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Act.5 心の棘

東映公式サイトのスタッフインタビューコーナー「ダークキングダムの
縁の下
」に、メイク担当谷本忍による、田崎、たかまる、舞原各監督の
指示の出し方についての証言が掲載されている。

それによると、舞原監督は意外とイメージ本位の指示出しをするという
話で「ポニーテイルはもっと高くしたほうが、活発そうに見えるんじゃ
ないか
」というような言い方をするらしい。

ちなみに、田崎監督は髪の毛一本に至るまで本当に細かく具体的な指示
を出すそうで、大雑把なことは言わない。たかまるは、やっぱりという
かなんというか、丸投げ。「可愛く見えればいいから、任せるから」だ
そうな。

まあ、どのキャラの話であるかにもよるが、こうしてそれぞれの監督の
実作を一渡り観てしまった後では、「もっと高くしたほうが活発そう」
と「可愛く見えればいいから、任せる」には、千万億里の意識の隔たり
があるように感じられてしまうね。

他の監督たちがちゃんとキャラクター描写に踏み込んで注文を出してい
るのに、たかまるだけは「ちゃんとあなたが仕事してくれて、上がりが
汚くなければOKっすよ」的なやる気のなさ。

まあ、戦隊経験があって東映特撮のスタッフのだれかしらに面識のある
両監督と、まったくの新参者のたかまるを同列に比較するのもちょっと
気の毒な気はするが…いや、情緒面の差引勘定ではまったく気の毒では
ないが(木亥火暴!!)、少なくとも公平ではないかもしれない。

…しかし、舞原監督は東映特撮関係の監督のなかでは、比較的オフビー
トな部類と見られていると思うんだが、それでもたかまるよりは全然マ
シだったな。つまり、映像作品として許されるオフビートなテンポの下
限が舞原監督のレベルということなんだろうか(木亥火暴!!)。

舞原監督は、そのとぼけた作風からすると意外にもイメージに拘る監督
のようで、たかまるとは違った意味で「変な絵面」のインパクトで勝負
するところがあるね。

予告の時点でも大受けだった、「無理してる亜美ちゃん」の身体表現が
つっぱらかったペンギン手だったりする辺りの「変な絵面」インパクト
は、たかまる演出の無駄な魚眼とかとは違って、かなりプラスに効いて
いるね。少なくとも、ちゃんと一回ペンギン手のヌキを押さえている辺
り、無意味な賑やかしではなく意図的な演出になっている。

勝ち抜きメイク合戦で笑わせておいてから、洗面所のミラーショットに
つないで、溶けたアイラインがピエロの涙のように見えるのは、たとえ
ば、映画版の「ドーベルマン刑事」でも使われているアイディアで、主
題歌の「黒い涙」というのは涙で溶けたマスカラのこと。ありふれた演
出ではあるんだが、作品の文脈に沿って意味附けられ適所に用いられる
とこんなに効果的で、同時に監督の冷めた目線も感じさせるんだなぁ、
と感心する。

この場面の亜美ちゃんをピエロのように見せているということは、つま
りこの場面を演出した人間が、この亜美ちゃんを「滑稽な存在」と視て
いるという意味だ。亜美ちゃんに寄り添って労るのではなく、冷淡に突
き放して滑稽だと意味附けているわけだ。

この場面の亜美ちゃんが「道化」であるという意地悪い隠喩になってい
るんだが、それを道化として笑い飛ばしてやらなければ、視聴者から視
て救いのない話になってしまうという物語作法上の事情がある。

この演出の眼の冷たさが、逆に観客に対していっそう亜美ちゃんの存在
を哀しく見せている。演出の視点が「可哀想に」と亜美ちゃんと共感し
ていたら、この哀しさは出なかっただろう。お話の骨格が辛い話である
だけに、視聴者にあまり感情移入させてしまうと、哀しいという情感よ
りも不愉快さが先に立ち、後味が悪すぎる。

全体的に舞原監督の目線は、少し引き気味で亜美ちゃんの奮闘をコミカ
ルに描写しているね。そうでなかったら、ちょっと辛くて見ていられな
いものになっていたかもしれない。一歩退いて笑うくらいのスタンスで
ないと話が辛気くさくなってしまっただろう。

うさぎが「おはよう!」と挨拶して「いつものように」教室中の生徒が
返事を返す、続けて亜美ちゃんが同じように挨拶して、返事をした生徒
たちが「ええっ?」とどよめく天丼ネタも、コミカルにテンポ良く流し
てやらないと、ちょっとイヤな間の話になってしまう。

