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Act.19-2 ハンプティを元に戻せない

また、何をいうにも今回は、佐藤ローテとは打って代わった脚本の好調
ぶりが、ここ数話を通じて恋に目が眩んでいたうさぎの本来的な魅力が
どこにあったのかをオレたちに思い出させてくれる。

うさぎの側のドラマをつくるのに、クラスメートの大地くんに想いを寄
せるひかりちゃんという幼女を持ってきた辺りが、まず物語の智慧だ。

これまでの数話でうさぎが魅力的でなかったのは、本来うさぎの魅力は
一筋に他者を思いやれる純粋さと、その気持ちを実践できる行動力だっ
たはずなのに、衛との二者関係では、自分の問題だけで頭がいっぱいに
なってしまい、しかも悩むばかりで何の行動も起こさなかったからだ。

ここに、ひかりちゃんという他者を持ってきて、しかも同じ陽菜を直截
ライバル視させることによって、うさぎの芝居にうさぎならではの情感
の動きを出している。

ブティックで陽菜・衛に遭遇した場面でも、うさぎの衛に対する気持ち
やこれまでの経緯など知る由もない陽菜は、その辺でもらった飴ん棒を
ひかりちゃんだけではなくうさぎにも何心なく渡してしまうが、これは
つまり、うさぎをその辺の幼女と同列の「子ども」と見ているという認
識の表れだ。

飴ん棒を渡されたうさぎを見て噴き出す衛のリアクションに、怨じるよ
うにむくれる辺りの呼吸もいいが、「やっぱダメか…」と独り語ちて飴
ん棒を舐めようとしたタイミングで、ほんの幼女に過ぎないひかりちゃ
んが、大人のライバルからの子ども扱いに発奮して陽菜に対抗意識を燃
やし、うさぎがそれにたじろいで、思わず一度なめかけた飴ん棒をもう
一度包み直そうとする辺りの呼吸は絶妙だ。

これには、お提げ髪を整えて精一杯に取り澄まし「母の友だちから『預
かって』いるんです」と保護者を気取ったところへ、連れの幼女と同列
の子ども扱いを受けるというカウンターのタイミングも効いている。珍
しく、たかまるの小ネタがちゃんと物語上プラスに機能しているじゃな
いか、なんか気持ち悪いなぁ(木亥火暴!!)。

陽菜に飴ん棒を渡される前は、「他に好きな人いるし…」と弱気だった
ひかりちゃんだが、通りすがりの自分より小さな子どもに飴ん棒を渡し
て「『あんな女』、絶対負けない!」と髪を掻き上げる仕草に、陽菜と
対等の一人の女として立ち向かう決意が表れている。それまでは「陽菜
さん」と呼んで年長者として扱っていたのが、「あんな女」呼ばわりす
ることで、自分も対等の「女」であるという意識を鼓舞している。

それ以前にうさぎが、陽菜のナチュラルな子ども扱いと衛の態度にむく
れながらも、「どうせ子どもなんだ…」と自己卑下に甘んじかけた流れ
で視ると、高校生と中学生と小学生の女の子が演じる芝居場としては、
ただのラブコメのドタバタではないおもしろみが出ている(註:このレ
ビューを書いた時点では、陽菜を原作コミックスの衛と同様高校生だと
認識していた。以下同様)。

ひかりちゃんの場合は、同年代の男の子への片恋に、この二者関係には
まったく不釣り合いな年上の女性が(本人にその気はないとはいえ)絡
んでくるわけだから、ひかりちゃんの側の動機に基づいて、ガチで張り
合ったって差し支えない。

陽菜を相手に弱気になっていた出発点は同じでも、ひかりちゃんの場合
は大地くんとの二者関係では同年代の自分が本筋、でも大人で美人の家
庭教師のほうが女の魅力としては何倍も上手、という力関係に基づく引
け目
があった。対するにうさぎは、年上の男性と年上の女性の継続的な
二者関係に自分が割り込む立場であるという、筋道上の引け目がある。

だから、飴ん棒を渡す子ども扱いにむくれる気持ちは同じでも、ひかり
ちゃんは「年が違ったって同じ女だ」という次元で、眦を決して対抗心
を新たにするが、うさぎは自分が事実何もできない「子ども」であるこ
とにみじめさを感じる。自分が「子ども」であることを思い知らされた
分だけ、うさぎのほうがひかりちゃんより大人ではあるんだな。

