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Act.45 ファミリー・プロット

他の同形式の番組との比較でいうならば、シリーズ全体を通じる流れに
一旦ケリを附け、最終決戦に向け物語の焦点を絞るべき頃合いである。

白倉のシリーズ構成上の生理でいうならば、ここらでさらに大筋を掻き
回し、大方の観客が予想する物語の着地点から、思い切ってスピンオフ
する弾みを附けたいところである。

物語の終え方に区切りを附けて視るならば、Act.45、46が序、47が破、
そして48、49が急というリズムの附け方になるだろう。

シリーズ後半において、複雑怪奇な分岐を見せたストーリーラインは、
世界構造にまつわる最終決戦の要素を除き、今回のAct.45、46をもって
一旦は収束する。早い話が、脇役たちの物語にケリが附くのである。

美奈子の過去世への拘泥と、それに対するレイちゃんの意固地な反撥、
美奈子の生き様を拠り所に過去世に殉じようとするまこちゃんの迷妄に
このローテの二エピソードで決着が着く。

この二エピソードに対するオレの全体的な評価はすでに明らかにした。

美奈子の峻厳な使命感自体は物語要素としてさほど悪いものではない。
ただ、すべてを棄てて戦いに殉じる少女の覚悟を、その動機を、説得力
のある物語によって裏附けることには失敗している。この問題について
は、あらためて相応しいエピソードのレビューで詳説を試みる。

今回の物語は三者三様の迷妄に対する「気附き」の物語になっているの
であるが、結局のところ手術を拒み続けた美奈子の動機を「無理もない
もの」として描くことに失敗したため、美奈子の生きる姿勢それ自体が
お手軽な過ちと意味附けられたこと
には失望を禁じ得ない。

そして、そのお手軽な過ちに対する反撥でしかないレイちゃんの迷妄も
また輪をかけて浅薄なものでしかないのだし、そのお手軽な過ちを真に
受けて、似て非なる自身の現状に当てはめて解釈したまこちゃんの迷妄
に至っては噴飯物でしかない。

恒例のおさらいだが、レイちゃんは父親との和解を果たしてから、人物
像の転がる方向を間違えてしまった。まこちゃんに関しては、作り手側
が生い立ち上の欠落を設定するのが困難だったため、批判を前提とした
ベタな勘違い
をさせてしまった。

前半で集中的に展開された亜美ちゃんの物語が円満具足に収束した後、
ついに作り手は残る脇役たちに満足な物語を与えることができなかった
ということになる。

今回ローテの二エピソードが、とって附けたような問題構造に基づいて
薄っぺらな「気附き」に着地する物語だったのは、成立しなかった物語
であっても、型として「終わること」は必須であるからだ。この辺りの
感覚は、白倉というよりむしろ小林靖子の生理かもしれない。

レイちゃんの物語、まこちゃんの物語、そして美奈子の物語。それぞれ
が致命的な問題を抱えて転がってきたわけだが、今回の二エピソードは
これらの失敗した物語を一つにまとめて終わらせることにはそれなりに
成功している

その意味で、この二エピソードをそれ単体で視るなら、不出来なものと
はいえないだろう。失敗した物語群に経済的なケリの附け方をするため
の仕掛けと視れば、それなりによく出来てはいる。今回のエピソードが
つまらないのは、ケリを附けられた個々人の物語それ自体がつまらない
から
である。

「私が間違っていました」式のつまらない落としどころへ落ち着いたの
は、それ以外にケリの附けようがなかったからである。言ってみれば、
今回のエピソードのつまらなさは、つくり手側のギブアップ宣言だ。

物語中の人物というものは、他人から視ていかに歪んだ生き方をしてい
ようが、そうあるべき無理もない事情があるものであり、当人的視点に
おける正当性を具えた条理があって然るべきなのである。上質の物語に
おいては、個々の人物の抱えている無理もない事情を公平に扱うことで
「予定調和」でない激突のダイナミズムが生まれる。

