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2011年3月18日 (金曜日)

あの日、大きな地震があった

今回の震災で、埼玉の田舎のほうにも計画停電をはじめとしていろいろな影響が出てきて、ブログを書く気にはならなかった。長時間集中してテキストを書く気になれないと謂うより、短い時間にあまりにも時々刻々状況が推移するので、twitter のような即時性の高いツールから離れられないと謂うのが正確なところである。

実際、最初の地震が起こってから、録画しておいた馬鹿馬鹿しいTV番組でも観て落ち着きを取り戻そうと何度か試みてみたのだが、三〇分もしないうちに福島原発や東電、政府の対応に動きが出て、視聴を中断してはTV中継に見入ると謂う状況が続いた。

こう謂う状況の中でも、さらには被災地で心細い生活を余儀なくされながらも、冷静に状況を見詰め良記事を書いて多くの人々に有益な情報を発信している方がおられるのは感嘆するばかりであるが、まあハッキリ言ってウチのブログはココログにしてはそこそこアクセスがあると謂う程度の過疎ブログであるから、twitter で妥当な情報を仕込むのが得策だろうと考えていた。

今は少し状況も落ち着いて、ブログ記事を書く間くらい世間の動きから目を離しても不安はないだろうから、忘れてしまわないうちに震災当日のことを思い返して書き留めておきたいと思い立った。

言うならば個人的な備忘の類であるから、不特定多数に向けて有益な情報を発信しようと謂うつもりもない。この現状において多くの人々に必要なのは、まず正確な知識と情報であって、推測に基づく「意見」ではないからである。再々申し上げているように、オレは特定分野の専門知識を持っている人間ではないから、こう謂う場面ではあまり人様のお役に立つことは書けそうもないので、このエントリは一つの個人的手記としてお読み捨て戴ければ幸いである。

あの大地震が起こった先週の金曜日、オレは自宅にいた。

午前中からtwitter を始めて、一一時過ぎに腹が減ったので近所のラーメン屋で昼飯を喰ってからまたtwitter に戻ったのだが、この冬場は寒さのせいでめっきりウォーキングをサボっていると謂うのに、週に二回も脂っこい炭水化物メインの食餌を摂ったことにちょっと気が差していた。しかし後から顧みすれば、これはこれで結果的には好かったのだと思う(笑)。

自宅に戻って暫くtwitter でやりとりしていたのだが、一四時近くになって段々瞼が重くなってきたので、どうせ明日は土曜日だから少し昼寝でもしておこうかと思い、パソコンを落として暫くiPhoneでTLを眺めていた。そんな自堕落な状況下であったから正確な時刻は覚えていないのだが、調べてみると発生時刻は一四時四六分と謂うから、パソコンを落としてからも暫くTVを観ながらダラダラしていたらしい。

その時間帯だと平日はろくな番組を放映していないから、多分録画を消化していたのだろうと思うのだが、あまり詳しい記憶はない。オレは去年脳梗塞をやってから若干平衡感覚が弱くなっているので、P波の初期微動を感じた記憶はなく、いきなり最初から強い揺れが襲い掛かって来たような印象を持っている。

これまでの有感地震の経験では、ユラユラッと揺れてから十数秒掛けてユッサユッサと謂う建物の横揺れを感じるのが常だったが、今回は最初の数秒でユッサユッサと建物全体が揺れ始め、まあこのくらいの揺れは前にもあったから大丈夫だろうと多寡を括って座っていたら、数秒のうちに卓上に置いた小鉢に張っておいた水が震動で零れるくらい激しい揺れに変わった。

普通ならこのくらいでもう納まるはずだが、一向に揺れが納まる気配がなく、どんどん強くなっていく。この分では本棚が倒れるかもしれないと思ったら、暢気なオレも流石に不安を感じた。立ち上がって猫の安全を確保しようと考えた。この間、ものの一〇秒かそこらだっただろうと思う。

その頃にはもう立ち上がるとよろけるくらいの激しい揺れに変わっていて、猫のほうは最初の数秒でさっさと逃げ出していて何処にいるのだかわからない。二匹の名前を代わる代わる呼びながら台所に出ると、月夜がテーブルの下にカチコチに固まって隠れているのを発見したが、摩耶の姿が見当たらない。その間にもどんどん揺れは大きく激しくなっていく。

