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Act.42 此岸のヒーロー

今回のエピソードは番組恒例我慢大会編である。

素朴な疑問だが、どうしてこの番組の特訓編は、必ず方向性の間違った
芋を喰ったりレタスを喰ったりする我慢大会になるのか?
(木亥火暴!!)

ある意味、崖のうえからでっかい岩を転がしたり、クレーン車で鉄球を
ぶっつけたり、先輩総掛かりのリンチを加えるのと、どちらが間違って
いるのか悩むくらいである(木亥火暴!!)。

あ、そうか、これはギャグなのか? ギャグなんだな?

じゃあ、武士の情けでサラッと無視しよう(木亥火暴!!)。

どちらかというと今回のお話は、大筋の流れを語るストーリーとしては
わかりやすくできている。前回の展開を受けて、今後数週間メタリアの
力の増大に呼応して暴れ回る最強妖魔の出現と、うさぎの秘密を識った
なるちゃんが妖魔の影響で生気を抜かれて人事不省に陥る流れ、そして
これまで比較的自由にダークキングダム内部を徘徊していた衛の行動を
掣肘する呪いの石という拘束要素の導入。相互に関連をもったこれらの
要素が、割合手際良く提示されている。

結論から先にいうなら、このエピソードは総体的に視ておもしろくない
部類の作品だと思うが、この時点までの流れをうまく整理して、雑多な
要素を仕切り直しているとは思う。

ここから違う方向に物語が進んだのだとしたら、もう少しマシな終わり
方ができたのではないかとも思う。

前回クライマックスで出現したプリムンは、周囲を顧みない容赦のない
攻撃で最強妖魔を追い詰めたが、その非情な戦闘によってうさぎのたい
せつな親友であるなるちゃんが痍附いた。尚も妖魔にとどめを刺そうと
剣を揮うプリムンは、何ものかに驚かされて一瞬攻撃を躊躇い、そして
妖魔を取り逃がす。

プリムンが消失したあとに残されたうさぎは、プリムンが揮った銀水晶
の強大な力を目の当たりにし、あらためて己に課されている過酷な使命
の重さを思い知る。

今回のアバンで、最後にプリムンを掣肘したのはプリムン内部のうさぎ
の声であったことが判明するわけだが、前回触れたように、これを今回
のアバンに持ち越すセンスは悪くないと思う。

なぜなら、今回のクライマックスでは意識的に前回のクライマックスと
相同のシチュエーションが設けられ、プリムンの癒しの相が健在である
ことと併せて、あらためてうさぎとプリムンの対話がもたれているから
である。

こうしたクライマックスの構造と響き合うかたちで、アバンにプリムン
内部のうさぎの声を配するのは自然だし、さらに前回の時点ではそれが
ちょっとした謎として機能するというのは、智慧のある取り廻しだ。

そういう意味では、全盛期の傑作と比べるとどうしても見劣りするが、
今回の竹光ローテの二話は、出来としてはさほど悪くない。おそらく、
佐藤健光が担当したエピソードのなかでは、いちばん良い出来だろう。

演出に関しては前回陳べたような内容を大きく出るような点はないし、
大筋に関しても前回陳べたような不満は相変わらず残るのではあるが、
それを語る語り口の部分では、今回の脚本はここ数話のなかでも出来の
良い部類だろう。

OP明けのクラウンのシーンで、まこちゃんが「前世に逆らうなんて、
無理なんだから
」と前回の論旨を引いた言葉を口に出し、それに対して
レイちゃんが「逆らわなきゃ、星が滅びるのよ」と切り返すのは、前回
の対話を引き継いでいる。

宿命をめぐるレイちゃんとまこちゃんの意見の衝突は、今後美奈子をも
巻き込んでセーラー戦士団内部の亀裂に発展していくわけだが、少なく
とも今回の時点では、セーラー戦士たちの大同目的に内在する矛盾点を
剔抉する機能
を果たしている。

その矛盾点に関しては、うさぎと衛の今生の恋に対するスタンスの矛盾
としてこれまで何度も指摘してきたが、転生人たちの今生での在り様を
宿命のゆえに帰すのならば、来るべき破滅さえもが不可避の結末という
ことになり、彼女たちの営為は滑稽な無限ループでしかない。

今さらではあるのだが、今回のレイちゃんとまこちゃんの衝突は、これ
まで矛盾を内包しつつなんとなく曖昧なままでスルーしてきた事柄を、
わかりやすい言葉で剔抉している。

