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Column 小林靖子における人物造形の類型

さて、今後セラムンのレビューを進めるにあたって、ここでオレ個人が
抱いている小林靖子の物語作法についての考え方を明らかにしておいた
ほうが、話がスムーズに伝わると思う。

それというのは、小林靖子がシリーズ構成を担当したスーパー戦隊であ
るギンガマン、タイムレンジャーを視ると、今のセラムンに通じるよう
な人物造形の類型が見て取れて、煎じ詰めると小林作品に特徴的な人物
類型の引き出しもそこに凝縮されるのではないか、そのバリエーション
なのではないか、ということ。

順序が後先になるけれど、これぞ典型的な小林戦隊といえるのは、後述
するような事情でタイムレンジャーのほうではないかと思う。タイムの
キャラをそれぞれ機械的にセラムンのキャラになぞらえてみると、うさ
ぎが竜也なのはいうまでもなく、以下、レイちゃん=アヤセ、まこちゃ
ん=ドモン、亜美ちゃん=シオンでそれぞれピッタリくる。

残るユウリが美奈子なのかどうかは、本編中に彼女が登場してみないと
わからないうえに、セラムンにおいては、ピンクに相当するポジション
が「紅一点」ではないという個別事情がある。さらに、小林戦隊におけ
るピンクキャラは、類型から外れたジョーカーだという特殊な事情もそ
こにある。

これを逆にいえば、小林靖子の主役級キャラの引き出しには、四人の青
年プラス「六人目」キャラの男性五人があり、「紅一点」キャラの造形
には毎回苦慮しているということになるだろう。

ギンガマンとタイムレンジャーの人物類型を比較してみると、リョウマ
=竜也、ハヤテ=アヤセまでは異論の出ないところだろうが、ゴウキと
ヒカルの扱いが微妙になってくる。一見して判断すると、戦隊において
色と関連付けられている類型がギンガマンでは若干違うので、ゴウキは
イエロー、ヒカルはグリーンに相当するキャラのように見える。

では、タイムとの類型比定でいえば、ゴウキ=ドモン、ヒカル=シオン
ということになるのか。いや、そうではない、これは逆でなければなら
ないとオレは思う。つまり、ゴウキ=シオンで、ヒカル=ドモンなのだ
が、たまたま外面的な属性が入れ替えられているのだと思う。

ヒカルは、たまたま外面的な属性が最年少の少年と割り振られたドモン
なのだと考えればしっくりくるし、ゴウキもまた、たまたまゴツい肉体
の年長者の属性を割り振られたシオンだと考えたほうがわかりやすい。
たしか、実際の役者の年齢も、ヒカル役の役者は年長の部類であったと
記憶しているので、二重の虚構要素となっている。

それゆえに、本来ブルーに相当するハヤテと衝突するのは、ゴウキでは
なくヒカルの役回りになっており、しかもアヤセとドモンのように対等
の大人同士の衝突ではなく、年長者の圧迫に年少者が反撥するというア
レンジが加わっている。しかし、その場合にもヒカルはナイーブな少年
というより、ふてぶてしい八方破れの悪戯小僧の相貌を見せており、も
しもアヤセとドモンに年齢差があればかくもあろうと想像させる。

つまり、ハヤテとヒカルの対立は、年長者対年少者の世代間の確執の見
かけをとっているが、本来的には人物類型上の対立がその本質なのだと
オレは思う。

このようにギンガマンにおいては、通常の戦隊では人物類型と関連附け
られる個人色のインデックスが混乱しているという事情が最初にあり、
さらにイエローとグリーンに相当するキャラは、外面的な属性が入れ替
わっているという複雑な捻りが加わっている。

時系列で言うと、ギンガマンのほうが先になっているので、これが類型
のアレンジであることはわかりにくいが、タイムレンジャーでは、素直
に直球の類型配置となっている。

レッドはポジティブ派の熱血青年で、ブルーは翳りのあるクールな二枚
目、グリーンはシャイでナイーブな少年で、イエローは三枚目的な気は
優しくて力持ちという、色も人物類型も王道直球の戦隊キャラだ。

