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2012年4月25日 (水曜日)

あらためて絵を描いてみよう

昨日ツイッターで話題になったのは、京都府亀岡市で少年が無免許運転の暴走で集団登校中の児童一〇人を死傷した事故について、被害者が搬送された公立豊岡病院の但馬救命救急センターのセンター長が自身のブログ上でマスコミの行き過ぎた取材姿勢を批判した件であった。

マスコミの人間に心はあるのか

このエントリは「追記」の部分で少し触れられているような理由で最初に書かれた文章から若干修正されているが、マスコミ各社が病院側の取材拒否の意向を無視して勝手な取材を強行したと謂うことで、昨日午前中はこの話題に関心が集まり、オレもかなりいろいろな意見をツイートした。

ところが、その後このブログのエントリの記述は誤りだと謂う情報が流れてきて、当初上記のエントリでは「マスコミ各社の記者たちは霊安室の前にカメラをかまえ,お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました」と謂うくだりの当事者が朝日、毎日、讀賣の記者だったと読める書き方だったことについて、三紙が事実誤認であるとして訂正を要求してきたと謂うものである。

亀岡事故、行き過ぎた取材だったのか 病院「心が腐っている」vs新聞社「事実誤認、訂正を」 

このJ−CASTニュースの記事や、センター長がそれを受けて書いた翌日のエントリを読む限り、三紙の主張とセンター長の主張は真っ向から喰い違っているように見えるし、すべて整合するような全体的な絵が描けないように見えてしまう。

三紙とセンター長の意見の食い違いとされている部分は以下のくだりである。

 マスコミに対して、取材拒否の考えを再三伝えていたものの、各社の記者が、霊安室の前にカメラを構え,そこから帰ろうとする家族を勝手に撮影していたと糾弾したのだ。ブログでは特に、読売、毎日、朝日3新聞社の名前を挙げた。個人名を出してもよいとも付記したが、名前は記されていない。

この文章を素直に読めば、センター長がブログで「三紙の記者が取材拒否を無視して霊安室前で家族の写真を撮った」と書いたというふうに読めるし、実際にオレも今は削除されているその箇所を読んでそのような印象を持った。

オレがセンター長のブログを最初に読んだ時点における読解と、J−CASTニュースで解説されている状況が矛盾しているように思われて、これは誰かが嘘を言っているのか、もしくは何かを誤解しているのかとも思っていろいろと考えてみたのだが、全体のテクストをもう一度子細に読んでみたら、何となく全体像が理解出来たように思った。

当初オレが描いていたこの件の詳細とは、「取材を拒絶している病院に、その意向を無視してマスコミ人が押し掛け、霊安室前で家族の写真を勝手に撮った」と謂うようなものだったのだが、三紙の記者の言い分を見るとそうではなかったようである。なので、まずはJ−CASTニュースの記事から、三者の言い分を転記して検討してみよう。

 名指しされた3社のうち、朝日新聞社は、J-CASTニュースの取材に対し、ブログには事実誤認があり、霊安室前の現場には記者がいなかったと反論した。

 大阪本社広報部の説明によると、朝日の記者は、但馬救命救急センターに到着したとき、亡くなった女児が救命救急処置中だった。病院内で静かに待機し、駆けつけた女児の両親にも声かけはしなかったが、センター側から退去を求められた。

 それに応じて、記者は立ち退き、死亡が分かったときに、両親に話が聞けるかセンターを通じて確認した。しかし、両親が取材を拒否したため、記者は取材をあきらめた。このため、両親が女児を引き取って病院から帰る2時間半前には、すでにセンターにはいなかったという。

 一方、読売と毎日は、現場に記者がいたことは否定しなかったものの、ブログの内容は事実とは違うと説明した。読売新聞大阪本社の広報宣伝部では、取材に対し、「記者は病院の許可を受け、病院幹部立ち会いのもと待機していました」とし、毎日新聞社の社長室広報担当は、「弊社記者は終始、病院側責任者の立ち会いの下、あるいは指示に従って取材をしていました」とコメントしている。

