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Act.16  【Side-B】眼差しの交わるとき

しかし一方では、実際問題として、今いったような解釈はやろうと思え
ばできるという程度の可能性でしかない。

まったくそうでない解釈だって、同じように可能だ。そして、少女たち
に幻想を抱きたい年頃の甘っちょろい中年男にすぎないオレにとって、
そうでない解釈のほうが有り難いのは当然だ。

アバンの幕切れで亜美ちゃんが無言だったのは、単に映像の流れのうえ
での自然な呼吸だっただけなのかもしれない。あのときの亜美ちゃんは
なるちゃんとの確執も忘れて「早くこの妖魔を倒さないと、たいへんな
ことになってしまうわ」と考えていたのかもしれない。ある種、戦士と
しての亜美ちゃんのまっとうさを押さえておくための布石だったのかも
しれない。

クラウンの場面でも、うさぎの嘘に接して思わずなるちゃんの安否を気
遣ってしまった自分の、優等生的な思考の型に自己嫌悪を覚えただけな
のかもしれない。

通学路の場面では、うさぎが声高に亜美ちゃんの優しさを売り込んだ言
葉で、さらになるちゃんが苛立つことを予期して萎縮していただけなの
かもしれない。また、ほんの少しだけ、うさぎの売り込みでなるちゃん
が態度を和らげてくれるかもしれないと期待して、その期待が裏切られ
たことが辛かっただけなのかもしれない。

引いては、自分のそういう上辺を取り繕ってしまう優等生根性が、本音
で生きるなるちゃんに、糾弾されているように感じてしまったのかもし
れない。

英会話実習の場面では、同じような機微ではあっても、単にうさぎを譲
ることで衝突を避けようとした自分の消極性を、うさぎが「優しさ」と
善意に解釈したことに驚いただけなのかもしれない。受け取るべきでな
い過分な報酬に、心苦しさを感じただけなのかもしれない。

街でなるちゃんと鉢合わせしそうになったときは、単に英会話実習の場
面からの流れで、なるちゃんにキツい言葉をぶつけられるのが怖かった
だけなのかもしれない。

なるちゃんが妖魔に襲われたときは、それこそ本当に、自分が全力を尽
くしたのかという、危急に際して人がだれでも抱くような自責を覚え、
ひとえになるちゃんの行方を心配していただけなのかもしれない。

結界を毀そうと必死に攻撃を繰り返したのは、額面どおり、あのとき全
力を尽くさなかったという後悔に突き動かされていたからなのかもしれ
ない。うさぎの言葉に居堪れなくなったのは、個人的な反撥から差し伸
べるべき腕が強張った自分の弱さを愧じたからなのかもしれない。

そして、亜美ちゃんの独白は、実際に亜美ちゃんのとった言動よりも、
後悔のゆえに過剰に露悪的な色彩を帯びていただけなのかもしれない。
あまりに辛いことが立て続けに起こったために、一時的に自責の念が押
し寄せてしまい、自分の善意を信じられなくなっていただけなのかもし
れない。どんどん記憶が醜く歪んでいっただけなのかもしれない。

レイちゃんの言葉は、そうした一時的な混乱の主要な原因となっていた
亜美ちゃんの心の奥底にある嫉妬の疼きを、だれにでもあるネガティブ
な側面として、あるがままに許容してあげただけなのかもしれない。

こういうふうに解釈してもまったく問題なく筋道は通るのであり、好み
からいっても、断然こっちの解釈のほうが心地よい。

さらに、先ほどは意図的にネグレクトして語ったが、蟻地獄の場面から
エナジーファームへ移動するまでの亜美ちゃんの挙動を視るに、通常の
戦士としての顔に戻っており、エナジーを吸い取られる人々を目の当た
りにして「ひどい…」と心を傷めるだけの余裕を取り戻している。

「怖い物語」の解釈で行くなら、ここで亜美ちゃんが冷静さを取り戻し
ているのは、情感のつながりに不自然さが生じる。この解釈に立つので
あれば、なるちゃんが連れ去られてから結界破りの一連まで、亜美ちゃ
んの緊張が続いていなければおかしいのだ。

