東西新聞文化部名物ふたたび
些か乗り遅れの感もあるが、一昨日書かれたこの記事を発端にして、ネットで不味い食い物自慢が一気にヒートアップしたもよい。暴飲暴食の報いで胃壁を荒らして絶賛おかいさん生活満喫中の某直方体のヒトが異常に昂進した食欲を宥める為に昨年書いた記事を引っ張り出してきたり、さらにそれに便乗した某宇宙生物が不味い喰い物自体には一言も触れないと謂う荒技を駆使した反則スレスレの記事を上げたり、その勢いは燎原の火の如く留まるところを識らない。
世間の三歩後ろを行く男としては、この両者に先行を許しておきつつ後から悠々と漁夫の利をせしめる魂胆で追随するわけだが、大概の場合はそんな助平心は「今更感」と謂う無常の風に吹き散らかされてしまうのはいつものことである。
さて、能書きは措いてズバリ本題であるが、オレがこれまでに喰った不味い喰い物と謂えば、まあこれまで散々書いてきた「炒め直しの炒飯」辺りが定番ではあるが、幾らしつこいオレでも、今更感の強い追随記事でさらに今更過去ネタを蒸し返すほどしつこい性格ではないので、それ以外の例を懸命に脳内検索してみた。
しかし、基本的にオレは世間の三歩後ろを歩くほどコンサバな男なので、そもそも不味そうな喰い物には手を出さない。物凄く美味いものを十全に味わえるほど味覚が鋭敏でもない代わりに、歴然と不味いものを喰えないくらいワガママなので、「不味そうアンテナ」が二本くらい立つと最初から手を出さないので、そもそもそうそう不味いものを喰った記憶がない。
多分、思い附きでテキトーな創作料理を作る母親の失敗作なんかは否応なく喰わされたはずなのだが、少年時代の不快な記憶は深層心理の奥底に堅く封印されていて繙くのが容易ではない。まあ、実家の母親は割合口が奢っていてそんなに料理が下手ではなかったから、変な色気を出して思い附きに趨らなければそこそこ喰えるものを作っていたのであるから、失敗例自体もそんなに豊富ではなかったと思う。
となると、オレが記憶している限りで最初に遭遇した「喰えないほど不味いもの」となると、奇しくも某「お兄さん可愛い」な宇宙生物と同様に「焼きそば」である。ただしそれは店で出す料理ではなく、カップ焼きそばである。
現クラシエフーズがまだカネボウフーズと号していた頃、同社のカップ麺は業界で初めてノンフライ麺を採用したことで識られていたのであるが、たしかラーメンに関してはそこそこ喰えたような記憶がある。問題のカップ焼きそばは、このカネボウフーズ時代の製品であったと記憶している。
それはたしかオレがまだ学生の頃だから八〇年代初頭のことだと思うのだが、オレはその当時からカップラーメンを喰うと吐き気を覚える体質だったので、カップ麺と謂えば蕎麦かうどん、焼きそばしか喰わなかった。「どん兵衛」や「赤いきつね」「緑のたぬき」、それか「UFO」「ペヤングソース焼きそば」が定番で、この嗜好は未だに変わらない。カップラーメンで喰えるものと謂えば、オーソドックスなラーメンとはちょっと言い難い日清のカップヌードルくらいであった。
であるから、カップ焼きそばで一個丸々喰えないほど不味いものがこの世に存在するなどとは、世間識らずな学生さんであったその当時は思いもしなかったのである。極めて曖昧な記憶で、具体的な商品名もまったく覚えていないのであるが、一口喰ってあまりの不味さにメーカー名を確認した覚えがあるので、旧カネボウフーズの製品であったことだけは断言出来る。
まあ、現在すでに存在しない企業であり製品であり、且つはカップ麺過渡期の一時の過ちと見做すべき事例であろうから、今になって名指しでこのくらいのことを言っても問題はないだろうと思う。
そのカップ焼きそばの何処が不味かったと謂って、カップ焼きそばであるにもかかわらず麺が生タイプであることにトドメを刺す。一度はシュレッダーで裁断した記憶を可能な限り継ぎ合わせてして思い返すなら、たしかソース焼きそばではなく中華風の焼きそばであったと思うのであるが、上海焼きそば系だったかあんかけ焼きそばであったかまでは思い出せなかった。
ここでお立ち会いの皆さんはまず「スープ麺ならともかく焼きそばで生麺と謂うのはどのように加熱するのか」と謂う疑問を覚えられるだろう。オレの朧気な記憶では、その焼きそばは生麺と生タイプの具が別々に真空パックのパウチに入っていて、カップに熱湯を注ぐことでレトルト食品のような具合に加熱し、三分後にパウチから取り出して混ぜ合わせる仕組みであったかと記憶している。
