« Act.14 死の棘は何処にかある | トップページ | Act.16  【Side-A】少女たちの眼差し »

Act.15 生霊たちの諍い

前回の鈴村ローテ辺りからの傾向として、要素を刈り込んで単純化する
ようになっていた流れのなかで、今回のエピソードは、久しぶりに複数
の要素が稠密に絡む複雑な構成だったね。

大筋では、大ネタの亜美・なる再戦の序盤戦と、うさ・まもが冒険を共
にする過程でさらに惹かれ合う筋立て、それにクイン・メタリア復活の
胎動、美奈子の側の動き、衛のお台所事情発覚と、センセーショナルな
小ネタがちりばめられている。

まあ、今回くらいのバランスならさほど気にはならない。前半が亜美・
なる対決序盤戦、後半がうさ・まも接近編とスプリットはしているが、
比較的エピソードの中心ははっきりしているし、緩やかな前後編という
ことで、今回のネタフリは次回回収されることがはっきりしている。

前回からの懸案である亜美・なる対決のほうから視ていくと、まあオレ
もあんまりマメに事前情報を拾うほうではないので、あんなコメントを
書いた直後
に、そのネタがフォローされるとは思いも寄らなかった。

対称と対照を基本に、粘着…もとい、丹念に時間をかけて描かれている
亜美ちゃんの物語だが、以前のコメントで予想したとおり、うさぎとの
友情に関しては、なるちゃんがキーパーソンとして常に亜美ちゃんと対
比して描かれている。

今回ものっけからなるちゃんは、「あの下駄箱の前」で屈託なく「うさ
ぎ、おはよっ」と挨拶しているが、これが「当たり前」なのがなるちゃ
んであって、それを「無理して」真似したのがAct.5 の亜美ちゃんだっ
たわけだ。その亜美ちゃんは、今は「無理して」いない。うさぎとなる
ちゃんが「自然に」会話している背後を、陰気にもっさりと横切って、
うさぎに挨拶されてから辛うじて挨拶を返している。

もちろん、この場面の亜美ちゃんが陰気なのは、前回、勢いで威勢のい
い啖呵を切った相手のなるちゃんを発見して萎縮しているからでもある
が、視聴者が学園内で眼鏡をかけている亜美ちゃんを意識して見るのが
久々だからでもあるだろう。仲間内の水星人の言によると、どうやら亜
美ちゃんはAct.5 以降も学園内では眼鏡を装用していたそうで、後で確
認したら、なるほど、ホントにそうだった。

金のかかる学園内のシーンが少なかったという事情もあるが、普段の亜
美ちゃんは眼鏡をかけていないので、てっきりAct.5 以降は学園内でも
眼鏡をかけないようになったのだと思い込んでいた。だから、眼鏡をか
けた亜美ちゃんがアップで画面を横切った瞬間、前回のなるちゃんとの
一件で、亜美ちゃんの姿勢が退行したのかと思ってしまった。

それほどまでに、この場面のなるちゃんは、怖い(木亥火暴!!)。

かわちえ、おまえ怖すぎ(木亥火暴!!)

それをまた鈴村が、たださえ怖いかわちえの眼クレをどアップで抜くも
んだから、怖さのあまり「これはもう刃物沙汰にまで行くね」「うん間
違いないよ」「七時五〇分頃には、なるちゃんが崖の上に立ってるね」
「たぶんBパートの冒頭には入浴シーンがあるんだよ」「うさぎの? 
亜美ちゃんの? それとも衛?」などと自分と会話を交わしてオチまで
附けてしまった(木亥火暴!!)。

今回の対決はAct.14の修羅場の雪辱戦という趣で、元々なるちゃんバー
サス亜美ちゃんではなるちゃんの圧勝ムード濃厚だが、Act.14でもわか
るとおり、亜美ちゃんのような柄の娘には「まさかの逆ギレ」という奥
の手の奇策がある(木亥火暴!!)。

なるちゃんのようなタイプの、自らの戦闘力に傲り圧倒的優位に胡座を
かいているような敵に対してはことさら効果的で、ひょっとして自分の
スカウターが壊れているのではないかという無根拠な躊躇を与え、怯ん
だ隙に話をまとめてしまう
という荒技だ(木亥火暴!!)。

ただし、今回の亜美ちゃんはすでに前回逆ギレアタックを放った後で、
グランドでも立ち技でもオールラウンドで戦闘力の高いなるちゃんに対
しては、圧倒的に無策である。あからさまに前回の意趣を含んだ当て附
けがましいなるちゃんの態度に接しては、びびりが入ってしまうのも無
理はない。

それをまた天下無類の無神経女であるうさぎが、火に油を注ぐように煽
るものだから、女同士の争いは今や一触即発、おめえ強ぇなオラなんで
かわかんねぇけどぞくぞくしてるぞやってみなけりゃわかんねぇみんな
の元気をオラにくれ状態である。

