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Act.20-3 散りゆくは、微笑みの幻

さて、いよいよ大ネタであるうさ・まも接近編に移るわけだが、これま
では、少女たちの心のいろはをデリケートかつダイナミックに描いたオ
ヤジ必見のこの物語において、唯一異性の絡む凡庸なルーティンとして
鬱陶しく思ってきたうさ・まもラブラブ、小林靖子が本腰を入れてこの
二者関係を進め始めたここ最近のエピソードでは、申し分のない智慧が
発揮され、見応えのあるラブストーリーとなっている。

また、主要登場人物に満遍なくドラマが割り振られた今回のエピソード
において、まさに物語の芯となるのがうさぎと衛のラブストーリーだ。

オレがこの二者関係について「ラブストーリー」なんて小っ恥ずかしい
タームを使うのはこれが初めてだが、これまでがどうあれ、今回の物語
においては、うさぎも衛も互いを異性として認識し、男女の間合いで幸
福を噛み締めているからには、そう表現せざるを得ないだろう。

オレが初めて渋江譲治演ずる地場衛を魅力的だと思ったのは、必要以上
に派手な背中落ちが印象的なAct.15の笑顔に接したときだったのだが、
今回のエピソードの衛に関しては、もう最初から最後まで、満面に笑顔
の華が満開
だ。

今回のエピソードが文字通りの「ラブストーリー」として成立している
のは、これまで妙にリアクションのうえではっきりしなかった衛の気持
ちの問題が、明らかに恋愛感情の芝居で、理も非もなくうさぎといるこ
との愉しさとして表現されているからだ。

これまでは沢井の雄弁な芝居によって、うさぎの側の恋愛感情について
は痛いほどに視聴者に伝わっていたが、衛のリアクションがいまいち曖
昧であったために
、うさぎの子どもっぽい片想いという印象が抜けきれ
なかった。

義務教育の中学生の女の子が、一方通行の想いでだれを好こうが嫌おう
が、それを普通の意味での恋愛とは呼べまいという先入観があったこと
も事実だ。

中学生の女の子の恋愛が大人のそれと同じくらいの重みを持つのは、た
とえば「エースをねらえ!」の原作コミックスにおいて、宗方コーチが
ひろみと藤堂の関係を評して「初めての恋で運命の相手にめぐり会って
しまう場合もある」と表現したような関係に限られてしまうだろう。

中学生の恋愛感情が、法的に自由意志に基づく関係性と認められていな
いのは、満更ゆえないことではない。こういうことを言わなければなら
ないのは一人の少女愛好家として辛いことではあるのだが(木亥火暴!!)
たとえば「初めての恋で運命の相手にめぐり会う」ことなど、そうざら
にあるわけではない。そういうことがあり得たとして、それはイマドキ
の中学生一般の真実ではなく、先鋭に突出した特殊事例でなくてはなら
ない。

だとすれば、一人前の人間として自由と権利を保証されるまでには、ま
だまだ学ぶべきことが山ほどある未熟な中学生が、どれほど強い想いを
抱いたとても、それを大人と同じ意味で「自由意志に基づく選択」と呼
ぶわけにはいかないだろう。

中学生の女性との関係性が真に「恋愛関係」の名に値するものとなるた
めには、男性の側に「ほんの子ども」にすぎない女子中学生の移ろいや
すい想いを真に受け、曲がりなりにも自身の生活の将来を決定附けるた
めの重要な要素と認識するだけの覚悟が必要だ。

いうならば、これまでの衛の態度が曖昧であったのは、制作者側の旗幟
の曖昧さでもあって、女子中学生が抱く異性への想いをどの程度シリア
スなものとして受け取るかについての躊躇
であったような気がする。

女の想いが籠もった眼差しに男のほうで応えたら、それは問答無用で普
通一般にいう恋だということだ。どう視ても未成年に見えない地場衛が
義務教育を終えていない月野うさぎの眼差しに応えてしまったら、それ
成人男性と未成年の少女のガチの恋愛になってしまうということだ。

これまでの流れでは、神話的な意匠に紛らせたタキシード仮面に対する
観念的な憧れや、少なくともうさぎよりは大人である地場衛に二人の関
係性に対するフリーハンドを与えることで、「稚ない少女の抱く異性へ
の幻想」という手垢の附いた少女マンガ的なルーティンワークに糊塗す
ることができたが、この物語の大枠の構造では、どうしたってこの二人
は「恋愛関係」という重い間合いで対峙せざるを得ない運命にある。