なにより今回のエピソードは、ねじくれ曲がった大筋の仕掛けを受けて
いるにも関わらず、それを配置する筋道が論理的にわかりやすい。そこ
で今回は、少し芸のない論述ではあるが、この辺の道筋を粗筋に沿って
視ていくとしよう。

メタリアの力は銀水晶の力の増大に呼応しており、最強妖魔はメタリア
の力の増大を受けて発生したものである。その最強妖魔と闘うプリムン
もまた銀水晶の力を象徴するものであり、そのプリムンの見境ない暴走
がうさぎのたいせつな人を痍附ける。

痍附き病床に伏す友は、うさぎの水くささを詰り「うさぎなら大丈夫、
信用してる
」とうさぎを応援し、それによってうさぎは力を抑える決意
を新たにする。そこから力を抑える訓練として恒例の我慢大会に突入す
るわけだが、そのドタバタとオーバーラップするかたちでダークキング
ダム城内の衛は「オレがメタリアをなんとかするまで」力を抑えてくれ
と願う。

ここで衛がダークキングダムに留まっているのは「メタリアをなんとか
する
」目論見があるからであることが明らかになり、それを掣肘するか
のようにベリルに使嗾されたジェダイトが衛に呪いの石を埋め込む。

他方、最強妖魔の力はさらに強まり病床のなるちゃんが生気を抜かれて
人事不省に陥り、そこから病院の裏手で最強妖魔と三戦士の立ち回りの
流れとなる。妖魔に呼応して銀水晶の力が高まりを見せ、うさぎは必死
でそれを抑え込む。

銀水晶を抑えるうさぎが妖魔の攻撃に晒されたとき、エンディミオンが
その場に颯爽と現れてうさぎの危機を救うが、他ならぬその衛が呪いの
石によって苦しむ様を見ることで、うさぎの努力も空しく銀水晶の力が
発動し、プリムンが出現する。

妖魔とプリムンの戦闘が激しさを増すことでメタリアの力はさらに増大
し、人々は路上に倒れ伏し路傍の花は枯れ果てる。だが、妖魔の攻撃で
亜美ちゃんが痍附いたとき、プリムンの剣はハープに姿を変え、癒しの
楽を奏でることで亜美ちゃんの痍は癒え、路傍の花は生気を取り戻す。
ここはプリムンの持ち道具が剣と竪琴の両面を具えるというギミックが
効果的に働いている
と思う。

そして、プリムンの必殺の一撃が今将に妖魔を直撃しようとした瞬間、
またしてもプリムン内部のうさぎがその一挙手を制止する。

そこから心象世界内でのうさぎとプリムンの対話へと視点は移り、この
対話の結果、プリムンは不吉な予言を残して消え去り、セーラームーン
として戦いの場に戻ったうさぎは、亜美ちゃん、ルナと力を合わせて、
ひとまずは妖魔を撃退する。

大筋の問題としてこれまで指摘してきた事柄をいったん捨象して考える
なら
、この間の超越力と超越力の綱引きの描写はなかなかに興味深い。

そして、その超越力の始末が現実には決着が附かず、心象世界内部での
うさぎとプリムンの対話の結果、プリムンが身を引くかたちでひとまず
終息するという流れもおもしろい。

うさぎを悩ます超越力は結局どのように位置附けられたのか。ラストの
三戦士の対話に耳を傾ければ、「最強妖魔は銀水晶でしか倒せない」、
「銀水晶は必要な力であり、だから存在している」、「必要なときまで
銀水晶の力は使わない」ということになる。

今回のエピソードを視る限り、プリムン登場時点ではねじくれ曲がって
解決の糸口さえ見えなかった混迷に、一応の円満な道筋が用意されたか
に見える。

以前指摘した超越力の設定にまつわる矛盾や不自然さを、なんとか物語
として円満に着地させ得る活路が見出されたような印象を覚える。

要するに、銀水晶の力は暴走の危険を秘めた最終兵器と位置附けられて
いるわけだが、同時に敵の力の源泉でもあり、持ち主には制御の努力が
強いられるということだ。これは指輪物語の「一つの指輪」に近い性格
である。

今回のエピソードは、銀水晶にまつわるねじくれ曲がった筋道を一から
浚って、なんとかこのようなまとまったかたちに整理したものである。

今回ラストの時点でプリムンの問題をいったん終息させていたならば、
ここ数話の流れのなかで宙に浮いてしまっていたシリーズ全体の着地点
を軌道修正して明確化できていたのではないかと思う。

