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Act.21 雪の女王

…たとえば、修学旅行の高速移動に際して、大用を足していて点呼に遅
れたうえにだれにも気附いてもらえず、泣きながらバスを追って停めた
奴が、五十面を下げた現在も同窓生からその話を蒸し返されるように。

そして、たとえば、暖房の効きすぎにあたって車内で脳貧血を起こし、
近郷近在のただ一つの生活の足となっていた単線の鉄道を停めちゃった
女の子が、遠い他家へ片附いた後々までも「ああ、あの電車停めた○○
ちゃんね」という枕詞で地元の人々に認識されてしまうように。

君は「八景島シーパラダイスのメリーゴーランドを停めた女」と、死ぬ
まで言われ続ける
運命にあるのだぞ、亜美ちゃん(木亥火暴!!)。

しかし、「あと一カ月か…」って笑っちゃったな、おまえまで余命一カ
月なのかよ、病人だらけのお話かよ、地場衛(木亥火暴!!)。そらまぁ、
紛らわしいから留学のパンフを抜かざるを得ないだろう。

つかもう、暢気にギャグをかましている場合じゃない、気分的には「次
回へ続く」で終わらせちゃって、来週二〇〇〇行書くというということ
で勘弁してもらいたい気分だ。あそこで次回へ引くなんて、番組ファン
ならびにレビュー書きを殺すつもり
かよ、小林靖子。

さらには、実現された映像作品の総体として視ても、いつの頃からか舞
原がつかんだオフの回想描写の素晴らしさ
で、ほとんど前回のおさらい
にすぎないはずのアバンからもう、駄作であろうはずがない好調ぶり。

おまけに、クライマックスで登場するダークマーキュリー、舞原曰わく
のダーキュリー
のゴージャスさ加減はどうよ、ほとんど扱いとしては
ラック・レディ
セーラーアスタルテ並の主役級じゃねぇか。小林靖子
の依怙贔屓もここに窮まれりだぜ(木亥火暴!!)。

「最初に相手をするのはだれ? それとも、三人いっしょ?」…く〜、
エロすぎるぞ、ダーキュリー!←よからぬことを妄想中(木亥火暴!!)。

しかし、セーラー戦士のデザインラインにダークキングダムの意匠を交
えると、まさに騎士としての貴族的なニュアンスが出てくるね。これは
ちょっと喩えが悪すぎるが、アバレマックスのようなスペシャリテなイ
メージだな、ほとんど、並のセーラー戦士よりリキ入ったデザインじゃ
ねーか…と思ったら、なんと篠原保デザインだとぉ?

こらもう、番組の好調ぶりを耳にしたクリエイターが、この伝説的な番
組のクレジットに己が足跡を刻むため、われもわれもと砂糖に群がる蟻
ん子のようにイッチョカミしにきたとしか思われねぇ、いや、そうと決
まった、今決まった、オレが決めた(木亥火暴!!)。

ハマチの芝居も悪役演技にノリノリで「ダークパワー、メイクァップ」
のかけ声のイントネーションや「逃げても無駄よ」のセリフ廻しがちゃ
んと普段とは違うものになっていて、洗脳亜美ちゃんのギャップを印象
附ける。Act.5 のおてもやんメイクネタとは裏腹に、元々ハマチは変身
後の派手めなメイクがいちばん映える顔立ちではあったのだが、気合い
の入ったダーキュリーの悪役メイクが、滑稽ではなく決まっている。

前回のコメントでは「セラミュ定番の洗脳亜美ちゃん実写版」的な言い
方をしたが、これって要するに戦隊的なイベントとして解釈すればまっ
たく違和感がない。まあ戦隊的なノリでいくと、六人目辺りが悪の力を
わがものにしてパワーアップ、みたいな感覚で、厳密には照応しないん
だが、描写の型としてノリが近い。

それから、先ほど少しアバンに触れたが、舞原ローテのアバンにははっ
きり他の監督と違う特徴がある
。それは、キャラ持ち回りの窓抜きNR
を使わず、アバンはアバンとして独立の場面が成立する組み立てが多い
ということだ。今回までに担当した五話のなかでは、二回に一回の割で
NRのないアバンになっている。

以前ちょっと、エピソード末の次回への引きのパートやアバンの編集に
関して、「だれがどのように」という実作業の部分への疑義を呈したこ
とがあった
が、このように特定の監督ローテで目立った特徴があるとい
うことは、やはり少なくともアバンに関しては、各話の監督の明確な意
志を反映した形で作成されているということなんだろうな。

他の監督の担当回では、たとえば基本的には二人芝居のはずのうさ・ま
も話
を回顧する場合などのように、NRを使わないほうが効果的な場合
でも、直截それには触れずに流して語るなどの方便を使って、ほぼ必ず
といっていいくらい窓抜きNRを入れていて、ローテの二話で「必ず」
一回はNRのないアバンを設ける舞原監督の流儀は、ちょっと目立つ。

舞原監督以外で窓抜きNRを使っていない例は、前回をさらう必要がな
Act.1 はまあ当然としても、あとは佐藤監督のAct.18と、たかまるの
Act.19くらいだ。しかも舞原初ローテでは、Act.5 にNRがあることは
あるが、アバン自体が亜美ちゃん主観による独立したプロローグとなっ
ていてNRはその主観のモノローグであるにすぎず、結果的にこのロー
テでは一度も窓抜きNRを使っていない。

今回のアバンでも、亜美ちゃんのセリフはルナのみた夢の一部と視てい
いだろうし、それより何より、それは前回のアバンで亜美ちゃんが語っ
たNRの一字一句違わぬ繰り返しで、音源まで同一かどうかは確認でき
なかったが、つまりこれはNRではなく素材としての「引用」だ。