しかも、今回のエピソードでは、陽菜のセリフによってハッキリ衛と陽
菜が大学生であることを明かしており、原作どおりの高校生ならギリギ
リ男女ともに「若気の至り」で済まされてしまうことが、男の側がほぼ
成人男性であることで、衛の側の態度一つにこの二者関係におけるすべ
ての社会的責任がかかっている
ことが明らかにされてしまった。

正直、うさ・まもラブラブネタは、現実的に考えたら未成年者に対する
性的な嗜癖に基づく微妙な問題
に決着してしまうはずだ(木亥火暴!!)。

事実、衛をロリコンや犯罪者扱いするネタは、コミックスやアニメの時
代からの定番であって、辛くも「比較的低年齢層向けの『なかよし』の
少女マンガ」と連動した企画の「アニメというメディア」であることで
そうそう不自然な感は受けなかった。しかし、これを実写というメディ
アで、生身の役者が演じる場合は、ある程度生々しい実感が伴うのは致
し方のないことだ。

じっさい、この物語の原作が成立したのが、未成年者との性的交渉に対
して法的な規制がまったく整備されていなかった九〇年代の前半であっ
たことを考えると、うさぎが中学生で衛が高校生というのは、少女マン
ガの男女関係としてはギリギリのラインだ。

コミックスやアニメの当時であっても、衛の年齢設定が大学生以上だっ
たなら、うさぎとの関係性に愛を確認する口づけ以上の肉体的な側面が
あろうがなかろうが、どうしてもアモラルな性格が生じていたであろう
ことは想像に難くない。

ごくごく大雑把な言い方が許されるなら、普通一般の男性が抱く変態性
の薄いロリータ・コンプレックスというのは、男性である自分が一生の
うちで少年と呼ばれ得る短い期間の間に、少女と呼ばれ得る存在との間
に円満な関係性を構築できなかったことのルサンチマン
が核となってい
るのだろうというのがオレの考えだ。

やり直したいと望むのならば、高校生のうちならまだ彼は少年と呼び得
るので、少なくとも彼は、ロリータ・コンプレックスと呼ばれる存在で
はない。いかに少年にとっての一年が、成人男性のそれに比べて長く感
じられるとはいっても、少女に対する関係性構築の失敗が経験として昇
華されるには、五年や六年の猶予が許されるだろう。少年が少年である
うちは、異性に対する間合いにおいて五年や六年時間を停めていたとこ
ろで、それは普通一般にいう倒錯ではあり得ない。

しかし、成人男性へのトバ口に立った大学生の身分では、もうそんな感
傷が自然な感覚として許されることはないだろう。大人としての自分を
見つめ始めるべきときに、少年として蒙ったトラウマに拘泥するのは、
倒錯の第一歩だといわれても仕方はない。

…つか、なんかオレ、自分の首を絞めてないか?(木亥火暴!!)

作劇的な観点において、少女に対する大人の男性の恋愛感情に正当性が
付与されるのは、その対象がたまたま現時点において少女であるに留ま
り、少女「だから」その相手に対する関心が生じるのではない場合に限
られるだろう。さらには相手が未熟な人間であることに伴う、人間の型
が発展途上であるというハンディを乗り越えてでもどうしようもなく惹
かれてしまう、シリアスな動機に基づく関係性でなければならない。

こうした年齢倒錯的なセンセーショナルな側面に視聴者の意識を向けさ
せずに、しかもシリアスな関係として描くのはかなり難しい。男性の側
の抱く想いが、少女が少女であるゆえに自然に放つ魅力に打たれたもの
とされてはいけないし、少女の側の想いもまた、その想いがこの先の将
来を決定附けてしまう
に足るだけの、年齢のハンディを越えてステディ
な判断に基づくものであることを印象附けなければならない。

わが身を鞭打つような辛い一般論はこの辺で切り上げて(木亥火暴!!)、
本題に戻ると、オレら視聴者が主人公の少女たちを少女「だから」魅力
的に感じるというのは、一種のアイドルドラマとして当たり前の話なん
だが、こうした性格のドラマにおいて、劇中の成人男子が未成年の少女
に真面目な想いを抱く過程は、ごくごく慎重に描かれる必要がある。

衛の曖昧な芝居を、つくり手側の躊躇を示すものではないかと邪推した
のは、そういう機微を前提とした印象論だ。うさぎと衛の関係性をどの
段階で「上がり」とするかの決定は、物語の全体的な性格をも規定する
ほど大きな判断となるだろう。極端な話、アバレンジャーのように、
チュン
まで行ってしまったっていいわけだ(木亥火暴!!)。

