« Act.8 三重の物語 | トップページ | Act.10 月は無慈悲な夜の女王 »

Act.9 テクニカルなボディ

たかまるショックで先行きが心配された鈴村演出だが、とある事情で初
見の際に音量をしぼって映像だけを追っていたところ、これはこれでか
なり良いんじゃないかと思えた。普通に観ていたら、気附くのにけっこ
う時間がかかったかもしれないので、結果的にはながら見で正解だった
ような気がする。

カメラワークの流麗さはこれまででいちばんだし、比較的ディゾルブ
多用した編集も「なんでもディゾルブ」というコッポラ方式に陥ること
なくリズミカルで効果的なつなぎとなっていた。冒頭からの導入をディ
ゾルブでつないで、フルショットから短い時間で状況説明、展示された
宝石まで一気に視聴者の視線をリードする手法はハイレベルだ。

ここで「ハイレベル」と一口に言ってしまったらコメントが終わってし
まうので、ここはキネ旬やシネフィル向けの映像本よろしく、今回駆使
された技法をしばらく逐次的に追ってみよう。

まず冒頭で、宝石の前に子どもを置いて、暗転した一瞬の間に盗まれた
宝石にリアクションさせるのも気が利いているね。もっともこれは脚本
にあるのかもしれないが、その子どもの驚きのリアクションを受けて、
衝撃の表現としてコマ落としのトラックアップ、ディゾルブしてタキの
疾走、翻したマントを利用したワイプで月野邸につなぐまでの一連は息
も吐かせない。

続く月野邸での一連から、役者の動きとカメラの動きを連動させて構図
をつくり、芝居の流れをつくる、黒澤張りのカメラワークが始まる。

バンクではあるが、ローポジ・ハイアングルの外観ショットで逆光を入
れ込んだ「早朝」の時制説明をこなし、洗い物をする手許にカットして
「家族の食事が終わったこと」を説明し、流しに向かう育子ママの正面
という普通あり得ないカメラ位置を措定することで、うさぎの動作を待
ち受けるカメラ。

なかよしルナ(笑)を連れて出るうさぎのフルショット、テレビを点けて
愛野美奈子の話題(中略)タキの声明文から池袋西口公園(笑)にカット
して「世間への流布」というポイントを押さえ、戻ってくると育子ママ
の魚眼ショットのリアクション、セリフを話す育子ママを追ってパンし
てうさぎのリアクションを押さえ、育子ママフレームアウト、残ったう
さぎが「ルナ…」と呼び掛けると、カットしてルナのアップ。ルナ「大
変だわ」。カットしてクラウン外観へ。

クラウン内の作戦会議のシーンも、ネットの掲示板を覗くと、日頃カメ
ラワークやカットワークに注目して観る習慣がないと思われる一般視聴
者から「あそこ、うまかったねぇ」という意見が出ているくらい、上手
い見せ方となっている。

まずモニターを見詰める四戦士をトラックワークでナメて動きで構図を
つくっていき、セリフの流れにしたがってテーブルを回り込んだり、芝
居のテンポとカメラの動き・カットワークを連動させ、トラックショッ
トとパンニング、カットバックを効果的に使い分けている。歌わせるべ
き芝居のカットでは、役者の動きを予め計算してフレームを切り、最も
効果的なアングルを決めたカメラが、動作の頭から構えて待っている。

回想シーンでフレームをボカすような効果を附けるのは田崎監督もやっ
ているが、色調の彩度を落としてディフューズをかけるほど凝っている
のは鈴村が初めてだと思う。フィルムの用語でいっているが、もちろん
これは便宜上の表現で、全部デジタルワークなのはいうまでもない。

例の「し〜ん」のギャグ場面も、カメラワークとカッティングに限って
見てみれば、映像のリズムが非常に心地よい。マイクを取る一瞬のイン
サートカット、急激にフレームインするローポジ・ハイアングルのバス
トショットから、カットしてアイポジのクローズアップ、カットして口
許のアップをインサートし、アイポジのバストショットへカットして、
ズームバックでフルショットからパンダウン、そこで「し〜ん」。