この物語においても、三者三様の無理もない事情を描こうと常に努めて
はきたのだが、ついにそれは叶わなかったのだ。だから「私が間違って
いました」と終わるのである。スタート当初は、「間違った人物」など
描くはずではなかったのに、間違って見える人物の当人的な条理を描く
ことに失敗してしまったために、それが事実として間違っていることを
認めざるを得なくなった
のだ。

一面で、これは正直な態度といえるだろう。別段このままほっかむりを
決め込んで価値評価を留保したところで、実質的には問題などないから
である。このローテの二話がなくても、Act.47には無理なく繋がる。

もちろん美奈子の回心と手術の決意はナシになるが、それがなくても話
は普通に繋がってしまう。前回倒れて緊急入院した美奈子が仮退院する
お祝いとでもすれば普通にAct.47が成立する。もちろん、なくても成立
するが、話数的にあと二話分のエピソードを埋めなければならないから
作ったのかもしれないが(笑)、後半で振った伏線が粗方回収されている
ところを視ると、やはり脇筋の締め括りとして必要だとの判断で作られ
たエピソード
だったと視るべきだろう。

その意味では、前半の中心人物だったうさぎと亜美ちゃんを除く三人の
少女の個別のストーリー立てが失敗に終わったことを潔く認めたかたち
なのは評価できる姿勢である。

この辺のところを、少しストーリーに即したかたちで視てみよう。

前回ラストのゾイサイトの最期にシンクロするようなかたちで美奈子が
倒れて、今回のアバンではついに緊急入院という事態に陥るわけだが、
これは常々美奈子とゾイサイトが四守護神と四天王の中で同じようなポ
ジションを占める者として描かれてきたことから、ごく自然なシンクロ
ニシティである。

発端として美奈子の病状悪化という事態が起こり、まず主人公のうさぎ
が銀水晶絡みの事情を気遣われてストーリーから排除される。さらに、
シリーズのバランス上、後半では影の薄い亜美ちゃんは帰宅させられ、
あとはうさぎを胡麻化したり美奈子サイドとレイちゃんの間に立ったり
で小僧の使いという役回り、前回までの経緯から美奈子の姿勢に共感を
示すまこちゃんのみが一人病室の前に残り、美奈子とアルテミスの会話
を漏れ聞くことで、美奈子とともに物語の中心人物となる。

前回の抗争劇で遠ざけられたレイちゃんはもとよりこの場には不在で、
神社の境内で落ち葉掃きをしていたりするが、退屈した黒木ミオの誘い
によってダークキングダム行が実現することで、美奈子ベースのメイン
ストーリーからスプリットしたサブストーリーの主人公となる。

このような手続で他の人物を悉くはかせたことで、今回のエピソードは
まこちゃんと美奈子のかりそめの共感関係を軸としたものになるわけだ
が、前回のエピソードが政治闘争めいたテイストだったのに比べると、
今回のエピソードはやくざ社会の一匹狼とその舎弟を描いたVシネテイ
スト
に溢れている。

要は、死病に冒され自暴自棄になったやくざが命知らずな武闘派として
頭角を顕わす過程で、それに憧れた組内の三下やくざが押し掛け舎弟と
して附き纏い、「兄貴のような男の中の男」になろうと背伸びして結果
的に命を落とすという筋書きに酷似している(木亥火暴!!)。

……ということは、大きく括れば、仮面ライダーアマゾンのモグラ獣人
が死ぬエピソードとも似ているということになるのだが(木亥火暴!!)、
いくらオレが図々しくてもそこまで強弁はしない(木亥火暴!!)。

実際、あのままラストでまこちゃんが死んでいたら、そして次回美奈子
がまこちゃんの仇をとるため奮起して最強妖魔を倒していたら、Vシネ
によくある定番のストーリーと表現して差し支えない。