しかし、誰でも予想することだが、レトルト食品と謂うのは火に掛けた鍋の湯で絶えず熱を与え続けるから温まるのであって、幾らカンカンに沸騰させてもカップに熱湯を注いだくらいでは水分の多い生麺と生タイプの具が温まるはずがない。
一応表面積を稼ぐ為に麺も具も比較的少量に配分されていたのだが、熱力学の観点から謂って焼きそばに好適な温度で平衡するはずなど最初からないのであるから、当然のように出来上がりの焼きそばの温度は好意的に謂っても「人肌」である。
想像してほしい。人肌程度にほんのりぬるい中華風焼きそばと謂う代物を。
…いや、まだそれはたとえば電子レンジがあればチンすると謂う技も使えるだろう。単に当時のオレが貧乏な学生で、電子レンジなどと謂う王侯貴族のような白物家電を持ち合わせていなかったのが不運だっただけ、と諦めることも出来る。しかし問題の本質は不幸にしてそこにはなかったのである。
出来上がった麺を一口啜ったオレが驚愕に打ちのめされたのは、その中途半端で気持ちの悪い温度ではなく、刺激的で強烈な異臭の故であった。何と表現して好いかわからないのだが、ビニール袋やセロファンを舐めたときのような強烈な薬品臭がした。当時のオレは物識らずだったから「これは多分合成保存料の臭いだろう」と思ったのだが、今にして思えば真相はもっと簡単である。
つまり、真空パックのパウチに使っている素材の臭気が内容物に移っていて、単に熱湯で真空パックを加熱するだけの手順であるから、食品の臭いを圧してそのパウチから溶け出した臭気が鼻に附いたのである。それを一言で言うなら、こうだ。
このカップ焼きそばは欠陥品だ。食べられないよ。
これはもう、設計段階で間違っているとしか考えられないので、「欠陥品」としか言い様がない。世代人なりに「目の前にある食物は残さず食べるべきである」と謂う教育を受け、且つは洗うが如き赤貧で常に飢えていた当時のオレであるが、なけなしの根性を振り絞って三口までチャレンジしたものの、短いサイクルで身内から湧き起こる強烈な吐き気の波動に絶望を覚え、やむなくタオルが投げ込まれた。
後にも先にも、別段調理に失敗したわけでもないのに最後まで喰い切れなかった喰い物と謂うのはあれが最初で最後である。こんな地獄のような体験を味わったのはオレだけであるはずがないから、当然その後幾ら探してもその製品が何処かで売られているのを見た覚えがない。
なんと謂うか、あれは美味い不味いと謂う個人的嗜好の域を超えて不味かった。たとえば、味附けが悪いと謂うなら、それは味覚センスの欠如である。火が通っていないとか半生だと謂うのであれば調理技術の問題である。腐っているとか傷んでいるのであれば衛生管理の不十分である。大概の不味い喰い物は、惜しいところで大事な何かが欠けている故に不味いのであるから、我慢すれば何とか喰えるものである。
しかし、「最初の設計段階から万人にとって不味いと運命附けられた喰い物」と謂うのは想像を絶する不味さであり、これに耐えられる人間はそうそういない。
普通、食品会社が新製品を発売する場合には慎重な官能試験や試食を繰り返すものだと思うのだが、製品の形となって市場に流通するまで、誰一人としてあれが不味いことを認識していなかったのか。それとも、何らかの社内事情で誰もが不味いと思いつつもリリースせざるを得ない都合でもあったのか。
汚れた大人の一人と成り果てた現在のオレは、多分最後の想定が一番臭いと思っているのであるが、まあそれも今では歴史の一齣であって、外部の人間に真相を識る機会は与えられていない。三〇年近く前の失敗作のことについては現クラシエフーズとも関係のない話であって、今では社内でもその経緯を記憶している者もないのだろう。
単にオレの朧気で不確かな記憶の欠片として、その強烈な不味さの体験が記録されているのみである。
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コメント
こんにちは。
Twitterの遺恨はTwitterで晴らすうさぎ林檎でございます。
好き嫌いはあっても、美味しくないなぁと思いながら口にできる方なので(除く海鼠)、「喰えないほど不味いもの」となると何かあったかなぁと記憶の引き出しを探ってみたら、ありましたね二つほど。
1つめは、北海道のお土産で食べさせられた「ジンギスカンキャラメル」