そういう意味でいえば、今回のアバンはルーティンワークどおりの「前
回のおさらい」というよりは、前回の素材を使って今回の基調となる心
象風景を描いた叙情的なプロローグとなっている。要するに舞原担当エ
ピソードでルーティンワークの窓抜きNRが使われたのは、Act.14の一
回こっきりなのだな。

しかも、そのAct.14にしてからが、前回のおさらいに続くアバンの芝居
の流れのなかで、同じように説明的なセリフを言わされるルナを最小限
に使うという組み立てで、窓抜きNRの持つ「前回のあらすじ」をキャ
ラ持ち回りで総括するというルーティンワーク的なニュアンスは極力殺
されている。

以前指摘した「説明的なセリフが嫌い」という嗜好の連続上にある特徴
だとは思うのだが、意外と舞原監督は描写上の好き嫌い…というか頑固
な拘りが多い監督
であるといえそうだ。

とりあえずよけいな枕はこのくらいで切り上げて、さっさと本題に入っ
て、今回のエピソードの堂々の主役を務めたまこちゃんから視ていこう
じゃないか。

上記のような舞原アバンの持つ特徴ゆえに、初めて窓抜きで自身の心情
を語ってくれるかと期待させたまこちゃんの棒読みNRは、今はまだお
あずけだが、その代わりというか、今回のエピソード全体がまこちゃん
の一人称視点で貫かれていて、まこちゃんの移動に伴って物語の視点が
移動する組み立て
となっている。

そこで演じられるまこちゃん視点のドラマは、もう、これまでの不遇な
扱いゆえに描かれることがなかった細部の描写のテンコ盛り
だ。

たとえば、育子ママと面識がなかったからには、うさぎを誘い合わせて
登校することはおろか、月野家を訪れたことすら一度もなかったこと、
やはり亜美ちゃん同様育子ママのノリが苦手なこと、おそらく水野家を
訪れるのもこれが初めてなことなどが、今回初めて明かされる。多分、
亜美ちゃんの住所はなるちゃんから聞き出したのだろう。

さらには、料理上手という設定を持つまこちゃんの料理している姿が直
接描かれるのはこれが初めてだし、万能ネギの好き嫌いに気が回るよう
な細やかさを持っていること、意外にも遊園地のアトラクションが苦手
だということなどが明かされると、これまでオレたちがいかにまこちゃ
んを知らなかったかが、あらためて意識される。

消え物さんが用意した完成品のお弁当を見せるだけではなく、ちゃんと
本人が料理している絵を入れるか入れないか
というのは、大分見た目の
印象が違うものだ。ネギを刻んでいる手許とバストショットは割ってい
たから、安座間本人はきわめて不器用なのかもしれないが。

ここで註釈を入れるなら、まこちゃんが遊園地のアトラクションが苦手
だというのは、どう考えても、ジェットコースターやフリーフォールで
キャーキャーはしゃいでいたAct.7 のまこちゃん描写とは矛盾する

要するに、あのときのまこちゃんの描写はなかったことにされてしまっ
たということだ。だいたい重度セラムン中毒病者…略して重セラ中のオ
レにしてからが、このコメントを書くために、すでに数十回観たはずの
Act.7 の当該場面をわざわざ見返して確認しているのだから、録画も録
らない一般の視聴者がそんな細々したことを覚えているはずがない。

この芝居の附け方を、舞原らしからぬ確認ミスと視るか、小林靖子の指
定と視るかの違いはあるが、実現された今回のエピソードを視る限り、
結論としては同じことだ。つまり、結果として積み重ねられてきた過去
の細かいまこちゃん描写には、もう拘らなくていいってことだな。

それらのディテールは、小林靖子や各回演出担当者が木野まことの人物
像をつかみあぐねていた頃の、ジャブ的に繰り出した手業の残骸にすぎ
ないのであって、確信的な描写ではないのだから、大筋だけ残してあと
はきれいに忘れるのでもいい
くらいだ。

こうした過去の揺らぎとの整合に拘り続ける限り、木野まこと像の本格
的確立などはあり得ない。これまでの過去を虚心に失敗と認め、新たに
語り直そうと目論む地点からこそ、それは始まるのだと思う。

それを今回実現するのは、もちろん、これまでのまこちゃん描写の不備
に関して一義的に責任を負う小林靖子の智慧でもあるが、この番組で小
林靖子と初めて組み、絶大な信頼を寄せるに足る存在であることを自ら
証明してみせた
舞原賢三の智慧でもある。

この番組における舞原賢三は、小林靖子が脚本に託した何かを、独自の
拘りに基づいて何倍にも膨らませることができる、田崎竜太と同格の名
パートナー
であり、あまつさえ今回は舞原ローテ恒例の亜美ちゃんエピ
ソードである以上に、舞原が初登場回を演出したまこちゃんエピソード
でもあるのだ。

顧みれば、この番組のファンにとって記念すべき初の舞原ローテにおい
ては、最初の重要な亜美ちゃんエピソードが描かれたばかりではなく、
まこちゃんの初登場エピソードも描かれたのだから、この二人が二人と
もに舞原にとっては感慨深いキャラクターだろう。

その二人がガッチリ絡んで物語の転回点を刻む今回のエピソードで、脚
本家の思い入れに引きずられて、亜美ちゃんだけに依怙贔屓的に注力す
ることなどあろうはずもない。

先ほど触れた、まこちゃんの知られざるディテール描写の充実もさりな
がら、自らが作品世界に送り出した木野まことというキャラクターに対
する愛情に盈ちた舞原監督の視線が、今回のドラマを物語の筋立て以上
に映像作品として豊かなものにしている。そして、その愛情を的確に実
現し得る読みの深さと技倆が、ここにはある。