こういう立ち位置の違いはあるんだが、小学生が向こう見ずにも高校生
の美少女に女として対抗しようとする度胸に中学生が一瞬怯み、弱気に
なった自分を愧じてしまうという、微妙というには五社英雄すぎる駆け
引き
がおもしろい。

中途半端に大人になってしまうことは、怯懦な弱さに終わることが多い
わけで、純粋に背伸びして大人と張り合えるひかりちゃんに比べて、う
さぎの立ち位置はあまりにも中途半端なんだな。

そして、ブティックの対決のあとに大地くんの許を訪れたうさ・ひかり
が陽菜・衛に鉢合わせするのは、同じようにバレンタインのチョコを大
地くんに渡すためであるとしているのは、段取りとして無理がない。

遡って、ひかりちゃんの対抗心を煽った飴ん棒は、チョコを買うために
立ち寄ったお菓子屋で渡されたものだろうし、だとすれば、陽菜・衛が
ここでいっしょにいたのは、衛と大地くんへ渡すプレゼントを買うため
だったということがわかる。

こういうふうに、普通に言えば何ということもない筋道なのだが、あと
でひかりちゃんにショックを覚えさせるために、大地くんへのプレゼン
トを買ったということを伏せ、そのために衛へのプレゼントとしてマフ
ラー(!)を選ばせてブティックの前で一場面設け、さらに飴ん棒で一
ネタつくっている辺りが段取りのアリバイとして効いてくる。

そして、同じ弱気な出発点からスタートしても、ひかりちゃんは強気に
転じ五千円のチョコを張り込んでコトに臨むわけだが、陽菜にチョコを
渡されて嬉しそうにする大地くんを見てショックを覚え、ふたたび弱気
に転じてしまう。

ここの芝居場も、それまで強気だったひかりちゃんが泣き出してオロオ
ロするうさぎが、「そっか、なんか哀しくなっちゃったんだ…『わかる
よ』」と労るのが巧い。「わかる」んだよ、うさぎには。Act.14で、盛
り上がった気持ちの頂点で、自分に言い訳をしながら手作りのクッキー
を渡そうとしたそのタイミングで、陽菜と衛のツーショットを目撃して
しまったうさぎには、ひかりちゃんの気持ちが痛いほどによくわかる。

このままだったら、ひかりちゃんとうさぎはまったく同じだ。

自分の気持ちに意識的かどうかの違いはあるが、同じようなタイミング
で同じような残酷な現実に打ちのめされた者同士だ。この場面の沢井の
芝居はこうした機微を受けて感動的ですらある。不意に押し寄せた辛い
記憶の姿に耐えて幼子を懸命に励ますうさぎは、オレたちが好きないつ
ものうさぎそのまま
だ。

しかし、大地くんは泣いているひかりちゃんを見て「ひかりちゃん、ど
うしたの」と駆け寄ってきた。ひかりちゃんが後ずさるのは、ショック
を受けて弱気になっているからだが、少なくとも大地くんは、泣いてい
るひかりちゃんを見過ごせないくらいの好意
は持っている。

そこでうさぎが、「好きなら、諦めちゃダメだよ」と言う。それは、う
さぎがまこちゃんに言われた言葉だ。この言葉によってひかりちゃんは
大地くんにチョコを渡すことができ、大地くんに「うちでいっしょに食
べよう」と誘われて、稚ない恋はめでたしになるわけだ。

直後のうさぎのセリフが「わたしは、ダメだな」と弱気なままなのは、
鬱陶しい流れではあるが、作劇上そうでなければおかしい。なぜなら、
ここから畳み掛けるように妖魔が出現し、うさぎが変身して戦うと同時
に、未だ近傍にいた衛がタキに変装して駆け附ける流れになるからだ。

妖魔退治のくだりが手短に納められているのは、作劇上、妖魔の出現は
このひかりちゃん絡みの一連にアタッカで直結して、ムーンとタキとし
てうさ・まもを語らわせるための段取りに過ぎないからだ。

