むだけの根気があれば、それらのすべてに反論することはさして難しくはない。
個々の詐術自体は嘘八百の手前味噌と謂うだけの幼稚なもので、到底マトモな検証に耐え得るものではないからである。ただ、大概の人間は、あんなものを読むと不愉快になるから熱心に読みたくないだけのことで、あれを読んで不愉快にならないのは、書いてあることを最初から盲目的に受け容れる態度の読み手だけである。
そして、いい加減なその場限りの嘘八百を勝手気儘に放言するのは簡単だが、その何処が間違っているかを指摘する作業は何倍もコストが掛かるわけで、そのコストを払うのには誰だって抵抗がある。それは当たり前の話で、根拠のない無秩序な放言を語ることより根拠を探してきて秩序立ててそれを分析することのほうが何倍も労力が掛かるのは当然なのだから、最初からコスト収支のバランスが崩れているのである。
多分このブログを覗いてくださっている方々は、黒猫亭が酔狂にもこの不愉快な壁新聞を読み込んで眼光紙背に徹するスルドイ洞察力(げらげらげら)で逐次反論するんじゃないかと期待しておられるかもしれないが(笑)、多分オレがやると原文の何倍も長くなるので、これについては端的でスマートな纏めが得意な方にお任せしようかなと(笑)。
一点だけメタ的に指摘するとすれば、由井寅子の論法の特徴はたとえばトラコパシーの理論に顕れているように「恣意的読解」と「結論ありきの作話」である。
つまり、この人物は相手が何を言っているのかとか、そこにどんな意味が表されているかを読み取ろうとするのではなく、自分の思い込みに当てはめて、それに合致する材料だけを採用しそれに反する材料は無視すると謂う読み方をする。そこに書いてある都合の悪いことを無視するだけではなく、そこには書かれていない都合の好いことを補足したりもする。であるから、必然的にそれは「誤読」になる。
その論法は何かを発言する場面でも同様で、相手の意見や一般に共有されている知見を正確に踏まえるのではなく、文脈を完全に無視して自分の言いたいことに都合の好い材料だけを拾って都合の悪い材料は無視する。そこに存在する都合の悪い事実を無視するだけではなく、そこには存在しない都合の好い事実を補足したりもする。であるから、必然的にそれは「嘘」になる。
この種の人物は世間に幾らでもいるのだが、彼らは何かを読み解く場面でも発話する場面でも、「ストーリー」さえ成立すればそれで通用すると考えている。客観的に共有されている妥当性の基準が存在すると謂う理解がなく、何事も読み方次第、言い取り次第で意味なんか幾らでも変わるのだと思っている。であるから、こう謂う人物が何かを読めば必ず読み間違えるし、何かを発言すれば必ず嘘になる。
言ってみれば、「悪しき相対主義」の極端な見本である。
こう謂う考え方をする人物は徹底的に実学に向かない。ましてや、人命の懸かっている学問を修めることなど到底不可能である。人間の肉体の現実を支配する力は、読み方や言い取りでコロコロ変わったりしないからである。
つまり、由井寅子は徹頭徹尾対面的なコミュニケーションのロジックであらゆる物事を考えていて、恣意の通用しない科学的・論理的な思考が「不可能」な人物である。こう謂う人物が何か商売をするとなると、必然的に「ありもしないもの」を売るしかなくなるのは理の当然である。現実に「あるもの」は人間の恣意によって機能や価値が変わったりしないのであるから、必然的に恣意的な意味附けによって生じる虚構的な価値を扱うしかなくなるわけである。
だとすれば、由井寅子は出合うべくしてホメオパシーに出合ったのだし、要するにその種のものしか商売に出来ない種類の人間だと謂うことである。この世の中にはホメオパシーほど「ありもしないもの」は他に幾らも存在しないのだから。
要するに由井寅子は、王様に「莫迦には見えない衣裳」を売り附けた詐欺師と同じことをしているわけで、宮殿でぬくぬく暮らしている分にはそれで不都合はないかもしれないが、衣服と謂うのは元々防寒の目的で着るものなのだから、嘘っぱちの衣裳で寒さは凌げないと謂うことである。