つまり、このエピソードに際して通り物に憑かれ、魔境に陥ったのは劇
中の亜美ちゃんではなく、それを見守る視聴者のこのオレのほうだった
のかもしれない。レイちゃんは、ハイヒールの踵を踏み鳴らして、亜美
ちゃんに取り憑いた憑き物を落としたのではなく、オレに憑き物を憑か
せただけなのかもしれない。

他ならぬレイちゃんの熱演によって、火星人のオレには憑き物が憑いて
しまった。プレゼンテーション次第で、どちらとでも真相を解釈できる
というチェスタトン的な命題が成立する以上、優しい亜美ちゃんと優し
くない亜美ちゃんが等価で実在するように、オレのなかでは二つの物語
解釈が等価で実在
してしまった。

女児向けの三〇分番組として許容されるギリギリの線を最早踏み越えて
しまった生々しく怖い物語と、一人の女の子の頑張りがなかなか受け容
れられないという困難を友人の助力で乗り越える爽やかな物語。魔境に
陥ったオレのプレゼンテーションなど真に受けずに、どちらでもお好み
の解釈をとることが可能だ。

この物語を紡ぎ出した小林靖子の思惑はどうだったのだろう。それを受
けた鈴村の解釈はどうだったのだろう。少なくともオレには、実現され
た作品は、どちらかの解釈を積極的に支持するほどの明晰さに欠けるよ
うな気がする。蟻地獄からエナジーファームへ移動するまでの亜美ちゃ
んの描写も、積極的に解釈を決定する要素と視るには弱い。

穏健な解釈のほうに身を寄せると、亜美ちゃんを巡る個々の芝居場の指
向する意味性が弱くなる。単にたまたまそういう芝居になってしまった
というだけの芝居となってしまって、強力に噛み合う意味連鎖を持たな
くなる。一方、怖いほうの解釈に立つならば、戦いに赴く戦士としての
顔が矛盾となる。オレの感覚では、統一的解釈に対する矛盾要素として
この両者は五分の重みだ。

つまるところ、このエピソードが指向する地平には、「生々しく怖い物
語」もまた可能性として想定されていたように、オレには思える。そし
て、実現された作品には、そう解釈し得る内実が留保されたままのよう
に感じる。

たしかに、積極的にそうは語っていない。「怖い物語」を支持する具体
的なセリフはいっさいない。しかし、このような統一的な筋道に沿って
解釈し得る可能性が、偶然生じたというのも出来すぎではないかという
気がする。

つまり、このエピソードがこのようなものとして映像化されるどこかの
過程で、だれかが揺らいだか、日和ったのではないのかと思う。

具体的な意味性を指向する手懸かりが、当初の青図から意図的に削除さ
れたのだという気がする。要するに、リアルさの程度の問題だ。そこま
で生々しくなくても今回の物語は成立するのであって、あとはつくり手
が自身のリアリティに対する誠意を奈辺に置くかという問題だ。

そして、実現された作品では、まったく別の選択肢を辿るのではなく、
ニュアンスの重みを削ぎ落とすのみに留まり、当初目論まれた物語もま
た、二重写しで痕跡を留めているようにオレは思う。

オレ個人の感覚としては、そこまで亜美ちゃんを追い詰めてしまってい
たら、このエピソードにおいて、亜美ちゃんの情感の小回りが利かなく
なってしまったのでは、と思う。そこまでのどん底を垣間見ていたとし
たら、瞬時に微笑んだり回心したり、物語の要請に沿ってヴィヴィッド
に感情が動くには、課せられた課題が重すぎたのではないかと思う。

当初目論まれた内実が可能性の埒内に留まり、実現された映像の指示す
る意味性が微妙に揺らいでいるのは、このような作劇上の都合もあった
のかもしれないね。

いずれにせよ、どちらの解釈に立とうがオレは亜美ちゃんの不器用な真
摯さを受け容れるし、つくり手がどちらを意図したのであれ、深度の違
いがあるだけでまったく同じ意味性が成立しているとは思う。ただ、潜
在的な可能性としてではあれ、突出したリアルさで成立している怖い物
語に接しても、レイちゃんと同じように亜美ちゃんを受け容れてあげら
れるような、強い視聴者でありたいとは望むけれどね。