「兄貴…オ、オレ、失敗しちゃったよ、タマぁとり損ねてこのザマよ」

「サブっ、もう喋るんじゃねぇ、今医者呼んだから大人しくしてろ!」

「やっぱオレ、ドジだなぁ…兄貴みてぇな男の中の男になりたかったの
に、ナニやっても落ちこぼれは落ちこぼれか、格好悪いよなぁ…」

「ばかやろう、おめぇは格好良かったよ、オレなんかよりずっとずっと
男の中の男だったぜ…オレぁ、ただヤケになってただけなんだ、おめぇ
が思ってるような…立派な男でも何でもねぇんだよ…」グシッ

「ナニぃ言ってんすか、兄貴はやっぱ男っすよ、ああ格好いいなぁ…」

「サブっ、サブぅ! 目ぇ開けろ! 死ぬんじゃねぇサブぅううう!」

「ああ、兄貴…格好…いい…へへっ」ガクッ

「死ぬな! サ、サブぅうううううううううううううううっ!」ユサユサユサ

…まあ、こんな話ってこと(木亥火暴!!)。

つまり、「さすが美奈子さん、あたしたちのできないことをやってのけ
る、そこにしびれる、あこがれるぅ」というのは、所詮は勝手な目下の
思い込み
だということである(木亥火暴!!)。

美奈子の深刻な病態を識ったまこちゃんは、死の宿命に追い立てられな
がら戦う美奈子の壮絶な生き様を識り、生い立ちの孤独に悩む自分など
甘っちょろいものだと思い込む。戦士にはそこまでの覚悟が必要なのだ
と真に受けてしまう。

本当にそうだったらそれなりに美奈子の面目も立っていたのだが、冒頭
で陳べたように、これまでの美奈子の描き方からして、美奈子の生き様
が本当に合目的的だったのかに疑問符が附く
だけに、純朴なまこちゃん
が美奈子のその場限りの強弁を真に受けてしまったかのような、微妙な
気まずさを最初の最初から覚えてしまう。

その印象はまこちゃんが美奈子の姿勢に共感しすぎるからでもあって、
視聴者的には「すごい、すごい強いよ」と感激する辺りから過剰に思い
入れているサイン
と視ているわけだが、それにすらすらと「戦士として
生まれてきたんだから当然よ
」と教科書的な返答を返す美奈子のセリフ
にはリアリティをまったく感じない。全体的には、まこちゃんが美奈子
の姿勢を自分の問題に引き寄せて過剰に思い入れているという芝居の段
取り
になっている。

この「たとえ命を捨てても、前世の使命を果たさなきゃ」という美奈子
のセリフを、まこちゃんは過剰に真に受けてしまうのである。だがそれ
は「いずれ死んでしまう」美奈子が「どうせ死ぬなら」的な意味合いで
言っているにすぎない。否応なしに時間がくれば死んでしまうのなら、
自分の意志で自分の命を棄ててやる、そのような意味である。

このセリフがラストのまこちゃんの自爆攻撃に響いてくるわけだが、こ
の時点で美奈子がそんな成り行きを予期できるわけがない。それは、別
にまこちゃんは「いずれ死んでしまう」人間ではないからである。自分
のように死病に取り憑かれているわけでもないまこちゃんの問題として
その覚悟が実践されるという想像ができなかった
のである。

だが、美奈子の言葉が真実であってそれが戦士一般に通用する要求事項
なら、残された命が半年であるか数十年であるかなどは関係ないはず
のである。命懸けの闘争というのは、推定余命の長短に関係なく刹那に
おいて平等に命を要求する
のである。それは今かもしれないし明日かも
しれない、一カ月先かもしれないし一年先かもしれない。

闘争の然らしむるところによって適宜命を差し出さねばならないなら、
それが半年以下のスパンなら美奈子とまこちゃんは同条件である。こう
いう想像力がない以上、美奈子の語る戦士の覚悟は欺瞞でしかない

それは「いずれ死んでしまう」人間が、「どうせ死ぬなら」その必滅の
さだめを精一杯意味附けたいという特殊な話になってしまう。だから、
それを語るのなら戦士の覚悟に託けずに、そのようにありのままに自分
固有の問題として語らなければならなかった
のである。

