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Act.14 死の棘は何処にかある

ええいやあ 朝からもらい泣き ちすん(木亥火暴!!)。

…というわけで、今回舞原ローテの隠し味は、悪魔の棲む家エクソシ
スト
ドラキュラの花嫁などのホラー映画へのオマージュという認識で
よろしいか。

エクソシストのクライマックスで、リーガンやメリン神父の吐く息が白
く見えるのは、巨大な冷凍室内に寝室のセットを組んで、俳優の背後に
小さなライトを隠しておき、息を吐く度に息にだけライトを当てて撮っ
たそうだが、今はCGで何でもできる世の中なんだねぇ。

そういえば、前回の予告にあった「いつもうさぎちゃんが心配してくれ
て…助けてくれて…でも、私だってうさぎちゃんを守れる
」というセリ
フ、今回は本編中になかったね。撮影までされていながらカットされた
まこちゃんのリップとは違って、予告オンリーの一種のナレーションと
とるか、またしても脚本からカットされた一連があったと視るか、微妙
なところだな。

もしも後者だとすれば、今回はある程度尺を調整する余裕があったはず
だから、舞原監督の個人的な資質として、あまりセリフで内心を語る芝
居が好きではないのかもしれないね。

さて、今回はヒロイン存亡の危機という久々の大ネタで、うさぎを守る
ために三戦士とタキが奔走するという感動編。予想どおりうさぎと亜美
ちゃんの交流が主軸に据えられていながら、背後に隠れたレイ・まこ、
タキのそれぞれの動きが、主軸の二人の交流を妨げない範囲で効いてい
るという、理想的なバランスだった。

まさしく今回は、Act.5 で残された棘に対する直截のアンサーであると
ともに、ここまでに築かれた仲間たちの交流の決算でもある。おそらく
は一から十まで舞原監督のネタ出しであろう、クラウンの新年会シーン
の素晴らしさはどうだ。

書き初めに表れた各人のキャラクターでクスリと笑わせ、各人のイメー
ジカラーで揃えた和装の艶やかさで華を出し、舞原監督十八番のテンポ
好いバラエティ描写で描かれた新年会の模様は、すべてがこれまでのエ
ピソードの落ち穂拾い。ここはつまり、それをそれと描かずして描かれ
た回想編だ。

あの辛かったパジャマ・パーティで、亜美ちゃんが無理を押して独りで
歌った「セラヴィー」を、この仲間たちの前で、うさぎと共に歌うのな
ら、ただひたすらに夢のように愉しい。

あのとき渡せなかったプリンを、今は二人も増えた仲間と共に食べられ
る喜び。「おいしい!」と無邪気にはしゃぐうさぎを見ると、「ああ、
あのとき亜美ちゃんが望んでいたのは、こういううさぎのリアクション
だったんだなぁ」と今さらに想われて、時経てそれが実現したことの嬉
しさに、すでにもうオジサンは涙さしぐむ有様だ(木亥火暴!!)。

カラオケ嫌いを標榜するレイちゃんが、テーブルの下でロリポップを無
意識に振ってリズムをとる描写、実現したAct.6 では棄てられた「リッ
プに照れるまこちゃん」の描写の復活などもさりながら、ジェンガに興
じる亜美・レイをうさぎの悪のりが邪魔するという配置の妙も抜かりな
く押さえている。

亜美ちゃんエピソードでは、亜美・レイの関係性も重要な要素となるだ
けに、亜美ちゃんの私室内の写真の構図も含めて、この二人の間の関係
性に意識を向けるナビゲートを入れるのは、棄て目が利いている。

そして、ナコナココスプレを何故かドスの利いた低音で仕切っているレ
イちゃんの姿や、まこちゃんとルナが、しっとりしたバラードをノリノ
リでデュエットすることには、一々納得の行く因縁がある。不良たちに
嘲られ、雨に打たれて佇んでいたまこちゃんの姿に接して、使命を離れ
て戦士たちを召集したルナの女の子らしい優しさが記憶に蘇る。

