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Act.36-3 アイドルの黄昏

———人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。

              フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ

とまれ、前回に引き続いて今回も番組全体を俯瞰する視点でばかり話す
わけにもいくまいから、時計を大幅に巻き戻してこのエピソードに限定
したレビューにも少しは身を入れよう。自縄自縛の陥穽によって逼迫し
た物語、それがこのまま縊死を遂げたのかどうかについては、最終回の
レビューに預けるとしよう。

割合すっきりした話だった前回のエピソードだが、美奈子とゾイサイト
の接触以外には、うさぎがついに美奈子=ヴィーナスであることを識る
というイベントがあった。そこからの流れで、今回アバンに持ち越され
ている美奈子のライブシーンに繋がるわけだが、衆人環視のステージ上
で美奈子が病に倒れるという劇的なイベントで引きを設けている。

このわずか一分かそこらのライブシーンが、このOAに先立って催され
「キラリ☆スーパーライブにおいて収録されたものであることは、
ファンならもはや周知の事実である。事情通の間では、前年公開された
仮面ライダー555 パラダイス・ロスト」における撮影で、一般参加の
一万人ライダーイベントの仕切りに功あった鈴村展弘が、このイベント
の撮影の仕切りを担当したことが番組復帰のきっかけとなってのでは、
という見方もある。

ただまあ作品に採用された映像を見る限り、だれそれでないと撮れない
というほどノウハウの必要な撮影だったようにも見えないし、イベント
自体を仕切っていたのでないことは言うまでもない。また、五月二日の
イベントでの撮影が、六月一二日OA作品での復帰のきっかけになると
いうのも、ちょっと時期的に考えにくい。この撮影の時点では、復帰が
既定事項だったと視るべきだろう。

公式サイトの「縁の下」の記事でも、過去に一万人イベントを仕切った
経験をもつ鈴村展弘なのだから、一〇〇〇人くらいではどうということ
もあるまい、という程度のニュアンスのように読める。逆にいうなら、
客席に着いたままの一〇〇〇人程度のモブ撮影なら、現状ローテの他の
監督にも経験があるのではないかと思う。

この場面から引いた今回のアバンは前回の幕切れの短縮版に過ぎない。
尺からいっても、OP明けの病院のシーンをアバンに廻してもよかった
のではないかと感じたが、この辺はおそらくライダーボケだろう(笑)。

この番組のアバンの呼吸だと、前回の引きから連続のシーケンスをここ
で一区切り附けることが多いし、プリムン登場までの大筋の流れでは、
むしろダークキングダムの場面が開始点にくるほうが自然である。

ライダーのアバンのほうは、どちらかというと一つのシーンをあと一息
で終わる呼吸で割って次回に廻すパターン
が多く、複数のシーンに跨る
ことがあまりないという印象なので、その呼吸のまま繋いでしまったの
かな、と思わないでもない。

まあ、明確な決め事のない事柄なのであくまで印象論ではあるのだが、
ライダーの場合はアバンの分だけ次回に繰り延べているような構成で、
セラムンの場合は引き+アバンという、各話をブリッジする要素がある
というように、構成の呼吸に違いがあるような気がする。

その伝でいうなら、ステージ上で美奈子が倒れるという事件は、前回の
エピソードに属する部分でも今回のエピソードに属する部分でもない。
あえていうなら、今回の美奈子とレイちゃんの会話の仕込みとなる要素
のように思えるので、レイちゃんが気遣わしげに病院を振り返るところ
までアバンに廻したほうがよかったのではないかと思った。

これは「オレならこうする」式の雑感というより、オレがOP明けから
の流れになんとなく感じた違和感の解析だ。美奈子が倒れた衝撃だけで
OP明けまで興味をつなぐのなら単に前回の引きのくり返しだ。いつも
なら、レイちゃんが美奈子を気遣う姿までをアバンで描くことで、今回
のエピソードへの期待を煽るのが定石
のような気がした。

こういうトリビアルな事柄を論うのは、前回はそれほどでもなかったが
今回はシリーズの流れを踏まえた場合の力点のズレが目立つように感じ
るからである。これは途中で復帰した鈴村展弘の感覚だけがズレている
ということではなく、ストーリー構成上の問題でもある

つまり今回のドラマは、冒頭のダークキングダムの場面と採石場の場面
の落差で構成される、四天王たちと衛の間のドラマに力点が置かれるべ
きエピソードだったように感じるのである。

むしろ、今回のエピソードは、プリンセスムーンの登場というイベント
さえなければ、非常にすっきりとしたわかりやすいエピソードだったの
ではないかと思う。

坊主憎けりゃ式に貶すわけではないが、今回のエピソードで、プリムン
はただ単に登場して超越力を見せ附けただけで、クインベリルの四天王
人質作戦と衛の略取の成否にはまったく関与していない。

今回の話だけに限っていえば、セーラー戦士たちが為す術なく見守る眼
前でベリルが四天王を道具扱いし、ネフライトが自傷させられることで
衛がベリルの手に陥るという流れをストレートに描いたほうが、情感の
組立はすっきりしていたはずだ。