そういう意味では、舞原監督のスタンスは、こういう物語である以上、
非常に的確だということになるね。舞原監督は、東映特撮というより、
むしろ円谷映像の仕事が印象的だから、コミカルでとぼけてて突き放し
た持ち味は得意とするところだろう。

「映像作品は段取りだ」というのは、特殊脚本家・小中千昭の「ファン
ダメンタルホラー
」の一節だが、イメージ主義の演出家であっても、脚
本の文脈を論理的に筋道立てて理解したうえで、実際的な段取りを巧み
に用意しなければ、効果的な演出はできないものなんだろうな。

ああそうそう、あんまり関係ないけど、今回の妖魔が風船怪人だっての
は、なんか「仮面天使ロゼッタ」でMr.カラーが出演した舞原担当回
を思い出させるな(笑)。女の子三人組のタラタラした宴会場面とか、割
と共通するイメージは多いね。

それから、亜美ちゃんエピソードだと、かわちえのなるちゃんの出演場
面が多くなるのは、狙いなんだろうか(笑)。一種、かわちえがセラミュ
で演じた亜美ちゃんもオーセンティックな亜美ちゃん像から大分離れて
いたとは思うんだが、こうして実写版の亜美ちゃんと並べて、亜美ちゃ
んとは対照的な芝居を演じさせることで、かわちえの役離れを手伝って
やってる…なんてことはねーか(笑)。

…さて、各論はこのぐらいにして、小林脚本の評価を含めた総体的な構
造面の話に移ろうか。なんというのか、舞原監督の演出的な工夫は工夫
として、個人的には亜美ちゃんの姿を見ているのがちょっと痛々しくて
辛かったなぁ。

散々たかまるを叩いたくせに、レイちゃん出ずっぱりというだけでかれ
これもう二〇回くらい見ているAct.4 よりも、ちゃんとつくられてるこ
のAct.5 のほうが、ドラマが重いだけに気楽に見られないというのが皮
肉ではある(木亥火暴!!)。

不器用な女の子が周囲に溶け込もうと無理をして空回りする話って、定
番ではあるけれど、「女の子が滑稽な行動で恥ずかしい思いをする」と
いうのが、個人的には可哀想すぎてちょっと見ているのが辛い。今回の
エピソード以上に悲惨な落とし所だったら、多分二度は見られなかった
ろうなぁ、と思う。

もっとリアルな学園ドラマだったりすると、亜美ちゃん自身にも敬遠さ
れるだけのネガティブな属性があって、周囲の女の子ももっと残酷だっ
たりするんだが、それはそれで客観視できるので、まだしも安んじて見
ていられるような気がする。しかし、セラムンのリアリティでは、基本
的に亜美ちゃん自身はどこも悪くないのでなぁ。

アニメやコミックス、セラミュなどで水野亜美像を知っている視聴者に
とって、亜美ちゃんは基本的には心の底から優しくて善良なよく気の回
る女の子であり、その裏腹に「良い子」のレッテルや自身の善良さそれ
自体に抑圧された、ある意味自家中毒的に発生した孤独の翳りを持った
キャラだという予備知識がある。

オレみたいに無印初期の亜美ちゃんをよく知らない視聴者から視ると、
亜美ちゃんは、他の四戦士と違って本人自体はネガティブファクターを
抱えていないのに、主に「近寄りにくい」という曖昧な理由で敬遠され
ているキャラクターに思えていた。

とくに月火水の三戦士が一旦揃った後のキャラクター描写としては、ア
ニヲタの理想像的な完璧な美少女として描かれていたので、周囲との軋
轢という意味ではイマイチピンと来なかったというのが本当のところ。

ドジで泣き虫なうさぎはともかく、異能と勝ち気な性格のために周囲か
ら迫害を受けるレイちゃんや、男っぽくて惚れっぽく、それゆえ男運の
極端に悪いまこちゃん、早くに覚醒したために孤独な戦いを演じる美奈
子たちは、みなそれぞれ何らかの欠落を抱えている。しかし、亜美ちゃ
んにはそうした自身の属性にまつわる欠落は稀薄だったと思う。

亜美ちゃんに関する問題は、主に周囲の不寛容さや家庭状況というよう
な外的な要素に起因するもので、本人は頭脳も性格も気遣いも容姿もと
てもよく出来た、それこそ優等生的な美少女、というのが一般的な亜美
ちゃん像だったんではないだろうか。

