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Act.25-3 算盤で恋を語る話

ダークキングダムの噂の二人を視てきたあとは、今回最大の問題である
日下陽菜に目を向けるとしようか。これまで衛の愛情を不自然なまでに
まったく疑うことがなかったかに見える日下陽菜だが、今回ばかりは、
打って替わって不自然なまでに嫉妬の炎に身を焦がしている。

ここに、日下陽菜として措定された類型の女性に対する、脚本家の同性
としての悪意
を視るのがオレの感じ方だが、それは満更オレの僻目ばか
りではないと思う。そして、彼女を巡る描写上の最大の問題点は、書き
手の側に、個人的な悪意があること
だとオレは考える。

たとえば、ネットでは陽菜に対する攻撃的な意見も少なからず目にする
が、その論旨に納得できるものはほとんどないにも関わらず、陽菜に対
して反感を抱くに至る心情そのものは理解できる。書き手が込めた悪意
の棘は、このように、ネガティブな形でしか酬われないということだ。

それがいかに稚ない反応であろうが、このように描かれた日下陽菜に対
してストレートに反撥を抱く視聴者がいることは、ある意味、書き手の
自業自得である。

今回の陽菜の態度は、これまでが不自然であった以上に不自然である。
これまでこのように描かれてきた同じ人物に、ここまでのことを言わせ
る必要があったのか?
 オレはそれを問いたい。

ここまでのリアルな不快さが描かれる必要が本当にあったのか。いや、
これまでの陽菜の描写とのバランスを考えると、オレにはそうは思えな
い。今回の陽菜の逆上はどう考えても不必要な真情の暴走にすぎない。

従来の書き割り的な陽菜の描写の深度を考えれば、こうしたリアルな真
情は幕外の内心の葛藤として処理し、劇中ではその「結論」だけを美し
く演じさせ、これまで散々薄っぺらな描き方をされてきた人物に、せめ
てもの花道を用意すべきだった
とオレは思う。

リアリティという観点から視ても、衛への愛情が思い込みにすぎなかっ
たのなら、女持ちのハンカチ一枚で取り乱すというのは、「てにをは」
が合わない。むしろ、思い込みの愛情であったなら、決定的な場面を見
ても、普通一般よりも自身に都合好く解釈するくらいではないのか。そ
れこそが人物描写上のリアリティというものだろう。

今回の陽菜の言動の生々しいリアルさと、従来の連続上にある描写のリ
アリティは、まったく整合していない。リアリティとアクチュアリティ
の不整合
という言い方をしてもいいだろう。

日下陽菜という女には、是が非でも表面を取り繕った美しい姿のままに
退場させたくはなかったのか、小林靖子。

断っておくが、オレは日下陽菜という劇中人物やそれを演じる松下萌子
という一個のグラドルのファンではない。基本的に日下陽菜という人物
には好感は抱けないが、そう視聴者に感じさせる書き手の描き方に、ど
うにも納得の行かない引っ懸かりを感じるのである。

男を引き留めるために、彼の抱えるいちばんの弱みを衝き、しかも哀願
の身振りで惻隠の情に訴えること、これはたしかにアクチュアルだ。人
には、どんな手段を講じてでも愛する人を引き留めたい瞬間がある。

つまらないプライドを抛ってでも、自身の公正さを恃む矜持を裏切って
でも、愛しい人を振り向かせるという「結果」だけをただ一筋に得よう
と欲する瞬間がある。それは日下陽菜であろうが、他のだれであろうが
同じことだとは思う。

愛情の問題は、公正さで裁いてはいけない。美しくあれ、直くあれと望
んではならない。まして恋の闘争においては、結果だけが尊ばれる。早
い話が、どんな汚い手段を弄してもゲットしたもん勝ちの世界である。
それは、現実としてそういうものだからしょうがないという意味ではな
く、本来そうあるべきものだという意味だ。

なぜなら、以前亜美ちゃん問題に絡めて「独占的な二者関係」と表現し
たような異性間———無論、この現代においては同性間でも一向にかま
わないが———の関係性においては、理が絶対的なプライオリティでは
あり得ない
からである。