こんな嘘っぱちが大手を振って風靡したら、「莫迦には見えない衣裳」を着て厳寒の巷に出てくる人間がバタバタ凍死するから問題だと謂うのがホメオパシー批判の根幹なのであるが、何故か一定の割合で「本人が満足しているのだから、それにどうこう口出しするのは間違いだ」と言い出す人々が出てくるのが不思議である。
山口訴訟の和解以来、それを受けてそれなりに名前のある人や「見識ある」報道機関が立て続けにやらかし続けたのが昨年暮れのトピックスであるが、壁新聞の話はこのくらいにして今度はその辺の問題を考えてみよう。
早々にタネを割ってしまうと、どうもこの種の人々の間にはタイトルに掲げた「逆張りの法則」と謂うのが一定の割合で顕れるらしい。この種の人々は、社会的に大きな動きがあってネット言論や世論が活発化し批判の方向に傾くと、一定の割合で逆目に張って大叩きされ折角築き上げた社会的信用の幾許かを喪う羽目になる。
これには複数の理由があると思うのだが、まず第一に挙げられる最も下世話な動機と謂うのは、ベタな表現だが「知的選良意識」と謂うものがあり、それによる大衆蔑視乃至大衆不信と謂うものがあるだろう。
この種の人々は、大勢が批判に傾くと物凄く安易に「バッシング」と謂う言葉を遣うのであるが、そう謂う人々は大概そのような世論を単なる全体現象と捉え「言論」としては視ていないし、まず批判の理路を理解していたためしがない。世間の大多数が特定の対象を批判していると、それをその対象に対する「攻撃」としか捉えない。
これは一種仕方のない部分もあるわけで、世論と謂うのは玉石混淆の大きな声の集合体としか見えないわけであるから、その問題にコミットしていなかった人間から視れば、大勢が寄って集って弱い者苛めをしている図としか映らないわけである。
時代劇やアクション物なんかでよくあるシチュエーションであるが、主人公が街を歩いていると、大勢が寄って集って一人の人間を袋叩きにしている場面に遭遇し、主人公は詳しく理由を識らなくても取り敢えず袋叩きにされている人間を庇う。理由の如何によらず、大勢で一人の人間に暴力を揮うことは良くないことだからであり、そんな行動に出るほうがまず悪いからである。
やらかし続ける人々の現状認識もまずそんなもので、事情をよく識らない事柄については、表面的な見え方として特定の対象が大勢の人々から寄って集って袋叩きにされている状況と視るから、それは公平ではないと謂う前提で問題に参入していく。
つまり、最初の最初から叩かれている対象にも酌量すべき余地があるはずだと謂う予断を抱いて問題にコミットするので、自然と叩かれている対象に同情的なスタンスで問題を読み解こうとする。それが知的で公平な姿勢だと謂う意識がある。
たしかに言論は時に暴力となり得るし、殊に多くの人々が特定の対象を攻撃している状況はそれだけで危険な場合があり得るわけで、それを警戒することにも一種無理はないと謂えるだろう。ただし、言論と暴力は本質的に別のものであって、暴力に意味はないが言論には意味があるのだし、物事の判断の尺度はその意味の妥当性によって量られるべきである。
やらかし続ける人々は、まずこの弁別を理解していない。そして、大勢で寄って集って特定の対象を攻撃するような輩はどうせろくな連中ではないと謂う予断を持つ。そんなことをするからには、大した料簡もなく衆を恃んで軽挙妄動に趨っているのだろうと多寡を括ってしまう。そう謂う現状認識において、「冷静で思慮深い自分」が事を分けて弱い者苛めに渇を入れなければならないと思い込む。
そこでちょこっと問題領域の情報を収集したりするわけだが、最初からそう謂うバイアスが掛かっているものだから、「批判が間違っている」と謂う前提で情報を読解してしまうわけで、批判されている対象にとって少しでも有利な事情があれば後先考えずにそれに飛び附いてしまう。何ことはない、これらの人々が一番おっちょこちょいの軽挙妄動に趨っているのである。
たしかに、対象の功罪両面を正確に秤量し酌量すべき点は酌量し批判に値する論点を妥当に見積もって意見を加えることは、知的で公平な作業である。しかし、これらの人々はそのような「知的で公平な作業」がもうとっくに終わっている可能性には何故か思い至らない。
そのような知的な検証がすでに終わって結論が出た後で、ノコノコ話にイッチョカミしてきて、とっくに終わった議論を蒸し返して勝手に恥をかいて意地になる。