芝居の空気が仄めかすように、この場面は、本心を隠した建前を目下の
人間が過剰に真に受けてしまったという意味の芝居場なのである。

さっきのVシネの喩えでいえば、「どうせ死んでしまう」人間が本音を
飾り立てた建前が、たまたま目下の人間の個別の事情に訴えかけ、それ
を語った当人よりも純粋に建前に傾倒させる
という反応が起こる。

無前提にやくざで「しかない」人間が、死期を悟り自棄となって先鋭に
やくざ「らしい」行動をとってしまう。このような事情において本心を
隠してそれを建前に紛らせることで、やくざ「であること」に何らかの
意義を見出しやくざ「らしくあろうとする」者が過剰に思い入れてしま
う、そういう呼吸なのである。

この辺の呼吸が甚だVシネくさい。

たとえばこの建前を「やくざモンにだって命賭けで守らなきゃならねぇ
面子ってものがある
」と言い換えても本質的な意味は変わらない。それ
はたいがい、病気でさえなければ足を洗って恋女房と人並みの暮らしの
一つもしたくて当たり前だが、限られた命だからこそ惚れた女と別れて
自棄的で凶暴なやくざ稼業に邁進する、その本心を糊塗するための口先
の建前、という呼吸で描かれる。

人並みの未来が許されないからこそ、過剰に人並みでない生き様に入れ
込んでしまうのである。その淪落の境地に対して、「人並みでない生き
様」に価値を見出す者が思い入れ、たまさか接点ができてしまう。否応
なくそうある者の在り方を「目指す」者が出現し、その交錯の結果とし
て命を落としてしまう、目指した結果としてより純粋にその建前に殉じ
てしまう
。そういう呼吸である。

まこちゃんの場合、本来命を棄ててまで前世の使命に身を投じなければ
ならない理由など何もない。「命を棄てる」ありき、死の意味附けあり
きの話ではないからである。まこちゃんは自身の現状を肯定してくれる
前世の物語がリアリティと引き替えに命を要求するからこそ、命を棄て
ようとするのである。

美奈子が自身の死を意味附けるために他者との交わりを拒んでいるのと
は逆に、他者との関係性の不全を肯定するストーリーをもっとリアルな
ものとするために命を賭けようとするのである。

その動機となる関係性の不全自体は、ちっともシリアスかつ固有の問題
ではないのだし、元基との関係がうまく行かないことに、視聴者が納得
できるような明晰な理由附けはない。つまり、全体としてまこちゃんは
とてもくだらない無根拠な妄想のために命を棄てようとしているわけで
あって、この辺の愚昧さが直観的に視聴者の感情移入を拒む。

このような構造のゆえに、視聴者はメインプロットの主人公である二人
の少女にまったく感情移入できず、あたかも自殺ごっこを視ているかの
ような苛立たしさを感じてしまう。

その苛立たしさや他人事という感覚が、エピソードのバックグラウンド
として設定されている戦士たちの反目やメタリアの暴走、美奈子の変身
不能という危機的状況、大詰め感とでもいうような切羽詰まった空気の
醸成を妨げる。ああ、なんかバカなこと言ってるなぁというような白け
た印象を与えるのである。

そういう全体的な意味性に目を瞑れば、次回に向けての発端編としては
ちゃんと的確な段取りを踏んでいる。バカだなぁと視聴者が思うような
問題を設定して、次回でちゃんとそれがバカなことであることを開示し
ている
からである。

美奈子の病態の進行を核にして、変身不能というイベントを設け、それ
を理由にして危機的状況を設定し、まこちゃんが自爆攻撃を仕掛けると
いう筋書きは、それ単体で視ればソツなく纏まっている。

だからもう、ここまで来たら誰の責任ということもなく、ドラマの成立
を阻む流れが決定附けられてしまっているのである。まこレイ美奈子の
三者を使って、この時点でこれ以上のドラマを成立させることは不可能
だったのである。

だとすれば、ここは一種の消化試合として、勝負を投げずにそれなりの
話を組み上げたことを評価すべきなのかもしれない。

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