そういう先入観で見ていたものだから、Act.2 を観ても「登場回だから
こんな描き方なんだろう」「デフォルトがこれで、イニシエーションを
経てから定常的なキャラ像に」的な見方が抜け切れていなかったような
気がする。

そういう見方からすれば、Act.2 の時点で解消されていなかった対人面
での不全を正面から採り上げたAct.5 では、そうしたわだかまりが劇的
なきっかけで解消される、という「課題の解決」的な落とし所に着地し
てもよかったはずだ。

しかし、今回の筋立てでは逆に、亜美ちゃんがその「課題」を「解決」
しようと無理をして自己変革を目論んだ末に空回りをして痍附き、「無
理をしなくてもいい、意識を持ち続ければ、物事は自然にゆっくりと変
わっていくものだ」と、視聴者が解決への予感を感じるだけの、穏やか
な結末に落ち着いている。この辺は、「もっとリアルな学園ドラマ」と
は別の意味でリアルな着地点だろうと思う。

今回の話の結末では、眼鏡少女が眼鏡をかけ忘れてきたというだけのこ
とで、劇的なことは何も起こっていない。本質的には亜美ちゃんの悩み
にはだれも応えてやっていないし、何も解決していないと言えば解決し
ていないんだな。

しかし、物事は劇的なきっかけでは変わらないし、劇的なカタルシスを
もたらすために、どんどん事態が悪化したりはしないものだ。少女たち
の欠落は、ゆっくりと穏やかに埋め合わされていけばいい。その意味で
は、これまでの四エピソードとは、登場人物たちの心の動きの在り方が
少し違っていたと思う。

これまでのエピソードでは、新しい物語を力強く前進させるために、主
に劇的な回心の心理が描かれていた。少女たちの抱える欠落を細やかに
描き、それに真っ直ぐ入り込んでいくうさぎの言動、少女たちの心の揺
らぎ、そしてうさぎの力強い一言やアティテュードが彼女たちの回心を
決定附ける、という流れになっていた。

しかし、今回設けられた設問は、そもそもがAct.2 でうさぎが初めて亜
美ちゃんと言葉を交わすシーンで言った「あたしのことはうさぎって呼
んでよ」という何心ない一言に端を発している。つまり、今回のドラマ
は、これまで少女たちの心の欠落に「純真な」手を差し伸べてきたうさ
ぎが、自らの「純真な」友人観を亜美ちゃんに圧し附けたために、結果
的に亜美ちゃんを追い詰めるというものになっている。

登場時から一貫して、うさぎは物事に対する細やかな気遣いや配慮を苦
手とする天真爛漫なキャラとして描かれているので、この辺はまったく
違和感がない。「もっとなかよくなりたい」という純真な思いは、とき
として穢れた悪意よりも相手を痍附ける。

うさぎの純真さ、純粋さは、いつでもオールマイティな癒しのパワーと
して友人たちに働きかけるわけではない。深読みをすると、そこに不吉
な予兆を感じないでもないが、それはさておくとして。今回の問題は、
一見して亜美ちゃんと周囲という一対多の関係性の問題にも見えるけれ
ど、実は主にうさぎと亜美ちゃんの二者間の問題だったのではないかと
オレは思うんだ。

亜美ちゃんにとってうさぎは、それほどまでに大事な存在なのだと思う
んだよね。事実、「本当の友人」というキーワードで亜美ちゃんが思い
悩むとき、そこに現れるのはうさぎの姿だけであって、レイちゃんやな
るちゃんの姿はない。友人との親密度に順位附けをするほど野暮なこと
はないけれど、亜美ちゃんにとっては、うさぎが「純粋に」友情を示し
てくれたからこそ、世界に向かって心の窓を開こうと思えた存在である
だけに、「友人」の問題では常にうさぎが直截の対象となる。

うさぎとの友情がなければ、レイちゃんやなるちゃんとも交流はあり得
なかったのだ。だから今回の問題では、レイちゃんとなるちゃんも重要
な役割を果たすけれども、亜美ちゃんとうさぎの二人の間の物語だった
と断言して差し支えないと思う。そういう意味では、非常にエロティッ
クな話ではあったんじゃないかな。

そして、「友だちだったら、こうじゃん」と直観的に考えるうさぎの思
惑と、「本当の友だちって、どんななんだろう」と包括的な筋論に思い
を致す亜美ちゃんの悩みの対比は、やっぱりAct.3 の例のクイズシーン
が端的に予言している行き違いではある。

