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Act.28-7 親方たちを軽蔑しないでください

水野亜美の過酷な成長物語を軸に展開してきたこの番組の第一部は、事
実上このエピソードをもって完結すると視てよいだろう。亜美ちゃんに
とってそれが長い道のりであった以上に、それを見守るオレたち視聴者
にとっても、長い、長い半年間だった。

分けても、望まれもしないのにこんな糞長いレビューを続けてきたオレ
にとっては…いや、今さらそんな世迷い言の愚痴などやめておこうじゃ
ないか(木亥火暴!!)。

この半年間、オレたちは、物語それ自体の匠に感銘を受けるとともに、
このような物語が、こうした制約の多い不自由なジャンルにおいても、
立派に成立し得るのだという事実にあらためて瞠目させられた。

はっきりいって、オレたちのような年季の入った特ヲタは傲慢だ(笑)。
戦隊やライダーを論ずる場面では、無意識に高みからものを言う嫌いは
あるだろう。オレ自身、日笠戦隊や白倉ライダーを語る場面では、そう
した傲慢さを逃れられなかったと思う。

さらに、送り手がそうした特ヲタの独善に接する機会があるとしたら、
これもまた「現場の事情も知らん素人のくせに」と、高みから見下して
やれやれと肩を竦める嫌いはあるのだろう。

実は、特ヲタとクリエイターの関係というのは、こうしたひねこびた機
微に基づく、けっこういやらしいものだったと思う。たかが、されど、
の機微で語られるものでしかない特撮番組が、たかがこのようなもので
しか在り得ない現実的な事情のゆえに、受け手は送り手を見下し、さら
に送り手は受け手の無理解を見下す場面はしばしばあっただろう。

そしてそれは何より、送り手・受け手の双方から作品自体が見下されて
いるということでもある。予定調和の小説や映画はつまらない。ジャン
ルの制約に縛られて、「たかが」このようなものでしか在り得ない特撮
番組とは、可哀想な鬼っ子だ。

しかし、この番組が始まって以来、どんな鈍感な特ヲタでも、まともに
ものを視る目さえあれば、自分の小さな引き出しだけを尺度に、あだや
おろそかに高みから見下すようにものを言っては恥をかくということを
思い知ったろう。

良質な物語に凝らされる人の智慧には、新鮮な驚きがある。

受け手が心から望んでいるのは、何か素晴らしいものが生み出されよう
としている現場に、リアルタイムで立ち会う経験なのだ。自分の知力の
連続上には在り得ない、圧倒的な他者のもたらす斬新な智慧、さらには
研鑽と蓄積に裏附けられたプロフェッショナルの技倆。

他者の被造物に接したいという強烈な欲求は、智慧と技術という、飛越
と連続によって快く驚かされたいと望む欲求だ。物語というパッケージ
商品を購買する欲望ではなく、美しく力強い物語によって打ちのめされ
たいと願う、圧倒的な経験を望む欲求だ。

たしかに、そんな優れた経験が、不断にオレたちの許へ提供され続ける
べきだと考えるのは、少なくとも地上波テレビ放送の一視聴者としては
高望みにすぎるだろう。しかし、運の良いことに、オレたち特ヲタは、
辛うじて何年かに一度は、そうした素晴らしい経験に浴する機会を与え
られている。そして、今期いちばんの衝撃作がこの番組であることは、
ジャンルを識る者ならだれしも異論はないところだろう。

ここでは、このように優れた物語を、このように高度な地点に着地させ
ることに成功したスタッフ諸氏の卓越した仕事ぶりに触れさせてもらう
ことで、今回の、長い、長いレビューの幕を引くことにしよう。

もちろん、いのいちばんに名を挙げられるべきは、シリーズ構成者であ
り全話の脚本を担当している小林靖子。この人の智慧に対して一方的に
入れ上げているという意味では、オレは彼女にとってのダーキュリー、
いわばネットストーカーと呼ばれても仕方あるまい(木亥火暴!!)。

彼女自身、この番組を真剣勝負と目しているのなら、自身が目指す勝負
の次元において、勝ちもあれば負けもある。送り手の凝らした智慧など
意識することなく愉しんでほしいというのが、彼女の立場としては自然
な感情ではあろうけれど、望むと望まざるとに関わらず、その真剣勝負
の見届け人、オレが勝手に引き受けたぞ(木亥火暴!!)。

そして、水野亜美物語が無事帰宅の途に着いた今も、オレが勝手に提起
している数々の「宿題」がどのように果たされるのか、これからも見守
り続けていくつもりである。

いわく、回収された木野まこと像が今後どのように物語を紡いでいくの
か、いわく、美しき孤高のヒーロー=愛野美奈子の宿命との闘争、いわ
く、邪悪な復讐鬼クンツァイトの始末、さらには宿命に挑むうさぎと衛
の恋の行方、星を滅ぼした悲恋の真相と、「宿題」は山積している。

さらにオレが期待しているのは、たかまるローテにおいて散々屈辱を舐
めさせられた日下陽菜のリターンマッチだ。オレが彼女の描写に感じた
劇しい反撥に、映像作品として実現されたものを観て、小林靖子自身が
無自覚であるとは思えない。