これは口に入れたときはさほどでもなく、リアクションを期待して見ていたギャラリーを拍子抜けさせたのですが(大丈夫ですよ、とまで言って見せた)……2分たち3分たつうちに何とも言えぬ、イヤーな脂っこさが胃の腑を直撃しだしまして…更に1分ほど粘った後、ギブしました。
このキャラメル、10人に1人ぐらいは完食かつ美味しいですよと言ってたらしいので、何かニッチな嗜好は突いているのでしょう。
2つめは、高校の時に弁当に入っていたうずら卵のカレーピクルス。
黄色く染まった謎のおかずを食べた途端、漫画じゃないけど吹き出しましたね。カレー風味のもの凄ーーく酸っぱい茹でうずら卵……この世のものとは思えない食べ物でした。家に帰ってから母に苦情を言ったら、きょうの料理で紹介してた料理だと言い張ってました。
でも、家族の誰も食べませんでした(作った本人すら)。
昔のことは直ぐ忘れちゃう方なんですが、意表を突かれるほど不味かったものって忘れないもんだな、と改めて思いました。
投稿: うさぎ林檎 | 2011年2月 3日 (木曜日) 午後 02時24分
>うさぎ林檎さん
>>Twitterの遺恨はTwitterで晴らすうさぎ林檎でございます。
至らぬところがございましたら、平にご容赦を(いつになく口数が少ない(笑))。
>>1つめは、北海道のお土産で食べさせられた「ジンギスカンキャラメル」
普通に考えるとジンギスカンのタレの味がするキャラメルを想像するのですが、まさかラム肉のエキスまで配合されているとか、そんなことはないですよね、いや、まさか、まさかそんな、あはははははは…
>>このキャラメル、10人に1人ぐらいは完食かつ美味しいですよと言ってたらしいので、何かニッチな嗜好は突いているのでしょう。
そうすると、ウケ狙いのゲテモノと謂うより、ごく狭い層にアピールすることを狙った歴とした喰い物なのですかね。まあ、あんまり喰い物をネタにしてウケを取りに走ると各方面からお叱りを受けるご時世ですから、開発者は「美味いはずだ」と思っているのかもしれませんなぁ。
>>カレー風味のもの凄ーーく酸っぱい茹でうずら卵……この世のものとは思えない食べ物でした。
それは本当に実在するレシピなのでしょうか。カレー風味の鶉玉子とかピクルス風味の鶉玉子までは理解の範囲内ですが、何故その二つを合わせる必要があるのかはまったく理解出来ませんね。酸っぱいカレー味と謂うと、調理後室温で数日間経って醸されたカレーを連想してしまうのですが(笑)。
>>でも、家族の誰も食べませんでした(作った本人すら)。
…やはり。しかし、それは調理が失敗したのかレシピに無理があるのかよくわからないですね。この世には、本当に美味いと思って考えたのか疑問に思えるレシピと謂うものが存在するのですかねぇ。
投稿: 黒猫亭 | 2011年2月 3日 (木曜日) 午後 02時46分
改めて調べてみると、「カネボウフーズ」の商号は九三〜〇七年までの間のことで、だとすればオレが当該の製品を喰った時期の社名は「カネボウフーズ」ではなく「カネボウ食品」か「ベルフーズ」だったようだ。ベルフーズ時代だとすれば当時のオレの注意力でカネボウ関連の食品会社だと理解出来たかどうか怪しいのでカネボウ食品時代だったのではないかと思う。
他の方の意見を伺うと、上記カネボウ傘下の食品会社の製品はおしなべてあんまり評判が好くないようなので、多分あんまり良い人材がいなかったのかもしれない。食品事業を興すに当たって数社の中小製菓会社を合併したようだが、カップ麺やインスタント食品に結び附くようなノウハウを持つ企業との関連はなかったようだから、単にノウハウ不足だったのかもしれない。
投稿: 黒猫亭 | 2011年2月 3日 (木曜日) 午後 03時48分
黒猫亭さんが「饅頭が怖い」人だとは、存じ上げませんでした。というわけで(?)、食べ物ではなく、飲み物の話題です。
昔、日本に来ていたアメリカ人と普通に食事をしていて、なぜか「どちらの国民が野蛮か」という議論になったことがあります。どちらも相手の国の歴史や政治に疎かったものですから、あまり過激な話に発展せず、「アメリカ人は家に帰っても靴を履いたままだ」とか、くだらない話題のまま終わりそうでした。
そこで私が持ち出した切り札が「アメリカ人はルートビアを飲む」でして、これには先方も思い当たる所があるようで、かなり打撃を与え、私の勝利になるかと思いきや、なんと「日本人はセーロガンを飲む」と切り返されてしまい、引き分けに持ち込まれてしまいました。
