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Act.22 氷の欠片

もうこれ以上、泣かせるようなこと、せんといてほしいわぁ

「おまえは京極万太郎かよ」というセルフツッコミはさておき、前回に
引き続いて今回も、物語は過酷なまでにうさぎたちを追い詰める。小林
靖子の智慧も、舞原演出の冴えも、共に健在だ。ただし、今回ばかりは
いっさい小細工抜き、TKOではなく、クライマックスの芝居で泣かせ
る堂々たるストロングスタイルの筋立て
だ。

これまでのオレのレビューの基本認識として、この番組では考えオチで
二度三度と泣ける重層的な構成が目指されているという理解があった。

Act.16幻視の実体化を試みた二重解釈などはその骨頂であって、小林
靖子自身の少女時代のルサンチマンやその昇華のプロセス、他者的な突
き放した視点と本人性の伴う近々としたリアルな実感、考え抜かれた理
知的な筋道とプロセスを飛越して直截解答に逢着する鋭い直観。

そうしたつくり手の満腔込めた複雑怪奇な内実が、応分の内実とそれを
相手取るに足るだけの力量を具える映像作家とのコラボレーション
で、
ウェルメイドな物語の枠組みを破壊してまで突出し、あまつさえ、映像
作品としての新たなリアリティの地平を伐り拓いてさえいるのが、この
番組の凄みであるという認識があった。

実際、雑誌媒体や公式サイトで紹介される小林靖子のコメンタリーは、
これまでの謙虚な姿勢とは打って替わって挑発的ですらある。一個の作
物として自信があるというばかりではなく、それが何なのか本人にすら
判然としていない対象に対して攻撃的に挑み懸かるような口振りだ。

そうした彼女の姿勢に伴って生み出された作物が、どのように突出した
作品世界を紡ぎ出してきたかは、これまでつぶさに視てきたとおりだ。

しかし、この舞原ローテの二エピソードに関しては、あえて間口を広く
設定し、脚本に込められた智慧や演出の冴えに気附こうが気附くまいが
どうでもいい、いつものように多重的な階層で愉しめるような構成では
なく、番組を観ているすべての視聴者の胸をひとしなみに打つべく、受
け手の心を強くぶん殴るようなストレートな物語
が展開している。

そして、今回のドラマの感動の芯にあるのは、沢井美優演じる月野うさ
ぎの会心の芝居場
だ。番組全体の大筋の決め事にすぎないセーラー戦士
の真の力への目覚めなど、オレ個人にとってはどうでもいい。

クライマックスで流される沢井の涙、まざまざと物語を生きる個人の力
強い肉体性と、考え抜かれ取捨選択の粋を凝らされた無駄のない物語性
が比類なく強力に合致すること
、これこそがドラマの目指すべき感動の
極限だ。

普通にいえばみっともなくさえある、リアルに泣き腫らした瞼の厚ぼっ
たさや呆然と脱力した表情の無防備さ、これが美しくこしらえた芝居の
手業以上に心に響くこと。これを目指さなくて何のリアリティだろう。

断っておくが、オレ個人は沢井美優のファンではない。現時点では北川
景子演じるレイちゃんがいちばんのご贔屓ではあるが、四月からの小池
里奈登板きっかけで、たとえ役柄がちびうさであっても、あっさりそっ
ちに鞍替えする腹づもり
だ(木亥火暴!!)。

しかし、個人的な嗜好は嗜好として、この番組を芝居の次元で引っ張っ
ているのは、敵方ならば杉本彩の圧倒的な存在感と窪寺昭の鍛え抜かれ
た舞台芸であり、味方の側では次席の河辺千恵子を大きく引き離す沢井
美優の熱演ぶりであろうことは、疑い得ない客観的事実だと思う。

たとえば、今回のクライマックスでレイ・まこの流す涙、これが沢井の
迫力溢れる芝居を受けてのマジ泣き
であることは、一目視ればすぐわか
るだろう。掛け合いの芝居において、これほど強力な肉体性を表現する
芝居は、共演者にも良い影響を及ぼす。北川と安座間の芝居は、沢井の
芝居に引きずられて本来の何倍もの力を発揮している。

オレが沢井を実写版における「座長」と奉る動機は、主役としてのカリ
スマに基づくこうした強力な牽引力によるものだ。主人公月野うさぎと
いう人物の行動力が、これまでのドラマを強力に牽引してきたように、
それを演じる沢井美優の演技が、素人揃いの主演陣の演技レベルを実際
以上に底上げしている。

そして、今回のドラマでは、まだまだ亜美ちゃんを悪の手から取り戻す
までには至らなかったけれど、前回のショックを真正面から受け止めた
戦士たちが、奪還の希望を確認して新たな出発を誓うところまでが描か
れる。その流れの頂点にあるのが、二度に渉るうさぎの涙の芝居場だ。

それでは、前回の引きにつながる極限の緊張を受けた冒頭の流れから、
そのクライマックスに至るまでの流れを、順を追って視ていこう。

前回の衝撃のラストを受けて、「正気を喪って」敵方に回ったマーキュ
リーの心を呼び覚ますべく、三戦士は口々に自分たちのことを想い出し
て、と叫ぶ。しかし、それに対して亜美ちゃんは、手にした刃よりもさ
らに冷たくさらに鋭い氷の冷笑をもって応じる。