それほどまでに、この場面のなるちゃんは、怖い(木亥火暴!!)。

細かい話をすると、たとえば同じように振り向く目許のアップでも、次
回への引きの部分でレイちゃんが邪気を感じて振り向く場面では、黒味
を入れて目許だけトリミングしている。こういう撮り方だと、シャープ
なアニメ的効果が出て、怖いという印象には繋がらない。

目許だけ抜くという意味では、たとえばライダーのような横長の擬似ビ
スタなら、黒味を入れなくても同じようなシャープなクローズアップと
して見せられるが、スタンダードサイズのこの作品でも、たとえばクラ
ウン内のシーンでの亜美ちゃんの目許のアップはきれいにフレーミング
されている。なるちゃんの眼クレほどには生々しくは感じない。

なるちゃんの振り向く目許が生々しく怖いのは、動きのあるショットで
意図的に口許をフレームに掛けて、わざと画角を少し雑に切っているか
らだ。振り向く動作のすべてにおいて、中途半端に顔がフレームから切
れているので生々しい印象が生じるんだな。これはつまり、非常に近い
間合いで見た人間の視野に近いということだ。

人間の目は、いつもいつもきっちり美しく画角を切って対象物を視野に
入れ込めるような位置で構えているわけではないからね。このカットだ
け、人間の見た目に似せて撮られているから、生々しい印象が生じる
けだ。これは、手持ちを好むアクティブな上赤撮監のセンスなんではな
いかと思う。

この場面は、総じて今回のエピソード中でもかなり力を入れて撮影され
ているようで、単に季節が冬で天気が悪かっただけかもしれんが、照明
も若干アンダー気味になっていて、顔だけバウンスライトが当たってい
るような寒々しい絵面は、女同士の陰湿な腹芸に相応しいし、うさ・な
るの会話の途中で亜美ちゃんがフレームインしてくるまでのカッティン
グやカメラワークも丁寧だ。

火花の散るような亜美・なるの視線の遣り取りや、それに気附かずに亜
美ちゃんを誘ううさぎの傍らでなるちゃんがプイとそびらを返し、シャ
ロウフォーカスのなるちゃんの正面に切り返して、フレーム外のうさぎ
を引っ張っていく呼吸もいい。

この話題になると俄然活き活きしてくるヨゴレた中年男な自分がいやな
のだが(笑)、可愛い女の子同士がこれまた可愛い女の子を巡って嫉妬と
鞘当てでぶつかり合うという筋立てには、元から官能的なニュアンスが
ある。これはね、不思議なことに女性にとってもそうなんだと思う。

たとえば沢井美優演じるうさぎのような可愛い女の子に対して、浜千咲
演じる水野亜美ちゃんや河辺千恵子演じる大阪なるちゃんのような可愛
い女の子が「うさぎちゃんが好き、独占したい」と想う気持ちを想像す
る場合、男がちょっとうっとりしちゃうのはもちろん、女性の場合も少
し甘酸っぱい気持ちになっちゃうのだな。

これがマジモンの同性愛だと男女ともちょっとヒクんだが、亜美・うさ
問題に関してオレがいうようなデリケートな機微については、女性には
大いに心当たりがあるものらしい。元来女性というのは、基本的に可愛
いものが好きだが、だからこそ可愛い女の子を「可愛い」「好き」と思
う気持ちだって、そんなに男性と変わらないものだ。

ただし、それは大人になる過程でいろいろとアヤが附いて、社会的ジェ
ンダーとしての「女性」というものを認識し、自分が「周囲から女性と
視られる存在」であると意識するに連れて、ストレートに「好き」とい
う感情に結び附かなくなってくる。

まして、「可愛い女の子」と目されている存在が、実際にはどんな人間
であるのかを、男性よりも同性のほうが赤裸々に知り得る立場にあるの
で、大人になって可愛いか可愛くないかという尺度だけで人間を視なく
なるに連れて、こういう感情は自然な人間観に昇華されてしまう。それ
でも、可愛い少女を無防備かつ不分明に好きだと思える少女の感情への
共感は、大人の女性にも心地よく感じられるものなのだと思う。

一方で、異性である男性の視点では、愛情に基づく独占という官能的な
主題を巡るドラマのなかに同性が介在しない
こと、ドラマを構成する人
物がすべて自分たちの愛情の対象となる可愛い少女たちであることが、
一種、いうにいわれぬ甘やかな印象を与えている。これは、友情という
建前のもとに性的なニュアンスを排除したことで、なおいっそう純粋に
訴えかけてくるエモーションだ。

少女たちの一種の三角関係が、大多数の大人にもアピールするのは、こ
ういう機微があるからだろう。それが可愛い少女たちによって演じられ
ている限り、少女たちが少女の愛情を独占したいと諍う物語には、性別
を問わず官能的なニュアンスが生起するのだ。

だからある意味、この場面は生々しくても構わないんだな。

Act.14の亜美・なるの衝突もまた生々しかったが、あれが辛く感じられ
たのは、二人の独占欲の対象になっているうさぎが、画面内で不在だっ
たからだな。だから、表向きの映像としては、単に可愛い女の子同士の
生々しい言葉の応酬による敵意に満ちた諍いでしかなかった。ここに直
観的な意味での官能性は薄い。