逆に言えば、正露丸をもってしても引き分けにしかできなかった、そういう飲み物です。
投稿: mimon | 2011年2月 3日 (木曜日) 午後 11時57分
>mimon さん
>>黒猫亭さんが「饅頭が怖い」人だとは、存じ上げませんでした。
いや、マジで今あのカップ焼きそばがバラバラと戸口から投げ込まれたら、「あっ」と言うたがこの世の別れでカップ焼きそばにて「あん殺」されるかもしれません。あんかけ焼きそばだったかどうかは記憶が定かではありませんが(笑)。
>>そこで私が持ち出した切り札が「アメリカ人はルートビアを飲む」でして、これには先方も思い当たる所があるようで、かなり打撃を与え、私の勝利になるかと思いきや、なんと「日本人はセーロガンを飲む」と切り返されてしまい、引き分けに持ち込まれてしまいました。
たしかmimon さん以外にも何人かルートビアの不味さを語る方がおられたように思いますが、一度も飲んだことがないのでどのくらい不味いのか想像も附きません。ただ沖縄では結構ポピュラーな飲み物のようで、これは言うまでもなく長らくアメリカの統治下にあった歴史的経緯の故だそうです。
沖縄で展開されているA&W、通称エンダーと謂うレストランチェーンでは同ブランドのルートビアが供されていて、それ以外だと沖縄バヤリースからも発売されているようですね。沖縄の人々にとっては普通の飲み物のようで、沖縄在住で二十数年前に断酒した友人も割と好んでルートビアを飲んでいるようです。
思うに、日本の風土や環境で飲むと何処が美味いのかわからなくても、アメリカの特定地域で飲むと割合飲めるものなのかもしれません。外国で味わった現地の嗜好品の味が忘れられずに国内で輸入されたものを試してみると、全然違った味わいに感じられることもあるようですから、そう謂うこともあるのかな、と。
また、配合するハーブもブランドによってまちまちだそうですので、一口にルートビアと謂ってもさまざまな味わいが存在するようです。ただまあ、嫌いな人はそんな細かい違いなんかどうでも好いくらいルートビア一般が嫌いでしょうし、嫌いな人がかなり多い飲み物であろうことは容易に想像が附きます(笑)。
>>逆に言えば、正露丸をもってしても引き分けにしかできなかった、そういう飲み物です。
この比喩にイマイチ説得力を感じなかったのは、実はオレは正露丸とか龍角散とか仁丹のような如何にも薬臭い薬の類が嫌いじゃないからだったりするのですね(笑)。上のほうでうさぎ林檎さんが挙げておられるジンギスカンキャラメルも、一〇人に一人くらいは「美味しい」と感じる人がいるそうですから、まさに人間の嗜好とはかくも振れ幅の大きいものだったりするのですねぇ。
投稿: 黒猫亭 | 2011年2月 4日 (金曜日) 午前 07時38分
どらやきそばの固く閉ざした秘密をこじ開けるエントリだなぁ、と思いました。
ええと、『ワックス』とだけ申しておきます。
投稿: どらねこ | 2011年2月 4日 (金曜日) 午前 08時50分
>どらねこさん
>>ええと、『ワックス』とだけ申しておきます。
ああ、なるほど。やっぱり焼きそばみたいな割とシンプルな喰い物で、人間が喰えないほどの傑作を作ろうと思ったら、「人間が喰えないもの」に酷似した風味や食感を附けるしかないですよね。Twitter でもそんな話が出ていましたが、やっぱり不味い焼きそばを簡単に作ろうと思うなら悪い油脂を使うのが早道っぽいです。
エントリで採り上げたカップ焼きそばも、考えてみればカップ焼きそばに生麺を採用しているんですから、熱湯で戻す普通のカップ焼きそばとは違って麺全体に廻っている油をそのまま口にしますので、その油に包材の臭みが移ってしまったのかもしれません。
量販店なんかで売っている素性の知れないポテチでも、開封した瞬間に吐き気を催すほど悪い油を使っている製品なんかありますね。
投稿: 黒猫亭 | 2011年2月 4日 (金曜日) 午前 09時27分
やはり、不味いものは、人間の原始的な嗅覚に由来していると思います。そして、それは、個人の嗅覚の違い、民族、国民の嗅覚に関係していると思います。
昔のインスタント食品は、<パウチに使っている素材の臭気が内容物に移って>いたりして、不味かった記憶があります。
ここで記したか忘れましたが、私は、小学校の途中まで、チーズの匂いがダメでした。