そこに新たに加わったレイちゃんは、美奈子のMDや呼び捨ての躊躇い
という、亜美ちゃんとうさぎの二者間の交流を媒介する小道具をすべて
すっ飛ばして、瞬時にうさぎとの間合いを詰めている。ここの三者間の
対比が絶妙だ。

レイちゃんは、瞬時に劇的に回心するタイプのキャラクターなのだな。
心を許すと決めたらそこに迷いはなく、ずばりと相手の懐に飛び込んで
いく。逆に、そこに彼女の辛い来し方が見えたりするのだが、亜美ちゃ
んが疎外される孤独を感じてきたのに対し、レイちゃんは迫害の孤独を
味わってきた、その違いといえるかもしれない。

嫉視や無関心に基づく孤立と、他者の悪意と実質的な攻撃に苛まれる孤
独では、腹の括り方が違うのだという言い方をしてもいい。亜美ちゃん
が他者との間合いの取り方の問題で孤立してきたのに対し、レイちゃん
の場合は最初から戦いの間合いで孤立している。それならば、心許せる
友と呼べるだけの存在が現れたなら、その判断にすべてを委ねて顧みる
ことはないだろう。だからレイちゃんは一瞬で間合いが詰められる。

すでに呼び捨てでポンポンと言い合っている二人を見て、ハッとする亜
美ちゃんの表情が痛々しい。前回レイちゃんの回心に一助を果たした亜
美ちゃんが、俗な言い方だが、この場面ではレイちゃんに「置いてきぼ
り」にされている。ハマチの表情芝居もどんどん美しさを増してきてい
るね。ラストでうさぎに抱き附かれてびっくりする表情は、火星人のオ
レまで思わず惚れそうになっちゃうくらい美しい(木亥火暴!!)。

前回は、主にレイちゃん自身の問題について、レイちゃんに対してうさ
ぎと亜美ちゃんが働きかけるという構図だったのだが、今回のエピソー
ドでは、うさぎ対亜美ちゃんの関係の問題で、亜美ちゃんのためにレイ
ちゃんがうさぎに対して一歩退いた地点から働きかける構図になってい
る。ここに、ダイナミックなバリエーションの美しさがあると思う。

今のところ、レイちゃんはうさぎたちを「仲間」という立ち位置で認め
ただけなので、「友だち」という立ち位置にある亜美ちゃんの悩みとは
違う地点にいて、亜美ちゃんの孤独に対してシンパシーを感じながら、
そこについては悩んでいない。レイちゃんはパジャマパーティの参加を
断って顧みるところなく、かえってそれに参加した亜美ちゃんが悩みを
抱えているというところに、それは端的に表れている。

そういう構図だからこそ、今回のうさぎは亜美ちゃんの心を救う方向で
はなく、追い詰める方向でしか動いていない。悪意も穢れた感情もなく
真っ直ぐに亜美ちゃんの気持ちを求めるうさぎの言動が、どんどん亜美
ちゃんを痍附け追い詰めていく。

「そういうの、いちばん友だちっぽくないよ」というのは、亜美ちゃん
に対していちばん残酷な言葉であって、いちばん言われたくない相手か
らのいちばん言われたくない言葉を、そう言われないための滑稽でさえ
ある懸命な努力が原因で言われる、という残酷な皮肉が効いている。

それを他ならぬうさぎが言う、亜美ちゃんのためを思う気持ちではなく
自分の気持ちに正直なだけの残酷な言葉をうさぎが言う。相手の気持ち
を救うために力強い言葉を接ぐこともなく、「お水とってくる」とその
場凌ぎを言って、つまりは自分の言葉や態度が亜美ちゃんを痍附けたこ
とを十分に知りながら、亜美ちゃんの気持ちを労ることよりも、自分の
辛さを優先して、張り詰めた緊張のなかに彼女を取り残して逃げ出す。

亜美ちゃんの辛さに接しても、うさぎが自分の辛さを押して相手を労り
救済する強い一言を発するという成り行きにはならない。これは、これ
までのエピソードの行き方とは大分違う。

たとえばこの場面を、真の友情に至るイニシエーションとして、それま
で胸に包んできた言葉を互いに正直にぶつけ合う一連ととる解釈もある
だろう。

しかし、正直な言葉を受け止めるためには、タイミングが重要だと思う
んだ。あのやりとりについては、最初の最初にうさぎが「本当の友だち
になれる本」を見附けてしまったことを亜美ちゃんに知らせたことで、
亜美ちゃんは決して冷静にはなれなくなってしまったと思う。

