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Act.6 …神話怪人かよ。

なんつか、オレ的には今市市今市だったな。といって、どこが悪かった
という不満も見当たらないので、先週同様個人的な引っ懸かりの問題だ
とは思うんだが。

多分、いちばん醒めたのは、脚本だの演出だのというドラマづくりのテ
クニックの部分ではなく、ストリート系の不良が出てくる辺りじゃない
かと思う。

オヤヂの偏見でものをいうと、今時のああいう輩は悪質犯罪者と近似
ので(木亥火暴!!)、全体としては少女マンガ的な筋立てなのに、そこだ
け現実の犯罪者予備軍が(だから偏見だってば)出てくるのが、風俗的
な「てにをは」が合わなくてちょっと気持ち悪かったんだろうな。

同じ話でも、「他校のアコガレの先輩」みたいな道具立てなら、こうい
う気持ち悪さを覚えなかったと思うんだが、現実問題として校内の話に
するとお金と手間がかかりすぎちゃうんで、低予算実写番組生え抜きの
ホン書きとしては、習い性で自動的に避けてしまったんだろうな。

ここは、多少絵面がしょっぱくなってもかまわないから、体育館やグラ
ンド内の話で完結させてほしかったところだな。もしくは、不良たちを
校内のヘタレな鼻つまみという設定にするんでもよかったろう。

「あっ、あいつら高等部の○○だ、性格チョー悪くて最悪〜」みたいな
処理で構わなかったんじゃないかな。

最初にうさぎが不良たちに搦まれる場面でも、ああいうノリの不良だと
ナイフで脅したりスタンガンで麻痺させて拉致したりっつーシャレにな
らない連想がついつい働いてしまう(木亥火暴!!)。

普通の学園ドラマなら、ナンパな不良が男前の女子中学生に叩きのめさ
れて「覚えてろ」でちっとも不自然じゃないんだが、「見た目よりお子
ちゃまな不良で運が良かったなぁ」と要らぬ心配をしてしまった(笑)。
これはつまり、ああいうノリの不良たちが、しかも「校内の人脈」では
なかったからだな。

学園物のリアリティでは、女の子に袖にされた恨みからニセ手紙でおび
き出して笑い物にするくらいでも十分悪い奴に見えるんだが、それはあ
くまで「学園」という結界内のリアリティなんだよね。一歩学園の外に
出ると、あまりにも無思慮で衝動的な暴力や、逆に大人顔負けの悪知恵
を働かせた悪辣な「少年犯罪」が、現実世界には溢れ返っている。

一般の学園ドラマでも、ナイフをちらつかせる類の危険な不良は出てく
るけど、それは「学園という結界」の外部にある「怖い現実」の形で表
現されていて、校内の人物が校外の不良との交流で危機を迎えて…とい
う境界線上の物語として表現される場合がほとんどだ。

たとえば女子高生が主人公だった「仮面天使ロゼッタ」では、こうした
学園という結界も校外との境界も、まったくといっていいほど描かれな
かったからこそ、「学園ヒーロー物」という側面が表れず、「女子高生
がたまたまヒーロー」という性格の物語となったのだと思う。

そういう物語であれば、シャレにならない現実世界の怖さや汚さが正面
きって描かれていても、まったく違和感はない。単にそれは学園ドラマ
ではないというだけの話だから。

学園の外にも女子高生はいるのだし、そして、学園の外にいる女子高生
は、現実の怖さや汚さの一側面を形成してもいるからね。そして、学園
ドラマとは違うリアリティで、学園内のドラマを描くことだってもちろ
ん可能なのだ。

だから、たとえば何かが問題になるのだとすれば、それが学園ドラマで
あるにもかかわらず、学園ドラマとしてのリアリティが成立していない
場合や、学園ドラマのリアリティから醒める瞬間がもたらされた場合に
限られるだろうと思う。