この書き方を見ると、「朝日の記者は退去を求められたから現場にはいなかった」「讀賣と毎日の記者は現場にはいたが病院側の責任者が立ち会っていたし指示は守った」と謂うふうに読める。そう考えるなら、何故朝日は追い返されたのに、讀賣と毎日は追い返されなかったのか、しかも、細かいことを謂えば、讀賣の記者は「待機していた」と言い、毎日の記者は「取材していた」と言っているのだから、何故毎日の記者だけ「取材」が許されたのか。

であるから、この三紙の記者の証言は相互に喰い違っているように見えるし、センター長が「取材拒否した」と言っている言い分とも喰い違っているように見える。それやこれやで、どうもそれぞれの言い分が整合するような全体像は描けないと感じてしまうのだが、前述の通りセンター長のブログとJ−CASTニュースの記事をもう一度子細に検討すれば謎が解ける。

まず前掲の引用だが、これはよく読むと三紙の記者の証言に実はまったく矛盾はないと謂うことがわかる。矛盾があると感じるのは、「一方、読売と毎日は、現場に記者がいたことは否定しなかったものの」と謂う一文が添えられているからである。しかし、実はこれは「現場」の指示する意味が曖昧なことから起こった単なる誤解であるとオレは結論した。

仮に「現場」と謂う言葉が指示するのが「霊安室前」と謂う意味であれば、三紙の記者とも「霊安室前では写真など撮っていない」と主張しているのだから、「現場にはいなかった」と謂うことになるのだし、「病院」と謂う意味であれば、讀賣と毎日は勿論のこと、朝日新聞の記者だって「現場に記者がいたことは否定」していないと読むのが正しいのだろう。「現場にいた・いない」の二分法で朝日と讀賣・毎日の記者の言い分が喰い違っているように見えるのは「現場」と謂う言葉を混同した単なる誤解である。

これはおそらくJ−CASTニュースの記事を書いた記者自身が誤解しているからこのような書き方になったとしか考えられない。では、実際にはどうだったのかと考えてみると、要するに朝日の記者と、讀賣・毎日の記者が語っている内容は、時系列のタイムスパンが全然違っているのだと謂うことである。

朝日の記者の言い分を読めば、彼もまた「病院内で静かに待機し」と書いているのだから、実は讀賣・毎日の記者の言い分とまったく矛盾していない。三紙の記者とも、病院に到着したときは病院側の指示に従って待機していた、と主張しているのである。朝日と讀賣・毎日の言い分が喰い違っているように見えるのは、讀賣と毎日が「病院内で待機していた」と謂う時点の話しかしていないのに、朝日は「その後」のくだりについてより詳細に語っているからである。

であるから、これらをすべて整合させ得る解釈としては「搬送後マスコミ各社がどっと押し寄せ、その記者たちの中に病院側の指示にまったく従わずに勝手な取材を強行する記者が大勢いたので、その場にいたマスコミ関係者全員に退去が要請された」と謂うことで、要するに三紙の記者とも待機後に退去を要求されて帰ったのであるが、そこまでの顛末を説明したのが朝日の言い分だけだったと謂うだけの違いである。

そして、三紙が主張しているのは「われわれはちゃんと病院側の指示を守ったし、霊安室前で家族の写真を撮影していない」と謂うことで、これも別段矛盾していない。矛盾しているように見えるのは、前述の通り「一方、読売と毎日は、現場に記者がいたことは否定しなかったものの」と謂う余計な一文が入っているからである。そこについては別段三紙とも説明が喰い違っているわけではないのに、あたかもここが相違点であるかのように見せている。

そして、讀賣と毎日の言い分が「待機」と「取材」に分かれているのも、実は重要な問題ではないだろう。この「取材」を「家族へのインタビュー」と謂うような意味だとすれば、三紙ともそれはやっていないのだし、その意味では三紙とも「待機」していたのだろう。しかし、記者が搬送の「現場」まで来て何も記事を書かないと謂うことも考えにくいので、その範囲内で書けることについて情報収集をすれば、それもまた「取材」と表現出来るわけである。