何とか立って「書斎」とは名ばかりの物置部屋を手始めに、風呂場、便所を急いで覗いてみたのだが、どうやらいないらしいと見極めて、寝室に行ってカーテンを開けたが何処にも見当たらない。ならば押し入れに隠れたのだろうと見当を附けて覗いてみると、上段に置いた衣類ケースの上に縮こまって涙目になって震えている。

当然、文字で書き起こすとけっこう長いように感じるが、これでも二〇秒かそんなものである。総体でおおよそ三〇秒も経っていないだろうが、普通の地震ならそれで納まる頃合いである。賢くテーブルの下に避難した月夜のほうはまだしも安全だが、押し入れの上段には半間分のスペースで大量のVHSカセットを積み上げていたので、摩耶が取り乱してそちらのほうに移動したら怪我をしないものでもない。

今から思い返すとお笑い種だが、猫がパニックを起こさないように押し入れの戸口に貼り付いて大声で摩耶と月夜の名前を呼びながら、「大丈夫、大丈夫」と繰り返しながら揺れが納まるのをただ何もせずに待っていた…つか、オレに地震が止められるものなら今頃世の中はこんな有様になっているはずがないのだが。

なにせ、月夜のほうはまだ生き物としての本能が残っているが、摩耶のほうはちょっと本能が毀れた変に人間的な猫だから、自分の身の安全を守ると謂う才能があんまり期待出来ない。月夜が狼狽えて書斎のほうに逃げ込んだら危険だと謂う懸念がある一方で、摩耶のほうがよっぽど危なっかしいので押し入れの前から動けない。

こう謂うときに人語が通じないケダモノが二匹もいるとどうにも足掻きが附かないもので、てんでバラバラに逃げやがったものだから、飼い主としては咄嗟の判断に困ってしまう。月夜は口で言えば或る程度言うことを聞くので、書斎に逃げようとする気配があれば大声で制しながら、摩耶を宥めるほうにウェイトを掛けるしかない。

一応押し入れの前から台所は見通しが利くので、代わる代わる目を走らせて必死に声を掛けていたのだが、いつまで経っても揺れが納まるどころかどんどん激しくなっていって、ユッサユッサから叩き附けるようなガッガッガッガッと謂う暴力的な震動に変わっている。遂に台所のほうで何かが倒れる音が聞こえ、書斎からも本棚から本が落ちるようなドサドサッと謂う音、そして棚の上に飾ってあったフィギュアの類が床に落下する音が聞こえるようになった。

書斎に置いておいた使っていないパソコンラックの上に積んだ段ボールが転がり落ちるのが目に入ったのだが、日頃「重いものを高いところに積まない」と謂う原則を厳守しているので、殆ど中身は空である。とは謂え、強烈な震動がいつまで経っても已まないものだから、そろそろ本棚が倒れてもおかしくない頃合いである。

気にはなったが、本棚なんて幾ら倒れても大過はないが猫が下敷きになったら取り返しが附かないので、とにかく猫のことで頭が一杯で他のことを考える余裕など殆どなかった。すぐに終わる、もうすぐ終わる、地震なんていつまでも続くもんじゃない、そんなふうに言い聞かせながらジリジリと待っていたが、いつまで経ってもこの地震は終わらなかった。

パニックを起こしそうな気持ちを必死で抑えながらも、ぼんやりと「こう謂うときに主観的な時間が長く感じられるってホントだなぁ」なんて考えていたのだが、今から考えるとそれは間違いであった。後になってネットで調べてみると、この本震の際、東京方面では約五分間に亘って揺れ続けたらしい。

つまり、「長く感じられた」のではなく、現実に「長く揺れていた」のである。

五分間と謂えば絶対的には短い時間だが、通常の地震なら鈍い人間が「地震?」と感じてから地面が揺れているのは精々一〇秒かそこらで、後は建物自体の振動が自然に納まるまでの間のことであるから、長くても数十秒くらいのものである。それが五分間も激しく揺れ続けたのだから、体感的には物凄く長い。

殊にウチは緩い傾斜地に立つ鉄骨二階建アパートの二階であるから、「こんなに長く揺れたら構造的に保たないのではないか」「鉄骨は耐えられても内装が破壊されてしまうのではないか」と余計なことまで考えてしまうほど長く感じられたことは間違いない。