なので、学園物と現代風俗の折り合い、現代的センスとファンダメンタ
ルな少年少女物語の舞台設定との、ほどほどの一線をキープする仕掛け
は、学園ドラマのリアリティを決定する重要なファクターだと思う。

とくにセラムンは、よくある学園ドラマのように「どことは特定してな
いが、多分東京市部の田園都市」という「人口密度が薄くて地理的な孤
立性の高い」と仮構できる舞台設定ではなく、「この現実とはちょっと
違う少女マンガ空間における港区麻布十番」という微妙な設定なので、
その辺の匙加減は難しいところ(笑)。

いずれにせよ地方局制作でもキー局が全国配信するドラマである以上、
「東京」もしくは「首都圏」が舞台となるのは宿命なのだが、「麻布十
番」ではあまりにど真ん中だよな。それが少女マンガ空間であることは
わかっていても、「東京の麻布十番」という記号は、あまりにも結界と
しての地理的な閉鎖性や孤立性が薄い。たとえ画面上に表れたその「麻
布十番」が赤羽や池袋だったとしても(木亥火暴!!)。

そういう、結界としての性格が弱い記号上の土地に、非常に現実的な見
かけの不良を置くことで、今回のようなきわめて少女マンガ的なリアリ
ティの物語から一瞬醒める瞬間があったんだな。一般的な学園ドラマで
ああいう形の「校外の不良」が出てきた場合は、結界外部の社会的な歪
みの象徴として「本当に悪い人たち」であることがお約束だからね。

本来的な学園ヒーローもののリアリティなら、ニセ手紙でおびき出して
笑い物にする程度の不良たちの可愛い悪事と、アヤシゲな術で拉致した
女の子のエナジーを喰い物にする妖魔のシャレにならない悪事を対照さ
せることで、未熟さゆえの心の次元で許されない悪事と、意志的に目論
まれた絶対的な悪事の対比が際立ち、日常の裏面に潜む「悪の組織」の
脅威が、「子どものごっこ遊び」とは違う次元のリアリティで成立する
んだと思う。

しかし、なんつーか、特撮ヲタのオヤヂの感覚からすると、悪の組織に
拉致されてエナジーを吸い取られるよりも、その辺の不良にラチられて
工事現場とか廃工場とか山ん中で輪姦されるほうが、よっぽどシャレに
ならなくてイヤだ
と思う(木亥火暴!!)。

まあ、不良少年の悪質化という犯罪形態は大都市に特徴的な現象だろう
とは思うから、大多数の小都市や小市町村の視聴者のリアリティでは、
ストリート系のスタイルがただちに悪質な少年犯罪を連想させるわけで
はないと思うんだけどね。むしろ、田舎でああいうオサレな恰好してる
子どもたちは、中央のファッションに憧れるほどほどに不真面目で社会
的には無害な子どもたちなんだとは思う。

また、不良たちにリーダーを「シュンちゃん」と呼ばせたりして、少し
子どもっぽい不良というニュアンスは残しているし、「こいつらは結局
ヘタレなお子ちゃまなんだよ」という、キャラ描写上の目配せが十分で
はなかっただけだとは思う。

そのせいで、バスケの試合でコテンパンに負かされることが、こいつら
にとっては、痍附いたまこちゃんの気持ちに釣り合いのとれるだけのダ
メージになるような見え方になっていないのが、ちょっと溜飲の下がら
ない部分なんだけどね。

また引いては、このバスケ試合に、まこちゃん本人が為し得ない心の敵
討ちを、義に感じた仲間たちが代わって行っている、というほどのカタ
ルシスがないために、まこちゃんがマジモンのピンチに陥っている間、
三戦士がつまんないことで遊んでいるようにも見えてしまう。ここが本
当に痛快なカタルシスになっていたら、クライマックスで話がバラけた
ような印象にはつながらなかったような気がするのだが。