マニュアル本を見なければ友だちもつくれないほど「みっともない」欠
落を抱えた少女であること、それはだれにも知られたくない亜美ちゃん
の心の深奥に潜むコンプレックスだ。まして、初めての友だちであるう
さぎにだけは、決して知られたくない「死ぬほど恥ずかしい」秘密だ。

それを、うさぎ当人から「これはどういうことなの?」と言わぬばかり
の詰問調で突き附けられる、一人の女の子としてこれほど恥ずかしい、
情けない、辛く哀しい瞬間はない。

このような端緒を持つ会話が、冷静に進むはずなどはない。いちばん恥
ずかしい部分を晒け出してしまったことで逆上してしまった亜美ちゃん
の言葉は、どんどん「それを言っちゃオシマイよ」的な身も蓋もない赤
裸々な方向へズレていく。

亜美ちゃんの「あなたがこう言ったから私はこうした」「あなただって
喜んでくれたじゃない」という言葉は、こういう場面では決して言って
はいけない自分勝手な責任追及の言葉だし、「私が言ったのはそういう
ことじゃない」といううさぎの言葉にもやはり責任逃れのニュアンスが
ある。ここはかなり生々しい。

少女たちは、問題を解決するためではなく、自身の気持ちを抑え難かっ
たというだけの理由で、劇しい情感のままに語り合い、結果的には痍附
け合ってしまった。正直な言葉は、劇しい内実を含むがゆえに、あえて
語ろうとするなら、適切なタイミングにおいて慎重に言葉を選ばなけれ
ば意味がない。不適切なタイミングで、逆上してぶつけ合う直言は、単
にお互いを痍附け合うだけに終わるものだ。

ここでの生々しいぶつかり合いは、つまり情緒面での課題設定で、一種
の情緒的なカタルシスへのタメなんだと思うんだ。ここで設けられた情
感のタメが、クライマックスで過不足なく解消されることで、劇的なカ
タルシスは成立する。

オレの感覚だと、現状のラストの組み立ては決して間違ってはいないん
だが、ここのタメと引き合うだけのカタルシスの情動にはなってない
思うのね。ここの計算というのは非常にデリケートな部分だし、視聴者
の感覚の個人差が最も大きいところ。だからこそ、これはオレのごく個
人的な感想に留まるんだがね。

オレには「お水とってくる」の場面で、うさぎが不適切なタイミングで
直言をして、そこで波立った情感の決着を附けずに、痍附いた亜美ちゃ
んを残して逃げたこと、これがとても重く見える。

一方、オレの仲間内では、この場面については「正直に自分の気持ちを
吐露してくれたほうがありがたい、そのときはわからなくても、落ち着
いて考えれば理解できる」、そういうふうな意見のほうが多かった。

亜美ちゃんの自己変革や周囲との軋轢に重きを置いてみれば、まさしく
うさぎの一言は亜美ちゃんのためを思った忠言であって、その場を去る
のは亜美ちゃんに一人で考えさせるためととっても差し支えない。

おそらく、物語全体の組み立てから考えると、おおむねそういう解釈で
も間違ってないんだと思うんだが、オレはむしろ、亜美ちゃんの自己変
革それ自体よりも、うさぎ対亜美ちゃんの二者関係に重点を置いてこの
エピソードを観た。

そういう意味では、ドラマのテーマとドラマの肉体に微妙な二重性があ
るのかもしれない。正直なところ、オレの感じ方だと、亜美ちゃんの自
己変革や対他関係の改善は、うさぎとの二者関係に附随する派生的な主
題と感じられてしまうんだね。

今回のエピソードで最終的に求められていた解決は何かと考えると、亜
美ちゃんが変わることでも周囲に受け容れられることでもなく「うさぎ
が求めるような形の愛情に、亜美ちゃんが応えられるかどうか、そして
応えるのであれば、どのように応えるのか
」だったんではないか、とい
うのがオレの感じ方なんだな。.