まあ、調理実習の場面で微笑み合う亜美・なるツーショットの爽やかさ
をストレートに味わうために、ここは穏健なほうの解釈で論を進めてい
くことにしようか。

それでは、あらためてもう一度繰り返そう。

亜美ちゃんは、また同じことで悩んでいる。亜美ちゃんは、またしても
十年一日の如く「うさぎの望むようになれない自分」に悩んでいた。な
らば、Act.14の血の滲み出るようなあのドラマは何だったのだろう。

心に刺さった小さな棘がきれいに抜け落ちた今も、未だその小さな痍口
からは鮮やかな血の滴りが滲み続けているのだろうか。忘れたつもりに
なってはいても、そこにはいつも痛みが取り残されているのだろうか。

人間の成長には、元々「これでいい」「ここで上がり」というゴールな
どないのだろうけれど、それにしても、今初めて自ら人と関わり始めた
ばかりのこの娘の、辛く昏く深い夜はなぜ明けない。なぜいつもこの娘
は泣いてばかりいるのか。

Act.15の「あの下駄箱の前」で、うさぎとなるちゃんの背後を蹌踉と横
切ったあのとき一瞬オレがそう疑ったように、本当に亜美ちゃんは荊の
森を分け入るような苦闘の末に掴んだ人としての成長を手放し、他者を
全面的に拒絶する位置にまで退行してしまったのだろうか。

Act.14で見せたあの強さは、所詮うさぎ一人の愛情を得るためのものに
すぎなかったのか。あのときこの娘が到達したのは、大好きなあの人が
自分一人だけを見つめてくれればそれで満足する、そういう地点でしか
なかったのか。

それは違う。

違わなければ嘘だろう。

この少女たちのリアルな情念のドラマにおいて、「満点をねらいすぎて
いる」のは亜美ちゃんではない。それをいうには、小林靖子という個人
名を出すまでもない。

他者を全面的に拒絶することで、人との関わり方をまったく学んでこな
かった、ある種畸型的な少女を創り出し、そんな偏跛な少女に対して人
として十全以上であれと強いる物語構造そのもの
が、亜美ちゃんに対し
て厳格に満点を求めているのだ。

仮に亜美ちゃんがなるちゃんと和解を果たせなかったとして、そんなこ
とは現実にいくらもある。たとえば亜美ちゃんがうさぎ一人をひたすら
に希求したのだとしたら、普通一般の現実においては、そのために何か
を犠牲にしなければならない。

人の生き様は、おおむねトレードオフの連続だ。あれもこれも獲得する
ことはできないから、あれかこれかの二者択一を迫られる。そして、現
実に生きている一人の人間の選択を、赤の他人が間違っているとか正し
いとか、軽々に規定できるものではない。

今の亜美ちゃんにはうさぎ一人しか見えていないのだとして、それでこ
の少女のこれまでの冷たい孤独が何ほどか癒されるのだとすれば、うさ
ぎの好意を求めることで、それまでよりも何ほどか強くなれるのだとす
れば、それを「間違っている」とだれが言えるのか。

それを言うのは、一つのドラマがもう一つのドラマを生み、徐々に大き
なうねりと化していく、冷酷なドラマの要請そのものだ。

今回のエピソードは、Act.14Act.5 の棘を溶かしたうさぎとの二者関
係では解消できない…というより、むしろこれまでのドラマが一応の解
決をみたこと、それ自体のゆえに生起する新たな物語を語っている。そ
のために、これまでのドラマで亜美ちゃんが到達した立ち位置では飛越
できないハードルが意図的に現出されている。

うさぎとの二者関係が、「声が届く」という実感に基づいた温かい到達
点に達したあとでは、うさぎの「誤解」は最早亜美ちゃんにとって冷た
いものではない。うさぎが亜美ちゃんの言動をすべて善意に解釈したの
は、うさぎの天性の善良さもあるだろうが、亜美ちゃんとの二者関係が
愛情を基調にしたポジティブな関係性となったからだろう。