下駄箱前の対決に官能的なニュアンスが付随するのは、単純にいえばそ
こにうさぎがいるからだ。諍いの原因となる対象が画面内に同居してい
ることで、それが可愛い女の子に向かうベクトル上の愛情に基づく対立
であることが視覚的にはっきりする。

そして、ここの三者の立ち位置として、たとえば以前なるちゃんを「本
妻」と表現したように、元々独占的な二者関係に対して第三者が割り込
んできたような形になっているのが、直観的にわかりやすい。

乱暴な言葉でいえば、なるちゃんはうさぎを「とられたくない」のだし
亜美ちゃんはなるちゃんによってすでに独占されているうさぎに、真っ
直ぐ自分を見つめてほしいと望んでいる。もっと乱暴にいえば、この関
係性は「横取りしたい」「とられたくない」という攻防なのだな。

さらに、防衛する側のなるちゃんが過剰に攻撃的で、攻撃する側の亜美
ちゃんが萎縮していて、その攻防の対象となるうさぎが無自覚であると
いう転倒した位置附けも効いている。これは少女を巡る少女たちの諍い
であるからこそ官能的なのであって、一人の男性を巡る大人の女性の三
角関係にそのまま当てはめると、ある意味覚えのある人には辛いステロ
タイプ
となってしまう(木亥火暴!!)。

ここは鈴村の少々ドライな読解が、少女たちの愛憎の物語であるという
隠微な性格から結果的に吉と出た芝居場だろう。舞原監督の理解も鈴村
監督の理解も恋愛関係のメタファーという大筋では変わらないと思うの
だが、その恋愛関係というメタファーを巡るデリカシーが、ちょっと鈴
村の場合は下世話に傾いているというところではないか(木亥火暴!!)。

後先になるが、ここで、Act.15のうさぎの態度を解釈する前提として、
Act.14で亜美・なる対決の遭遇戦があったことをうさぎは知らないはず
だ、ということは強調しておこう。

なるちゃんが水野宅に押し掛けて、結果的にあのような修羅場が持ち上
がったことは、当事者である亜美ちゃんとなるちゃんしか知らない事柄
だし、本当の事情を知らないなるちゃんはもちろん、亜美ちゃんだって
そんなことを詳しくうさぎに話すはずがない。

だから、大前提としてうさぎは、亜美ちゃんとなるちゃんがなぜ下駄箱
前の場面で対立しているのかはもとより、この二人がうさぎを巡って対
立している事実にすら気附いていないに違いない。なので、うさぎの態
度を過剰に鈍いものとして視るのも公平ではないだろう。まして最近の
うさぎは、同性間の友情よりも、異性に対するときめきに関心が行って
いるのだから、一概には責められない。

Act.14からのかわちえの芝居も、例によっての小林脚本の当て書きのた
めに素の河辺千恵子が突出して、最早セラミュを識る者も彼女を「歴代
で最もイマドキな女の子のマーキュリー」のイメージで視る者はいない
だろう。

セラミュの頃も、新キャストのための書き下ろしの持ち歌の歌詞に「冗
談じゃないよ」という一種柄の悪い棄てゼリフを織り込まれるほど攻撃
的なイメージはあったわけだが、たとえばクラウンの場面で、うさぎの
想い人を衛と見抜いて一人ほくそ笑む「遣り手婆ぁ」的なオバチャンな
柄というのは、幸か不幸か新境地だ(木亥火暴!!)。

ちなみに「遣り手婆ぁ」というのは「やり手の中年女」という意味では
なくて、遊郭で娼伎を差配する娼妓上がりの女性のことを指すので、冗
談のつもりでも、やり手の女性に対して「遣り手婆ぁ」と言ってはいけ
ない。「売春斡旋業者」と「すでに色の道では旬を過ぎた女性」という
二重に失礼な意味になる(木亥火暴!!)。

あだしごとはさておきつ。なるちゃんのキャスティングがセラミュOG
の河辺千恵子で、亜美ちゃんエピソードになるちゃんを絡めたのは、当
初は一種楽屋オチ的なファンサービスの面もあったのだろうが、ここま
で物語が進んでくると、一種異様な意味合いを持ってくる。

彼女のセラミュでの活躍を識る者なら、かわちえの亜美ちゃんが「どこ
が亜美ちゃんなんだ」的な全然別物の亜美ちゃん像だったことは、話の
大前提だろう。以前ぷらちゃんとチャットで話したときには、「森野文
子マーキュリーが洗脳されてグレたときの亜美ちゃん」という比喩も出
たくらいだ(木亥火暴!!)。

つまり、かわちえの亜美ちゃんは全然自分を殺さない亜美ちゃんだとい
うことだろう。森野文子的なオーセンティックな亜美ちゃん像では、た
とえば敵の洗脳によって優等生的な表ヅラとは正反対な本音が出たとし
ても、それは本来的な亜美ちゃんの陰画であり、人間の持つ多面性のな
かの一側面というとらえ方ができる。