冷静に考えるなら、プリムンがらみの一連のストーリーは明らかに本筋
を外れた逸脱要素なのである。プリムンというキャラクター自体が梃子
入れの産物
であって、セーラームーンのパワーアップバージョンの一つ
のバリエーション
にしかすぎない。主人公がパワーアップしてラスボス
を倒す、そのようなルーティンの一つという基本に立ち返って処理する
ことも十分に可能なのである。

なによりも、正直にいってもうプリムンがらみの憂鬱で無理のある展開
をこれ以上引っ張るのはくどすぎる。おそらくここら辺が潮時だろうと
いうのがバランスのとれた判断ではないかと思う。

少なくとも、今回ラストの時点ではそのような軌道修正が可能であった
はずであるし、どうもラストの三戦士の会話はそれを意識して書かれて
いる節がある。おそらく大多数の視聴者も、この〆の言葉を聞いてその
ような展開を期待したはずだ。

また戦闘中に痍附いた亜美ちゃんを癒すためにハープを奏でるプリムン
の姿は、以前オレが指摘したような銀水晶の極性に関する疑義を回収し
得る描写であったはずだ。銀水晶には癒しの極性と破壊の極性が両義的
に内在するのであれば、これまでのように銀水晶の力の増大を一方的に
懼れる必要はないはずである。

事実、銀水晶の力の増大に呼応したメタリアの力が路傍の花を枯らして
いるのを、銀水晶の癒しの力が回復させる描写があるのだから、銀水晶
とメタリアの力が対消滅するという落としどころを用意することも十分
に可能である。

そのうえで、ルナの言うとおり銀水晶の力は「必要な力」「だから存在
している」と着地させることも可能なはずなのである。超越力のご都合
主義的で相互持ち合いのウロボロス的な意味附けを回収することも十分
できたはずなのだ。

しかし、その期待は次回のエピソードで早々に裏切られてしまう。

今回のレビューではあまり先走らないことにするが、次回のエピソード
はまたしても「銀水晶の力を抑える話」であり、プリムンという祟り神
を鎮撫する話になっているのである。

今回このようにわかりやすく収まった話を、なにゆえにまた蒸し返すの
か、それが視聴者を混乱させる。今回のエピソードで、うさぎは銀水晶
の力を抑えることに成功したはずなのに、そのすぐ直後のエピソードで
銀水晶の力を抑えることは、人間という感情を持つ存在にはほぼ不可能
である
ということにされてしまった。

これでは、何のために今回のエピソードがあるのかわからない。

プリムンがらみのストーリーに執着したのがだれなのか、それはこの際
どうでもいい。肝心なことは、あのような結末を回避する契機はここに
ちゃんとあった
ということだ。あのような結末が不可避であったのでは
なく、あのような結末を目指す意志があったということである。

一方、今回提示された方向性が早々に撤回されてしまったのは、銀水晶
という力とプリムンという人格を曖昧に混同してきたことのツケである
という見方もできる。

今回のエピソード中でも、銀水晶の力を抑えることとプリムンの出現を
抑えることに明確な弁別が為されていないので、衛の苦しみを視ること
でプリムンが出現する機序が少し不明瞭なものとなっている。

プリムンはなぜどのようにして出現するのか。実はこれは、最終回以外
はハッキリしたかたちでは開示されていない。一種の亡霊とはいえプリ
ムンは一個の人格なのだから、うさぎの存在を圧して現前しようとする
意志があるから出現する
のだという見方もできる。

Act.36の初登場は、まさにそういう局面であった。衛=エンディミオン
の去就に際してうさぎの感情が高まると、Act.25でプリンセスとしての
人格が顕現したように、現時点では、その忿怒相であるプリムンが出現
するのではないか。

そういうふうに考えるとスッキリするのだが、そうなると今度は、前回
や次回のように、衛が絡まないシチュエーションでプリムンが出現する
のはなぜなのか、また逆にAct.39のようなシチュエーションでなぜ出現
しなかったのかがわからなくなる。

いや、オレは、これらを矛盾なく説明し得るような解釈を提示しようと
しているのではない。そんなのは妄想補完の域を出るものではないし、
そんなことには興味がない。それはそもそも矛盾であり混同なのである
ということを陳べているのである。

つくり手のなかでは、銀水晶とプリムンは曖昧に混同されている。これ
はもはや疑う余地のないことで、プリムンがらみのエピソードの論理的
な気持ち悪さは、そのような混乱に起因している。