たとえば、タケルへのそれと重なるタキへの鉄拳制裁が脚本の指定であ
ることは間違いないが、アトラクションの水しぶきでまこちゃんの前髪
をびしょ濡れにして、雨に打たれて立ち尽くしていた過去の姿を想起さ
せる智慧。これは、脚本で遊園地のアトラクションを指定することがナ
ンセンス
なことを考えれば、舞原監督のネタ出しであるはずだ。

さらには、クライマックスの戦闘を舞原担当回にしては長めに設定し、
男性スタントを交えてダイナミックな離れ業主体で描き、ストロングス
タイルのまこちゃんの戦闘力を強調。クンツァイトがシュープリームサ
ンダーを一蹴する反動で亜美ちゃんに倒れかかる大理石の円柱を支える
場面では「人間離れした馬鹿力」という特徴のアピールと、とにかくま
こちゃん=ジュピターの紹介を一からさらい直すほどの猛ラッシュで、
まこちゃん描写が充実しまくっている。

さらには、今回、最初から最後まで出ずっぱりでドラマを転がしたまこ
ちゃんの見せ場でフルサイズのメイクアップシーンとは、舞原、特ヲタ
の気持ちまでわかるようになったのか
と思わせる阿吽の呼吸。

変身ヒーロー番組における変身シーンというのは、意味性の次元ではな
く、爽快なカタルシスに至るまでのタメや、映像のリズムの次元におい
て、努めてポジティブにとらえられるべきだ。「ダルいアリモノのバン
ク素材」という醒めた視点ではなく、積極的にバンクの持つリズムを活
し、変身後のアクションを活かす方策を考えるのが、変身ヒーロー番
組の演出に求められる智慧だろう。

もちろん、その場における変身の意味合いによっては、「はい、ここで
変身しました」的にサラッと段取りで流す必要がある場合もあるだろう
とは思う。しかし、個人エピソードにおけるクライマックスの変身は、
エピソードの山場
なのだ。

それまでのドラマで語られてきた情感の頂点で描かれる変身は、丹念に
変身プロセスを追う映像のリズムによって情感のタメをつくり、カタル
シスを待ち望む視聴者をじらし、名乗りポーズをセットポイントとして
スピーディーに展開するアクションへ緩急の呼吸を用意するものだ。

ことにそれが、日頃日の当たらないサブキャラメインのエピソードであ
る場合は、「この人が、こんなふうなプロセスで格好いいヒーローに変
わるんですよ」という、映像によるヒーロー性の再確認となるものだ。

スーパー戦隊などでも、心利けた監督はサブキャラ主役のエピソードで
変身バンクをなおざりに扱うことはない。変身バンクというのは、くだ
らない段取りの縛りではなく、有効に使われるのを待っている大事な道
具立て
なのだ。

こういうジャンル固有の慣習を、深い洞察もなしに「何回も見せたって
意味ないじゃん」的にスルーする演出を見ると、特ヲタの習い性で無闇
に反撥を覚えるのだが、今回のまこちゃんの変身とその後の戦闘は、
分舞原監督としてはあまり興味のない方向性の段取り描写
であるにもか
かわらず、十分なウェイトをかけて描かれている。

これまでの舞原賢三の作品傾向を視る限り、ジャンルの決め事である変
身バンクや戦闘シーンなどは、彼個人の描きたいものではまったくない
にもかかわらず、今回の変身・戦闘の流れは、特撮番組の本道をゆくカ
タルシスを実現している。

こうしたジャンル固有の段取りを、つまらないルーティンと視るのでは
なく、せっかく設けられている決め事ならば、有意義な描写要素として
扱おうというポジティブな姿勢
が伺われる。

これはもう、番組に対する愛情だと無責任に言い切ってしまおう。

すでに、この番組における舞原賢三の信頼性は、あの田崎竜太を超えた
と断言しても差し支えはあるまい。技倆だけの問題ではない、できるプ
ロが、この番組を目下最大の関心事として真摯に対峙しているという、
小林靖子に通じる真剣な姿勢を感じさせる。

田崎竜太の才能は、自分が相手取る作品を常に真に受けられるという、
姿勢面での特質でもあると思うが、この番組に限っていえば、その真に
受け方は、現時点では舞原のほうが上
だろう。

そうした愛情に基づく舞原の真摯な姿勢が、今回のエピソードに内在す
る多義性をうまくさばき、キャラクター描写上のねらいとシリーズ構成
上のねらいという分極した要素を両立させ、視聴者に不自然さを感じさ
せることなく、一本の娯楽作品として成立させているといえるだろう。

今回のエピソードは、演出次第では、まこちゃん視点をただの方便とし
て、純然たる亜美ちゃんエピソードとして描くことも不可能ではなかっ
た。実際、区々たるまこちゃん描写は、木野まことという一人の人物を
描くための積み重ねにすぎず、その描写それ自体が物語を形成している
わけではない

たとえば「カラマゾフの兄弟」という物語では、直截物語の筋立てに関
与しない第三者的な立場の三男アリョーシャが、不自然なまでに作品世
界内を頻繁に往来し、だれかとだれかの間のドラマを媒介して叙述する
ための、便利な語りの装置になっているという側面があるように、物語
世界内においては、叙述の視点となる人物がその物語の主役であるとは
限らない。

たとえば「アイもの」と呼ばれる一人称一視点のハードボイルド小説の
スタイルが、視点となる人物のモノローグそれ自体を主眼とした「生活
と意見」のコンテキストとなったり、視点のなかに次第に語りが吸収さ
れていって、悲劇を描くためだけの透明な視点人物に徹するなりゆきと
なったりするように、この間の関係性は単純なものではない。