対するに、かわちえの亜美ちゃんでは、むしろ柄の悪い部分も併せ持つ
生身の女の子のほうが本来で、平素は優等生の仮面を被って大人のコン
トロールをやり過ごしているようなしたたかさがある。要するに「裏も
表もないいい子なんていないのよ」と真っ赤な舌を出している…つか、
かわちえのベロってホントに真っ赤なんだよな(木亥火暴!!)。

一般的な亜美ちゃん像では、本人が「いい子の優等生」である自分を本
来的な自分と目して懸命に努力している痛々しさがあって、その本音の
部分を識りたいと望むのは一種のスケベ心だろうと思わせるものがある
が、かわちえの亜美ちゃんには、周囲が自分をそのように視ているから
附き合って演じてあげているのよ的なしたたかさが感じられてしまうん
だな。

この場合、一般的な亜美ちゃん像的なイメージに憧れる男の幻想自体の
甘さが、生身の現代少女によって軽く笑い飛ばされているような、ヲタ
にとってはちょっと世知辛い機微になる(木亥火暴!!)。

持ち歌の「ドライブ・ミー・マーキュリー」でニコニコしながら「冗談
じゃないよ」と啖呵を切られたときの、ちょっと居堪れないような居心
地の悪さは、亜美ちゃんを理想の美少女として見たがるヲタの気持ちに
対して、当の亜美ちゃん自身が開き直って、ハイライトを吹かしながら
大胡座を決め込んだような居堪れなさだと思うんだ(木亥火暴!!)。

こうした現代的な柄と攻撃性、他人のために役柄を演じるのではなく、
自分のためにリアルに生きる身も蓋もなさというのは、やはり河辺千恵
子という素の人間の醸し出す柄だと思う。森野文子路線の亜美ちゃん像
の陰画がポジティブに意味附けされて、そのまま本物の亜美ちゃんに成
り代わったような、一種独特のキャラクターとなり得ていた。

森野文子路線のオーセンティックな亜美ちゃんが、理想の美少女像を生
きざるを得ない生き方の型から弾き出された生身の部分を、一種のチラ
リズムとして垣間見せる色気を醸し出しているとしたら、河辺千恵子の
亜美ちゃんには、美少女幻想を「身振り」として身に着けることで、今
ここにある少女の現実をそのままに生きる健全さ
がある。

現実に生きる一人の少女としての肉体を手放さない強さとしたたかさ、
これが河辺千恵子が「たまたま」演じた水野亜美という役柄の大きな魅
力だったのだろう。

こういう柄の人間がその柄を活かして、別メディアで演じた亜美ちゃん
と対立する大阪なるという役柄を演じているということは、ある意味、
亜美ちゃんを巡る物語における河辺千恵子のなるちゃんは、生霊的な位
置附け
として機能しているということだろう。

そして、もちろん実写版におけるハマチの亜美ちゃんも、セラミュやア
ニメで培われたオーセンティックな亜美ちゃん像からは、大きく懸け離
れている。この辺については再三に亘って語ってきたので詳説は避ける
が、今回の文脈に沿っていうなら、森野文子的路線の特殊例の「悩む亜
美ちゃん」像のネガティブな側面を強調して造形されている人物像だと
いうことになるだろう。

つまり、オーセンティックな亜美ちゃん像というものを措定すると、か
わちえの亜美ちゃんとハマチの亜美ちゃんは、振れ幅の両極端と視るこ
とができる。そして、実写版でかわちえが演じているなるちゃんは、セ
ラミュで演じた亜美ちゃんの身も蓋もない生身の部分を、それ単体で切
り離したような役柄だと視ることができる。

予定調和の論旨ほどつまらないものはないが、要するに亜美・なる対決
の実相は、オーセンティックな亜美ちゃん像が両極に分極して相争う構
図だと視て差し支えないだろう。本来的には、水野亜美であってもおか
しくはなかった人物が、水野亜美その人と対立する…今回の場合でいえ
ば、一方的に亜美ちゃんを責める立場に置かれている。コミックスやア
ニメのなるちゃんの役柄からは最も遠い柄の役者といえる河辺千恵子を
起用した意味が、遡ってここで効いてくる。

そしてこの生霊の対立図式の興味深いところは、かわちえであれ森野文
子であれアニメであれ、従来の水野亜美的な問題性は徹頭徹尾自身の在
り方に関心が向かう問題性であったのに、ハマチの亜美ちゃんはうさぎ
という他者に関心が向かう問題性を抱えていることだ。

自身の在り方に関する問題性であるとすれば、セラミュとアニメの亜美
ちゃんの場合は、すでに確立された水野亜美という生き方のスタイルと
の折り合いの附け方が問題になる。少なくとも、この意味では亜美ちゃ
んは外面上の不全を抱えてはいないということだし、意識的にそこに目
を向けなければそもそも問題性自体が閑却されてしまうわけだ。

しかし、他者に関心が向かうハマチの亜美ちゃんについては、常に不全
の問題性が附き纏い、その問題性は亜美ちゃんの意識とは無関係に常に
眼前に立ちはだかっている。うさぎという他者は、求めても求めても最
終的には自分の思い通りに決してならない存在だから
だな。

