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Act.39 十番町の初夏を愛す

まずサックリ謝っておきたいのだが、前回レビューでうさぎとプリムン
の内的葛藤について「向後のエピソードを視るに、最終回まではうさぎ
とプリムンの間でコミュニケーションがもたれた節はない。
」と書いて
しまったが、再度確認したところ、Act.42にも同様の描写があった。

しかも、このエピソードでうさぎに諭されて以来、最終回までプリムン
の暴走は抑えられているので、この部分についての指摘は撤回せざるを
得ないだろう。正直、すまんかった(笑)

Act.42の当該場面に関しては、竹光演出ということで詳説するのは気が
進まないんだが(木亥火暴!!)、シリーズ構成上重要なエピソードなので
そのときにまた詳しく視ていこうと思う。

さて、Act.35の鈴村復帰以降のローテ調整が、脚本執筆段階では流動的
だったのではないかという憶測は、今回のエピソードを視るとますます
信憑性が高くなってくるように思える。

なぜなら、今回のエピソードは…いや、ネタだってばよ(木亥火暴!!)

しかし、リアルタイムでこのエピソードを見終えたときは、軽〜く衝撃
を覚えたのは事実だなぁ。なんせ間に挟んだ鈴村・高丸ローテの四話が
あんなような体たらくだったわけだし、このグダグダ感を払拭できるの
は舞原だけ、さすがに小林靖子も舞原には会心のホンを渡しているはず
だろう
と、かなりアテにしていたのだが。

まあ、ネタはネタとして、今回のエピソードが初期の高丸演出の雰囲気
を濃厚に漂わせていることは間違いないだろう。今回再登場の池田成志
演ずる菅生社長が初登場したのもAct.1112の高丸ローテだし、大袈裟
な擬音の附け方も含めて、意識的に高丸演出をミミックしていたのかも
しれないな。

Act.37で高丸が佐藤演出のパロディを演じたこともあるし、このような
テイストのシナリオが舞原演出回に廻された事情はわからないものの、
要不要からいえば舞原が演出する必要のないエピソードではあっても、
ガチのシリアスエピソードが続いた舞原ローテだけに、こういうお遊び
エピソードの高丸ごっこは恰好の息抜きになったかもしれない。

その一方、今回のエピソードが舞原演出を前提にしていないと明言でき
ないのは、後半の妖魔との戦闘において、ルナ+うさぎという組み合わ
せになっていること、さらにそこからバラけて、ルナ対クンツァイト、
うさぎ対衛という組み合わせの戦闘になっていることがAct.27と対称を
為しているからだ。

ただ、この対称はあくまで表面的なものに留まり、今回のエピソードは
意味的にはAct.27と何の関連もない。Act. 51421の例に視るような
あるいはAct.3334の例に視るような、緊密な意味連鎖に基づく対称と
はまったく違う。

要するに、舞原が担当したAct.27と対称を為すようなシチュエーション
を、同じ舞原の担当回でくり返したというだけの楽屋オチにすぎない。
つまりこのエピソードの監督が舞原でなければ何の意味もない天丼ネタ
なのだから、脚本執筆段階では舞原担当回であることが認識されていた
と視るのが妥当だろう。

だとすれば、それがわかっていてなぜ、今回のエピソードはこのような
アカラサマな暇ネタだったのだろうか。この次のAct.40でもいえること
だが、このエピソードは他のエピソードに比べ演出の裁量でどうとでも
なるバラエティ描写の分量が多い。つまり、その部分は脚本の書き込み
が薄い
はずで、大筋に関連する部分もおざなりに繋いだ感は否めない。

月野母子と菅生社長のドタバタを除けば、アバンから引いた衛の襲撃と
銀水晶の発動のみが事件らしい事件で、育子ママ絡みの一連のドタバタ
はアバンの対決宣言から実際の襲撃までの中を繋ぐアンコにすぎない。

ずばり言って、シリーズ前半の稠密さがまったく視られないスカスカの
脚本
なのである。

舞原演出が必然でないどころか、小林脚本すら必然ではない。話の骨子
は、菅生&育子ママコンビの常軌を逸した悪ノリ炸裂のキャラ転がしが
メインで、この程度の内容ならピンチヒッターとしてアニメ屋上がりの
有象無象
を充てても出来上がりに大差はなかっただろう。

舞原にとってこのローテが恰好の息抜きになったのと同じように、小林
靖子にとっても息抜きのエピソードだったのだろうか。本当のところは
よくわからない。別の見方をすれば、この次の竹光ローテ以降の陰鬱な
展開を控え、この二本が最後のコメディエピソードとなるわけだから、
視聴者にとっての息抜きの意味で設けられたものなのかもしれない。