覚えてるわ。セーラームーン。セーラーマーズ。セーラージュピター。
あなたたちを倒して、わたしはもっと強くなる。今日まで、愉しかった
わ。さよなら、わたしの友だち

「うさぎちゃん」でも「レイちゃん」でも「まこちゃん」でもない、日
頃ルナやタキ等の特定関係者以外のだれからも口にされることのない、
セーラー戦士としての有名無実な名前で呼びかけられている。美奈子を
除くセーラー戦士たちは、これまでは、たとえば月野うさぎとセーラー
ムーンを峻別するようなことは一度もなかった。

この場の亜美ちゃんは、水野亜美としてではなくダーキュリーとして、
素顔の少女たちではないセーラー戦士たちと、水の剣ではなく氷の剣を
手にして悪意的に対峙している。しかも、水野亜美としての意識の連続
性を保ったまま
、かつての仲間たちに容赦のない刃を向けている。

それがただの操り人形としてではなく、自分の意志に基づいてセーラー
戦士たちと対峙していると認められるからこそ、戦士たちの心は動揺す
るのだ。それは、各々の戦士たちの心の底に、已むに已まれぬ亜美ちゃ
んに対する疚しさと悔恨
があるからだ。

この場は、おそらくプリンセスの不在がご不満だったクンツァイトの介
入によって対決は持ち越されているが、クンツァイト曰わく「奴等を追
い込」む目的は十分に果たされている。クラウンに遺された、亜美ちゃ
んが四人の間の友情を願って編んだ手袋を前に、戦士たちは動揺の色を
隠せない。

どうして、なんで亜美ちゃんが。

わたしが気附けなかったのがいけなかったわ。もっと注意してれば。

違うわ。ルナだけじゃない、わたしたちだって。

連絡くれたら、すぐ助けに行ったのに。

交々に後悔の言葉を口にする戦士たちに、ルナが亜美ちゃんの密やかな
心の内の願いを明かす。

最近、わたしたちバラバラだったと思わない? でも亜美ちゃんは、そ
のうち、いつもみたいになるって、そう言ってたわ。

「そのうち、いつもみたいになる」…たしかに、ふたたび仲間たちの心
は一つになった。それを心から願って已まなかった亜美ちゃんただ一人
を除いて。それを願った優しい少女の心の温もりと引き替えに。独りの
部屋に戻った少女たちは、それぞれの事情に基づいて亜美ちゃんの気持
ちに気附いてやれなかった自分を悔やむ。

仲間ができて、最初はあんなに嬉しかったのに、いつの間にか、いるの
が当然になって。

何が「一人でやってみる」よ。うぬぼれもいいとこ。

最近、ほとんど亜美ちゃんと話してなかった。ずっと地場衛のことばっ
かり考えて。

ここで、手袋を見て事情を察したまこちゃんが亜美ちゃんとのすれ違い
を回顧するのはともかく、レイちゃん主観の回想でマグカップのすれ違
いが描かれてしまうと、あのときレイちゃんはそれに気附かなかったの
ではなく、意図的に無視したようなニュアンスが出てきてしまう。

ここに拘るのはおそらく筋違いだと思うのだが、こういう描き方を真に
受けると、レイちゃんはあのとき、亜美ちゃんの気遣いに気附く余裕が
なかったのではなく、その気遣いに応えるだけの余裕もなかったという
ことになるだろう。そう解釈すると、なおのこと辛い。

つまり、少女たちは自分たちのケアレスミスや慢心、自分本位な悩み事
のために、仲間が敵の手に墜ちたという、その事実だけを悔やんでいる
のではない。ダーキュリーとなった亜美ちゃんを視て、かつての自分た
ちの振る舞いに、亜美ちゃんをそう仕向けるだけのものがあったのでは
ないか
と危惧して悩んでいるのだ。

亜美ちゃんは、大いなる悪の力の欠片を受け生まれ変わった。型通りに
正気を失わせて操るのではない、亜美ちゃんの心のダークサイドに働き
かけて、これまでの亜美ちゃんの人格の陰画を形成している。

生まれ変わったかもしれないけれど、だれかの部下になったつもりは
ない
」という亜美ちゃんの言葉は、ダーキュリーの邪悪な言動を、邪法
の術手であるクンツァイト一個の責任に帰す道筋をも潰している。そし
て、このダーキュリーの言動にはなぜか「愛を裏切られた者」の復讐と
いう型がある

ただ悪の戦士としてセーラー戦士たちに挑みかかるだけではない、わざ
わざ学校に登校してクラスの人心を邪法で総攬し、うさぎを疎外してみ
せること、これは明らかに「復讐」だ。

うさぎ、「水野さん」のこと、そんな馴れ馴れしく呼ばないで。

「亜美ちゃん」と呼びかけて駆け寄るうさぎに、なるちゃんのキツい言
葉が浴びせられる。みんなが親しげに「亜美ちゃん」と呼びかけるなか
で、うさぎ独りだけそう呼ぶことが「許されない」。これは、いつか亜
美ちゃんが通ってきた道
だ。

おはよう、「月野さん」。学校は休みたくないから、ちょっと居心地良
くさせてもらったの。学校で戦う気はないけど、油断はしないでね。

これが果たして水野亜美の「本音」なのだろうか。心の奥底に眠る密や
かで隠微な悪意だったのだろうか。みんなにちやほやされ、うさぎを孤
立に追いやることが、本当に亜美ちゃんの望みだったのか。

