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Act.28-5 あしたはばら色に輝いて

マーキュリー、束の間とはいえ共に戦った仲だ、生きて脱出できれば、
今回は見逃そう…できればな

悪魔のチェスゲームの開始に当たって、ふてぶてしく嗤いながら呟くク
ンツァイトの言葉は、「どうぞ…できるなら」というダーキュリーの決
めゼリフを皮肉になぞっている。そして、この児戯に等しい死のゲーム
は、己の手を離れたマーキュリーを直接対象としたものであって、前世
の悲劇を動機とした復讐とは直接の関係はないかに見える。

そもそも、クンツァイトと水野亜美の間の因縁とはどのようなものだっ
たのか、なにゆえにクンツァイトは水野亜美に固執し、わがものにしよ
うと思い立ったのか。これは、未だクンツァイトの謎が十全に解き明か
されていない現在、本当のところはわからない。

ごくごく大雑把な推測が許されるなら、クンツァイトが亜美ちゃんに目
を着けたのは、同じように一筋な愛情を裏切られた者の臭いを嗅ぎ附け
たからなのかもしれない。この二人が初めて相見えたのは、うさぎの奪
還をテーマとするAct.14の感動のクライマックスにおいてである。

うさぎを妖魔化して操ろうという企みに敢然と立ちはだかったマーキュ
リー=水野亜美は、うさぎに対する一途な愛情を恃みに、倒れても倒れ
ても泥にまみれながら立ち上がった。そうした亜美ちゃんの必死の想い
が眠れるうさぎに通じたこと、その想いのゆえにクンツァイトの初戦が
セーラー戦士に対する敗北に終わったこと、これは以前つまびらかに視
てきた通りである。

以前オレは、クンツァイトにとってそれが「強さ」として映ったのかも
しれない、またそうした強さを発揮できる亜美ちゃんを籠絡することは
戦士たちによりいっそうの衝撃を与えるのだろう、というふうに解釈し
たが、今回までのエピソードを視る限り、クンツァイトには、それと同
じくらいマーキュリー=水野亜美その人を指向する動機があったように
思われる。

ダーキュリーが「愛を裏切られた者」の行動の型を持っていることは、
以前指摘した通りだが、クンツァイトの行動の動機が復讐であることが
判明した現在、ダーキュリーとクンツァイトには「裏切りの復讐」とい
う共通項があることになる。こうした共通項が動機となって、五人の戦
士のなかでも就中水野亜美を手に入れたいと望んだという推測も、在り
得ないことではないだろう。

しかし、だとすれば「仲間たちがバラバラに」なっていた頃の亜美ちゃ
んは「愛を裏切られた者」だったのか、そもそもクンツァイトが戦士た
ちの心の乖離というデリケートな事情を知り得る立場にあったのか、こ
ういう事柄が問題になってくる。結論からいえば、これは違う。

だとすれば、クンツァイトが同類としての感触を感じたのは、友に対す
る一筋な愛情、それ自体であるという推測はどうだろうか。かつてクン
ツァイトもまた親しいだれかに対して純粋な想いを抱き、それが裏切ら
れたことが悪魔的な復讐者である現在のクンツァイトを生んだのだとし
たら、クンツァイトにとって、愛とは必ず裏切りを伴うものである。

マーキュリー=水野亜美は、最愛の友である月野うさぎの籠絡に際し、
ひたむきな愛を頼りに、諦めることなく敵し得ないほどの強敵に立ち向
かった。ならばおまえが同じ立場に立ったときに、その最愛の友は同じ
ように絶望的な戦いによっておまえを戦い取ってくれるのか。

クンツァイトの目論見がそのようなものであったのなら、その結果とし
てオレたちは、水野亜美籠絡に際して、三人の仲間がだれ一人間に合わ
なかったことをすでに知っている。「愛を裏切られた者」として生まれ
変わった水野亜美は、クンツァイトの目から視ればまさしくその通りの
存在なのだ。

そしてそのクンツァイトの謀略に決着が着いた今回、冒頭に引いたよう
な独白を漏らし一度は見逃す気持ちになりながらも、クンツァイトは仲
間たちと和解を果たし家路に着こうとするマーキュリーを、執念深く再
来して亡き者にしようとまでする。

これは、一種の嫉妬だ。

水野亜美はクンツァイトが思い入れたような「愛を裏切られた者」では
なかったのだし、亜美ちゃん籠絡の悲劇に「裏切り」を視ようとするの
は、悪意に歪められた悪魔の恣意にすぎない。

人は万能の存在ではないし、必ずしも最適のタイミングで最適の行動を
為し得る存在ではない。人は常に過ちを犯しながら生きるものだが、同
時にその過ちを贖うために全力を尽くし、結果として天機を動かして普
通一般に奇跡と呼ばれているような何事かを招来し得る存在だ。