この関係性においては、異性という絶対的な他者をゼロ距離で許容する
という理不尽な間合いが強要される。その間合いでは、本来他者との関
係性を調停するためにあるべき理が、人に耐え得ないほどに重くなる場
面があるのだ。

本来、理というのは、理によって裁かれる人の心を一旦閑却する前提で
成り立つものだが、独占的な二者関係を円満具足に維持するためには、
心の問題を閑却することは不可能だからだな。

理によって裁くことで二者関係の調停を強要する第三者が介在しないか
らこその二者関係なのであるから、理に基づく裁きが本来的に不満の充
足や憤りの解消を目的としたものではなく、第三者にとっての客観的な
公正さの回復を目的としたものである以上、理は二者関係の円満な維持
を本質的に保証してくれないのだ。

ただし、これは非常にアクチュアルな生活知のレベルでの問題である。
物語の語りの作法の観点では、自ずから問題は異なってくる。つまり、
物語で描かれる恋愛劇においては、劇中人物の円満具足な二者関係の維
持がプライオリティとなるのではなく、それを見守る観客の感じ方がプ
ライオリティとなる
のである。

汚い手段を弄して恋愛の勝者となることが、現実においていかに当たり
前の事柄であろうとも、それを見守る観客を措定した場合、理が踏みに
じられたことに対する不快感を催すのは十分に予想されるだろう。下世
話な表現でいっても、たとえば現実の恋愛の闘争において、姑息な手段
で恋人を勝ち得た人間に対しては、だれしも反撥を抱くものだ。

物語というのは、そうした一般的な観客層が現実的に抱いている感情に
も配慮する必要がある。恋愛劇を離れていっても、たとえば極端な話、
テレビドラマの鉄則として、犯罪としての殺人を犯した人間は必ず死ぬ
か司直の裁きを受けるという決め事がある。

これなどは、大括りな大衆一般の倫理感情に配慮した決め事だし、そう
あるべきだというつくり手の側に求められる倫理そのものでもある。

物語は、ことに映像作品は、観客によって視られるために演じられる
メーシス
である。現実そのものではなく、そのまねびである。そこで働
く第一原理は、今このように在る現実の在り様ではなく、そう在るべき
と人が憧れる現実の在り様だ。

調子に乗って随分と遠くまで来てしまったが(笑)、話を陽菜に戻すと、
今回問題となる陽菜の態度は、「恋する女ならそれもアリ」「陽菜は陽
菜なりに一生懸命」「お嬢のプライドをかなぐり捨てた健気さ」と視聴
者を刮目させる類のリアリズムではなく、どこか竹光チックな泥臭いリ
アリティで、まぎれもなく日下陽菜という書き割りキャラを本物の悪役
に仕立て上げるための方便
に見える。

これはいつもの小林靖子の、「自身のリアリティに対する頑固なまでの
誠意」ではなく、「自身の悪意に対するナイーヴな無防備さ」ではない
かと思う。小林靖子という一個人が、日下陽菜的なる類型の女性に対し
て悪意を抱いているのは、最早疑いようもない。しかし、いかに物語の
キャスティングボードを握る作者といえども…いや、それだからこそ、
自身の裡なる個人的な悪意は、厳しく律するべきではなかったか。

今回の陽菜の態度は、自分のものだと無前提に信じ込んでいた餌を野良
犬に横取りされそうになり、パニックを起こした飼い犬のヒステリーに
しか見えない。普通に描けばそういう下世話な喩えにはまり込んでしま
うような修羅場を、そのまんま描いているのだから仕方がない。