その時点の浅い認識で、ちゃんとじっくり考えればそれなりに物事を妥当に判断出来るはずの名前のある尊敬すべき人物が表通りでこっ恥ずかしい愚挙をやらかしてしまうわけで、彼らがちょこっと調べて気附く程度のことは名前のない大衆だって考えていると謂う可能性に思い至らない。
もう一々名を挙げるのは気の毒なので明示はしないが、散々周回遅れの論陣を張った挙げ句に「論座の記事を読んでホメを信じる人がいると謂う論理は、児童ポルノマンガを読むと犯罪に趨ると謂う論理と同じことだ」と由井寅子張りの上っ面の比喩まで持ち出して物凄く恥ずかしい自爆をした某氏も、結局先人と同じ轍を踏んだと謂うだけのことで、一度やらかしちゃった手前引くに引けなくなったんだろうなあとせせら笑うのみである。下から目線の貧乏人が売りなら、せめて他者の言論を妥当に読解する労力くらい吝むなよ、それ以外に資本がないんだから。
この種の人々…と謂う言い方も何だかぎこちないので、仮に「ギャクバリスト」とでも名附けるが、ギャクバリストたちがもう本能的なまでに逆目に張ってしまって大恥をかくことには、これ以外にも幾つか理由があるだろう。試みに思い附くままに列挙してみると、
●大多数の人間は莫迦なので多数派意見は間違っている可能性が高いと考える
●主流的な意見に後から乗っかっても目立たないし付和雷同みたいでカコワルイ
●主流的な意見はすでに論点が漁り尽くされているので逆目のほうに見落とされた論点があると思い込む
●しかし逆目の意見の論点はまず最初の段階で検討され篩い落とされたから表面に出ていないだけなので必然的に「周回遅れ」になる
●「周回遅れ」の出発点から可能な反論の道筋はすでに全部潰されているからどう足掻いても恥に恥を重ねるばかりとなってますます意地になる
…まだ他にもあるかもしれないが、基本的な動機は「逆張り」である以上一種の射幸心だろうと思う。順目に張っても配当は少ないが、逆目に張ればリターンはでかい。しかもギャクバリストたちは名のある言論人であることが多いので、自分は世間の莫迦よりも遙かに見識が高いしよっぽど物事が見えていると思い込んでいる。
逆目に張っても必ずや世間の莫迦共が見落とした「ユニークな」論点を見出せると自負しているので、それが最初の最初の段階で論じ尽くされている可能性を考えてみようともしない。主流的な意見の逆目を見事に当てて、未だ指摘されざる重要な論点を颯爽と鮮やかに提示出来ると考えている。
滑稽である。
世の「高名な言論人」にこの種の大衆蔑視や知的な傲りや怠慢やしょーもない射幸心がある限り、今後社会に何か大きな動きが起こる度に、何処かで誰かが逆目に張って勝手に恥をかき勝手に意地になり続け、最終的に言論人としての信用は地に墜ちる。
世にギャクバリストの種は尽きない。
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コメント
【オゲレツ注意】
本題とはまったく関係ないのだが、原曲がヒットした当時「ヘアと猥褻なタワシ」と謂う直球ど真ん中のオゲレツギャグを「天啓のように閃いた」にもかかわらず、恥ずかしくて人前で口に出来なかったオレは、その頃はまだオゲレツな若者ではあってもオゲレツなオヤジではなかったのだなぁ、みつを。
投稿: 黒猫亭 | 2011年1月 2日 (日曜日) 午後 10時36分
こんばんは。
KNT(黒猫亭)認定式神のうさぎ林檎でございます。
>不愉快な文章を緻密に読み込むだけの根気
を持たせないから、壁新聞はある意味成功していると言ってる人もいますね。
#式神は勿論読みますよ、根性焼きみたいなものです。
普通に考えれば、
>ラッカナイム、ラックデフロラータム、ラックフェリナムは、犬の乳のレメディー、牛の乳のレメディー、猫の乳のレメディーです。母乳の質が悪いときや、母乳を飲まないときに、このラックのレメディーをとってください。子どもが犬のようになるとき、子どもが牛のようになるとき、子どもが猫のようになるとき、これらラッカナイム、ラックデフロラータム、ラックフェリナムは、動物たちの憑依をとる大事なレメディーなのです。(ホメオパシー的妊娠と出産・由井寅子・ホメオパシー出版)
なんて言ってる人と議論できないですっていうか、近寄りたくないです。