うさぎの「もっとなかよくなりたい」「もっと楽しく附き合いたい」と
いう要求は、まさしく恋愛関係における二者間の愛情の在り方の問題と
重なるのではないかと思うんだ。愛し方、愛され方の認識に齟齬のある
恋人同士がその溝を埋めていく過程の葛藤と、等質の課題設定だったの
ではないかと思うんだね。

ぶっちゃけていうと、うさぎと亜美ちゃんの問題というのは、たとえば
恋人から「もっと愛情を言葉で表して」「もっといろんな所に連れてっ
てよ」と要求されて、それが自分のメンタリティにない愛情表現である
がゆえにどう応えていいのか悩む、という構図と等質だと思うんだ。

だから、「本当の友だち」を「本当の恋人」に置き換えても、今回の物
語は成立しちゃうんだね。「私たちって、オレたちって、本当に恋人同
士なのかな」「本当は、彼は、彼女は、自分のことを恋人と考えてはい
ないんじゃないか」と悩む話は、結構ラブコメにもたくさんある。オレ
には、今回のエピソードにおけるうさぎ対亜美ちゃんの二者関係は、
頭徹尾恋愛のメタファーで描かれている
ように思えたのね。

じっさい、女性同士の友情はハイティーンになるまで恋愛感情と未分化
だと聞いたことがあるし、そこを分明にする必要もないとは思うんだ。
一般的に女性同士の友人関係は、男性同士のそれと比べて、肉体的接触
が許されたり独占欲や嫉妬の感情が大きかったりと、いってしまえば同
性愛的な側面が強いようだ。

それを直ちに「女性には漏れなく同性愛的傾向がある」と断じるのは早
計で、女性同士と男性同士の友情にはそういう性差が一般的にある、女
性は恋愛感情と友情が未分化な時期が男性に比べて長い、という程度の
認識に留めるのが妥当だろうね。で、今回のエピソードでは、期せずし
てなのかどうなのか、物語の構造自体にそういう側面が濃厚に表れてい
たとオレには見えるんだよ。

今回のエピソードで、亜美ちゃんは周囲に溶け込めない自分に悩んでい
たのではなく、ひたすらにうさぎを喪うことを懼れていたのだね。うさ
ぎの要求どおりにできない自分の不全に悩んでいたのではなく、その要
求に応えられないことそれ自体に悩み、その結果、うさぎが自分から離
れていくのではないかと悩んでいたのだと思うんだ。

実は、ここには自己変革の悩みやその必要性の自覚なんか直截描かれて
はいないんだね。亜美ちゃんが変わろうと思ったのは、うさぎが望むよ
うな自分になりたかったからであって、あくまで亜美ちゃんの目はうさ
ぎ一人しか見ていない。

もちろんこれは「…という描き方になっている」という話であって、そ
ういう内実の物語なんだと言っているわけではないけどね。たしかに、
亜美ちゃんが自己変革の必要性を認識し変わろうと悩んでいることは、
表向きは明らかだ。第二話以降の物語は、そういうニュアンスを示唆し
続けてきたわけだし、アバンのモノローグでも「三人でいること」の心
地よさに触れている。その流れのなかで、たかが一つのエピソードの描
写がその大筋の流れを覆すというものでもない。

しかし、これまでの流れに対する一つの決算としてあるべきエピソード
の描写で、亜美ちゃんの心理がこのように描かれていること、そういう
現実もまた無視していいものでもないと思う。だから、あくまで個人的
な感想ではあるのだが、今回のエピソードには、テーマ=描写によって
表現される観念と、ボディ=具体的に描写されたものそれ自体に二重性
があると感じるんだ。

もちろん、女児向けの特撮番組でそんな淫靡なテーマが正面に浮上する
ことはあり得ないが、一種の隠しテーマとして意識的に描かれているの
であれば、ドラマ的な情感の落とし所はその二重のニュアンスの双方に
ケツを持つ必要があったんではないかと思うんだよ。

舞原監督の老練なところは、脚本に内在するこうした構造を見抜いて、
葛藤の緩解を肉体的な接触、女性同士の抱擁に落とし込んでいる辺りだ
と思うんだが、オレにはこのシーンはハッキリ恋愛の隠喩で描かれてい
るように思える。つまり、舞原演出はうさぎ対亜美ちゃんの二者関係を
番組で許されるギリギリのラインで、恋愛関係そのものとして決着させ
ていると思うんだな。

つまり、言葉ではなく肉体的な接触そのものがもたらすエロスで決着さ
せている。ここでうさぎが亜美ちゃんに抱き附くのが脚本の指示だった
とすれば、小林靖子自身がこうした構造に意識的であったのかもしれな
いが、抱き附かれた亜美ちゃんの表情のニュアンスがあのようなもので
あったからには、舞原監督にも暗に脚本の意を酌んだ明確な演出意図が
あったと思える。