ムーンのピンチにタキが駆け附けるのは、毎回のルーティンではあるの
だが、ひかりちゃんの一連の直後に続けられると、また別の相貌を帯び
てくる。つまり、泣いているひかりちゃんに「ひかりちゃん、どうした
の」と大地くんが駆け寄ったように、ムーンのピンチにタキが駆け附け
る、この二つはこの場の意味性では等価なんだということだ。

そして、うさぎがひかりちゃんに言った「好きなら、諦めちゃダメ」と
いう言葉を、今度はタキがムーン=うさぎに言う。うさぎがひかりちゃ
んに言った言葉も、タキがムーン=うさぎに言った言葉も、他人への思
い遣りから出た励ましの言葉だ。さらに、うさぎが「わたしは、ダメだ
な」と弱気になったように、タキも「けど、オレは…」と自制する。

ここもやはり、係り受けの異なる対称によって、美しい構図がつくられ
ているわけだ。いつもならウザく感じるルーティンに過ぎないムーン・
タキの遣り取りだが、この場面はもう、今回のクライマックスそのもの
だ。幕の内弁当で喩えれば、いつもなら沢庵の古漬けとかウグイス豆と
か切り昆布の佃煮くらいの位置附けなのが、今回に限っては、堂々のト
ンカツだ、穴子の天麩羅だ、神戸牛のステーキだ
(木亥火暴!!)。

映像面で視ても、この場面の若干ハイキーで軟調な絵作りは出色だ。ロ
ケ撮影にも関わらず、光線の拡散具合の柔らかさや回り込み、階調の細
やかさは絶妙で、いつもなら気になる渋江の色黒なニキビ面もきれいに
柔らかく飛んでいる。そして、ここがいちばん美しく撮られていること
は、ドラマの力点の掛かり方としてきわめて正しい

この場面などは、川口・斗沢初顔合わせのコラボレートが実現した名場
面だろうと思う。

全体に川口カメラマンは、上赤に比べてカメラの動かし方がゆっくり穏
やかで、今回のような軟派で軟調のエピソードに向いているような印象
を覚えたが、上赤が得意とするような劇しく絵が動くようなエピソード
も見てみたいと思わせられた。

そして、この場面のセリフは、衛の超人的な鈍さによって意図せざるダ
ブルミーニングとなっていて、衛にとっては、自分のうさぎに対する気
持ちを諦め、うさぎの幸せのために陰ながら見守る決意が込められてい
る言葉なのに、うさぎにとっては、それまでの想い人であるタキが、衛
への想いを諦めるなと励ましているように聞こえている
わけだ。

同時に、これまではドキドキしてうまく話せなかった相手であるタキに
衛への想いを打ち明けてしまうほどに、タキ・衛の間の天秤は決定的に
傾いているわけで、それをタキに告げることは、うさぎがタキではなく
衛を選んだことに伴う絶対に必要な手続だ。

その一方で、うさぎはタキに、衛に渡すはずだったチョコを渡し、衛へ
の想いに踏ん切りを附けようとするが、衛に渡したかったマフラーは渡
せない。ムーン=うさぎの想いは、チョコとマフラーというバレンタイ
ンの縁起物セットを二分割することで、ねじれた形で衛に伝わる。

タキが「渡す人がいるんじゃないのか?」と口にすれば、視聴者は「こ
いつ、うさぎの気持ちに気附いているのか?」と期待するのが当然なん
だが、ムーンが自身の片恋を吐露すると「そうか…こいつもやっぱりだ
れかを…
」って、おい(木亥火暴!!)。どあほう(木亥火暴!!)。

おまえのその鈍さは、すでに「鈍杉とは…」とガイドラインが立つレベ
に達しているぞ(木亥火暴!!)。

しかし、相手が衛であると知らないとはいえ、実際にはうさぎのチョコ
は衛の手に渡ったわけで、さらには、ここで真の想い人に対するプレゼ
ントが手編みのマフラーであることをタキに打ち明けている。

つまり、いかな超人的な鈍感野郎でも、うさぎが手編みのマフラーを衛
に贈ってしまえば、うさぎの衛に対する気持ちに気附かないわけにはい
かなくなってしまったのだから、今後のこの二人の物語がどんなイベン
トを待っているのかが、この場面で明らかにされたわけだ。