オレ個人としては、リアルタイムでこのエピソードを観たときは、舞原
が最終回前後のエピソードを相当数担当して、シリーズ最後の幕引きを
務めるものと確信していただけに、一種ラストスパートの過酷な作業を
前にした息抜き
だろうという認識で観ていた。脱力もののドタバタ編で
肩透かしを喰らったものの、割合好意的にこのエピソードを楽しんだ。

そもそも舞原賢三という演出家は、セラムン以前はむしろ今回のような
コミカルで脳天気な作風が印象的だった。東映特撮ヒーローに参入した
ガオレンジャーでも、あの諸田敏とそんなに違う作風でもなかったよう
に記憶している…いや、心の奥底のしっかり鍵が閉まるところに記憶を
封印した番組
なので、正確なところはわからないが(木亥火暴!!)。

主に深夜枠のホラーやヒーロー番組で活躍していた頃は、比較的ユルく
てもっさりしたコミカル演出を得手とする監督という認識しかなかった
が、正直言って際だってどうこういうほど特徴のある演出ではなかった
と思う。当たり前のことだが、番組のカラーに合わせてそこそこ水準作
を撮る、普通のフリーランサー
という印象だった。

要するに、シリアスなエピソードは番組のカラーに馴染んでいてあまり
目立たず、ユルいコメディ演出でようやく「だれ、このユルいヒト?」
と意識するというパターンだったなぁ。オレのアンテナに懸かるような
番組では円谷映像人脈との仕事が多かったので、どちらかといえば服部
光則と類似の作風の演出家
というふうに認識していた。

今回のエピソードのようにユルいドタバタ劇を嬉々として演出している
ようすを視ると、あらためて舞原賢三も高丸雅隆と別種の人間ではない
ことを想い出してしまう(木亥火暴!!)。

ただ、こういうエピソードであっても舞原の演出には明確な目的意識が
うかがえる。これはオレがそう感じるだけかもしれないが、舞原演出回
ということで意図的に設けられたと思しきセラルナ絡みの一連のシーン
の演出には、ことに力が入っているように見受けられるのだ。

今回のエピソードは、一本のストーリーとして見るとどうということも
ないものだが、セラルナの活躍エピソードとして見るとそれなりに華が
ある
。演じる小池里奈当人にとっても、記憶に残るエピソードとなった
のではないだろうか。

なにせ、初登場エピソードで本格的に対戦した相手であるクンツァイト
とのリターンマッチであり、主役のムーンとの本格的な共闘という意味
でもAct.27以来、おまけにドサクサ紛れとはいえ、独力で妖魔を倒して
さえいる
のだから、セラルナ風情としては分に過ぎる活躍である(笑)。

思い起こせばセラルナは、ダーキュリー編が佳境を迎えるAct.27で登場
した、もうタイミングからして中途半端なお邪魔虫キャラだった(笑)。
登場編に対する意見の詳細は当該エピソードのレビューをご覧いただく
として、オレ個人の見解としてはこれまでのルナのキャラとセラルナの
それとの間に乖離を感じたのは事実である。

セラルナというキャラに対する印象も、どちらかというと否定的なもの
であったが、そこはそれ、中の人が小池里奈なので積極的に愛したいと
いう動機もあったればこその違和感
だったわけだ(木亥火暴!!)。

じっさい、初登場からワンクール近い積み重ねがあった今となっては、
それなりに萌えのコツをつかんだというのか(木亥火暴!!)、ぶっちゃけ
かなり慣れてきた部分はあった。初登場時にはいろいろ言ったウィッグ
のカラーも、一種お人形さん的な可愛さを感じるようになった。

その積み重ねのうえであらためてこのエピソードを見る場合、Act.27
同様のシチュエーションで強調されているセラルナの可愛さが際だって
感じられる。菅生社長に強引に奪われたファーストキスに膨れるシーン
をはじめ、ぬいぐるみと人間体を交互に出してキャラの一体感を強調し
つつ、精一杯セラルナの可愛さを引き出しているように見える。

セラルナの撮り方やアングルにも、ちょっとU15アイドルの写真集を
思わせるようなエッチなところがあり、話の本筋にはほぼ無関係なのに
セラルナが前面で目立っている印象がある。キャラを立たせようと計算
するあざとさがなければ、あの年頃の少女に膝を抱えてしゃがみ込むよ
うなポーズをつけるわけがないだろう(木亥火暴!!)。

つか、絶対「おにいちゃんといっしょ」見たろう、舞原(木亥火暴!!)。
研究熱心なのもいいが、ほどほどにな(木亥火暴!!)。

クンツァイトとのリターンマッチも、Act.27の同様のシチュエーション
に感じたような引っ懸かりは感じなかった。敵の目を眩ませる猫騙しの
際の動作の附け方も「おませなコケティッシュぶり」というのではなく
相手を小馬鹿にしてからかう意図や、テンパって舞い上がっている印象
がより正面に出ている辺り、ギリギリこの番組のルナの柄に合っている
と思う。