まあ、中学生の異性交遊を描く場合に、いくらなんでもそれは行き過ぎ
だしアモラルな性格が突出してしまうが、たとえばAct.15のような間合
いをプラトーに設定するという選択だってあるわけだ。お互いがお互い
を異性として意識するトバ口の時点で描写を停めて、そのときめきの間
合いのままにこの二者関係を描いていくという選択だって、十分にあり
得たはずだった。

しかし、そうなるとここ数話の陽菜絡みのエピソードはつくれない。小
さな誤解や他愛ない諍い、もしくは敵との闘争に絡めてそれこそ「洗脳
タキ」的な障碍を設け得るだけのことで、恋愛関係それ自体に乗り越え
るべき課題としての障碍を設けることができなくなる

陽菜が衛との結婚を明確に望んでいる以上、どうしたって大人と対等の
一人の女として好きな男を戦い取る
という、非常にリアルな問題設定と
なってしまう。

今回のエピソードで描かれたのが「ラブストーリー」であったことは、
この大枠の物語構造のなかで最もデリケートな問題を、正面から描いて
いかざるを得ない転換点を、この物語が確実に踏み越えたことを意味し
ている。

だから、今回のエピソードを視ていく場合、いちばんのキモとなるのは
渋江演じる地場衛のリアクションの芝居ということになるだろう。そこ
に注目しつつ、今回描かれたうさ・まものストーリーを視ていこう。

まず、「渡せないマフラー」というこの先の衛との関係を決定附けるア
イテムに関して、「いつか渡せるときが来るかもしれない」というタキ
の言葉に対して、うさぎの独白で「タキシード仮面が言うなら、信じら
れるかも…」と呟かせ、タキ−衛−うさぎ−ムーンをめぐるねじくれた
関係性
が再確認されている。

うさぎにとってみれば、これまでダークキングダムとの戦いにおいて、
何度もそのピンチを救ってくれたタキの言葉だからこそ、神話的闘争の
次元を離れた日常の次元に属する恋愛の闘争についても、彼の言葉が絶
体絶命のピンチを脱するための救いの一言に感じられる。

しかし、タキ=衛の同一性を知る視聴者から視れば、これはもの凄い皮
肉なすれ違い
であって、うさぎ視点では衛との恋を応援しているかに見
えるタキシード仮面の正体は、うさぎが焦がれる地場衛その人であるの
だし、剰えうさぎの告白の真意を曲解した衛は、この言葉を口にするこ
とでうさぎへの想いを諦めようとしている
のだ。

うさぎにとっては、ピンチになったら颯爽と現れる謎の怪傑・タキシー
ド仮面であり、うさぎの危急を救うために万能の力をふるうスーパーマ
ンだが、その正体は自らの想いと義理との板挟みに悩む一介の青年地場
衛であって、じっさいにはタキシード仮面にうさぎの恋の悩みを解決す
る力など与えられていない。

そのねじくれたいびつな関係性が第三者にとってどう見えるかの答が、
次回描かれるまこちゃんの「最低だ」発言となるわけだが、普通に視れ
ば、やっぱり幼弱者のうさぎの心を大人の衛が弄んでいるようにしか見
えないわけで、この段階でうさぎがタキの正体を知ってしまったら、な
おさら決定的に痍附くばかりである。

このややこしい縺れを解いて軟着陸させるのも、簡単な仕事ではないだ
ろう。いうならば、次回のタキ=衛VSまこちゃんの対決は、独りまこ
ちゃんの人物造形の方向性を左右する問題であるばかりではなく、タキ
−衛−うさぎ−ムーンをめぐるねじくれた関係性の行く末を、まこちゃ
んを媒介にしてうまく軟着陸させ得るか否かの瀬戸際でもあるわけだ。

物語の冒頭でこの障碍が再確認されたということは、いよいよもって後
戻りが許されない恋愛劇へ踏み込む先触れとなっていて、たとえば今回
のうさぎと衛の接近が、幼児の後見という名目は附けられているが、明
確に「デート」と表現されていることは注目に値する。

なぜなら、今回うさぎがひかりちゃんと大地くんのデートに附き合う羽
目になったのは、はっきりいって、ひかりちゃんのほうで気を利かせた
から
だ。

子どもの遠出に引率者が必要なら、大人が一人附いていればいい。男の
子と女の子に別々に引率者が附く必要はない。ましてや、小学生のデー
トのおもりを、中学二年生の女の子がする必要はない。「おまえが迷子
にならないように」云々という衛の言葉は、当たり前に考えれば冗談で
も何でもない。普通の大人の感覚では、小学生とは意味が違うけれど、
中学生の女の子だって十分後見の対象である。

