モフモフ療法学会は諸君を求む
よんどころない事情があって、今回は激しく内輪ネタの悪ふざけである。そう謂うのが不快に感じられるような方や「嘘を嘘と(ry」な方は、お読みにならないほうが精神衛生に好いのではないかと予め申し上げておく次第である。
…と謂うか、目下オレが一番怖れているのは、その「内輪」の人々が怒り出すのではないかと謂う最悪の事態なのであるが、書けと言われたんだから仕方がない(笑)。
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よんどころない事情があって、今回は激しく内輪ネタの悪ふざけである。そう謂うのが不快に感じられるような方や「嘘を嘘と(ry」な方は、お読みにならないほうが精神衛生に好いのではないかと予め申し上げておく次第である。
…と謂うか、目下オレが一番怖れているのは、その「内輪」の人々が怒り出すのではないかと謂う最悪の事態なのであるが、書けと言われたんだから仕方がない(笑)。
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オレだってオーズは観ているんだぜ、ただしサブタイトルオンリーだけどな…と謂うことを言いたいだけのタイトルであるが(笑)、中身は結局ホメオパシー問題である。
識ってる人は識っての通り、年末間際になってJPHMAの壁新聞が更新されたのであるが、中身は相変わらずと謂うか、何処を切っても寅子節全開である。ミクシで我が式神とこれについて話してみたんだが、どうやら由井寅子がアピタルのプリントアウト片手に散々毒突いたものを手下がテキストに起こして適当に刈り込んだものじゃないかと謂う辺りで見解が一致した。
そう考えると、報道内容の全文引用とか全体の文章構造や論理性が緩くてダラダラ長いと謂う特徴について説明が附く。どうもあの文章の性格からして、書き言葉ではなく話し言葉が元になっているように思えるし、部分部分で論理がまったく一貫していない辺り、テキストで作成して推敲したらそうはならないような気がする。
いずれにせよ、文章全体から漂ってくる強烈な寅子臭からして、あの文章の「作者」が由井寅子自身であることはほぼ間違いないだろう。そうだとすれば、そもそも話し言葉だろうが書き言葉だろうがこの人の場合は全然違いがないだろうから、上記のような推測そのものが虚しいわけだが(笑)。
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たとえば、と或る家族がクリスマスで賑わう街に出掛けて食事を楽しんだとする。その帰り道で、屈強な大男が搦んできて果てには殴り掛かってきたとする。父親は家族を護ろうと格闘したが、その大男は体格が優れているばかりか格闘技の心得もあり、必死に防戦する父親を殴り倒し、あろうことか無力な妻子も傷附けたとする。
後日父親はこのことを悔やんで「俺の力不足だった。俺がもっと強ければ妻子を護れたのに」と吐露したとする。それに対して赤の他人が「そうだ、あんたが常日頃からもっと身体を鍛えて誰にも負けないくらい強くなっていれば、妻子に危害が及ぶのを防げたはずなのだから、あんたはそのことを反省すべきだ」と言ったとする。
普通、誰もこんな言い分が正しいなんて思わない。この父親がどれだけ身体を鍛えていて格闘に強かったとしても、世界一強くなったのでない限り、もっと強い人間に暴力を揮われたら意味がない。
問題の所在は、父親が格闘に強いかどうかではない。われわれが生きているこの社会においては私的な暴力を揮うことが禁止されているにもかかわらず、何の罪科もない他人に対して理不尽な暴力を揮ったことが問題なのである。社会は個人に対して私的な暴力の行使を禁じると同時に、そのような暴力から個人を防衛し損害を回復する責任を持っていて、それを信頼しない限りこの社会を生きることは出来ない。
そして、この父親の悔恨とは、そのようにして生きる以外に術はないとしても、自分が身を挺してでも妻子の安全を護りたかったと謂う意味であって、そのような悔恨に対して赤の他人が「護れなかったあんたが悪い」と言えた筋合いはない。
社会に対する信頼は、それを裏切ることが間違っていると謂うだけで、裏切られることを予期して備えておかなかったことが間違っているわけではない。殊に医療分野のような高度に専門的な領域に関しては、専門家への信頼がなかったら、誰もが医者に匹敵するくらい勉強する以外には自身の安全を防衛すべき術がない。
同様に、欺罔の悪意を持って近附く者は、相手が「識らないこと」を探してその弱みに附け込むのであるから、原理的にこの世のすべての知識を知悉していない限り誰でも必ず誰かに騙される可能性を持っている。
騙された人間はそのことによって損害を被るのであるから、その損害を惜しんで「それを識ってさえいたら」と悔やむだろうが、それはつまり「詮ない繰り言」である。その当事者的立場における切ない自責に、真顔で乗っかって赤の他人が「識らなかったおまえが悪い」と責め立てるのは愚か者のすることである。