いかにクンツァイトが水野亜美のひたむきな愛に、裏切りの未来を視た
としても、うさぎはその愛に倍する愛で応え、己の身を棄ててまで、冥
界の底の底まで愛する友を追って来たではないか。そして見事にそこか
らたいせつな友を救い出したではないか。うさぎが友を連れ帰った約束
の場所で、仲間たちは微笑んで待っていたではないか。

おまえの視た絶望の未来はどこにあるのか。おまえの目論んだ憎悪と哀
しみの連鎖は、どこにあるというのか。少女たちはおまえに負けなかっ
た。そして、水野亜美が仲間と喜びに満ちて相抱擁する事態は、かつて
クンツァイトが思い入れた女の姿が本当に消滅する瞬間だ。

オレにはこの場面のクンツァイトが、最初からマーキュリーを亡き者と
するためにフェイントの瞬間移動をかけたというより、一旦は立ち去り
かけながら、已むに已まれず水野亜美への憎悪を満たすために戻ったよ
うに見える。

クンツァイトは、かつては「裏切りの復讐」という動機を共にし、一方
的に思い入れていた女が、己を取り残して変心したことで、それを亡き
者にしようと目論み、歪んだ思い入れを果たそうとしたのだ。どこまで
根性の腐った男なんだ、クンツァイト(木亥火暴!!)。

クンツァイトが思い入れたような存在ではなかったことを自ら証明した
少女は、悪魔の歪んだ目から視れば、これもまた一個の裏切り者である
のだろうか。だとすれば、クンツァイトの復讐とは、所詮はそのような
独り善がりの理に基づいたものにすぎないということだ。

さらにはそれを、かつてダーキュリーの同情が孤独に沁みたネフライト
が庇うのがうまい。その伏線として、ちゃんとクンツァイトの遊戯をネ
フライトが窺うワンカットが入っている。

これまで四天王随一のマザコン男であると同時に男オバサンとして人気
薄だった赤いヒトだが、どん底に落ちたあとの土壇場でいいところを見
せたものだな、ネフライト。ここでネフライトがクンツァイトの邪魔を
するのは、そのものズバリ、見た目通りの一人の女の取り合いだ。

クンツァイトが時折ダーキュリーを手駒としてではなく、あわよくば女
として扱おうとする呼吸はこれまで幾度も描かれてきた。古臭い喩えで
はあるが、山猫のように人に狎れないダーキュリーは、再々ならず馴れ
馴れしく触れようとするクンツァイトの手に、その鋭い爪を立てて退け
てきたものだ。

ネフライトがこのクンツァイトの歪んだ愛憎に割って入るのは、これも
また、ある意味嫉妬だろう。反感ただならぬクンツァイトが相手である
ことで、より自然に身体が動いたのであろうが、クンツァイトの一方的
な思い入れの成就を阻むことで、かつて自身の孤独を何ほどか癒してく
れたダーキュリーの記憶に借りを返したのだ。

思い起こせば、すでに竹光ローテのAct.24において、ダーキュリーを巡
るこの二人の男の対決は演じられていたはずだ。

ようやく戦士の力に目覚めたマーズの強力な火炎に灼かれて息も絶え絶
えにダークキングダムに逃げ戻ったネフライトを、何という必然性もな
く現れたダーキュリーが嘲り、逆上して斬り掛かったネフライトの刃を
クンツァイトが引き受けるというかたちで…そう、ちょうど今回とは逆
のかたちで描かれていたのだ。

そして、ネフライトに対するダーキュリーの憐憫が描かれるのは、その
直後においてなのである。

さらに、前回のレビューにおいて、「ヒマネタの水増し」と評したこの
ローテで目立つのは、奇妙なことに、実はダーキュリーとネフライトの
対話なのである。しかも、もっと奇妙なことに、この二人の対話におい
ては、常にダーキュリーからネフライトへの働きかけのかたちで対話が
持たれるのだ。

この対話をつぶさに視ていくと、表面上は嘲りの調子が強いけれど、ど
うもダーキュリーの言葉は、ネフライトに対して好意的である。無論、
好意が嘲りの調子で提示されるとき、誇りある人はそれをよく受け容れ
得るものではない。嘲りの表現が混じることで、それは好意ではなく施
しの様相を呈してくるからだ。

このダーキュリーのネフライトに対する不可解な接近の真意は、結局の
ところダーキュリーが消滅した今となってはわからない。ネフライトの
立ち位置も、このローテの二話においてさほど水野亜美の立場と近縁性
があったとも思えない。