深読みをすれば、不自然にまこちゃんが抜けたエピソードで披露された
美奈子の新曲をまこちゃんが歌い、それをだれも聞いていないというの
は、一種のセルフパロディ、楽屋オチといえるかもしれないね。

小気味好いテンポでコミカルな雰囲気を出しながら、さりげなく描写上
重要な要素を印象的に織り込んでいく、舞原監督お得意のスタイルの集
大成となった名シーンといえるのではないだろうか。これだけ的確に各
要素を扱えるからには、舞原監督は自身の演出回以外にも全話を注意深
く観ているとしか思えない。

この辺りが、たかま……いや、もういなくなった人の悪口はやめておこ
うじゃないか(木亥火暴!!)。

この新年会の場面は、繰り返しになるが夢のように愉しく幸福だ。これ
までの各人のエピソードで、個々のキャラクターの抱える問題を象徴し
て印象的だった要素が、すべて嬉しい方向で意味附けられてリファラン
スされている。幸福というのは、こういうことなんだ。すべての過去の
経緯がポジティブな方向で落ち着いて、心地よい気分に浸ること。

だが、これは夢だ

現実には、苦い悔恨なしにすべての因縁がポジティブな方向で落ち着く
ことなどあり得ない。二週間のブランクを措いて、待ちに待っていた視
聴者につくり手たちが見せたのは、こういう美しい初夢だった。現実に
はあり得ないほど素晴らしい幸福の夢だからこそ、比類なく美しい。

その意味で、この幸福な夢の宴のデザートにプリンを持ってきたのは、
亜美ちゃんエピソードであることの目配せという以上に的確だ。あのと
き見られなかったあの人の笑顔を、時経て見られるようになったこと、
これはいちばん嬉しく甘い夢だ。そしてその人から、あなたたちが大好
きだとわかりやすい言葉で気持ちを語ってもらえること。人と人との関
係において、絶対的に幸福な夢がここにある。

この幸せの夢の頂点を待っていたかのように、ドラスティックに事件は
起こる。この劇的対比の持つ緊迫感は絶大だ。そしてオレたちは、こん
なふうにして、「愉しいパーティ」の最中に倒れた人をもう一人知って
いるはずだ。そう、Act.5 のパジャマ・パーティで倒れた亜美ちゃんの
ことだ。

あのパジャマ・パーティで亜美ちゃんが倒れ、「愉しいパーティ」の夢
は破れた。パーティの表面的な愉しさは、亜美ちゃんが無理を押して周
りに合わせていたための見せかけのものであったことが判明し、彼女の
自己変革の欺瞞性が明かされ、なるちゃんは不審を感じつつ帰宅し、う
さぎと亜美ちゃんの間には、決定的な亀裂が刻まれてしまった。

あの場で亜美ちゃんが倒れたことで、亜美ちゃんの真実が赤裸々に暴露
され、その場の人間がバラバラになってしまったわけだ。そして、この
夢の新年会でも、うさぎが倒れたことで残された三人はバラバラに散る
のだが、それは各人が各人にできることを懸命にやり抜くためだ。

まこちゃんは走り、レイちゃんは祈り、亜美ちゃんは夜通し附き添って
看病する。体力オバケと、祈り屋と、医者の娘にできる最善のことをや
るために、三人の少女は懸命に奔走する。このところは、棒読みが一種
の味にまで感じられるまこちゃんだが(笑)、今回の「うさぎ、絶対妖魔
なんかになっちゃだめだ!」というセリフは抜群にいい。少ない出番な
がら、レイ・まこの渾身の演技には気迫が漲っている。

あのとき倒れた亜美ちゃんをうさぎが看病したように、今度は亜美ちゃ
んが、うさぎの枕頭に就いて汗だくになりながら必死の看病に励む。こ
れは、新年会の描写がこれまでのなぞらえであったのと同じく、いよい
よ亜美ちゃんとうさぎを主軸に据えた流れへ入るためのAct.5 の再話と
いっていい。