今回ひかりちゃんが、衛一人で十分な附き添いにうさぎを混ぜたのは、
ひかりちゃんに大地くんへ告白する勇気をくれたうさぎが、本当に好き
だからだろう。

育子ママが「お友だち」と表現したように、うさぎはこんな小さな女の
子とまでナチュラルに友だちになってしまったのだな。その大好きなう
さぎに、うさぎのお陰でうまくいった告白の成果を見せてあげたい、ま
あ、普通に考えればひかりちゃんがうさぎを誘った動機は、こんなもの
だったのだろう。

しかし、もう一歩進んで考えると、うさぎと視聴者から視た場合、うさ
ぎとひかりちゃんは、同じ一人の女をライバルとする恋の戦いをそれぞ
れに経験しているわけで、前回大地くんの自宅へ向かう二人は、お互い
を「陽菜さんより可愛い」と励まし合っている。ここが励まし合いの呼
になっている以上、ひかりちゃんのほうでうさぎの想いに薄々気附い
ていたとしても、不自然ではない。

前回は、終始自身の恋の問題で落ち込んだり盛り上がったり、忙しかっ
たひかりちゃんだが、タイミングだけの問題でいえば、ブティック前の
衛・陽菜との遣り取りで、うさぎの気持ちに気附いたということもあり
得る。気附いたという描写こそないけれど、それ以後ずっと、気附いて
いると考えたほうが自然な成り行きで、ひかりちゃんの態度が描かれて
いるのだな。

だから今回は、自分たちのデートにうさぎを誘い、うさぎが「わたしが
行っても(母親同伴と)いっしょじゃない?」と不審がると、大地くん
側の附き添いとして地場衛が来ること、恋人の陽菜は用事で来れないこ
とを説明して、「これなら『ダブルデート』でしょ?」とことさらに口
にするのは、ひかりちゃんの側に明確に二人を取り持つ意志があった
に感じられてしまう。

この場面のセリフで「大地くんが陽菜さんの彼氏『連れてくる』って」
と表現されているのも、微妙なニュアンスである。ひかりちゃんにとっ
て、自分たちがデートするのと同じくらい、うさぎと衛を引き合わせる
ことが大きな動機だったかのように感じられてしまう。

そういうふうに考えると、母親同伴だとデートっぽくないとか、子ども
同士だとあんまり遠くに行けないとか、大地くんの附き添いとして衛が
来るとか、陽菜さんは用事で来られないとか、これらすべてが子どもに
しては抜かりなく考え抜かれた辻褄合わせの言い訳に感じられてくる。

もっと邪推すれば、大地くん側の附き添いが衛であったのは、わざとひ
かりちゃんが大人の附き添いが必要な遠出のデートをセッティングし、
わざと陽菜の都合の悪い日を選んで日取りを決めたからではないかとさ
え思えてくる。なんかこう、ひかりちゃんの柄には、そう疑わせるだけ
の何か
がある(木亥火暴!!)。

「これなら『ダブルデート』でしょ」の一言のあとで、ひかりちゃんと
うさぎが見つめ合って微笑む切り返しは、そう考えるとけっこう描写と
して効いている。それ以上はセリフで説明せず、小学生と中学生の少女
たちの間で通い合う暗黙の共犯関係の呼吸として描いているのがいい。

しかも、ひかりちゃんは衛のことを露骨に「陽菜さんの彼氏」と表現し
たうえで、「デート」というタームを使っているわけだから、要するに
まこちゃんと同様、ひかりちゃんのほうも「彼女がいたって、好きなら
とっちゃえばいい」とうさぎの背中を押していることになる。

なんかこう、まこちゃんもひかりちゃんもこれでは、視聴者も含めて
菜の味方はだれもいないのか
いないだろうなそうですか(木亥火暴!!)。

だが、前回もそうだったが、今回のエピソードでも、愉しいダブルデー
トの結末に陽菜が登場するカタストロフが配された場面で、明確な形で
ひかりちゃんのリアクションが押さえられていない
ために、その辺の機
微が曖昧になってはいる。