この文章は探してきたのではなく偶々開いた頁で、この本はどこを開いてもこんな事が書いてあるのです。これは講演録ですから、このお人は日々こんな事を喋っているのですよ。
正直言えば途方に暮れますが、途方に暮れていても仕方がないので、おずおずと何か言ってみているわけです。
つかですね、ホントのこと言ってるだけだと思うんですケドね。批判なんて高尚なもんじゃないですよ。
投稿: うさぎ林檎 | 2011年1月 2日 (日曜日) 午後 11時10分
昔「ハリー・ポッターと6人の妻」と云う、どの層にウケるのかまったく分からないギャグを思いついて苦悩したことのあるpoohです。
あ、あけましておめでとうございます。
ギャクバリスト関係のお話には、最近mochimasaさんなんかとtwitterで議論していた某氏のことが含意にあるのかな、とかも思ったんですけど。
このひと、以前ぼくがエントリを挙げてまとまった反論をしたときには、自分の名前の表記方法について触れただけで、議論もなにもぜんぜんできなかったんですよね。
http://schutsengel.blog.so-net.ne.jp/2010-06-11
その意味で、自分のところのコメント欄を閉じたまま他人のことを「議論ができない」となじりつづける某氏と同種のかたなんだろうな、とか理解しています。
投稿: pooh | 2011年1月 3日 (月曜日) 午前 05時41分
>うさぎ林檎さん
>>KNT(黒猫亭)認定式神のうさぎ林檎でございます。
なんか「TNP(低燃費)」みたいな略称ですね(笑)。ちょっと「KNT48」と謂うベタなネタを思い附いてしまいましたが、もしもそんな集団が実在したら式神が摩り切れてどらねこさんは失明するんじゃないかと。
「認定」と謂うことは何処かで養成するんですね、葛木山辺りにあるんですかね。そうすると校名は「RAS(Royal Academy of Shikigami)」とかそんな感じですね。近代天皇制だと「R(Royal )」じゃなくて「I(Imperial)」ですが、多分天皇制ではなくて「朝廷」の管轄でしょうから「R」でいいんでしょう(笑)。ではオレも、伊丹空港からの機中でエコノミークラス症候群でぶっ倒れたオッサンがいたら真っ黒な長文を見せて治療しましょうか←一斉に立ち上がる黒猫亭ズ(笑)
>>>不愉快な文章を緻密に読み込むだけの根気
>>を持たせないから、壁新聞はある意味成功していると言ってる人もいますね。
なんか、TV報道を避ける為にカメラに向かって放送禁止用語を連呼した某俳優を思い出してしまいますね(笑)。筒井康隆の短編にも、下劣な言葉を忌避する文化を持つ異星人に襲われて延々猥褻語を叫びながら逃げると謂う話があったような(笑)。
ただ、たしかに、「うんざりさせる」と謂うのは対面的なコミュニケーションの場面では有効な戦略ではあります。ワケのわからないことを滔々と捲し立てる相手に対しては誰でも根負けしてどうしても「もういいよ、好きにしな」と言ってしまいますからね。
何と言うか、TVマン時代の由井寅子がどんなふうに世渡りしてきたか、物凄くリアルに想像出来てしまいます。何処の業界にもいるんですよね、こう謂うヒトが。
でもまあ、問題が或るステージ以上に達してしまえば、必要なら汚物の中に手を突っ込むことを厭わない人々も存在するのが社会と謂うものです。対面的なコミュニケーションの論理で世の中のすべてを捉えていると、その内痛い目に遭うでしょう。
実は一度書いてみて「あんまり無闇に言うことでもないな」と思い返して本文から削除した記述があるんですが、こう謂う人物は科学が理解出来ないだけではなく、裁判をすると必ず負けますね。基本的にマンツーマンで相手を言い負かすロジックしか識らない人ですから、冷静な第三者が強制力を持って介入する場面で通用するコミュニケーションの仕方を識らないのではないかと思います。
ところが、多分本人は対面的に相手を言い負かす才能には絶大な自信を持っているのではないかと思いますから、「裁判すると必ず勝てる」と言っているのはハッタリではなく、多分本心からそう考えているのでしょう。その辺の自己インフレと現実とのギャップが後々命取りになるのではないかと考えていたりするんですけどね。