たとえば、Act.5 についてオレが以前くどくどと語ったようなことが、
そっくりそのまま、まったく別の意味附けを施されたうえで繰り返され
るわけだ。

亜美ちゃんが育子ママに嘘を吐いたことを気に懸けるのは、たとえば彼
女が月野家を訪れたAct.3 の、うさぎと育子ママの戯れを見る亜美ちゃ
んの気持ちを思い出せばいい。たかまる演出ではよく判らなかったけれ
ど(木亥火暴!!)、うさぎと母親の屈託のない戯れに、亜美ちゃんは疎外
感を感じていたはずだ。

月野母子の間に持たれている自然な絆、人間関係におけるそうした自明
性とは無縁だった亜美ちゃんは、どうしても入り込めないものを感じて
いたはず。それが、今回の成り行きでは、亜美ちゃんとうさぎの間で持
たれた秘密から育子ママを弾き出している。母親に嘘を吐くことは、子
どもたちが子どもたち自身の関係性を主軸に置いて生きていく、大きな
きっかけとなるアクション
だ。

当然この一連には、なるちゃんが入って来なければ平仄が合わない。

欺かれた育子ママを媒介に、畳み掛けるようになるちゃんを絡ませて、
やはり同じく二人の秘密からなるちゃんを排除している。これは秘密の
共有に基づくうさぎの独占であると同時に、育子ママとなるちゃんに対
する思いやりの側面もある。

亜美ちゃんは、うさぎを見詰めることで結果的に育子ママやなるちゃん
へも真摯に目を向けるようになっている。単に「私とうさぎちゃんだけ
の問題だからほっといて」ではない。ここで描かれている亜美ちゃんの
進境は著しいものだ。

大人に対して善意の嘘を吐き通すこと、相手を思いやって弁解をしない
こと、これは他者のために積極的に辛さに耐える姿勢だ。「自分のこと
をもっとわかってほしい」「自分の辛さを取り除いてほしい」という、
子どもらしい欲求とは正反対の強さだ。

Act.5 のときにその欠落を惜しんだ「自発的なアクション」が、期待以
上の強さで表現されている。あのときは、亜美ちゃんもうさぎも、自分
の辛さを優先してぶつかり合ってしまったが、今回は、少なくとも亜美
ちゃんは自分の辛さを耐えて、うさぎはもとより、周囲の人々をも思い
やっている。

奪い去られたうさぎを奪還するために乗り込んだ洞窟の決戦は、Act.5
の「よくも亜美ちゃんを!」の一言でうさぎが弱敵を瞬殺する場面とは
対照的に、最強の敵を相手に何度も泥にまみれながら「うさぎちゃんを
返して!」と叫びながら立ち上がるという描き方になっている。

結局マーキュリーの力では、強敵を倒してうさぎを奪還することはでき
なかったが、必死の叫びがうさぎの心に通じて、うさぎが内面の戦いに
勝利するきっかけをつくった。

畢竟するところ、これは一種のテレパシーといってもいいわけで(笑)、
デリケートな心の問題を超能力で解決するのはどうなんだと思わないで
もないんだが、これをダイアログでは「大きな声」と表現している。

この一夜を通して、亜美ちゃんがやり抜いた健闘がきわめて強いもので
あったからこそ、うさぎを呼ぶ声が「大きな声」であったということ、
これは自然に了解できる。思いは通じるんだということだね。

Act.5 でオレが引っ懸かった最大の問題は、うさぎと亜美ちゃんの間に
横たわる無理解の冷たさが払拭されていないことだった。うさぎと亜美
ちゃんはあまりにもその来し方が異なるがゆえに、本当の意味で相手の
気持ちを理解するところまでは行っていなかったと思う。