ひかりちゃん役の望月瑛蘭がおもしろいなぁと思うのは、この陽菜登場
の場面で、積極的な意味附けに基づく芝居はしていないものの、こうい
う筋道に外れた芝居もしていない
ところなんだな。彼女の芝居に注意し
て視ると、どうとでもとれるような芝居をしているんだ。単に芝居を附
けなかったからボーっとしていたとも考えられるが(木亥火暴!!)。

この辺は、たかまるが失念した手続なのかもしれないし、さして重要で
はないから黒白を附けなかったという見方もできるし、まるっきりオレ
の考えすぎといういかにもありそうなオチも考えられる(木亥火暴!!)。

ただ、陽菜といっしょに駆けて来る場面で少し笑っているように見える
のがそぐわないけれど、うさぎが妖魔出現に託けてその場を走り去る場
面では、他のみんながうさぎの後ろ姿を呆気にとられて見守っているの
に、ひかりちゃんだけは陽菜を見ているように見える。睨み附けている
というほどはっきりとした芝居かどうかは確認できないが、陽菜のほう
を向いていることは間違いないと思う。

これもまた、その場に居合わせた者のなかで、うさぎの気持ちに気附い
ていない衛をはじめ、大地くんも陽菜もうさぎの不審な行動の理由を知
らないが、ひかりちゃんだけは、それが陽菜の出現によるものであるこ
とに気附いているように思わせる。

衛については、あとでゆっくり視ていくことにするが、今回ローテのう
さ・まも接近に関しては、このひかりちゃんの存在がたいへん効果的に
効いていたように思う。

たとえば、陽菜と衛が婚約者同士だという暴露を受けて動揺するうさぎ
の表情をナメつつ、その背後でひかりちゃんが唇を噛むような芝居をし
ていたら、多分この辺の事情はもっと明瞭になっていたと思うんだが、
個人的にはこのくらい曖昧なほうが結果的によかったのではないかとい
う気がするな。

前回も指摘したが、ひかりちゃんのマセ方には、井上敏樹的なマセガキ
キャラの小憎らしさがなく、割合上品で奥床しいところがある…たとえ
遊具で遊ぶ笑顔に若干チンパン入っていたとしても(木亥火暴!!)。

おそらくオレは、今回のダブルデートの裏で、ひかりちゃんが糸を引い
ていたことはほぼ間違いないと踏んでいるが、それをあんまり強調する
と、少し厭味な子に見えたかもしれないとも思う。その辺をあまり明確
にせずに、視聴者がそうとろうと思えばとれる程度の描き方になってい
るのは、結果的には正解だったんではないだろうか。

多分…多分だけど、それって単に例によって例の如しなたかまるチック
な大雑把さである可能性も高いんだけど、なんだか、このローテについ
ては、物語の神様がたかまるの現場に舞い降りたかのように、すべてが
プラスに働いていると見えるのが不思議だ(木亥火暴!!)。

さて、ひかりちゃんの策謀(断言)を受けて実現した、うさぎと衛の初
めての「デート」であるが、先ほども触れたように、最初から最後まで
屈託なく皓い歯を見せて笑う衛の表情が印象的だ。

Act.15の冒険に至るまでタメにタメた衛の仏頂面が、うさぎとの関係性
がここまで進展したこの時点でようやく効いてきた。この男がここまで
無防備に終始笑ってみせること、それだけですべてが表現されている。

Act.15の微笑は、うさぎの美点に触れて思わず知らずこぼれ出たものと
いう性格だったが、今回のエピソードでは、バス停でうさぎを見出して
からすでにもう、包みきれぬ微笑みの華が咲いている。

偶然鉢合わせしていがみ合っていた初期の頃なら、「おまえが迷子に」
云々の衛の毒舌にあって、「何よぉ」的な丁々発止があってもいい呼吸
だ。前回の時点でも、陽菜の前で衛から子ども扱いされることには別の
意味が生じるので、飴ん棒に噴き出す衛を見て若干うさぎはヘコんでい
るが、今回ばかりは、四人で笑い合う屈託ない戯れとなっている。

衛の毒舌それ自体がうさぎの勘に障ることのない、そういう間合いにま
で二人の関係が進展しているということだ。そういう部分を引っくるめ
て好きになった人なのだから。

そして、小学生二人を相手に「ひど〜い」とムキになるうさぎの姿を見
て、衛の口辺には噛み殺せない嬉しげな笑みが浮かぶ。この時点でもう
衛の側には後戻りできないうさぎとの恋愛の間合いが生じてしまった。
想う相手と相対して嬉しさを隠せないというのは、それはもう恋だ