現に今回のまこちゃんの動きを視ると、前回引いたタキとのやり合いが
きっかけでうさぎを訪ね、うさぎの病欠を受けて、それを相談するため
に亜美ちゃんと会おうとして亜美ちゃんの病欠を識り、亜美ちゃんを訪
ねて遊園地のくだりに至り、そこから亜美ちゃんの奇行に振り回される
流れとなって、亜美ちゃんの連れ去り、追跡、クンツァイトとの対決と
いう、非常に忙しい流れになっている。これは、物語を語るために視点
人物を活発に各々の人物に絡ませるやり方
そのものだ。

さらには、作劇の手法上、まこちゃんは亜美ちゃんに起こった異変を際
立たせて描くため、亜美ちゃんの異常な言動に正常人としてリアクショ
ンをとらせるためのダシ
という側面もある。こうした筋道に沿って考え
れば、今回の物語の真の主役は、実は亜美ちゃんだったという言い方も
できるわけだ。

しかし、そうした手法の実際としての効果は、何がその映像作品におけ
るおもしろみの主眼であるのか、何にウェイトがかかって映像化されて
いるのか、こういう非常に具体的な詳細によって変わってくる。

今回のエピソードでは、たしかにラストのダーキュリー登場を山場とし
て、そこを効かせるための物語を描く視点としてまこちゃんが機能して
いるといえるだろう。

しかし、実際に映像化された作品においては、ダーキュリー登場に至る
亜美ちゃんサイドの事情は「筋立て」の範疇の要素であり、それを受け
るまこちゃんの活躍のほうに、映像面のおもしろみのウェイトがかかっ
ている
ように見受けられる。要するに、映像の「ボディ」としては、見
た目どおりまこちゃんが主役で間違いないということだ。

エピソードの構成上、まこちゃんは亜美ちゃんに起こった奇禍を描くた
めの便宜的な視点人物として動き回らせられてはいるのだが、それを別
の観点から視ると、これまで不遇な扱いを受けていたまこちゃんが、こ
れまで関わらせてもらえなかった人々と、あらためて積極的に関わらせ
られている
ようにも見える。

構造面の手法は手法として、今回のまこちゃんの扱いが、物語の語り手
の宿題を果たすという目的に貫かれているように見えるのは、あまりに
持論に固執しすぎるゆえのひが目だろうか?

その意味でいえば…何というか、今回は元基おいしすぎ(木亥火暴!!)。

これまで、どういうわけかまったく触れられないままにスルーされてき
たまこちゃんの恋愛ネタだが、今回のエピソードでは本筋としての十分
なウェイトをかけて元基を絡ませ、控えめで気の優しい元基の人柄に、
あろうことか、ちょっとまこちゃんがポーッとなっている描写までが描
かれている。

元基と別れる場面での、安座間の芝居がちょっとわかりにくいが、まこ
ちゃんのぎこちない愛想笑いは、掌にこれでもかとお菓子を載せる元基
の過剰なくらいの思い遣りに調子を合わせただけとはちょっと受け取れ
ない。元基の後ろ姿を見送りながら、一口啜ったコーヒーの熱さに驚か
される
という「心ここにあらず」な細かい芝居が附いている。

元基自身の描かれ方も、前回の「勘違いして元基大喜び」ネタについて
元基自身の口から「義理だってわかってるけど嬉しかった」と語らせて
軌道修正し、お調子者の三枚目から謙虚な好青年へ一気にステップアッ
プだ…相変わらず亀キチのまんまだけどな(木亥火暴!!)。

それと、八景島で亀連れの元基と鉢合わせというのは、普通に考えると
不自然なんだが、ここを不自然だと言っちゃったら、この手のドラマは
成立しない。そもそも、おそらくここはロケ地が八景島シーパラダイス
なだけであって、「港区立十番病院がすぐそば」の立地であるからには
十番町のご町内の遊園地に違いない(断言)。

この十番町には、スタジアムから放送局からコンサートホールから空港
からサーカスのテント、果てはごくごくご近所にハイキングコースを具
えた山まであって、物語の舞台として必要な施設は何でもあるというの
は、最早常識の範疇の事柄だ(木亥火暴!!)。

この遊園地の場面は、おそらく今後の悪美=ダーキュリーネタ全体の帰
趨を決する伏線となる重要な場面
だろうと思うが、そこを起点にしてま
こちゃんと元基の関係が深まるきっかけを設定しているからには、この
二人の線の先行きはもう決まりだ。

そこで描かれる元基の取り柄というのが、目立たないけれど親身になっ
て控えめな優しさを見せるというもので、それにまこちゃんがグッと来
ちゃうというのが、まこちゃん描写としても効いている。

まあ、前回までの元基は、バレンタインのチョコ欲しさのあまり、相手
がうさぎだろうが亜美ちゃんだろうがまこちゃんだろうが、だれでもよ
かったという場当たり的なスチャラカ野郎だが、その対象がまこちゃん
に決まってしまえば、けっこういいとこあるじゃん的なおいしい見せ場
を用意してもらっている。

亜美ちゃんを心配するまこちゃんを笑わそうと「亀占い」とか言い出す
一本ねじの抜けた優しさや、長い検査を待つまこちゃんの無聊を慰める
ために過剰にお菓子を買い込む不器用な気遣い、こういうある意味「ど
うってことない」男の取り柄に、不意打ちにグッと来ちゃう辺りがまこ
ちゃんの柄なんだろうと思わせる。

前回まではまったくそういうニュアンスがなかったのに、えらく急な話
ではあるのだが、すでに病院で別れる場面では、別れの言葉を言ってし
まってから妙な間を設けて見つめ合わせたり、元基に命よりも大切な亀
吉を忘れさせたり、まこちゃんに元基の後ろ姿を見送らせたり、釣瓶打
ち的にほのぼのムードが醸し出されている。