今回のエピソードでは、まがりなりにもうさぎは銀水晶の力を制御する
ことに成功しているのだが、次回のエピソードは意志の介在しない睡眠
中はどうしようもないという話になって、さらにはやっぱりうさぎは力
をコントロールできていなかった、そもそもそんなことは不可能なんだ
というオチになる。

このなし崩し的な前言撤回はどういうことなのか、理解に苦しむ。

なぜこういうややこしいことになってしまっているのかといえば、それ
はそもそもつくり手が銀水晶とプリムンの位置附けを自身のなかで曖昧
なまま放置して挿話を組み立てているからであり、そのために今回の話
の決着も「銀水晶の力を抑える」という課題の解決をプリムンを絡めて
語ってしまった
からではないかと思う。

あらかじめ銀水晶とプリンセスおよびプリムンの位置関係を綿密に設定
して、それを作劇上の拘束要素として意識化できていれば、このような
泥沼の論理矛盾は出来しなかったのではないかと思う。

今回の物語ではプリムンを鎮めることができないという判断それ自体は
正しい。

なぜなら、意志的に力を制御するという方向性によって貫かれた今回の
ストーリーでは、ラストのうさぎとプリムンの対話が噛み合わないから
なのだ。超越力による破壊は良くない、抑えなければならない、という
うさぎの論理は、自らの意志によって超越力を制御することには有意で
であっても、自らの裡なる別人格であるプリムンの共感を呼ぶ論理では
ない
のである。

うさぎの周りにはなるちゃんをはじめとしてたくさんのたいせつな人々
がいる。うさぎたちの戦いの巻き添えを喰って痍附いたなるちゃんは、
うさぎを信じて星の滅びを懼れない。その無前提の信頼には、人として
応えないわけにはいかないのである。

うさぎにはたいせつな人々がたくさんいるからこそ、力を抑える必要が
ある、星の滅びを回避する必然性がある。それこそが今回のエピソード
の出発点なのだ。だがプリムンにはエンディミオンただ一人しかいない
のである。この二人の間で、どんな合意が成立するというのか。

うさぎとプリムンの対話のなかでは、うさぎの口にする衛に触れた言葉
に続けて「エンディミオンはどこ?」というプリムンの問い掛けがくり
返されていることには注意が必要である。

以前、衛の覚醒に際して指摘したように、うさぎと衛の間では、地場衛
とプリンス・エンディミオンを弁別する必要はない。だから、うさぎに
とっては衛=エンディミオンだが、プリムンから視ればエンディミオン
はエンディミオンでしかない。地場衛=エンディミオンとして成立して
いる人格のなかの、プリンス・エンディミオンとしての部分以外はプリ
ムンにとって未知の人
なのである。

うさぎが必死にかき口説く「衛だって力を止めろって」という言葉は、
プリムンに対しては力をもたない。それは以前、Act.38の回想編でも、
うさぎの語る衛との恋の来歴や「絶対、星なんか滅びない」という誓言
がプリムンの心にいっさい響かなかったことと呼応している。

衛の場合には地場衛=プリンス・エンディミオンとして統合されている
人格が、うさぎの場合には月野うさぎとプリンセスムーンにスプリット
している以上、プリムンはベリル同様過去という時制に呪縛されている
一種の亡霊
でしかない。

うさぎがこれまで経験してきた物語が、プリムンに対してはまったく力
をもたないということになっているのだから、そういうことにしかなら
ないのであり、うさぎにとってたいせつな人々の存在は何らプリムンの
行動原理に影響を及ぼさない。

エンディミオンはどこ。エンディミオンのいない星は要らない。

いつかおまえも、エンディミオンのために。

この不吉な予言は、プリムンの心象は反映していても、うさぎの心象は
反映していない。どこまでいっても二人が別人として設定されていて、
月野うさぎとしてくり返されたプリンセスの生が過去の時制に固定され
たプリムンの意識に感応することがないなら、うさぎの事情とプリムン
の事情は金輪際リンクしない

それはそれとして、今回の落としどころから考えれば一向構わないはず
なのだが、これまで銀水晶の力の暴走をプリムンの出現として表現して
きたツケが廻って、銀水晶の力を抑えるという筋道はプリムンとの対決
なくしては収まらず、さらにはプリムンが鎮まらない以上、銀水晶の力
も抑えられないという矛盾せる循環論理が成立してしまう。