もちろんあのときコメントしたように、これほどに懸け離れた生い立ち
の少女たちが、劇的なきっかけを介して、真の意味で互いを理解し合う
という筋立ては、一種リアルではない。だからこそ、心の鎧となってい
た眼鏡を自然に外せたとか、みんなが「亜美ちゃん」と呼ぶようになっ
たとか、そういう微温的な落とし所が腑に落ちたわけではある。

ただ、個人的には、あの結末ではうさぎと亜美ちゃんの立ち位置の違い
がハッキリしただけのように感じられていた。そこから一歩進んで、理
解し合えるという希望を仄めかすところまで行ってほしかったのだが、
うさぎがいつものように友人たちと昼食を囲み、亜美ちゃんは屋上に戻
るという絵面が、少し冷たすぎるように感じられた。

それはつまり、うさぎがいつものようになるちゃんたちと昼食を食べる
のは居心地良いだろうけれど、亜美ちゃんが屋上でサンドイッチを囓る
のは、決して居心地の良いものではなかろうから
だ。あの時点のうさぎ
と亜美ちゃんは、単に別々の場所にいるというだけではなく、気持ちの
うえでも別々の地点にいたはずだ。

結局それは、あのエピソードでは、今回の亜美ちゃんの健闘に匹敵する
ような、辛さに耐えて行う自発的アクションが描かれていなかったから
だろう。それが本当に今後十全な形で埋め合わされるのか、正直な話、
オレは結構不安に感じてはいたんだね。

しかし、今回の亜美ちゃんは、オレの予想を遙かに超えて自己超克の努
力を敢行し、うさぎのために尽力した。圧倒的な強さを見せ附け、セー
ラー戦士の非力を嘲るクンツァイトの必殺の斬撃を、とにかく一度は独
力で凌いでみせた。

念ずれば通ずは絵空事で、この最強の敵に今この場でマーキュリーが勝
利できるものでもない、そんなことはだれでもわかる。しかし、この泥
まみれの努力が報われないわけがない、報われてほしい。死に物狂いの
奮闘も及ばず敗れ、友を奪われる悔しさを、天が救わぬはずがない。こ
ういう視聴者の期待があるからこそ、拍子抜けともいえるうさぎの覚醒
が感動を呼ぶ。

念ずれば通ずは絵空事でも、人と人の間で、想いは通じるものなんだ。
マーキュリーがクンツァイトに勝てなくても、亜美ちゃんの想いはうさ
ぎに通じたし、それゆえにうさぎはクンツァイトの妖術に勝利した。

クンツァイトが、とくに劣勢でもないのに、ありきたりのムーン・トワ
イライト・フラッシュを浴びて逃げ去ったのは、絶対の自信を持つ妖術
が破れ、動揺したからだろう。これは、セーラー戦士がクンツァイトに
勝利したのと同じことだ。

怒りの籠もった一撃で風船怪人を倒したバトルでは得られなかった、情
緒面でのカタルシスが、ここにはある。

で、今回の話を通じてうさぎが亜美ちゃんを理解するようになったかと
いうと、それはそうでもないんだな。ただ、そんなことはもうどうでも
いい地点にまで、この二人の距離は近附いているといえるだろう。

人と人の間の事柄で、たとえば相手が今どんな気持ちでいるのかとか、
どんなことを考えているのかとか、そんなことがわかれば理解し合えて
いるとはいえないだろう。肝心なのは「大きな声」が通じること。頭で
どうこうということではない、気持ちを察するということでもない、大
事なときに声が通じることが大切なんだ。

この落とし所なら納得できる。

ある種、恋愛関係のメタファーで描かれたAct.5 の落とし前として、今
回の亜美ちゃんは少しだけ大人になって、うさぎ以外の人々にも思いを
致せるようになった。形のうえではうさぎを独占したけれども、それを
媒介として育子ママやなるちゃんを思い遣るようになった。形式的に独
占することによって、独占欲を昇華することができたのだ。