そのイタさを存分に検証するために、例によって今回の陽菜のセリフを
逐語的に追ってみよう←やめとけよ(笑)。

ほっといて。わたしなんかいなくなったほうがいいでしょ。

わたし、ほんとバカだよね。小さいころから衛といっしょにいるのが当
然で、衛がわたしのことをどう思っているのかなんて、聞いたこともな
かった。

もういいよ。だれか好きな人のところへ行けば。

このセリフを聞いて不愉快にならない視聴者はいないだろう。なぜなら
陽菜は、本当に自分が「いなくなったほうがいい」とか「ほんとにバカ
」とか「だれか好きな人のところへ行け」などと思ってこう言ってい
るのではない。あなたは内心そう思っているのだろうが、それは自分に
対して不当だ、そうは問屋が卸さないぞ
、と責めているのだ。

自分が「いなくなれ」と邪魔にされている不満、バカにされたという不
満、だれか好きな人のところへ行こうとしている衛への不満、このよう
に、自身の衛に対する既得権益が犯されたことへの不満を、徹頭徹尾当
て附けの皮肉としてぶつけているだけだ。

普通に考えれば、これまで衛の気持ちを確かめなかったのは、陽菜に非
のあることであって、裏を返せば、自分の衛に対する気持ちは応えられ
るのが当然だと無前提に信じ込んでいて、衛の気持ちなんか一度も思い
遣ったことがなかったということだ。

これが反省の言葉として口にされるのであれば、最低限、衛にとっては
恩人の娘であり温室育ちの社長令嬢たる日下陽菜の立場として、精一杯
の誠意となる。しかし、衛を責める言葉として発されるのであれば、父
が拾ったどこの馬の骨とも知れない過去なき男を、自身の所有物として
見下していた傲慢さ
が、かすかに顔を覗かせてしまう。

衛、ずっといっしょにいて。わたしのパパは衛の恩人なんだから。パパ
がいなかったら、衛…だから、わたしのことをきらいでも、いっしょに
いて、お願い。

先に引いた言葉のあとの彷徨の末に、妖魔にエナジーを奪われて倒れ伏
した陽菜は、強気な当て附けから一転して、卑屈な哀願に走る。これは
妖魔にエナジーを奪われたために気弱になっちゃったとかそういうこと
じゃなくて(木亥火暴!!)、一種「バーゲン」の呼吸だということだ。

強気に責めたあとに卑屈な哀願に走るのは、よくある駆け引きの呼吸で
ある。先のセリフでは、自分がいかに不当に扱われているかを並べ立て
て相手を揺さぶり、今度は情のしがらみに訴えて、「きらいでも」いっ
しょにいて欲しいと哀訴している。

心覚えのある向きからすれば、日下陽菜という人物に対してつくづく嫌
気の差す瞬間だ。女が卑屈に発する「きらいでもいっしょにいて」など
という言葉は、到底真に受けてはいけない

これはつまり、「好きになってくれ」と無理押しに言っているのに等し
い。「きらい」という強い表現を殊更に使うのは、「きらいなはずがな
い」という前提において、わざと相手が怯むほどに強い言葉を選んでい
るのである。勢い、相手は「きらい」というほどの強い忌避感はないの
で「きらいじゃない」と言わざるを得ない、その接ぎ穂の呼吸で「だっ
たらいっしょにいて」「好きになって」という流れになる。

はっきりいって、今回の陽菜の芝居場はただの二カ所しかないにもかか
わらず、さしたる長台詞でもないにもかかわらず、書き手のネガティブ
な智恵が周到に駆使された、持って回った不愉快なセリフを言わされて
いる。それは、これまで陽菜に対して漠然とした反感を抱いていた視聴
者にとっても、ハッとするくらい不愉快な悪意の露呈と感じられる。

非常にメタフィクショナルなレトリックになるが、オレは今回の陽菜の
扱われ方を子細に検討するうちに、日下陽菜という人物に対して哀れみ
を感じるようになった。この女が視聴者に憎まれる観客心理は痛いほど
によくわかる。しかし、じっさいこの女の本来的なポジションにおいて
は、それほど観客に憎まれるべき筋合いなどはないはずなのだ。

日下陽菜は、今回のエピソードにおいて、にわかに「スチュワーデス物
語」における片平なぎさ
の地位に転落した…あるいは昇格したというべ
きか(笑)。ただの障碍物に過ぎない書き割りキャラだったはずなのに、
唐突に名と実を具えた悪役に成り上がった。

