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2011年1月 9日 (日曜日)

ささやかな幸福

今日で摩耶が目出度く一〇歳になった。ヤキモチ焼きで死ぬほどしつこくて鬱陶しい性格の面倒くさい猫だが、こんな飼い主と一緒に一〇年生きてくれてありがとう。こいつがいるから生きていけるんだとしみじみ思ったことは数え切れない。次の一〇年も一緒に生きていこうな。

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コメント

ささやかではありますが、とっ      ても大事な幸せですよね(笑)

投稿: がん | 2011年1月 9日 (日曜日) 午後 11時03分

大切な記念日ですね。彼女の人生がより幸せなモノとなりますように。
以前に書いたモフモフ療法エントリのオシマイの部分が思い出されます。
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20100817/1282048475

投稿: どらねこ | 2011年1月10日 (月曜日) 午後 02時01分

>がんさん

すいません、終日ダラダラ過ごしていて遅くなりました。

>>ささやかではありますが、とっ      ても大事な幸せですよね(笑)

流石に一〇年目になると新鮮味も薄れてきて、最初の頃のように動いているところを視ているだけで楽しくてゾクゾク嬉しくなると謂うこともなくなりましたが(笑)、一緒にいて感じる愛情は未だに全然変わらないと感じます。

「可愛い」「好きだ」と思える存在がいつも傍にいてくれることは、そんなに飛び抜けて刺激的なことではないですが、やはりそれが幸福と謂うものなのだろうと思います。

投稿: 黒猫亭 | 2011年1月10日 (月曜日) 午後 07時55分

>どらねこさん

>>大切な記念日ですね。彼女の人生がより幸せなモノとなりますように。

ありがとうございます。摩耶に代わってお礼を申し上げます。

白状しますと、摩耶の誕生日の一月九日近辺はおおむね、三が日が明けて正月ボケでダラダラ過ごしていることが多く、大概月の中日くらいに「そう謂えば摩耶は一月生まれだったはずだが…」と思い出して忘れていたことに気附く、と謂うルーティンになっております(笑)。

なので、この一〇年の間にマトモに誕生日を祝ってあげた年は数えるほどしかなく、摩耶の誕生日を忘れていた疚しさからせめて月夜の誕生日を忘れまいとすることで、毎年月夜の誕生日に二匹纏めて祝ってあげているのです(笑)。

ちなみに、月夜の誕生日は「二月一八日」なので「摩耶の倍」と覚えておけば忘れることはありませんし、摩耶の誕生日を忘れていてスルーした反動で警戒するので、ほぼ毎年祝っております。いつも我の強い姉に何かと割を喰わされている不憫な妹なので、摩耶の先行例からの反省で多少優遇されるくらいのことがないと可哀相ですね。

たとえば、一昨年の九月に報告した摩耶の尿路障害の経験から早めにドライフードを高齢猫用に切り替えて削り節のおやつを廃止したので、月夜のほうはその際の摩耶と同年齢になってもまったく無病息災で健康に過ごしております。

ただ、実はオレ自身も夏休み中のしかも盆休み前後の帰省ラッシュの時期の生まれなので、あんまり他人から誕生日を祝ってもらった記憶がなく、その意味でそんなオレが自分の猫の誕生日が正月だからと謂う理由でそれを忘れがちなのは、ちょっと疚しいものがあります。

まあ、猫にしてみれば誕生日が何なのかも理解していないんだから、そんなことは関係ないんですけど、飼い主のオレが「自分が寂しいと感じた扱いを自分の猫に対してもしている」ことが疚しいと謂うだけの話ですね。

>>以前に書いたモフモフ療法エントリのオシマイの部分が思い出されます。

人間は同じ人間だけではなく他の動物との触れ合いも欲していると思いますので、コンパニオンアニマルとの関係が人間の心理に対して強い作用を及ぼすと謂う主張には全然異論がないんですが、肉体=物質性に対する心=霊性の優位を誇大に狂信すると謂うメカニズムがニセ科学の呪術と密接に結び附いているんですよね。

その一方で、人間以外の動物との関係によって癒される人間の心の働きを過剰に賤しめる考え方が「歪んだペットブーム」みたいな、何だかよくわからない奇怪な迷信的言説を生んだりもする。随分昔に論じた坂東眞砂子なんてのは、自分自身がコンパニオンアニマルに対して一番病的で歪んだ自己投影をしていながら、それを過剰に一般化して世間一般の猫と幸福に暮らしている人々を弾劾すると謂う、タチの悪い妄言でした。

裁くのなら他人を巻き添えにせずに自分自身を個別の生として裁けよ、と謂うのが、坂東眞砂子批判の結論ですね。この件に関しては、こんな病的な妄言を振りまいた坂東眞砂子が罰されることよりも、断崖の下に遺棄された夥しい小さな屍骸がアタマのネジが緩んだ不潔な人物による不潔な妄想に過ぎないことのほうを痛切に望みます。

投稿: 黒猫亭 | 2011年1月10日 (月曜日) 午後 08時44分

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