そうは謂っても、永遠に揺れ続けている地震などないのだから、揺れ放題に揺れ続けた挙げ句、ようやく地震は収まった。階下の住人が外に出てくる物音や話し声、そして火が点いたように泣き出す幼児の声が、一時に雑然と耳に飛び込んできた。隣室は男性住人の独り住まいであるから、先程室内で何かが次々と倒れたような音がした以外、何の気配もしない。金曜日の昼なのだから、多分隣は留守だろう。

どうやら本当に終わったらしいと判断して、オレは二匹の猫を代わる代わる優しく撫でて声を掛け安心させようとしたのであるが、やっぱりオレもちょっと震えていた。オレ一人だけなら本能的な恐慌くらいしか感じなかっただろうし、揺れが激しくなった段階で外へ逃げ出していたかもしれないが、これほど長く激しく揺れ続け、しかも護るべき生き物がパニックを起こしててんでばらばらに逃げ惑っていたのだから、頭で想像する種類の恐怖を感じていたのである。

もう、揺れが激しくなってからは、フラッシュバックのように厭な想像が次々に脳裡に浮かんできた。倒れた本棚の下敷きになって猫が死ぬ。窓ガラスが飛散して猫が血塗れになる。ガス管が破裂し爆発火災で猫が吹き飛ばされる。天井が落ちてきて猫が圧死する。二匹いるから何か一つでも起これば両方助けることは出来ない。だったらどうすれば好いのか。その他、考え附く限りの陰惨な想像が忙しなく脳裡を駆け巡ったが、まあ想像だけでは人も猫も死ぬことはない。

二匹とも大分パニックを起こして怯えきってはいたが、こいつらのことを心配していたお陰で飼い主のほうは相対的に冷静でいられたことは否めない。アパートに居合わせた人々は大方外に出ていたようだが、今外に出たところで世間話以外にすることはない。とりあえず猫に異状がないことは確認したので、被害状況を点検してみることにした。

もしかして、あれだけ激しい地震だったのだから、何らかの二次災害に巻き込まれるおそれはあったかもしれないが、猫を放り出して自分だけ助かっても意味がない。莫迦な奴だと嗤われるかもしれないが、地震の最中に最終的に考えたのは「こいつらを護れないくらいなら一緒に死んでやろう」と謂うことだった。これから何が起こるかわからないが、最優先でこいつらを護ることを考えよう。そう思った。

いざとなれば手早く猫を捕まえて外に出られるように、まずサイドボードの上に積んで置いた大型キャリーバッグを下ろして、各室の状態を見て廻った。と謂っても、浴室と便所以外は猫が通れるように開けてあるから、順繰りに中を覗いて廻るだけの簡単なお仕事ではある。

押し入れの中は、案の定VHSカセットの山が雪崩れて襖を圧迫していたが、それ以外の被害はなかった。ようやく衣裳ケースから降りてきた摩耶の歩様を見ても何処か傷めている節はない。寝室には古いブラウン管TVとTV台、パイプハンガーに掛けた衣類しか置いていないから、室内で倒れたものは何もない。

居間のほうは何段か積んだカラーボックスから焼いたDVDを収納したケースが幾つか飛び出していたが、カラーボックス自体は相互に木ねじで連結してあるので倒れてはいなかった。床に敷いたコルクマットが上手く震動を吸収して、さほど振幅が大きくならなかったらしい。座卓の上の水が飛散していたが、ひとまずは措いておく。

台所は、積んで置いた味噌のパックや鍋の蓋などが床に落ちただけで、奇跡的に殆ど無傷に近かった。割れ物の欠片の飛散などもなし。サイドボードの中のグラス類も一切割れていなかった。

書斎のほうも、前述の通り本棚から何十冊か本が飛び出していて、フィギュアが数点床に落ちていたが、おおむねソフトビニール製なのでほぼ被害はない。「書斎」とは名ばかりで、ほぼ物置兼猫のトイレ置き場として使っているので、本棚やカラーボックスを壁一面に立て廻してあったのだが、倒れたものは一本もなかった。ホームセンターなどで売っている断面が三角形の倒壊防止用のゴムを底に噛ませていたのだが、今回はそれで十分効果があったようである。

一番怖かったのは水回りで、ウチはオレが入居した頃に徹底的にリフォームしているのだが、どうも水道屋がいい加減なヘボ業者らしく、トイレの配管から微かに水漏れがしていたり、台所の配水管がテキトーな作りで汚水が溢れたりしていたから、もしかして水回りがイカれたらかなわんな、と心配したのだが、風呂も便所もとりあえず水漏れ等の被害はなかった。