そして、亜美・なる再戦の第一ラウンドは予想どおりなるちゃんの圧勝
に終わり、最初から亜美ちゃんは萎縮して対立から身を引いている。亜
美ちゃんは最後まで悩み続けているが、なるちゃんのほうは、苛立って
はいても、自身に向かう解消不能の悩みは抱えていない。対決の帰趨は
明らかだろう。

なるちゃんが衛との間を取り持ってポイントを稼ごうとしたのは、一つ
にはなるちゃんが焦っているからだろう。また一方では、うさぎとの間
では、恋愛問題のようなデリケートなプライバシーについて、圧し附け
がましいお節介を遠慮なく実践できる関係性を持っていることを確認し
てもいるわけだ。

なるちゃんの意識では、恋愛問題を相談されるというのは、親友として
のアドバンテージがぶっちぎりで高い
。「これで一歩リードだぜ、ふふ
ふふふん」とほくそ笑んだであろうというのは、なるちゃんの柄を考え
ると、あながち単純な見方でもないだろう(木亥火暴!!)。

ある意味、デリケートな機微もへったくれもなく、もの凄くわかりやす
い判断に基づいて行動するのがなるちゃんのスタイルだろう。人情の機
微団子に自信のない諸兄でも、自分の目で視たそのままの心情なのだと
思えばいい。

カラオケに誘う場面でも、うさぎが亜美ちゃんを誘うと、うさぎに気附
かれないようにこっそり「てめ、ぜってー来んなよ、来たらぶっちめっ
かんな!」とアカラサマに目で亜美ちゃんを脅している(木亥火暴!!)。

亜美ちゃんが気弱く目を伏せるのは、古い親友のなるちゃんに対して引
け目を感じているからというのももちろんあるが、直截には脅されて怖
かったからだろう(木亥火暴!!)。

だから、一種あそこは笑ってもいい場面だったと思う(木亥火暴!!)。

むーん…

鈴村演出ってやっぱり…どうなんだろう?(木亥火暴!!)

さて、何をいうにも次回に決着を持ち越された亜美・なる対決は茶にし
てサスペンドということで、後半のうさ・まも接近編を含めて、他の要
素をじっくり視てみることにしよう。

Act.13を受けた前半とAct.14を受けた後半がスプリットしていることは
すでに指摘したとおりが、このスプリットの仕方は、うさぎの暴走から
ムーン・タキのラブラブノリに突入したまんま、戦闘の現場にムーンが
戻って来なかったAct.9 に似ていなくもない。

うさ・まもの接近は日常の次元に属する「デート」に近いし、ムーン・
タキの遣り取りも、Act.9 以降はタキとの接近を表向き禁じられた手前
もあって他の三戦士を介在させるわけにはいかない。どうしてもこの二
人の接近を描くには、他の戦士とうさぎ=ムーンを別行動させる必要が
あるのだろうが、話がまったく割れちゃうのはあんまりいい傾向ではな
ような気がする。

今回も、美奈子を附け狙う妖魔の目を逸らすために、こそ泥を利用して
フェイクの情報を流すという、こちらはこちらで四戦士と別行動をとっ
ている美奈子サイドの事情を絡ませてうさ・まも接近の筋立てをつくっ
ているが、スプリットした視点のドラマを、前半の亜美・なる対決とも
裏面で動いている怪事件とも無関係な要素で組み立てるのは、少し煩瑣
に過ぎるのではないかという気がするな。

さらに、ダークキングダムの内訌についても、慇懃無礼な全方位の厭味
で人気爆発中のクンツァイト、とうとう今回は「マヌケ」呼ばわりまで
飛び出したが、美奈子の策略を見抜いているようでいながらそれに載っ
かってネフを煽っている辺り、相変わらず何を考えているのだかわから
ない。

いうまでもないことだが、すでにドラマの観点から視たらお子さま完全
置いてけ堀
の複雑怪奇な構成だろう。それを今さらいっても仕方のない
ことだが、大人の視聴者でももう少し各要素をリニアルに追えるような
筋立てにしてくれたほうがありがたいのではないだろうか。

それでも、大きな流れとしては、なるちゃんがお節介で仕組んだデート
がひょんなことから美奈子の宝石を巡る冒険に発展し、その裏でうさぎ
を除く三戦士が頻発する怪事件を追い、なるちゃんとの対立に悩む亜美
ちゃんをレイちゃんが気遣うという同時性は保たれている。

そもそも話がスプリットした地点を割り出すなら、所も同じクラウンで
うさ・なる&その1、その2のA群とうさぎを除く三戦士のB群が別れ
たところから、うさぎは日常の地点に留まり、他の三戦士は戦士として
結ばれた絆を再確認する、この辺りだろう。

亜美ちゃんの「ここに来るのが癖になっている」というセリフは、つま
り他に行き所がないということなんだが、花も実もある女子中学生が、
だれ知る者もない秘密の隠れ家に放課後の寄る辺ない身を寄せるという
のは、あまり健全な習慣ではない。