たとえば朝日アピタルなんかも、その可能性は常に想定していて、おさおさ準備に怠りはないでしょうし。
>>この文章は探してきたのではなく偶々開いた頁で、この本はどこを開いてもこんな事が書いてあるのです。これは講演録ですから、このお人は日々こんな事を喋っているのですよ。
結局、こう謂う人格を一言で表現すると「シャーマン」と謂うことになるんだろうと思いますよ。そもそもトラコパシー自体が徹頭徹尾「雨乞い」なんですから、poohさんは不本意だろうと思いますが、結局トラコパシーとはシャーマニックな呪術なんですよ。
シャーマンと議論してもしょうがないですね、当人にとっては自分の恣意が世界の真実なんですから、こう謂う人物は議論と口喧嘩のクベツが附いていません。間違いだらけの思い込みをでっかい声で言い張り続けるのが「議論」だと思っているんですから、当人を相手に対話しようとしても無意味なんですよ。
一種、こう謂う人物を相手取るには、対象化して分析し、第三者に向かって批判の正当性を問うしかありません。基本的に「相手に自分の言うことを聞かせる」と謂う性格のコミュニケーションしか出来ない偏った人間なんですから。
投稿: 黒猫亭 | 2011年1月 3日 (月曜日) 午後 12時35分
>poohさん
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
>>「ハリー・ポッターと6人の妻」
元ネタがまったくわからなかったので検索してしまいましたが、なるほど、たしかにどんな層にウケるんだかサッパリわからないですね(笑)。まあ、ハリーってのはヘンリーの愛称ですから、上手いことは上手いですね。これは内緒ですが、リック・ウェイクマンと謂うヒトをまったく識らなかったので、一瞬スネイプ先生の中のヒトと混同してしまいました。
いや、この道具立てだと仕方ないでしょう(笑)。
>>ギャクバリスト関係のお話には、最近mochimasaさんなんかとtwitterで議論していた某氏のことが含意にあるのかな、とかも思ったんですけど。
仰る通り、これまでも数限りなくあの手のギャクバリストが入れ替わり立ち替わり現れて、一頻り世間から相手にしてもらったらそのうち勝手に飽きていなくなったりするんですが、プラグマティックな観点で謂えば、ああ謂う言論の到達力が低い市井の論者は相手にしなくても一向問題はないとは思うんですよね。
敢えて採り上げたり直接対話するのは、それによってメリットが得られるからで、その言説を放置すると何らかの問題があるからじゃないと思います。
>>このひと、以前ぼくがエントリを挙げてまとまった反論をしたときには、自分の名前の表記方法について触れただけで、議論もなにもぜんぜんできなかったんですよね。
オレも記憶がありますが、一言発しただけで黙り込んでしまったんで、本人そっちのけで違う議論の流れになりましたよね。その割にはツィッターでは元気だったんで、暫く同じ人物だとは気附きませんでした。こう謂うヒトはとにかく「莫迦には見えない真理を俺様が見附けたんだじぇ」と威張りたいだけの幼稚な動機なんで、早い話が世間から構ってもらいたいだけでしょう。
基本的にギャクバリストの動機は自我肥大と大衆蔑視と周回遅れのコンボで、それは論者の有名無名を問わないんだろうと思いますが、一ネットワーカーならそのうち飽きて姿を消したりハンドルを変えて知らん顔をしたりすれば好いですが、なまじ名前のある言論人だと、言説の到達力が高いと謂う問題もさりながら、引っ込みが附かなくなって粘着的な批判偶数組になってしまうと謂う弊害がありますね。
ネットワーカーの中でも迷惑度が高いギャクバリストは、明白な批判偶数組ではなく某お弁当のヒトだろうと思いますが、あのヒトの場合は真意や目的性が何処にあるんだかサッパリわからないのがまた面倒くさいです。単にやらかして意地になったと謂うよりも、元から何らかの個人的な動機があるようにも思いますし。
今回やらかした人々の中では、やっぱり早川由起夫がダントツで不快ですね。赤木智裕辺りは、途中でチラッと自分でも言ってましたけれど、ツィッターの気楽さに油断してユルいコトを漏らしてしまったのを大騒ぎされて慌てたと謂う辺りが真相でしょうし、何だか馬鹿馬鹿しくてツッコミを入れる気にもなりません。