タイムで転倒しているのは、だれでもわかるとおり「紅一点」のタイム
ピンクがリーダーだという一点だろう。ここでも一応の捻りは加えてあ
るわけだ。

さらに、レッドのドッペルゲンガーであるリュウヤ隊長が未来の世界で
すべての黒幕として糸を引いているという、縦糸にも絡む捻りを加えて
あるのが、小林靖子らしいところだ。もっといえば、ギンガマンではゴ
ウキに割り振られていた一般人との恋愛が、タイムレンジャーではドモ
ンに割り振られているのも、さらに複雑な事情ではある。

ギンガマンの複雑な捻りを王道的にデコードする手続のなかで、個別の
要素がねじれた形で継承されているわけだ。

また、いつの頃からか恒例となった「六人目」についてだが、これを類
型で括ろうとするのは無理があるだろう。あえてその属性を挙げれば、
まさしく「アナザーワン」としか言い様がない。同程度以上の能力を持
つが、五人のヒーロー集団に加わらない独行する男、という以外に共通
項はないが、小林靖子の仕事を視ると、ここで苦労している節はない。

戦隊的な人物類型に当てはまらないヒーロー像の引き出しを、まさしく
戦隊に加わらない六人目として表現していると見られ、むしろ伸び伸び
とバラエティ豊かに描いている。

ギンガマンでは「漂泊の王子」とでも表現すべき、神話的な貴種流離と
してヒュウガの生き様を描き、タイムではギラギラした野望に身を焦が
す破滅的なアンチヒーローとして直人を描き、遡ってメガレンでは青春
真っ直中の主人公たちを見守る頼れる兄貴的な二枚目半のナイスガイと
して裕作を描いている。

ここで、これまで意図的に避けてきたピンクキャラに触れると、小林靖
子はすべての作品で「紅一点」を描くことに失敗しているとオレは思う
んだな。そして、そもそもピンクキャラには「紅一点」という以外の明
確な共通項も人物類型もない。そういう意味では「六人目」と共通して
いるんだが、小林靖子には「六人目」に匹敵するような、魅力的な「紅
一点」の人物類型の引き出しがない。

小林靖子の世界では、男集団の中に女が混じると、例外なく生臭い欠落
に悩む偏跛な人物として描かれてしまう。それは、リアルな経験の昇華
ではあっても、魅力的なヒーロー像とは程遠いだろう。

元々ピンクキャラは、歴代戦隊を通覧しても奇妙なくらい性格附けが稀
薄だったと思う。「男の戦闘集団のなかに混じったきれいな若い女」と
いうだけで、十分以上にキャラが立つので、それ以上の性格設定は意識
して為されてこなかったというのが妥当なところだろう。だからこそ、
小林靖子的なリアルに耐え得る人物類型の素型が見附からなかったとい
う事情もあるだろうね。

そして、当然のことだが、小林靖子は女性なので、これまでの戦隊で注
目してきたのは男性キャラだろう。これまでの戦隊を通じて、彼女なり
に男性キャラ類型をガッチリ掴んでいるからこその、タイムの王道的布
陣だ。メタルでデビューした経歴から、非戦隊的なヒーロー像の引き出
しもあるし、そもそも女性であるがゆえに魅力的な男性像の引き出しが
豊かなのもまた当然だろう。

対するに、これまでの作品を通覧しても、彼女の作品には魅力的な女性
キャラの引き出しがまったく感じられない。ギンガマンのサヤは、ラブ
コメ野郎の荒川稔久+リリカル野郎の田崎竜太という、女性キャラを描
くには最強のコンビを投入してさえもキャラが立たなかったのだから、
明らかに設計の時点で間違っていたのだとしか思えない。

ヒュウガに対する思慕の情を、表向きは先輩戦士に対する尊敬と言い換
えているが、そうした機微が、下手に「尊敬」などというもったいぶっ
た表向きを拵えたうえに、新米レッドに対する軽侮や不信として提示さ
れたがゆえに、「本音と建前」的な可愛げのないものに感じられ、ティ
ガのレナに通じるいやらしさを感じてしまう。

思慕するヒュウガの意向だからリョウマをレッドとしては認めるが、戦
士としては自分のほうが経験も実力も上だと言わぬばかりの態度で現れ
たのが、物語の当然の成り行きとしてリョウマの見せ場を描いていかね
ばならず、ホントはそうではないんだよという成り行きになっていくの
だが、サヤは単にヒュウガが好きなだけなのだから、その弟がいかに適
格者であったとしても、戦士としてリーダーとして認めるところに引っ
懸かりが出てくる。