現時点でプリムンを鎮める論理はだれにももち得ないのだし、そのゆえ
やっぱり銀水晶の力は抑えられないというちゃぶ台返しが起きてしまう
のかもしれない。

そしてまたこれとは別の見方として、銀水晶の力に振り回されるうさぎ
の姿は、そのまま過去のプリンセスの姿と重なるのかもしれないという
事情がある。

プリムンが過去のプリンセスの忿怒相であり現在の月野うさぎの生霊で
あるなら、プリムンの在り方と月野うさぎの生き様を対比させるには、
過去のプリンセスが生きた非情なさだめを、月野うさぎもまたとことん
まで生きねばならない、そのような言い方もできるのだ。

月人と地球人の恋は不吉。それが何の根拠もない迷信であることはすで
に指摘した。しかし、強大な力をもつ銀水晶の巫女であるプリンセスが
激しい恋心を抱くことは、まぎれもなく不吉である。

プリンセスの設定に内在するこの非情な構図を掘り下げるなら、彼女は
月王国の繁栄のための犠牲者であり、銀水晶の花嫁として生け贄に差し
出された処女である。世界の繁栄が一人の少女を人柱にすることで成立
しているなら、その世界はいつか踏みにじられた少女の心によって復讐
される
かもしれないのである。

もちろんこんなのは作品世界の設定でもなんでもない、その設定に内在
するネガティブな可能性の一つにすぎない。古えのプリンセスの悲劇を
このように読み解くことも可能だというバリアントの一つにすぎない。

しかし、世界と個人の対立というこの構図が、文芸のテーマとして危険
なくらい魅力的であるのも事実である。プリンセスを束縛する本質的な
呪縛とは周囲の無理解や妨害ではなく、個人の生と秤にかけられた世界
の命運なのであるという読み替え、文芸に携わる者として、これにモチ
ベーションを掻き立てられる気持ちはわかる。

これまでうさぎと衛の恋は、周囲の人々や世俗の事情によって散々妨害
を蒙ってきた。しかし本来的にうさぎが蒙るべきパッションとは、世界
の命運と秤にかけられた場合に、個人の生を貫けるかというラジカルな
問い掛けであるとするならば、早々にプリムンと銀水晶の呪縛から解き
放つわけにはいかない文芸上の動機がそこに発生する。

銀水晶の力が一種のスティグマであり、プリムンの存在が世界によって
踏みにじられた個人の怨念であるなら、プリンセスと同じパッションを
引き受けない限り、この課題をうさぎが解決することはできない。その
資格がない。このテーマは、同じさだめを引き受けた当事者でない限り
安易に解決してはいけないのである。

そのように思い定めてしまったのか。

その意気やよしとしたいところだが、それはやはり妄執なのだとオレは
思う。「思い附いちゃった」以上のことではないと思う。

なぜなら、結末から遡っていえば、この非情な構図を打破する智慧を、
ついにこの物語はもち得なかったからである。そして、その構図を打破
する智慧がもしあり得るとすれば、それは虚構でしかない。世界と個人
の対立という構図のもつ現実性とは不釣り合いな机上の空論でしかない
のである。

その現実性に対して虚構で立ち向かう腹を固められないのなら、現実の
峻厳さの前に屈するしかない。「だから」この物語があのような結末を
迎えたのだとすれば、それはこの試みが敗れたということだ、腹を括れ
なかったということだ。その腹が括れないのであれば、安易にこの魔魅
に惹かれるべきではなかったのである。

うさぎと衛が闘っている敗れてはならない勝負、それは物語を語る行為
にもオーバーラップしているのであり、この試みが敗れることは、物語
の総体として、現実に敗北する美しい虚構というネガティブなテーマを
語ることに外ならない。

これは、視聴者のみならず、これまでの物語をも裏切る行為である。

この種のテーマを語る誘惑に墜ちた者は、それを語るに足るだけの智慧
を生まねばならない
。それを語るだけの資格を勝ち取らねばならない。
その智慧を語るために腹を括らねばならない。

どれ一つが欠けてもそれは無価値な失敗なのである。試みた意欲が称揚
されるテーマでは決してない、勝利のみが評価され、それが勝利である
ことを自己責任で証明しなければならないテーマなのである。

とまれ、オレはやっぱり先走りすぎたようだ。話を今回のエピソードに
戻すなら…そうだなぁ、さよなら竹光、元気でね(木亥火暴!!)。

多分、もう会うことはないと思うけど(木亥火暴!!)。

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