独り芝居の幕がハネてうさぎが秘密基地を去るところも、階段上でうさ
ぎのセリフと芝居をカメラが待ち、セリフを言い切った時点で駆け足に
なって、駆け足の途中で切り替えて階下からのバックショットにつなぐ
のは、溶暗へのきっかけづくりだ。そして、暗転からセレニティの夢に
つなぐのは、闇から夢へのつながりで感覚的に自然なカットワークとい
えるだろう。

暗転した時点からセレニティの声が響いて、一拍遅れて逆光でシャロウ
フォーカス
のセレニティのショットにフェードイン。「お願い…」のエ
コーのかかった語尾が消えるか消えないかのタイミングで、刮目する衛
の目許のクローズアップへカット。カットして、起き上がる衛をトラッ
クショットで追いながら回り込んで、手前のシルクハットとドミノマス
クにピントを送りつつナメる。

セリフあって歩み寄り、タキ衣装を手に取ると、カットして床に落ちる
うさぎのハンカチ。流れ出す甘い劇伴。「ディゾルブして」回想へ。回
想終わり。「カットして」ハンカチを拾う衛の手、カットして衛の思い
入れしばし。劇伴終わり。

回想への入りがディゾルブで出がカット、というのはうさぎの場合も衛
の場合も同じで、回想一般の真実の表現だけだとしたら、拘りの範疇の
事柄で普通の視聴者はだれも意識しないだろう。ただ、ディゾルブで回
想から抜けると、衛の思い入れが場面転換してダークキングダムへ移行
するための「タメ」にならない。

その回想も、同じ場面をうさぎと衛の視点で別々に編集して入れている
という凝りようだが、初見でそれに視聴者が気附くわけではない。しか
し、ここを同じ場面でありながら互いの視点に編集することで、うさぎ
と衛がお互いに等分に惹かれ合っていることの目配せとしている。

場面転換して、SEでダークキングダム外観へカット、劇伴変わってベ
リルのアップへカット。ここで気附くのは、今回の場合、重要なショッ
トは板附きではなくカメラが待っているか、フレームイン、フォーカス
イン、フェードインで入ってくるということ。カットしたら、そこに重
要なショットが映っている、ということはまずない。この場面でも、外
観からベリルのバストアップへつないだ瞬間、目立たない程度に照明が
連動している。

試みに他の例を列挙してみると、冒頭のタキは、宝石の盗まれたガラス
ケースへのコマ落としのトラックアップにディゾルブする形で現れ、神
出鬼没の手際と疾走する怪盗の姿が重ね合わせられる形で表現されてい
る。一方、うさぎのほうは、育子ママの芝居を押さえつつドアを開けて
入ってくるうさぎとルナを「待てる位置」にカメラが据えられていて、
ちらし髪のパジャマ姿で入室してくるうさぎをとらえている。

クラウンに四戦士が集う場面でも、外観からカットするとすでに手前の
亜美ちゃんと奥手のまこちゃんをナメながらカメラが動いている。普通
の言い方をすれば、カット頭をセットポジションとしてカメラが動いて
いるのではなく、カメラが動き始めた後にカット頭を設定している。

そしてカメラの動きは亜美ちゃんを回り込みながら奥手のまこちゃんの
正面を押さえ、最前景にレイちゃん、その背後にうさぎをとらえた地点
で停止する。レイちゃんを最前景に、亜美ちゃんを前景、まこちゃんと
うさぎを後景にとらえて三重の奥行きの構図を動きながらつくっていき
重要人物が次々にフレームインしていく。

うさぎが見詰める窓の外からフレームインしてくるなるちゃんについて
は今さらいうまでもないが、あんまり触れたくない成田物産社長の登場
場面でも、まず成金趣味丸出しの指輪を填めた指とぶっとい葉巻のイン
サートカットを入れてから登場することによって、端的に人物類型の紹
介を済ませている。

まあ、この調子でEDまでテクニカルなフォローをしていたらキリがな
いので、この辺にしておくが、ことほど左様に今回は、カメラワークと
カットワークが断絶を感じさせずに視聴者の興味を強力に牽引し、併せ
て芝居のリズムまでつくり出している。