「ホントは大好きなヒュウガに帰ってきてほしいだけ」とは言えないた
めに、何やかやと建前的にリョウマの資質や経験に難癖を附けるような
形となり、そこが本音と建前のいやらしさが出て生臭いわけだ。

いってしまえば、背伸びして建前を振り翳す割には余裕のない若い女と
いうのは、男にとってはまったく魅力的ではないのだ。いっそなりふり
構わずバカに徹して愚かしい行動に走ってくれればまだしも、自分の体
裁とプライドを取り繕っている辺りが生臭い。

荒川を投入したエピソードでも、畢竟するところサヤのそうした建前的
な部分を額面通りに解釈して「優しいいい子」として描かざるを得ず、
その対比としてサヤに瓜二つのワガママなアイドルを持ってきたが、シ
リーズ中のサヤの振れ幅として、ある種性格のキツい一面やイヤな部分
も描かれてしまっていたため、この対比が効果的ではなかった。

その後もサヤの人物像は迷走し、最終回を迎えても、納まるところに納
まったというカタルシスは一人だけ薄かった。

むしろギンガマンでいえば、自身のジェンダーに対する認識が畸型的に
まったく欠落したまま、稚ない恋の悲劇の果てに、一人の戦士として血
闘に殉じたシェリンダのほうがよほどに魅力的だった。

自分がハヤテに惹かれている感情を自分自身では最期まで理解できず、
無意識の恋情のゆえに彼にとって許し難い行為を犯し、その人との尋常
の果たし合いで滅んでいくシェリンダは、ある意味では滑稽ではありな
がら、他面では比類なく純粋かつ哀れな存在として魅力的だ。

ハヤテに惹かれたきっかけも、「私に初めて痍を附けた男」という、取
りようによっては「うる星やつら」的な極端なデフォルメにも感じられ
るし、ヒロイックファンタジーの愛好者ならC.L.ムーアの女戦士物
を想起される向きもあるだろう。憎しみと愛情の隠微な二重性という意
味では、こちらのほうが近いかもしれない。

そして、ハヤテとの確執を決定附けたミハルのエピソードについては、
日頃一対一の決闘においては堂々の勝負を望むシェリンダが、そうした
卑劣な手段を用いてハヤテを苦しめたいと目論んだ動機に「嫉妬」があ
ることを彼女自身まったく気附いていない。この「らしくない」行動の
裏にきわめて「らしい」動機が潜んでいて、そこへまったく意識が向か
ないという女性性の欠落、これがシェリンダを規定する性格だ。

他の、ことに男性の書き手だったら、必ず一度はシェリンダがハヤテに
惹かれていることを明示する「何だ、この気持ちは…」的な独白の目配
せを視聴者に送るのだが、オレの記憶では、一度としてそういうエクス
キューズが為されることはなかった。シェリンダは自己の感情を一切分
析することなく、ひたすらにハヤテを憎み、苛立ち、破滅した。

そこが潔い。

ここまでいびつであり、しかもそれをいびつなものとしてとことん描き
得たがゆえに、シェリンダは例外的に魅力的な女性キャラだったのだと
オレは思う。

つまり、良くも悪しくも小林作品における女性キャラは、どこか偏跛で
円満さに欠けている。シェリンダや、人によってはユウリが辛うじて魅
力的に見えたのは、最初の最初の段階から、そうした偏跛な畸型性を前
面に出したキャラであり、それを理詰めで突き放して押し進めることで
破綻のない結末を迎え得たからだろう。

しかし、多くの場合では、女性の視点で描かれているがゆえに妙にリア
ルではあるが、どこか可愛げのない、生臭い本音が仄見えて、魅力的で
あることのほうが少なかった。小林靖子には、自分にとってリアルでな
い人物は描けないという誠実さがあるが、それが女性キャラの場合はネ
ガティブに働くのではないかと思う。

男性ヒーローだって、高校生の伊達健太がああいうポジティブな行動力
を持つ熱血バカであることは、一種の虚構なのだが、それは物語上の類
型という装置としてリアルなんだろう。つまり、小林靖子は、男性キャ
ラのそれに相当するような虚構上の装置を、女性の場合はリアルに感じ
られないという弱点があるのだろう。