これまでいやというほど描かれてきた自分の孤独や辛さを、これまで大
好きだったうさぎに思い知らせたかったのか。それほどまでに、知って
ほしかったのか、痛みを分かち合ってほしかったのか

それとも、人気者のうさぎが妬ましかったのか。わかってもらえなくて
もいい、自分の味わった辛さ切なさを、それとは対照的な立場にある友
人に、万分の一でも味わってもらえばそれで気の済む
ような、言葉どお
りの「復讐」なのか。

そうした不可解な言動をとる亜美ちゃんへ近附こうとするうさぎの気持
ちをせき止めるかのように、たくさんの机が音を立てて打ち合わされ、
心の扉が鎖されてしまう。ここは画面ヅラの組み立てが、演出面でも効
いている。

以前オレは、Act.14を踏まえて「そんなことはもうどうでもいい地点に
まで、この二人の距離は近附いているといえるだろう」と表現した。し
かしそれは、移ろいやすい少女たちの気持ちの揺らぎのなかで、たまた
ま得られた安定にすぎなかったのだろうか。

亜美ちゃんがそうだったように、独り屋上で弁当を開くうさぎ。たしか
にこの娘は、実際にわが身で体験してみないと、他人の痛みがわからな
のだ。屋上を歩くうさぎを中抜きのディゾルブでつないでいるのは、
打ちひしがれてトボトボと歩く「時間」の長さの表現として的確だ。

わたしたち、亜美ちゃんをこんなふうに独りにしちゃってたのかなぁ。
亜美ちゃんと戦うぐらいなら、わたし、セーラームーンやめる

「本当の亜美ちゃん」の望みが何であったとしても、舞原曰わく悪美
悪意的な策謀によって、図らずもうさぎは亜美ちゃんが経験した孤独を
残らずわが身で体験する羽目になる。これは、うさぎがみた亜美ちゃん
にとっての悪夢
だ。

実際には、これまでだれ一人悪意でもって亜美ちゃんを孤立に追いやっ
た人間などいなかった。以前彼女に辛く当たったなるちゃんだって、別
に亜美ちゃんがうさぎと親しむことそれ自体を「許さなかった」わけで
はない。それは以前つぶさに視てきたとおりだ。

亜視ちゃんの抱える不全は、徹頭徹尾亜美ちゃん自身の内的な問題であ
り、亜美ちゃん一個の責任において乗り越えるべき障碍だったはずだ。
今回うさぎが体験した排斥の成り行きは、亜美ちゃんの来し方を悪意的
にねじ枉げたパロディ
だ。

そして、決着するところ、これまでのドラマで描かれた亜美ちゃんの不
全と成長の物語が、すべて周囲の無理解や悪意のせいであるような、そ
んな安っぽいものであろうはずがない。ならば、ダーキュリーとして生
まれ変わる前に得られた亜美ちゃんの成長もまた、真実真正のものでな
ければならない。悪美の策謀が、亜美ちゃんの無意識から出た悪意の発
露でなどあろうはずがない。

亜美ちゃんは、決してそんなことを望んでいたのではない

しかし、それは物語を観ているオレたちならともかく、劇中の人生を生
きる当事者であるうさぎたちにはわからないこと
だ。ことに、自分たち
に十分以上の引け目がある状況において、大切な友人が悪の手に墜ち魂
を穢されたという衝撃的な事実の前には、手前勝手な虫のいい望みとし
か思えまい。

可憐な亜美ちゃんのかつての優しい姿を想い出させるよすがは、クラウ
ンに遺された四双の手袋しかない。

一方、これまで亜美ちゃんを知らず知らずのうちに追い詰める役回りに
立つことの多かったうさぎが、今回の一件によって、悪美にギリギリま
で追い詰められること、これには…たとえばこれまでのドラマを、亜美
ちゃんに極度な感情移入をして見守ってきた視聴者たちは、心のどこか
で快哉を叫んでいるはず
だ。

それは、これまで語られてきたドラマが持ち越したほんの些細な余剰で
しかないのだが、亜美ちゃんが経験した辛さそれ自体が、本当の意味で
うさぎに通じていなかったこと
に、微かな苛立ちを感じる部分がなかっ
たわけではない、そんな辛さで贖われた友情を、うさぎが普通の友人同
様に公平に扱う
様子に、無意識の反撥を覚えていたように思う。

Act.14において、Act.16の少女地獄へと続くような自身の痛みと引き替
えに友を取り戻した亜美ちゃんの真心に、本当の意味でうさぎが応えて
いなかったこと
に、オレたちは小さな苛立ちを覚えていたはずだ。

あのとき、亜美ちゃんは他のだれにも注がないような特別な愛情でもっ
てうさぎを想い、その想いの力によって現実に一人の友を取り戻した。
その真心に対してうさぎが真実酬いるのであれば、他のだれに対してと
も違うような特別な気持ちをもってしなくてはならないはずなのに、う
さぎの亜美ちゃんに対する気持ちは、十分に強いものではあっても、十
分に特別なものではなかった

だからこそ、亜美ちゃんの籠絡・敵対というテーマにおいて、うさぎは
ギリギリまで追い詰められねばならないのだ。通常のヒーリングパワー
で亜美ちゃんを奪還できなかったことで、いかにこの現在が手遅れであ
るのかを悟り、自分がこれまでいかに亜美ちゃんを追い詰めていたかを
悟らねばならない。実際必要とされる以上に、亜美ちゃんのために悩ま
ねばならない。