今回の落とし所が「うさぎの理想なんて裏切っちゃえばいいのよ」とい
うものであったように、このうさぎの善意の誤解そのものを解くことに
は、亜美ちゃんの立場ではあまり大きな意味はない。

そのくらい、思いたいのであれば思わせておいたっていいんだよ。この
先うさぎが「裏切られる」としたら、そんなうさぎの思惑に縛られない
自己像を獲得した亜美ちゃんの自然な言動によってだろう。わざわざそ
の誤解を解くために何らかのアクションを起こす必要はない。

今回の亜美ちゃんが、同じように「うさぎの望むようになれない自分」
に悩んでいたのだとしても、Act.5 のあのときとは事情が違う。それで
うさぎが離れてしまうのではないかと悩んでいるのではなく、うさぎが
亜美ちゃんへの愛情に基づいてそう思いたがっている自分になれないこ
とで、うさぎに対して罪悪感を覚えているのだ。

そのために知らず知らずのうちに、うさぎの思い込みから一歩もはみ出
せないように自分の外面を縛ってしまっている。それでいて、心のうち
では、リアルに生きる一人の少女が、ごく当たり前のリアルさで生々し
く息づいている。所詮、他人の思惑どおりの自分など、意図的に演じる
フィクションでしかない。そこを亜美ちゃんは割り切れないでいる。

裏も表もなくうさぎの思うとおりの自分でないことだけをもって、リア
ルな自分の価値を全否定してしまっている。醜い気持ちが動くリアルな
自分が許せない。それは、当たり前の意味ではまったく話が逆だ。

人は、今ここにある自分が感じ生きているリアルな現実をこそ受け容れ
るべきであって、だれかの思惑がそれとズレているのであれば、間違っ
ているのはその他者の思惑のほう
であるべきだ。

こうした筋道を「ごく自然に」生きているのは、「ドライブミー・マー
キュリー」を歌った河辺千恵子が演じている大阪なるだ。水野亜美役と
は極性が逆であるけれど、強者である自分を無前提に加害者と決め附け
弱者である亜美ちゃんを可哀想な被害者と視る、無責任な第三者の視点
に対して「冗談じゃないよ」と啖呵を切るのがなるちゃんだ。

対するに、レイちゃんはAct.5 の一件からして亜美ちゃんの気持ちを気
遣っている。Act.4 で亜美ちゃんに言われた「仲間が怖い?」という一
言が、表面上見えている以上にレイちゃんの心に響いているのか。

以前オレはAct.5 についてのコメントで、レイちゃんのことを「うさぎ
たちとは仲間という間合いなので、亜美ちゃんとは違って友人関係につ
いては悩んではいない」と評した。多分、あのときは本当に悩んでいな
かったのだろう…というか、悩むことを自らに禁じていたのだろう。

あれから、いろんなことがあった。レイちゃんのクールな鎧をまず武装
解除させたのは、Act.8 で奮闘したホットなまこちゃんだ。二人の交流
については、以前すでに詳説したので繰り返しは避けるけれど、具体的
なセリフでレイちゃんの変化が語られたことはないものの、「仲間」と
「友だち」は別という地点から出発して、その両者をことさらに弁別す
る必要もないほどに、レイちゃんは仲間たちを友として自然に受け容れ
るようになった。

そして、レイちゃんは人間の型が亜美ちゃんと少し似ている。この二人
の立ち位置を、以前「他人との間合いの取り方で悩む亜美ちゃん」「最
初から戦いの間合いで孤立するレイちゃん」と表現した。

レイちゃんと亜美ちゃんには、普通なら自然に親和的な方向で成立させ
ることができる間合いを、他者との間に構築することができないという
共通した関係性の不全がある。ただ、レイちゃんは強くて亜美ちゃんは
弱いというだけの話で、またしても強い女の子の話になるわけだ。