このダブルデートの愉しさが、あとでうさぎが悔やむように彼女の一人
相撲だったのではなく、衛も同じ愉しさを共有した大切な触れ合いのひ
とときであったことは、こうした芝居に顕れている。

衛の芝居がこのような明確な組み立てであることで、それを受ける沢井
の芝居も格段に素晴らしいものになっている。もう、一々表情がいい。
子どもっぽく遊具に興じる天真爛漫さや、ひとときの幸福を噛み締める
切ないまでの初々しさ、触れられるくらい近くに大好きな人がいる、自
分に微笑みかけてくれる、そうした鼓動の高まりに弾むセリフ廻し、す
べてがいい。

やはり、これまではタキシード鉄仮面のむっつり芝居を相手に、それこ
そうさぎの一人相撲の側面が出ていたので、沢井の芝居も独りで気持ち
をつくったものであったろうが、今回は衛の側にも恋の間合いの芝居が
附いている
ので、ここは掛け合いの相乗でいつも以上に芝居がいい。

また、たとえば、先に立って駆け出した子どもたちに衛が「あんまり先
行くなよ」と声をかけたタイミングで、うさぎがハッと振り向いて、息
を呑むような表情をつくる。これは一瞬だけでも二人きりとなったこと
にどぎまぎするという描写だが、衛が大きな声を出したタイミングでそ
ういう芝居が押さえられていることで、好きな人の大きな声それ自体に
ハッとしたような見え方
になっているのがリアルにいい。

その芝居のつながりで、緊張のあまり手と脚がいっしょに出るというベ
タベタな大正時代のギャグが演じられるわけだが、沢井のコミカル演技
や照れ笑いの表情がベタにいいので、悔しいことに思わず笑ってしまっ
たよ…オレは大正時代人かよ(木亥火暴!!)。

息を呑む芝居のつなぎがあのようなタイミングになっているのは、普通
に考えるとちょっと早まったカッティングに見えるはずだが、それをも
恋愛感情の機微として視てしまう視聴者の期待があるわけだ。もう、な
ぜかすべてが勝手にプラスに働いてしまうのだな。

…物語の神様、あなたはひょっとして勘違いしているのではありません
か、あなたが舞い降りたのはあの高丸雅隆の現場ですぜ?(木亥火暴!!)

もちろん、役者の芝居や現場の勢いだけではない、デリケートな恋人た
ちの心の通い合いを描く小林脚本の冴えも好調だ。

グリーンセンターで入園券を手渡す皮切りから、木の枝に引っ懸かった
バドミントンのシャトル、子どもたちが去ったあとに差し出されたコー
ヒーカップ。うさぎと衛の接近は、衛からうさぎへ何かを手渡すこと
繰り返し強調され、間に幸福な小さなカップルを挟んだ手と手のつなが
りで、通い合う心の間合いが表現されている。

そして、この幸福なひとときの、「なんか嘘みたい」に幸せな成り行き
の頂点で、それまで繰り返し描かれた衛からの手渡しに応えるような形
で、思い切ってマフラーを手渡そうとしたタイミングで、突如現れた陽
菜本人の前で、罪のない小学生の乱暴な言葉で、いちばん非情な形で、
衛と陽菜の婚約の事実が暴露される。

幸福と絶望が背中合わせなのがドラマの力学というものだが、暴力的な
までにドラスティックなこの暴露の描かれ方は、今回の幸福なひととき
が、うさぎをさらなる絶望に陥れるためだけに描かれたかのように、辛
く残酷な成り行きとなっている。

そして、この場面で注目されるのもやはり衛の芝居であって、陽菜が現
れた瞬間、衛は「なぜ?」という驚愕の表情を浮かべている。

いつもの鉄仮面なら、ここで「おう、来たか」的な表情を浮かべて、う
さぎの動揺ぶりを不審がるという成り行きだったろうが、今回の衛は
菜を認めた瞬間にすでに動揺している

動揺しているということは、衛の側に陽菜を裏切っているという自覚が
ある
ということだ。陽菜の登場によって、幸福なひとときに幕が引かれ
たことを惜しむ気持ちがある
ということだ。引いては大切な婚約者のは
ずの陽菜の登場を迷惑に思う気持ちがあるということだ。

さらに、うさぎを押し退ける形で大地くんが陽菜を割り込ませた瞬間の
戸惑いに加え、婚約の暴露がなされた瞬間、もう衛はうさぎの顔も陽菜
の顔もまともには見られず、苦しげに視線を伏せてしまう。衛が抱える
秘密の事情は、もううさぎに伝わってしまった。このうえで、今日のこ
の愉しいひとときはもう二度と繰り返されることはない。