一口で言って、うさぎは悪美の策謀をすべて真に受けて、亜美ちゃんの
辛さをすべて己が身で引き受ける責任がある
のだ。これまでのすべてを
亜美ちゃんに謝罪する責任があるのだ。

これが不条理でないはずがない。うさぎは何も悪いことはしていない。
それどころか、孤独な亜美ちゃんに積極的に手を差し伸べ、人並み以上
の愛情を注ぎ、期せずして彼女の人間的成長を後押ししてきた。どこに
責任を糾弾されるべき非があるというのか。

もちろん、亜美ちゃんの側にうさぎの責任を問うべき権利などない。
さぎが責任を問われるのは、うさぎ自身の問題性において
である。

うさぎは、亜美ちゃんの辛さを見過ごしにできないようにできている。
だからこそこれまで、頼まれもしないのに亜美ちゃんのために懸命に動
いてきたのだが、亜美ちゃんがそうしたうさぎ一個の真心の浄さを恃み
に辛い道のりを耐えて成長してきたのであれば、うさぎには亜美ちゃん
が苦闘の末につかんだすべてに対して絶対的な責任がある
のだ。

その責任は、未熟な中学生だから、非力な子どもだから、まだまだ心に
余裕がないから…などという留保で回避し得るものではない。うさぎが
地場衛に心を奪われる道筋にいかに無理がなかろうが、亜美ちゃんに対
する責任がうさぎ一個の手に負えるものであろうがなかろうが、自身の
アティテュードが、より良い亜美ちゃんの立ち位置を護るために十全で
あったとうさぎが思えない限り、亜美ちゃんを取り戻したいと欲する限
り、人と人の間には絶対的な責任関係が生じる
のだ。

うさぎが亜美ちゃんのみた悪夢を現実に追体験し、その辛さのいっさい
をわが身に引き受けるとともに、どんなに手を尽くしても亜美ちゃんは
戻らないという退っ引きならない絶望に追い詰められること——オレ個
人としては、ここまでうさぎを追い詰めなくても物語は成立すると思う
が、結局この物語は、亜美ちゃんの辛い来し方を誇張して逐次的に体験
させることで、うさぎに実感として思い知らせてしまった。

背筋が冷たくなるくらい、この物語の神様の応報原理は厳格だ。

うさぎにとっては、亜美ちゃんとの対決は、ヴィーナスが口にするよう
な「使命」とか、それを果たすための試練などという筋道上の問題では
ない。言葉で語れる以上の、もっと大事なものが懸かっている。彼女と
戦うことなど最初から選択肢に算え得るものではない。戦闘を避けるた
めなら、戦士の立場を抛ってもかまわないし、亜美ちゃんを取り戻すた
めには、一命を賭してもかまわない。

そして、ダーキュリーが、あの遊園地を舞台にして、いの一番に対決を
迫ってくるのは、他ならぬうさぎである。

わたしの相手をしてもらえる?

どこを視てるの、「月野さん」の相手はわたしでしょ?

うさぎはどんどん追い詰められていく。うさぎに対するダーキュリーの
言葉は、すべて皮肉な悪意に盈ちている。すべて「愛を裏切られた者」
の復讐の型にはまっている。うさぎが亜美ちゃんを裏切ったという前提
の下に、触れば血を噴くようなうさぎを痍附ける言葉
になっている。

そして、このときうさぎが変身を解除するのは、亜美ちゃんを説得する
ためではなく、亜美ちゃんとは、たとえ相手に明白な殺意があっても戦
わないという頑固な決意の顕れだ。愛情にまつわる復讐の刃の下に無防
備な身を晒し、無償の愛をもって酬いる態度の顕れ
だ。

だから、このときうさぎが諄々と亜美ちゃんをかき口説く言葉を、セラ
ミュ定番の「説得ボンバー」と視てはいかんだろう(木亥火暴!!)。

わたし、亜美ちゃんとは戦わない。亜美ちゃん、捕まっちゃったの気附
かなくてごめんね。独りにしてごめん。

これ、ありがとう。わたしなんて、自分のことばっかり考えてたのに…
でももうそんなことしない。こんなふうに戦うなんて、絶対できない。
だから…亜美ちゃん、いっしょにクラウンに帰ろう

しかし、ダーキュリーの表情にまったく変化はなく、真心込めたうさぎ
の言葉にも、彼女の心に刺さった氷の欠片を溶かす力はない。今回の事
件をとおして、ギリギリまで追い詰められたうさぎが理解したすべての
実感に基づいて、心からの謝罪を訴え「いっしょに帰ろうと」口説いて
いるのに、その「大きな声」はもう亜美ちゃんの心には届かない。

この現在は、あまりに手遅れだ。

あまりにも気の毒でくり返すのが辛いのだが、前回の物語の主役がまこ
ちゃんであったことが、ここでアリバイとして効いてくる。うさぎには
このときの声を相手の心に響かせるだけの、亜美ちゃんのための身を挺
したアクションを演じる時間も、亜美ちゃんの危急にジャストタイミン
グで駆け附ける余裕もなかった

この現在は、決定的に手遅れだ。

うさぎが差し出した手袋は、嘲りの言葉とともに振り翳された氷の刃で
無惨に両断され床に落ちる。真っ二つに切断された手袋は、最早元には
戻らないし、もっと大事なものは、なおさら元には戻らない。