ガスのほうも、台所を点検した際にガスレンジ周りの臭いを嗅いでみたが、とりあえず素人判断では目立ったガス漏れはないようであった。

これだけのことを確認して、ああオレはまあまあ冷静なほうだな、と思ったのだが、昼間のこととは謂え窓のない便所を覗くまで停電に気附かなかったのだから、あんまり冷静でもなかったのだろう(笑)。直前まで観ていたTVの電源が落ちていたのだから気附きそうなものではあるが、そんなことを考えている余裕などなかった。

便所の電気が点かなかったので、これは多分ブレーカーが落ちたのだろうとイージーなほうに考えてブレーカーを点検したのだが、スイッチは全部入ったままである。何度かスイッチをオンオフしてみたが、まったく回復しない。では、送電線が切れたか何かで停電しているのかな、と思って玄関から通路に出たのだが、妙なことに通路の電灯は点いている。

不審に思って階段を降り、居合わせた一階の住人に尋ねてみたのだが、こちらのほうはブレーカーが落ちていたのでスイッチを入れたら回復したとのことである。

とすれば、最悪の想定として屋内の配電がおかしくなって二階だけ断線している可能性がある。その場合は今晩中に回復するなんてことはないだろうから、一晩くらいは停電を我慢しなければならないかな、と…今から思えば甘いことを考えて…ケータイから管理会社に電話を掛けてみたのだが、当然回線が混んでいて繋がらない。

差し当たり停電以外は喫緊の危険はないだろうと判断して、それまで小汚いジャージの上下姿であったが、何か動きがあった場合にすぐに外に飛び出せるよう、カーゴパンツに厚手のワークシャツと謂う動きやすいラフな服装に着替え、停電が長引いた場合に備えて靴下を二重に履いた。

とりあえずまだ崩れる危険がある押し入れのVHSカセットだけを何とか片附け、台所や書斎を廻って余震の際に落ちそうな怖れのあるものを一渡り低い位置に下ろし、その場合に再び猫が押し入れに逃げ込まないように襖をピッタリ閉めた。

そこまで済ませてから、ケータイでtwitter を覗いてみたのだが、どうやらこれがウチの近所だけのことではなくかなり広い範囲で激震が走ったらしいことがわかり、各地で停電が起こっていることも判明した。これは今のうちに生存表明しておかないとマジでヤヴァい事態だろうと踏んで、慣れないケータイからしこしこ打ち込んでようよう以下の一文をツイートすることが出来た。

停電。猫も人も無事。何もする気起こらず。

間抜けである。電報じゃないんだから、もう少し気の利いたことを言えばよかりそうなものではあるが、慣れないケータイからでは、これだけ打つのが手一杯である。併せて当ブログのほうにも前回のエントリを上げ、知人にひとまず無事であることを知らせようと思った。郷里のほうでも妹がたまにこのブログを読んでいるから、こう謂うことがあれば必ず覗くだろうと踏んでのことである。

しかし、広域で停電が発生していると謂うことは、大本の給電が停まっていると謂うことのはずだが、だったら何故一階や通路の電灯には給電が続いているのか。

確認の為にもう一度通路に出てみたが、ウチと隣室のメーターは当然ピクリとも動いていないが、一階の住居のメーターはゆっくり動いているし、通路の電灯は相変わらず点いたままであった。これは少し外の様子も見てこないとならないと思い立った。

着替えは済ませていたからその足で表に出て、とりあえず最寄りのコンビニに行ってみたのだが、コンビニの電源も別段切れている様子はない。その代わり、地震後数十分の間にすでに店内には長蛇の列が出来ていて、電池やローソク、弁当、スナック菓子が買い漁られたものらしい。オレも何か買おうかと一瞬思ったが、オレ一人しかいないのにここで徒に日没までの貴重な時間を浪費するわけにはいかない。

どうやら停電しているところとしていないところがあるようだが、なんでだろう?と思いながら一旦帰宅したところ、通路の電灯が切れていた。まさかと思って窓から外を覗いたところ、あろうことか信号機まで消えていた。各戸で給電状況に遅延が出た理由は今以てよくわからないが、本当に広域で給電が停止したことは間違いない。