オフで流れる数瞬の回想が、すべてうさぎとの肉体的接触を伴う甘美な
映像であったり、覚醒したムーンがやはり亜美ちゃんの顔の泥を手ずか
ら拭ったり
、底流としてのエロティックなニュアンスは残っているもの
の、そうしたエロティックなモティーフを友情として昇華できる地点に
まで、亜美ちゃんというキャラクターは成長した。うさぎが「亜美ちゃ
んらしくていい」と認めてくれた「うさぎちゃん」という呼びかけで、
亜美ちゃんは見事にうさぎを奪還したのだから。

そしてまた、うさぎがみんなのことを「大好き」と叫んだ声に、みんな
が「うるさい」とリアクションを返したように、みんながうさぎを呼ぶ
声に、うさぎは「うるさい」とリアクションを返して覚醒した。

エピローグで、忘れていた宿題に気附いてみんなに手助けをねだるうさ
ぎから、みんなが「逃げろ」と駆け出す幕切れ。

今回のエピソードには、オレが常日頃「美しい対称」と表現している構
図が満ちあふれている。これまで語られたエピソードのさまざまなポイ
ントや、今回のエピソードそれ自体のうちにリンクされた、有機的な対
称が美しく効果的なパターンをつくっている。

さしあたりオレの心に刺さったAct.5 の棘も、完全に払拭されたといっ
ていいだろう。

さて、亜美ちゃんとうさぎの関係性についてはこれくらいにして、他の
要素について視てみよう。亜美ちゃんとうさぎの間の葛藤は緩解したと
しても、今回新たに生起したのは、亜美・うさに対するなるちゃんとい
う構図だ。これもまた一種の対称ではあるのだが、Act.5 の時点では、
うさ・なるの自然な関係に接した亜美ちゃんが、彼女たちの関係の鋳型
に無理して自分を当てはめるという形になっていた。

しかし今回は、前回よりもなるちゃんの描き方が生々しくなっていて、
なるちゃんが亜美ちゃんのマンションに押し掛ける場面の絵面が、まさ
しく「修羅場」としか言い様のない形になっていた(木亥火暴!!)。

またしても下世話な表現になってしまうのが恐縮なんだが、なんだか愛
人宅に本妻が乗り込んできててんやわんや、みたいな絵面に見えて仕方
がないんだな(木亥火暴!!)。

だって、「うさぎ、いるんでしょ?」はねえだろう(木亥火暴!!)。

ここの畳み掛けは、かわちえの柄もあるんだろうけど、「変じゃない?
顔見せないなんて」「私が来たって言ってくれた?」「言ってないの?
私に会わせたくないわけ?」と、どんどん物謂いが喧嘩腰で生々しい方
向にドライブしていく。聞きようによっては、非常に傲慢だったり、亜
美ちゃんを侮っているようにも聞こえ、修羅場以外の何物でもない。

しかも、うさぎに貸したCDがどうしても必要だからといって、さして
親しくもない女の子の自宅に夜分押し掛けるというのは、ちょっと不自
然な気がする。

明日必要なCDなら、うさぎも亜美ちゃんも同級生なのだから、明日学
校に持ってきてくれと電話で伝えれば済む話だ。これはだれでも勘繰る
ように、うさぎが亜美ちゃんのところへ泊まると聞いたなるちゃんが、
不審に感じてわざわざ押し掛けてきたのだろう。

ここの芝居場が生々しいのは当たり前で、なるちゃんは当然自分がうさ
ぎのいちばんの親友だと「何の疑いもなく」思っているので、自分を媒
介せずに直接うさぎと亜美ちゃんがなかよくするのはおもしろくない。
亜美ちゃんのマンションを訪れたなるちゃんには、最初から敵意のよう
な感情が漲っている。

パジャマ・パーティの夜、亜美ちゃんに疎外感を感じさせたうさぎとな
るちゃんの関係の自明性が、意志的な努力の末に勝ち取られた亜美ちゃ
んのうさぎに対する友情と対比させられているわけだ。自然な関係は、
関係それ自体の脆さや無根拠さに無自覚であるがゆえに、他者に対して
傲慢な側面を持っている。