つまりは、そこも不良たちのキャラ設計がちょっと違っていたんではな
いかと思うんだ。あんな不良たちでも、バスケの腕にだけは自信がある
ような描写や、バスケだけはマジでやっているような雰囲気、そうした
要素があれば、3on3の試合で負かされることに意味が出てくる。妖
魔退治に比べれば大したことはない乙女心の意趣返しにも、等分の重み
が出ていたろう。

現状では、まこちゃんがこの試合のことを知らないだけに、少女たちが
試合に勝つことに意味があるのか、不良たちが負けることに意味がある
のか、イマイチはっきりしない。基本的に、少女たちは携帯アイテムの
魔法の力で勝負しているので、勝つことそれ自体には意味はない。

しかし、不良たちが負けることにも意味が出ていないので、結果的には
未覚醒のまこちゃんがヤヴァイ状況に陥っているのに、先輩戦士たちが
魔法の力で遊んでいるような散漫な印象になってしまっている。

こういう個人的な引っ懸かりの部分を除けば、ガヤ+ガイシュツキャラ
総登場編であるにもかかわらず、人物の出し入れもスムーズで、ある意
味アニメで馴染んできたセラムン無印の世界観に最も近い雰囲気を実現
した好編ではあったね。ネフライトとジェダイトの嫉妬心を煽って競争
させているベリルの女王様ぶりも、短いセリフでよく表現されていた。

物語要素は、それこそ三〇分番組で描けるギリギリのヴォリュームの内
実を盛り込んでいてとくに散漫な印象もなく、演出技倆もそれに応えて
いて危なげがない。もっとも、先週の予告にはあったカットが目立って
削られているので、編集段階でかなりの取捨選択が必要とされたんだと
は思うが。

とくに、予告にあった「うさぎがまこちゃんにリップを塗ろうとして、
まこちゃんが拒む」
というカットは、予告でも長めに紹介しているくら
キャラ描写上重要で、捨てたのは惜しかったけれど、他の部分でも表
現されている事柄なので捨てたのだろうね。うさぎがまこちゃんを引き
回すシーンのテンポを優先したのかもしれないけれど、こういう部分を
含めての監督の判断だから。

こうしてローテの二話をまとめて観てあらためて感じるのは、舞原監督
の感覚としては、細部の描き込みと全体のバランスを天秤にかけた場合
は、絶対的にバランスを優先するということだな。「ここは重要な場面
だから、全体のバランスを崩してでも」あるいは「そこを起点にして全
体のバランスを設計」ということはないような気がする。

視聴者が番組を観ている間中、平均的に楽しめることを優先して作品構
成を考えているような気がするね。メリとハリ、見せ場とダレ場の計算
を全体の流れのなかで評価してくれるような観客を期待できないテレビ
ドラマの演出家としては、それが正解なのかもしれない。

心配された安座間の棒読みも、予告のセリフ以外ではそれほど気になら
なかったし、まあ棒読みということでは次回も(木亥火暴!!)。数カット
の決めポーズを観ただけだと、ノッペリと無表情に見えた安座間の柄だ
が、無表情は無表情なりに意外に面白い表情の動き方をする。

これは、それなりに出来た芝居の動きのなかで十代の少女のリアルな情
感の輝きが見え隠れするという沢井やハマチの見え方とは違って、純粋
に素の安座間の柄の面白さというだけの話だとは思うが(木亥火暴!!)。

とにかく、女が男をグーで殴ってあれだけ様になるのは、「ベルサイユ
のばら」のカトリオーナ・マッコール以来だと思う(木亥火暴!!)。カト
リオーナ・マッコールの場合は、そこしか女優としての見所がない辺り
が、将来的な不幸を予言していたりするのだが(木亥火暴!!)。

こういうガールズ特撮では、主演陣の割合としてどれだけ「ハズレ」が
少ないかが視聴動機に直結する要素だと思うのだが、下馬評的には唯一
の不安要素と目されていた木星の中の人がそれなりに魅力的であること
は、番組全体のファンとして嬉しいところではある(笑)。