レイちゃんの場合は、意図せざる自身の属性ゆえに周囲が迫害するから
孤立しているのだし、亜美ちゃんの場合は、意図せざる自身の属性に纏
わる欲得を抜きに他人が接してくれなかったために、他者を全面的に拒
絶しているから孤立しているのだ。そういうふうに表現すると、この二
人は、表面上そう見える以上によく似た孤独を分かち合っているといえ
るだろう。

レイちゃんの言葉が亜美ちゃんに対して力を持つのは、うさぎでも亜美
ちゃんでもないレイちゃんが、うさぎの理想どおりでも何でもない、醜
い心も動くリアルな一人の少女としての亜美ちゃんを「それでいい」と
受容してくれたからだろう。これまでのエピソードのすべてを通じて、
うさぎ以外に全人格を賭けて亜美ちゃんに相対してくれたのは、この場
面のレイちゃんが初めてだったのではないか。

レイちゃんは、意識的に他者と距離をとる生き方をする人間だ。それは
彼女の冷たさや堅苦しさではなく、人と人との間には、自ずから線引き
が為されるべきだという信念に基づくスタイルだろう。

人は己の思うとおりに生きるべきであって、最終的にその人の生き様を
決定するのはその人自身であり、その生き様の責任はその人自身にしか
とることができない。だから無責任な「よけいなお節介」はしたくない
のだろう。

他者の選択に対して影響力を行使すること、だれかの個人的な事柄につ
いての決定に容喙すること、レイちゃんにとって、それは他者が軽々に
為してはならない禁忌である。

レイちゃんは、最初の最初から亜美ちゃんを気遣っていたのだし、亜美
ちゃんがより良く生きられるように変化していくことを、だれよりも強
く望んでいたはずだ。だが、その自分の望みを果たすために、亜美ちゃ
んに対して何かを強制することは、レイちゃんの規範では許されないこ
とだった。

そうしたレイちゃんの生き方の型が、亜美ちゃんを巡る物語ではそここ
こに散見される。レイちゃんは、常に亜美ちゃんの心の動きに気を配っ
てきたが、だからといって何かを積極的に働きかけるということもしな
かった。うさぎを見つめる亜美ちゃんの横顔を、ただ心配そうに見守る
だけだった。それはレイちゃんの消極性ではなく、厳格な規範の求める
自律の要請だ。

オレにはレイちゃんという人間は、理にしたがって生きるという建前抜
きには成立しない人格だと思える。そうでなければ、回心の飛越に感動
が生まれない。そして、オレには、今回の亜美ちゃんのドラマそのもの
が、レイちゃんの飛越のドラマを生起させたように見える。

亜美ちゃんの独白を受けて、レイちゃんが珍しく激昂して亜美ちゃんを
一喝するのは、レイちゃんの側からいえば、またしても守るべき一線を
劇的に飛越した瞬間
であったとオレは思う。

レイちゃんが自身の言葉を「保証する」と断言する以上、それは「無責
任」な言葉ではあり得ない。赤の他人である亜美ちゃんのために、その
言葉のもたらすすべての事柄に対して、自分が全責任を持つと明言して
いるのである。

亜美ちゃんがより良く変われるために、レイちゃんもまたこの一瞬に変
わったのだ。他者の自己責任を尊重するという立ち位置から、他者と全
人格を賭けて関わり合うために、その責任を全面的に引き受けるという
立ち位置にまで一気に飛越したのだ。

思いあまって口に上せかけた「私だって」という一言は、この辺の機微
を語っているのではないだろうか。「裏表」というのは、つまり理と情
の葛藤だ。表面上クールな態度をとっているレイちゃんが、だれよりも
情熱的な内実を秘めているのは、今あらためて指摘するまでもない。

レイちゃんが、その内面にたぎる熱い情の部分を剥き出しにするのであ
れば、それに伴って厳格な理の部分も劇的なパラダイムシフトを敢行す
る必要がある。レイちゃんの「保証」という言葉には、それだけの重み
があるのだ。

これまで、うさぎを見つめる亜美ちゃんの辛そうな表情に接して、人一
倍その辛さを分かち合っていたのがレイちゃんだろう。そうした気持ち
を抑えて、ただ黙って辛さを共に味わい気遣ってあげていた。しかし、
亜美ちゃんには、すぐ側にいるレイちゃんのそんな優しい眼差しにも気
附く余裕はなかった。