ある意味、この流れで真の能力が覚醒するのは、一種便利なイヤボーン
であって、一歩間違うと安っぽい筋道になる。実際、初見の際、オレに
は、うさぎが純粋に亜美ちゃんのために涙を流しているのではなく、
望して泣いているように見えた
。ただ心細くて手放しに泣いているだけ
で、どうしようもなく手遅れな現状に、ただただ呆然としているだけの
ように見えた。

しかし、うさぎが悪美やダーキュリーの言動を、亜美ちゃんの真実を何
ほどか反映したものとして真に受けている
という前提に立てば、このと
きの涙は、かつて四人を思い遣って編んだ手袋をもう顧みないほどに、
亜美ちゃんの絶望は深かったのか、変わってしまったのか、痍附けてし
まったのか、そうした亜美ちゃんを指向する情感ともとれるだろう。

ただ、理屈抜きにそう見えるかどうかというのは、ちょっと微妙だと思
うんだな。一回こっきりしか視聴しない一般的な視聴者が、うさぎの涙
の筋道をそもそも気にするとも思えないが、ありきたりなイヤボーンと
視ようとすればそれもたやすい。パワーアップのルーティンに附き物の
難しさではあるが、ここは少し、芝居場の組み立てとして弱いと思う部
分ではある。

しかし、ここでムーンの真の力の一端が発動して、ダーキュリーを怯ま
せる辺りからの畳みかけは凄い。「うさぎ…ちゃん」と名を呼び、一瞬
垣間見える「本当の亜美ちゃん」の姿、これがクライマックスの感動を
もたらす。

一度目の涙に至るまでのうさぎは、ダーキュリーを本当の亜美ちゃんの
連続上に視て後悔・絶望していたが、真の力の覚醒によって、ダーキュ
リーとオーバーラップして本当の亜美ちゃんが「うさぎちゃん」と呼び
かける。

一度目に流された涙が、切断された手袋によって、戻らない友情を思い
知らされた哀しみによるものなら、二度目の涙は、その手袋が元に戻っ
たことで、友情を取り戻せる希望が得られたための、嬉しさの涙
だ。

畳みかけるように戦士の結束を再確認するレイ・まこの言葉があり、ル
ナの「がんばりましょう、本当の亜美ちゃんもきっと待ってるわ」とい
う言葉が力強く継がれる。ここで明確に表されていることは、つまり、
悪美もダーキュリーも、「本当の亜美ちゃん」ではないということだ。

ダーキュリーの口にする「月野さん」という呼びかけ、これは「振り出
しに戻る」ようなうさぎに対する亜美ちゃんの気持ちの変化を表すもの
ではなく、「うさぎちゃん」と呼びかける亜美ちゃんこそが「本当の亜
美ちゃん」であって、「月野さん」と呼びかける悪美やダーキュリーは
邪悪の強い翳りがもたらした偽りの影だということだ。

それは、少女たちの引け目が生み出した哀しい幻影だ。

——だれだって、いろんな自分がいるわ。

愛を裏切った仲間たちに復讐を目論む亜美ちゃんは本当の姿ではない。
そもそも裏切りなど存在しなかったのだ。邪悪な力のもたらしたちぐは
ぐな陰画を真に受けてはいけない。悪魔の囁く歪んだ喩え話に耳を籍し
てはいけない。

悪美とダーキュリーの凍れる肉体のその内に、「本当の亜美ちゃん」が
囚われている。

うさぎやレイ・まこが、これまで亜美ちゃんに対して最適な態度をとれ
なかったからといって、「本当の亜美ちゃん」はそれを恨んでも憎んで
もいない、ただひたすらに仲間たちの救いを待っている

搭のうえの姫君のように、四人の友情の再生を願う美しい心で一心に手
袋を編んだそのままの優しいあの亜美ちゃんが、氷の刃に鎧われた同じ
姿の内に囚われている。

少なくとも、今はそう信じて亜美ちゃんを取り戻すために全力を尽くす
べきだ。

人が抱き得る最上の希望とは、その程度の確度でしか得られないもの
んだ。とことんまで追い詰められ、突き墜とされたギリギリの絶望の底
の底、その果てに実現した機械仕掛けの神の奇跡が、視聴者に対して一
筋の優しい希望をもたらす。

このときのうさぎの嬉しい涙は、何度視ても泣けてしまう。この涙の浄
さは何人にも疑えない
。これが喪われたベストタイミングを贖うだけの
心の直さを証すものであることを疑う知には、知として立つだけの価値
がない。

物語の神様が厳格に要求する応報原理が、この一瞬のための過剰なまで
の残酷さであるとするなら、オレはそのすべてを許容する。

しかし…蛇足になるかもしれないが、今回、後半の戦闘場面が、どうも
あまりきれいに撮れていない印象を覚えたのは残念だ。暗く狭いステー
ジということもあるが、全般に絵がきれいではない印象を覚えた。

せっかく戻ってきてくれた人材に難を言うのは気が退けるが、少女をき
れいに撮ることに常に意識的だった上赤、川口両人の仕事を視てきたあ
とでは、即物的に的確な松村のタッチは少し物足りなく感じてしまう