どちらかと言うと赤木智裕のほうは、面目を保って離脱出来るんならとっとと撤退したいと謂うのが見え見えですが、早川由起夫の場合は自分からこの問題に拘ってしつこく言及しているところが面倒くさいですし、尻馬に乗って付和雷同する莫迦と徒党を組んでいるのはどっちなんだよ、と謂う不愉快さがありますね。
あんまり言い種が醜いんで、多分事情を識らない人が読んでも「こいつは莫迦だ」と謂うことに気附かないわけにはいかないでしょうから、そこが救いと謂えば救いですね。当事者が読んだらさぞかし心を痛めるのではないかとも思ったんですが、考えてみればこんな吐瀉物のような意見をわざわざ当事者が読む必要は一ミリもないので、関係ないと謂えば関係ないんですが。
投稿: 黒猫亭 | 2011年1月 3日 (月曜日) 午後 12時42分
こんにちは。
>TVマン時代の由井寅子
由井氏の公式プロフィールはここから始まっています。
http://www.homoeopathy.ac/04lecturer/president.php
>1996年11月 ホリスティック医学協会主催 ホメオパシー講演会を行う。
これ以前の事は「愛媛県(1953年生まれ)」だけです。
#中学ではバレー部の部長だったとは言ってたっけ。
そして、
・Hon.Dr.Hom [ ホメオパシー名誉博士(Pioneer University)]
・Ph.D.Hom [ ホメオパシー博士(International Medical University)]
学位のようなものはこれで。これについては、nofrillsさんの情報があります。
http://nofrills.seesaa.net/article/120795588.html
英国でホメオパシーを学んだ経歴は
http://www.homoeopathy-center.org/profile/encounter.html
>1年目はクラシカルホメオパシーの学校に行き、2年目から大学院まではプラクティカルホメオパシーを学びました。
日本人は一人もいない環境の中、ラテン語、万葉英語、ギリシャ語で行われる授業は難解で、大学から帰ってくると毎日のように 泣いていました。
としていますが、大学院まで行ったはずなのに学位は見当たりません。
ソースが見つからないんですがこの1年目の学校ではテストの問題が理解できず(英語的に)に解答用紙に絵を描いたと、学長の談話がありました。この時点では英語力が乏しかったようにしか見えないエピソードです。
由井氏は15年前に「当時仕事でロンドンに赴任していた」と言っていますが、そんな英語力の人が赴任してたんですかね?
#実はですね、昔ちらっと見かけたことがあるんですよ。由井氏渡英のありきたりな(情熱的ではありますが)個人的事情を。ま、これはトイレの落書きみたいな話ですけどね。
"TV局スタッフとして世界中を飛び回っていた"というわりには、英国の話しかしませんしね。
ま、黒猫亭さんも当て擦っていらっしゃるだけでしょうね。
何にしろ、由井氏の真実は語らないことの中にあるんだと思います。
別に知りたくはないですけど(笑)。
投稿: うさぎ林檎 | 2011年1月 3日 (月曜日) 午後 04時35分
久しぶりにコメントします。
NATROM先生のホメオパシー訴訟の和解に対するブログエントリーとかtweetに対して、
「子供の命を錦の御旗に「正義の顔」する連中」
「ただの消費者問題です、と。自分で自分の首を絞めてどうすんの」
という記述をしている『今日の雑談」というブログに出会いまして、
え〜!?唯の消費者問題(というか、ウソつくなよってことですが)でなにが悪いのかなぁ、
と思ってました。
このブログ主さんはコメント欄がないので本人に聞くわけにいかないのが困ったところです。私は唯の消費者問題だと思っているのですけど。
で、このブログ主さんは、ホメオパシーは効かないとは思ってるようなんですが、
「ネットで徒党を組んで、自分たちこそ正しいんだと騒ぐの、いい加減にやめてくれ。」
という記述もしていて
え〜自分の気に入らないから批判してるの!?