それなのに、エピローグの部分の余韻が、急に自己変革や周囲との対他
関係の部分に落とし込まれているので、その「建前」に当たるテーマ性
と「本音」に当たるエロティックなニュアンスの折り合いが附いてない
ように思えるのだね。

じっさいには女性同士の同性愛的な友情の物語を語ってきたのにもかか
わらず、取って附けたように自己変革や対他関係という建前の地点に着
地させている、そのことに違和感を感じたといってもいい。

抱擁で決着するのは、あくまでうさぎと亜美ちゃんの二者関係における
諍いの情感の問題であって、それを建前どおりに自己変革のテーマに繋
げるにはそこに具体的な言葉の応酬があって、亜美ちゃんが自発的にう
さぎの要求に対する解答を表明し、うさぎがそれを受け容れるという理
の面での手続が必要だったような気がする。

たとえばラストで亜美ちゃんからの自発的なアクションがないまま、う
さぎが亜美ちゃんを一方的に「許容する」形で抱擁に至るのは、喧嘩し
た後の恋人同士が「おまえは全然悪くないよ、オレが悪かった、ぶちゅ
〜」みたいな成り行きで喧嘩を納めるのとあんまり変わらないと思うん
だ。つまり、この解決では、物語に内在する二重性の、建前に当たる部
分がうやむやにされている

こうした、ある意味下世話な感情の調停が成された後に再び建前的な部
分に復帰させるには、葛藤の根に当たる「言葉の部分」をうやむやにし
てはいけなかったんじゃないか、そこはハッキリ言葉で葛藤の決着を附
けるべきだったんじゃないのか、多分、オレが引っ懸かったのはそうい
う感覚なんじゃないかと思う。

そして、オレにとって「お水とってくる」の場面が過剰に重く見えたの
は、ここで本来うさぎに要求されていたのが、亜美ちゃんの自己変革に
対するアドヴァイスではなかったからだろう。

本音の部分でうさぎの愛情を求めている亜美ちゃんに対して、建前の部
分でうさぎが応えていること、ここで発せられるべきうさぎの言葉は亜
美ちゃんのこれまでの努力に対する理性的な批判ではなく、愛情に基づ
く労りであるべきだったと感じられたこと、そこに二人の間で決定的な
すれ違いがあると感じられたからだ。

最終的に「無理しなくていいよ」とうさぎが亜美ちゃんの気持ちを労る
のであれば、ラストではなくここで労ってもよかったはずだ。同じ内容
を語るのでも、この場面では「ウソだったらうれしくない」「いちばん
友だちっぽくない」という、批判の言葉になっている。

亜美ちゃん自身の自己変革の問題がメインならば、それも解決へ至る過
程の一つだが、二者関係の問題がメインととらえると、明らかにうさぎ
は、物語作法上、亜美ちゃんを痍附け二者間の葛藤を決定附けるためだ
けの言葉
を言わされている。

つまり、今週のうさぎは、これまでの「ヒーローとしてのうさぎ」では
なく、一人の等身大の女の子として扱われているんだな。一人の女の子
ともう一人の女の子の気持ちのすれ違いの物語が、痛々しく語られてい
る。ダークキングダムもタキシード仮面も、少女たちの繊細な物語に気
を遣うかのように、今回ばかりは遠慮がちだ。

交わされた言葉のタイミングと内容が、決定的にズレている。ズレてい
るからには、その具体的な言葉のやりとりによるズレがもたらす情感の
タメが、ラストできちんとズレを整復した具体的な言葉の噛み合いの形
で解消されるべきだったと思うんだ。

「月野さん」では隔たりがあり、「うさぎ」では抵抗がある、亜美ちゃ
んの気持ちのなかでは「うさぎちゃん」という辺りがほどよい立ち位置
なのだという筋道はわかるのだが、しかしそれが咄嗟に出た一言であっ
て、それを今まで亜美ちゃんを追い詰めていたうさぎが「亜美ちゃんら
しくていい」と認める筋道になっているのが、なんとなく「オマケして
あげた」みたいなスッキリしない印象を与えるんだね。

亜美ちゃん自身の意識的な言葉として「今はまだ呼び捨てにはできない
けど、『うさぎちゃん』じゃダメ?」という問いかけの形になっていた
ら、また印象は変わっていただろうと思うのね。前述のとおり、今回の
話は、うさぎ自身が課題の設定者なので、うさぎの側のポジティブなア
クションで解決するのでは、「可哀想だから勘弁してあげた」的な出来
レースの臭いがしてしまう。