前回オレが予想したよりもかなりお手軽な道筋になっているが、それが
一種「恋は出会いのもの」みたいなニュアンスで作者にとらえられてい
るのだとしたら、方向性としてはアリだろう。

要するに、まこちゃんが男性に対して敷居が低いのは、たとえ相手が衆
に優れたアドバンテージを具えていなくてもいい、その人なりの「いい
なぁ」と思えるような美点に気附いてしまえば、素直にそれに惹かれて
しまうということだろう。

これまでまこちゃんのそういう部分がスルーされてきたのは、ここをた
とえば「尻の軽い女」的な下世話なニュアンスを排して実写で描くのが
ちょっと難しかったからかもしれない。惚れっぽいということは、相対
的に一人ひとりの男性に対する思い入れが薄い
ということになるわけだ
し、それを乱暴に括ってしまうと「それなりにいい男なら、相手はだれ
でもいい」と一足飛びに短絡して解されるおそれがある。

これをイマドキの女子中学生の柄で描いたら、ちょっと女児向けの早朝
番組らしからぬ下品なニュアンスが出てしまう。たとえば夜九時のドラ
に出ているMEGUMIの役柄がイケイケの佐瀬山佐世子さんでも全然ノー
プロブレムなんだが、朝七時半の女児向けドラマで、まこちゃんみたい
な男っぽい柄の女子中学生が「男なら割とだれでもいい」女だったりす
ると、あまりにも倒錯的でちょっと具合が悪すぎる(木亥火暴!!)。

いや、もちろんアニメ版のキャラ設計の背後に、そうしたギャップに基
づく「男性的でありながら男性の欲望を大らかに受け容れる母性」とい
う何重にも倒錯的な性的幻想があるのは間違いないと思うが、女性であ
る小林靖子が自身のドラマで、そういうヲタクの妄想汁垂れ流し的な人
物造形
を潔しとするはずがない(木亥火暴!!)。

これまでまこちゃんをめぐる物語において、「先輩との失恋」「惚れっ
ぽさ」という異性絡みのネタがスルーされてきたのは、そこが小林靖子
のなかで噛み合わなかったからではないかと思うのだが、それが今回の
元基との一連のように、男性の目立たない美点の思わぬタイミングでの
表出に打たれてしまう純粋さとして表現されるならば、最低限必要とさ
れる品位を保ったアダプテーションといえるだろう。

それから、亜美ちゃんが水の力を籍りて風船妖魔を見切り、クンツァイ
トの斬激を防ぐ剣を作り出したように、まこちゃんが樹木のネットワー
クを籍りて亜美ちゃんの居所を探り出すのも、描写としてはけっこうお
もしろかった。まあ、「おまえは、モークかよ」というツッコミが喉元
まで出かかったが(木亥火暴!!)。

この辺、たとえば火星や水星が火や水の属性を持つとされるのは、マル
ス、メルクリウスという原イメージとの連想上で無理はないが、ユピテ
ルの木星が樹木の属性を持つというのは、ちょっとイメージ的に苦しい
ような気はする。

しかし、どうやらぷらちゃんの説明によると、セラムン世界における各
惑星の属性には、西洋占星術のみならず東洋占星術の五行思想も盛り込
まれている
らしい。それならば、五惑星がその和名のとおり木火土金水
の属性を持つことも納得できる(詳細は「あんこくたぶれっ」ラストド
ラクル辞典「占星術」の項参照
)。※2007年に閉鎖 

そして、変身後の攻撃技にその属性が顕れるのではなく、変身前のまこ
ちゃんに木々が囁きかける
という描き方は、星の力を守護に持つファン
タジックな戦士という描写として効いていると思う。

さらには、これもぷらちゃんのサジェッションだったのだが、この描写
もまた、まこちゃん登場回のAct.6 のなぞらえに当たる描写のようだ。
Act.6 では、常にまこちゃんの登場と関連附けて樹木のざわめきを描い
ており
、タケルの見守りやうさぎとの会話の場面では、さりげなく背景
に樹木を配し、また、当時の時点ではピンと来なかったのだが、あたか
も無言の会話を交わすように巨木を見つめるまこちゃんの姿が、何度も
描かれていた。

その辺の事情については、まこちゃん自身のセリフでは「行かなきゃい
けない気がしてた」と曖昧に語られているので、「会話する」というほ
どに明確な通じ合いではないのだろう。今回の描写でも、言葉で教えた
というより感覚的に導いたような描き方
になっているのが、抑制が効い
ていると思う。

さて、まこちゃん個別に視ていくのはこれくらいで切り上げて、その関
連において裏の主役と目される亜美ちゃんのほうを視ていこう。

前回の引きでクンツァイトの妖術に堕ちた亜美ちゃんは、今回さまざま
な奇行をくり返してまこちゃんを振り回す。そもそも、まこちゃんのほ
うでは「いっぱい食べたね」と普通にリアクションしているけど、二〇
センチ径程度だろうから二人用と視られる土鍋一杯のおかゆを、一気に
平らげるというのは、ちょっと病中の女の子の食欲としては異常だ。

まこちゃんのつもりとしては、自分が母親不在の水野家を辞したあとで
も、温め直してもう一食保つようにとの配慮で分量を多めに見積もった
のだろうが、案外に健啖な亜美ちゃんは、それを一気に食べ尽くしてし
まった。まだこの時点では、病人に食欲があるのは良いことなので、驚
きはしたものの、不審を抱くまでには至らなかったというところか。

しかし、さらに思い立って遊園地に出向き、まこちゃんが音を上げるほ
次々にアトラクションを体験して嬌声を上げ、まこちゃんの名を呼ん
で手を振る亜美ちゃん
は、どこからどう視ても異常に見える。この遊園
地の場面でまこちゃんが元基と出会い、亜美ちゃんは失神して病院にか
つぎ込まれるわけだが、それがなぜ遊園地なければならないのかは、ラ
ストでダーキュリーが出現してもわからない