日下陽菜が円満具足に救済されない限り、たとえいにしえの悲劇の宿命
が回避され得たとしても、現世の二人は決して祝福され得ないはずだ。
それは、現実に対する物語の屈服だ。ここを閑却する小林靖子ではない
はずなのだ。

彼女自身、この番組を真剣勝負と目しているのなら、自身が目指す勝負
の次元において、勝ちもあれば負けもある…そうだよな。だから、すべ
ての「宿題」が十全以上に果たされることなどオレは期待していない。

勝ちと負けとがあやなす一年の全体において、本気の全力を出し尽くし
た、きれいな勝負であればそれでいい。

あんたはオレのヒーローだから。

ただ一つ、現時点でオレが危惧しているのは、愛野美奈子の死の宿命の
行方。それというのも、Act.23の美奈子が検診を受ける場面で、美奈子
自身には聞こえない位置で、医者同士が「やはりあと半年でしょうか
本人には?」「はい…」という遣り取りを交わしているんだが、美奈
子が本当に余命半年なら、こうした会話はちょっと不自然に感じる。

自分で言ったそばから、小さな引き出しを基準に物事を量っているよう
で恐縮だが、ドラマの描写において、死病に取り憑かれた本人に聞かれ
ない場所で医者同士が遣り取りを交わす場合、まずもってこういう曖昧
な言い方はしないものだ。

こういう場面で医者を出すのは、「○○ガンの末期症状で、保ってあと
半年」のような具体的な言葉によって、疑い得ない形で病状を視聴者に
説明するためなのだから、こういう曖昧な言い方をさせるのでは、そも
そも医者を出す意味がない。美奈子自身の「あと、半年か」という呟き
と、効果のうえではまったく変わらない。いわば、無駄な会話だ。

定石からいえば、こういう形で医者を出す場合が在り得るとすれば、た
とえば美奈子が、通りすがりに医者同士の会話を小耳に挟んで、勝手に
自分の病気を重篤なものと勘違いする、という、シチュエーションコメ
ディ的なパターンである。このAct.23の医者同士の会話を、過去に美奈
子がそうした勘違いを犯した事実の再演と解釈することも、現時点では
可能なのだ。

…土下座して頼むから、そのオチだけはやめてくれよ(木亥火暴!!)。

いいな、くれぐれも頼んだぞ、ホントにやめてくれよ(木亥火暴!!)。

そんなことしたら、オレ、泣きながら東映に声送るぞ(木亥火暴!!)。

意外と小林靖子はシャレのセンスがとんでもないので、割と五分でそん
なオチも在り得るだけに、イヤな意味で油断がならない(木亥火暴!!)。

さて、シリーズ構成者に手を突いてお願い事をしたあとは、やはり今や
名実共にこの番組の金看板である舞原賢三。以前「あの田崎を超えた」
と評した
舞原演出だが、そもそも田崎はパイロットとヒマネタしか演出
していないのだから、むしろ田崎の播いた種を田崎の引いた青図以上に
繁らせたと表現するのが妥当かもしれない。

勝手な憶測ではあるが、シリーズの折り返しを無視してまで、水野亜美
物語の幕引きを舞原に委ねたいという意向があったとして、現有のロー
テ監督はおろか、ライダーに行った鈴村や東映特撮随一の田崎をもって
しても、このように傑出した作品として実現し得たとは思えない。

ある種、この番組における舞原の存在は、ワンアンドオンリーである。
力量だけなら、田崎も互角以上であろうし、それより少し頼りないが、
鈴村だとて凡手ではない。しかし、この番組の最も優れている部分が、
舞原賢三の強烈な個性によって印象附けられている以上、この番組は舞
原賢三のものなのだ。

ここまでのローテーションを見守り続ける限り、舞原賢三は途轍もない
ひねくれ者のうえに一徹者のようだが、佳作をものする度に高まる期待
を常に良い意味で裏切り続ける仕事ぶりには、毎回感銘を受ける。彼に
は、おそらく番組全体の幕引きまでが委ねられるだろうが、そこまでの
数カ月間の舞原ローテが突き抜けていく高みはいかばかりか、想像すら
附かない。

そして、実際どうなってるんだかわからないからとってもコメントしづ
らいんだが(木亥火暴!!)、ここ数回のたかまるローテが、一定レベルの
満足を視聴者に与えている事実も無視できないだろう。

以前にも触れたことだが、高丸雅隆の名が一定レベルの出来を保証する
のなら、それは名を冠された監督の「組」として立派に機能していると
いうことである。

この先も高丸雅隆のクレジットが、そのレベルの愉しみを保証し続ける
のであれば、番組初期に当レビューで展開した批判は、慎んで撤回しよ
うじゃないか。さらに進んで脚本の読解に思いを致し、着実な進捗を果
たしてくれるようであるならば、この番組が終わっても、「高丸雅隆」
の名前には今後も注意を振り向けることにしよう。