亜美ちゃんがうさぎを「うさぎちゃん」と呼ぶことが、「うさぎって呼
んでよ」といううさぎの呼びかけに対して亜美ちゃんが見附けた答なの
はわかるのだが、そこに至るプロセスが、その呼びかけで生起した物語
上の設問に対する直截の解答になっておらず、狙いなのかミスなのか、
そこは今後のつながりで判断するしかないところ。

つまり、今週のお話には劇的なカタルシスがない。少しだけ勇気を出し
て水たまりを飛び越える亜美ちゃんの笑顔に被って、友情の欺瞞を声高
に語る女子高生たちの声が聞こえるアバンが、少しだけ辛い方向にバラ
ンスが破れているように、うさぎと亜美ちゃんの心のバランスシートは
呼び捨てで呼ぶかどうか、という最初の課題をクリアしても、ほんの少
しだけ剰りが出ると思う。

それは、今回の事件がAct.2 で張られた伏線の「解決編」ではなく、そ
の伏線によって生じた「別の事件」だからだろうね。今回の事件によっ
て、過去の伏線の解消は為されたが、今回の事件そのものが生んだ新た
な葛藤の根が今後に持ち越されている。

抱擁で決着するのは対立それ自体の調停だけであって、対立に至るまで
の葛藤自体は、たいがいなおざりにされてしまうものなのだよね。俗な
言い方をするなら、「抱いてうやむやにする」というやつだ。うやむや
にするからには、葛藤の根はそのままキャリーオーバーされてしまう
のだ。

レイちゃんという媒介者がいたことで、うさぎは亜美ちゃんの気持ちが
ほんの少しだけわかったし、亜美ちゃんもほんの少しだけうさぎとの距
離を詰めることができた。その一方で、互いを理解し合う過程で刺さっ
た諍いの小さな棘は、心の秘やかな深奥に放置された。

この棘を抜いて、ある程度の完結したカタルシスを今回のエピソード内
で与えるのであれば、亜美ちゃんが自力で何らかの解答を出すという明
確な形に持っていくか、うさぎが自らの過ちを認めて亜美ちゃんを慰藉
するか、どちらかの形であったほうがスッキリしたと思うんだな。

「私はあなたをうさぎちゃんと呼ぶ」という意志的な言葉になってさえ
いれば、その後のうさぎのリアクションがまったく同じでも差し支えな
い。亜美ちゃんが自身の力で答を見出すことで、少しだけ救われたとい
う印象は格段に違っただろうと思うんだ。

そこは明確な言葉のやりとりで語ってほしかったところだ。セリフで語
るべきところと語らざるところのバランス感覚は人それぞれだから、こ
こはベタでなくてよかったという人もいるかもしれないが、少なくとも
オレの感覚では、ここはセリフの芝居場だと思う。

「お水とってくる」の場面で、具体的なセリフのやりとりによる劇的な
行き違いの芝居場を設けただけに、もう少し力強いセリフの噛み合いで
行き違いの解消を描いてほしかった。そう望むのは、オレがこの少女た
ちの物語に、愛情ゆえの優しさを求めているからかもしれんな。

まあ、オレが求める「優しさ」というのは、行き違いが解消される芝居
を明確なセリフで語ってやることで、亜美ちゃんが少しでも救われたと
視聴者が信じられることなんだな。亜美ちゃんがそれと知らずに心に棘
を残したまま、宙ぶらりんな形で終わるのが、ちょっと耐えられないん
だよ。

そういう意味では、視聴者に対する優しさなのかもしれないし、それを
登場人物に対する優しさと言い換えても、大きな意味では変わらないと
思う。亜美ちゃんに対して、セリフで語ってちゃんとわからせてやって
ほしい、彼女がちゃんとわかったということを、オレたちにもわからせ
てほしい、という優しい物語を求める気持ちなんだね。

二〇分間の物語で、物語が物語として在るために、愛すべき少女を散々
笑い者にしていじめたわけだから、そのくらいの救いがほしいよね、と
いう情緒面の差し引き勘定の話なんだよ。この種の勘定は、いくら細か
く計算しても、きっと過不足が生じるものなのだろうし、人それぞれ受
け取り方も違うだろうから、このくらいにしておこうか。

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