普通に考えると、クンツァイトの妖術の進行に伴って亜美ちゃんが正気
を喪っていましたというそれだけにしかすぎないのだが、たとえば、こ
の場面では、亜美ちゃんが何心なくまこちゃんに緑色の風船を手渡し、
自分は青い風船を持っている
という、妙に気になる描写がある。

これは、舞原ローテ定番の個々人のモチーフカラーの強調であるという
には、あまりに唐突すぎるような気がするし、モチーフカラーの使い方
ということでは、今回は亜美ちゃんが編んだ手袋という重要な小道具が
ある関係上、その重要性を薄めるような意味のない使い方はされていな
いはず
だ。

さらには、メリーゴーランド上で亜美ちゃんが失神した瞬間、その風船
が虚空に向けて漂い去るという描写がある。これがもちろん、亜美ちゃ
んが自身のうちに保っていたものを、この瞬間に手放したという描写で
あるからには、まこちゃんに風船を手渡した心持ちには何某かの彼女の
真実が顕れていなければならない。

ひるがえって、まこちゃんと共に遊園地に行きたいと望んだことにも、
単に妖術による錯乱以上の意味性がなければならない。なぜなら、亜美
ちゃんが自身のうちなる何かを手放したのは、メリーゴーランドの上で
失神したときであって、それ以前ではない
からだ。

こうした読みを裏附けるかのように、次回予告ではダーキュリーが同じ
メリーゴーランドのうえで
仲間たちを睨み据えるカットがある。これが
具体的にどのような真情の表出であるのかを、現段階で推測するのは意
味がない。推測しなければわからないような範疇の事柄は、「描写」で
はなく「伏線」に属する
からだ。

そういう意味では、今回のエピソードでは、割合大きな尺を占める場面
の具体的な意味性が持ち越されているために、一繋がりの物語としては
視聴者の感動を呼ぶまでには至っていない。まこちゃん描写の充実とお
もしろみは、そのための娯楽的アリバイという側面もあるだろう。ラス
トで登場するダーキュリーの衝撃は、物語ではなく事実自体のもたらす
インパクト
だからね。

たとえば、これまでの最良のエピソード群において視聴者に感動を与え
たような複雑精妙な物語要素の部分は、今回は割合に少ない。エピソー
ドの骨格を籍りているAct.14と見比べると、まこちゃんは亜美ちゃんと
の二者関係の帰趨を決定附けるようなシリアスな筋立てを演じているの
ではなく、妖術に侵された亜美ちゃんの異常を発見し、それに振り回さ
れているだけ
である。

その役割がまこちゃんに振られているのは、単なる行きがかりでしかな
いといえばそのとおりだ。ある意味、今回のまこちゃんの立ち位置もま
た、「うさぎはアレだし」「レイは独りでなんかやってるし」で、まこ
ちゃんしかお手空きの人材がいなかったから便宜的に宛われた
のだとも
いえる。また、うさぎとレイちゃんでは、亜美ちゃんに対して過去に直
接的な因縁があるため、逆にこの二人ではなく、まこちゃんを関わらせ
たのだともいえる。

その前提で、あえて「なぜまこちゃんだったのか」を問えば、それは、
これまで亜美ちゃんとの間にあらゆる意味で何の因縁もなかったこと、
それ自体のゆえ
ということになるだろう。木野まことという人物を「初
めて」正面から意志的に描くためにこそ、この物語全体において十全以
上に描き抜かれてきた亜美ちゃんとの組み合わせが成立している。

本来的には亜美ちゃんの危機に際して、真っ先に気附いてあげるべき立
場のレイちゃん、自らを同様の危機から救ってくれた友情に酬いるべき
うさぎ、この二人がそれぞれの事情で不在であるシチュエーションにお
いて、それまで何の因縁もなかったまこちゃんが、亜美ちゃんに対して
親身になって駆けずり廻ること、これが今回の物語の目論見だろう。

またしてももの凄くねじくれ曲がった筋道ではあるが、亜美ちゃんの孤
立とまこちゃん描写の回収劇が、こうしたギリギリのピンホールで一つ
にあざなわれている。それが効果的な構成として成立しているのか失敗
しているのか、言い出しっぺのオレにさえまったく判断が附かない。
こちゃんをめぐる物語は、それほどまでに危機的な状況にあった
という
ことなんだろう。

ただ一つはっきりしていることは、木野まことという人物についてのす
べては、今回のエピソードで新たに仕切り直されたということだ。かつ
て物語中に存在はしていたが、有効に機能していなかった主要人物が、
前半戦のクライマックス直前のこの時期(四月からはオリジナルストー
リーとなることが、すでにリークされている)に至って、完全に仕切り
直されたというわけだ。

だとすれば、ダーキュリー絡みのこの先数話の展開において、まこちゃ
んのモチーフとなるのは、この場面で亜美ちゃんを奪還できなかったと
いう新たな因縁
となるのではないか。

Act.14の亜美ちゃんとは違い、戦闘力の高いジュピターは、結果的に歯
が立たなかったとはいえ、難敵中の難敵であるクンツァイトを相手に、
けっこういい勝負を展開している。

しかし、Act.14の亜美ちゃんの戦いが、最終的にはフィジカルなもので
はなく心の戦いに決着し、その次元ではクンツァイトに勝利できたのと
は違い、まこちゃんの場合は、妖術の仕込みは今回のエピソード以前に
決しており、亜美ちゃんとの間に何の因縁も持たないまこちゃんの涙は
亜美ちゃんを奪還するには至らない