うさぎの理想を裏切る自分がまったくの無価値であると断じることは、
そんなレイちゃんの気持ちもまた無価値であると断じることだ。あるが
ままの亜美ちゃんを受け容れているレイちゃんの愛情が、亜美ちゃんに
とってはまったくの無価値であるということだ。

ひるがえって、うさぎを巡って対立するなるちゃんの真っ直ぐな敵意も
また、亜美ちゃんにとっては、邪魔だという以上の何ほどの意味も持た
ないということだ。なるちゃんは、うさぎの弁護の言葉ではなく、亜美
ちゃん自身の本心から迸る気持ちを聞きたがっている。喧嘩をしかけて
いるのに、一方的ないじめにしかなっていないことに苛立っている。

亜美ちゃんはなるちゃんに激しい嫉妬を覚えていたのだが、それはなる
ちゃんだって同じことだ。この二人は、うさぎを巡ってまったく同じよ
うな辛さを味わっているのに、なるちゃんはうさぎを困らせてでも嫉妬
や苛立ちに突き動かされる自分の我を通そうとするのに対し、亜美ちゃ
んはうさぎの視る自分だけを本当の自分と視て、そうなれない自分を無
価値なものとしか視ない。客観的に視れば、それはなるちゃんの生き方
をも全否定している
のだといっていい。

亜美ちゃんにとって価値があるのは、うさぎが一人勝手に思い込んでい
る「優しすぎる亜美ちゃん」という理想像だけだ。亜美ちゃんは、うさ
ぎに応えてほしいと望むあまりに、他のだれに対しても応えていない。

ただ、それは単に亜美ちゃんに周囲が見えていないだけのことなんだ。
レイちゃんがうさぎと同じように自分を愛してくれていること、極性は
逆でも、なるちゃんもまた亜美ちゃんを一人の人間として真っ当に扱っ
てくれていること、それが見えていなかった。

レイちゃんは、自身の飛越をもってして、そうした亜美ちゃんの迷妄に
痛烈な平手打ちを喰わせたのだ。

孤独な自分に初めて温かい手を差し伸べてくれたうさぎ一人だけが、亜
美ちゃんを見つめているわけではない。うさぎのアティテュードがきっ
かけであったとしても、一度動き始めた少女たちの物語のなかで、少女
たちの眼差しは徐々に交錯し始めているのだ。

そのように考えていけば、今回の鈴村ローテの二エピソードで、執拗に
少女たちの眼差しのクローズアップが多用されている意図にも気附くは
ずだ。少女たちのぶつかり合い、すれ違い、見つめ合う眼差し。互いが
互いを視ることと視ないこと。こうした眼差しのドラマとして今回の二
エピソードは構築されている。

うさぎだけではなく、レイちゃんも、なるちゃんも、そしてまこちゃん
だって、亜美ちゃんを取り巻くすべての人たちは、一人の人間としての
亜美ちゃんを真っ直ぐに見つめてくれている。

なるちゃんが一方的に突っ掛かってくるのであれば、それに対してガチ
で喧嘩をしてやるべきだ。レイちゃんがありのままの亜美ちゃんを大切
に思ってくれているのであれば、レイちゃんがありのままの亜美ちゃん
を大切に思うその気持ちをも大切にすべきなんだ。

レイちゃんの劇的なアティテュードによって、亜美ちゃんはうさぎ以外
の人々の自分に対する眼差しの大切さをも理解した。そんな大切な眼差
しに支えられる自分だからこそ、うさぎの視線上に結像する理想という
虚像よりも、今ここに生きている醜い心も動くリアルな自分にこそ価値
がある。そんなありのままの自分でうさぎを好きでいればいい。

うさぎの理想なんて、裏切っちゃえばいいのよ。

そして、妖魔との対決のあと、四戦士が喜びを分かち合う場面には、こ
れまでの亜美ちゃんエピソードとは違っている点がある。亜美ちゃんに
課せられた課題が解決されたあとでも、うさぎと亜美ちゃんの間に肉体
的接触がなかった
ことだ。