そして、二度目のセリフは、衛の抱える個人事情を衛自身の言葉によっ
てうさぎに明かすための、きっかけのダシとして言わされている。さら
には、それを受けたうさぎが陽菜の辛さを思い遣ることで、陽菜の醜い
駆け引きとの対比においてうさぎの純粋さを引き立てるダシにも使われ
ている。

ここまで便宜的に使われている人物は、あまりにも哀れだ。

さらに、陽菜と衛の間で問題となっているのは、「結婚」であって「恋
愛」ではない。一足飛びに「結婚」である以上、それを支持すべき愛情
が思い込みにすぎなかったのであれば、衛と陽菜は普通一般にいう恋愛
関係ですらなかった
ということになる。

これは辛い。

恋人が自分以外の人を好きになったのではなく、自分たちが恋人同士で
すらなかったことを唐突に暴露されること。これは辛い。

本来的には、こうした耐え難い辛さを味わう人物として、陽菜は描かれ
るべきではなかったのか。そのうえでこそ、うさぎの「陽菜さんが辛い
思いをすることを、忘れてた
」という、恋のライバルをも思い遣るセリ
フが活きてくるのではなかったか。

しかし、今回の陽菜の二度の芝居場は、視聴者がそう感じるには、あま
りにもあざとい悪知恵が突出している。これを素直にリアルな女性の真
情と取るには、駆け引きの呼吸が毒々しすぎる。せめて虚構を虚構とし
て扱うメタフィクションの観点から、陽菜という劇中人物の在り様を哀
れむのが精一杯だ。

しかも、今回の落とし所としては、辛い気持ちを堪えて二人を逃がし、
妖魔に立ち向かううさぎを救おうとする衛を、今度ばかりは陽菜が引き
留め、衛は陽菜を宥めるために「必ず戻ってくる」と約束する。その様
子を視て、自分と衛の間に割って入った人物がうさぎであることを確信
する陽菜だが、一方の衛はうさぎのピンチに命を抛つ。

オレはおまえの気持ちに応えることはできない。せめて…

つまり、衛はうさぎに対する気持ちと陽菜に対する義理あいを自分なり
に調停するために、自分の一命をもって替えようとしたのだ。これは、
陽菜に対して「戻ってくる」と言ったのは確信犯の嘘だということだ。

陽菜があそこまでのことを言ってしまったあとでは、衛にはうさぎの気
持ちに応えることはおろか、陽菜の気持ちに応えることもできなくなっ
てしまった。相手に「わたしのことをきらいでも、いっしょにいて」と
まで言わせてしまったうえで、相手が自分の気持ちを察していることが
明白な状況で、本当にいっしょにいられるものではない。

衛は、もう還ってこないつもりで陽菜に嘘を吐いたのだろうし、うさぎ
のために死を選ぶことで、うさぎの気持ち、うさぎへの気持ちに殉じる
覚悟であったのだろう。「これが、最後だ」という衛のセリフは、もう
一回だけタキになってうさぎを助けるという意味ではなくて、これでケ
リを附けるという覚悟
の顕れであったのかもしれない。

今回の陽菜の言動は、それがいかに不愉快なものであれ、本質的には先
に喩えたように、つまらないプライドを抛ってでも、自身の公正さを恃
む矜持を裏切ってでも、愛しい人を振り向かせるという「結果」だけを
ただ一筋に得ようと欲する真心から出た言動である。ただ、物語のなか
の人物には許されない卑劣な算盤を弾いた
ことが、視聴者に言い様もな
い不快感を与えてしまった。

その心情がいかに純粋なものであれ、行為として不純であれば容赦なく
罰されるのが、物語の登場人物に適用される冷酷な原理である。

その不快な打算は、決着するところ「女の浅知恵」と旧弊な指弾を蒙っ
ても仕方のない愚かな行為にすぎず、愛しい人の心を引き留めることは
おろか、その人をして己の恋の仇敵のために命を抛たせるという皮肉な
結末を招く。しかも、死地に赴く人を引き留めようと掴んだ袖を離させ
るために、空々しい嘘まで吐かれている。