衛がうさぎの気持ちに気附いていないことになっている以上、衛の側に
はうさぎを痍附けた自覚はないはずだが、走り去るうさぎの後ろ姿を見
送る衛の慌てた表情には、「もしかして…いやそんな」という、恋する
者の逡巡
が顕れているように思う。

さらに、この暴露を大地くんにさせたのは、脚本の組み立て上、たしか
にそうでなければならないと思わせる念の入りようだ。この場に居合わ
せた五人のなかで、この場でそれを唐突に口にできるのは、彼しかいな
からだな。

衛自身には、消極的ではあれうさぎにそれを隠しておきたい動機があっ
たろうし、陽菜自身はうさぎと衛の関係に思いが及んでいないから、う
さぎから問われればともかく、何のきっかけもなく自分と衛の男女関係
を赤の他人のうさぎに説明するはずがない。

また、ひかりちゃんは、前半で衛を「陽菜さんの彼氏」と表現していた
ことから、どうやら陽菜が衛の婚約者であることを知らなかったようだ
し、知っていたとしてもまこちゃん同様口を噤んでいたことだろう。

残るのは、ひかりちゃんと同い年だが、男の子である分だけ若干鈍くさ
大地くんだけだ。そして、陽菜が大地くんの家庭教師で、大地くんに
衛と面識がある以上、過去にその関係を問い質していただろうことは想
像に難くない。

そして、二人の関係を大地くんに説明したのは、衛に想いを寄せる側の
陽菜の一方的な片口だ。おそらく、言葉のアヤで実際以上にステディな
関係として説明したことも考えられる。もう、いきなり「お嫁さん」だ
からな、これだから女の片口はいっさい信用ならねぇ(木亥火暴!!)。

大地くんの気持ちにすれば、自慢の美人家庭教師の婚約者が、こんなに
格好いいお兄ちゃんだというのは、わがことのように誇らしい。だれか
れ構わず吹聴したいという動機を持っているのは、いかにも自然だ。

ひかりちゃんがうさぎの気持ちに気附いていると仮定したら、この大地
くんの子どもっぽい鈍さは、「男の子ってダメねぇ」的な失望につなが
りかねないわけで、今回のカタストロフは独り当事者のうさぎと衛を痍
附けたばかりではなく、小さなカップルの今後にもしこりを残したとい
うわけだな、そうだね(木亥火暴!!)。

そして、大地くんがうさぎを押し退けて陽菜を割り込ませたように、表
面的な立ち位置としては、陽菜と衛の二者関係から弾き出されているの
はうさぎだが、このときの衛の芝居を視る限り、内心の感情の次元にお
いては、うさぎと衛の潜在的な二者関係から陽菜が弾き出されていると
いう、これも相当ねじくれた捻りがある。

ここでは、陽菜の存在自体がうさぎの衛への想いへの障碍であるのみな
らず、惹かれ合う二人の気持ちが互いに絡み合うための障碍となってい
る。ぶっちゃけた話、陽菜が現れた瞬間の衛の本音が「まずいところへ
来やがって」というものであったことは想像に難くない(木亥火暴!!)。

おそらく、衛の陽菜に対する感情は、好きは好きだろうが「好き」の意
味合いが決定的に違う
。この朴念仁は、おそらく世間並みの結婚という
のは、そのくらいの感情があれば男女間の合意事項として成立するもの
なのだと認識しているのではないだろうか。

おそらくは援助してくれている陽菜の親が決めた結婚ではあろうが、そ
れは陽菜の側の衛に対する強い想いに基づくものだろうし、それだけ想
われたら、義理合いからいっても結婚するのが相手のためだというのが
この男の考え方ではないかと思う。

ある意味、この男には、両性の想いと想いがガッチリ噛み合ったタイミ
ングで事故のようにしてしまう、気持ち主導の結婚の形というものが想
定できていない。そして、陽菜の側が望んでいるのが、気持ちと気持ち
が強く噛み合う形の純粋な結婚であるということも理解できていない。

たしかに表面的な描写を視る限り、陽菜には強引なところがあるように
見えてしまうが、彼女が衛との結婚を疑っていないのは、自分が衛を愛
しているのと同じくらい衛が自分を愛してくれていると錯覚しているか
らではないだろうか。