だからこそ、「そんなふうに独りでいられるの、なんだか好きじゃない
」というセリフを伴って、水野亜美の孤独と近縁な立場に置かれたネ
フライトに対するストレートな憐憫を示すマントのくだり以外は、さし
て印象に残らない…まあ、それがほとんど数回程度しか録画を見返さな
い竹光ローテだからという個別の事情はあるにしても(木亥火暴!!)。

しかし、その気になって視れば、ネフライトとダーキュリーの接近は、
ダーキュリーのダークキングダム入城時点からダーキュリー消滅までを
通して、一貫して描かれてきた要素であることは間違いない。しかも、
それをダーキュリーからの一方的なネフライトに対する働きかけとして
描く意図は一貫している。

どん底に落ちて哀れみを受けるまで、ネフライトのほうでダーキュリー
を求める節はなく、あくまでダーキュリーが不必要にネフライトを構う
というかたちとなっている。ネフライトがダーキュリーに思いを致すの
は、以前指摘したように、失敗を重ねてだれからも顧みられることもな
く、ひ弱なプライドが微塵に砕けた後のことである。さらには、ネフラ
イトがダーキュリーの記憶の甘さに浸るようになってからは、そうした
対話はいっさい持たれていない。

これを強いて解釈すれば、ダーキュリーにとってネフライトは、なぜか
抛っておけない男、構いたくなる男であり、嘲りを伴う接近は、彼女な
りの不器用な力附けであったというふうにもとれる。問題は、なぜそれ
がネフライトなのかがわからないというところである。

現実の世界においても、こうした機微は、ある。男の側にしてみれば、
いったいあれは何だったんだ、と訝しく思うような、ほとんど気まぐれ
としか思えない、女の束の間の接近という機微がある。そしてそれが男
にとってたいせつな記憶となる頃には、もはやそれが実際的な関係性と
して生起する可能性は喪われている。

しかし、作者は本当にこんな現実的な男女の機微が描きたくて、ネフラ
イトに纏わるダーキュリーの一連を配したのだろうか。オレには、何か
別の可能性を意図して用意された要素が、中途で変容したかのように見
えて仕方がない。それが男ならだれでも覚えがあるような切ない機微と
して立ち現れたのは、ひょっとしてその変容した企図の残滓であるにす
ぎないのかもしれない。

結局、ネフライトがダーキュリーに抱く思い入れは、結果としてこのよ
うなものになったということだ。今となっては真相はわからない。ネフ
ライトがダーキュリーに思い入れるのは、束の間存在した幻の女に纏わ
る記憶の不条理な甘さのゆえである。

在り得たかもしれない物語の残滓が、在り得たかもしれない恋の残骸と
重なって、奇妙な効果を醸し出している。ただ、この危うい男女の通い
合いは、物語の大筋上まったく有効に機能してはいないが。

しかし、水野亜美に戻った亜美ちゃんは、クンツァイトの歪んだ思い入
れに応えないのと同様に、已むに已まれずネフライトにかけた情けの記
憶さえもない。二人のいびつで偏跛な男たちは、共に思い入れた一人の
女に共に忘れ去られてしまったのだ。

クンツァイトもネフライトも、ダーキュリー消滅に際して水野亜美に忘
れられた立場は同じだ。男たちは、自身の置かれたそれぞれの事情に基
づいて、一人の少女に自分勝手に思い入れる。

そして、自身を庇ったネフライトの行動の真意を理解できず、訝しげな
表情を浮かべる亜美ちゃんに、挑みかかるような視線を投げるネフライ
トの表情は、どこか淋しげに見える。

この亜美ちゃんは、彼の知っているあの女ではない。

だれからも顧みられず、闇のどん底にしゃがみ込んでいじけていた最も
恥ずかしい自分に、つれない情けをかけてくれたあの鬼火のように劇し
い女は、もうどこにもいない。ひたすらに、母のような慈愛によって愛
されたいと望むネフライトの願望は、今度も果たされない。果たされる
ことなど期待してはならない。

このクライマックスにおいて、ネフライトとクンツァイトが剣を交えて
奪い合ったのは、どこにもいない幻の女に対する記憶の独占である。

このネフライトは、いくぶん愚かしく頼りなくはあるが、女性なるもの
に対して甘い憧憬を残している時点で、愛も女性も蔑むクンツァイトよ
りも男として可愛げがある。

女の記憶の甘さに対し、愚かさをさらけ出した一途な行動によって酬い
ようとする姿勢において、愚者ネフライトには賢者クンツァイトよりも
恋を演じる資格があるのだ。古いポピュラーソングが謳っている通り、
恋に墜ちるのは愚者の特権なのだから。

ただし、この場合悲劇を現出するのは、彼が恋を感じた少女は、ベリル
同様、妄執に憑かれた一個の女怪であったということだ。現実には存在
しない、一個の妖怪であったということだ。

ネフライトの恋は、このようにして、始まる前に、終わった

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