その一方で、すれ違いのダブルミーニングによって、衛がうさぎへの気
持ちを諦めて、現実的なしがらみのままに陽菜の気持ちを大切にすると
いう流れが、一時的に強化されてしまった。

実際にはここの芝居場は、もの凄くねじくれた複雑なすれ違いの筋道を
語っているにも関わらず、直前の一連を受けることで、うさぎが自分の
気持ちに正直になり、辛い恋を全うする決意を固めるという、ねじれて
整合している着地点
となっている。

これがどのくらいねじくれているかというと、たとえばチキチキマシン
猛レースで、ブラック魔王の妨害を受けた車が、崖だの池だの民家だの
をコロコロ転げ廻りながら、数回転して何事もなかったように元のコー
スに載っかって普通に走ってるくらいねじくれている(木亥火暴!!)。

こういう知的な作業が自然にできるのが小林靖子の凄みのはずだ。

だから、小林脚本に対してオレが「智慧がない」と批判するとき、こう
いうレベルの作物がメートル原器として念頭にあるのだということだけ
はおわかりいただきたい。

物語の要請が過酷なまでに登場人物に対して「満点」を求めるものであ
るように、智慧あるつくり手の智慧に満ちた作物には過酷なまでに「満
点」の智慧が求められる
ものなのだ。同じ小林靖子の作物でも「あいま
いみぃ! ストロベリー・エッグ」にこんな厳しい基準では臨まないだ
ろう(木亥火暴!!)。

物語に凝らされた智慧というのは、それ自体としてさらなる智慧を要求
し、智慧の欠落による不完全さを許容しない狭量さがある。小林靖子に
とっては辛い局面ではあるだろうが、最早無矛盾であることだけでは許
容されない地点にまで、番組のレベルは突き抜けてしまっている。まし
て、現実的な事情に基づく弱みをスルーすることは、少なくともこの作
品に相対する場面ではつくり手・受け手ともに不誠実だ。

小林靖子個人に対する反感から批判するのではもちろんないし、重箱的
なトリビアリズムで悦に入るほど下劣な人間でもないつもりだ。小林靖
子が自身のリアリティに対して不必要なまでに誠実であるように、一介
の視聴者であるオレも、小林靖子本人ではなく彼女の智慧に対して可能
な限り誠実でありたいだけだ。

うさぎと衛をめぐる物語がそういう意味では満点の智慧に彩られている
のに対し、Act.1718で残された課題のほうは、今後に判断を委ねるし
かない。レイ・美奈対決の本質に切り込んだ噛み合い、まこちゃんの人
物像の確立、真相開示による美奈子の人物像の回収。残された課題は、
まだまだ多い。

今後の引きでいえば、まこちゃんの問題もさりながら、レイちゃんが美
奈子との因縁を仲間に隠している筋道も明らかにされていないし、レイ
ちゃんに対してうさ・まもの問題が秘密になっているのも、まこちゃん
が絡んでいるだけに、またしても便宜的な臭いがする。

美奈子も含めた五人の立ち位置がバラバラになっているという状況をつ
くるのが目的の秘密であるのなら、心情的なアリバイは完璧に繕ってお
く必要があるだろう。これまでの経緯から推して、この番組においては
いつもの小林靖子的な誠実な後附けがいつでもうまく機能するとは限ら
ないのだから、ここにもそれなりの智慧を期待したいところだ。

たとえば、今回のルナのセリフはAct.18を踏まえると明らかに矛盾して
いるんだが、佐藤監督のほうでつながりの説明を切ってしまったという
解釈では、ちょっと辻褄が合わせられないだろう。

うさぎの部屋にでかでかとポスターが貼ってあるのだし、Act.14でまこ
ちゃんと新曲をデュエットしている以上、ルナが愛野美奈子を知らない
とは、ちょっと受け取れない。だとすれば「プリンセスとそんなに話し
たの?」「どこの『だれか』もわからないんだから」というルナの言い
回しは、明らかにAct.18の登場場面と正面から矛盾する。

だから今回のエピソードでは、Act.18のあの場面に無説明でルナが居合
わせたこと自体が不必要なのだから、Act.18の登場場面を「なかったこ
と」としてネグレクトしたと視ていいだろう。