時刻はおおよそ一五時過ぎ。

めっきり日が長くなったとは謂え、もう日没まで三時間ほどしかない。

その日の日中はポカポカ陽気で、フライトジャケットを着込んで歩き回ると汗ばむくらいの暖かさだったが、まだまだ日が落ちると寒い。明るいうちに停電の準備をしておかないと動きがとれなくなる。

まずは光源の確保であるが、昨夏ウォーキングで歩き回っていた折に、帰宅が日没後になるとこの辺は結構クルマの通行が危ないので、コールマンの強力なフラッシュライトを購入していた。これは光源がLEDで電源が単三電池二本、数十メートルの照射距離がありつつ連続点灯時間が五時間前後と謂う優れもので、単価も三〇〇〇円弱であるから、是非とも非常用に一本備えておくことをお奨めする。

これを主軸にするとして、補助用にコンビニで売っているような小型懐中電灯が一本見付かったのだが、これは白熱電球で電源が単二電池二本であるからコストパフォーマンスが悪いし単二の電池が家の中にあるかどうかわからない。それでもないよりはマシだから予備用に備えておくとして、それ以外には、量販店で購入した印鑑サイズのレッドレンザーのLEDライトが一本あるが、これはカメラ用の特殊な電池を四個必要とするので、主力としては使えない。

次に電池であるが、これは主に電池代の節約を目的として単三と単四のエネループを四本ずつ確保してあるし、満充電からさほど時間が経っていない。マウスやリモコンや電池式シェーバーに使用中であったが、停電中に家電製品のリモコンなんかどうでも好いから、全部電池を取り出して一箇所に固めておいた。

ライト類の作動を点検すると、白熱式の懐中電灯のほうはもう電池が切れていたが二本のLEDライトは支障なく点灯する。懐中電灯用の単二電池は、電子血圧計の本体メモリ用に四本使用していたのを思い出して、これを取り出して懐中電灯のほうに移した。

これで何とか暗闇の中で不安な一夜を過ごす羽目にならずに済むだろうと安心したのだが、ウチには電池式ラジオがないので、マスコミ情報を収集する手段がない。これはどうしたものだろうかと考えたのだが、今頃コンビニや量販店に行っても真っ先に売り切れるものだろうから、じたばた動いても無駄に時間を潰すだけなのは目に見えている。

そこでハタと気附いたのだが、昨年iPhoneに機種変更する前のドコモ用の結構な高機能のケータイ端末を、カメラ機能がまだ使えてデータをSDカードでPCに移せると謂う理由で充電していたのだが、たしかワンセグ機能は解約しても使えるはずだと謂うことを思い出したので、ほぼ満充電状態の端末の電源を入れてみた。当然、バッテリーさえ保てばワンセグ放送の受信が可能で、これで最低限の情報を得る手段が確保出来た。

これらの作業を済ませる間、摩耶のほうは完全に恐慌で固まっていて、押し入れを塞がれたものだから居間の一番高いところに避難していて邪魔にはならなかったが、月夜のほうは地震以来オレの足許を片時も離れずににゃーにゃー鳴いている。こんな頼りない飼い主でも近くにいれば安心するのかと思うとちょっと泣きそうになったが、メソメソしているヒマはないので準備を続けた。

幸いなことに、日が暮れてからもこの辺りでは左程気温が低下することはなかったから助かったが、体温が落ちたらもう今夜中は回復出来ないかもしれないので、少し暑いとは思ったがフライトジャケットを着込んだままモソモソ動き回っていた。

何とか日が落ちる前に準備を済ませ、ちょっと怖かったが(つか、ホントはやってはいけないのだが(笑))ガスレンジを点けてみてガスが来ていることを確認した。水道のほうは最初に確認しているので、電力以外はほぼインフラが断絶していないことがわかった。電力のほうは、何せ大本の給電が停止されているから確認出来ないが、もしかしたら屋内の配電に障害がある可能性もないではない。それは今心配してもしょうがない。

目途が立った段階でもう一度コンビニに行ってみたが、相変わらず駐車場にはクルマと自転車が鮨詰め状態で、店内の混雑は改めて言うまでもない体たらくである。もう日は落ちかけて、僅かに残照を残すのみ。時間的な余裕はもう殆どない。暗くて寒い夜がもうすぐ来てしまう。一五分ほど歩けばスーパーはあるが、往復三〇分の移動時間を考えれば、空振りに終わった場合のダメージが大きい。