勿論これは、早川由起夫は愚かであると暗に当てこすっているのであるが。
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水嶋ヒロ受賞の一報を耳にして、オレがまず想ったことは、更めて披瀝するにも及ばないだろう。何と謂うか、下司の勘繰りと誹られても仕方ないが、「ああ、こう謂う筋書きになってたのね」としか思えない。
ポプラ社と謂うのは一応身許の確かな版元だと思うが、「ポプラ社小説大賞」と謂う文学賞に関しては、賞金二〇〇〇万円の大型文学賞の割には世間的な認知度が殆どゼロ、第一回の募集で受賞者が出たきり、第二〜四回までの三年間大賞該当作なしの状態が続き、第四回に至っては大賞、優秀賞共に該当作なし。
今回二〇一〇年の第五回は、大賞を水嶋ヒロが獲ったが優秀賞の該当作はなく、特別賞と奨励賞のみ、そしてヒロは賞金を辞退と謂うことになれば、つまり第一回大賞受賞者の方波見大志以外一度も実際に二〇〇〇万円の賞金が支払われたことはないと謂うことで、その後の二回は優秀賞の五〇〇万円しか支払われず、第四回に至っては優秀賞すら該当作がなく、第五回も大賞受賞者は賞金辞退で優秀賞は該当作なしなのだから、実質的にはやっぱり同じことである。
つまり、「二〇〇〇万円の巨額賞金」なんてのは「見せ金」みたいなものである。
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休日に歩き回るようになってから、休憩を取る為に少し時間を潰す必要が出て来た。これはつまり、往路で大体二時間くらい歩いたら、復路でルートを変えてもやっぱり二時間前後歩くことになるわけだから(笑)、往復四時間連続で歩き続けるのは流石に無理があるので、間に一時間くらい休憩を入れるわけである。
それで最近ちょっと読書の習慣が戻ってきて、通勤電車や勤め先でも空いた時間に本を読む時間が増えたのだが、先日は新書版の落語関係書籍を二冊買って読んでみた。一冊は堀井憲一郎「落語論」で、もう一冊は柳家花緑「落語家はなぜ噺を忘れないのか」であるが、結論から言えば両方ともそれなりに面白く読むことが出来た。
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…皮一枚の仕業やちゅうて。
勿論このくだりは「皮に善し悪しがあるわいな」と続くのであるが(笑)、その「皮の善し悪し」について考えるとすっかり気が滅入ってしまうのが、小阪由佳激太りの一件だよなぁ。いや、「今頃その話?」とか言わないように。
世間的にはすでにもう半年以上前の話題らしいんだが、オレはつい最近耳にして「ホンマかいな」と思って検索してみたら、何だかエラいことになっていた。普通、芸能人の激太りってのは「芸能人として喰っていけないレベルで体型が変わった」と謂う意味だと思うんだが、この場合は一般人レベルで視ても十分肥えている。ポッチャリとか丸くなったとかそう謂うんではなく、肥り方がその辺の肥満女性のようで醜いんだよなぁ。
あれだけ腹廻りに大量の脂が附いたら、一念発起して痩せても皮が弛んで皺になるだけだろうから、もう人前には晒せない身体になってしまったのだなぁ。若くてスレンダーだったグラビアアイドルが、ちょっと見なくなったと思ったら一年かそこらの間にあれだけ変貌出来ると謂うのは、人間の容貌なんてのはその程度のもんだろうとわかっていても衝撃的ではある。
綺麗なお姉さんでも油断するとキタナクなると謂うことが衝撃なんではなくて、人間の容貌が損なわれるにはそんなに苦労が必要ないし、一旦損なわれた容貌は取り返しが附くとは限らないと謂う事実が、そんなことはわかっていたつもりでも、何だかキビシイなぁとか思ったりするわけである。
このヒトもいろいろ紆余曲折あったらしく、少々メンタルを病んでいるんではないかと謂う話もあるんだが、あんまりシアワセになれそうな気がしないけど、まあ最低限「親から貰った命は大切にしてください」としか言いようがないなぁ。
とりあえず、小池里奈には結婚して引退するまで精々肥らないでいて欲しいと願うオレなのであった。結婚して引退するのが三年後とかでも別に文句言わないけどな、差し当たり来年のカレンダー買っちゃったから、少なくとも来年一杯は肥るな(笑)。
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先般のエントリのコメント欄で済ませようかとも思ったのだが、一応一連のパンカテゴリのエントリ群を総括する意味でも独立したエントリを立てたほうが好いだろう。
最初はちょこっと新体制についてのコメンタリーをするだけのつもりだったのが、こんなコストを掛けて書き上げても誰も褒めてくれないようなエントリ(笑)を、延々二週間余もひねくり回しているうちに、相当膨大化してしまったので、ちょっと重複や堂々巡りの多い内容になってしまったが、その辺はご容赦願いたい。