これまでの亜美ちゃんエピソードでは、人との関係性の実感が欠落した
少女に対する非性的なニュアンスに基づく肉体的接触を繰り返し描くこ
とで、人と人が触れ合う実感の大切さを強調してきた。

今回の物語の末尾ではそれがない。最早それは必要ではない。今回うさ
ぎに気遣われているのは、風邪を押して駆け附けたまこちゃんだし、四
戦士がだれをことさらに強調することもなく等価で笑い合う、きわめて
普通のエピローグとなっている。

うさぎがすべての友人たちを等価で見つめているように、亜美ちゃんも
自分を取り巻くすべての人々を等価で見つめられればいい。うさぎと亜
美ちゃんの間の問題は、独占が不可能だったということではない。見つ
める視線の対称性が破れていること、それ自体が問題だったのだ。

レイちゃんの飛越が亜美ちゃんに対して力を持つのは、亜美ちゃんに対
して真摯な眼差しを注いでくれるのは、うさぎ一人ではないことを身を
もって示してくれたからだ。

自らが自らに課した規範を飛越してまで、確立された自分という型を毀
してまで、自分に温かい手を差し伸べてくれたレイちゃんの存在が、う
さぎと等価で大切なものに感じられたからだ。

調理室の場面で、亜美ちゃんは初めてなるちゃんを真っ直ぐに視た。そ
のうえで、自分の気持ちを正直に吐露した。なるちゃんにパートナーを
申し込み「喧嘩はしたくないけど、うさぎちゃんと組むのも譲りたくな
い。そんなに優しくないの、わたし」と語る亜美ちゃんの言葉は、もの
凄く端的に真正直だ。

喧嘩を仕掛けてくるなるちゃんに対して「喧嘩はしたくない」と応じる
のは、なるちゃんに直接向かう関心がなかったことを認め、なるちゃん
となかよくしたいからパートナーを申し込んでいるわけではないことを
最初から明らかにしている。そして、うさぎとなるちゃんがパートナー
を組んでなかよくしているのを見るのがいやだから、うさぎと組ませな
いために申し込んでいることも明言している。

だからなるちゃんは「まあ、それなら私も同じかな」と応じてくれたの
だろう。なるちゃんは、亜美ちゃんのこの言葉が、自分の課した課題に
対する誠実な回答であることを理解しているのだ。

本来、なるちゃんが亜美ちゃんに仕掛けた喧嘩は、なるちゃんの側に動
機のあるアクションであって、亜美ちゃんの側にはそれに応じる義務な
どないことだ。人には他者に対して正しくあるべき義務などない。だか
らこそ、他者に対して正しくあろうとする姿勢そのものが評価されるべ
きなんだ。

なるちゃんは、「なるちゃんが亜美ちゃんを誤解して責めている」と視
てうさぎが庇ってくれることに甘えて明確な意志表示をしなかった亜美
ちゃんの「ずるさ」がいやだったのだから、ここまで身も蓋もない意志
表示をされたら鉾を収めざるを得ない。

何よりも肝心なのは、なるちゃんは亜美ちゃんの気持ちを知りながらう
さぎを独占していても、それで理も非もなく愉しくなれるほど幼稚な人
間ではない、独占自体が目的の独占ではなかったということだ。

自分がうさぎを独り占めすることで、亜美ちゃんが嫉妬を覚えているこ
となど、なるちゃんには百も承知だったろう。そんなリアルな感情を曖
昧に取り繕う不誠実な姿勢が不快だっただけなのだ。

つまり、自分が「ずるい」と感じる人間が、自分のいちばんの親友であ
るうさぎを、そのずるさのゆえに独占している現状がいやだっただけと
いうことになるのだろう。なるちゃんが表面上うさぎを独占していたの
は、面当て的な意志表示だったということだ。