今回のエピソードのなかでは、プリムンの登場というイベントがドラマ
の流れを妨げながら奇妙に屹立している
。冒頭に置かれたゾイサイトと
クンツァイトの折檻、前回ベリルに二人の離反をチクったジェダイトの
立ち位置、冷遇に甘んじたネフライトへの労い、これがクライマックス
で皮肉に効いてくる対照を設けながら、プリムン登場のイベントでその
情感の組立が脇に廻されている。

ベリルの影響力を軽視して数々の策動を企んだクンツァイトの狼狽や、
無力感を感じつつも主を救おうと努めていたゾイサイトの絶望、己こそ
第一の忠臣と血気に逸っていたジェダイトの衝撃、そして寄る辺なき身
でいまいちどの忠誠に身を投じようとしていたネフライトの鬼哭、これ
こそがクライマックスの情動の本筋だろう。

さらには、そんな過酷なドラマを目の当たりにしながら、ベリルの圧倒
的な超越力と卑劣な罠に為す術もなく倒れる己の非力、悔しさ、絶望、
そのようなセーラー戦士側の敗北のドラマこそが、比類ない情感を生み
出していたはずである。

また尻こそばゆいうさぎと衛のデートの場面、呼べない名前という留保
や時計の手渡しもクライマックスでの別離を前提に仕込まれたものなの
だし、レイちゃんと美奈子の会話も「これも、こんなことも、前世から
背負ってきたことなの?
」という問いかけに繋げるための仕掛けだが、
それは本来、衛が四天王との紐帯ゆえに自らの意志でベリルに同行し、
うさぎにはそれを止め得ないという悲劇を前提としたものだ。

レイちゃんの言葉は、愛野美奈子としての生を生きようとしない美奈子
への苛立ちに伴い、衛との過酷な別れを強いられたうさぎの境遇を指し
て言われたものだ。それは、前回のエピソードで美奈子自身がうさぎの
気持ちを踏みにじることの残酷さを実感したからこそ、観客の胸に響い
てくる言葉だったはずだ。

そのように視れば、今回のストーリーは無駄なくクライマックスへ向け
て伏線が組み立てられた、情感溢れる佳作となっていてもよかったはず
なのだ。

しかし現状のドラマでは、プリンセスムーン登場というイベントに力点
がかかりすぎているため、そのイベントに向けてそれらの伏線が仕組ま
れたように見える。その実、プリムンの登場は今回のドラマの本筋とは
まったく無関係
なのだから、クライマックスでプリムンの超越力が発動
した瞬間に慌ただしくドラマは崩壊する。

ムーンのパワーアップと人格変異、ド派手なガソリン爆破、このような
ショッキングなビジュアルの釣瓶打ちで、周到に仕込まれたドラマは、
どこか片隅に追いやられてしまった。

本来、セーラー戦士たちが二重三重の無力感と敗北感に打ちひしがれて
こそ成立するはずのビザールなドラマが、「なんかイケるんじゃね?」
「ベリル、大したことなくね?」的な攻撃力を見せ附ける新戦士の登場
で台無しにされ、しかもそれが大局に影響をもたないという肩透かし。

つまり、今回のドラマは、プリンセスムーン登場というまったくドラマ
的に必然性のないイベントを、無理矢理ねじ込んだために破綻したので
ある。

さらに、レイちゃんはまたしても泣く必要のない場面で泣いている

プリムンの登場という破壊的なイベントがなくても、あのセリフを泣き
ながら叫ぶのは力みすぎだと思うが、結果的に情感の力点がズレまくっ
た今回のエピソードでは、泣くほど激昂している理由がまったく理解も
共感もできなくなっている。

これも、こんなことも」の「これ」が、プリムンへの人格変異と容赦
ない破壊行為を指すように思えてしまうからだ。それがなかったと仮定
しても、うさぎと衛の別離に対してレイちゃんだけが泣いている理由が
よくわからない。他の仲間が泣いていない場面で、率先して泣くという
キャラではなかったはずだ。レイちゃんと美奈子の間でだけ通じる機微
を想い描いてみても、そこから遡って美奈子の死病という宿命に想いが
及ぶような道筋でもない。

普通に考えれば、舞原ですら止められなかったレイちゃんの涙を、この
ローテで復帰した鈴村展弘に止められるはずがない。舞原監督回でも、
鈴村監督回でも不用意に激昂したレイちゃんは、すでにもう「そういう
キャラ」になってしまった。

これらを既成事実として、今後火野レイという人物は、感情の高ぶりを
抑えられないキャラ
として描写上の整合をとっていくことになる。

そのうえ、ここで激昂して美奈子に喰ってかかった理由が曖昧なものと
なってしまったために、この後もレイちゃんと美奈子の対立点が曖昧な
ままに放置されてしまった。

後半の芯となるべきレイちゃんと美奈子の葛藤の物語は、こうして出発
点から躓いてしまったのだ。

なにもかもがズレている。

このエピソードは失敗している。

物語は止めどなく崩壊していく。

しかもそれはだれの責任でもない。

すべてが失敗しているのだから。

オレは不安になった。

しかし、このとき、オレはまだ希望をもっていた。なぜなら、この後、
少なくとも舞原ローテが二回めぐってくるはず「だった」からだ。オレ
はまだこの時点では、この悲観的な流れを、だれかがどうにかできると
考えていたのだ。

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