こういう流麗なカメラワーク、カットワークが、視聴者の無意識に働き
かけて生み出す映像のリズムの快感は、たしかに映像作品ならではのも
のといえるだろう。

当たり前に考えれば、カメラワークは撮影監督、カットワークはエディ
ターの領分だが、エディターは複数のチーム制のようだから、監督以外
の特定個人の技倆を云々するだけの情報はないし、こういう体制ではど
ちらかといえば各回演出者の裁量が大きい分野のように思う。

対して、撮影監督のほうはAct.7 以降ベテランの松村文雄から上赤寿一
に変わっている。しかし、Act.7およびAct.8でそれと気附くほどに日頃
の田崎作品のルックやリズムと変わっていないのは、細かく具体的なコ
ントロールを及ぼす田崎監督の資質によるものかもしれない。

なので、今回の流麗なカメラワークが鈴村監督の資質によるものか、本
来的な上赤撮監の技倆なのかは、部外者に断定はできないが、オレの勘
では、演出と撮影技法が滑らかに連動して効果を挙げていることから、
テクニカルな計算と全体の技術的組立の部分は鈴村監督の資質が活きて
いるのだと視ている。少なくとも、鈴村監督にはテクニカルな領域で的
確な指示や提案ができるということだろう。

うるさいくらいにSEを入れているのはたかまると同じでも、計算とメ
リハリが効いているので、たかまるのときと違って気にならない。書き
文字の「し〜ん」はともかく、「サッと来てサ〜」とか「メガネきゅっ
きゅっ」とか「ガンガン行かなきゃ」などのSEも、フキダシ効果や押
し出しワイプなどのバラエティ的な演出も、中盤のドタバタシークェン
スに入ってから積極的に入れていて、序盤や終盤のシリアスシーンでは
ちゃんと調子を変えている。

そういう意味では、三〇分、目を皿のようにして観ていても、テクニカ
ルな部分に死角はない。脚本の読解、芝居の附け方を観ても、脚本の意
図を演出が損ねているような部分は見当たらない。こんなときだけ霊感
を頼る成田にレイちゃんが不快感を感じる芝居でも、亜美ちゃんに切り
返して亜美ちゃんの視線を下げさせ視聴者の視線を誘導してから、レイ
ちゃんがスカートを掴むインサートカットを入れている。

道半ばでファイズを外された悔しさからか、鈴村展弘初演出回のこのエ
ピソードには、最後の最後のカットに至るまで緊張感が持続しており、
どこも間違っていないという意味でよくできた作品となっている。

ただ正味な話、今回のエピソードがおもしろかったかといえば、それこ
「可もなく不可もなく」としか言い様がない。また、それでいいのだ
といえないこともないが、たとえばAct.7 のような中身のない話でも、
回転する鏡のミラーショットを入れてチャームをつくる田崎監督には、
見識の点で一歩を譲る感は否めない。この辺が「なんか中途半端」「所
詮は総集編監督」という鈴村評につながる、イマイチな点だろう。

それでも今回の話、印象が弱いのは鈴村演出のせいばかりとはいえない
だろう。とにかく、タキの声明文のせいで日本中が大パニック、という
割には話がなさすぎた。クライマックスでも、タキを見附けて暴走した
うさぎと、ネフを追う亜美・まこの戦闘がスプリットして、そのまま終
わっちゃってるし。普通に観ていると、「あれ、もう終わり?」という
呆気なさがあった。話の仕掛けが、タキの暴走に載っかったネフが、鑑
定士に催眠術をかけて横取りを目論む、というのは単純すぎだ。

邪推するなら、前回までの詰め込みすぎ感は、問題のAct.5 当たりから
始まった傾向で、それから一カ月くらい後の今回のAct.9 には、現場か
らのフィードバックがあったのでは、とも思える。先週までとは打って
変わったこの単純さは、三〇分で描けるセラムンらしい内実のボリュー
ムを模索する試みの一環かもしれないね。

次回予告や公式サイトの記述を見ると、次回はレイちゃんの過去話に絡
めてセーラー戦士の真実が語られ、クインベリルの出動と四戦士潰滅の
危機まで描かれるようで、今週とはガラッと変わった大ネタの連打にな
る予感。

これまでの小林脚本どおりだと、緊密な構成ながらこれほど多くの要素
を有機的に語ろうとするあまり、演出に過剰な負担がかかる脚本となる
懼れが多分にある。まあ、今回のホンを見る限り、軌道修正の意識はあ
りそうだが、万が一従来どおり詰め込みすぎの難易度の高いホンとなっ
た場合、鈴村演出の真価はそこで問われるんではないかと思う。