一年五〇回の連続のなかでは、細かい矛盾要素を「なかったこと」とし
て忘れて仕切直すのも智慧のうち
だろう。何もかもを後附けで無矛盾に
意味附けるばかりが智慧ではない。これほど複雑肥大化した物語の大河
のなかで、絶対的な整合性を求めることは不可能なのだから。

そういう選択肢も含めて、小林靖子の今後の智慧に期待したい。

…というわけで、メインの大筋を視てきたあとは、いつものように各論
の小ネタに移るとしよう。

冒頭に引いた公式サイトの情報だが、トピックスとして亜美ちゃんの編
んでいる手袋が、今後のエピソードで重要な小道具となることが明かさ
れていた。

厳密には、他の四人がてんで勝手にバラバラな動きをしていることで、
亜美ちゃんがクラウンに独り取り残されていることが「新たな悲劇の幕
を開ける」と書いてあるから、手袋自体というより、亜美ちゃんが独り
で取り残されていること
がポイントなんだろうけどな。

ピンクの毛糸であることから、今編んでいるのがうさぎへのプレゼント
だろうという察しは附くんだが、クラウンに入ってきたときに持ってい
た包みからは赤い毛糸も覗いていたので、それだけとも思えない。

赤といえば、Act.17では「お母さんの大好きな色」というセリフがあっ
たが、家庭科の課題はもう提出して戻してもらったわけだから、赤をシ
ンボルカラーとするレイちゃんにも…とも考えられる。

そうなると、まこちゃんにだけあげないのも不公平だから、結局全員お
揃いの手袋を編んでいるのか。亜美ちゃんの想い描く「仲間」という括
りにはヴィーナスも込みなのかどうか微妙なところだが、ここ数話の話
の流れが、仲間たちの心がバラバラになっていることを縦糸に据えてい
ることを考えると、亜美ちゃんがキーパーソンとなって、仲間たちのま
とまりを回復する
という流れになるのかもしれないね。

その筋道に至るイベントを、公式サイトでは「新たな悲劇」とまで表現
しているわけなんだが…うーむ、再来週は大黒柱の舞原ローテで、まこ
ちゃんが亜美ちゃんを看病する話なんだろ? また亜美ちゃんばっかり
贔屓するのかよ、まこちゃんや美奈子の惨状が可哀想だとは思わないの
か、小林靖子(木亥火暴!!)。

…いや、実際、佐藤監督のタッチがアレで、鈴村は少女地獄に疲弊した
挙げ句にライダーピチョンに戻ったし、あとは「異業種監督」のたかま
るなんだから、ガチで何かを託せる守護神の舞原監督には亜美ちゃん話
を任せるということになると、他のメンバーはいつまで経ってもしょっ
ぱい描写のまんま
なんでは…と心配で(木亥火暴!!)。

まあ、今回のエピソードの出来がフロックではなく、たかまるシフトが
効果的に機能すれば、現場のディスカッションで佐藤監督のオサーンな
センスにも軌道修正の目が出てくるし、それなりに舞原ローテ以外でも
まともな話にはなると思うんだけど、信頼できるディレクションで描写
に一本筋が通るかどうかというのは、かなり意味が違うからなぁ。

いっそのこと、舞原のツテで円谷映像から広田幹夫辺りを引っ張ってこ
れないもんだろうか…あと、ヒマそうにバイトで喰い繋いでる某川崎郷
とか…とまで考えているんだが、もちろんオレが考えたってそうなっ
てくれるわけではない(木亥火暴!!)。

まあ、いちばんあり得る線は、今回の川口カメラマンのような新人の取
り立てだろうが、川口の仕事ぶりを視る限り、東映の若手人材の秘める
潜在力は侮れない。そうした世代交代の実験ファームという性格もこの
番組にあるようなので、フレッシュな才能が効果的に働くことを切に期
待したいところだ。

それから、今回はダークキングダムサイドにも決定的なセリフが出てき
たな。ここのベリルとクンツァイトの芝居が多分間違っていないという
のは、たかまるローテでも希望が持てるという手懸かりになっているん
だが、プリンセスに話が及んだ際にクンツァイトが「消えるでしょう…
ふたたび」と意味ありげに漏らすこと、これはおそらく腹芸だ。