と謂うか、駅からこれだけ離れたコンビニでこの有様なのだから、住宅が密集した駅前ではもっと大騒ぎになっているはずである。何か買えたとしても、帰る頃には真っ暗になっているだろう。もっと謂えば、あんなことがあった後に、余震が頻発する暗闇の中に猫たちを放置しておくことが我慢出来ないような気がした。やはり諦めるしかない。

仕方がないので帰宅して、本格的な夜の到来に備えることにした。TLで忠告があったので風呂桶に水を張って夜間の火災や断水の場合の下水に備え、二個ある薬罐に飲料用の水を詰めた。冷蔵庫には冷水筒の茶が二本入っているから、飲料水の手配はこれで安心である。最低限の照明手段はあるとは謂え、ちょっとでも外光が入ればマシであるから家中のカーテンを開けて廻り、これで明るいうちに出来ることは殆どやり終えた。時刻は一七時過ぎだった。

とりあえず、台所の椅子に座って落ち着き、twitter のTLを読み進めながらワンセグの放送を視聴していると、当初の予想を遙かに超える大災害であることがわかってきて背筋が冷たくなってきた。

ケータイ電話のちっちゃな液晶画面には、紅蓮の炎に包まれた石油コンビナートや壁のようにそそり立つ巨大な大津波に押し流される街が次々に映し出されている。こんな風景は、たとえばオレたちの世代なら「日本沈没」とか「地震列島」などのパニック特撮映画でしか目にしたことがない。それが今現実に起こっているのだ。

TLでは、東日本在住のフォロワーの緊迫した報告がひっきりなしに流れてくる。どうも震源地は関東ではなく東北らしい。関東でさえあれだけ揺れたのに、東北ではどんな物凄い暴威が荒れ狂ったのか、想像すら出来なかった。この時のオレはまだ、津波であれだけたくさんの人々が一瞬の裡に命を奪われたとは識る由もなかった。

オレは、多分この地震で数千人規模の死者が出るのではないかと怖れた。今になってみればその予想は現実に比して遙かに甘かったわけだが、そのときはそれが想像し得る限界の災害規模だったのである。阪神淡路と同レベルの災害が、関東でも起こったと謂う事実に打ちのめされていた。しかし、本当は阪神淡路大震災よりも遙かに大きな災害によって、関東以北で、もっと多くの人々が、今まさに命を奪われつつあったのである。

誇張でも何でもなしに、何だかオレは気分が悪くなってきた。多分相当血圧が上がっているのだろう。本震の後に断続的に続く余震で、脳梗塞以来弱くなっている平衡感覚が狂って地震酔いみたいな酩酊状態に陥っている。本震以来、少しでもグラッと来ると足許で月夜が不安そうに大きな声で悲鳴を上げる。吐きそうになった。

こう謂うときはどうするかと謂うと、とにかく酒を飲むのが一番である。オレがここでくよくよ思い悩んでいても、大災害は決してなかったことにはならない。だったら今ここでこの瞬間に直ちにオレが落ち着けば、当面の問題は解決である。

先程のコンビニの渋滞を思い出して、こんな状況でビールを入手するのは無理かな、と思ったのだが、どうせ近いのだからとダメ元で出掛けてみた。ダメだったら、料理用に買ってある紙パック入りの二級酒でもガスでお燗をつけて飲めば好い(笑)。

一九時を廻って、外はもう真っ暗である。給電の途絶えたコンビニが開いている可能性は低い。街頭も信号機も暗闇の中に沈んでいる。偵察がてらフラッシュライトの明かりを頼りに最寄りの街道筋まで出てみたが、警察官が出張っていて手信号でクルマを誘導していた。街道は、どちらを見てもずらりとヘッドライトとテールライトの列が並んでいて、ちっとも動いているようには見えない。大渋滞である。

たった今、日本で物凄く巨大なことが起こっている。そう実感した。

引き返してコンビニに向かうと、何にでも三度目の正直と謂うものはあるものだ。店員の誰かがクルマを廻してきたらしく、そのヘッドライトを照明にして、何とか店が開いていた。店の前に立っている顔馴染みの店員に確認して入店すると、予想通りスナック菓子や電池の類は売り切れで、カップ麺はそこそこ残っている程度。弁当やサンドイッチの類はすっからかん。