そう解釈すれば、実は三紙の記者はまったく同じことを言っているのであるが、読者はどうしても「同じ事柄については同じニュアンスで同じウェイトを掛けて書かれているはずだ」と謂うバイアスが働くし、前述のようにJ−CASTの記事そのものもそこを誤解しているらしいことも手伝って、ありもしない矛盾があるかのように見えたわけである。

では、センター長の言い分と三紙の言い分の喰い違いについてはどうだろうか。

それについては、大本の原文が修正されているので、当初どう謂う書き方だったのか記憶に頼るしかないので確実なことは言えないが、おそらくこれも単なる誤解に過ぎないのではないかとオレは推定している。

そもそも、搬送されたセンターが取材拒否であったかどうかと謂うのは、実はかなりわかりにくい書き方になっている。問題になった二三日のエントリから該当箇所を転載してみると、

当然,院内や病院敷地内に勝手に入り込み,勝手に取材,写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし,取材拒否の旨をきちんと伝えております.もちろん必要があれば病院から情報を伝えます.

しかしながら,マスコミ各社の記者たちは霊安室の前にカメラをかまえ,お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました.再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず,一番大切にしたい瞬間に,ズカズカと土足で割り込んできました.

これは、一読すると病院側は病院内での取材を拒否しているのに、その意向を無視して勝手にマスコミが入り込んで取材した、と謂うふうに読めるが、よく読むと「院内や病院敷地内に勝手に入り込み,勝手に取材,写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし,取材拒否の旨をきちんと伝えております」と書いているのだから、「院内や病院敷地内に勝手に入り込み、勝手に取材、写真をとる」のでなければ取材の許可を出すと読むことも可能である。

それでは、「病院や病院敷地内に勝手に入り込む」と謂うのはどう謂う状況であるかと謂えば、何だか字面だけ見ると「塀を乗り越えてコッソリと忍び込む」みたいな胡乱な印象を覚えるのだが(笑)、勿論そんなことはなくて、病院の玄関から普通に入ってくることを指すのである。

病院のような施設は患者や家族が誰でも入ってこられるようになっているのだから、マスコミ関係者だって普通に玄関から病院に入ってくるのは当たり前であるし、玄関から病院に入って行かないと取材の申し込みすら出来ないわけであるから、「勝手に入り込んだ」かどうかと謂うのは、病院側が退去を求めた瞬間から遡って成立する条件に過ぎないわけである。

前掲の引用箇所が当初の記述から修正されているかどうかは確認出来ないが、要するにセンター長が言っているのは「病院側の指示に従わない記者には取材させない」と謂う意味のことであって、「取材拒否の意志を示している病院に勝手に記者が乗り込んできて取材した」と謂う意味ではなかったと謂うことだろう。

ところが「しかしながら,マスコミ各社の記者たちは霊安室の前にカメラをかまえ,お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました.再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず」と謂うくだりがあるので、取材拒否の病院に勝手に記者が乗り込んできて写真を撮ったと謂う印象になってしまうわけである。

おそらく、ここでセンター長が言っているのは「被害者のご家族への取材や撮影はお断りしていたのに無視した記者がいた」と謂う意味だろう。しかし、この書き方だと病院内での取材全体を断っていたように読めてしまう。そこが混乱の元だったのだろう。

それでは、肝心の三紙の記者についてはどうだったのか。二四日のエントリから該当箇所を引用すると、

また,表現の仕方で朝日,読売,毎日新聞が撮影していたという誤解を招いたことは改めて訂正をいたします.