これは、照明との関係もあるだろうから、松村と斗沢の連携がここでは
うまくいかなかったのではないかと邪推してしまうんだが。たとえば、
ダーキュリー出現に際してスモークを焚いて光を散らしているが、その
後のカットで無駄にスモークが巻いているのがバレていたりする

また、いくらステージが狭いとはいえ、役者の置き方の間合いが近すぎ
ように見える。手を伸ばせば届くようなところにいる人物に対して、
叫びの芝居で必死に呼びかけるというのは、どうにも滑稽に見えて仕方
がない。置き方それ自体もあるが、レンズのチョイスでどうにか見せら
れなかったのかと思ってしまう。

さらには、一回目の泣きの演技のせいで片方だけ腫れた瞼をそのまま持
ち越すのは、女優の撮り方としていかがなものかとも思うが、この辺は
冒頭で少し触れたように、沢井の芝居がギリギリ辻褄を合わせていた
うにも感じるので、良し悪しの部分だろう。

セット自体があまり絵的にきれいなものではないのも事実だが、狙いと
してはよくわかるシーンなので、実現された映像が少し即物的な印象な
のがなおさら惜しまれる。おそらく、演出上の目論見としてはもう少し
夢幻的なニュアンス
が狙われたものだろうと思う。

つまり、舞原担当の亜美ちゃんエピソードで、風船妖魔のデザインライ
ンの「ピエロ」妖魔というのは、偶然にしては出来すぎだろう。Act.5
の「ピエロの涙」ネタが響いているだろうが、だとすれば、あまりにも
悪意的な皮肉だ。

そして、決戦が終始ピエロショーのステージ上で演じられるのは、仮面
劇の暗示
ともとれる。妖魔に押さえ附けられたレイ・まこの背後にも仮
面があるしね。そこで演じられる決戦が、先ほど視てきたような性格の
ものなら、悪美・ダーキュリーが「本当の亜美ちゃん」ではないことの
仄めかしとして、この舞台選びにも大きな意味がある

だからこそ、現実に撮影された映像も、もう少し夢幻的なニュアンスで
美しく撮ってほしかったところなのだが、松村のクッキリしたルックは
そうしたニュアンスには不向きで、結果的にデパートの屋上ショーのよ
うな身も蓋もない絵面
になってしまったのが悔やまれる。

余談に渉るが、メリーゴーランド上のダーキュリーや道化師、仮面劇の
嗜好、こうしたものが舞原監督のネタ出しであれば、それをフェリーニ
への傾倒を表すものと視るのも、ネタとしては面白いかもしれないな。
ちょうど一人大女もいることだし(木亥火暴!!)。

さらに余談なのだが、ルナがこの遊園地を指して「妖魔の気配よ、近い
」と言うからには、やはりご町内の遊園地なんだよな?(木亥火暴!!)
前回に引き続き主要舞台が遊園地で、亜美ちゃんの指示で妖魔が直接遊
園地に現れたからには、これも亜美ちゃんの意志ということだ。しかも
ラストのゾイ出現の場面では、陽菜と衛まで遊園地の話をしている

いったい、遊園地になにがあるんだ?

…いや、なんとなく想像附くけど、言わないほうがいんじゃね?

さて、この辺で今回も小ネタを拾っていくわけだが、さすがにお話がク
ライマックスに差し掛かると、いろんな方面で展開が早くなってくる。

まず、さすがにバランス上今回はそれほど描き込むわけにもいかなかっ
たであろううさ・まもの関係に目を向ければ、早くも手仕舞いの雰囲気
が濃厚
だ。衛のことで頭がいっぱいだった自分を責めるうさぎの独白か
らスイッチした衛と陽菜の会話は、「今後こういうふうに話が納まりま
すよ
」と予告しているかのように説明的だ。

以前陽菜のことを、小林靖子はあまりこういう種類の女に好意的ではな
かろう
と書いたが、親の決めた婚約者と「大学を卒業したら結婚」して
親の会社の社長夫人となるためにお料理教室に通っているというのは、
まあ、考えようによっては結構なご身分だ。

ハイソにはハイソの苦労というものもあるんだろうが、純粋培養で社会
の荒波を経験していない女の子が、花嫁修業に勤しんでそのまま家庭に
入ってしまうわけだから、今後社会との接点といえば、精々社長夫人と
しての社交的な場面のみだろう。苦労があり得るとすれば、多忙を窮め
る夫の不在に耐えて、経営者一家としての風格を保ちつつ家庭を守ると
いう一事に留まるだろう。

ハイソであると庶民であるとを問わず、世の中には現実にこういう生き
方もある
んだろうし、それを一概に否定するわけではないが、小林靖子
の描く物語のなかで、こういう生き方がポジティブにとらえられている
とはちょっと思えない。おそらく、好き嫌いのレベルでいえば嫌いなの
ではないか
と思う。

だとすれば、衛との結婚は、陽菜にとってもあまりポジティブな未来を
保証してくれてはいない
ということになる。そして、陽菜は衛との結婚
によって、父の代までに築かれた資産家一家としての安心立命が継続す
ることを望んでいるわけではない。これまでの描き方では、ただひたす
らに好きな相手と結婚して、自らの家庭を築くことだけを望んでいるか
に見える。

しかし、陽菜が望む衛の愛が、陽菜自身に向けられているのではないこ
とを、最早視聴者は知っている。だとすれば、陽菜は衛との結婚によっ
て、本当に欲しいものを得ることは初めからできないのだ。

今回描かれたのは、予定されている陽菜と衛の結婚が、陽菜にとっても
衛にとっても無意味な決め事でしかないことの確認の手続だ。陽菜の心
尽くしの手料理に手も着けず、心ここにあらずの衛の様子を見て、陽菜
の胸裏には、その不安の最初の萌芽が生まれる。

もしこのまま自分の過去がわからなくても、約束どおり留学して、わた
しと結婚していいの? パパの会社継いで、後悔しない?