とか思ってしまうのです。
ギャクバリストというか、こういう人もいるのですね。
あと”ウソつくなよ”と書きましたが、ここには道徳論から批判をいれる人もいるし。
議論するためのネタにされてしまうのが悲しいです。
投稿: DH98 | 2011年1月 3日 (月曜日) 午後 04時39分
>うさぎ林檎さん
あ、ガッコのほうに経歴があったんですね(笑)。JPHMAのほうで探したら見当たらなかったので、邪魔くさいもんだから検索して以下のURLで見たんですよ。
http://www.jphma.org/homoeopath/h_ya/h_yu_1.html
まあ、仰る通り経歴詐称はこの手の連中の常套手段なので、何処まで本当なんだかしれたもんではないと思いますけどね。もし仮に記述自体に嘘がないとしても、「ドラマ・ドキュメンタリー製作」で何をしていたのか、「報道担当として」何をしていたかまでは書いてないですし。
よくマンガで「強豪校の野球部に在籍」と謂うのが単なる球拾いだったり「関東最強のヤンキー校からの転校生」が単なる落ちこぼれのいじめられっ子だったりするようなもので、「そこで具体的に何をしていたのか」が肝心です。たとえば「英国で5年報道担当として、戦争、天災、飢餓、事故などの特集に関わり」ってのが、実は単なる賄い方だったら大笑いですね(笑)。
まあ、実態としては似たようなもんだと思いますが、「ドキュメンタリー制作」ってのはちょっとネタとしては面白いですね。ドキュメンタリーってのも、乱暴な言い方をすれば「恣意的読解」と「結論ありきの作話」で成り立っているようなところがありますから。
>>学位のようなものはこれで。これについては、nofrillsさんの情報があります。
これはかなり以前に拝読しましたが、大体そんなもんでしょうね…と謂うような言い方だと如何にも気のない感じですが(笑)、そもそもホメオパシーの学位なんてものに普通一般の意味での学術的権威があるわけがないですしねぇ。
nofrillsさんの追記やkumicit さんのところのエントリによると、ホメオパシーが復興したのはほんの半世紀くらい前のニューエイジ文化によるもので、それまで長らく本国ドイツでも廃れていたと謂うことですから、そう謂う歴史的経緯から考えてもマトモな学位の対象となるとは思えませんよね。
しかし、この「これでもか」と言わぬばかりの英国ブランドのダメ押しは滑稽です。所詮は嘘やハッタリで塗り潰したインチキ商売ってことですね。
>>実はですね、昔ちらっと見かけたことがあるんですよ。由井氏渡英のありきたりな(情熱的ではありますが)個人的事情を。ま、これはトイレの落書きみたいな話ですけどね。
その書きぶりで大体察しが附くような(笑)…ちょっと気持ち悪くなりましたが。
>>別に知りたくはないですけど(笑)。
まったく同感です。こんな偏った人間が六〇年近くどんな人生を送ってきたかなんてのは大体想像が附きますし、その想像は大きく外れていないでしょう。ハッキリ言って一番身近にいてほしくない種類の人間ですね。
投稿: 黒猫亭 | 2011年1月 3日 (月曜日) 午後 07時40分
>DH98さん
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
>>『今日の雑談」というブログ
上のほうでpoohさんが採り上げておられるのと同じヒトですね。このヒトの場合、何だか周回遅れだ逆張りだとか謂う次元ではないかもしれないですね(笑)。どうも単に気に入らないことに対して好き放題に毒突いているだけと謂う印象です。
>>「ネットで徒党を組んで、自分たちこそ正しいんだと騒ぐの、いい加減にやめてくれ。」
>>という記述もしていて
>>え〜自分の気に入らないから批判してるの!?
>>とか思ってしまうのです。
結局生理的な好悪が動機なんですねぇ(笑)。poohさんのところの一件や、コメント欄を閉じているところから考えて、そんなに肝の太いヒトでもないようですし、言ってること自体はくだらない戯言ですね。
まあ、典型的な「かまってちゃん」と謂うところだと思いますが、何を言うにも仰ることが薄っぺら過ぎて、主張に反論しても「批判」と謂うより「ツッコミ」にしかならないように思います。
こう謂うヒトはただ言いたい放題垂れ流せば気が済むんでしょうからまだ害の少ないほうだと思いますが、個人的に「ここまで行くと逆に凄いな」と思ったのは、NATROM先生と蒟蒻問答を繰り広げた「エコパラダイス」の中のヒトですね。とにかく同じ日本語を喋っているとは思えないくらい対話が成立していない、あれは凄いです。
しかも、ネットで何か言っているだけならともかく、どうやら何の悪意もなさそうに危険なものを売り附けていたり川にワケのわからんものを投入していたり、妙に積極的な実践が伴う辺り、今に被害者が出るのではないかとハラハラします。ああ謂うふうに、まったく筋の通った言葉が通じない天然なヒトに対してネットに何が出来るのかと、改めて考え込んでしまいました。
投稿: 黒猫亭 | 2011年1月 3日 (月曜日) 午後 07時40分