これも「高みから見下して」いるように聞こえるかもしれんが、まあ、
現時点における高丸雅隆の立ち位置とは、そんなもんだ(木亥火暴!!)。

当然ながら、佐藤健光監督については、さほど言及したくはない。

この人は、一人の映像監督としてどうこうという以前に、この番組が視
聴者に与える感動に、何一つ関与していない。若手と中堅のフリーラン
サーが、この物語に接してより良く変わった事件を目撃した者として、
この体たらくは老醜とすら映ってしまう。

この人への言及で謝辞を終えるのがいやだから、松村カメラマンをはじ
めとするテクニカルスタッフについても触れておこう(笑)。

田崎・松村の組み合わせで番組の基本ラインが確立されたわけだが、そ
の後を引き継いだ上赤カメラマンの躍動的なカメラワークは、シリーズ
中盤の困難を映像の力で克服した。今や一般ドラマで活躍中と聞く上赤
カメラマンだが、この番組の第二クールを支えた、強烈で力強いカメラ
ワークは忘れられない。分けても、鈴村と組んだエピソードでは、映像
が物語を語る最も大きな力であることを再認識させられた。

さらに、一度だけとはいえ「たかまるシフト」が発動したエピソード
おいて独特の軟調のルックを展開した川口カメラマンも期待の新鋭だ。
照明の斗沢と組んで、実に纏綿たるラブシーンを演出してくれた。

こうした若い世代の活躍を受けて久しぶりに目にした松村カメラマンの
映像
は、不思議なことにこの番組のルックをつかんでいないかに見えて
しまったのだが、松村カメラマンには気の毒な言い方になるが、それも
番組やジャンルの将来にとって明るい希望をもたらすものである。

松村カメラマンが持っているジャンルの勘というようなもの、それが最
早効果的に機能しないまでに、番組は新しい力によって成長してしまっ
たのだろう。最初は「だれや、こいつ」的に抱いていた見慣れないクレ
ジットに対する不安が、実作によって見事に覆されたのだ。データベー
ス的な特ヲタの思考法が、ヴィヴィッドな現場の活力によって嘲笑われ
た瞬間だ。

そして…最後になるが、白倉プロデューサーに対しては、これまでの芳
しくない評価を改めざるを得ないだろう。一方で、この番組に関して、
白倉が何もしていないというような言い方も聞くが、この物語に接して
何もしない度量を持てるだけ、白倉は大人だとオレは思う。

顧みすれば、一本の特撮シリーズとしては大いに評価の別れる井上ライ
ダーに関しても、最初のガイドラインや興業の仕掛けには積極的に関与
するにもせよ、物語全体の流れについては、豪放なドラ息子井上の好き
放題に任せるだけの度量はある男だ。

番組の鼻面をとってあさっての方向に引きずり回す井上敏樹のような強
引な迫力を持つ人材のいないこの番組のプロデュースにおいて、このよ
うに自分の個性を滅却した存在感を示せるとは、正直思わなかった。

これが彼の本質であってくれたらいい。クリエイターをより良く活かす
方便がプロデュースであると認めてそのように振る舞ってくれているの
なら、この人に東映特撮の明日を背負ってほしいとすら思う…単に地方
制作の傍流作品だから三味線弾いてるだけかもしれんが(木亥火暴!!)。

この物語をリアルタイムで観ている少女たちが大人になる頃には、今よ
り何倍も気軽に放映当時そのままの美しい映像でこの物語を振り返るこ
とができるだろう。物語に込められた本気の智慧に、大人の意識で気附
くことができるだろう。オレたち過ぎゆく世代の人間にとって、それは
とても羨ましく、また妬ましい未来である。

人は成長し得るのだという主題は、人が抱く最も美しい虚構である。

それを、美しい物語によって巧みに語るのみならず、物語を語る行為を
通して実践してくれたスタッフ諸氏には、幾重にも感謝の意を顕わして
今回のレビューを終えたいと思う。

そしてこのレビューの締め括りには、同じリヒャルト・ワーグナーの楽
劇でも愛と死の宿命を謳った「トリスタンとイゾルデ」ではなく、ワー
グナーの楽劇中唯一だれ一人死なず、生きて赦し合えることの嬉しさを
謳った「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の、誇り高きドイツの
クラフトマンシップを讃えたフィナーレを充てるべきだろう。

ナツィス・ドイツの忌まわしい記憶とは切っても切れないワーグナーの
諸作のなかでも、この楽劇はそれに関連附けられた畸型的な民族主義、
大ドイツ主義の記憶ゆえに、歴史の闇のなかで不当な扱いを蒙ってきた
経緯があるが、そろそろハーケンクロイツの昏い翳りが拭い去られても
よい頃合いではないだろうか。

何よりもオレは、成熟した大人の智慧が深刻な悲劇を回避し得るという
この楽劇のポジティブな主題には、主人公ハンス・ザックスの年代に差
し掛かった者として、大いに共感を覚える。

そして、この番組においては、同じような成熟した智慧が物語の危機を
回避し、悲劇に流れることの俗悪なカタルシスを拒絶して明るい感動を
与え続けた。神聖ローマ帝国は塵となって消え失せても、一人の少女の
長い不在と帰宅を語る平凡な物語に凝らされた尊い智慧は残るだろう。

ありがとう。

ただいま。

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