ぶっちゃけ、おまえら、他に友だちいねーのかよ(木亥火暴!!)。

まあ、いないんだろうな。義務教育受けてる厨房では、学園内の生活が
ほぼすべてだし、うさぎしか友だちのいない亜美ちゃんはもちろん、自
校でも周りから白い目で視られているであろうレイちゃんや、不祥な噂
で敬遠されている転校生のまこちゃんには、セーラー戦士以外の友だち
などいないのだろう。

なるちゃんやその1、その2と仲が良いだけではなく、クラス中の人気
者であろううさぎとは、まったく生活のスタイルが違う。対等にお互い
がお互いを必要としている三戦士たちとは違って、うさぎにはセーラー
戦士以外の日常の顔がある、これはどうしようもない現実だ。単に別の
人脈の友人がいるというだけではないんだね。

繰り返しになるが、亜美・レイ・まこの三戦士は、自身の真の出自がい
にしえの月の王国の戦士であるという、神話的な真相開示によってそれ
までの欠落が贖われた経緯があるが、うさぎだけはそうではない。

うさぎはうさぎで、三戦士との出会いがなくとも、過去世の真相開示が
なくても、十分以上に幸福な女子中学生だった。しかも、大オチの真相
としては、彼女は他の四人に君臨する王女である。この落差はどうして
も埋められない。

さらにうさぎには、過去世で宿縁の間柄であったエンディミオン=地場
衛と、現世で恋をやり直すという別の次元の顔がある。亜美ちゃんとな
るちゃんがうさぎを巡って対立している間に、当のうさぎはそれとは知
らずに宿世の恋に酔っている。

よく考えてみれば、これはもの凄いギャップではないだろうか。

秘密基地の穏やかな優しさのなかで、互いの孤独を癒し合う三戦士の場
面とカットバックして、クラウンの一室では別の日常の意識に切り替え
て愉しくはしゃぐうさぎが対比される。Act.14の幸福な宴に華を添えた
うさぎの笑顔が、まったく同じ公平さで別の友人にも向けられる。だれ
もうさぎを責めることはできないが、この対照が残酷であることはだれ
もが意識せざるを得ない。

亜美ちゃんが悩んでいるのは、自分にとってうさぎが唯一絶対の存在で
ありながら、うさぎにとっての自分は他のすべての友人と等価な存在に
すぎないという対称性の破れゆえだ。「恋愛関係のメタファー」とくど
くも繰り返すとおり、亜美ちゃんがうさぎに注ぐ愛情の在り方は、同性
に対するそれよりは、異性に対するものに近い。

オレがAct.5 で論じたような問題は二者関係の問題だったが、それが一
応の解決をみた後に残されたのは、同性の友人である限り、この相手と
は独占的な二者関係とはなり得ないという不可能性の問題だ。無論、亜
美ちゃんはセクシュアルな愛欲の対象としてうさぎを視ているわけでは
ない。しかし、「友人」に対する「愛情の型」が「恋人」に対するそれ
と未分化なのだ。

今の亜美ちゃんの悩みについて、Act.5 のときのように、等身大の少女
ゆえのうさぎの未熟さに責任を帰すことはできない。自分が相手だけを
視ているのと同じように、相手にも自分一人だけを視てほしいという、
人間ならだれでも抱く望みが満たされないことに悩んでいる。これは、
同性の友人であるうさぎには決して解決できない類の悩みだろう。

うさぎと真の意味で独占的な二者関係を構築できるのは、うさぎにとっ
て「女性であるわたしの前に初めて現れた男性であるあなた」であるタ
キシード仮面=地場衛しかいないからだ。亜美・なる対決の帰趨を含め
て、新たな亜美ちゃんの悩みがどういう解決をみるのか、これはAct.16
の論考に譲るしかあるまい。

では今度はその、うさぎとの二者関係を運命附けられている地場衛との
関係が今回どう進んだのかを、そろそろ視てみよう。

オレ的に今回の衛がツボだったのは、妖魔に取り憑かれた警官の態度が
気に入らなかったからという青臭い理由で冒険に乗り出す、若者らしい
血気の部分だ。記憶喪失という翳りと銀水晶探しという自身に課した使
命のゆえに、どうもこれまでの衛はストイックに過ぎ、早い話がオッサ
ンくさかった(
木亥火暴!!)。

傲慢な大人の態度に憤り、窃盗団を追い回す冒険に胸を踊らせるような
若さを見たのは、これが初めてのような気がする。それはおそらくうさ
ぎにとってもそうだろう。これまでの衛はブスッと黙り込んでいて愉し
そうな表情を浮かべることもなく、「やめておけ」「いい加減にしろ」
というぶっきらぼうな禁止の言葉を強圧するだけの、面白みに欠ける人
だったことは否めない。

それが今回、一旦はうさぎの軽挙を戒めておきながら、自身の血気に任
せて無謀な冒険に身を投じ、うさぎの暴走の後押しをしていて、冒険の
あとのほとぼりに浮かれて微笑みを浮かべるまでに至っている。

視聴者が衛の笑顔を見たのはこれが初めてだと思うんだが、このとき衛
が微笑んだのは、うさぎが何心なく漏らした「美奈子ちゃん、喜ぶだろ
うなぁ」という言葉で、うさぎの他者を思い遣る変わらない心根に接し
たからだろう。ここには、Act.13からの響きがある。

こういうアクティブな流れのなかで、肩に触れたあなたの指が寒い心を
どうしたとか、そういうドキドキが展開されるわけだが、胡散臭い吊り
橋理論を引くまでもなく、スリルを共有することでドキドキはさらに高
まるわけだね…あ、オレ、なんか今、一瞬もの凄くイヤな気持ちになっ
たんだけど、気のせいだよな?(木亥火暴!!)