なるちゃんは、亜美ちゃんよりも自分のほうがうさぎと親しいのは「当
たり前」だと思っている。当たり前なんだが、最近なんだか放課後の附
き合いが悪くなったと不安には感じているだろう。多分、語られざる部
分でなるちゃんは苛立っているのではないか。

アニメ版のなるちゃんにも、そういうエピソードがあったような記憶が
あるけれど、実写版との柄の違いもあって、独り寂しくぽよ〜んと悩ん
でいたような気がする(木亥火暴!!)。

実際、亜美ちゃんエピソードでは必ずなるちゃんが対比上重要な役回り
を演ずるという規則性は、これで確立されたと視るべきだろう。しかし
Act.5 では亜美ちゃんが損な役回りで、今回のエピソードを俟ってよう
やくその解消が為されたわけだが、今後再び亜美ちゃんエピソードがあ
り得るとしたら、今度は亜美ちゃんとなるちゃんの関係を中心としたも
のにならざるを得ないのではないかという気がする。

それは、今回のエピソードでなるちゃんの問題が投げっぱなしとなるの
だとすれば、あまりにもなるちゃんが悪役っぽく見えてしまうからだ。
今回は、ドア越しのすったもんだですっかりイヤな女に見えてしまった
が、マンションを去る場面のモノローグで辛くもいつも通りのなるちゃ
んのラインをキープしていた。

ある種、うさ・なる、亜美・うさの関係性の対照が、自明性と意志性の
対比という側面もありつつ、その一方で、現世で獲得された友情と前世
で宿命附けられた絆という対比もある。さらに踏み込んでいえば、亜美
ちゃんとうさぎは、別に前世の宿命ゆえに友情を育んだわけではなく、
あくまで現世での関係性において新たに友情を結んだのだともいえる。

ただし、うさ・なるの関係性との対比において、亜美・うさの関係性に
一方的に重きを置いて描いてしまうと、現世対前世という構図が浮かび
上がってしまう危険性があるということだ。

別の見方をしても、うさ・なるの関係性は学園生活という日常の次元に
属し、亜美・うさの関係性は戦士としての戦いという祝祭の次元に属す
るという対比もある。パラメータをどのようにとっても、この二つの関
係性には対比が生じてしまう。そしてその対比は、どちらに軍配を上げ
るにせよ、一方を重視することで不健全な偏りが生じてしまう。

さりとて、Act.5 でうさぎが願ったように、なるちゃんとの関係性と亜
美ちゃんとの関係性が、そう簡単に一本化されるかといえば、それはう
さぎにとって一方的に虫が好すぎるだろう。なるちゃんと亜美ちゃんが
友だちになることは、単にうさぎにとって都合が好いというだけの話
あって、当人たちの意志を無視した期待だ。

あり得るとすれば、うさぎを媒介とした、なるちゃんと亜美ちゃんの直
接的関係性構築の線しかない。同じことをいっているようだが、「みん
なが友だちだったら嬉しい」という、うさぎ視点の問題ではなく、うさ
ぎという媒介者がいる以上、否応もなくなるちゃんと亜美ちゃんの間に
はすでに関係性が生じており、それを建設的な方向で構築すべく双方向
の努力が必要
だという意味だ。

それを、たとえば今回のように敵対の間合いにするか、和合の間合いに
持っていくかは、当人同士の問題であって、すでにうさぎの問題などで
はないし、亜美ちゃん個別の問題でもない。うさぎの友人としてではな
い大阪なると真っ直ぐ向き合う水野亜美という構図が成立するまでは、
健全な形でこの関係性が決着することはないだろう。

なので、オレの予測では、将来的になるちゃんの存在を大きく扱ったエ
ピソードが一本なければ、うさぎと亜美ちゃんを巡る物語は、真の決着
をみたとはいえないと思う。

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