Act.7Act.8 の惜しい部分を超えることで、田崎演出の域に迫ること
も、満更夢ではないだろう。

さて、脚本に話が及んだところで、今回のエピソードでいちばん引っ懸
かった点を挙げると、ラストでまこちゃんがうさぎを責めるところ。

たしかにうさぎは、任務を放り出して勝手に暴走し、人違いと気附かず
にタキを救うためにかえって自分が危地に陥り、あまつさえネフと二戦
士の戦いとは最後までスプリットしたまんまだったわけで、だれかが叱
る必要があった
のだろうが、それがまこちゃんだというのが腑に落ちな
いんだな。

まず一旦うさぎをまるごと受け容れるという一般的な木野まこと像を離
れていっても、これまで番組で描かれたまこちゃんのあり方は、たとえ
ば「親子は仲良くすべき」という筋を離れてレイちゃんの気持ちを大事
にしたように、筋目よりも相手の気持ちをまず大事にするキャラとして
描かれてきたと思う。そもそも登場回であるAct.6 で妖魔に対して憤っ
たのも、妖魔がタケルに憧れる女の子たちの気持ちを嘲笑ったからだ。

そういうキャラであるまこちゃんが、たとえ相手が世間的には泥棒で、
戦士たちにとっては敵であれ、何度も危機を救われた相手を想ううさぎ
の気持ちを、一方的に「禁止」するのは納得できない。

Act.7 のラストでレイちゃんと対立したのも、タキに憧れるうさぎの気
持ちをレイちゃんが「くだらない」と一蹴して憚らなかったからだ。ま
こちゃんの行動原理のプライオリティは、他人から見てどんなにくだら
ないものであれ、今現在の当人の気持ちがいちばん大事、それを踏みに
じるのは許せない、というものではなかったか。

しかし、一方ではあの場面でうさぎを叱れるのは、背理的にいってまこ
ちゃんしかいなかったという事情もある。レイちゃんは、自身の生い立
ちにまつわる抵抗から、今回の作戦には参加しなかったという負い目が
あるし、亜美ちゃんとうさぎの関係性のなかでは、うさぎを諫めるとい
う選択肢はない。残るのはまこちゃんだけなのだが、それがあまりにも
便宜的にすぎるという気がするんだね。

あの場面で意志表示しなかったとはいえレイちゃんにとって、愛だの恋
だのはいずれ冷めるもので、眼前の危険性と比較すればハナから考慮に
値しない、そのうえでまこちゃんが頭ごなしに禁止し、亜美ちゃんが理
解を示すという三者三様の対照が表れてしまった。これはあまりうまく
なかったのではないかと思う。

なぜなら、まこちゃんがうさぎとタキとの接近を禁止したのは、単に
の場面でレイちゃんと同格でうさぎの行動を諫められる立場にある人間
が他にいなかったから
で、まこちゃんならそうして当然だからではない
からだ。そうした便宜的な立ち位置が、三人の少女のうさぎに対する立
ち位置の対照として描かれてしまうと、本来そうあるべきではない事態
が、現時点での本質として固定されてしまう。

だとすれば、この事態をこれまで描かれた木野まこと像とすり合わせる
ために、今後更なるイベントを設ける必要がある。たとえば、今回うさ
ぎがタキに惹かれていることに真っ先に気附いたのはまこちゃんだが、
それと「てにをは」の合わない「禁止」の辻褄を合わせるためには、今
後うさぎとタキとの関係を進めるうえで、まこちゃんが真っ先に理解を
示し、仲間たちに働きかける
というアクションが必要だろう。

こうして、また一つ小林靖子は忘れることが許されない宿題を抱えたわ
けだ。Act.5 のうさ・亜美の衝突のツケは未だ払われたようには思えな
いし、いかにうねりながら互いの関係やキャラクターが変化し、成長し
ていく物語とはいえ、複雑さを増していく物語世界に、小林靖子は円満
な解決をもたらすことができるのだろうか。

|

« Act.8 三重の物語 | トップページ | Act.10 月は無慈悲な夜の女王 »