まあ普通に考えても、シャドーボクシングにしろ鶴翼の型にしろ歌舞伎
の見得切りにしろ、ぬいぐるみルナがやっても不自然じゃないポーズに
徹しているわけだ。前回違和感を感じたのは、やっぱりいくらなんでも
ルナは「うっふ〜ん」と投げキッスしたりお尻振ったりしないだろうと
いうギャップに引っ懸かったのだから、ぬいぐるみルナのキャラの範疇
で動作を附けるのは当然だろう。

そこから天丼ネタの不意打ちがブロックされて金のハリセンに繋がり、
重さによろけて妖魔の脳天を偶然直撃、「今だわ!(なにがどう今なん
だ)
」に繋がる流れもきわめてルナっぽいアバウトさだ(木亥火暴!!)。

しかも小池里奈本人の柄から考えても、お仕着せの可愛さよりこういう
ふてぶてしく活発な感じの演技をさせたほうが本来の柄に合っている。

顔立ちがおとなしめだったり、声を張った感じのアニメ的なテンション
のセリフ廻しが得手ではなかったりするのだから、ベタな萌えキャラ的
方向性を模索するよりも、多少リアル寄りのやんちゃな方向性でキャラ
立てするほうが向いていると思う。

本職の俳優ではない小池里奈の芝居を云々するのは無粋な気もするが、
進悟役の武子直輝のような「うまい子役」的な演技とは違って、年相応
の少女の喋り方として自然に聞こえる、作っているのに変に作ったふう
には見えないという意味で、勘はいいほうだと思う。

たとえば「わたしのファーストキスが…」とボヤく場面でも、この場面
をぬいぐるみに演じさせてもおもしろくないから唐突に人間体に変わる
わけだが、小池里奈が「ファーストキスが…」とボヤくと、相手がカマ
くさい中年男だけに
(笑)ちょっと生々しい印象になる。そういう演出面
の都合を受けてああいう芝居になっているわけだが、キャラの同一性を
確保しつつ笑い事で納めるバランスの芝居としては適切だったと思う。

セラルナというあざとい設定のとんがったキャラと、活発な普通の少女
風の小池里奈の柄、こういう相反するイメージを橋渡ししているのが、
この芝居の肌合いということだろう。

個人的には今回いちばんツボだったのは、スローモーションで背後から
クンツァイトの後頭部を強襲するルナが、歯をむき出していやらしくニ
カッと笑ってる絵面があまりにも悪そうで萌えた
(木亥火暴!!)。

このような、基本的にはよゐこの可愛さがありながらやんちゃな子ども
の毒とでもいうような部分も併せ持つギャップが素材としての小池里奈
の魅力なんだな。

まあ何にせよ、オレはセラルナを悪く言うことはあっても、小池里奈を
悪く言うことだけは断じてないんだけどな(木亥火暴!!)。

またブロワを使って遠距離狙撃してくる妖魔を探知する場面のCGは、
今回のために新規発注したものか、それともセラルナ登場時にストック
しておいた素材の一つなのかはわからないが、あとにも先にも今回限り
の使用
となったわけで、変身バンクと技バンクに加えて特殊能力バンク
とでもいうべきビジュアルの三連コンボが、セーラー戦士らしさを強調
している。

つまり、まこちゃんが森の囁きに耳をそばだてたり、亜美ちゃんが水に
感応して変幻自在な敵を探ったりするような、攻撃技以外のパッシブな
特殊能力
の描写である。まこちゃんのときに詳しく論じたが、こういう
描写があるかないかで、ヒーローとしての印象がかなり違ってくるもの
である。こういう部分一つとっても可能な限りセラルナをフィーチャー
しようとする意欲が伝わってくる。

これは自身が初登場エピソードを演出したまこちゃんについて、Act.21
で前面にキャラ描写を展開した場合と同様、舞原の義理堅い側面が顕れ
たものだろう。

思えばセラルナも不憫なキャラで、この番組のなかではどう考えても重
要度の薄いキャラであり、ストーリーに自然に絡められるほど必然性の
あるキャラでもない。何一つドラマを担っていない、存在意義さえ微妙
なキャラである彼女が、重要な局面で大きな役割を果たすわけにもいく
まい。

言ってしまえば、大人の事情で涌いて出たテコ入れキャラではあるが、
せめて一話くらいはメインで活躍するエピソードがないと、一生懸命に
演じている小池里奈が可哀想だ。その意味で今回は、セラルナのチャー
ミングな部分が正面に出ていて、徹頭徹尾本筋とは無関係な要素で組み
立てられた暇ネタとしては割合楽しめた。