Act.14との対称において、たとえばあのときうさぎを奪還するのが、ま
さに亜美ちゃんであるべきだったのとは逆に、今回亜美ちゃんを奪還し
ようと強敵に挑んだのは、うさぎでもレイちゃんでもなく、最も筋合い
として遠いまこちゃんであり、結果として亜美ちゃんの奪還は不成功に
終わっている。「大きな声」の奇跡は、今回ばかりは起こらなかった。
起こらないよう、周到に筋立てが準備されていたからだ。

まこちゃんの個人的な資質がどうこうというのではない、これまでの因
縁を前提にして考えると、この場面でクンツァイトに挑むのがうさぎや
レイちゃんだったら、亜美ちゃんに対して「大きな声」が通じざるを得
ない…少なくとも、これまでのドラマの感動を裏切らないためには、通
じなければ不自然である
という事情がある。

それでは、結果的にダーキュリーを核とするクライマックスの縦糸が成
立しなくなる。今回の場合、ダーキュリーネタという大筋が決している
以上、クンツァイトの手から友人を奪還することはできないという結末
が予め用意されていて、そこから遡って、奪還に失敗することが最も自
然なまこちゃん
が追っ手に選ばれている。

たしかに、亜美ちゃんの連れ去りに、現状のうさぎやレイちゃんを密接
に絡ませることはできない。しかし、実は主人公であるうさぎが恋に悩
んでいるだけなら、どうとでもなったはずともいえるのだ。ここでうさ
ぎが、自身の問題を一旦棚に上げて亜美ちゃんに関わっていたら、視聴
者は不自然に思っただろうか。

いや、そうではないだろう。何せうさぎは主人公で、熱血行動型のヒー
ローなのだ。自分の辛さに耐えてひかりちゃんを励ませるうさぎなら、
他ならぬ亜美ちゃんのピンチに際して、自分の恋の問題をうだくだ悩む
いとまもなく、それすら忘れて全面的に介入し奮闘していたとしても不
思議ではない。

そして、これまでのうさぎがそうであったように、その積極的な行動そ
のものが彼女の洞察力の不足を補って、亜美ちゃんの危機を未然に防が
せていたはずだ。シリーズ構成上、それではまずい。

そして、ここでうさぎが不在でも仕方ないと視聴者が自然に受け容れて
いるのは、レイちゃんの不在がセットにされて「戦士たちの心がバラバ
ラに」という大筋が描かれているからだ。ここまでのドラマで描かれた
強い絆で結ばれた仲間たちの一人が、サクッと洗脳されて敵に回りまし
た、では、伊上勝曽田博久の時代の作劇法だ。

井上敏樹辺りなら、ニヒルに割り切ってそれでハコを組んじゃうんだろ
うけれども、他ならぬ小林靖子がキャスティングボードを握っている作
品において、この先何週間にも渉る友との辛い角逐のドラマを、そんな
浅い仕込みで組み立てることはできないだろう。

亜美ちゃんの籠絡による戦士たちの同士討ちをクライマックスに持って
くるのが練りに練られたシリーズ構成上の計画ならば、レイちゃんと美
奈子の出会いは、そのために用意されたアリバイなのだということだ。

うさぎが直接亜美ちゃんの奇行に気附き、奪還に向かったら、「てにを
は」からいってそれが成功しないわけにはいかないし、成功しないこと
でうさぎ対亜美ちゃんの二者関係のドラマがもう一度生じてしまう
。そ
れは単なる繰り返しにすぎないし、バランスからいって明らかに過剰な
手続となる。

そこで、いちばんの難敵であるうさぎを自然に遠ざけるために、二番手
のレイちゃんの不在を準備して亜美ちゃんの孤立を意味的に補強する

これが、ダーキュリー誕生に至るまでの、シリーズ構成上の仕込みとい
うことになるだろう。

亜美ちゃんとの間に感動的なドラマのあったこの二人は、亜美ちゃんの
籠絡に際して、その場に居合わせるわけにはいかなかったのだ。残るの
は、やっぱり「何にもない」まこちゃんだったりするわけだ。

身も蓋もない言い方をすれば、今回まこちゃんが主役として選ばれたの
は、まこちゃんがこれまで不遇な扱いを受けていた、それ自体のゆえで
あるとくり返さないわけにはいかない…いや、可哀想だなぁ(笑)。

そしてこの奪還が不成功に終わったために、おそらくAct.14で亜美ちゃ
んがしくじっていたら現出したような骨肉の状況が、その亜美ちゃんを
めぐって生起してしまう。またしても──対称と対照だ。

実は、今回のレビューの進行は意外と難航したんだが、それは、この辺
のアヤを解きほぐし煎じ詰めるのに、殊の外手間取った…つまり、「な
ぜまこちゃんなのか」を問う場面において「まこちゃんで間違っていな
い」という直観が働く無意識の機微をうまく説明する筋道が思い附かな
かったからなのだが、究極するところ、その入り組んだ筋道の芯にあっ
たアヤとは、やはり身も蓋もないものであったわけだ。

さらに、こうして抽出された目論見もまた、現時点では成功しているの
か失敗しているのか、軽々には判断が附かない。ただ、方向性としては
間違っていないのだろうし、卓抜した智慧であることにも異論はない。

亜美ちゃん奪還を核としたクライマックスの筋立てのなかで、今回の目
論見がどのように機能するのか、注意深く見守っていきたいと思う。

さて、今回のエピソードでは、大ネタがまこちゃん視点で貫かれている
ため、各人視点でそれぞれの要素を視てきた前回とは違い、ストーリー
を追う形でレビューが終始したが、この辺で小ネタを視ていこう。