もちろん、生身の役者が演じる以上、アニメやセラミュのまこちゃんと
は違うキャラになっているので、うさぎが屈託なく甘えられる母親的な
役柄としてのまこちゃんを期待していいのかどうかはまだ未知数だが、
実写版のうさぎは甘えん坊ではないので、そうはならない気がするね。

うさぎは今回のエピソードでも、地元の十番商店街を引き回して転入者
のまこちゃんを馴染ませるという、東京で居を転々としてきた人間には
有り難みの実感できる役割を演じている。

その一方では、まこちゃんの心奥にあるジェンダーのコンプレックスに
は無神経で、「男らしい」を連発してたりする辺り、これまでのうさぎ
像にあった正負の要素が一話のなかで余すところなく表現されている。
今週から少し前髪を揃えて眉を出しているのが、さらに意志的な表情に
見せているしね。

ポジティブな側面もネガティブな側面も引っくるめて、われわれ視聴者
は、主人公であるうさぎを、このようなものとしてすでに受け容れてい
る。そして、痍付いたまこちゃんの気持ちを労る言葉を発し、憤るうさ
ぎとその義侠に感じて共に立つ仲間という構図は、スケバン刑事などに
も見られる武侠小説的な醍醐味だね(木亥火暴!!)。

まあ、その報復行動が、与えられた被害に見合っているかどうかは前述
したとおりだが。

そして、まこちゃんの覚醒に至る流れを、ピンチに陥ったまこちゃんの
心象風景のなかに変身したムーンが割り込んでくる形式としたことは、
不可思議な感動とヒロイズムを実現しているね。神話怪人(笑)に襲われ
たまこちゃんを見捨てて逃げるタケルの姿に、過去の孤独の履歴がダブ
り、その回想中に直截変身したムーンが現れ、変身ブレスを与える。

ここはうさぎ視点ではなくまこちゃん視点で、変身した姿でムーンが現
れ変身アイテムを与えるという、最高にヒーローらしい演出になってお
り、まこちゃんの孤独に直截解答を与える形で出現しているのが非常に
ストレートで強い感動を生む。

ただ、この扱い方では、レイちゃんの覚醒のときよりも、もっと直截に
予定調和の過去解釈が語られている。自分たちが「仲間『だった』」と
いう決定論でまこちゃんの孤独を埋め合わせている。これは、レイちゃ
んのディレンマの場合よりも全然知恵がない解決だ。

そこがオレ的には少し気に入らない部分ではあるが、これまでに三人の
戦士が揃っていることで初めて醸し出される華やかなイベント性によっ
て、それが気にならない呼吸にはなっていると思う。

また、それ以外にも、亜美ちゃんやレイちゃんに比べて、まこちゃんが
孤独を感じている理由が漠然としすぎているという嫌いもあるだろう。
たしかに、ここで描かれたような状況で同じような孤独を抱えている人
は、現実にも大勢いるのだろうし、人が現実に感じる孤独にわかりやす
い唯一つの原因などないのかもしれない。しかし、物語はそれではいけ
ないのだと思う。

まこちゃんは、両親に死に別れたから孤独なのか、大女で女の子として
見てもらえないから孤独なのか、暴力的な人間だと誤解されているから
孤独なのか、それとも男運が悪いから孤独なのか、この辺がアニメより
もさらに漠然としていて、一つに絞りきれない。そして、これらの近い
ようで実は雑多な諸要素が、何らかのストーリーで有機的に結び附くの
かどうかも、現時点では定かではない。

視聴者としては、まこちゃんのどのような部分に共感して孤独を分かち
合えばいいのかわからない。どのような孤独によって規定された人物な
のかが把握できない。アニメのまこちゃんは、この辺の要素を整理して
男っぽい見かけの割に女らしくて惚れっぽく、つまらない男によく引っ
懸かっている人物としてそれなりに統一感を出していたが、少なくとも
今回の描き方では、それほど単純化したストーリーでは語られていない
ような気がする。

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