本当はなるちゃんだって、亜美ちゃんが辛い思いをしていることや、悪
意的に振る舞う自分の言動のとげとげしさが辛かったはずだ。Act.5 の
パジャマパーティにおけるなるちゃんの態度を視れば、自分たちの独占
的二者関係から他者を排除することに、それほど執着する人間ではない
ことは明らかだ。むしろ亜美ちゃんを自分たちの輪に馴染ませようと、
積極的に気遣っているくらいだ。

また、よしんばそれがいちばんの親友という自負に支えられた余裕だっ
たとしても、衛との間を積極的に取り持ったことでも、同性の友人であ
るうさぎの独占それ自体に執着する幼児的な人間ではないことが視てと
れるだろう。独占欲の強い少女というのは、一般的には親友と異性との
交際も許せないものだからね。

一方、なるちゃんは宝飾デザイナーの娘という「母親が商売人の家庭」
に育った人間であり、Act.1 で描かれたカツサンドを巡る母親との遣り
取りを視ると、どうも母子家庭で母親と支え合って生きてきたような匂
いがある。

そしてそれは、有名医の母親を持ち、父親不在の家庭のなかで、さらに
母親の不在による孤独をも堪えて生きてきた亜美ちゃんと共通する来し
方である。

この二人が、わかり合えないはずはない。

亜美ちゃんの誠実なアティテュードにあって、瞬時に「じゃ、やります
か」とわだかまりを解消できるなるちゃんの率直さは、サッパリした気
性であるという以上に、自分の課した課題に対する相手の誠意を理解で
きるだけのリテラシーと公正さがあるということだ。

つまり、ここの芝居場はがっちり噛み合っている。亜美ちゃんは、なる
ちゃんに対してなかよく接することが求められていたのではない、表面
上優しく振る舞うことで無関心を糊塗する不実を糾弾されていた
のだ。
睨み据えるなるちゃんの眼差しから、迷惑そうに視線を逸らす不誠実さ
が責められていたのだ。

だから、亜美ちゃんがなるちゃんの眼差しを受け止め、飾らない言葉を
ぶつけた瞬間にすべての葛藤は終わっているのだ。そこから何かが起こ
るとしたら、それはこれまでの関係の修復ではない。古い映画のセリフ
ではないが、それは新たな友情の始まりだ。

亜美ちゃんとなるちゃんは、今初めて、等価な一人の人間同士として互
いに見つめ合っている。なるちゃんが亜美ちゃんに向けた笑顔は、何か
に対する応えや赦しではなく、初めて向き合った見知らぬ人に対して屈
託なく差し出された親しみの手だ。

この娘には、こうした美点がある。

レイちゃんの愛情の大切さ、なるちゃんの烈しくぶつかってくる誠意の
公正さ、こうしたものに目を向けられた亜美ちゃんは、最早うさぎの視
線だけに縛られる存在ではない。他のだれが相手であれ、自分に向けら
れた温かい眼差しに対して、誠実に見つめ返すことができるようになる
だろう。

それには、もう少し時間がかかるのかもしれないが。

亜美ちゃんが手作りのクッキーを贈る相手が「ママ」であることは、そ
の意味で興味深い。一見当たり前に見えるが、友人という他者との交わ
りを通じて肉親に戻っていく愛情の連環
は、もはや出発点のままにはあ
り得ない。

その不在が亜美ちゃんの孤独の端緒をつくったであろう母親に、友人た
ちとの辛く優しい交流の結晶として、新たな友人と共に作った手作りの
クッキーを贈ること、それは孤独な娘を思い遣りながらも側にいてやれ
ない母親に対して、今の亜美ちゃんができる精一杯の近況報告だ。

これは一種、これまで描かれてきたうさぎに対する独占欲が、他者の視
る自己像への一体化や、肉体的な接触の強調も含めて、母親に対して自
分一人だけを視てほしいと願う孤独な少女の無意識の欲求の転移だった
という「意味附け」になっているのかもしれないが…いやいや、そんな
ことでは、オジサンは騙されませんよ(木亥火暴!!)。

そして、物語は円満に幕を閉じるのだが、差し引き勘定として残るのは
守るべき一線を飛越したレイちゃんの激情だ。

こうして、終わった物語は新たな物語を紡ぎ出していく。

終わりは、新たな始まりなのだ。

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