陽菜の問いかけに対して、衛は無言である。この沈黙を陽菜は「やっぱ
り…
」と受ける。やっぱり。つまり、表面上いくら鈍そうに見えても、
陽菜は衛が自分との結婚を望んでいないことに薄々気附いているという
わけだ。手を着けられなかった手料理は、日常の端々に覗くそうした不
安の一例
にすぎない。

おそらく、現時点では、喪われた記憶に対する拘りがそうさせているの
だと思っているだろう。約束を確認する言葉の切り口が過去の記憶であ
るのは、愛を疑うよりも都合を気遣うほうが辛くないからだ。まさか、
いくらなんでも自分の婚約者が、人もあろうに女子中学生にガチの恋愛
感情を抱いているなどとは思いも寄らないだろうし、自分以外のだれか
を愛していると察しているかどうかも少し微妙だ。

衛の将来に対して陽菜の父親が敷いたレールは、陽菜にとっては結構尽
くめの将来図
である。これに対して、陽菜自身は不満をいっさい持って
いないが、その伴侶となるべき衛もまたそうであるとは限らない。

陽菜にとって、この青図のキモとなるのは、衛の愛である。父親の提示
した条件が、衛の利便を最大限に考慮したものであるのは、それが衛に
とっても望ましいものであることが、衛の愛を得るうえで最大限に有利
だからだろう。金持ちの発想と言ってしまえばそれまでの話だが、父親
自身もまた、娘の伴侶として自分の後継者として見込んだ男に、自分の
描いた幸福な青図を実現してもらいたい
と望んでいる。

この幸福な青図のうえで一点の染みとなっているのは、衛の喪われた記
憶である。自分が何者であるのか覚えていないのは辛い、連続的な自己
像に重大な欠落を抱えたまま、未来の自分を決定するのはなおのこと辛
い。それはだれにでもわかるから、それが陽菜の幸福な将来像を常に不
安で脅かしている

しかし、陽菜の問いかけに対する衛の答は、そうした陽菜の不安とは
み合っていない
。むしろ、ギリギリのところで逆に不安を煽るような物
謂いになっている。

いや。おまえのお父さんとの約束は破れない。それにこのまま、過去は
追わないほうがいいのかもしれない。

この語尾を引き継いで「追えばきっとまたあいつと…」という内心の呟
きが続けられる。これまでの経緯を識る視聴者は、衛にとって陽菜との
結婚が、恩人との「約束」でしかないことはすでに諒解済みだ。だが、
この男は婚約者その人に対してもその前提で物を言っている

おまえのお父さんとの約束は「破れない」。つまり、衛が留学後に陽菜
と結婚して会社を継ぐのは、それが破れない約束だからだ。結婚に対し
て不安を感じている女に、「約束だから結婚する」と答えるのでは、
ほどもその不安を慰藉したことにならない

さらには、それに、過去をふっきったから大丈夫だというような言葉を
続けるのはなおさら悪い。陽菜は現実に衛の様子が不審だからこそあえ
て結婚の意志を確認したのだし、その不審が過去への拘りによるもので
はないということになれば、なおさら不安は募るばかりだ。だから、結
局衛は過去への拘りを棄て切れていないのだと解釈するのが彼女にとっ
て最も辛くない選択だろう。

しかし、過去への拘りが未だ影を落としているのだとすれば、「やっぱ
り」衛は陽菜との結婚を望んでいないということになり、彼女の不安は
堂々巡りのまま
だ。

要するに、この時点で幸福な青図を保証するのは約束の持つ拘束力だけ
なのであって、それ自体は陽菜の望むものではない。残るのは衛の愛へ
の確信だけなのだが、実際に衛が愛しているのがうさぎである以上、現
実としてそれは陽菜の一方的な思い込みにすぎないし、思い込みという
のはいつかは醒めるもの
だ。

しかも、自分が相手を愛しているという思い込みならともかく、相手が
自分を愛しているという思い込みは、ストーカー的な恋愛妄想でもない
限り脆いものにすぎない。いくら作家が陽菜に好意を抱いていないから
といって、無邪気な愛情をストーカー的な妄想として描くほどの悪意も
ないだろう
と思う(木亥火暴!!)。

煎じ詰めてみれば、今回の会話によって、陽菜がこれまで無邪気に抱い
てきた将来への希望の芽を根こそぎにするラウンドアップが撒かれたわ
けだが、陽菜の様子にはまだそれほど切迫したものが感じられない。

役者の演技力や演出のウェイトというものもあるだろうが、陽菜自身の
感情を掘り下げていないからには、今後この三角関係が陽菜の側のアク
ションによって決着するにせよ、いやな愁嘆場にはならないだろうと予
感させる。それが陽菜自身にとっても最良の選択肢であるべく、慎重に
構想が練られているのだと信じたい