醜い打算は空しい嘘で酬われ、心を分かち合うことが叶わぬならせめて
その身柄だけでも得たいという望みは、心も命ももろともに仇敵に奪わ
れるという最悪の皮肉でもって酬われる。

日下陽菜は、自ら美しく身を引くという選択肢が十分以上に許されてい
る立場でありながら、見苦しいまでの打算を駆使して惨めに取り縋った
その挙げ句、愛する人とその人が愛した人に、完膚なきまでの敗北と屈
辱を舐めさせられた。

それでなくとも辛い別れを最初の最初から運命附けられている気の毒な
女性に、身も世もない打算の酬いとして惨めな敗北と屈辱を周到に準備
すること、これはやはり語り手の悪意以外の何ものでもない。

何よりそれは、劇中人物に対して公正ではない。初手から割を喰わされ
ることが決まっている人物には、それに見合うだけの見せ場を与えるの
が、娯楽作品の作劇に求められる公正さの感覚というものだろう。

そしてそれは、たしかに女の醜い部分に対する過剰な悪意に関する問題
ではあるのだけれど、小林靖子個人のジェンダーが女性だからどうだこ
うだという話ではない。

「同性の厭な面」という言い方なら男性にだって適用可能だし、さらに
いえば「異性の厭な面」に対する厭悪の感情、つまり異性に対するルサ
ンチマンの類なら、老若男女を問わずだれにだってひとしなみにある。

それは、いってみれば最もデリケートな個人のプライバシーに属する事
柄なのであり、いかな物語の語り手といえども、心の奥底に大事に秘め
ておいて差し支えない事柄だろうと思う。さらには、娯楽の分野に携わ
る者の嗜みとして、物語作法上求められる自律として、今回のように生
の形で物語に表出させるべきではなかったとも思う。

ジェンダーの問題や表出した悪意それ自体の不快感の問題を離れていっ
ても、今回の描き方によって、日下陽菜という人物がこの先この物語の
表舞台から退場するに当たって、何をどうしようと今回描かれたような
内実がその真情だということが、必要以上の強さで視聴者に印象附けら
れてしまった

こうした辛い真情を抱えたままで、人としての矜持に悖るアティテュー
ドを現実に行ってしまったという耐え難い記憶をふまえたうえで、視聴
者が納得できるような退場の道筋をこの人物に用意することは、絶対に
できない
。そして、この人自身が納得したうえで物語から身を引かない
限り、うさぎと衛の恋は、だれかの気持ちを不当に痍附けて得られたも
だと意味附けられてしまう。

畢竟するところ今回の陽菜のくだりは、不必要なばかりではなくシリー
ズ構成上の無視できない障碍となってしまっている。そしてそうした錯
誤が犯されるに至ったあり得そうな理由が、書き手の個人的感情以外に
見当たらない
、そこがいちばんの問題点ではないかと思う。

それを回避し得るチャンスはたしかにあったはずだ。きちんと脚本の読
解ができる監督との台打ちの場面で、許され得る程度を超えた書き手の
感情の暴走を掣肘することもできたはずだ。しかし、いかに現場の構成
が良い方向へ向かっているとはいえ、根本的に脚本の読解が弱い高丸雅
隆個人にそれを求めるのは、ないものねだりというものだろう。

それは一種不運な巡り合わせでもあったし、先に触れた人材難という、
この番組の抱える現実的なウィークポイントでもあっただろう。それゆ
えに、日下陽菜を巡る今回の描写に関しては、個別の描写として不快を
感じる以上に、この番組の一ファンとして遺憾であると思う。

…しかし、「かあいそうだとはほれたということよ」という漱石のセリ
フに倣うなら、オレは陽菜に惚れていることになるが(木亥火暴!!)、つ
くづくオレって一途でダメな女に弱いんだのう(木亥火暴!!)。

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