ギンガのシェリンダと比べてタイムのリラが魅力的ではないのは、リラ
も一種の類型ではあるが、こういう女に小林がまったく魅力を感じない
からだろうし、それは見ている視聴者だって同じことだ。類型的な意味
でリアルにいやな女だという、それだけなんだな。

さて、そろそろセラムンの話に戻らないと、みんなも飽きてきた頃合い
だろうな(木亥火暴!!)。

素知らぬ顔でスルーしてきたので訝しがる向きもあろうとは思うが、冒
頭でいった「セラムンのキャラはタイムのキャラ類型に沿っている」と
いう意見は、つまり月火水木の各キャラクターが男性のキャラ類型で描
かれているといっているわけだ。

生身の少女がヴィヴィッドな少女の言葉で語っているからこそ、少女の
物語だとみんな思っているわけだが、実は彼女たちのキャラクターは戦
隊で描かれている男性キャラクターの類型「らしきもの、ではなく、そ
れ、そのもの」として描かれている(木亥火暴!!)。

要するに、見かけは可愛い女の子だが、うさぎは竜也だし、レイちゃん
はアヤセだし、まこちゃんはドモンで、亜美ちゃんがシオン、という、
「それ、そのもの」。彼女たちのセリフを、男言葉に直して男の俳優に
喋らせればそっくり小林戦隊キャラになる。

…まあ、竜也とシオンがお弁当いっしょに食べたり、パジャマパーティ
したりするのはキモいけどな(木亥火暴!!)。

これでセラムンの各キャラクターが、なぜ少女でありながらヒーローと
して立っているのか理解できると思う。彼女たちは小林靖子が抱く戦隊
キャラの類型をそのままの形で背負っているからこそ、ヒーローとして
雄々しく描かれているのだ。生身の少女が演じている少女キャラである
からこそ、中身が男性の、それも青年のキャラであろうとも、肉体性を
得てリアリティを確保できるのだ。

そして、セラムンならではの個別事情というのは、前述したとおり少女
集団であるために「紅一点」に相当するキャラが表向き不在であること
と、もう一つ、シオンに相当する少年キャラが、実際にはこれまでも少
女として描かれていたことがハッキリしたこと。

ピンクキャラを描くのが得手ではない小林戦隊において、実質的に女性
的なポジションを担っているのは、少年であるシオンだったのではない
かというのが、セラムンを視ていて思ったことだ。小林靖子の女性キャ
ラに顕著な、偏跛さとそれゆえの孤独、そういう要素を、実は男性であ
る少年キャラがもっとも魅力的な形で体現していたのではないか。

ギンガマンのゴウキはどうかというと、彼には肉体上のマッチョイメー
ジと鈴子先生との恋愛という要素があるが、メンバーの料理を担当した
り、ナイーブで涙もろいキャラであったりと、実際には女性的な側面が
かなり附与されている。

そしてタイムでは、ユウリがシェリンダタイプのジェンダー欠落型の紅
一点であったがゆえに、実質的な「女性」としてのポジションは、シオ
ンが担っていたのではないかと思う。

少年を少女のアナロジーで描く、もしくはその逆が、小林靖子の「女性
キャラ」としては最良の距離感なのかもしれない。そして、それがセラ
ムンにアダプトされた場合はどうかというと、少女をそのまま少女とし
て描くことになるために、他のレギュラーメンバーとは逆に、亜美ちゃ
んに対してきわめて距離の近い状況が現出してしまったのではないか。

なぜなら、元々のセーラームーンの枠組みのなかで、月火水木を戦隊の
類型に割り振る場合、どうしても亜美ちゃんが少年のポジションに回ら
ざるを得ず、元々少年に託して少女を描いていたという隠微な事情だっ
たのが、さらに少年に託して描いていた少女を少女として描くという、
いっそう錯綜した事情が現出してしまったためだろう。

…みんな、ついてきてる?(木亥火暴!!)

オレの考えでは、たとえばAct.5 でああいう形の奇妙にリアルな葛藤を
描いてしまったのは、少女が演じている少女の物語のなかで、唯一人物
類型もまた少女であるのは亜美ちゃんだけだからだと思う。この錯綜し
た事情のなかで、小林靖子が自身の少女性を従来になくそのままの形で
仮託できるキャラこそが亜美ちゃんであり、そう考えれば、この番組に
おける亜美ちゃんへの過度の思い入れも理解できる。

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