ロケーションが好天に恵まれたこともあって、鮮やかな初夏の陽射しや
新緑の清々しさが絵的にもきれいで、爽やかな季節感を漂わせる舞台で
健康的な少女が元気に躍動する様は、やはりいい。舞原賢三、小池里奈
に対する義理合いは立派に果たしたといっていいだろう。もちろんこれ
DVD一枚分の研究費に対しても言っているわけだが(木亥火暴!!)。

ただ、こうした本筋と無関係な部分はそれなりに楽しめるのだが、終盤
に据えられた本筋の部分には、相変わらず疑問符が附く。

ここ数話のレビューで詳説しているとおり、クライマックスのイベント
プリムンの暴走ではなく銀水晶の暴走である部分が、やはりなんとも
整合性を欠いている。力の暴走の無慈悲さを際立たせるために、一足先
に帰途に就いた実の肉親のシンゴを橋の欄干からぶら下げているが、意
のままにならぬ自身の力に怯えるのか、意のままにならぬ別人格の意志
に怯えるのか、ここが不分明では話の焦点が曖昧になってしまう。

とりあえず今回は、プリムンの破壊行為というかたちにはしづらかった
のか前者を採択してエピソードの結構を保っているが、「肉親すら見境
なく痍附けてしまうかもしれない」という懼れを描く場面で、その原因
を自身の裡なる力の暴走として描いてしまったため、大筋の流れとは整
合しない描写となってしまった。

今回の描写を前提にするなら、うさぎ自身が感情を暴発させることで銀
水晶の暴走を招き、われとわが手で愛する人々とその世界を滅ぼすとい
う結末を用意しなければならないはずだが、今後の実際の流れを視るに
世界の破滅は銀水晶の力の暴走ではなく、うさぎの人格が衰微した結果
出現したプリムンの意志によってもたらされている。

今回のエピソードで強調された「銀水晶の力の暴走」というイメージは
実は大筋の流れとは矛盾しているのである。今後この矛盾は解消されな
いままに、後半の流れを淀ませていく。どこかが喰い違っているという
隔靴掻痒の気持ち悪さを観客の潜在意識裡に喚起する。

また、今回の衛の襲撃の企図も、微妙なズレを含んだものである。愛し
合う二人がなぜ刃を交えて真剣に闘わねばならないのか、その理由附け
として衛は「オレはもしものときは本気でおまえと闘う。オレたちには
それくらいの覚悟が必要なんだ。星を滅ぼさないために
」と語る。

現時点では、それがAct.48の悲劇の伏線としての描写であることはわか
るし、橋から這い上がるシンゴとカットバックしてそのセリフを言わせ
ているのは、二人の恋に賭けられたものの重みを強調する描写ではある
のだが、Act.48からこのシーンを振り返る場合、この時点で衛がすでに
あの誓言の実現を諦めているように見えるのが考え物である。

星を滅ぼさないため」の「それくらいの覚悟」というのは、つまり、
対外的な責任の話である。このセリフを吐くことで、すでに衛は消極的
に責任を全うする決意を固めているように見えてしまう。こんな無謀な
恋を始めてしまったことで世界を滅ぼさないよう、自身が滅びると決意
したように見えてしまう。

しかし、宿世の恋と世界の滅びの回避は、もろともに実現されねば敗北
なのだ
。最初の最初から、勝利のゴールはきわめて困難な境地に設定さ
れているのである。世界の滅びを回避するために愛し合う二人が真剣に
殺し合うのであれば、それもまた敗北なのだ。

この時点で星の滅びを天秤にかけて、形成不利なら互いに闘うというの
であれば、やっぱりそんな危ない博打は最初から打たなければよかった
ということになりはすまいか。「星なんか滅びない」という誓言の強さ
は、どちらかを実現するためにはどちらかを犠牲にしなければならない
という所期条件にまつわるアンビバレンツを打破し、是が非でもどちら
も犠牲にしないという無謀なまでの決意の言葉
だからこそ強いのだ。

どちらかを選ばざるを得ないのなら、すでにこの誓言の強さは無効化さ
れてしまっているのだ。衛の謎の行動の動機が己を殺して衆生を活かす
類の決意に基づくのであれば、じゃあ最初からやめとけよでオシマイの
身も蓋もない話になってしまう。

ここまで徹底して前半のドラマを殺す必要が果たしてあるのだろうか。
このようなドラマの殺害が、後半の展開にどんな感動をもたらしたとい
うのだろうか。

例によっての繰り言で〆るのも気が退けるが、「徹底検証」と謳うから
には最後までこの気の滅入る作業を続けねばならない。今のペースでは
最終回に辿り着くのがいつになるやらわからないが、遂に最後の読み手
がいなくなったとしても、個人のケジメとしてやり抜く所存である。

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