いいんだ、オレ、昼間ラーメン喰ったから(笑)。アレを一食喰うと正直言って二日くらいあんまり腹が減らない(笑)。昼間はあんな諄い喰い物を喰って後悔していたのだが、災い転じて何とやら、禍福は糾える何とやら、人間万事塞翁が何とやら、エトセトラ、エトセトラ、とにかく結果オーライの何とやらがエトセトラである。

でも、有り難いことにビールは売り切れていなかった。こんな状況の最中に酒を呑んで憂さを晴らそうとする暢気な奴はそんなに多くなかったと謂うわけだ。ハレルヤ。オレ暢気な奴でよかったよ。

ビールを四本仕込んで戻り、タブレットガムの空きボトルの蓋に切れ目を入れライトを差し込んで固定し、即席のランタンを拵えた。ペンダントライトの傘に当たるように立てれば十分に明るい。ああ、何だか台風の晩のようにうきうきするじゃありませんか。

ビールを呑みながら、バッテリーが切れるまでワンセグを視聴し、twitter を読み、騒ぎ疲れて眠っていた猫をからかっていた。ビールを全部呑んでしまうと、流石に酔いが回ってきたので、暢気な奴相応にそのまま猫と一緒に眠ることにした。二一時を廻った頃だっただろう。

夜中に何が起こるかわからないと謂う意識はあったので、着替えずにそのままの服装でとりあえず布団に潜り込んだのだが、幸いなことにあの日の埼玉は今日と同じくらいにはほんのりと暖かかった。ライトを消すとカーテンを開けていても真っ暗になったが、内にも外にも電灯がないのだから、それは当たり前である。

うとうとしている間に猫たちも寝室に入ってきたようだが、煩瑣く搦んでこなかったのでオレはそのまま眠ってしまった。

暫く眠っていると、何だかドスンドスンと謂う地響きと大きな物音が聞こえてきて眠りを妨げられたのだが、どうやら隣室の住人が帰ってきて室内の惨状を解消する為に動き回っているらしい。何時頃だかわからないが、薄目を開けるとまだ真っ暗だったので、もう一眠りしようかと寝返りを打った。

その瞬間、パッと寝室の電灯が灯ったのでビックリして飛び起きた。昼間電気状況を確認したときにスイッチを何度か引っ張って点灯状態にしてしまったのだと思うが、とにかくたった今給電が再開されたことは間違いない。慌てて飛び起きると、布団の周りのお気に入りの場所で丸くなっていた猫たちもビックリして飛び起きた。

意地汚い話だが、速効で居間の灯りを灯して暖房のスイッチを入れ、ようやく人心地が附いたような気がした。TVを点け、パソコンを立ち上げ、給電再開した途端に電力の大盤振る舞いである(笑)。こんなオレでも、残り滓くらいの宗教心はあるから、その瞬間ほど神に敬虔な感謝を捧げたことはこれまで一度もないくらいである。

「神様、ありがとうございます。今晩ビールが売り切れなかったお陰で、こうしてオヤジ一人と猫二匹が無事に生き延びることが出来ました」

時計を見たら、一時五〇分頃のことだった。大丈夫、オレも猫もまだ生きている。摩耶が座卓の上に飛び乗って「かまえかまえ」と煩瑣く搦んできた。月夜は眠そうに欠伸をしながら「にゃあ」と言った。オレは摩耶を羽交い締めにして「冗談はよせー」をさせて遊んだが、摩耶は何だか不満そうだった。

まあ、本当に大変だったのはそれからの日々だったわけだが、オレは…オレたちは、こんなふうにしてあの「みぞうゆうの大災害」の当日を割合暢気に過ごしていた。

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コメント

私は阪神・淡路大震災の時に京都に住んでいたのですが、夜中にいきなり最初にして最大のインパクトが来て、とにかく短期間に一気にカタストロフ、あとはゆるゆると余震、という感じでしたから、地震のタイプとしても、先の震災と今回は対照的だったみたいですね。あと先の震災の時と現在のネット環境の違いも印象的でした。それにしても5分というのは途方もない長さです。

埼玉出身の40代として言うと、子供の頃から地震は日常茶飯事で、京都に住んでいたときも、名古屋に住んでからも、本棚にはストッパーを買ってきてつけたり、頭の中でどこか大地震になったときのシュミレーションをする、という、生まれついて染みついた習性みたいなものがあります。そういうのもあって、埼玉県は死者をひとりも出さないで済んだのかな、と勝手に自画自賛してみたり(なんだよそれ)。黒猫亭さんは北陸のご出身だったと記憶しておりますが、そのあたりはどうなのでしょうか。