…と書いているのだから、センター長は自分がそのように誤解していたのではなく、書き方が拙くて読者の誤解を招いたと言っているわけである。そこはすでに文章が修正されているので確実なことは言えないが、オレの記憶では直接「三紙の記者が霊安室前で勝手に被害者の家族を撮影した」と書いてあったのではなく、文脈上そのように解釈するのが自然な書き方をしていたと謂う記憶がある。

「とくに朝日、讀賣、毎日の記者(名前を挙げても云々)」と謂う記述が拙かったわけであるが、たしかそこで一旦文章を区切っていたように記憶している。もしもそうだとすれば、何か霊安室前の件とは別件で三紙の記者に対して腹を立てていたのだが、そのあとに別のマスコミ関係者がやった霊安室前のくだりを続けて書いたから、三紙の記者が霊安室前で写真を撮影したような誤解を招いた、と解釈することも可能である。

センター長が三紙の記者に名指しで批判しても良いくらい腹を立てていたことにどんな理由があるかはあらためて聞いてみないとわからないし、実際にセンター長は彼らが霊安室前で撮影した犯人だと勘違いしていた可能性もある。そうであるならあらためてそこを説明すれば済む話で、勘違いであったなら素直に謝罪すれば好い。ただ、今のところは「誤解を招いた」と言っているのだから、人違いをしていたのではなく、そのように読める書き方をしてしまったから訂正する、と言っているのだろう。

まあ、何にせよ具体的に社名を挙げて非難するには迂闊な書き方だったと謂うことは事実なのだから、マスコミ批判はマスコミ批判として、そこはキチンと経緯を説明して、必要であれば三紙に対して謝罪すべきだろう。仮に三紙の記者の振る舞いについて批判すべき点が別途存在したのであれば、それはそれとして批判すべきである。

ここであらためてJ−CASTニュースの要約を見てみよう。

 マスコミに対して、取材拒否の考えを再三伝えていたものの、各社の記者が、霊安室の前にカメラを構え,そこから帰ろうとする家族を勝手に撮影していたと糾弾したのだ。ブログでは特に、読売、毎日、朝日3新聞社の名前を挙げた。個人名を出してもよいとも付記したが、名前は記されていない。

前述の通り、これを自然に読解すれば「ブログでは三紙の記者が霊安室前で写真を撮影したと糾弾している」と解釈するのが普通である。しかし、読み方次第で、「各社の記者が、霊安室の前にカメラを構え,そこから帰ろうとする家族を勝手に撮影していたと糾弾した」と「ブログでは特に、読売、毎日、朝日3新聞社の名前を挙げた」は同じ事柄を指していないと解釈することも可能である。

勿論、普通に読んでそのように解釈出来ると謂うことは、J−CASTニュースの側でも「三紙の記者が撮影した」と解釈していたのだと考えるのが妥当だろう。しかし、実はこの二つの事柄は別の話だったと謂うことではないかと思う。

「マスコミに対して、取材拒否の考えを再三伝えていた」と謂うくだりも、この書き手自身が「病院内での取材自体を拒否していた」と解釈していたのではないかと思う。それは前述の通り、たしかにセンター長のブログの書き方自体が紛らわしいものだったと謂う事情もあるのだろうが、要するに関係者全員の主張を聞いたこの書き手が全体的に整合する絵を描けなかったから、実在しない対立軸が存在するかのような書き方になってしまったのではないだろうか。

では、三紙はセンター長やセンターに対してどのような対応を求めているのか、と謂う記述を見てみよう。

 朝日や読売の広報部では、この訂正や修正では納得しておらず、さらに病院に対応を求めていると明かした。朝日の広報部は、「記者がその場にいなかったと、ブログをきちんと訂正してほしいと思っています。センター側には、記者の名誉を回復するように申し入れています」と言っている。

 毎日の広報担当は、「ブログの弊社に関する部分は24日午後に書き換えられており、但馬救命救急センターも誤解の記述だったと認識したものであると理解しております」とコメントしている。

朝日と讀賣は「霊安室前で撮影したのは自社の記者ではないとハッキリわかるように訂正してくれ」と言っているわけだが、毎日は「この修正で十分だ」と理解しているわけである。要するに、センター長が紛らわしい書き方をしたから、ちゃんとわかるように直してくれと言っているわけである。その意味で、実は二四日のエントリが書かれた時点でもう話は終わっていると解釈するのが妥当だろう。