大受けの「あ、と、鳥」「あ、草」のギャグの呼吸も、「そりゃあセー
ラームーンに変身してドガーン」みたいな、科学戦隊ダイナマン級のず
り上がりのテンポでSEと衛の驚愕のリアクションを入れるというカッ
ティングの上手さ、さらに引いた絵を多段階にディゾルブで入れて間を
とる呼吸の気持ちよさで、しょーもないナンセンスなギャグを強引に笑
わせる。

笑ったあとで気が附くのは、この場面のシチュエーションコメディとし
てのおもしろみだな。衛はうさぎ=ムーンの正体を知っているが、うさ
ぎは衛がそれを知っているとは知らない。また、うさぎは衛=タキの等
式にすら気附いていない。

そういう間柄でありながら、この場面ではうさぎと衛が共にうさぎの失
言を取り繕おうと、柄にもないギャグに紛らわせている…つか、衛のつ
もりではギャグではないんだが。これは、もの凄い変化球ではあるが、
期せずして一種の秘密の共有を形作っているんだな。

お互いの正体を知らないということにしておきたい、正体を知らせたく
ないという、レベルは違えど一致した動機に基づいて、秘密を知ってい
る人間までもが失言による真相開示を糊塗しようと焦る。秘密の共有と
一口にいっても、つまり秘密を秘密のままにしておくべく、立場や知っ
ている情報の違う人間同士が、一致協力して空とぼけているというおも
しろみが生起しているわけだ。

Act.14でも似たような話をしたが、二者関係というのはおおむね秘密の
共有によって良くも悪しくも親密度が進むものだ。共犯関係というのが
最も極端な例で、たとえばAct.14では亜美ちゃんの一方的なものではあ
るが、妖魔化によって倒れたうさぎを匿うという秘密を、昏倒している
うさぎと共有することによって、なおいっそううさぎに対する親密度が
高まった部分はあるだろう…なんか、またオレ一瞬気分悪くなったんだ
けど、どうしてなんだろう(木亥火暴!!)。

さらに、恋愛関係を進めるお膳立てとしては、そのものズバリ「禁止」
という奥の手がある。うさぎの側ではタキへの接近を仲間に禁じられて
いるというタブーがあるし、衛の側でも意味深な電話の前にすでに「あ
いつのことは、これ以上…」というセリフがあって、うさぎ=ムーンへ
の接近を自らに禁じた節がある。

うさぎの側では、タキと衛のウェイトが徐々に逆転して、地場衛という
素顔の青年に惹かれる気持ちが強くなっている。そして、素顔の月野う
さぎが素顔の地場衛に接近することについては、だれもこれを禁じては
いない。うさぎの側には少女らしい躊躇いがあるだけだ。

しかし、うさぎ=ムーンと知る衛=タキにとっては、何かしら彼女への
接近を自らに禁ずべき理由
があるらしい。それはたとえば元基への遠慮
もあったことが、クラウンでA群集団と遭遇した際のセリフで語られて
いたが、まあどう考えてもこれがメインの理由ではあり得ないだろう、
元基には気の毒だが彼も分際を弁えてるみたいだし(木亥火暴!!)。

この場面では、Act.14で衛がうさぎを背負って運んだことがうさぎに知
らされ、「えっ、おぶって?」とうさぎが驚いているが、Act.14の件の
場面、時節柄もあって「新年会で酔い潰れた新入生をおぶって自宅に送
る先輩」という絵面にしか見えない…つか、この光景を目撃した通行人
は一〇〇%そのように解釈しただろう(木亥火暴!!)。

いや、そういうことがいいたかったんじゃなくて…このおんぶの話もそ
うなんだが、Act.13で互いを見つめ合う間合いに入ってから、うさぎに
とっては、釣瓶打ち的にグッと来ちゃう出来事が連打されているという
ことだ。

たとえば自分が意識を喪ったときに、内心気になっている男性が自分を
おぶって運んでくれたと「後で知らされる」というのは、初心な少女に
とっては、うれしはずかしとしか表現できない、うなじのこそばゆい事
件だったろう。

まあ、おぶわれるにはおぶわれるだけの理由があるのであって、Act.14
みたいな大事件の最中に、仮にうさぎに意識があって衛との肉体的接触
にドキドキしたりしていたら「ふざけんなよ」だが、それも今回のよう
な接近編になってから、あらためて「後で知らされる」分には、中学生
ということもあって十分な節度だろう。