今だダメなのは、松茸系の匂い(および麩の匂い)です。
鼻をつまめば、食べられますが・・・。
投稿: mohariza | 2011年2月 5日 (土曜日) 午前 12時35分
>moharizaさん
>>昔のインスタント食品は、<パウチに使っている素材の臭気が内容物に移って>いたりして、不味かった記憶があります。
そうですね、今はかなりマシになりましたが、包材の臭いが食品に移ると謂うのは結構な頻度であったように思います。臭いが移る、と謂うんではないんですが、サンドイッチなんかでも、無精してラップを半分だけ剥がして喰うとラップの臭いが鼻に附いて気持ち悪くなったりしますね。
>>ここで記したか忘れましたが、私は、小学校の途中まで、チーズの匂いがダメでした。
>>今だダメなのは、松茸系の匂い(および麩の匂い)です。
臭いの強い食品は好き嫌いがどうしても出ますね。食べ物に臭いがないと食感も味気ないですけど、臭いの好き嫌いって基本的にあんまり根拠ないですから、個人の振れ幅も大きいですね。オレがダメなのはカップラーメンの臭いで、自分で喰う分にはまあこんなもんかと思うんですが、近くで他人が喰っていると吐き気を催します。
にしても、松茸の臭いと謂うのはわかりますが、麩の臭いってのはよくわかんないですね(笑)。これまでは麩の臭いを意識したことはないんですが、嫌いな人は敏感なものなんですかね。
投稿: 黒猫亭 | 2011年2月 5日 (土曜日) 午前 10時48分
本文の記事にやっとアクセスして、読みましたが、笑い転げ、「食」とは、難しいと思いました。
万人が美味い食べ物なんか、無いと思うし、10人中9人が不味いと思うモノでも、平気で、美味いと思う人がいるようで…。
動物(人類を含め)の味覚は、昔、食中毒や死にかかった記憶が、脳の味覚中枢に植え込まれ、舌及び目等が拒絶反応を起こすように思いました。
昔、親から「食べ物を残すと、お百姓さんに罰が当たる」と教え込まれ、小さい時から残さないようにしてはいましたが、
ある歳になってからは、腹8分目(最近は腹6~7分目)に胃がなっていますので、平気で残しています。
カミさんからは、「いつも、ほんの一口残すのだから…。」と、ブツブツ云われましたが、平気で通し、
カミさんも、最近は、「好きなだけ食べて!」と云い、小言を云わなくなりましたが…。
投稿: mohariza | 2011年2月12日 (土曜日) 午前 12時01分
>moharizaさん
すいません、公開が遅れてしまいました。
>>万人が美味い食べ物なんか、無いと思うし、10人中9人が不味いと思うモノでも、平気で、美味いと思う人がいるようで…。
考えてみれば一〇%ってのは結構な割合ですよね。そう謂う意味では、上のほうで挙げられているジンギスカンキャラメルなんかも、一〇人中九人までが不味いと感じても残る一人が美味いと思えば中ヒットくらいにはなるのかもしれません。
この辺が一万人とか一〇万人に一人となると完全に病気扱いされるわけで、たとえばこの広い世の中には砂を喰う人とか土を喰う人がいますよね。割合起源の旧い上方落語の演目に「こぶ弁慶」と謂う演目がありますが、この噺では壁土を喰うのが好きな男と謂うのが出てきまして、それが弁慶の描かれた壁土を喰ったことで弁慶に取り憑かれると謂う骨子の噺なんですが、日本にもこう謂う伝承があったんだな、とちょっと驚かされました。
>>動物(人類を含め)の味覚は、昔、食中毒や死にかかった記憶が、脳の味覚中枢に植え込まれ、舌及び目等が拒絶反応を起こすように思いました。
まあ、別の言い方をすれば、物凄くアバウトな括りでヤヴァげな喰い物一般が具えている食味を感覚的に苦痛に感じる個体が生き残ってきたんでしょうけど、ヤヴァさと食味はそんなに必然的な相関がないので、かなり極端なレンジでしかそう謂うふうには言えないのかもしれないですね。
割と一般的なのは、酸味とか辛さみたいな相当強い物理的刺激の性格を持つ食品に対する食文化依存的な嗜好かもしれませんね。江戸時代の人間は、辛いものと謂えば山葵とか茗荷みたいな特徴的な「からさ」をイメージしていて、唐辛子や山椒みたいな痛覚や触覚に訴える辛さには慣れていなかったので、近代になって一般化した唐辛子や胡椒のような所謂「辛いもの」には弱かったみたいです。
投稿: 黒猫亭 | 2011年2月12日 (土曜日) 午後 11時29分