おそらく、うさぎVS陽菜の恋愛バトルの結末は、そんなところが鍵と
なって円満に解決するのではないか
という気がする。

本当の意味で衛が陽菜を愛していないことは、ムーンの妖魔との戦いを
察知して、陽菜を置き去りにムーンの危機に駆け附けようとしたことが
象徴しているだろう。この場面では、衛はあからさまに婚約者の陽菜を
差し置いて
うさぎを選んでいるのだ。

そして陽菜は、愛されていないにもかかわらず、相手の気持ちを無視し
てでも、なにがなんでも意地尽くで好きな男と結婚したいと望むほど、
プライドのない女だとも思えない。

こうした予断に与するならば、陽菜はうさぎの敵として設定されている
のではなく、うさぎと衛の心が真に近附くための試練、障碍となる事情
として設定されている
ことにあらためて気附かされる。

ぶっちゃけた話、何回登場しても陽菜という人物は小林世界の住人らし
い厚みを持って描かれていない。例によって小林靖子自身がこういう種
類の女に好感を持っていない
こともあるだろうが、所詮彼女は物語を転
がすための手駒の一つ、カードボードキャラクターにすぎないという事
情もあるだろう。

こうしてうさぎと衛の心は、最早退っ引きならない間合いにまで近附い
た半面、二人の接近を堰く障碍もそれに呼応していよいよ強固なものと
なっていく。解決の道筋は見えたとはいえ、この物語においては、なに
がどう転ぶかはまったく予断を許さない。

したり顔のオレの予測が、どんな嬉しい形で裏切られるのか、それを愉
しみに待たせていただくことにしよう。

とまれ、おざなりなようだが、ここは成り注ということでオシマイ。

最後に、少し全体構造の話をしておきたいと思うのだが、先ほども少し
触れたように、今回のエピソードは、戦士たち各人各様の物語を等分に
描き、ダークキングダムの内訌も着々と描きながら、奇跡的に話が割れ
ていない。

たしかに描かれている内容はバラバラなのだが、うさ・まも接近を核に
すえ、そのうさぎを見守るまこちゃん、まこちゃんと秘密を共有してい
る亜美ちゃん、亜美ちゃんを孤立させるためだけに現れたレイちゃん、
こういう人物の並べ方と出し入れがうまく行っているので、ダブルデー
トにカットバックして各人のシークェンスが挟まれることで、緊密な同
時性が保たれているよう
に見える。

以前どれかのエピソードについて詰め込みすぎを指摘した際に少し触れ
た「群像劇のおもしろさ」が、ようやく本格的に立ち上がってきたよう
に感じられる。

うさ・まものデートから、亜美ちゃんやレイちゃんやダークキングダム
にカットする呼吸については、たとえば滝口順平でも古川登志夫でも小
杉十郎太でも正宗一政でもいいが、ナレーションで「一方その頃、レイ
ちゃんは…」とカットするノリに感じられる(木亥火暴!!)。

これは、今回のエピソードが「四戦士の心がバラバラに」というテーマ
であり、さらには、クンツァイトの作戦も、妖魔の幻影による陽動で戦
士を分断することにあったという事情も追い風だっただろう。

いつもいつもこううまく運ぶとは思えないが、今回のように主要なイベ
ントを柱にして、そこから派生した各人の動きを見せるという組み立て
なら、そんなに割れている印象にはならないものだ。

これが今回だけのフロックではなく、セラムンのエピソード構築法につ
いてようやく小林靖子がつかんだ手業なのだとしたら、今後に期待でき
るんだけどね。

んじゃここで、ホントに最後の最後の小ネタだが、それにしても、今回
もうさぎは公園の真ん中で人目も憚らず変身しているわけだが、戦隊の
生理で変身ものを理解している小林靖子の感覚では、正体が秘密でなけ
ればならないという縛りが緩い
のかもしれないとちょっと思った。

同様に、ルナやアルテミスの態度も、妙なパペットや着ぐるみが平気で
人中で芝居をしている戦隊ものの感覚では自然なのかもしれないね。だ
から、まあオレは、あんまりこの番組では、不必要な「正体隠し」とか
ルナやアルテミスの振る舞いに拘るのは無意味なように思う。

タキや戦士たちの間でその正体が隠されているのは、物語の根幹に関わ
るギミックとなっているが、動き回り喋りまくるぬいぐるみの猫が不思
議な存在だという感覚は、電話機だの掃除機だのラーメンだのスイカだ
のうなぎだのバス停だのポチ袋だのが、勝手に動き回り喋りまくる東映
少女特撮の伝統
に連なるこの物語においては、ごくごく薄いと視るのが
妥当なんだろう。だな。そうだね(木亥火暴!!)。

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