窃盗団から宝石を奪ったうさぎが転倒し、そこへ颯爽とバイクで駆け附
けた衛が「うさぎ、乗れ!」と叫ぶ場面でも、初めてまともに名前を呼
んでもらえた嬉しさが溢れている。つまり、今回の接近編では、うさぎ
にとって嬉しいハプニングが、わざとらしいくらいこれでもかとテンコ
盛りにされているわけだね。

妖魔退治も含めてすべての事件が終わったあと、うさぎをタンデムさせ
た衛のバイクで、衛がバックシートのうさぎに目を遣り、次いでうさぎ
が衛の横顔に視線を向ける、真っ向見つめ合うのではなく、互いが互い
を意識している、こういう機微も初々しくていい。

ただ、衛が自らにうさぎ=ムーンへの接近を禁じた割には、なるちゃん
の策謀にあっさり乗って、のこのこ呼び出されているのはちょっと納得
が行かないところ。

Act.13のコメントでじっくりこの二人の軌跡を視てきたあとでは、衛の
態度に変化がないのは、こいつがタキシード鉄仮面だからだということ
で納得するしかないんだが、謎の電話を受けてうさぎのハンカチを思い
入れたっぷりに握りしめたからには、禁止の方向性で動かざるを得ない
現実的な事情
が発生したはず。

なるちゃんの「重要な話がある」という嘘の「重要な」の部分に鑑みて
顔を合わせるつもりになったにしては、いくらタキシード鉄仮面でも話
の「重要さ」を真に受けている節がない。「何か用か?」程度の軽い態
度なのがどうも腑に落ちないわけだ。

そうこうするうちに窃盗団と遭遇して、そのどさくさで、うやむやのう
ちに視聴者は乗せられてしまったが、相変わらず何を考えているのかわ
からないことでは、クンツァイトといい勝負だぞ、地場衛。

そして、とりあえず後回しにして取っておいたのだが、今回いちばんの
ツッコミどころといえば、妖魔に襲われた衛の高所落ちが、あまりにも
派手すぎる
ところだろう。しかも、背中落ち(木亥火暴!!)。

あれだけ高いところから派手に落ちると、普通なら赤の他人でもまず衛
を介抱するために下に降りていくのが先決だろう。一応、変身して妖魔
を追う前に、下を見下ろして衛が動いているのを確認してはいるが、頭
を強打して昏倒しかけた人間だってあのくらい動くぞ。

実際問題、衛が同一平面にいるところでムーンに変身するわけにも行か
ないから衛をハカせたのだと思うが、あの絵面では「ハケました」とい
うだけではなく、衛の安否という別の問題が生じてしまう。いくら丈夫
な人間でも、背中から何メートルも落下したら、普通は寸刻を争う重態
のはずだ。

それをチラッと確認しただけで妖魔に奪われたお宝を優先してしまった
ために、どうにもうさぎの態度が冷たいもののように見えてしまう…と
いうのは言葉のアヤで、この場面でうさぎが衛を冷たく扱うはずがない
のはだれでもわかるので、だれがどう視ても「やりすぎ」にしか見えな
んだな(木亥火暴!!)。

妖魔を倒したあとに現場に戻り、例のハンカチで傷口を手当するのは十
分予想された落とし所だが、妖魔に斬られた腕だけにうさぎの気が行っ
ているところを視ると、やっぱりこれは、ロケハンも含めた絵作りの段
階で、ムダに派手になってしまったのだと思う(木亥火暴!!)。

まあ、ダメかダメでないかといったら、ダメだろうな(木亥火暴!!)。

予告でもこの場面が使われていたけど、みんな、さすがにあれでは下手
したら死んでしまうだろう、落ちたと見せ掛けて、どこかに掴まって助
かったのではないか…みたいな想像を巡らせていたわけだが、蓋を開け
てみたら、普通にそのまんま落ちて、普通にそのまんま大丈夫でした、
だもんな(木亥火暴!!)。

前述したとおり、これがうさぎの態度や心情をミスリードするわけでは
なく、裏も表もない単なる「やりすぎ」の失敗にしか見えないからいい
ようなものの、アクションは派手ならそれでいいというもんでもなかろ
うぜ、鈴村(木亥火暴!!)。

まあ、たしか、Act.1 ではうさぎももっと高いところから背中落ちして
いるわけで、この実写版の劇中の世界では、高所落ちにはそんなに危険
が伴わないのだと理解するしかあるまい(木亥火暴!!)。

しかし、昔のことを蒸し返すようで恐縮だが、よ〜く考えてみるとこの
ハンカチネタ、Act.7 では、素顔のうさぎと衛がミラーハウスにいる場
面で、すでにこのハンカチを衛に見られているわけだから、ムーンに変
身して同じものを出したら、不審に思われるという智恵はなかったのだ
ろうか(木亥火暴!!)。

…なかったんだろうな、「変身しろ、セーラームーン」とか言われても
全然不審に思わない奴だし(木亥火暴!!)。

|

« Act.14 死の棘は何処にかある | トップページ | Act.16  【Side-A】少女たちの眼差し »