ベリルが「忘れておらぬのか?」と問い「…何を?」と返す、ここの間
合いに無表情でありながら殺気が漲っているのが興味を掻き立てる。ク
ンツァイトが、クイン・メタリアに傅く者であるなどと急に言われても
受け取れるものではない。それが真相でないことは明白だと思う。

敵の敵は味方の論理で、最近とみになかよしこよしのジェダ・ネフコン
ビにしてみれば、「クイン・メタリアの力をわが物に…」くらいの邪推
に留まるのだろうけれど、クンツァイトが真に過去の記憶を取り戻して
いるのだとすれば、未だ人格的な力として立ち現れていないメタリアの
使徒を標榜するのは、ベリル直下の下僕としての命令を拒むための、
種の方便
ではないかと疑われる。

おそらく、クンツァイトはベリルの前世に因縁を持つ不倶戴天の何かな
のではないか。クンツァイトの傍若無人さや全方位の厭味の底には、憎
しみと軽蔑があるのではないかというのが、オレの感じ方だ。しかも、
それはクイン・ベリルその人を指向する感情であるかに見える

そういう見地に立って視れば、クンツァイトのジェダ・ネフに対する厭
味な態度は、四天王の第一人として、不甲斐なくベリルに鼻毛を読まれ
愛欲の手管で正気を奪われている仲間たちへの「やれやれ」という嘲弄
の意味があるのかもしれない。

とにかく、ダークキングダムサイドで今後の物語の行方を握るキーパー
ソンとなるのが、記憶を取り戻したんだか喪ったんだかサッパリわから
ない
、この謎の男であることには、だれしも異論がないだろう。

さて、もう疲れてきたから最後にするが、今回もう一つ気になったのは
まこちゃんが元基にマフラーをあげたこと。深読みのしすぎかもしれん
が、これだけで完結するイベントであるとしたら、ちょっと無意味に段
取りが重すぎる
ように感じる。

ネタといえばネタなんだが、わざわざ直前に「色が合わなくて要らない
から、だれかにあげたい」という言い訳を入れていて、その前には亀か
らのバレンタインプレゼントという無理無理なネタまで入れて、元基が
プレゼントを欲しがっている気持ちを入れている。

しかも、この流れは前回まこちゃんが、衛に探りを入れるために元基を
飯田橋の堀っ端に誘い出したことを受けているわけだから、しつこいと
いえば相当しつこい前フリだ。

で、そもそもそこまで前フリをして、オチが「元基勘違いして大喜び」
では、何のギャグにもなっていない(木亥火暴!!)。

これはもう、美奈子重病説級の無理無理なショック療法でまこちゃん描
写を回収する腹じゃないかと邪推してるんだが、理詰めで考えると、既
存のキャラクターイメージと小林戦隊のドモンの間で揺れる「木野まこ
と」の人物像を端的に集約するドラマもまた、恋愛ネタでしかつくれな
だろうというのは自然な推測ではある。まこちゃんとドモンの、残さ
れた共通項は、恋愛物語の主人公というところしかないからな。

もちろん、現時点では、飯田橋の堀っ端に呼び出したのは探偵のためだ
し、普通の女子中学生ならマフラーを編むのは一大事業だが、手芸好き
のまこちゃんにとっては片手間仕事で、普通一般のような「重い」意味
などない。Act.7 の態度からいっても、まこちゃんが元基をどうも思っ
てないのは明らかだ。

しかしそこへ、彼女がいなくてバレンタインデーを悶々と過ごしている
元基をあてがうというのは、悪意でもない限り、首まで埋めた犬の前に
肉汁滴る美味しい餌を置くようなもの、元基の亀色に染まった干し首で
犬蟲でもつくるつもりなのか、小林靖子(木亥火暴!!)。

これが他の面子だったらともかく、ことまこちゃんに関しては、これま
での小林靖子の手当が、ことごとく裏目に出ているだけに、今度こそ気
合い入れて頑張ってほしいと思うんだが…どうなることやら。

ところで、ホントに最後の最後の暴言なんだが、まこちゃんて…どこと
なくネフに似てねーか?(木亥火暴!!)

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