それにしてもプリンセス・ムーンの暴走が心配で心配で。

投稿: Leo16 | 2011年3月18日 (金曜日) 午後 07時55分

>Leo16 さん

>>私は阪神・淡路大震災の時に京都に住んでいたのですが、夜中にいきなり最初にして最大のインパクトが来て、とにかく短期間に一気にカタストロフ

今回の地震は昼下がりでしたから、いろいろな意味でかなり対照的ですね。本文にも書きましたが、割合すぐに強い揺れになったのですが、それから五分も掛けて青天井でどんどん強く激しくなっていくと謂う印象でした。

揺れた、大きい、と感じるまではこれまで感じた大きな地震とそれほど変わらなかったのですが、普通なら終わるはずのところで終わらなくて、これはいつまでどのくらいまで大きくなるのかわからんぞ、と謂う感じです。

変な例えですが、ロックをガンガンに流した巨大なスピーカーの前に立たされ、ゆっくり五分間掛けて出力をMAXに持って行かれたらあんな感じかな、と思います。

>>それにしても5分というのは途方もない長さです。

これまでの経験だと、地震は長く続いても精々数十秒、と多寡を括っていたので、果てしなく長く感じられました。一般的な防災ガイドでも「ほとんどが数十秒程度」と謂う表現が多かったと思います。

震災後のPTSDの観点でも、この長さが悪い影響を与えるかもしれないです。余震を感じる場合でも、揺れを感じてビクッとすると謂うよりも、揺れ始めてから「またこのまま止まらないんじゃないか」と疑う恐怖のほうが大きいですね。だから、余震が納まるまで全然安心出来ないんです。

一応は「本震より大きい余震は来ないから」と自らに言い聞かせてはいるんですが、今回の場合はかなり広範囲に亘る地殻変動の影響でまったく別の地震が頻発していたりするので、心の底から不安を拭い去ることは出来ないですね。

>>そういうのもあって、埼玉県は死者をひとりも出さないで済んだのかな、と勝手に自画自賛してみたり(なんだよそれ)。

ああ、埼玉は地震が多いのですか。そう謂えば、震災当日から今日までの間、近所の雰囲気に殺気立ったところはないですね。普通に小学校のグラウンドで少年野球をしていたりするので、いっそ拍子抜けするくらい暢気な印象です。言われてみれば、たしかに地震慣れしていると謂う印象はありますね。

今回の震災でも、どこだかで避難の際の混乱で亡くなった方がいましたが、埼玉県内ではさしたる混乱もなかったのかもしれません。まあ、地震後数十分でコンビニに長蛇の列が出来たのも、或る意味地震慣れしているからと謂う理由かもしれませんが。

今回の震災までは何だか違和感を持っていたのですが、この辺では一定区画毎に防災放送のスピーカーが設置してあって、計画停電でも事前に実施時間帯や中止の告知があるので重宝しています。普段は「五時を廻ったのでお子さんはとっとと帰りましょう」とか「どこそこで迷子を預かってます」みたいな放送内容なので、「これのどこが防災放送なのだろう」と疑問に思っていたんですが(笑)、そう謂うふうに普段から災害への備えが発達していると謂うことなのですかね。

北陸のほうでも二年前に能登のほうで能登半島地震がありましたが、子供の頃の記憶で謂うとそんなに地震を経験したような覚えがありません。ウィキで調べてみると、能登半島地震では「石川県で震度6を記録したのは、観測開始以来初、富山県で震度5を記録したのは、1930年(昭和5年)以来のことで、実に77年ぶりのことである」とありますから、殆ど大きな地震はなかったようです。

オレが鈍かっただけかもしれませんが、「地震ってこんなに揺れるんだなぁ」と実感したのは上京後だったような気がします。郷里にいた頃は地べたが揺れたような記憶が殆どないですし、心配するようなレベルの地震はそんなになかったんではないですかね。

今回の地震では、この辺では震度五強くらいだったそうですから、震度六以上と謂うのは相当大きいのだなぁ、と改めて実感しました。宮城県では震度七が観測されたそうですが、調べてみると震度七と謂うのは相当厳格に判定されるそうで、ちょっと想像を絶する揺れ方ですね。

投稿: 黒猫亭 | 2011年3月20日 (日曜日) 午前 06時22分

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