とはいえ、今回のようにオーセンティックな視点人物の使い方でリニア
ルに組み立てられているエピソードでは、大筋からはぐれた小ネタもそ
れほど多くはない。

挙げるとすれば、たとえば、どうしたってまこちゃん視点で描くわけに
はいかないダークキングダムの内訌。さすがにもうこれ以上クンツァイ
トの先行きに関して憶測をたくましくすることはしないが、クライマッ
クスを迎えていよいよ闇の王国の対立構造も浮き彫りにされてきた。

毎回毎回よくまあ厭味のネタが尽きないなと思わせるクンツァイトとベ
リルの思わせぶりな腹芸は今回も好調で、ベリルのねぎらいに空々しい
お追従で応える鉄面皮ぶりや、その面従腹背を勘繰られても型通りの申
し開きすらしない傲岸不遜。

ベリルの「妾ではなく何を視ておる」との問いに「ベリル様と同じく、
クイン・メタリアの復活を
」「その後は」「お望みのままに」。しかし
クンツァイトがベリルの望みのままになることなどあり得まいから、ク
ンツァイトの目論見では、メタリア復活に伴ってダークキングダム…と
いうか、クイン・ベリルを亡きものとする腹ではないのか。

前回のエピソードでは、何やらクンツァイトがジェダ・ネフの合従連衡
に亀裂を入れようと目論んでいるらしいことが描かれていたが、それも
その最終目的に向けた策謀の一手かのう。

以前「ジェダ・ネフコンビにしてみれば、『クイン・メタリアの力をわ
が物に…』くらいの邪推に留まるのだろうけれど
」と書いたが、「信用
できるか、ベリル様にとって替わろうと…
」と力むネフの安直さに、ベ
リル自らが「そのような単純な男ならよいのだがな」と詠嘆するに至っ
ては、隙っ歯小僧のジェダでさえネフの単純さには呆れ顔だ。

今回、ベリルの言葉を受けてジェダが「気を附けないとプリンセスのこ
とも…
」と耳打ちすると「ばかな、奴に何ができる」とネフが一蹴し、
強がるネフの横顔を視るジェダの目が冷たい。ここは芝居がそうなって
いるだけではなくて、カメラが寄って芝居の間をとっている

前回からの流れで視れば、うかうかと美奈子に騙されてガセを掴まされ
たネフがベリルにマジ怒りされている場面で、ジェダはプリンセスの智
慧を持ち上げる形で遠回しにネフを庇っている。年若いだけにジェダは
割合にお人好しで、ネフのほうでは強力なライバル出現の脅威に便宜的
にジェダを味方に附けたいと思っているだけなのに、ジェダのほうでは
素直にネフに肩入れしている。

策謀まみれのクンツァイトが、そのジェダに「いつまでもネフライトな
どといっしょにいると馬鹿をみるぞ
」と警告し、ダーキュリー計画の真
意を明かすことにどういう狙いがあるのか、引っ懸かってはいた。

前回はスルーしちゃったが、ここでクンツァイトは「プリンセスを確か
めるためにセーラー戦士を…
」と計画の真意を語っている。その言葉の
どこまでが真実なのか、窮極の真意が奈辺にあるのかはさておき、亜美
ちゃんの籠絡を思い附いたのが、前回冒頭のレイ・美奈の会話を受けて
のこと
であるからには、プリンセスの真贋を決するためにセーラー戦士
を一人手に入れる腹であるという大筋は同じだろう。

それをプリンセス探索とは関係ないジェダに明かすのは平仄が合わない
気がしていたのだが、今回ジェダは力み返るネフに対して、クンツァイ
トの真意を伏せたまま
、「気を附けないと…」という遠回しな警告の形
でネフの注意を喚起している。

前回ネフを庇う言葉が遠回しだったのは、ネフのためにベリルの勘気を
蒙る義理はないが、さりげなく助け船を出す程度の好意は持っていたか
らだろうが、今回クンツァイトの真意を伏せていたのは、ネフとは別の
意味で単純なジェダが、クンツァイトの唆しでネフへの肩入れに躊躇を
覚えた
からだろう。

どうも、この先ダークキングダム内部でも、活発な動きが展開するらし
い。その流れ次第では、前世でも四天王たちは、必ずしもなかよしこよ
しではなかった
という話になりそうで、今から愉しみである(笑)。

それから、最後の小ネタになるが、シンゴが一回目にうさぎの様子を見
に来たとき、落ち込んでいるうさぎを一切画面上で見せないのは、「あ
るある」的な演出としてうまいね。落ち込んでいる女の子が顔を見せな
いというのは、男にとっては無闇に気になるもんだ。この辺は、さすが
に舞原賢三もかつて男の子だったことを忘れていない(木亥火暴!!)。

また、この流れについては、二回目にシンゴが様子をみにきたときに差
し入れるのが「肉まん」であるという、本筋上何ら重要ではないが、当
レビューにとっては無視できない事実
が明らかになった(木亥火暴!!)。

…そうか、義務教育を終えて幾星霜、オレは現今の厨房の懐具合をまだ
まだ見切っていなかったったということなのだな(木亥火暴!!)。おそら
ちゃんとした店で蒸し立てを喰おうと思ったら、三〇〇円から五〇〇
円の出費になる
のだろうが、赤の他人のシンのために懐を叩いて散財し
たばかりのうさぎには、税込み一〇〇円也のコンビニ肉まんを半分こす
るのが関の山だったのか(木亥火暴!!)。

つまり、あの場面でうさぎが肉まんを半分こしたのは、恋しい人と食べ
物を分かち合いたかったからではなく、小腹が空いているのに嘘も隠し
もなくガチの金欠だったから
なのだな(木亥火暴!!)。

…いや、つか、頼むから真に受けるなよ、おまえら(木亥火暴!!)。

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