さて、先週一〇月四日月曜からいよいよ生野陽子のメインMC体制がスタートしたわけであるが、蓋を開けてみれば、コーナー構成は前季とまったく同一で、要するに高島彩が卒業企画で取材旅行に出て一週間不在だった九月一三〜一七日の放送とまったく印象は同じである。
まあ、これはオレの勇み足で、高島彩が大抜擢を受けて華々しく新体制がスタートした前後のOAの録画なんか流石に手許にはない(あっても押し入れのVHSカセットの山から掘り出せない)し、パッとわかりやすく参照可能な内容変遷の記録もネット上で拾えなかったから確認は出来ないが、メインMCの交代と大幅なコーナー構成の刷新を同時にやると決まったものでもないだろう。
一〇月期の段階では一旦内容改変を控えて「高島彩の代わりを生野陽子が務めることになりました」と謂うお披露目を重視すると謂うことなのかもしれない。何を謂うにも、これまではメインMC交代のような大きな節目は必ず四月期の新年度に行われてきたにもかかわらず、今回は何故か(まあ主に「大殺界」とかの都合だろうが)一〇月期と謂う半端な時期に行われたことも関係しているだろう。
生野陽子メイン・加藤綾子サブと謂うツートップの人事異動以外は何ら変化がなかったのだから、当然先般予想した「皆藤愛子降板」なんて大きなイベントもなしで、何と謂うか、気味が悪いほど平穏裡に「ポスト高島時代」は幕を開けたのであった。
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週が明けてめざましテレビの新体制がスタートした時期であるから、一連のめざまし関連の考察についての現時点におけるまとめは後でアップするが、以前パン5のコメント欄で、オレはこんなことを言いましたともさ。
ところが、現時点で振り返るなら、高島彩の降板が既定事項であった今春の入社である新人女子アナである細貝沙羅と山崎夕貴の二人に関しては、どちらも山中章子程度にはアイドルっぽいにもかかわらずパン枠の話が全然来なかったわけで(笑)、サラパンもヤマサキパンもなしで、最早パン枠の必要性が消滅したことがあまりにもロコツに明らかになっている。
…なんか、あんまりロコツなのはよくないと反省したみたいで、ホントにやるみたいですよ、ヤマサキパン(笑)。
フジテレビの山崎夕貴(23)、細貝沙羅(24)の新人女子アナウンサー2人が5日、都内で、それぞれ初レギュラー司会となる「ヤマサキパン」(18日スタート、月〜木曜深夜0・35)、「アナ★バン!」(17日スタート、日曜深夜0・40)への抱負を語った。
人気女子アナが出演してきた“パン”シリーズ第6弾に抜てきされた山崎アナは、番組ゲストに歌手・福山雅治(41)を熱望。「私の愛で包みたい」と目を輝かせた。細貝アナは「“ラブリー沙羅”と呼ばれたい」と大胆発言。応援で同席した加藤綾子(25)ら先輩アナをあきれさせた。
…なんつーか、CXの関係者が当ブログを監視しているんじゃないかと思えるくらい絶好のタイミングの卓袱台返しである(笑)。
また、以前パン2では、「『アイドルっぽいほうがパン枠に行き、地味なほうがアナログ・アナバン枠に行く』の法則」と謂う言い方をしたけど、今年の山崎と細貝に関してはアイドル性についてはおっつかっつなんでどっちがどっちでもおかしくないんだが、結局地口としての面白さでヤマサキパンになったんだろうねぇ(笑)。
ただ、どうも山崎夕貴って、入社して半年も経つ今頃になってもまだ手に持った原稿が激しく揺れるくらいのアガリ症なんだが、ゲストと一対一のトーク番組なんか持って大丈夫かねぇ(笑)。
細貝沙羅に関しては「音痴」と謂う以外のキャラ附けがないようだが、天然さんなところもあるようなので、まあアナバン枠で正解だろう。記者会見の写真で見ると、露出度の傾向がこれまでと逆になっていて、ヤマサキパンのほうがフトモモを出していて沙羅お姉さんのほうが大人しめになっているが(笑)。
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そう謂うわけで、明日のOAを以て高島彩がめざましテレビを降板するのであるが、週明けからの新体制を睨んで昨日水曜にひっそりと坂本祐祈が降板している。このヒトも調べてみると結構変わった経歴の持ち主で、
2008年、日本テレビにアナウンサー職内定を辞退し営業職入社(小熊美香、加藤聡、佐藤義朗らと同期)。同年10月に退職、セント・フォース所属となる。
…と謂う不可解な経緯を経てセント・フォース入りしていて、これにどう謂う意味があるんだかイマイチ理解出来ない。日テレにアナウンサー職で内定を貰ったと謂うなら最初からアナウンサーとして入社試験を受けたんだろうが、なんでそれを辞退して裏方の営業職で入社したんだか、サッパリわからない。
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