たとえば、陽菜と衛の関係が破綻したと仮定して、経営者一家を今後支
えていくのは、陽菜自身であったってかまわない。花嫁修業に勤しんで
いるポーッとした世間識らずの女の子が、実際に大会社の経営を切り回
すというのも考えにくいが、極端にいえばそのくらいの社会意識が芽生
えるという方向性
でもいいだろう。

なぜなら、いかに衛を想う陽菜の気持ちが純粋かつ偽りないものである
としても、衛との結婚は親の力によってかなえられようとしている夢
からだ。現時点の陽菜は、自身の望む将来に対して、何ら捨て身の努力
をしていない。他者を求める感情を満たすことをゴールと定め、それを
他者の力で実現しようとしている。これは借り物の人生だ。

陽菜の側からのアクションとして衛との婚約が解消される筋道が用意さ
れているのだとすれば、陽菜は徹頭徹尾他者のものである夢を諦めて、
自分自身の夢を探さなければならない。その夢を勝ち獲るための苦闘に
乗り出さねばならない。なぜなら、衛の愛を奪ったうさぎや、うさぎを
取り巻く少女たちもまた、自身の問題を解決するために血の滲むような
苦闘を今なお続けているから
だ。

くり返して強調しておくが、親の定めた道筋に乗って、親の決めた相手
と結婚し、家庭を守っていく生き方には、何ら愧るべきところはない。
それを自ら肯定できる境地に至るために、真摯に苦闘すべきだというだ
けのことであって、これも一つの生き方として選択自体は正しい。

しかし、この物語における陽菜の立ち位置は、そのように定められてい
るのではない。偽りの愛の夢にぬくぬくと抱かれて自身の生を生きてい
ない人、いつかその夢から醒めるべくして未だ微睡んでいる人と描かれ
ている
ように、オレには見える。

最初から障碍としてのみ描かれてきた人物には、円満な退場の道筋が用
意された。あとは、これがいつどのような形で描かれるかの問題にすぎ
ないと思う。

ちなみに、うさぎの悩みから陽菜・衛の会話にスイッチするカットは、
場面転換のお手本になるような巧い段取りになっているね。亜美ちゃん
を敵に奪われた悔恨から、衛への気持ちを抑えて「忘れなきゃ」とマフ
ラーを引き出しにしまい込み、ふと目を落とすと、手袋が視界に入る。

亜美ちゃんの名を呟き、うさぎの心のなかで、自分の気持ちが籠もった
編み物と、友だちの気持ちが籠もった編み物が対比される。うさぎの辛
い諦めの芝居が段取りよく描かれ、そこからその相手である衛の部屋に
カットして、衛の側の辛い諦めの芝居が描かれる。

ここでうさぎから衛にスイッチするために、遡って、まこ、レイ、うさ
ぎの順で悔恨の芝居が並べられている。こうした智慧にあとで気附かさ
れるようような脚本や演出になっているのは、そのエピソードが好調で
ある証だ。

さて、それでは少し駆け足になるが、残されたもう一つの小ネタである
ダークキングダムの動きにも目を向けてみよう。

今回のキモは、なんといっても遂にクンツァイトが「真の記憶」の片鱗
を垣間見せたことだろう。初登場のAct.13において、彼が「取り戻した
記憶」とは何なのか、このレビューでもくり返し注意を喚起してきた

ダークキングダムの四天王として立つことが「記憶を取り戻した」こと
にはならないこと、その後の彼の行動がベリルの妖術の狙いから大幅に
外れるものであったこと、こうした点を踏まえたうえで、彼が地球国四
天王としての記憶をただ一人堅持し、その時点の因縁をもとに行動して
いるのでは、という憶測を提示した。

昔から素直だなおまえは。

ネフライトは目の前のことに熱くなりすぎる。

こうしたセリフが、ダークキングダム四天王としてのごく近い「昔」を
指すのでもなければ、現状のジェダイトやネフライトの性向を素描した
ものでもないことは、その口振りから明らかだろう。クンツァイトは、
四天王たちがダークキングダムに降る以前の「昔」の記憶に基づいて、
旧知の間柄であるジェダ・ネフの性情を言い当ててみせた
のだ。

だとすれば、コミックスの設定どおりなら地球国滅亡に直截関与してい
るクイン・ベリルに敵意を抱いているのも頷けるし、主君プリンス・エ
ンディミオンの禁断の恋の相手であるプリンセス・セレニティに執着す
るのもわからなくはない。

ただ、クンツァイトが真実ベリルの妖術の影響下にないのであれば、
状の彼の謀略を好む卑劣で陰湿な性格は、生来のもの
だということにな
る。あるいは、ダーキュリー=悪美同様、本来の人格と連続した意識を
保ちながらも、クイン・メタリアの邪悪な力によって、その性情が陰画
としてねじ枉げられてでもいるのか。

さらには、クンツァイトがその登場エピソードにおいて、自身の主君で
あるエンディミオン=地場衛を痍附けており、また、主君の面前でセー
ラー戦士に妖術を揮った事実
も忘れてはならないだろう。これらの事実
を整合して語れるクンツァイトの真実とは、どんなものなのか。

こればかりは蓋を開けてみないことにはわからない。クイン・メタリア
の復活を目睫の間に控え、なぜかダークキングダムを掻き回す方向で振
る舞うダーキュリーも交えた闇の王国の内訌からは、ますます目が離せ
なくなってなってきたといえるだろう。

いざ刮目して次回を待て!…って、次は佐藤ローテかよ(木亥火暴!!)。

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