センター長が言っているのは「病院側がやめてくれと言ったことをしたり、そこには行かないでくれと言った場所に行った記者がたくさんいて、無規律で無神経な取材が行われた」と謂うことであって、病院内での取材は最初から全面禁止されていたわけではなかったのだし、三紙の名前を挙げて非難したのは霊安室の件とは別件である、こう謂う解釈になるだろう。

それに対して三紙は「自分たちは病院側の指示に従っていたし霊安室前には行っていない」と言っているのだし、「自分たちが霊安室前で撮影したように読めるから、書き方を訂正してほしい」と言っているのである。最終的には、指示に従わなかった他社の記者がたくさんいたせいでマスコミ関係者に退去が要請され、それでマスコミ関係者は全員追い出されたわけである。その解釈に矛盾することは何も書かれていない。

つまり、センター長と三紙の間の問題は、単にブログの書き方が紛らわしかったと謂うだけの問題であって、互いの主張は整合しているし、筋の通った絵は描ける。

問題がややこしくなったのは、センター長のブログの書き方がわかりにくかったということと、さらにJ−CASTニュースの書き手が関係者それぞれの証言をつなぎ合わせて全体像を構築する労を怠ったから、と謂うことになるだろう。見出しの附け方や記事の書き方を見ても、この記事の書き手がこの一件の全体像をまったく理解していないことがわかると思う。

基本的にこの問題においては、霊安室前で無神経な撮影を行ったのが三紙の記者であるかどうかと謂うのはどうでも好い論点である。狼藉を行った記者を特定して非難・糾弾してどうにかなる問題ではないのだし、実際にそのような行為をした記者がいる以上は問題の所在にまったく影響しないからである。しかし、そう名指しされていると謂う誤解を招くと、名指しされた当事者は「どうでも好い」で済ませるわけにもいかない。

であるから、センター長が不用意に舌足らずな形で具体的な社名を出して批判したのが軽率であったと謂うだけのことで、問題全体の構造には変化がない。

まあ、これはオレ以外の人間にとってはどうでも好い論点だろうから結論として持ってくるのもアレなのだが(笑)、オレはこの問題はセンター長が句読点をカンマとピリオドで代用していることが拙かったのだと考えていたりする(笑)。

元々横書きの日本文では、句読点としてカンマ(,)と読点(。)を用いると謂うのが本来の用法ではあるのだが、医者や学者は論文では欧文と同様にカンマ(,)とピリオド(.)を句読点として用いるものなので、センター長がカンマとピリオドを句読点として使用しているのは職業柄の都合で仕方がないのだが、これはPC上のフォントで見ると極めて視認性が悪く、とくに老眼の読み手には区別が附きにくい。

ブロック全体が短ければそれほどでもわかりにくくもないが、長い複数の文章で構成された大きなブロックでは、普通に文章を読み下す速度でカンマとピリオドを識別するのはエラーが多くなる。句の切れ目と文章の切れ目の識別に問題があるから、「ぎなた読み」と同様な理屈で誤解を招きやすい。切れていない箇所で切れていると思い込んだり切れている箇所で続けて読んでしまったりする。そう謂う意味で、カンマとピリオドを使っているセンター長の文章は基本的に文章の切れ目がわかりにくい。

また、センター長の文章にはちょっと癖があって、たとえば

当然,院内や病院敷地内に勝手に入り込み,勝手に取材,写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし,取材拒否の旨をきちんと伝えております.

…と謂う部分、自然な文法では「取材を拒否する旨」とキチンと動詞形で記述すべき部分を名詞形で代用しているので、「院内や病院敷地内に勝手に入り込み,勝手に取材,写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし」と謂う記述を受けて「そう謂う記者には取材を拒否すると伝える」と謂う意味であることが伝わりにくい。「取材拒否」と謂うのはそれ単体で解釈出来てしまうから、「勝手に入り込んだ記者には病院内での取材を全面的に拒否していることを伝えている」と謂う意味に解釈出来てしまう。

まあ、そんなことをくどくど解説しているとキリがないのでこの辺にしようかと思うのだが、結局この件はよくある伝言ゲームで矛盾や対立が存在するかのように見えてしまうと謂う、よくある幻想に過ぎないと謂うのが現時点の結論である。

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